土佐穴内駅
表示
土佐穴内駅 | |
---|---|
駅入口(2009年5月) | |
とさあなない Tosa-Ananai | |
◄D30 大田口 (2.8 km) (4.0 km) 大杉 D32► | |
所在地 | 高知県長岡郡大豊町穴内 |
駅番号 | ○D31 |
所属事業者 | 四国旅客鉄道(JR四国) |
所属路線 | ■土讃線 |
キロ程 | 83.2 km(多度津起点) |
電報略号 | ナイ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
6[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1934年(昭和9年)10月28日 |
備考 | 無人駅 |
土佐穴内駅(とさあなないえき)は、高知県長岡郡大豊町穴内にある、四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅である。駅番号はD31。
歴史
[編集]当駅の開業当時、既に土佐電気鉄道安芸線(現在の安芸市域)に穴内駅[2]が所在していたため、令制国名を冠して区別している。
この付近の土讃線は、開通当初は吉野川とその支流穴内川に沿って屈曲して通っており、当駅もその途中にあった。しかしこの区間にある西屋敷トンネルの変状が激しくなってきたことから、当時の四国鉄道管理局により1950年(昭和25年)11月に線路切り換え工事に着手した。これにより、土佐穴内駅は廃線となる旧線上に取り残されることになることから、地形的に駅建設に適地とは言えなかったものの、旧線と新線が合流する地点付近に移転することになった。新線上の和田トンネル掘削に伴う残土を埋め立てて新駅の建設予定地を造成し、1954年(昭和29年)3月30日に新線に切り替えられて当駅も移転した[3]。改キロは6月1日に実施されている[4]。1955年(昭和30年)7月に、線路付け替え関連の工事がすべて完成して、当駅の貨物側線も使用開始となった[3]。
年表
[編集]- 1934年(昭和9年)10月28日:開業[4]。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)7月:貨物側線を使用開始[3]。
- 1970年(昭和45年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる[4]。
- 2013年(平成25年)3月31日:駅待合所と駐輪場が、地区住民の寄附によって新設される[8]。
駅構造
[編集]単式1面1線のホームを持つ地上駅で、元は1面2線だった。現在は無人駅となっており、ホームにトイレを併設した待合所があるだけだが、駅舎を撤去した後の空き地が残る。待合所は二名・深田・大内・出目・上宇和・五郎・伊予出石の各駅と同じ構造のものである。また、貨物ホームの跡も残っている。
駅周辺
[編集]駅は穴内の集落からやや離れていて、駅の周囲に民家は少ない。
豊永方面の和田トンネル開通前の旧線を辿ることができる。また、坑口は封鎖されているがトンネルも現存している。
- 大杉穴内簡易郵便局
- 大豊町立穴内小学校・中学校(休校)
- 国道32号
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ “[opendata-web.site 高知県 駅乗降客数]”. 2021年3月11日閲覧。
- ^ 同線は後に廃止されたが現在、ほぼ同位置に土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の同名駅(穴内駅)がある。
- ^ a b c d 『国鉄沿線における斜面及び法面崩壊とその防止対策 : 土木工事施工研究会記録 第23回』日本国有鉄道施設局、1955年、129-141頁。
- ^ a b c d e f 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、666頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「山野線・伯備線・土讃線などの隧道工事」『交通技術』第9巻第6号、交通協力会、1954年6月、219頁。
- ^ 「通報 ●土讃本線及び中村線の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1970年9月26日、7面。
- ^ 「日本国有鉄道公示第389号」『官報』1970年9月26日。
- ^ “住民が待合所開設 大豊町の穴内駅 駐輪場も”. 高知新聞(朝刊) (高知新聞社): p. 20. (2013年4月1日)