コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

三岐鉄道三岐線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
員弁鉄道から転送)
三岐線
三岐線の電車
三岐線を走行する801系電車
(2022年1月 丹生川駅 - 三里駅間)
概要
起終点 起点:富田駅(三岐線)、三岐朝明信号場(近鉄連絡線)
終点:西藤原駅(三岐線)、近鉄富田駅(近鉄連絡線)
駅数 三岐線15駅、近鉄連絡線1駅
路線記号 S
運営
開業 1931年7月23日 (1931-07-23)
所有者 三岐鉄道
使用車両 車両を参照
路線諸元
路線総延長 26.5 km (16.5 mi)(富田-西藤原間)
1.1 km (0.68 mi)(三岐朝明信号場-近鉄富田間)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 200 m (660 ft)
電化 直流1,500 V 架空電車線方式
運行速度 最高70 km/h (43 mph)
最急勾配 25 (1 ° 25 )
路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
KRW+l KRWgr
↑↓JR東海関西線
STR
-
0.0*
S01 富田駅
STR STR
0.0
-
近鉄富田駅
STRq KRZu KRZu
STR
近畿日本鉄道名古屋線
HUBr kSTR3
-
0.4*
富田西口駅 -1985
ABZg+l KRZu kSTRr+1 kSTRc4
↑↓三岐線/近鉄連絡線→
STRq KRZo STRr
←JR東海:関西線↑
DST
1.1
1.0*
三岐朝明信号場
BHF
2.6 S02 大矢知駅
BHF
4.2 S03 平津駅
SKRZ-Au
東名阪自動車道
BHF
5.4 S04 暁学園前駅
BHF
7.1 S05 山城駅
SKRZ-Au
新名神高速道路
BHF
9.6 S06 保々駅
hKRZWae
朝明川
BHF
11.3 S07 北勢中央公園口駅 1997-
eBHF
11.4 大長駅 -1997
BHF
13.2 S08 梅戸井駅
eBHF
15.3 大井田駅 -1986
BHF
15.4 S09 大安駅 1986-
hKRZWae
宇賀川
BHF
17.2 S10 三里駅
BHF
19.7 S11 丹生川駅
hKRZWae
青川
BHF
20.9 S12 伊勢治田駅
BHF
23.2 S13 東藤原駅
KBSTaq ABZglr KBSTeq
太平洋セメント専用線→
BHF
25.4 S14 西野尻駅
KBHFxe
26.6 S15 西藤原駅
exLSTR
未成区間 1937年免許失効
関ケ原駅

大矢知 - 西藤原の各駅のキロ程は近鉄富田から

三岐線(さんぎせん)は、三重県四日市市富田駅から三重県いなべ市西藤原駅までを結ぶ三岐鉄道鉄道路線である。このうち富田駅 - 三岐朝明信号場間は貨物列車専用であり、旅客列車近鉄富田駅 - 三岐朝明信号場間の近鉄連絡線を通り、すべて近鉄富田駅発着となっている。

概要

[編集]

全線単線の電化路線である。旅客輸送を行っているほか、富田駅 - 東藤原駅間でセメントを中心とした貨物輸送を行っている。日本においてJR以外でセメント輸送を行う鉄道事業者は三岐鉄道のほかにもあったが、西武鉄道1996年(平成8年)に、秩父鉄道樽見鉄道2006年(平成18年)にセメント輸送を廃止して以降は本路線のみとなっている。

旅客列車は、近鉄富田駅から山城駅辺りまで住宅が集まる区間を走行するが、山城駅を保々駅方面に発車して少しすると広く開けた田園地帯を走行する。さらに伊勢治田駅からは藤原岳の麓を回り込むように進む。路線としては地方のローカル路線であるが、藤原岳などへの登山者を除けば通勤・通学路線としての性格が強い。

旅客列車には、西武鉄道の中古車両が黄色とオレンジ色のカラーリングを施され使用されている。貨物輸送の割合が大きいが、通学・生活路線として、また鈴鹿山脈へのハイキングの足などとして旅客輸送の比率も高まっている。

駅ナンバリングが導入されており、路線記号としてSが割り振られている。

藤原岳へ向かう列車

路線データ

[編集]
  • 路線距離(営業キロ):
    • 三岐線:富田 - 西藤原間 26.5km(富田 - 三岐朝明間1.0kmは貨物営業のみ)[1]
    • 近鉄連絡線:三岐朝明信号場 - 近鉄富田間 1.1km[1]
  • 軌間:1067mm[1]
  • 駅数:三岐線15駅、近鉄連絡線1駅(いずれも起終点駅含む)[1]
  • 複線区間:なし(全線単線)[2]
  • 電化区間:全線(直流1500V)[2]
  • 最急勾配:25パーミル(伊勢治田 - 東藤原間、東藤原 - 西野尻間)[2]
  • 最小曲線半径:200メートル[2]
  • 閉塞方式:自動閉塞式[2]
  • 保安装置ATS-S形
  • 最高速度:70km/h[3]
  • IC乗車カード対応区間:なし

保安装置としてATS-S型を採用するが、正確には改良型で、地上子にJR西日本タイプの「ATS-SW」と記載されていることが確認できる。また、ATS地上子が設置されているのは出発信号機(三岐朝明信号場を除く)のみで、ロング地上子は省略されており、元西武車の現用車両には確認ボタンは設置されていない。保々車両区内に試験用の地上子は設置されているが、場内信号機、線路終端部には地上子は存在しない。

歴史

[編集]

当路線は鉄道敷設法別表75項「三重県四日市ヨリ岐阜県関ケ原ヲ経テ滋賀県木ノ本ニ至ル鉄道」の一部を形成し、「三岐鉄道」という社名も三重県四日市と岐阜県大垣市上石津を経て、関ヶ原とを結ぶことを目指したことによるものであった。

1928年藤原鉄道に対し四日市市 - 関ヶ原町間他の鉄道敷設免許状が下付され、三岐鉄道に名称を改め会社を設立[4]。社長は三重県の実業家伊藤伝七[5]が就任し、取締役には浅野セメント浅野財閥[6]から専務取締役の浅野良三金子喜代太が、浅野財閥系の鶴見臨港鉄道[7]から取締役の山田胖が、小野田セメント[8]から専務取締役の狩野宗三が名を連ねた(浅野セメント・小野田セメントとも現在の太平洋セメントの前身)。

1931年7月23日に富田 - 東藤原間が開業し、同年12月23日に東藤原 - 西藤原間が延伸開業したものの、1937年に西藤原 - 関ヶ原間の免許が失効し、富田 - 西藤原間が建設されただけにとどまった[9]

近鉄連絡線建設前は旅客列車も国鉄富田駅発着であったが、近鉄富田駅まで歩いて移動する乗客が多かった[10]。近鉄連絡線建設には富田駅前の商店街が反対したが、完成後も国鉄富田駅への旅客列車を運行することで妥協した[3]。しかし、近鉄富田駅利用客の多さは歴然で、1985年(昭和60年)に旅客列車は近鉄富田駅発着に統一された[10][11]

2024年に入ってからは、ダイヤ改正、新制服の採用、駅ナンバリングの導入(例:保々駅はS06)、保々運転区CTCセンター横の電波塔更新、JR東海からの211系の譲受など、様々な変更が行われている。

年表

[編集]

運行形態

[編集]

旅客列車は、1時間あたり朝が3 - 4本、それ以外の時間帯では1 - 2本の運転である。近鉄富田駅 - 保々駅間の区間運転列車も設定されている。貨物列車が走る兼ね合いもあってパターンダイヤにはなっていない。2013年3月17日のダイヤ変更より若干減便され、昼間に近鉄富田駅 - 保々駅間の区間列車が復活した。以前は夕方に沿線の学生のために近鉄富田駅 - 保々駅間に臨時列車が1往復設定されており、この列車は土曜日・休日と春・夏・冬の学校長期休暇期間は運休となっていた。現行ダイヤでは、近鉄富田駅 - 保々駅間を往復する列車のうち朝7時台の上下各1本のみが、お盆・正月期間等は運休となる。すべて各駅に停車する普通列車であるが、1989年平成元年)まで急行が運転されていた実績もある。

貨物列車・旅客列車ともに保々駅で運転士の交代が行われるが、全列車というわけではなく、線内を通して運転する場合もある。一部列車は近鉄富田駅 - 保々駅間の区間列車であるのに加えて、下り列車の一部で昼間に保々駅で車両交換を行う列車があり、保々駅を跨いで西藤原駅方面へ行く場合は同駅で反対側のりばの車両に乗り換えることになる。この場合において近鉄富田駅から来た車両は折り返し保々発近鉄富田行きとなる。特に、2両編成の場合は折り返しに際して小移動する。これは、下り方面の停車位置に停車すると反対側の運転台の付近にワンマン運転のための後方確認用ミラーがないためである。各車両の方向幕には「大安」の行先表示が用意されているが2024年3月14日改正のダイヤでは大安行き列車は設定されておらず、雪などで区間運休となった場合でも保々駅 - 西藤原駅間または東藤原駅 - 西藤原駅間が運休になることがほとんどである(各車両の方向幕に「東藤原」の行先表示はない)。

旅客列車・貨物列車ともワンマン運転を行っている。ただし、早朝・夜間(近鉄富田駅・東藤原駅を除く全駅が無人になる時間帯)の列車には車掌が乗務している。他の鉄道事業者が運営する路線の多くの車掌とは異なり、その業務は専ら運賃収受が占めている。このため車掌が扱える列車の機器類は少なく、放送・一部のドア扱い・方向幕の操作などのみである。駅の改札口が列車進行方向前側にある駅では乗車券回収のため最後尾の乗務員室から先頭の運転室に移動する。合図はブザー式で、ブザー二打によって出発を合図する。しかし、駅での乗車券回収作業のあと、乗務員室までが離れている時は、列車の乗務員は近くの客扉から飛び乗り、ブザー合図なく発車させている。また、各駅が有人の時間帯であっても朝の一部列車は近鉄富田駅 - 保々駅間において車掌が乗務するツーマン運転で運行している。早朝の通学時間帯は、近隣の暁学園高校や桑名西高校の生徒で非常に混雑する。このため、ラッシュ時間前の列車に乗務する一部の車掌は暁学園前駅までの乗務となり、9時頃まで駅の改札業務を担当する。このように、厳密に役割が固定されているわけではなく場合に応じて柔軟な対応がなされている。

西野尻駅以外は有人駅であるため車内に運賃箱は設置されていない。

貨物列車の行き違いのため、交換駅は180 - 250m程度の有効長をもつ。全交換駅で安全側線が整備され、列車の行き違い時には、上下列車が場内信号機により停車せず同時に駅構内に進入できる。終点以外の大半の駅(暁学園前駅・北勢中央公園口駅・大安駅・西野尻駅以外)で行き違いが可能である。保々駅・伊勢治田駅・東藤原駅には貨物列車の着発線があり、貨物列車1本を待避させた上で、旅客列車(または貨物列車)同士の行き違いも可能である。

自転車を電車内に持ち込めるサイクルパス制度があり、近鉄富田駅以外で利用できる。大矢知駅 - 三里駅間は土曜・休日の全列車と春・夏・冬の学校長期休暇期間の日中時間帯のみ利用でき、三里駅 - 西藤原駅間は毎日・全列車で利用できる[40]

沿線概況

[編集]

三重県北勢地域を走る三岐線は、ほぼ平坦で、トンネルは存在しない。起点である富田駅周辺には商業施設が多いが、終点西藤原駅に向かうにつれて、住宅地、さらに進むと田畑および農村と沿線風景は変化する。

三岐線の旅客列車が全列車乗り入れる近鉄富田駅は、近鉄名古屋線との乗換駅であり、駅前には路線バスも発着することから、三岐線系統で最も乗降客数が多い駅である。近鉄富田駅を後にした列車は、しばらく近鉄名古屋線と並走し、住宅地の中を進む。関西本線をオーバークロスすると、三岐朝明信号場で、富田駅から来る三岐線と合流する。三岐線の起点駅は富田駅であるが、富田駅 - 三岐朝明信号場間の旅客営業は行われておらず、貨物営業のみとなっている。関西本線を再びオーバークロスすると、大矢知駅久留倍官衙遺跡の最寄駅である。右手に朝明川と並走しつつ伊坂ダムの最寄駅である平津駅を過ぎると、水田が広がる。次の暁学園前駅はその名の通り、暁学園の最寄駅であるため通学客も多いほか、三岐鉄道が開発した住宅地「あかつき台」への最寄駅である。暁学園前駅の駅ビル「あかつきプラザビル」には三岐鉄道が経営する駄菓子屋も入居している。列車は、朝明川と並走し、住宅地「八千代台」、「あさけが丘」最寄駅の山城駅に到着する。山城駅には、近鉄四日市駅イオンモール東員方面に向かう三岐鉄道バスが乗り入れている。山城駅を過ぎると水田が再び広がり、保々駅に到着する。保々駅には、保々車両区、CTCセンターがあり、三岐線の中枢となる駅であるため、保々止まりの列車も設定されている。ここまで並走してきた朝明川を渡り、路線は朝明川北岸に進む。北勢中央公園口駅は、北勢中央公園の最寄駅であるとともに、住宅地「高見台」が近い。次の梅戸井駅を過ぎると、図書館が併設された駅舎が特徴的な大安駅宇賀渓の最寄駅である。両ヶ池公園の最寄駅である三里駅から終点西藤原駅までは、終日全列車に自転車を持ち込むことができる。次の丹生川駅には貨物鉄道博物館が併設されている。青川を渡ると側線のある伊勢治田駅に到着する。伊勢治田駅は青川渓の最寄駅である。次の東藤原駅太平洋セメント藤原工場が隣接している。東藤原駅からはセメントが出荷されており、三岐線貨物輸送における一大拠点である。貨物輸送は富田駅から同駅までで、ここから先は旅客営業のみとなる。列車はセメント工場の中を通り抜け、セメント採掘現場により削られた山肌が特徴的な藤原岳を左手に見ながら走ると、三岐線唯一の無人駅西野尻駅に到着する。藤原町の集落の中に位置する、終点西藤原駅には機関車が展示されているほか、乗用鉄道模型のレイアウトがあり、乗車することができるイベントも開催されている。西藤原駅は聖宝寺、鈴鹿山脈藤原岳、御池岳登山口も近く、登山シーズンには多くの登山客で賑わう。

運賃・切符

[編集]

普通乗車券・回数券・定期券

[編集]
  • 三岐線内有人駅では硬券による入場券乗車券を発売している。
  • 回数券は、普通回数券(10枚分の価格で11枚発券)と、5枚分の価格で6枚発券される昼間割引回数券(平日10 - 16時と、土休日の終日使用可)がある。
  • 通勤定期は1・3・6か月定期の3種類がある。通学定期については、1・3・6か月定期と、学期定期として1・2・3学期定期および前・後学期定期(原則として当該学期の始業式から終業式当日まで有効)が設定されている。
  • 近鉄名古屋線湯の山線および鈴鹿線との間に連絡定期券(学期定期は設定されていない)が発売されている[41]
  • それ以外の路線(近鉄名古屋線を介しての三岐鉄道北勢線、JR線、養老鉄道線)との連絡定期券・連絡切符は設定されていない。

企画乗車券

[編集]

2019年10月1日現在[42]

1日乗り放題パス
三岐線内1日乗り降り自由の「1日乗り放題パス」に代わり、2009年10月1日より北勢線でも使用が可能な『三岐鉄道1日乗り放題パス』(大人1200円、小人600円)が三岐鉄道全線の有人駅で発売されている。

利用状況

[編集]

輸送実績

[編集]

三岐線および近鉄連絡線の輸送実績を下表に記す。2012年度以降、鉄道統計年報においては北勢線と合算されているため、輸送人員については三重県統計書の数値を用いる。輸送密度は貨物専用区間を含む全営業キロで除されている。

輸送人員は年度での値である。1965年以降における最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別輸送実績表
年 度 輸送人員(乗車人員)
[万人/年度]
輸送密度
[人/日]
貨物輸送量
[万t/年度]
関連特記事項
通勤定期 通学定期 定期外 合 計
1965(昭和40) 301.5 ←← 88.8 390.3   92.6 萱生駅を暁学園前駅に改称 暁学園新設開校
1966(昭和41) 325.9 ←← 84.2 410.1   84.9  
1967(昭和42) 321.4 ←← 80.2 401.6   107.4  
1968(昭和43) 308.7 ←← 85.4 394.1   105.8  
1969(昭和44) 307.9 ←← 81.6 389.6   93.2  
1970(昭和45) 305.3 ←← 84.1 389.4   148.4 近鉄連絡線開通 近鉄富田駅に乗り入れ開始
1971(昭和46) 320.1 ←← 90.9 411.1   166.7  
1972(昭和47) 321.9 ←← 91.4 413.3   179.0  
1973(昭和48) 340.0 ←← 92.4 432.4   182.2 旅客輸送量最大を記録
1974(昭和49) 333.2 ←← 95.8 429.0   140.3  
1975(昭和50) 140.5 191.1 94.7 426.3 3,396 120.5  
1976(昭和51) 131.3 182.7 97.6 411.6 3,252 127.5  
1977(昭和52) 131.7 181.4 102.3 415.5 3,297 149.6  
1978(昭和53) 126.2 172.0 96.7 395.1 3,210 179.4 保々駅近隣に朝明高校新設開校
1979(昭和54) 127.9 177.0 99.1 404.0 3,344 198.0  
1980(昭和55) 128.1 184.6 101.2 414.0 3,424 196.1  
1981(昭和56) 123.7 198.3 99.3 421.3 3,415 155.8  
1982(昭和57) 125.9 185.4 99.0 410.3 3,353 144.4  
1983(昭和58) 123.5 176.2 96.8 396.5 3,225 141.6  
1984(昭和59) 116.1 167.2 91.1 374.4 3,077 138.6  
1985(昭和60) 114.8 165.0 91.7 371.5 3,077 129.7  
1986(昭和61) 114.4 162.7 96.1 373.2 3,087 105.0 大安駅開業
1987(昭和62) 109.6 168.4 91.8 369.8 3,026 131.6  
1988(昭和63) 105.0 179.5 93.1 377.6 3,061 135.6  
1989(平成元) 97.8 185.2 91.3 374.3 3,078 125.0 旅客車両の冷房化開始
1990(平成2) 99.3 197.8 95.7 392.9 3,215 124.5  
1991(平成3) 100.5 196.7 97.1 394.3 3,246 118.2  
1992(平成4) 105.0 193.5 98.7 397.2 3,285 141.5  
1993(平成5) 102.0 192.9 96.8 391.7 3,232 148.4  
1994(平成6) 95.4 189.2 91.2 375.8 3,119 151.4  
1995(平成7) 92.2 176.2 93.5 361.9 3,017 147.8  
1996(平成8) 91.4 172.6 92.6 356.6 3,010 134.4  
1997(平成9) 89.9 157.5 81.6 329.0 2,807 125.0 北勢中央公園口駅開業
1998(平成10) 90.1 161.5 77.6 329.2 2,809 130.2  
1999(平成11) 86.3 159.1 73.5 318.9 2,714 102.5  
2000(平成12) 81.1 164.8 72.5 318.4 2,687 224.6  
2001(平成13) 77.4 170.0 72.9 320.3 2,733 282.4 貨物輸送量最大を記録
2002(平成14) 72.7 167.5 73.0 313.2 2,708 232.2  
2003(平成15) 71.1 170.6 74.7 316.4 2,799 122.4  
2004(平成16) 72.0 172.0 76.5 320.5 2,868 103.7 保々駅 - 西藤原駅間の列車を大増発
2005(平成17) 72.6 175.5 78.2 326.3 2,920 105.0  
2006(平成18) 75.6 169.0 79.5 324.1 2,905 109.5  
2007(平成19) 79.2 169.6 82.4 331.2 2,954    
2008(平成20) 82.4 169.8 83.5 335.7 2,981    
2009(平成21)       331.2      
2010(平成22)       335.8      
2011(平成23)       321.1      
2012(平成24)       322.9   99.0  
2013(平成25)       328.7   106.0  
2014(平成26)       320.0   105.8  
2015(平成27)       324.6   103.5  
2016(平成28)       316.3   108.8  
2017(平成29)       315.3      

出典:鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)

営業成績

[編集]

2011年平成23年度)までの、三岐線および近鉄連絡線の輸送実績を下表に記す(2012年度以降は北勢線と合算されており単独データが存在しない)。

最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別営業成績表
年度 旅客運賃収入 [千円/年度] 貨物運輸収入
[千円/年度]
運輸雑収
[千円/年度]
営業収益
[千円/年度]
営業経費
[千円/年度]
営業損益
[千円/年度]
営業
係数
通勤定期 通学定期 定期外 手小荷物 合計
1975(昭和50) 210,013 ←←←← 121,576 2,254 333,843 477,188 39,919 850,950      
1976(昭和51) 197,929 ←←←← 127,793 2,684 328,406 691,921 14,142 1,034,469      
1977(昭和52) 212,868 ←←←← 135,439 2,800 351,107 853,945 54,992 1,260,046      
1978(昭和53) 233,531 ←←←← 144,757 2,698 380,987 961,290 69,236 1,411,513      
1979(昭和54) 245,655 ←←←← 149,884 2,231 397,770 1,044,492 51,525 1,493,788      
1980(昭和55) 250,868 ←←←← 153,078 2,021 405,967 1,134,028 73,911 1,613,908      
1981(昭和56) 258,610 ←←←← 153,397 1,714 413,721 1,173,773 75,738 1,663,233      
1982(昭和57) 273,174 ←←←← 162,948 1,055 437,177 1,292,004 71,596 1,800,777      
1983(昭和58) 267,636 ←←←← 168,324 710 436,670 1,283,269 72,929 1,792,868      
1984(昭和59) 274,628 ←←←← 165,919 632 441,178 1,270,809 73,232 1,785,220      
1985(昭和60) 272,978 ←←←← 169,418 659 443,055 1,200,343 84,672 1,728,070      
1986(昭和61) 290,680 ←←←← 189,864 688 481,232 948,346 82,085 1,511,663      
1987(昭和62) 142,874 142,967 184,782 786 471,409 856,364 85,666 1,413,439      
1988(昭和63) 136,186 153,167 184,367 876 474,596 866,606 124,419 1,465,621      
1989(平成元) 125,337 160,157 181,344 346 467,184 807,781 131,015 1,405,980      
1990(平成2) 131,459 177,252 203,951 166 512,662 808,270 145,230 1,466,328      
1991(平成3) 134,188 180,116 214,135 36 528,475 788,696 132,110 1,449,281      
1992(平成4) 137,057 178,541 217,819 36 533,453 899,461 150,707 1,583,621      
1993(平成5) 135,482 178,790 209,762 36 524,070 928,555 181,210 1,633,835      
1994(平成6) 128,323 176,103 198,680 36 503,142 937,939 181,238 1,622,319      
1995(平成7) 125,052 165,218 204,328 36 494,634 907,794 186,114 1,588,542      
1996(平成8) 123,077 164,847 204,683 36 492,643 834,905 176,047 1,503,595      
1997(平成9) 125,830 155,161 204,732 36 485,759 786,217 173,668 1,445,644      
1998(平成10) 126,299 159,903 195,898 36 482,136 768,855 171,440 1,422,431      
1999(平成11) 121,334 157,048 184,951 36 463,369 652,754 159,605 1,275,728      
2000(平成12) 114,508 160,191 184,321 36 459,056 814,459 151,952 1,425,467      
2001(平成13) 110,673 166,404 188,159 0 465,236 976,319 153,747 1,595,302 1,579,547 15,755 99.0
2002(平成14) 104,686 165,567 191,043 0 461,296 847,938 159,578 1,468,812 1,461,553 7,259 99.5
2003(平成15) 103,873 171,692 195,900 0 471,465 588,599 161,068 1,221,132 1,203,424 17,708 98.5
2004(平成16) 105,002 175,191 201,270 0 481,463 480,090 154,052 1,115,605 1,102,819 12,786 98.9
2005(平成17) 106,895 178,384 205,942 0 491,221 517,542 150,899 1,159,662 1,066,783 92,879 92.0
2006(平成18) 113,221 171,456 208,891 0 493,568 414,404 155,685 1,063,657 1,094,406 △ 30,749 102.9
2007(平成19) 118,699 169,935 218,863 0 507,497 469,372 148,504 1,125,373 1,096,477 28,896 97.4
2008(平成20) 122,934 168,251 222,571 0 513,756 465,937 140,306 1,119,999      

出典:鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)

戦前の輸送収支実績

[編集]
戦前の輸送収支実績
年度 輸送人員
(人)
貨物量
(トン)
営業収入
(円)
営業費
(円)
営業益金
(円)
その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金
(円)
1931 225,086 15,169 45,689 52,468 ▲ 6,779 雑損82 20,895
1932 351,395 61,849 102,062 90,012 12,050 雑損償却金5,332 21,245 18,265
1933 381,907 172,462 182,651 110,333 72,318 自動車業1,272雑損40,369 18,532 38,033
1934 387,890 131,001 153,166 116,198 36,968 自動車業16,187償却金55,760 14,520 58,419
1935 417,024 210,153 211,955 120,955 91,000 自動車業1,079償却金92,440 9,517 53,466
1936 433,534 223,320 229,845 134,604 95,241 自動車業1,329償却金55,000 4,735 43,974
1937 459,799 226,630 234,265 144,490 89,775 自動車業2,302償却金55,413
雑損53
4,102 45,316
1939 563,905 246,481
1941 696,068 348,930
1943 1,067,698 318,991
1945 1,938,765 156,445
  • 鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版

営業区間および駅一覧

[編集]

三岐線はJR富田駅 - 西藤原駅の三岐線および三岐朝明信号場 - 近鉄富田駅の近鉄連絡線(近鉄連絡線の起点は三岐朝明信号場である)から構成されるが、実際は近鉄富田駅 - 西藤原駅間で旅客営業を、JR富田駅 - 東藤原駅間で貨物営業を行なっている。便宜上、旅客営業を行なう近鉄富田駅 - 西藤原駅間と貨物営業のみを行なうJR富田駅 - 三岐朝明信号場間の2区間に分けて記載する。

全駅・信号場とも三重県に所在。括弧書き(背景色がグレー)の駅は廃止駅。廃止駅の廃止年は休止期間があった場合は休止年を記載している。乗車人員は2006年度(平成18年度)の値を記している。

富田駅 - 三岐朝明信号場間

[編集]

この区間は貨物営業のみ。全駅・信号場とも四日市市に所在。

駅名 営業キロ 行違設備 開業年 廃止年 接続路線
駅間
キロ
累計
キロ
富田駅 - 0.0 1931年 - 東海旅客鉄道:CJ 関西本線 (CJ09)
富田西口駅 0.4 0.4 - 1965年 1985年  
(三岐朝明駅)
三岐朝明信号場
0.6 1.0 - 1950年 1989年
信号場化
 

近鉄富田駅 - 西藤原駅間

[編集]

近鉄富田駅 - 三岐朝明信号場間は近鉄連絡線。同線含む近鉄富田駅 - 西藤原駅間が旅客営業区間。三岐朝明信号場 - 東藤原駅間が貨物営業区間。

駅番号 駅名 営業キロ 行違設備 乗車人員 開業年 廃止年 接続路線 所在地
駅間 累計 実数
人/年
順位
S01 近鉄富田駅 - 0.0 - 1,372,415 1 1970年 - 近畿日本鉄道:E 名古屋線 (E17) 四日市市
(三岐朝明駅)
三岐朝明信号場
1.1 1.1 - - - 1950年 1989年
信号場化
 
S02 大矢知駅 1.5 2.6 114,334 8 1931年 -  
S03 平津駅 1.6 4.2 78,401 9 1931年 -  
S04 暁学園前駅 1.2 5.4 - 629,077 2 1931年 -  
S05 山城駅 1.7 7.1 170,015 4 1931年 -  
S06 保々駅 2.5 9.6 198,612 3 1931年 -  
S07 北勢中央公園口駅 1.7 11.3 - 138,105 6 1997年 -  
大長駅 - 11.4 - - - 1931年 1997年   員弁郡
東員町
S08 梅戸井駅 1.9 13.2 54,826 11 1931年 -   いなべ市
大井田駅 - 15.3 - - - 1931年 1986年  
S09 大安駅 2.2 15.4 - 161,865 5 1986年 -  
S10 三里駅 1.8 17.2 132,628 7 1931年 -  
S11 丹生川駅 2.5 19.7 47,456 13 1931年 -  
S12 伊勢治田駅 1.2 20.9 65,983 10 1931年 -  
S13 東藤原駅 2.3 23.2 16,296 14 1931年 -  
S14 西野尻駅 2.2 25.4 - 12,893 15 1931年 -  
S15 西藤原駅 1.2 26.6 - 47,894 12 1931年 -  

※近鉄富田駅、東藤原駅以外は早朝(始発から6:30)と夜間(21:00以降)は無人になる。西野尻駅は終日無人。

車両

[編集]

かつては複数の鉄道会社からの譲渡車のほか、自社発注車も存在したが、現在は西武鉄道からの譲渡車で統一されている。西武でも黄色を主体とした塗装を採用していたが、これは偶然の一致である。

2024年に東海旅客鉄道(JR東海)から211系30両を譲り受けた。三岐線での運用に必要な改造を施し、このうち24両が営業用として運行を開始する予定である[43][44]

現有車両

[編集]

電車

[編集]

3両編成5本(801系・851系・751系)と2両編成3本(101系)の21両が在籍する。前述の通りいずれも元西武鉄道の車両である。

801系・851系
[編集]

西武701系を3両編成に改造したもので[37]1989年から1997年にかけて4編成が導入された。その後1両が事故廃車となり、元西武新101系の車両に置き換えられている。

形式は台車によって分けられており、801系はFS342、851系はFS072・FS372を装備している[45]

元701系の各車は西武所沢車両工場で改造されており、4両編成(851Fは6両編成のうち4両を使用)を3両編成へと短縮している。これはモハ奇数車の車端部を切断し、クハ奇数車の運転台部分を接合する形で行われた。さらに塗装変更とワンマン化、台車の履き替え等が行われた。また2015年にクモハ801・クモハ803・モハ804の空調脇ランボードが改造された[45]

台車については、種車がクハはFS072、モハはFS342と別形態の台車を備えており、譲渡にあたって最初の2編成(801F・803F)はFS342へ統一したが、3編成目(851F)は逆にFS072・FS372へと統一されている。具体的にはクハ1802・1804はFS072からFS342へ換装、クモハ851・モハ881はFS342からFS372へと換装された。最後に譲渡された、4編成目となる805Fは3両とも元の台車形式を維持しており、2種類の台車が混在する唯一の編成となった。このためクモハとモハは801系、クハは851系となっている(編成としては801系の扱い)。

脱線事故の影響
[編集]

851Fは2012年11月8日に三里駅で脱線事故が発生し[45]、クハ1851が現地解体となった。この代替として、未入籍の部品取り車であった元新101系のクハ1238がクハ1881として整備され、2013年9月30日に竣工した[46]。これにより編成内で大きく外観の違う車両が混在する結果となっている。

クハの改造にあたっては、CPを新設したほか[47]、貫通路幅が異なるため、隣のモハ881の貫通路を狭めて対応している。また車内には車椅子スペースも新設。さらには851F全体で転落防止幌を設置[45]、行先表示器をLED化[45]するなど、設備面が751系相当にアップグレードされた。

[48]
 
形式 (801系) クモハ801 モハ802 クハ1802 竣工[49] 備考
形式 (851系) クモハ851 モハ881 クハ1851
形式(元新101系) クハ1881
車種 Mc M Tc
搭載機器 MG CONT CP
車両番号
(西武車号)
[49]
801F 801
(779)
802
(780)
1802
(1780)
1989年12月28日 住友電装コラボラッピング
(2024年4月2日 - )[50][51]
803F 803
(771)
804
(772)
1804
(1772)
1992年7月8日 西武「赤電」復元塗装
(2019年4月21日 - )[52][53]
851F 851
(701-89)
881
(701-90)
1851
(1790)
1995年12月22日 登場時の組成
805F 805
(781)
806
(782)
1852
(1782)
1997年9月30日 西武イエロー復元塗装
(2018年4月26日 - )[54][55]
851F 851
(701-89)
881
(701-90)
1881
(1238)
(2013年9月30日) 事故復旧後の組成
行先表示器LED式・外幌設置
注:車両番号の太字は851系、斜体は元西武新101系の車両を示す。
101系
[編集]

西武401系を改造したもので[37]、1990年から1993年にかけて2両3編成が導入された。

種車都合により、他系列とは車両の向きが逆となっている[56]

西武所沢車両工場にて改造され、塗装変更とワンマン化、台車の履き替え(FS372→FS342[57])のほか、前照灯の変更が行われている。その後1990年代後半に前面の塗り分けが僅かに変更されたほか、クモハ101・103にフランジ塗油器が設置された[58]。また2010年に105Fの側引戸が751系と同じものへ交換されている。

[48]
 
形式 クモハ101
(Mc)
クモハ101
(Mc)
竣工[49] 備考
搭載機器 CONT MG, CP
車両番号
(西武車号)
[49]
101F 101
(402)
102
(401)
1990年12月21日 旧三岐カラー復刻塗装
(2020年5月1日 - )
103F 103
(406)
104
(405)
1991年6月12日
105F 105
(410)
106
(409)
1993年6月28日 ドア窓金属抑え
751系
[編集]

西武新101系を改造したもので[37]、2009年に3両1編成が導入された。武蔵丘車両検修場で改造しており、1編成を短縮するのではなく、4両編成と2両編成(701系には存在しない)とを組み合わせることで、先頭化改造を伴わずに3両編成を組成している。行先表示器がLED式とされ、またクハ1751形は車椅子スペースが新設された。

改造した751Fと同時に、部品取りとして同じく元新101系のモハ238・クハ1238の2両も譲渡されている。このうちクハは前述の通り851系に編入され、モハは2013年に解体された。

[48][49]
 
形式 クモハ751
(Mc1)
モハ781
(M2)
クハ1751
(Tc1)
営業開始[49] 備考
搭載機器 CONT MG, CP  
車両番号
(西武車号)
751F 751
(283)
781
(236)
1751
(1236)
2009年1月27日 行先表示器LED式

電気機関車

[編集]

貨車

[編集]

(事業用車)

導入予定車両

[編集]

電車

[編集]

2024年にJR東海から同社211系静岡車両区所属、5000・5600番台)30両を譲り受けた。このうち24両が営業用となる予定である。内訳は以下の通り。編成名・車番はJR東海在籍時のもの。

  • 5000番台:3両編成5本
    • LL1編成(クモハ211-5011 モハ210-5011 クハ210-5011)
    • LL9編成(クモハ211-5027 モハ210-5027 クハ210-5027)
    • LL11編成(クモハ211-5030 モハ210-5030 クハ210-5030)
    • LL14編成(クモハ211-5036 モハ210-5036 クハ210-5036)
    • LL16編成(クモハ211-5039 モハ210-5039 クハ210-5039)
  • 5600番台:3両編成5本
    • SS2編成(クモハ211-5608 モハ210-5056 クハ210-5025)
    • SS3編成(クモハ211-5609 モハ210-5057 クハ210-5028)
    • SS7編成(クモハ211-5613 モハ210-5061 クハ210-5040)
    • SS8編成(クモハ211-5614 モハ210-5062 クハ210-5043)
    • SS11編成(クモハ211-5617 モハ210-5065 クハ210-5048)

過去に在籍した車両

[編集]

電車

[編集]
モハ120形
601系

以前は窓周りが緑色、窓上と窓下が紺色という、京成電鉄青電によく似た塗装だったが、この色が沿線の田園風景と区別がつきにくいという声があり、現在の黄色を主体に、裾のみ朱色という塗り分けになった。

電気機関車

[編集]
ED22 2

車両数の変遷

[編集]
モハ120形 モハ130形 クハ210形 モハ150形 501系 601系 801系 101系 851系 751系 計(冷房車)
1982 4 1 4 4 6 19
1983
-1987
1 2 4 6 6 19
1988 1 2 2 6 8 19
1989 1 2 2 6 8 19
1990 1 2 2 3 8 3 19(3)
1991 1 2 3 8 3 2 19(5)
1992 3 8 3 4 19(7)
1993 3 6 6 4 19(10)
1994 3 6 6 6 21(12)
1995 3 6 6 6 21(12)
1996 6 6 6 3 21(15)
1997 6 6 6 3 21(15)
1998
-2008
2 8 6 4 20(18)
2009
-2011
8 6 4 3 21(21)
  • 1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
  • 『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール

その他

[編集]
現役時代の富田西口駅。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。1975年度。
  • 1952 - 1964年には、国鉄富田駅を経由して国鉄四日市駅に直通する旅客列車があった。当時非電化だった国鉄四日市駅直通のために気動車を使用しており、関西本線富田浜 - 四日市間には三岐鉄道からの直通列車専用の「午起駅」も設けられた。
  • 1958年頃より当時の富田 - 四日市間の輸送力強化のため、関西線とは別に三岐鉄道としての路線を敷設する計画があり、免許申請[31]や国鉄を交えた検討が行われた[60]
  • 富田駅構内の近鉄名古屋線を潜る箇所には、近鉄富田駅への乗換客の便宜を図って「富田西口駅」という名のプラットホームがあり(近鉄富田駅と同一駅扱い)、国鉄富田行きの旅客列車のみ停車していた。富田西口駅は近鉄連絡線開業後も1日に3往復程度あった国鉄富田駅発着旅客列車が廃止されるまで使われた。実際の近鉄富田駅との移動距離は、国鉄富田駅からの方が近かったが、近鉄富田駅までの乗車券(定期券含む)では乗り越し扱いとなるため、富田西口駅で乗り換えれば近鉄富田駅までの運賃で利用できた。
  • 1983年には、日本テレビ系で放送されていた刑事ドラマ『太陽にほえろ!』571話「誘拐」の名古屋ロケにおいて、三岐線電車車内や沿線などで撮影が行われた。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』26号 3頁
  2. ^ a b c d e 「現有私鉄概説 三岐鉄道」p.33
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』26号 25頁
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『人事興信録. 第8版(昭和3年)』国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ a b 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』26号 24頁
  10. ^ a b 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』26号 18-19頁
  11. ^ 路線自体が廃止された例や、他の鉄道事業者に経営が移管された例を除くと2024年時点で三重県の鉄道で旅客営業が廃止された最後の事例。
  12. ^ 『三岐鉄道50年の歩み』 「第1章.三岐を拓く 1.勢江鉄道とその計画」 34ページ
  13. ^ 『三岐鉄道50年の歩み』 「第1章.三岐を拓く 3.員弁鉄道と藤原鉄道」 36-42ページ
  14. ^ a b 『三岐鉄道50年の歩み』 「第1章.三岐を拓く 4.藤原鉄道に免許」 42-43ページ
  15. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年6月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 『三岐鉄道50年の歩み』 「第1章.三岐を拓く 5.会社設立」 43-46ページ
  17. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 11月1日名称変更届出『鉄道統計資料. 昭和3年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年7月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 『三岐鉄道50年の歩み』 「第2章.鉄道の開業 1.開業準備」 50ページ 当時志摩電鉄の社長を兼務していた伊藤の意向で志摩線の開業日(7月23日)に合わせたとされる。
  21. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年1月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 『三岐鉄道50年の歩み』 「第2章.鉄道の開業 5.待望のセメント出貨はじまる」 62-63ページ
  23. ^ 『近代日本と地域交通』、343頁
  24. ^ 「鉄道免許取消」『官報』1935年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1935年12月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1937年12月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. ^ a b 『三岐鉄道50年の歩み』 「第4章.戦後の復興 2.復興へのスタート」 71-72ページ
  28. ^ a b 『三岐鉄道50年の歩み』 「第5章.近代化と合理化を進めて 1.全線の電化と黒四ダムの輸送」 78-79ページ
  29. ^ a b c d 『三岐鉄道50年の歩み』 「第5章.近代化と合理化を進めて 2.2つの新線計画と近鉄富田連絡新線」 79-81ページ
  30. ^ 運輸省告示第181号 三岐鉄道株式会社の地方鉄道敷設免許申請について」『運輸審議会半年報 昭和33年』、23-24頁。doi:10.11501/2473099https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2473099/16 
  31. ^ a b c 5.地方鉄道 三岐鉄道株式会社」『私鉄要覧 昭和37年度版』1962年、76頁。doi:10.11501/2455723https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2455723/90 
  32. ^ 『三岐鉄道50年の歩み』 「第9章.資料編 会社年表」 140ページ
  33. ^ a b 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年、31頁。ISBN 978-4-10-790026-5 
  34. ^ 『三岐鉄道50年の歩み』 「第9章.資料編 会社年表」 141ページ
  35. ^ “三岐鉄道が速度アップ ダイヤ改正 40年来の悲願達成”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1994年12月5日) 
  36. ^ 「鉄道記録帳2002年12月」『RAIL FAN』第50巻第2号、鉄道友の会、2003年3月1日、25頁。 
  37. ^ a b c d e f g h i j k 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』26号 32頁
  38. ^ “赤信号見落とし?列車脱線 三重の三岐鉄道、けが人なし”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞). (2012年11月8日). http://www.asahi.com/national/update/1108/NGY201211080024.html 2012年11月9日閲覧。 
  39. ^ 平成25年1月12日(予定)三岐線全線開通のお知らせ』(プレスリリース)三岐鉄道、2012年12月20日http://www.sangirail.co.jp/contents/annai/sangisen/24.12.20.html2012年12月25日閲覧 
  40. ^ 三岐線のサイクルパス - 三岐鉄道、2021年8月16日閲覧
  41. ^ 三岐電車・よくあるご質問 - 三岐鉄道
  42. ^ 三岐鉄道 乗車券のご案内 - 三岐鉄道、2019年10月5日閲覧
  43. ^ 辻健治 (2024年4月19日). “「国鉄型」の211系、新天地は三重? JR東海から三岐鉄道へ譲渡”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2024年4月19日閲覧。
  44. ^ 三岐線用車両譲受について - 三岐鉄道 2024年7月1日
  45. ^ a b c d e 『とれいん』2017年5月号(通巻509号)「現在も活躍する701系譲渡車」pp.74 - 75
  46. ^ 『鉄道ピクトリアル』鉄道車両年鑑 2014年版 p.136,232
  47. ^ 西武701系はクハにCPを搭載していたが、西武101系以降はモハに搭載しているため、同車は搭載していなかった。
  48. ^ a b c 私鉄車両編成表2018
  49. ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』新車年鑑→鉄道車両年鑑 各年版(90年版p298、91年版p247、92年版p191、93年版p195、94年版p174、96年版p190、98年版p205、09年版p19)
  50. ^ 住友電装、四日市市の高校生とコラボし三岐鉄道ラッピング車両の運行を開始(PDF) - 住友電装ニュースリリース 2024年3月28日発表
  51. ^ 「ラッピング電車」運行開始 「未来」テーマに高校生が描く 三重・三岐鉄道三岐線 - Yahoo!ニュース 4月2日配信
  52. ^ 三岐鉄道801系803編成が「赤電」塗装で営業運転を開始 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2019年4月22日
  53. ^ 三岐線に西武カラー(赤電色)を復元した電車が走ります - インターネットアーカイブ 2019年4月6日の版(三岐鉄道ニュースリリース 2019年4月5日発表)
  54. ^ 三岐線で西武カラーを復元! - 三岐鉄道、2018年4月20日閲覧
  55. ^ 三岐鉄道801系西武復刻塗色編成が営業運転を開始 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2018年4月27日
  56. ^ 西武401系は、601系の種車となった西武451系奇数編成とは編成構成が逆になっており、これを揃えるために西武線内で方向転換を行ったためである。なお西武では同社101系以降で編成構成が逆転しているため、751系(元西武新101系)は方向転換せずとも向きが揃っている。
  57. ^ 『鉄道ピクトリアル』新車年鑑1991年版 p.129
  58. ^ 『鉄道ピクトリアル』新車年鑑 1997年版p182、1998年版p205
  59. ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』26号 33頁
  60. ^ 岐工局調査課 橋倉直一「VI.臨港線の現状と計画 2.名古屋・四日市地区について」『停車場技術講演会記録 第12回』日本国有鉄道建設局、1962年1月、247頁。doi:10.11501/3454486https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3454486/155 

参考文献

[編集]
  • 『三岐鉄道50年の歩み』三岐鉄道、1981年。doi:10.11501/11954949 
  • 武知京三『近代日本と地域交通』臨川書店、1994年
  • 藤岡雄一「現有私鉄概説 三岐鉄道」『鉄道ピクトリアル臨時増刊号』第685号、2000年5月、32 - 38頁。 
  • 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 26号 長良川鉄道・明知鉄道・樽見鉄道・三岐鉄道・伊勢鉄道、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年9月18日。 

関連項目

[編集]