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岡崎電気軌道200形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名鉄モ460形電車から転送)
岡崎電気軌道200形電車
三河鉄道200形・サハフ45号電車
名鉄モ460形・サ2110形電車
電装解除直後のサハフ45(元・201)
基本情報
運用者 岡崎電気軌道三河鉄道名古屋鉄道
製造所 日本車輌製造
製造年 1924年(大正13年)10月
製造数 2両
廃車 1960年(昭和35年)3月
主要諸元
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 架空電車線方式
モ460形:直流600 V
サ2110形:直流1,500 V
車両定員 70人(座席42人)
自重 モ460形:24.0 t
サ2110形:18.0 t
全長 12,624 mm
全幅 2,591 mm
全高 3,724 mm
車体 木造
台車 日本車輌製造 D形台車
主電動機 モ460形:東洋電機製造 TDK-13S
サ2110形:無
主電動機出力 72 PS
搭載数 4基 / 両
歯車比 68:16
制御装置 電空単位スイッチ式
間接非自動加速制御(HL制御)
モ460形:東洋電機製造製
サ2110形:無
制動装置 モ460形:SME非常直通ブレーキ
サ2110形:手ブレーキ
備考 1944年の諸元表より[1][2]
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岡崎電気軌道200形電車(おかざきでんききどう200がたでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者の一つである岡崎電気軌道(岡電)が1924年(大正13年)に導入した電車制御電動車)である。郡部線(鉄道線)の岡崎井田駅 - 門立駅間の開業に合わせて製造された木造四軸ボギー車で、同社最後の旅客用新造車であった[3][4]。201・202の2両が製造されたが、201号は三河鉄道(三鉄)合併後に電装解除されて付随車サハフ45号となる。名鉄合併後、202号はモ460形、サハフ45号はサ2110形に改称された[3]

構造

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日本車輌製造製、12m級シングルルーフ車体を備える定員70名の木造ボギー車である[4]。前面は半円状の丸妻型で[5]、5枚の前面窓を配置したその形状は同時期の車両によく見られたものである[6][注釈 1]。側面窓は一段下降式で、側面窓配置はD 3 2 2 3 D(D:客用扉、数値は側窓の枚数)である[4]

台車はボールドウィン製台車のコピー品である日車製D形台車、車体下部にはトラス棒を備える[4][注釈 2]。主電動機は東洋電機製造製TDK-13S(72 馬力)を4基搭載[注釈 3]。制御装置は同社製電空単位スイッチ式間接非自動加速制御(HL制御)装置を使用、制動装置ウェスティングハウス・エレクトリック製SME非常直通ブレーキである[5]集電装置は車体前後にトロリーポールを各1本搭載したが[9]、後にパンタグラフに換装されている[3]

落成後の改造

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1927年(昭和2年)に岡崎電気軌道は三河鉄道と合併。1929年(昭和4年)には岡電の郡部線と三鉄線とを結ぶ三河岩脇駅上挙母駅間が1,500 V電化で開業し、それに合わせ岡電の郡部線(大樹寺駅以北)も600 Vから1,500 Vに昇圧された[3]。これにより600 V鉄道線用車両の200形は行き場を失い、市内線転属のため路面区間走行用の救助網と乗降用ステップが取り付けられた[4]。これらの装備は後年、鉄道線運用に戻った際に取り外されている[3]

その後、岡崎線沿線にトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)が進出。1938年(昭和13年)に挙母工場(現・本社工場)が操業を開始すると、岡崎線の輸送力増強のため車両数を増やすことになり、同年中に201を電装解除して鉄道線用付随車とした[3]。この改造で201の電動機、制御器、集電装置が撤去されたほか、制動装置も手ブレーキとなった[2]。車番も201から45(サハフ45)に改番しているが、これは既に1,500 V線区には三鉄が投入したデ200形 (デ201)が存在したためである[10]

三鉄の名鉄合併後、202はモ460形(461)、サハフ45はサ2110形(2111)に改称された[3]。このうちサ2110形は、運用末期に元・近江鉄道の車両が履いていたドイツ・リンケホフマン (LHL) 社製台車に換装されていた[4][注釈 4]

運用

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岡崎電気軌道時代は郡部線大樹寺駅 - 門立駅で使用された(岡崎井田駅 - 大樹寺駅間は市内線車両による運用)[3]。先述の通り、三河鉄道合併を経た1929年(昭和4年)の1,500 V昇圧に伴って岡崎線(鉄道線区間、後の挙母線)での運用は一旦終了し、岡崎線(軌道線区間、後の岡崎市内線)に転属するが、電装解除したサハフ45(旧201)は1938年(昭和13年)に鉄道線運用に復帰した[3]

名鉄合併後、モ460形461(旧202)も西尾線(600 V線区)に転属となり、鉄道線運用に戻った。西尾線や蒲郡線で使用された後、末期は平坂支線の専用車となった。平坂支線は西尾線の1,500 V昇圧を機に1960年(昭和35年)3月に廃線となり、モ461も同時に廃車となった[4]

一方、サ2110形2111(旧サハフ45)は築港線(1,500 V線区)に転属し、電気機関車に牽引される付随車群の1両となった[4]。こちらも1960年(昭和35年)3月に廃車となった[10]

脚注

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注釈

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  1. ^ 名古屋鉄道の前身事業者が導入した車両では愛知電気鉄道電3形・電4形美濃電気軌道DB505形・セミボ510形各務原鉄道K1-BE形が5枚扉・半円丸妻型の車体を採用している。なお、いずれも日本車輌製である[7]
  2. ^ 名鉄が1944年(昭和19年)に作成した諸元表には「ブリル型」とあり[1][2]、以来一貫して諸元表にはそう記されるが、サ2111(旧201)は後年リンケホフマン台車に換装され、モ461(旧202)も同車が装着した「ボールドウィン型日車製台車」が廃車後ク2220形2221を経て3700系に転用されているなど[8]、記録と実態に混乱が見られる。
  3. ^ 名鉄合併後の1944年諸元表による[1]。72馬力モーター2基搭載[6]、ウェスティングハウス・エレクトリック製を4基搭載とする文献もあり[5]、落成当初の構成は不詳。
  4. ^ 1943年(昭和18年)に名古屋鉄道が近江鉄道から購入した付随車2両(サ2250形)がリンケホフマン台車を装備していた。このうちクハニ23形(23)に由来するサ2253(戦後サ2251に改称)が後にリンケホフマン台車からブリル21Eを改造したボギー台車に換装されている[11]

出典

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  1. ^ a b c 清水・田中 2019, p. 159.
  2. ^ a b c 清水・田中 2019, p. 164.
  3. ^ a b c d e f g h i 清水・田中 2019, p. 102.
  4. ^ a b c d e f g h 小寺 2021, p. 106.
  5. ^ a b c 白井 1986, p. 175.
  6. ^ a b 藤井 2003, p. 45.
  7. ^ 白井 1986, pp. 170–171.
  8. ^ 清水 2015, p. 6.
  9. ^ 日本車両鉄道同好部 1996, p. 227.
  10. ^ a b 藤井 2003, p. 46.
  11. ^ 清水・田中 2019, p. 139.

参考文献

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  • 白井良和「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」『鉄道ピクトリアル』第473号、電気車研究会、1986年12月、166 - 176頁。 
  • 日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』鉄道史資料保存会、1996年。ISBN 978-4885400964 
  • 藤井建『名鉄岡崎市内線―岡崎市電ものがたり』ネコ・パブリッシング、2003年。ISBN 978-4777050055 
  • 加藤久爾夫、渡辺肇「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第30号、電気車研究会、2015年1月、122 - 165頁。 
  • 清水武『名鉄木造車鋼体化の系譜 3700系誕生まで』ネコ・パブリッシング、2015年。ISBN 978-4777053773 
  • 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年。ISBN 978-4865988475 
  • 小寺幹久『名鉄電車ヒストリー』天夢人、2021年。ISBN 978-4635822695