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吉岡八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉岡八郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府
生年月日 (1940-12-08) 1940年12月8日(84歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 京都栗東・坂口正二(1960年 - 1978年)
初免許年 1960年3月6日
免許区分 平地(初期には障害の免許も保持)
騎手引退日 1978年2月19日
通算勝利 2653戦240勝
調教師情報
初免許年 1978年(1979年開業)
経歴
所属 栗東T.C.(1979年 - 2011年)
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吉岡 八郎(よしおか はちろう、1940年12月8日 - )は、京都府出身の元騎手・元調教師

経歴

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騎手時代

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1960年代

馬事公苑の騎手養成長期課程に第7期生として入所し、主な同期生には池江泰郎高橋成忠野元昭福永甲徳吉一己がいる。

1960年3月京都・坂口正二厩舎からデビューし、加賀武見中西武信と同期となる[1]

同6日阪神第6競走障害5歳以上オープン・ハマリユウ(9頭中9着)で初騎乗[2]を果たすと、4月3日の京都第5競走4歳以上30万下・タツタオーで初勝利[2]を挙げる。9月11日の京都第1競走3歳未勝利ではアマシヨウグンに47kgで騎乗して勝利[3] [4]するなど、1年目の1960年は6勝[5]、2年目の1961年には初の2桁勝利となる12勝[5]をマーク。

1963年には15勝をマークし、1965年にはアラブ大障害(春)をトサニシキを制するなど[6]を初の20勝台となる22勝を挙げ、1965年から1972年まで8年連続2桁勝利を記録[5]

1967年には自己最多の29勝を挙げ[5]1969年には23勝と1年置きに20勝台をマークし[5]1968年からは後にハマノパレード馬主と知られるホースタジマ[7]所有のスーパースリーで同年の読売カップ(秋)3着、1969年のタマツバキ記念1970年アラブ大賞典では共に2着に入った[8]

1969年にはキンセンオーで菊花賞では16番人気ながらダイシンボルガードミノルキングスピードに先着する7着[9]京都記念(秋)では2着[10]、1970年にはヤマミセンダンで小倉記念2着[11]に入った。

1970年代

1971年1972年にはシンザン産駒シングン[12]、ハマノパレード[13]とのコンビで活躍。シングンでは1971年にシンザン記念ヒカルイマイニホンピロムーテーを抑えてフイドールの2着[14]に入ってシンザン産駒のワンツー[15]京都4歳特別では3着[12]に入り、1972年には朝日チャレンジカップヤマニンウエーブをハナ差抑えて勝利[16]。ハマノパレードでは1972年の京都4歳特別こそ3着[13]に終わるが、同年11月の京都オープンではダテテンリュウ[13]、暮れの阪神大賞典ではヤマニンウエーブ・ショウフウミドリ・ニホンピロムーテーを抑えて勝利[17]

1972年には阪神4歳牝馬特別をヒダカサウンドでアチーブスターを抑えてシンモエダケの3着[18]デイリー杯3歳ステークスではレイクファイアでキシュウローレルから8馬身差離されたが2着[19]に入り、自身最後の20勝[5]をマーク。

1973年にはハマノカゲでアラブ大賞典(秋)を制し[20]1974年には2年ぶりの2桁となる10勝[5]をマーク。

1975年には阪神牝馬特別・グリーンファイトで最後の重賞勝利[21]を挙げ、2年連続で自身最後の2桁となる11勝[5]をマーク。

1977年はグリーンファイトで中日新聞杯3着[22]とし、3月27日小倉第5競走5歳以上300万下・シロヤマハヤテで最後の勝利[21]を挙げる。

1978年2月19日の京都第3競走4歳未勝利・ブラックハヤテ(8頭中6着)を最後に現役を引退し[23]、同年には調教師免許を取得。

調教師時代

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開業〜1980年代

1979年10月1日に厩舎を開業し[24]同13日中京第5競走4歳新馬・ダイニライジン(16頭中10着)で初出走を果たすが、同レースを勝利したのはオペックホースであった[25] [26]。同馬を出走させた11月10日の阪神第3競走4歳未勝利で初勝利[26]を挙げ、ロールスローラーで京都新聞杯菊花賞に出走させ、重賞及びGI級レース初出走を果たす[27]

開業1年目の1979年は特別戦2着、3着共に2回[27] [28]を記録したが、初出走が遅れたため初勝利[29]の1勝[30]に終わる。

3年目の1981年には初の2桁勝利となる13勝[30]を挙げ、1983年にはタイアオバが5頭横一線でタイム差無しの史上稀に見る激戦[31]となった優駿牝馬で2着[32]に入ったが、勝ったダイナカールにハナ差負けで諦め切れない気持ち[33]になった。

タイアオバは1983年の阪神牝馬特別で桜花賞シャダイソフィアヤマノシラギクを抑えて3着[34]1984年愛知杯ではニシノライデンを抑えて2着[35]に入った。

1984年から1986年には3年連続2桁勝利[30]を記録し、1984年にはサラブレッド系種キョウワサンダーが重賞初挑戦のサファイヤステークスでオークス馬トウカイローマンを抑えて桜花賞ダイアナソロンの2着[36]に入り、エリザベス女王杯では14番人気の低評価を覆して優勝[37]。吉岡にとって唯一のGI制覇となったほか、キョウワサンダーもグレード制導入後で唯一のサラ系のGI馬となった。

1985年には日高育成牧場で育った抽せん馬[38]キョウワシンザンが小倉3歳ステークスを制し、1987年には金杯(西)で15頭中11番人気ながらドウカンヤシマの3着、カブトヤマ記念で11頭中9番人気ながらユウミロクの2着に入った[39]

1988年から2001年までは14年連続2桁勝利[30]を記録し、1989年には競馬学校5期生で2年次に研修を受けた佐藤哲三が所属騎手としてデビュー[40]

1989年にはシンエイロータスが重賞初挑戦のローズステークスでオークス馬ライトカラーを抑えて桜花賞馬シャダイカグラの2着[41]に入り、エリザベス女王杯ではサンドピアリスの5着、1990年金鯱賞・カブトヤマ記念で共に2着であった[42]

1990年代

1991年にはCBC賞でアンビシャスホープがバンブーメモリーダイタクヘリオスヌエボトウショウを抑えて2着に逃げ粘り[43]1992年にはレットイットビーが朝日チャレンジカップを制すなど[44] [45]自己最多の32勝[30]をマーク。騎乗した佐藤はデビュー4年目での重賞初勝利[46]になったほか、所有するノースヒルズマネジメント前田幸治にとっても、馬主になって10年目での初の平地重賞制覇であった[47]

1993年にはレットイットビーが天皇賞(春)で5着[44]に入り、レガシーフィールドが阪急杯を12頭中9番人気で制して馬連万馬券[48]の波乱となる。レガシーフィールドでは北九州記念シルクムーンライトの2着、セントウルステークス3着、スワンステークスではシンコウラブリイニシノフラワーに次ぐ4着[49]に入った[50]

1994年にはタイヤン[51]が障害転向後5戦負け無しで、京都大障害(秋)では後続に影も踏ませぬ大逃走劇を演じて勝利するが、2番人気に支持された暮れの中山大障害(秋)では名物障害・大生垣で落馬している[52]

1994年末には佐藤を「一度外に出た方が勉強になる。その方がお前のためにも良い」と諭し、フリー転身を勧めた[40]

1995年にはタイヤンが中山大障害(春)で1番人気に支持されるも2着[51]に敗れ、キョウワアリシバが京都で行われた朝日チャレンジカップでマイシンザンの3着[53]に入った。

1996年からはケイティタイガーが障害重賞で活躍し、同年秋の京都大障害は西谷誠で2着、1997年には東京障害特別(春)阪神障害ステークス(春)田中剛で2着、中山大障害(春)・京都大障害(春)嘉堂信雄で3着と堅実に上位に入る[54]。秋は嘉堂とのコンビで東京障害特別(秋)3着→京都大障害(秋)2着を経て、中山大障害(秋)でポレールを抑えて重賞初制覇[54]。明け10歳になった1998年には初戦の東京障害特別(春)で重賞連勝を果たし、秋春制覇を狙った中山大障害(春)ではノーザンレインボーの2着、連覇を狙った中山大障害(秋)ではビクトリーアップに大差を付けられると同時にメジロファラオにクビ差交わされた3着[55]に終わった。ジャンプグレード制が導入された1999年には第1回阪神スプリングジャンプ3着[56]、第1回中山グランドジャンプでは2着[57]に入った。

同時期にはレガシークレストが1998年に阪神障害ステークス(秋)を逃げ切り[58]、ヨイドレテンシが1999年の中山グランドジャンプで10頭中9番人気ながら3着[57]と健闘。

2000年代

ケイティタイガー引退後はギフテッドクラウンが高田潤2001年東京オータムジャンプ2002年小倉サマージャンプを制覇[59]

2002年には競馬学校18期生の黒岩悠がデビューするが、黒岩は当初、自身と同じ高知県出身で、吉岡と同期でもある福永厩舎に入る予定が行き違いがあり、同期の高野容輔が福永厩舎に入った[60]

2003年にはキョウワスプレンダがデビューし、未勝利戦でコスモサンビーム、クローバー賞でヤマニンシュクルを破り、東京スポーツ杯2歳ステークスではアドマイヤビッグの3着に入った[61]2004年にはスプリングステークスブラックタイドの2着、東京優駿では13番人気ながら4着に好走するが、ダービー後に屈腱炎を発症[62]。復帰後の2005年には鳴尾記念で3着[63]2007年6月2日の中京第11競走関ヶ原ステークスでは13番人気で17番人気バトルブレーヴの2着に突っ込んで3連単304万馬券の大波乱[64]を演出。

2010年代

2010年は0勝[30]に終わるが、黒岩と同期の高野が調教助手として所属[65]

2011年2月27日の小倉第9競走4歳以上500万下・ファイナルパンチが最後に送り出した出走馬[66]となり、8番人気の人気薄[67]で接戦をハナ差制し[68]、ラストランを勝利で飾った[24]。吉岡はゴール前で「間に合ってくれ」と応援し[24]、レース後には騎乗した渡辺薫彦が「吉岡調教師のファイナルパンチを決めることができてよかったです」とコメントしている。

翌28日をもって同期の高橋成・池江、須貝彦三と共に引退し[69] [68] [24]、管理馬は日吉正和厩舎に引き継がれ[24]、高野も日吉厩舎所属[70]となった。

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 4着以下 出走回数 勝率 連対率
239 258 255 1891 2643 .090 .208

調教師成績

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通算成績 1着 2着 3着 4着以下 出走回数 勝率 連対率
平地 350 398 448 4837 6033 .058 .124
障害 43 52 47 292 434 .099 .219
393 450 495 5129 6467 .061 .130
主な管理馬
  • キョウワサンダー(1984年エリザベス女王杯)
  • キョウワシンザン(1985年小倉3歳ステークス)
  • レットイットビー(1992年朝日チャレンジカップ)
  • レガシーフィールド(1993年阪急杯)
  • タイヤン(1994年京都大障害 (秋))
  • ケイティタイガー(1997年中山大障害 (秋)、1998年東京障害特別 (春))
  • レガシークレスト(1998年阪神障害ステークス (秋))
  • ギフテッドクラウン(2001年東京オータムジャンプ、2002年小倉サマージャンプ)

脚注

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  1. ^ 競馬ニホン歳時記 前夜通信社公式 on X: "たぶん取材ができなかったのだろうと思われます。松井厩舎、調教師は松井麻之助さんで明治33年生まれ。日本の陸軍軍人。競馬騎手、調教師の肩書きはあるが、1936年ベルリンオリンピック総合馬術競技の日本代表でもありました。軍籍を離れて1956年から騎手、翌年調教師へ転向。私が調教取材で栗東へ https://t.co/EOsvo29tHn" / X”. x.com. 2024年10月8日閲覧。
  2. ^ a b 吉岡八郎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  3. ^ 3歳未勝利|1960年9月11日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  4. ^ 競馬ニホン歳時記 前夜通信社公式 on X: "見て少し驚き。2日1レースアラブ3歳未出走、未勝利で吉岡八郎騎手(のち調教師)が47キロで騎乗。アマシヨウグンを1着に導いています。ほかに勝ってはいませんが池江騎手(のち調教師)や大久保哲騎手も47キロで騎乗していました。 ※昔のニホンをさがしては不定期更新 https://t.co/rtLkLncYh3" / X”. x.com. 2024年10月8日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 吉岡八郎の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  6. ^ 抽出[通算 1着レース]|吉岡八郎の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  7. ^ ホースタジマのプロフィール”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  8. ^ スーパースリー”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  9. ^ 菊花賞|1969年11月16日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  10. ^ 京都記念|1969年11月30日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  11. ^ 小倉記念|1970年8月23日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  12. ^ a b シングン”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  13. ^ a b c ハマノパレード”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。ハマノパレード | 競走馬データ - netkeiba
  14. ^ シンザン記念|1971年1月24日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  15. ^ 【カモン!サガ塾】シンザン記念セレスロンディー軸”. 2019年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月8日閲覧。
  16. ^ 朝日チャレンジカップ|1972年9月24日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  17. ^ 阪神大賞典|1972年12月24日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  18. ^ 阪神4歳牝馬特別|1972年4月30日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  19. ^ 3歳ステークス|1972年10月8日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  20. ^ 抽出[通算 1着レース]|吉岡八郎の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  21. ^ a b 抽出[通算 1着レース]|吉岡八郎の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  22. ^ グリーンファイト (Green Fight)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  23. ^ 吉岡八郎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  24. ^ a b c d e ニュース”. keibabook.co.jp. 2024年10月8日閲覧。
  25. ^ 吉岡八郎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  26. ^ a b 吉岡八郎のプロフィール”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  27. ^ a b 吉岡八郎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  28. ^ 吉岡八郎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  29. ^ 抽出[]|吉岡八郎の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  30. ^ a b c d e f 吉岡八郎の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  31. ^ 東京スポーツ2022年5月22日27面「智将 中村均元調教師 競馬戦国絵巻
  32. ^ 優駿牝馬|1983年5月22日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  33. ^ 吉岡師 悔しさ未だに…83年オークス鼻差惜敗― スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  34. ^ サンケイスポーツ杯阪|1983年12月18日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  35. ^ 愛知杯|1984年12月2日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  36. ^ サファイヤステークス|1984年9月9日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  37. ^ エリザベス女王杯|1984年11月4日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  38. ^ 育成牧場とは 日高育成牧場 JRA”. www.jra.go.jp. 2024年12月18日閲覧。
  39. ^ キョウワシンザン (Kyowa Shinzan)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  40. ^ a b 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4896912985、pp.401-408
  41. ^ 関西TVローズS|1989年10月22日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  42. ^ シンエイロータス (Shinei Lotus)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  43. ^ CBC賞|1991年6月23日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  44. ^ a b レットイットビー – NORTH HILLS”. www.northhills.co.jp. 2024年10月8日閲覧。
  45. ^ 朝日チャレンジカップ|1992年9月20日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  46. ^ 抽出[通算 重賞勝利レース]|佐藤哲三の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  47. ^ 武騎手を背に栄光のゴールへ 仏では世界レベルの力を証明する”. www.yushunweb.co.jp. 2024年10月8日閲覧。
  48. ^ 阪急杯|1993年6月6日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  49. ^ スワンステークス|1993年10月30日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  50. ^ レガシーフィールド (Legacy Field)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  51. ^ a b タイヤン (Taiyan)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  52. ^ 追い込み競馬の醍醐味~ローズムーン・1994年中山大障害(秋)〜”. uma-furi.com. 2024年10月8日閲覧。
  53. ^ キョウワアリシバ (Kyowa Alysheba)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  54. ^ a b ケイティタイガー (K.T.Tiger)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  55. ^ 中山大障害(秋)|1998年12月19日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  56. ^ 阪神Sジャンプ|1999年3月14日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  57. ^ a b 中山グランドジャンプ|1999年4月11日”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  58. ^ レガシークレスト (Legacy Crest)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  59. ^ ギフテッドクラウン (Gifted Crown)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  60. ^ 【陰のヒーロー】黒岩悠騎手(2)『デビュー3年目の大ケガ 歩けないかもしれないという宣告』”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  61. ^ キョウワスプレンダ (Kyowa Splendor)”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  62. ^ キョウワスプレンダ、屈腱炎発症”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
  63. ^ 鳴尾記念、8歳馬メジロマントル重賞初制覇”. netkeiba.com. 2024年10月8日閲覧。
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  70. ^ 名手・武豊も惚れ込む最大の惑星スマートレイアー”. keibalab.jp. 2024年10月8日閲覧。

関連項目

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