南部政行 (12代当主)
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南部政行 | |
時代 | 南北朝時代 |
生誕 | 嘉暦3年(1328年) |
死没 | 元中5年/嘉慶2年10月18日(1388年11月17日) |
別名 | 政信、仮名:六郎 |
戒名 | 了知院殿浄嶽清公、道行、源了院浄岳清光(清公) |
官位 | 遠江守 |
氏族 | 三戸南部氏 |
父母 | 南部信長 |
子 | 守行、葛西詮清室 |
南部 政行(なんぶ まさゆき)は、南北朝時代の武士。三戸南部氏12代当主。南部茂時の孫。
生涯
[編集]11代当主・南部信長の子。信長の養嗣子となったとする説もある。
当主としての力がなく、領地を同族に横領されていた。鎌倉幕府が滅亡して南北朝時代に入ると、北畠顕家が奥州を統治していた経緯から、始めは南朝勢力に与した[1][2]。
しかし正平元年(1346年)に足利尊氏の調略に応じて北朝方に寝返り、奥州の南朝勢力と戦って勢力を拡大したという説もあり、南部氏系譜を混在ならしめている。元中5年/嘉慶2年(1388年)10月18日に61歳で死去。後を子の守行が継いだ。