コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

八戸信長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
八戸信長
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 永正5年(1508年)?[1]
別名 南部信長
官位 但馬守
氏族 八戸氏
父母 八戸政経
治義、九戸信仲正室
テンプレートを表示

八戸 信長(はちのへ のぶなが)は、室町時代中期の武士八戸氏(根城南部氏)14代当主。

略歴

[編集]

八戸政経の嫡男。上洛に際して8代将軍・足利義政に出仕、但馬守を拝任した。

京都御所で横笛を吹奏するという栄に浴するなど、上洛中の状況を国元の七戸氏あてに通報した書状が『八戸(遠野)南部家文書』[2]に所伝されている。ただし、この書状は永禄7年(1564年)のものであるという説もあり、その場合同名の別人ということになる[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 滝尻侑貴「「南部信長」は誰か」『戦国の北奥羽南部氏』デーリー東北新聞社、2021年
  2. ^ 青森県史 資料編 中世 1
  3. ^ 『新編八戸市史』 中世資料編 編年資料

参考文献

[編集]
  • 青森県史編さん中世部会『青森県史 資料編 中世 1 南部氏関係資料』青森県、2004年3月31日。 
  • 岩手放送『新版 岩手百科事典』岩手放送株式会社、1988年10月15日。 
  • 熊谷隆次ら『戦国の北奥羽南部氏』デーリー東北新聞社、2021年6月16日。