利用者:ACHAPY/TBS-TV
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | TBS |
本社所在地 |
JPN 107-8006 東京都港区赤坂五丁目3番6号 TBS放送センター |
設立 | 2000年3月21日(株式会社TBSエンタテインメント)(注1) |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | 放送法に基づく一般放送事業者 |
代表者 | 井上弘(代表取締役社長) |
資本金 | 3億円 |
主要株主 | 東京放送ホールディングス 100% |
外部リンク | TBS |
特記事項: |
株式会社TBSテレビ(TOKYO BROADCASTING SYSTEM TELEVISION, INC.)は株式会社東京放送ホールディングス(TBSHD)の連結子会社で、関東広域圏テレビジョン放送を行う一般放送事業者であり、TBSHDのテレビ事業会社である。本項では法人としての株式会社TBSテレビ、及び放送としての『TBSテレビジョン』について記述する。
概要
[編集]ACHAPY/TBS-TV | |
---|---|
英名 |
Tokyo Broadcasting System Television,Inc. |
放送対象地域 |
関東広域圏 (東京都・茨城県・栃木県・ 群馬県・埼玉県・ 千葉県・神奈川県) |
ニュース系列 | JNN |
番組供給系列 | TBSネットワーク |
略称 | TBS |
愛称 |
TBS TBSテレビ |
呼出符号 | JORX-(D)TV-DTV |
呼出名称 | TBS(デジタル)テレビジョン |
開局日 | 1955年4月1日 |
本社 |
〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 TBS放送センター |
演奏所 | スタジオを参照 |
リモコンキーID | 6 |
デジタル親局 | 東京 22ch |
アナログ親局 | 東京 6ch |
ガイドチャンネル | 6ch |
主なデジタル中継局 | デジタル中継局参照 |
主なアナログ中継局 | アナログ中継局参照 |
公式サイト | http://www.tbs.co.jp/ |
特記事項: 2001年9月までラテ兼、サインはJOKR。 2009年3月までは東京放送が免許人であった |
当社は2009年3月までは放送免許は親会社の東京放送が保有していて放送免許を保有していなかっため、厳密に言うと「放送事業者」ではなく「テレビ番組製作会社」であった。そのため民放連には加盟していなかった。
労働組合の力が強い。その一例として、赤坂本社内のスタジオ(報道用のNスタ・Sスタを除く)については、労働組合との深夜労働に関する取り決めの関係から、事前に延長使用届を提出していない場合は24時(午前0時)に強制的に照明の電源が落とされる。そのため通常の番組収録では、24時前に収録が終了するようにスケジュールを組む。最近では『うたばん』などそれを逆手に取って笑いのネタとして積極的に活用する番組も現れている。
ホリプロとはパイプが太く、『赤いシリーズ』など古くから番組制作に関わっている。特にホリプロ所属芸能人の和田アキ子を積極的に番組に起用していることでも知られる。また、ジャニーズ事務所や個人ではTBSの長寿ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の主演を務めている泉ピン子などとも結びつきが強い。
日本の民放テレビ局では最後まで消費者金融会社のコマーシャル(CM)を解禁していなかったが、2001年4月1日に解禁した。当時、ラジオでは既にCMを解禁していたがテレビは「ビデオ問題」の反省と、当時の消費者金融会社の企業体質がネックとなっていた。
2009年4 月1日、東京放送(同日に『株式会社東京放送ホールディングス』に商号変更、通称『TBSホールディングス』、略称『TBSHD』に変更)から分割されたテレビ放送免許の承継を含むテレビ放送事業他を吸収し、略称を『TBS』に変更、一般放送事業者となり、民放連にも加盟した。
沿革
[編集]- 1955年(昭和30年)4月1日、ラジオ東京(現東京放送)が東京都港区赤坂一ツ木町で地上アナログテレビジョン放送の本放送開始(呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10kW、音声出力5kW。送信所も同所。なお世間一般には、新聞のテレビ欄表記から「KRテレビ」や「ラジオ東京テレビ」と呼ばれていた)。
- 1958年(昭和33年)5月29日、在京民放で初めて米アンペックス社製の2インチVTRが2台導入される(当時の金額で1台2500万円だった)。
- 1958年(昭和33年)6月8日、同局初のVTRを使った番組「日曜観劇会『デン助の裏町人情』」が放送される[1]。これを契機に、同局のVTRを使った番組が増加する[2]。
- 1958年(昭和33年)10月31日、同局初のVTRを使ったテレビドラマ『私は貝になりたい』(加藤哲太郎題名・遺書、加藤哲太郎橋本忍脚本、岡本愛彦演出。VTRは前半で使用し、後半は生放送)を放送。大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞した(番組は全編ビデオテープにて現在も保存されている)。
- 1959年(昭和34年)8月1日、皇太子ご成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして「JNN(Japan News Network)」を結成。
- 1960年(昭和35年)1月17日、テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転。映像出力50kW、音声出力12.5kWに増力。
- 1960年(昭和35年)9月10日、カラーテレビ本放送を開始(カラー放送は開始当初1日平均5分のフィルムによる番組しか行っておらず、カラーVTRを同社はまだ使っていなかった。ちなみにNHK、日本テレビと共に東京地区では初だった)。
- 1960年(昭和35年)10月、東京証券取引所第一部に株式を上場。
- 1960年(昭和35年)11月29日、株式会社東京放送と商号変更し、略称をTBSとする。この頃、「東京テレビ」「東京ラジオ」という呼称を採用したものの、定着には至らなかった。
- 1961年(昭和36年)8月、電波を象徴した新社名ロゴタイプ(筆写体)制定。(デザイン:今道潤三、製作:市川景)
- 1961年(昭和36年)9月、コーポレートカラー「光の3原色(青・赤・緑=能力・熱意・責任)」制定。車両の塗装等に使用開始。
- 1961年(昭和36年)10月、「光の3原色」による社旗、社章(バッジ)制定。
- 1961年(昭和36年)10月12日、赤坂のテレビスタジオ隣に本社社屋完成。ラジオスタジオおよび本社機構を移転。
- 1961年(昭和36年)12月1日、社名呼称をTBSに統一(公用文等を除き、原則「東京放送」を使用しない)。
- 1962年(昭和37年)日本初のラジオ1波によるAMステレオ放送の実験放送を行う(1964年まで。AM/FM方式)。
- 1962年10月1日史上初の“キャスターニュース”且つネットワーク制作参加ニュース『JNNニュースコープ』スタート(初代キャスターは現・参議院議員の田英夫と元読売新聞記者の戸川猪佐武)。
- 1964年(昭和39年)10月10日、東京オリンピック開始に伴い、テレビ放送で、同社初の放送でのカラーVTRの稼動を始める(この開会式が、TBSが録画したもので残っている最古のカラービデオである)。
- 1965年(昭和40年)5月2日、ラジオネットワーク「JRN(Japan Radio Network)」を結成。
- 1967年(昭和42年)1月15日、『東芝日曜劇場・女と味噌汁』(1965年から始まった連続シリーズ)が局初のカラーテレビドラマ(カラーVTR録画・再生)として制作、放送。
- 1968年(昭和43年)9月30日、この日の夕方のテレビ『JNNニュースコープ』からテレビニュース報道のカラー放送を開始。これに伴い、カラーフィルムによるニュース取材を開始。
- 1969年(昭和44年)12月31日、『輝く!日本レコード大賞』をテレビ生中継(カラー)で放送。以後、毎年同局の大晦日の看板番組となる。
- 1974年(昭和49年)11月18日、近畿地方の準キー局が、これまでの朝日放送(ABC)から毎日放送(MBS)にネットチェンジすることで基本合意。ABCはこれまでMBSとネットを組んでいた日本教育テレビ(NET。現・テレビ朝日)とネットを組むことになる。
- 1975年(昭和50年)3月31日、テレビのTBS-MBSの新ネットワークがスタート。テレビネットワークのいわゆる“腸捻転”が解消され、NET系で放送されていた『アップダウンクイズ』や『八木治郎ショー』、『野生の王国』、『ヤングおー!おー!』[3]などのMBS制作番組がJNNのネットワークに引き継がれた。
- 1977年8月29日、史上初の3時間ドラマ『海は甦る』(江藤淳・作、仲代達矢主演)を放送。なお番組中、スポンサーの日立製作所も史上初の3分CMを4本放送。
- 1978年(昭和53年)11月20日、テレビ音声多重放送を開始(実用化試験放送。最初の放送は「JNNニュースコープ」の2ヶ国語放送。同局のステレオ放送第1号は、同11月25日の「クイズダービー」。しかも、その「クイズダービー」は、おそらく世界初のステレオ放送のクイズ番組であった)。
- 1981年(昭和56年)3月、横浜市緑区(現:青葉区)に緑山スタジオ・シティ完成。
- 1981年(昭和56年)春頃、テレビ音声多重ステレオ放送で、音声媒体としてPCMデジタルプロセス(録音から編集、再生まで全て)を採用した当時としては画期的な番組を放送する(多分、世界初。内容は小沢征爾指揮によるストラビンスキー『春の祭典』。同じ演奏を映像と音声は別々にタイム・コード同期されて記録、編集し、再生され送出された。ただし、PCMデジタルプロセスを用いたにもかかわらず、放送自体はアナログである)。
- 1983年(昭和58年)11月、テレビ音声多重本放送開始。
- 1986年(昭和61年)4月、テレビ文字多重本放送開始。
- 1987年(昭和62年)10月、テレビ24時間放送開始。
- 1989年(平成元年)8月24日、テレビ・クリアビジョンの本放送を開始。
- 1990年(平成2年)頃、日本の放送業界で初めてテレビ放送の送出媒体として、D-2方式によるソニー製デジタルVTRを稼動開始(初めはCM送り出しに使用された)。
- 1990年(平成2年)12月2日、創立40周年事業として、宇宙特派員・秋山豊寛を乗せた宇宙船(ソユーズ)をソ連・カザフのバイコヌール宇宙基地から打ち上げる(「TBS宇宙プロジェクト」)。
- 1991年(平成3年)9月30日、コーポレートアイデンティティ(ミクロコスモス)導入。これに伴い、長年親しまれてきた筆記体マークを廃止(同局番組「ドリーム・プレス社」は番組のロゴとして筆記体マークを使用している)。
- 1992年(平成4年)12月30日、『元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ』を放送。
- 1994年(平成6年)1月頃、「ミクロコスモス」によるシンボルマーク、簡略形マーク、社名ロゴタイプを廃止。新ロゴタイプ(製作:小河原義一)に統一し、使用開始(現在も使用されている)。
- 1994年(平成6年)10月3日、 現社屋「TBS放送センター」(愛称:ビッグハット)に移転。旧社屋は「赤坂メディアビル」に改称。正面ゲート守衛詰所・車両検問所の建屋は、円盤形の屋 根がついていることからビッグハットにちなみ、“スモールハット”と称されている。この日は21時から約2時間、新社屋移転の特別番組が生放送された(運 用開始したA・Bスタジオからの生放送や社屋移転で運用を終了した旧社屋Gスタジオ内部の様子も放送された)。
- 1998年(平成10年)4月1日、CS「JNNニュースバード」放送開始(2006年4月「TBSニュースバード」に名称変更)。
- 2000年(平成12年)2月、TBSグループ、JNN、TBSネットワークの共通新シンボルマークとして、漢字の“人”をモチーフにした「ジ〜ン」(一般公募)を制定。『JNNニュースの森』(当時)や『NEWS23』など全てのJNNニュース番組のサブタイトルや、MBSやCBCなど系列局制作も含めた全国ネット番組のクレジットタイトルなどで表示されている(現在はJNNニュース番組での表示は一部を除き無し)。また一部系列局でも、ローカルニュース番組のセットに使用されたことがある(現在は廃止されている)。
- 2000年(平成12年)3月21日、東京放送はラジオ現業部門を行う 株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ、テレビの娯楽番組制作を行う 株式会社TBSエンタテインメント(現 株式会社TBSテレビ)、テレビのスポーツ番組制作を行う 株式会社TBSスポーツの3つの連結子会社を設立・分社化し事業を分割。
- 2001年(平成13年)3月1日、東京放送は情報番組・情報生番組の制作を行う連結子会社 株式会社TBSライブを設立・分社化し事業を分割。
- 2001年(平成13年)10月1日、東京放送は中波放送局の免許(コールサイン:JOKR)を株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズに承継。これに伴いテレビ局のコールサインをJOKR-TVからJORX-TVに、呼出名称も『東京放送』から『TBSテレビジョン』に変更。
- 2002年(平成14年)7月1日、CS放送局「TBSチャンネル」放送開始。
- 2003年(平成15年)12月1日午前11時、地上デジタルテレビジョン放送の本放送開始(当初は簡易マスターで対応。アナログ放送は既存のマスターを継続使用)。
- 2004年(平成16年)キャッチフレーズに“チャンネル・ロック”を採用。デジタルTVもアナTV同様6chであることを受け、固定 (lock) や音楽 (rock) の意味を込めた。
- 2004年(平成16年)10月、東京放送はTBSエンタテインメントを存続会社とし、TBSスポーツ、TBSライブのテレビ子会社3社を合併し株式会社TBSテレビに商号変更。放送(送信)・経理以外のテレビジョン放送事業全般を一社に集約し業務委託する。
- 2005年(平成17年)2月7日 地上デジタルテレビジョン放送の送出を簡易マスターから本格統合型マスター(NEC製アナログ・デジタル統合マスター)に移行して運用開始。同時にアナログ放送も現社屋移転当日の1994年10月3日より稼動していたアナログ放送単独マスターから、本格統合型マスターに移行した。
- 2005年(平成17年)3月 TBS平日ワイド大改編『TBSの変』実施。
- 2005年(平成17年)11月1日 PCおよびSTB利用によるブロードバンドテレビ向けの動画オンデマンド配信サービス『TBS BooBo Box』を開始。
- 2006年(平成18年)3月1日 生番組のほとんど全部がハイビジョン化される。
- 2006年(平成18年)4月1日 地上デジタルテレビジョンワンセグの本放送を開始。また、テレビのサービスエリアである関東区域内の報道取材が原則としてすべてハイビジョン化される(民放初)。
- 2007年(平成19年)3月下旬 生番組系で使用される字幕(テロップ)・CGシステムの更新を開始。4月22日をもって完全に新システムへ移行完了。
- 2008年(平成20年)9月1日 PCおよびSTB利用によるブロードバンドテレビ向けの動画オンデマンド配信サービス『TBS BooBo Box』をTBSオンデマンドにリニューアル。
- 2008年(平成20年)11月5日 東京放送は、取締役会にて2009年4月1日付でテレビ放送免許を含むテレビ放送事業を、現在テレビ番組制作子会社であるTBSテレビに分割承継し同社の略称を『TBS』に変更の上、「株式会社東京放送ホールディングス」(略称:TBSホールディングス、TBSHD)に商号変更、純粋持株会社化し、認定放送持株会社体制へ移行する事を決議。
- 2008年(平成20年)12月16日、東京放送の臨時株主総会が開かれ、賛成多数で2009年4月1日付での認定放送持株会社への移行およびTBSテレビへのテレビ放送免許の承継及び事業分割を承認。
- 2009年(平成21年)1月12日 - 関東広域キー局5局のアナログ放送において「アナログ」のウォーターマークの表示を同時実施。
- 2009年(平成21年)3月12日 - 東京放送が総務大臣から認定放送持株会社に認定、またテレビ放送免許の承継が許可される。
- 2009年(平成21年)4月1日 - 東京放送は株式会社東京放送ホールディングスに商号を変更し認定放送持株会社に移行、同時にテレビ放送免許を含むテレビ放送事業をTBSテレビに分割・承継、TBSテレビが一般放送事業者となる。
- 補足
TBSテレビジョン(東京放送)の新聞ラ・テ等番組表のおける表記は、ラジオ東京時代(1955年-1960年)は「KRテレビ」(←JOKR-TV)、TBS社名変更後の1960年から1961年秋ごろまでは「東京テレビ」(東京放送テレビ)としていたが、以後は「TBSテレビ」で統一している。
概説
[編集]東京放送は、在京キー局としては唯一のテレビ・ラジオ兼営局として、長い間日本の民間放送界をリードする存在でもあった。
1980年代に「8時の空」という10分の気象情報番組で、各地の天気カメラをつなぐ「お天気カメラリレー」を開始させた。
しかし、1980年代後半から1990年代に かけて、社内の人員構成の高齢化などで番組編成の新陳代謝が遅れ、徐々にその勢いに陰りが見え始める。後述の大型改編を1980年代後半から他局に比べ頻 繁に行っているが、それが裏目に出て低迷を促すことも多くなった。
大型番組改編
[編集]1987年改編
[編集]1980年代後半以降最初に行われた大改編として、1987年10月に始まった平日22時台の帯ニュース番組『JNNニュース22プライムタイム』が挙げられる。裏番組で人気番組となったニュース番組『ニュースステーション』(テレビ朝日)に対抗する形で始まった。
- これに伴い、1984年から18時30分~19時20分というゴールデンタイムに食い込む形で放送されていた夕方全国ニュース『ニュースコープ』が再び19時までの放送時間へと縮小された。また、最終便ニュース『ネットワーク』も終了した。
- 放送時間の確保のため、平日22時に放送されていた『月曜ロードショー』(月曜日・2時間枠)、『そこが知りたい』(火曜)、『水曜ドラマスペシャル』(水曜・2時間枠)、『中村敦夫の地球発22時』(木曜)、『金曜ドラマ』(金曜日)などが枠移動した。
ここまでして鳴り物入りで始まった『プライムタイム』だったが、視聴率で圧倒的な差をつけられて1年で番組が打ち切り。その後『JNNニュースデスク'88・'89』となったが、1989年秋に平日22時台から帯ニュース番組を撤退し、『NEWS23』で再び23時台に戻った。
1992年改編
[編集]その後、1992年にはバラエティ&クイズ番組大改革が行われた。
- 『わくわく動物ランド』、『クイズ100人に聞きました』、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』、『クイズダービー』等、視聴率の高低、地域差などにもかかわらず、当時放送されていた1970年代 - 1980年代からの長寿番組を次々と独断で強引に打ち切られた。
- 1992年10月から月曜-木曜の19時台を『ムーブ』と呼ばれるバラエティ番組枠を当時の社長磯崎洋三の「つるの一声」ではじめた。この番組の開始に伴い再び番組の大移動や終了が相次ぎ、『クイズ100人に聞きました』、『わいわいスポーツ塾』、『ギミアぶれいく』などが姿を消した。
しかし、この大改革も『関口宏の東京フレンドパーク』や『上岡龍太郎がズバリ!』が残ったものの結果的に1年で失敗した。そこに追い討ちをかけるように1996年に発覚した「オウム真理教関連の事件であるTBSビデオ問題」をはじめとした不祥事が頻発。視聴率に関しては「冬の時代」を迎えることとなった。
こうしたことから、TBSの視聴率は、それまで万年4位であったテレビ朝日にも抜かれることが多く、以前のテレビ朝日について評された『振り向けばテレビ東京』というような言葉が、TBSについても言われるようになった。2001年ごろから、「K-1 WORLD MAX」やプロボクシング(亀田兄弟)といったスポーツ中継番組などによって、視聴率は1990年代の「冬の時代」から一時持ち直した。
2000年代後半改編
[編集]しかし再び凋落現象が始まり、2000年代後半以降は番組編成に大鉈を振るうことが多くなっている。
2005年3月末をもって、視聴率不振が続く『ウォッチ!』、『(特)情報とってもインサイト』、『ジャスト』、『JNNニュースの森』などの平日ベルト番組を終了させるかつてない改編、通称「TBSの変」を敢行した。
- 『ウォッチ!』の後枠にはみのもんた司会の『みのもんたの朝ズバッ!』がスタート。
- 『とってもインサイト』の後枠には『きょう発プラス!』を昼のJNNニュースと統合・拡大して2時間番組として開始。
- 夕方ニュース枠は『イブニング・ファイブ(JNN枠は『JNNイブニング・ニュース』として区別)』として他局に追随し2時間のワイド編成となった。
- 2006年4月3日からは『ジャスト』を終了して以降、再放送枠になっていた平日14時台に、1年ぶりの生情報番組『2時ピタッ!』がスタートした。
『朝ズバッ!』と『イブニング・ファイブ』は成功し番組は軌道に乗ったものの、『きょう発プラス!』と『2時ピタッ!』は視聴率で苦戦し、双方の番組出演者・スタッフが担当する時間帯を一部入れ替えた形で、『ピンポン!』と『2時っチャオ!』を2006年10月2日よりスタートさせた。
- 2008年にも大改編を実施
- 2008年4月の春改編にて、従来日曜夕方に放映されていた『JNN報道特集』を土曜夕方に移動・拡大し、夕方ニュース枠も取り込んだ上で『報道特集NEXT』としてリニューアルした。これに伴い、土曜日の『JNNイブニング・ニュース』は年末年始を除いて通常放送を終了し、さらには、1992年から14年に渡って土曜18時に存在したMBS製作枠(アニメ・特撮枠、通称『土6』)が日曜17時に移動した。移動後第一作は『コードギアス 反逆のルルーシュR2』。
- 10月の秋改編には、プライムタイムを中心に大改編を行った。視聴率が低調だった水曜日のプライムタイムの全番組が改編され、バラエティ番組の『悪魔の契約にサイン』を除き、『復活の日』、『水曜ノンフィクション』、『久米宏のテレビってヤツは!?』(MBS製作)と4番組中3番組がドキュメンタリー・情報番組に改編された。火曜日には20時からの2時間枠で『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』が放送開始。かつての人気番組『ギミアぶれいく』(1989年 - 1992年)のリメイク企画である。
- しかし、両改編共に結果は芳しくなく、特に水曜プライムタイムの各番組は視聴率が一桁、『水曜ノンフィクション』に至っては5%未満の回が頻発している。また、2009年1月14日は『悪魔の~』を除いて視聴率が3番組共6.6%という珍事が起きた。
- 2009年春の大改編エラー: {{予定}}は廃止されましたので使用しないでください。
- 2009年春改編のキャッチコピーは「TBSが変わる TBSを変える No TV? but TBS」。
- 2009年にもニュース番組を中心に大改編を予定しており“報道のTBS”の復活を狙っている[4]。
- 2009年春の改編で、最終便ニュース『NEWS23』は、視聴率の低迷と番組の顔であった筑紫哲也の死去に伴い、30分程度のストレートニュースに縮小される。空いた30分を月 - 木曜日の午後23時台後半枠に『吉崎金門海峡(よしざきゴールデンゲート)』というバラエティー番組ゾーンに切り替え、先行する『ネオバラエティ』(テレビ朝日)などの他局の同時間帯の番組に対抗する[4]。火曜日は毎日放送製作の番組になる[5]。
- 『NEWS23』短縮の代替として、同年4月より平日の17:50 - 19:50 (JST) の時間帯に超大型報道番組『総力報道!THE NEWS』が登場する。これにより『イブニング・ファイブ』[6]が終了する。空いた平日17時台には帯情報番組『サカスさん』[7]となり、『総力報道!THE NEWS』の入る平日19時台で放送されていた番組を中心に終了・移動が多発する。平日19時台のバラエティ番組のうち、『関口宏の東京フレンドパークII』と『ぴったんこカン・カン』のみ枠移動で継続となるが、他の番組は打ち切りとなった。また、1992年秋の『ムーブ』改編時と同様に、『うたばん』、『どうぶつ奇想天外!』、『ドリーム・プレス社』など玉突き移動や打ち切りが続発する。
- 昼の『ピンポン!』[8]、平日13時台の『愛の劇場』・『ひるドラ』も終了[9][10]し、平日11時 - 14時台に大型情報番組『ひるおび!』が開始される。[11]また、『ひるドラ』終了に伴い、同ドラマ枠製作局だった毎日放送・中部日本放送が代替として、『ひるおび!』の金曜日にCBCが13時台[12]、MBSが14時台[13]で全国ネット枠を与えられる。
- 一方で、大阪・毎日放送(MBS)製作のローカル番組を一切逆ネットを行っていなかったが、2008年10月にMBSでは火曜深夜に放送されている『よゐこ部』が不定期で逆ネットしたのを機に、昼間の生情報番組『ちちんぷいぷい』が金曜のみ逆ネットを行う姿勢も見受けれている。
- 2009年4月の改編により、金曜のみ約8時間程度の情報番組が連続で放送される(ひるおび!→そらナビ→バンバンバン→ちちんぷいぷい→サカスさん→総力報道!THE NEWS)。
アニメ
[編集]- TBSでは1963年、平井和正原作によるSFアニメ『エイトマン』でアニメーション制作に参入した。日本のテレビ局による国産テレビアニメの参入はフジテレビに次いで2番目で、テレビアニメ黎明期の1960年代後半は『オバケのQ太郎』、『パーマン』、『怪物くん』などの藤子不二雄原作作品から『スーパージェッター』、『宇宙少年ソラン』、『冒険ガボテン島』など大ヒット作を連発した。
- 腸捻転時代の在阪準キー局であった朝日放送(ABC)とネットを組んでいた時代、ABCが制作した『ふしぎなメルモ』、『海のトリトン』、『ど根性ガエル』といった作品が大ヒットした。ABC制作作品の『はじめ人間ギャートルズ』は放送途中のネットチェンジでNETテレビ(現・テレビ朝日)系列に移動した。
- 近年、TBSが製作するテレビアニメ番組は自局または持分法適用会社のBSデジタルテレビ放送局・BS-iの、共に深夜枠(深夜アニメ)がほとんどである。
- TBS(JNN)ネットワークのアニメーション番組を長年支えてきたのは在阪準キー局の毎日放送(MBS、毎日新聞社との資本関係は様々な経緯から現在は解消したが、TBS・RKBと共に友好社となっている)であり、本放送以来約10年ぶりにゴールデン帯で再放送された『まんが日本昔ばなし』をはじめ、最近では『機動戦士ガンダムSEED』や『鋼の錬金術師』などのアニメ作品を制作してきた。
- また最近ではTBSが製作に携わりながら、当のTBSでは放映せず、TBSネットワークではなくUHFアニメとして放映される作品もある(ただし、BS-iなどTBS関連の衛星放送局で放映することがあるほか、過去にはRKB毎日放送で放映した作品もあった)。
- 2007年10月より2クール放映の『灼眼のシャナII (Second) 』(MBS製作)は、UHFアニメ史上初めて続編が在京キー局系列で放映された(その逆は何度かあった)。
- 近年までMBS・中部日本放送(CBC)製作深夜アニメの逆ネットには消極的だったが、2006年4月以降は両局ともに1本ずつ逆ネットしている。
- 2009年1月現在、TBSではアニメ枠は週5本あるが(再放送は含まない)、そのうちの3本は系列局からの逆ネット枠(MBSから2本、CBCから1本)である。つまり、系列局から逆ネットするアニメが自社制作分より多い。
- アニメの表現規制はテレビ東京に次いで厳しい。とりわけ、流血描写に関してはテレビ東京以上に厳しいなどと言われている(ほとんどの作品で血液の描写自体がない)[要出典]。一方でMBS・CBCでは表現規制はかなり緩く、両局が共同でUHFアニメを放映することも多い。
- TBS制作の深夜アニメは在京局の中で字幕放送をいち早く導入しているが、TBS製作では未だハイビジョンマスター作品がない(HDマスター。上述のTBSが関与したUHFアニメを除く)。16:9SDマスター作品もサイドカットした4:3で放送されている(『探偵学園Q』 は地デジはフルサイズ、地アナレターボックスにして放送)。但し、単に機械的にカットするのではなく不自然な画面構成とならないよう場面に合わせてカット する位置を変えている。その為オープニングクレジットやエンディングクレジットも、それぞれの画角に合わせて別々に作られている(字の大きさや位置が異な る)。BS-iでの放送時はHDにアップコンバートしサイドカットなしで放送される。
- 逆に、MBS・CBC制作の深夜アニメは16:9サイズ(サイドカットなし、一部HDマスターあり)が基本フォーマットとなっている(MBS製作作品ではさらに字幕放送も実施)。
- 2000年代に入ってからは、TBS製作全日帯アニメは数えるほどしかなく(ゴールデンタイムにいたっては『探偵学園Q』のみ)ほとんどがMBS製作である。
特撮
[編集]- TBSが制作していた特撮番組としては「ウルトラマン」シリーズが有名であるが、時間帯などの関係で「平成ウルトラマン」シリーズと呼ばれる「ウルトラマンティガ」-「ウルトラマンコスモス」はMBS、「ウルトラマンネクサス」以降はCBC制作となっている。
- 仮面ライダーストロンガー - 仮面ライダーBLACK RX以降の仮面ライダーシリーズの放映権も持っていたが(制作は初代シリーズからのMBS)、2000年に製作されたいわゆる「平成仮面ライダーシリーズ」の第一作となる仮面ライダークウガからは、共同制作している東映が大株主であり、初代シリーズから仮面ライダーアマゾンまでMBSからネット受けしていたテレビ朝日が制作・放送している。
放送地域
[編集]放送対象地域は関東広域圏であるが、放送区域は難視聴対策により沖縄県の大東諸島も含まれる。
呼出符号、呼出名称、チャンネル
[編集]- 呼出符号(コールサイン)
- 地上アナログテレビジョン放送 - JORX-TV(2001年9月30日まではJOKR-TV)
- 地上デジタルテレビジョン放送 - JORX-DTV
- アナログ波音声多重放送 - JORX-TAM(2001年9月30日まではJOKR-TAM)
- アナログ波文字多重放送 - JORX-TCM(2001年9月30日まではJOKR-TCM)
- アナログ波データ多重放送 - JORX-TDM(2001年9月30日まではJOKR-TDM)
- 呼出名称(コールネーム)
- 地上アナログテレビジョン放送 - TBSテレビジョン(2001年9月30日までは東京放送)
- 地上デジタルテレビジョン放送 - TBSデジタルテレビジョン
- チャンネル
アナログ放送の主な中継局
[編集]- 東京都
- 茨城県
- 水戸、(ひたちなか) - 40ch(垂直偏波)
- 鹿嶋 - 37ch
- 日立 - 56ch
- 高萩 - 55ch
- 栃木県
- 宇都宮 - 55ch
- 日光(鬼怒川) - 56ch
- 矢板 - 42ch
- 群馬県
- 前橋 - 56ch
- 富岡 - 55ch(垂直偏波)
- 桐生 - 55ch
- 沼田 - 55ch
- 埼玉県
- 本庄 - 55ch(垂直偏波)
- 秩父、(小鹿野) - 18ch
- 千葉県
- 成田 - 55ch
- 銚子 - 55ch
- 香取佐原 - 56ch
- 勝浦 - 55ch
- 館山、(千倉) - 56ch(垂直偏波)
- 神奈川県
- 山下町 - 73ch
- 横浜みなと - 56ch
- 横須賀久里浜 - 39ch(北方向は水平偏波・南方向は垂直偏波)
- 平塚 - 37ch(垂直偏波)
- 小田原、(箱根、真鶴、湯河原) - 56ch
- 沖縄県
- 南大東島 - 56ch
- 北大東島 - 44ch
など
デジタル放送の主な中継局
[編集]- 茨城県
- 水戸 - 15ch
- 栃木県
- 宇都宮 - 15ch
- 群馬県
- 前橋 - 36ch
- 埼玉県
- 秩父 - 22ch
- 千葉県
- 銚子・東金 - 22ch
- 神奈川県
- 平塚 - 22ch(垂直偏波)
- 小田原 - 22ch
など
TBSテレビ制作番組一覧
[編集]過去のTBS系列番組の一覧
[編集]オープニング・クロージング
[編集]TBSラジオのオープニング・クロージングはTBSラジオ&コミュニケーションズを参照のこと。
- 「赤坂鉄塔」バージョン - KRT開局-1961年3月
- 「モノクロ夕日」バージョン - 1961年4月-1962年12月
- 「ガラス棒」
- ミクロコスモスバーション(ナレーション:林美雄アナウンサー) - 1991年9月末-1994年3月27日
- TBSロゴがミクロコスモスに変更されたことから全面的に改められた。CGで万華鏡の ような背景の中に太陽系の惑星が次々と出てくる映像。この代からステレオ化され、音声多重放送のコールサインも告げられる。また、テロップ・ナレーション から「東京放送」の名称が消えた。オープニング・クロージングは共通。周波数情報などのテロップは順に出てきて奥に小さく消えてゆく。60秒。
- 地球バージョン(ナレーション:林美雄アナウンサー) - 1994年3月28日-2000年3月
- ミクロコスモスのロゴが不評により変更になったため、音楽・ナレーションはそのまま映像を差し替えた。CGで地球を映しながら、英語で書かれた周波数情報、コールサインを地球に沿う形で流してゆくものである。
- 新社屋完成記念特別バージョン(ナレーション:鈴木順アナウンサー) 1994年10月3日
- TBSの赤坂での新社屋が完成したことによる特別バージョン。5:25、新社屋の空撮とともに鈴木アナによる生放送での技術情報の後、当時アジア大会が開催されていた広島から磯崎社長の挨拶などが生中継された。
- 獏と子供KRバージョン(ナレーション:ケイ・グラント) - 2000年4月 - 2001年9月
- 「ジ〜ン」の制定により、全面的に変更となったもの。アニメーションを使い、従来の映像に比べると柔らかい印象になった。なお、「東京放送」の名称は出ないが、「Tokyo Broadcasting System」の英語名称がナレーション・映像に使われている。
- 獏と子供RXバージョン(ナレーション:林美雄アナウンサー) - 2001年10月-2003年3月
- 現行ショートバージョン(ナレーション:吉川美代子アナウンサー) - 2003年4月-
- 他局同様、放送終了後はフィラー化したため、オープニング・クロージングも簡略化される傾向が強い。このバージョンもその例に漏れない。なお、デジタル放送用もほぼ同じだが、アナログで「Tokyo Broadcasting System」とコールする部分は、「東京放送です」とアナウンスし、ガラス棒バージョン終了以来久々に「東京放送」の名称が使われるようになった。アナログのみ最後に「この窓は、キミのもの。TBS」と表示される。
キャッチフレーズ
[編集]- お隣も6チャンネルのようですね(1975年 - 1979年)
- もうひとつの家族6チャンネル(1979年4月 - 1982年3月)
- TBS For The Best!(1982年4月 - 1987年9月)
- 東北放送でも使用(「TBS」部分を「TBC」に変更)。
- 心にいいから、6チャンネル(1986年4月)
- 東北放送でも使用(「6チャンネル」部分を「TBC」に変更)。
- 見せる気、まんまん。6チャンネル(1986年10月)
- こころ、満開!6チャンネル(1987年4月)
- もっと素敵に、TBS(1987年10月 - 1991年9月)
- テレビユー福島でも使用(「TBS」部分を「TUF」に変更)。
- 知涌き、楽踊る。(1990年4月)
- 予感。(1991年4月)
- やるテレビ。ぼくはリアルだ。TBS(1991年10月 - 1992年3月)
- テレビが好きです。TBS(1992年4月 - 1992年9月)
- 人間の味がする。TBS(1992年10月 - 1993年3月)
- テレビ道。TBS(1993年4月 - 1994年3月)
- 中部日本放送でも使用(「TBS」部分を「CBC」に変更)。
- だいたん、ていねい。(1993年10月 - 1994年3月)
- YES,TBS.(1994年4月 - 1996年9月)
- TBS6(1996年10月 - 1999年3月)
- 夢をつなぐ橋。TBS(1999年4月 - 2000年3月)
- イメージキャラクターは326が担当した。
- 未来箱(みらいっぱこ)。TBS(2000年4月 - 2001年9月)
- TBooS(2001年10月 - 2004年3月)
- チャンネル・ロック!!TBS(2004年4月 - 2008年3月)
- “チャンネル・ロック!!”は「6チャンネル」と「チャンネルはそのまま」をかけており、番組の最後に流れる「クロスプログラム」(次の番組の告知)でも右上に「チャンネル・ロック」と表示された。
- 全力まじめ TBS(2008年4月 - 2008年9月)
- No TV? but TBS(2008年10月 - )
- 「テレビが無くてもTBSはある」の意。
- 稀に全国向けにフレーズを差し替えた“No TV? but JNN”が登場することもある。また、同じキャンペーンCMでJNNロゴと各地方局のロゴを並べたものに差し替えた地方局用のバージョンも存在する。
局のアナログテレビジョン放送のチャンネルは「6」であり、デジタルテレビジョン放送のリモコンIDも「6」である。近年は、デジタルテレビジョン放送のリモコンIDがTBSと同じ「6」となる系列地方局でも、当該地域向けにTBSが用意する宣伝映像の中で、密かに「チャンネル・ロック」のフレーズが出てくることがある。
コーポレート・スローガン
[編集]- この窓は、キミのもの。TBS(2003年4月 - 2006年3月。2009年3月現在もアナログ放送のオープニング局名告知で使われている)
- 「おもしろくって、ためになる」テレビ局 TBS (2006年4月 - )
局マスコット
[編集]時刻表示時間帯(時間出し)
[編集]朝
- ニュースバードor放送開始~9:52:45(土曜は9:24)まで
- 「みのもんたの朝ズバッ!」はオレンジカスタム、「みのもんたのサタデーずばッと」は白字角カスタムで表示。
昼
- 現在表示なし
夕方
- 17:50:03~18:44:57(「総力報道!THE_NEWS」第1~2部内、CM中は表示しない。
- 番組内は専用フォントで表示される。
特別表示
過去
- 2005年3月25日まで、平日朝の消去時刻は10:19だった。
- 2009年3月27日までは昼の表示として本編中に限り11:55~12:55:20にも表示があった。また夕方の表示は16:52~18:55(本編中のみ)で「イブニング・ファイブ」全編での表示だった。(フォントは専用フォントだった)
- かつては、平日の午前は10:19:00まで(2005年3月25日まで、含むCM中)の表示があった。また、1997年10月頃、ごく短期間であった が、月-木曜23:55:00-翌0:49:00の間の表示もあった(0:00の表示であった。CM中は非表示)ほか、かつてはフィラーで放送していた「ミッドナイトウェザー」(TBSニュースバード(旧:JNNニュースバード)放送開始前)開始から“ミッドナイトウェザー”専用フォントで表示があった。
スタジオ
[編集]TBS放送センター(ビッグハット)
[編集](東京都港区赤坂、赤坂サカス内)
総工費800億円をかけ、1994年完成。“ビッグハット”の愛称は、最上部にある2層の円形パラボラデッキが由来。このパラボラデッキはヘリポート状に なっており、ドラマや音楽番組などの収録にもしばしば使われている。
- Aスタジオ(HD/SD、4F、260坪)…本社最大のスタジオ 関口宏の東京フレンドパークII、うたばん、みのもんたのサタデーずばッと、アッコにおまかせ!、さんまのSUPERからくりTVなど
- Bスタジオ(HD/SD、4F、260坪)…本社最大のスタジオ 金スマ、オールスター感謝祭、CDTVなど
※AスタジオとBスタジオは美術搬入口が一体化しているため、共同搬入口部を用いて連結が可能
- Cスタジオ(HD対応、4F、180坪)…バーチャル対応スタジオ はなまるマーケット、サンデーモーニング、噂の!東京マガジン、時事放談、王様のブランチ(2008年4月より)など
- Dスタジオ(HD対応、2F、180坪)…情報系生番組専用スタジオ みのもんたの朝ズバッ!、報道特集NEXT、サンデージャポンなど
- Eスタジオ(HD/SD、3F、約24坪)…BS用スタジオ、中継番組の送出サブとしても使用
- Fスタジオ(HD/SD、3F、約24坪)…BS用、バーチャル用スタジオ、中継番組の送出サブとして使用するほか、グローバルナビ(BS)、TBSチャンネルガイド(CS)、東京ビンゴナイト(現:単発「スーパービンゴナイト」)などでも使用
- Nスタジオ(HD/SD、2F、180坪)…ニュース専用スタジオ(報道局隣接) NEWS23など
- Pスタジオ(HD/SD、約25坪)…外が見えるガラス張りのパノラマスタジオ。中継番組の送出サブなどスポーツのメーンスタジオとしても使用。MLB主義・バラエティーニュース キミハ・ブレイクなど
- Sスタジオ(SD(年内にHD対応予定)、報道局内オープンフロアの為面積不明)…TBSニュースバード(CS、一部BS)専用
TBS緑山スタジオ・シティ
[編集](横浜市青葉区緑山)ハイビジョン対応については新設のM5スタジオから順次整備を進めて、現在は全スタジオが対応している。渡る世間は鬼ばかり、3年B組金八先生、サラリーマン金太郎、温泉へ行こうなど、ドラマ全般の制作拠点である。
TBS所有のスタジオではあるが、管理・運営は子会社である「株式会社緑山スタジオ・シティ (MSC) 」が行っている。 基本的に貸しスタジオであり、M1スタジオや正面玄関・ロビーを中心として、CMや他局(NHK、東海テレビほか)の番組などTBS以外の収録も多い。
完成当初は「(東京から)遠い」、「他局との掛け持ちがしにくい」等の理由から出演者からの評判はあまり良くなかった。
- M1スタジオ(180坪)…
- M2スタジオ(180坪)…
- M3スタジオ(180坪)…
- M4スタジオ(240坪)…渡る世間は鬼ばかり
- M5スタジオ(240坪)…
- オープンロケ地(20,000坪、2,000坪)ぼくらの時代(1981年制作ドラマ)、ローソンCM、SASUKE、KUNOICHI、痛快なりゆき番組 風雲!たけし城等
- 開設時はオープンスタジオ(もしくはオープンセット)と呼んでいたが、最近になって名称が変更された。
TBS・砧スタジオ
[編集](世田谷区砧、東京メディアシティ(TMC)内)TBS専用のスタジオではあるが、CMや他局の番組などレンタルによるTBS以外の収録も多い。緑山と同じく株式会社緑山スタジオ・シティが管理している。
報道用サテライトスタジオ
[編集]ほか
情報カメラ設置ポイント
[編集]TBSの情報カメラは八丈島、銚子を除きすべてHD対応
- 東京都
- 神奈川県
- 千葉県
- 新潟県
- 苗場スキー場(苗場プリンスホテル屋上・冬季のみ。なお、苗場スキー場がある地域は、BSN新潟放送の放送エリアである。)
- このほか、SBS静岡放送が自社エリア内である静岡県伊東市および熱海市に設置している情報カメラも専用回線により同社東部総局(沼津市)経由にて受信可能(TBSからのカメラ操作はできないが、SBSの了解のもと、映像の独自使用が可能)
アナウンサー
[編集]2009年現在、『TBSアナウンサー』と呼称される者はすべてTBSテレビ所属となっており、TBSテレビジョンへの出演の他、グループ会社であるTBSラジオ&コミュニケーションズ(TBSラジオ)、関連会社であるビーエス・アイにも派遣し、『TBSアナウンサー』として出演している。
- 男性
- 女性
歴代アナウンサー
[編集]他部署へ異動したアナウンサー
[編集]- 男性
- 池田裕行(1987年入社、報道局記者→現在パリ支局長)
- 岡崎潤司(1986年入社、広報部→アナウンス部デスク)
- 志賀大士(1996年入社、現TBSテレビ第3制作部ディレクター)
- 杉山真喜人(1988年入社、報道局外信部→コンテンツ事業局コンテンツ事業部)
- 高橋進(1976年入社、施設管理部)
- 武方直己(1986年入社、広報部)
- 中村尚登(1981年入社、報道局記者→TBSラジオニュースデスク)
- 原山理一郎(1989年入社、現TBSテレビ情報制作局情報センター情報一部…「ブロードキャスター」レポーター→「2時っチャオ!」プロデューサー)
- 松下賢次(1975年入社、現経営メディア本部経営企画局)
- 女性
退社したアナウンサー
[編集]- 男性
- 嘱託としてTBSニュースバード「ビジネス・ナビ」で東証リポートを担当。
- アメリカンフットボール選手。
- 現在はタレント、生島企画室会長。
- 2001年夏に定年退職。フリースポーツアナウンサー。
- 日本放送協会から移籍。
- 現在大沢悠里のゆうゆうワイドのMCなどを担当。
- ボクシング中継、3時にあいましょうの司会などを担当。
- 現在WOWOWアナウンサー。
- キャスター、オフィス・トゥー・ワン所属。
- JNNニュースデスクキャスター。
- 相撲評論家・歯科医。
- 「どうぶつ奇想天外!」ナレーター、アステラス製薬 明日も元気!MC。
- JNNニュースデスクキャスター。
- 定年退職。主に報道番組を担当。
- 2003年夏に定年退職。現在は嘱託として「ドキュメント258」ナレーションや「TBSラジオニュース」などを担当。
- キャスター、ジャーナリスト。みのもんたのサタデーずばッとレギュラー。
- 新堀俊明(1959年入社)
- 日本大学教授。JNNニュースコープキャスターを担当。
- 「水戸黄門」の2代目ナレーター。1998年死去。
- フリーキャスター、評論家。
- メディア・スタッフ取締役相談役。
- CMA所属。毎年BS-iのマスターズゴルフの放送で登場。
- ジャーナリスト。
- 1985年頃まで報道担当。
- CMA所属、TBSラジオでニュースキャスターを担当。2007年に死去。
- 2002年在籍中に死去。
- NHKから移籍。
- 1994年死去。
- 1994年夏に定年退職。
- 本名は桝井貞之。フリーアナウンサー。
- 現・CMA常務取締役、TBSアナウンススクール事務局長・
- 「ザ・ベストテン」の追っかけマンやラジオ「サーフ&スノー」のDJで有名だった。1999年死去。
- 2005年春に定年退職。現在はナレーションを中心に務める。
- 報道局記者→アメリカ留学→NGOグループ所属。
- NHKから移籍。
- 1994年定年3ヶ月前で退職。フリーアナウンサー。
- 2003年退社。早朝番組担当。
- NHK鹿児島放送局から移籍。NPO法人鉄道模型の会代表。
- メディア・スタッフ創立者。2006年に死去。
- 女性
- フリーアナウンサー。
- 現在CMA所属。
- 新京放送局から移籍。
- 2002年春定年退職、作家。
- セントルイスカージナルス・田口壮夫人。
- フリーアナウンサー。2008年死去。
- 評論家。
- NHKから移籍。
- 現在青森大学教授。
- 新京放送局から移籍。
- ノンフィクション作家。
- 現在「イブニング・ファイブ(JNNイブニング・ニュース)」キャスター。
- 現在「BATTLE TALK RADIO アクセス」パーソナリティ。
- 小林麻耶(2003年入社)
- 現在「総力報道!THE NEWS」メインキャスター。
アナウンサーについての補足
[編集]- 1990年代前半まで男性の報道担当のアナウンサーは「TBSアナウンサー」としてテロップで画面に登場することは少なかった。これは突発的な事故などの際、取材記者も兼ねていたことや報道局所属という意味合いにもいえる。JNNニュースなどの提供読みも報道担当のアナウンサーはほとんど行っていなかった(例外は高橋進、向井政生ぐらい)。
- ただし五味陸仁や柴田秀一など情報番組の司会を担当していたアナウンサーもいた。
- この傾向が崩れたのは1994年頃になる。当時スポーツ担当だった佐古忠彦、情報番組担当だった岡田泰典が報道担当に移ってからになる。佐古・岡田は以後報道のみの出演になるが、スポーツ担当のアナウンサーもJNNフラッシュニュースなどに登場することも多くなった。ただしベテランのアナウンサーの中には報道番組(一般ニュース)を担当したのことのないアナウンサーもいる(林正浩や松下賢次など)。
- 会社である以上、労使交渉がまとまらなければ労組のストライキも起こりうる。その場合、担当番組を管理職のアナウンサーや外部のフリーアナウンサーが代行出演する。2009年3月13日はそのことを連想させるように、テレビで『ピンポン!』『2時っチャオ!』『イブニング・ファイブ』など各番組の担当アナウンサー(メイン司会も含む)が説明もないまま欠席している。このような事態は、近年だとテレビ東京でも時々発生することがある。
脚注
[編集]- ^ 放送は午後1時15分からの45分間で、番組の収録は2日前に、松竹演芸場のデン助劇団の夜9時からの公演を収録したという。
- ^ 但し、当時のビデオ・テープは米3M社製の輸入品のみで、1時間録画ができるそれで当時のお金で1本約100万円もする余りにも高額な物で、更に消去できて使い回しができるので、同年に製作されたドラマ「私は貝になりたい」以前のビデオ・テープは同局では残されていないという。
- ^ 関東地区では当初はNETにネットされていたが、NETの編成方針で打ち切りとなり、東京12チャンネル(現・テレビ東京)にネットが移行されネットチェンジ直前までネットされた。TBS系列の中国放送とRKB毎日放送は腸捻転時代から既に番組販売扱いでネットされていた。
- ^ a b 2009春の新番組
- ^ TBS「チュー's DAY コミックス」
- ^ スポーツ報知:TBS「イブニング・ファイブ」来春打ち切り
- ^ TBS「サカスさん」
- ^ スポーツ報知:TBS「ピンポン!」来年3月終了へ
- ^ 愛の劇場 最多「五つ子」で40年の歴史に幕 スポーツニッポン
- ^ 島崎和歌子、昼ドラ“休止”に笑顔でコメント「ラストとは思わない」 オリコン|ORICON STYLE 2008年12月8日
- ^ TBS「ひるおび!」
- ^ TBS「ひるおび!・えなりかずき!そらナビ
- ^ TBS「ひるおび!・バンバンバン」
関連項目
[編集]
- 主要局
- アニメ一覧(系列別)