佐野 (岐阜市)
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佐野 | |
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岐阜市佐野。縣神社より集落方面を眺める | |
北緯35度30分54.6秒 東経136度43分19.6秒 / 北緯35.515167度 東経136.722111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 岐阜県 |
市町村 | 岐阜市 |
地区 | 方県地区 |
標高 | 31 m |
人口 | |
• 合計 | 144人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
501-1101[2] |
市外局番 | 058 (岐阜MA)[3] |
ナンバープレート | 岐阜 |
※座標・標高は佐野公民館付近 |
佐野(さの)は、岐阜県岐阜市の大字・町丁。町丁は佐野一丁目が置かれている。郵便番号501-1101[2]。
地理
[編集]岐阜市北端に位置し、北は山県市小倉、東は山県市梅原、南東は岩利、南は則松・安食、南東は秋沢、西は雛倉に隣接している。
小字
[編集]小字は以下の通り[4]。
- 罰田(ばちだ)
- 出口(でぐち)
- 後田(うしろだ)
- 寺田(てらだ)
- 大平(おおひら)
- 犬野(いぬの)
- 北屋敷(きたやしき)
- 中屋敷(なかやしき)
- 中溝(なかみぞ)
- 野畑(のばた)
- 外野(そとの)
- 石仏(いしぼとけ)
- 北山(きたやま)
- 下り松(さがりまつ)
- 大洞(おおぼら)
- 南山(みなみやま)
歴史
[編集]江戸期は佐野村であり、美濃国方県郡のうち。はじめ加納藩領、のち幕府領となり、宝永5年からは旗本佐野織田氏領。「慶長郷牒」「元和領知改帳」「正保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」共に村高420石余。明治元年の村明細帳の戸数42・人口187、鎮守は白山大権現・熊野大権現・県大明神、寺院は養安寺・瑠璃庵。明治4年岐阜県に所属。「町村略誌」の戸数45・人口244。同30年方県村の大字になる[5]。
年表
[編集]- 1871年(明治4年) - 岐阜県に所属。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制施行し、方県郡佐野村が村制を施行[6]。
- 1897年(明治30年)4月1日[7] - 郡の再編により稲葉郡に所属[6]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 安食村、佐野村、岩利村、彦坂村、石谷村が合併し稲葉郡方県村が発足。方県村大字佐野となる。
- 1950年(昭和25年)8月20日 - 市橋村、茜部村、 鶉村、黒野村、方県村が岐阜市に編入。岐阜市佐野となる[8]。
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
佐野 | 岐阜市立方県小学校 | 岐阜市立岐北中学校 |
一丁目 |
世帯数と人口
[編集]2018年(平成30年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
佐野 | 50世帯 | 144人 |
施設
[編集]交通
[編集]道路
[編集]バス
[編集]- 岐阜市コミュニティバス(方県・網代地区コミュニティバス)[10]
- 方県ルート[11]
- (折立平野総合病院) 佐野公民館
- 方県ルート[11]
脚注
[編集]- ^ a b “人口統計 - 地区別・町丁別世帯数及び人口”. 岐阜市 (2018年4月1日). 2018年12月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年12月2日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年12月2日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』、角川書店、1980年 ISBN 4040012100 1285頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』、角川書店、1980年 ISBN 4040012100 362頁
- ^ a b 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年、350頁。
- ^ 『揖斐郡志』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 807.
- ^ 岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則、2013-11-13閲覧。
- ^ 岐阜市コミュニティバス運行について、2013-11-13閲覧。
- ^ 方県・網代バス ~方県・網代地区コミュニティバス~ (方県ルート)、2013-11-13閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0。
関連項目
[編集]山県市小倉 | ||||
雛倉 | 山県市梅原 | |||
佐野 | ||||
秋沢 | 則松・安食 | 岩利 |