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黒野村 (岐阜県稲葉郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くろのむら
黒野村
廃止日 1950年8月20日
廃止理由 編入
黒野村方県村茜部村鶉村市橋村岐阜市
現在の自治体 岐阜市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
稲葉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 7.03 km2.
総人口 4,592
(1950年)
隣接自治体 岐阜市稲葉郡方県村本巣郡西郷村七郷村網代村
黒野村役場
所在地 岐阜県稲葉郡黒野村大字黒野
座標 北緯35度27分30秒 東経136度42分51秒 / 北緯35.45831度 東経136.71428度 / 35.45831; 136.71428 (黒野村)座標: 北緯35度27分30秒 東経136度42分51秒 / 北緯35.45831度 東経136.71428度 / 35.45831; 136.71428 (黒野村)
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岐阜大学周辺を空撮(旧:黒野村)

黒野村(くろのむら)はかつて岐阜県稲葉郡に存在したである。

現在の岐阜市西北部に該当し、伊自良川板屋川に挟まれた地域である。現在の地名は、黒野、黒野南、下鵜飼、折立、交人、洞、古市場、今川、御望、柳戸などである。岐阜市に編入後、岐阜大学がこの地に移転し、学生の街でもある。

歴史

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経済

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産業

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  • 農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、黒野村の篤農家は「國島文太郎、安田茂助、河合清平、松井太郎、白木捨治、脇田静三」などがいた[3]

地域

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学校

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旧跡・観光など

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  • 黒野城
  • 黒野別院 (現在は廃寺)

出身人物

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脚注

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  1. ^ 加藤 貞泰とはコトバンク。2017年7月9日閲覧。
  2. ^ 揖斐郡志』292-295頁。
  3. ^ 『大日本篤農家名鑑』351頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年4月24日閲覧。
  4. ^ a b 北原泰作『賎民の後裔 わが屈辱と抵抗の半生』3-13頁。

参考文献

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  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 岐阜県揖斐郡教育会編『揖斐郡志』揖斐郡教育会、1924年。
  • 北原泰作『賎民の後裔 わが屈辱と抵抗の半生』筑摩書房、1974年。

関連項目

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