伊達紋別駅
伊達紋別駅 | |
---|---|
駅舎(2018年10月) | |
だてもんべつ Datemombetsu | |
◄H39 長和 (3.0 km) (2.9 km) 北舟岡 H37► | |
所在地 | 北海道伊達市山下町8-2 |
駅番号 | ○H38 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■室蘭本線 |
キロ程 | 54.5 km(長万部起点) |
電報略号 | タテ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
[* 1]958人/日 -2020年- |
開業年月日 | 1925年(大正14年)8月20日[1] |
備考 |
伊達紋別駅 | |
---|---|
だてもんべつ Datemombetsu | |
(5.1 km) 上長和► | |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 0.0 km(伊達紋別起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線(胆振線ホーム・旧0番線) |
開業年月日 | 1940年(昭和15年)12月15日[3] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[3] |
伊達紋別駅(だてもんべつえき)は北海道伊達市山下町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。駅番号はH38。電報略号はタテ。事務管理コードは▲130307[4][5]。特急「北斗」をはじめとする全定期旅客列車が停車し、かつては胆振線の分岐駅でもあった。
概要
[編集]伊達市の代表駅であり、1925年(大正14年)8月20日、国有鉄道長輪東線(現在の室蘭本線)の駅として開設された。1940年(昭和15年)12月15日に胆振縦貫鉄道(後の胆振線)が開業し、同線との分岐駅となった。1986年(昭和61年)11月1日に胆振線が廃止された後は、室蘭本線の単独駅となっている。駅名は当駅の所在する地名が由来であり、伊達の名は伊達成実の後裔である亘理伊達氏当主・伊達邦成とその家臣団が1870年(明治3年)に入植したことから付けられた。1900年(明治33年)に伊達村となる前の地名は紋鼈(もんべつ)であり、字を紋別と変えて伊達と併せ駅名に採用した[6]。
歴史
[編集]- 1925年(大正14年)8月20日:国有鉄道長輪東線の輪西駅(現・東室蘭駅) - 当駅間開通に伴い開業[1]。一般駅[1]。
- 1928年(昭和3年)9月10日:長輪西線の静狩駅 - 当駅間開通に伴って長輪東線と長輪西線を統合し、線路名を「長輪線」と改称し、同線の駅(中間駅)となる。
- 1931年(昭和6年)4月1日:長輪線が室蘭本線に編入となり、同線の駅となる。
- 1940年(昭和15年)12月15日:胆振縦貫鉄道開業[3]。
- 1944年(昭和19年)7月1日:「戦時買収私鉄」指定により胆振縦貫鉄道が国有化されて胆振線となる[3]。室蘭機関区伊達紋別支区設置。
- 1949年(昭和24年)6月1日:「日本国有鉄道法」施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)が継承。
- 1954年(昭和29年)8月9日:昭和天皇、香淳皇后が洞爺湖、昭和新山に行幸啓。伊達紋別駅発 - 東室蘭駅着のお召し列車が運転[7]。
- 1958年(昭和33年)9月1日:室蘭機関区伊達紋別支区廃止。
- 1959年(昭和34年)10月:台糖(後の北海道糖業)道南製糖所操業開始に伴い、専用線使用開始[注 1]。
- 1967年(昭和42年)2月1日:室蘭機関区伊達紋別支区設置。
- 1970年(昭和45年)10月1日:室蘭機関区伊達紋別支区廃止。
- 1978年(昭和53年):みどりの窓口開設。
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物取扱い廃止[1]。
- 1986年(昭和61年)10月31日:胆振線廃止[3][8]。貨物取扱い廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が継承[1]。
- 2007年(平成19年)10月1日:駅ナンバリング実施[9]。
- 2014年(平成26年)8月30日:ダイヤ改正に伴い、特急「北斗」・「スーパー北斗」全列車停車[10]。
- 2015年(平成27年)3月13日:寝台特急「トワイライトエクスプレス」の廃止により、当駅を通過する特急列車がなくなる。
- 2017年(平成29年)3月:構内売店(キヨスク)閉店。
- 2018年(平成30年)3月28日:駅ホーム連絡通路を兼ねた自由通路開通[11]。
駅構造
[編集]単式ホーム・島式ホーム複合型の2面3線を有する地上駅。互いのホームは中央部分に位置する跨線橋で連絡している。他の駅とは異なり、3番線側に改札口がある。
社員配置駅で、みどりの窓口、話せる券売機[2]を設置している。駅舎は開業時のものを手直しして利用しており、外観は白壁、こげ茶色の柱、梁を有し、天井は大型枡格天井となっている駅スタンプも設置している[12]。
伊達市は当駅の西側にある老朽化した階段式人道橋の架け替えに伴い、当駅ホームへの連絡通路を兼ねた歩行者用の陸橋(自由通路)を建設することを北海道旅客鉄道(JR北海道)に提案[13]。JR側もこれを承諾して2015年(平成27年)11月に着工し、2018年(平成30年)3月28日に開通した。駅舎がある山下地区と海側の西浜地区を結ぶ市道であり、長さ40.4 m、幅3 mの跨線橋となっている。従来の陸橋より駅寄りにあり、駅舎がある山下地区に北棟、海側の西浜地区に南棟を配置し、自転車と一緒に搭乗可能なエレベーターをそれぞれ1基ずつ設置している。また、高齢住民が津波などの一時避難場所として使用することを想定しており、防犯カメラも設置している[11]。
ホーム連絡通路は長さ26.8 m、幅2 m。南北のホームにエレベーターを設置することで駅のバリアフリー化を実現した。北棟のエレベーターはホーム連絡通路との共用で、一般歩行者と列車乗降客が交互に使う方式を北海道内で初めて採用しており、ホーム連絡通路と自由通路の2方向に扉が開く仕組みになっている[11]。
のりば
[編集]駅舎側より記載。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
3 | ■室蘭本線 | 下り | 東室蘭・札幌方面 |
2・1 | 上り | 長万部・函館方面 |
(出典:JR北海道:駅の情報検索)
3番(旧1番)のりば長万部方先端部(駅舎横)に残る切欠きホームの跡(旧0番のりば)が胆振線の名残である[14]。旧胆振線の一部の線路、機関庫は保線車両の留置線の一部に転用されている。
かつては島式ホームの外側(海側)に貨物用などの多数の側線(1983年度(昭和58年)時点で6本[6])、長万部方に延びる1本の専用線、また駅舎側にも岩見沢方から分岐し駅舎側ホーム南側部分に存在する切欠きホームへと至る2本の貨物側線[6]を有した。これらは1993年(平成5年)時点で上記保線車両留置線及び安全側線を除き撤去されている。
-
改札口(2017年9月)
-
ホーム(2018年10月)
-
跨線橋内(2017年9月)
-
自由通路外観(2018年10月)
-
自由通路内(2018年10月)
-
駅名標(2017年9月)
利用状況
[編集]「伊達市統計書」によると、2020年(令和2年)度の1日平均乗降人員は958人であった[* 1]。
近年の推移は下記の通りである。
年度 | 1日平均 乗降人員 |
出典 |
---|---|---|
1981年(昭和56年) | 2,027 | [6] |
: | ||
1992年(平成 | 4年)2,810 | [14] |
: | ||
2009年(平成21年) | 1,360 | [* 2] |
2010年(平成22年) | 1,360 | |
2011年(平成23年) | 1,340 | |
2012年(平成24年) | 1,322 | |
2013年(平成25年) | 1,160 | |
2014年(平成26年) | 1,146 | |
2015年(平成27年) | 1,029 | [* 3] |
2016年(平成28年) | 1,020 | |
2017年(平成29年) | 981 | |
2018年(平成30年) | 867 | [* 1] |
2019年(令和元年) | 796 | |
2020年(令和 | 2年)958 |
駅周辺
[編集]伊達市中心部への玄関口であり、伊達漁港、イオン伊達店、伊達市役所、伊達赤十字病院、総合公園だて歴史の杜、北海道伊達開来高等学校などの最寄駅になっている。
- 伊達警察署駅前交番
- 伊達駅前郵便局
- ビジネスホテルキャッスル
- ウロコ山下店
- ステーションホテルサンガ
バス路線
[編集]かつてはJR北海道バスが伊達線を運行していたが、1996年(平成8年)に撤退して道南バスに路線を移譲した。駅前には「伊達駅前」バス停留所があり、伊達市内線、室蘭方面、壮瞥・大滝方面(旧胆振線のバス代行路線)、洞爺湖温泉、豊浦方面への郊外線が発着している。
隣の駅
[編集]かつて存在した路線
[編集]- 日本国有鉄道(国鉄)
- 胆振線
- 伊達紋別駅 - 上長和駅
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 昭和39年版-58年版全国専用線一覧では作業距離1.8 km、総延長4.8 km。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 石野 1998, p. 850.
- ^ a b “指定席券売機/話せる券売機|駅・鉄道・旅行|JR北海道- Hokkaido Railroad Company”. 北海道旅客鉄道. 2021年1月26日閲覧。
- ^ a b c d e 石野 1998, p. 858.
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、224頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ a b c d 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)75ページより。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、110頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ “31日廃止の富内、胆振線”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1986年10月31日). 2018年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月2日閲覧。
- ^ 『駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2007年9月12日。オリジナルの2017年8月31日時点におけるアーカイブ 。2018年4月2日閲覧。
- ^ 『平成26年8月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2014年7月4日。オリジナルの2017年9月11日時点におけるアーカイブ 。2018年4月2日閲覧。
- ^ a b c 野村英史 (2018年3月29日). “南北を結び利便性向上、伊達紋別駅の自由通路が開通” (日本語). 室蘭民報. 室蘭民報ニュース (室蘭民報社). オリジナルの2018年3月30日時点におけるアーカイブ。 2018年3月30日閲覧。
- ^ 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)137ページより。
- ^ “伊達紋別駅を南北に結ぶ自由通路の橋桁架設”. 室蘭民報 (室蘭民報社). (2017年1月19日). オリジナルの2018年4月7日時点におけるアーカイブ。 2018年4月2日閲覧。
- ^ a b 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)83ページより。
- 伊達市統計書
- ^ a b c “2021年版伊達市統計書 第8章 運輸・通信” (PDF). 伊達市. p. 72 (2021年). 2024年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月6日閲覧。
- ^ “第8章 運輸・通信” (PDF). 2015年版伊達市統計書. 伊達市. p. 76 (2015年). 2018年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月1日閲覧。
- ^ “第8章 運輸・通信” (PDF). 2018年版伊達市統計書. 伊達市. p. 72 (2018年). 2020年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 伊達紋別|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company