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南京極駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南京極駅
みなみきょうごく
Minami-Kyōgoku
留産 (2.1 km)
(3.4 km) 東京極
所在地 北海道虻田郡京極町字更進
北緯42度49分47秒 東経140度53分37.7秒 / 北緯42.82972度 東経140.893806度 / 42.82972; 140.893806座標: 北緯42度49分47秒 東経140度53分37.7秒 / 北緯42.82972度 東経140.893806度 / 42.82972; 140.893806
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 胆振線
キロ程 65.0 km(伊達紋別起点)
電報略号 ミキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1928年昭和3年)10月21日[1]
廃止年月日 1986年昭和61年)11月1日[2]
備考 胆振線廃線に伴い廃駅[1]
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1976年の南京極駅と周囲約500m範囲。下が伊達紋別方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

南京極駅(みなみきょうごくえき)は、北海道後志支庁虻田郡京極町字更進にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線廃駅)である。電報略号ミキ事務管理コードは▲131918[3]

歴史

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駅名の由来

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旧駅名の「川上温泉(かわかみおんせん)駅」は、駅前に湧出する温泉の名に由来する[8]。その後の胆振縦貫鉄道国有化に際し、「京極村の南にあるので」として「南京極駅」と改名された[9]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(倶知安方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[8]

無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホームから少し離れていた[8]。ホーム中央部分の出入口は階段となっていた。[8]

利用状況

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  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は29人[8]

駅周辺

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駅跡

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2001年(平成13年)時点では広い空地となっており、駅前に植えられていたイチイの木のみが残っていた[11]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[12]

隣の駅

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日本国有鉄道
胆振線
留産駅 - 南京極駅 - 東京極駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、859頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ a b 京極町史 昭和52年3月発行 P825-826。
  5. ^ 「日本国有鉄道公示第383号」『官報』1971年9月30日。
  6. ^ 「通報 ●胆振線蟠渓駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1971年9月30日、11面。
  7. ^ 「営業体制近代化」『交通新聞』交通協力会、1971年10月6日、1面。
  8. ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)92ページより。
  9. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、81頁。ASIN B000J9RBUY 
  10. ^ a b c d 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
  11. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング2001年8月発行)68-70ページより。
  12. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)154ページより。

関連項目

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