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参郷駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
参郷駅
さんごう
Sangō
寒別 (3.5 km)
(2.0 km) 六郷
所在地 北海道虻田郡倶知安町字八幡
北緯42度54分2.2秒 東経140度47分37.8秒 / 北緯42.900611度 東経140.793833度 / 42.900611; 140.793833座標: 北緯42度54分2.2秒 東経140度47分37.8秒 / 北緯42.900611度 東経140.793833度 / 42.900611; 140.793833
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 胆振線
キロ程 78.4 km(伊達紋別起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1960年昭和35年)10月1日[1]
廃止年月日 1986年(昭和61年)11月1日[2]
備考 胆振線廃線に伴い廃駅
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1976年の参郷駅と周囲約500m範囲。左が倶知安方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

参郷駅(さんごうえき)は、かつて北海道後志支庁虻田郡倶知安町字八幡に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線廃駅)である[1]事務管理コードは▲131917[3]

歴史

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駅名の由来

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当地が「倶知安町3号線[6]」にあることからそれをもじって名付けた[6]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北東側(倶知安方面に向かって右手側)に存在した[7]転轍機を持たない棒線駅となっていた[7]

無人駅となっており、駅舎は無いがホームの出入口附近に簡素な待合所を有した[7]。ホームはコンクリート製の短いもので、西側の出入口は階段となっていた[7]

利用状況

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  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は26人[7]

駅周辺

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駅跡

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2011年(平成23年)時点では、何も残っていない[9]。2001年(平成13年)時点で六郷駅跡 - 寒別駅跡の間の線路跡は水田やビート畑に取り込まれており[10]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[11]。駅跡近辺にある線路跡と道路の踏切跡には警報機の土台が残されているほか、線路のスペースを埋め立てた痕跡もある。

隣の駅

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日本国有鉄道
胆振線
寒別駅 - 参郷駅 - 六郷駅

脚注

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  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、860頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、227頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ “日本国有鉄道公示第462号”. 官報. (1960年9月30日) 
  5. ^ 「通報 ●胆振線北岡外1駅の設置について(営業局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1960年9月30日、3面。
  6. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、82頁。ASIN B000J9RBUY 
  7. ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)94ページより。
  8. ^ a b c 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
  9. ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)205ページより。
  10. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング2001年8月発行)69ページより。
  11. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)154ページより。

関連項目

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