ロード・アルフレッド・ヘイズ
ロード・アルフレッド・ヘイズ | |
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1973年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ロード・アルフレッド・ヘイズ ロード・アル・ヘイズ ジュードー・アル・ヘイズ ホワイト・エンジェル |
本名 | アルフレッド・ジョージ・ジェームズ・ヘイズ |
身長 | 183cm |
体重 | 108kg(全盛時) |
誕生日 | 1928年8月8日 |
死亡日 | 2005年7月21日(76歳没) |
出身地 |
イギリス イングランド グレーター・ロンドン州ロンドン |
スポーツ歴 | 柔道 |
デビュー | 1950年代 |
引退 | 1982年 |
ロード・アルフレッド・ヘイズ(Lord Alfred Hayes、本名:Alfred George James Hayes、1928年8月8日 - 2005年7月21日)は、イギリス・ロンドン出身のプロレスラー。
1970年代初頭にアメリカに渡り、現役引退後の1980年代からはWWF(現:WWE)でアナウンサーやインタビュアーを務めた[1]。
来歴
[編集]1950年代に英国にてデビュー。プロレス入りする以前はスモール・タニこと日本人柔道家の谷幸雄に師事し[2]、柔道の有段者であったことから、当時はジュードー・アル・ヘイズ("Judo" Al Hayes)なるリングネームを用い、正統派のベビーフェイスとして活動していた[1]。
1957年5月、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて英国遠征中の木村政彦と対戦するも敗退(柔道マッチであったかどうかは不明)[2]。1964年、マイク・マリノを破り世界ミッドヘビー級王座を獲得[3]。1968年9月には、当時ヨーロッパを外国人供給ルートとしていた国際プロレスに初代ケンドー・ナガサキのミスター・ギロチンやジョージ・ゴーディエンコらと共に初来日している[4]。
1970年代に入り、英国貴族のロード・アル・ヘイズ("Lord" Al Hayes)を名乗ってアメリカ・マット界に進出。ドリー・ファンク・シニアが主宰していたテキサス西部のアマリロ地区(NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ)を主戦場に、キラー・カール・コックスやサイクロン・ネグロと抗争する。アマリロ地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を通算5回獲得し[5]、タッグでは英国マットで活躍した実績を持つリッキー・スターと組み、1972年8月24日にボビー・ダンカン&ディック・マードックから同タッグ王座を奪取した[6]。
その後ヒールに転向し、1973年下期より中西部のNWAセントラル・ステーツ地区に参戦。ロジャー・カービーやブルドッグ・ボブ・ブラウンをパートナーに、マイク・ジョージ&ジム・ブランゼルの若手チームとNWA世界タッグ王座を争った[7]。1975年にはカナダの沿海州に進出、5月13日にミシェル・デュボアとの英仏コンビで同地区版のインターナショナル・タッグ王座を獲得している[8]。古巣のアマリロでは1976年2月5日にレッド・バスチェンと組み、アメリカ遠征中だったジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦[9]。同年5月にはNWAルートで全日本プロレスに来日した[10]。
以降、1977年3月よりバーン・ガニア主宰のAWAに定着。ペドロ・モラレスやクラッシャー・リソワスキーと抗争を繰り広げ[11][12]、ビル・ロビンソンとも英国人同士の遺恨試合を展開[13]。トークの才能を活かしてマネージャーも兼任し、ボビー・ヒーナンとのマネージャー同士の抗争も行われた[14]。AWA時代はセントルイス・レスリング・クラブのキール・オーディトリアムでの興行にも再三出場しており、1979年12月7日にはディック・ザ・ブルーザーとシングルマッチで対戦した[15]。
1980年7月からはNWAフロリダ地区に参戦、プレイング・マネージャーとしてディック・スレーターやボビー・ジャガーズらと共闘し、ダスティ・ローデスやバリー・ウインダム、そして同地区のマネージャーだったサー・オリバー・フンパーディンクと抗争した[16]。1981年9月からはNWAミッドアトランティック地区にてクリス・マルコフ&ニコライ・ボルコフのロシア系コンビをコントロール[17]。カナダのモントリオールでは旧敵ロビンソンのマネージャーも担当した[18]。
現役引退後の1982年下期より、ニューヨークのWWFにスタッフとして参加[19]。その能弁さを見込まれ、ビンス・マクマホンの全米侵攻が始まった1984年からは、トーク番組 "Tuesday Night Titans" にマクマホンの相方役でレギュラー出演。タキシード姿で格式ばったクイーンズ・イングリッシュを話す英国人キャラクターを演じた。WWFではベビーフェイスのポジションに回り、ヒーナン、ジェシー・ベンチュラ、ジョニー・バリアントなどヒールのコメンテーターを相手に実況アナウンサーを担当することもあった。
1995年、交通事故で怪我を負いWWFを退団、フルタイムのプロレスリング・ビジネスから引退した。その後はテキサスのダラスに居住していたが、事故の影響で壊疽を起こし片足を切断。2001年のカリフラワー・アレイ・クラブのOB会には車椅子で出席した[19]。その後は脳梗塞を患い闘病生活を送り、2005年7月21日に自宅にて死去した[19]。76歳没。
得意技
[編集]- ロンドン・ブリッジ(ブリッジ式インディアン・デスロック)[21]
- タワー・オブ・ロンドン(ダイヤモンド・カッター)[22]
獲得タイトル
[編集]- ブリティッシュ・チャンピオンシップ
- 世界ミッドヘビー級王座:1回[3]
- NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
- NWA世界タッグ王座(セントラル・ステーツ版):3回(w / ロジャー・カービー×2、ブルドッグ・ボブ・ブラウン)[7]
- NWAビッグタイム・レスリング
- NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ビッグ・O)
マネージャー担当選手
[編集]- ブリット・ビリー・ロビンソン
- アンジェロ・モスカ
- スーパー・デストロイヤー
- スーパー・デストロイヤー・マークII
- スーパー・デストロイヤー・マークIII
- マスクド・スーパースター
- バロン・フォン・ラシク
- ディック・スレーター
- ボビー・ジャガーズ
- ハンス・シュローダー
- ニコライ・ボルコフ
- クリス・マルコフ
- キング・ジェームズ・バリアント
- ジン・アンダーソン
- オレイ・アンダーソン
脚注
[編集]- ^ a b “Alfred Hayes”. Online World of Wrestling. 2020年7月4日閲覧。
- ^ a b 『Gスピリッツ Vol.21』P64(2011年、辰巳出版、ISBN 4777809463)
- ^ a b “World Mid-Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
- ^ “IWE 1968 Dynamite Series”. Puroresu.com. 2015年5月16日閲覧。
- ^ a b “NWA Western States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年6月26日閲覧。
- ^ a b “NWA Western States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
- ^ a b “NWA World Tag Team Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
- ^ a b “International Tag Team Title [Maritime Provinces]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月16日閲覧。
- ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史(6)プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P155(1986年、ベースボール・マガジン社)
- ^ “AJPW 1976 NWA World Champion Series”. Puroresu.com. 2015年5月16日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Lord Alfred Hayes in 1977”. Wrestlingdata.com. 2015年5月16日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Lord Alfred Hayes in 1978”. Wrestlingdata.com. 2015年5月16日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Lord Alfred Hayes in 1979”. Wrestlingdata.com. 2015年5月16日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Lord Alfred Hayes in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年5月16日閲覧。
- ^ “The SLWC matches fought by Lord Alfred Hayes in 1979”. Wrestlingdata.com. 2015年12月6日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Lord Alfred Hayes in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年12月6日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Lord Alfred Hayes in 1981”. Wrestlingdata.com. 2015年5月16日閲覧。
- ^ “Friends remember Lord Alfred Hayes”. SLAM! Sports (July 25, 2005). 2009年12月10日閲覧。
- ^ a b c “Lord Al Hayes dead at 76”. SLAM! Sports (July 21, 2005). 2009年12月10日閲覧。
- ^ a b “Congratulations to the 2018 WWE Hall of Fame Legacy inductees”. WWE.com. 2018年4月7日閲覧。
- ^ “Lord Alfred Hayes”. Cagematch.net. 2022年6月11日閲覧。
- ^ “Lord Alfred Hayes”. Wrestlingdata.com. 2022年6月11日閲覧。
外部リンク
[編集]- WWE Hall of Fame
- Online World of Wrestling
- ロード・アルフレッド・ヘイズのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database