レイジング・スタッフ
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レイジング・スタッフは、かつて新日本プロレスで活動していたヒールユニット。旧ユニット名はブロンド・アウトローズ。
略歴
[編集]1989年秋、後藤達俊が髪を金髪にし、ヒールに転身。ヒロ斎藤、保永昇男と結託してブロンド・アウトローズを名乗る(名付け親は坂口征二であるとヒロが述懐している[1])。翌1990年初頭にスーパー・ストロング・マシンが合流し、4人のチームとなる。同年12月には、マシンと斎藤が馳浩・佐々木健介組を破り、第14代IWGPタッグ王座を奪取。
1992年3月、チーム名をレイジング・スタッフに改める。マシン以外のメンバーもマスクを被り(改称当初のみ。紫=マシン、赤=斎藤、緑=後藤、オレンジ=保永)、タイツにはイニシャルの「RS」を織り込んだロゴマークがあしらわれていた。
しかし1993年9月、マシンと後藤が方向性の違いから分裂した。マシンはWARに参戦、後藤も平成維震軍に加入する。残ったヒロ・保永もしばらくはレイジング・スタッフとして活動していたが、1995年2月、狼群団結成時にヒロ斉藤の加入もあり、自然消滅となった。
メンバー
[編集]サポートメンバー
[編集]参考資料
[編集]闘魂スペシャル VOL.74
脚注
[編集]- ^ “【ヒロ斎藤40周年ヒストリー】(21)「初の東京ドーム大会。第1試合に出場…1989・4・24」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年10月21日) 2019年10月21日閲覧。