フェリーあかしあ
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フェリーあかしあ | |
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基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 |
日本 フィリピン |
所有者 |
新日本海フェリー(1973-1988) en:Sulpicio Lines |
運用者 |
新日本海フェリー(1973-1988) en:Sulpicio Lines |
建造所 | 神田造船所[1] |
建造費 | 約27億円[2] |
航行区域 | 沿海[3] |
IMO番号 | 7313858 |
改名 | Filipina Princess(1988-) |
経歴 | |
起工 | 1972年11月28日[1] |
進水 | 1973年4月14日[1] |
竣工 | 1973年7月14日[1] |
就航 | 1973年7月 |
運航終了 | 1988年7月 |
要目 | |
総トン数 | 11,210トン[3] |
載貨重量 | 4,107.3kt[3] |
全長 | 180.5m[3] |
垂線間長 | 171.0m[3] |
型幅 | 26.4m[3] |
型深さ | 9.0m[3] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 川崎MAN V8V52/55 2基[3] |
最大出力 | 16,000PS×2基[3] |
定格出力 | 14,400PS×2基[1] |
最大速力 | 25.8ノット[3] |
航海速力 | 23.0ノット[3] |
航続距離 | 3,500海里[1] |
搭載人員 | 1,455名[3] |
旅客定員 | 1,387名[3] |
乗組員 | 68名[3] |
車両搭載数 | 大型トラック119台、乗用車150台[3] |
フェリーあかしあは、新日本海フェリーが運航していたフェリー。
概要
[編集]すずらん丸・フェリーはまなすに続く新日本海フェリーの第3船として神田造船所で建造された。1972年に建造されたフェリーはまなすより大型化し[2]、北海道方面のフェリー航路では初めて1万トンを越える総トン数となった[4]。すずらん丸・フェリーはまなすと同じく船首には遮浪ドームを装備するほか。船体中央上部にはダミーファンネルを設置。内部は2層吹き抜け構造のラウンジとした。
1973年7月の就航により舞鶴・敦賀 - 小樽航路は週6便の運航となった[5]。
新潟港への寄港の要望があり新日本海フェリーも寄港を要望していたが、新潟港のフェリーバースの整備・航路浚渫などインフラ整備が必要で、完了を待って運輸審議会により1974年5月16日に敦賀 - 新潟 - 小樽航路が認可され、本船は同年6月8日から新潟港への寄港を開始した[6]。
1988年7月にニューあかしあとの交代で海外売船されフィリピンのSulpicio LinesでFilipina Princessとして就航していたが、2011年に運航終了。その後解体された。
船内
[編集]- 客室[3]
- 特別室(計11名)
- 1等室(計148名)
- 特2等室(計203名)
- 2等室(計945名)
- ドライバー室(計80名)
- 設備[3]
- 羅針儀甲板
- 展望室2階
- A甲板
- 展望室
- B甲板
- 1等室
- 2等室
- エントランス
- 案内所
- 売店
- 泉水・噴水
- バー
- 食堂
- 麻雀ルーム
- 寿司コーナー
- C甲板
- 2等室
- ゲームコーナー
- ドライバールーム
- 乗用車搭載区域
- D甲板 - 車両搭載区域
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 新造船写真集 自動車航送旅客船フェリーあかしあ FERRY AKASHIA 新日本海フェリー株式会社 - 船の科学1973年10月号
- ^ a b さすがにジャンボ 新日本フェリー第三船がテスト航海 - 北海道新聞1973年7月16日朝刊
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 株式会社神田造船所設計部「フェリーあかしあ"について」 - 船の科学1973年10月号
- ^ ようこそ一万二千トン フェリーあかしあ処女航海、小樽入り - 北海道新聞1973年7月17日夕刊
- ^ “新日本海フェリー 会社案内 沿革”. 新日本海フェリー. 2015年10月31日閲覧。
- ^ 世界の艦船(1974年8月号,p146)