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フェリーあかしあ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェリーあかしあ
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
フィリピンの旗 フィリピン
所有者 新日本海フェリー(1973-1988)
en:Sulpicio Lines
運用者 新日本海フェリー(1973-1988)
en:Sulpicio Lines
建造所 神田造船所[1]
建造費 約27億円[2]
航行区域 沿海[3]
IMO番号 7313858
改名 Filipina Princess(1988-)
経歴
起工 1972年11月28日[1]
進水 1973年4月14日[1]
竣工 1973年7月14日[1]
就航 1973年7月
運航終了 1988年7月
要目
総トン数 11,210トン[3]
載貨重量 4,107.3kt[3]
全長 180.5m[3]
垂線間長 171.0m[3]
型幅 26.4m[3]
型深さ 9.0m[3]
機関方式 ディーゼル 
主機関 川崎MAN V8V52/55 2基[3]
最大出力 16,000PS×2基[3]
定格出力 14,400PS×2基[1]
最大速力 25.8ノット[3]
航海速力 23.0ノット[3]
航続距離 3,500海里[1]
搭載人員 1,455名[3]
旅客定員 1,387名[3]
乗組員 68名[3]
車両搭載数 大型トラック119台、乗用車150台[3]
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フェリーあかしあは、新日本海フェリーが運航していたフェリー

概要

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すずらん丸フェリーはまなすに続く新日本海フェリーの第3船として神田造船所で建造された。1972年に建造されたフェリーはまなすより大型化し[2]、北海道方面のフェリー航路では初めて1万トンを越える総トン数となった[4]。すずらん丸・フェリーはまなすと同じく船首には遮浪ドームを装備するほか。船体中央上部にはダミーファンネルを設置。内部は2層吹き抜け構造のラウンジとした。

1973年7月の就航により舞鶴・敦賀 - 小樽航路は週6便の運航となった[5]

新潟港への寄港の要望があり新日本海フェリーも寄港を要望していたが、新潟港のフェリーバースの整備・航路浚渫などインフラ整備が必要で、完了を待って運輸審議会により1974年5月16日に敦賀 - 新潟 - 小樽航路が認可され、本船は同年6月8日から新潟港への寄港を開始した[6]

1988年7月にニューあかしあとの交代で海外売船されフィリピンSulpicio LinesFilipina Princessとして就航していたが、2011年に運航終了。その後解体された。

船内

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客室[3]
  • 特別室(計11名)
  • 1等室(計148名)
  • 特2等室(計203名)
  • 2等室(計945名)
  • ドライバー室(計80名)
設備[3]
  • 羅針儀甲板
    • 展望室2階
  • A甲板
    • 展望室
  • B甲板
    • 1等室
    • 2等室
    • エントランス
    • 案内所
    • 売店
    • 泉水・噴水
    • バー
    • 食堂
    • 麻雀ルーム
    • 寿司コーナー
  • C甲板
    • 2等室
    • ゲームコーナー
    • ドライバールーム
    • 乗用車搭載区域
  • D甲板 - 車両搭載区域

脚注

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  1. ^ a b c d e f 新造船写真集 自動車航送旅客船フェリーあかしあ FERRY AKASHIA 新日本海フェリー株式会社 - 船の科学1973年10月号
  2. ^ a b さすがにジャンボ 新日本フェリー第三船がテスト航海 - 北海道新聞1973年7月16日朝刊
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 株式会社神田造船所設計部「フェリーあかしあ"について」 - 船の科学1973年10月号
  4. ^ ようこそ一万二千トン フェリーあかしあ処女航海、小樽入り - 北海道新聞1973年7月17日夕刊
  5. ^ 新日本海フェリー 会社案内 沿革”. 新日本海フェリー. 2015年10月31日閲覧。
  6. ^ 世界の艦船(1974年8月号,p146)