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ピカソの遺言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピカソの遺言
ポール・マッカートニー&ウイングス楽曲
収録アルバムバンド・オン・ザ・ラン
リリース1973年12月7日
録音1973年9月-10月
ナイジェリアラゴス
ジャンルエクスペリメンタルロック
時間5:50
レーベルアップル・レコード
作詞者ポール・マッカートニー
リンダ・マッカートニー
プロデュースポール・マッカートニー
バンド・オン・ザ・ラン 収録曲
A面
  1. バンド・オン・ザ・ラン
  2. ジェット
  3. ブルーバード
  4. ミセス・ヴァンデビルト
  5. レット・ミー・ロール・イット
B面
  1. マムーニア
  2. ノー・ワーズ
  3. ピカソの遺言
  4. 1985年

ピカソの遺言」(Picasso's Last Words (Drink to Me))は、ポール・マッカートニーによる楽曲。1973年のウイングスのアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』に収録された。ライヴバージョンは『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』に収録された。2007年に、ウイングスのメンバーであったデニー・レインのアルバム『Performs the Hits of Wings』でカバーしている[1]

作曲

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2010年11月に再発された『バンド・オン・ザ・ラン』のプロモーションとして放送されたイギリスのITV1によるテレビ番組「Wings: Band on the Run」でのインタビューで、ポールはジャマイカモンテゴ・ベイでの休暇の際に、映画『パピヨン』の撮影セットに「潜入」し、ダスティン・ホフマンスティーブ・マックィーンに会ったという。ホフマンとの夕食の後にポールがギターを弾いていたところ、ポールが「何にでも」ついてすぐに曲を作れるとは信じていなかったホフマンは、雑誌を引き抜き、そこに載っていたパブロ・ピカソの死と彼の有名な最期の言葉

Drink to me, drink to my health. You know I can't drink anymore.
(私のために、私の健康のために飲んでくれ。知ってるだろう、私はもう飲めないんだ。)

から作るように提案、するとポールは即座に曲を完成してしまった。ホフマンは妻アン・バーンに対して「…見て、彼はやってるよ…彼はやっているよ!」と興奮したという[2]

レコーディング

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ナイジェリアラゴスで『バンド・オン・ザ・ラン』を録音している間に、ウイングスはイケジャの郊外にあるジンジャー・ベイカーのARCスタジオに招待された。ベイカーはポールにここでアルバム全てのレコーディングをしたらいいと提案したが、ポールは気が進まず、そこで1日を過ごすことについて同意した。「ピカソの遺言」はその間に録音された。ベイカーも録音に参加し、砂利でいっぱいのブリキ缶をパーカッションとして演奏した[3]

パーソナル

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参照

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  1. ^ Performs the Hits of Wings”. Allmusic. 28 December 2011閲覧。
  2. ^ Presenters: Dermot O'Leary (2010年10月31日). "Wings: Band on the Run". Paul McCartney and Wings: Band on the Run. ITV. ITV1. 2012年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  3. ^ Lewisohn, Mark "Band on the Run - 25th Anniversary Edition; The Recording of Band on the Run" Parlophone (4 99176 2).