ピカソの遺言
「ピカソの遺言」 | |||||||
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ポール・マッカートニー&ウイングスの楽曲 | |||||||
収録アルバム | 『バンド・オン・ザ・ラン』 | ||||||
リリース | 1973年12月7日 | ||||||
録音 | 1973年9月-10月 ナイジェリア、ラゴス | ||||||
ジャンル | エクスペリメンタルロック | ||||||
時間 | 5:50 | ||||||
レーベル | アップル・レコード | ||||||
作詞者 | ポール・マッカートニー リンダ・マッカートニー | ||||||
プロデュース | ポール・マッカートニー | ||||||
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「ピカソの遺言」(Picasso's Last Words (Drink to Me))は、ポール・マッカートニーによる楽曲。1973年のウイングスのアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』に収録された。ライヴバージョンは『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』に収録された。2007年に、ウイングスのメンバーであったデニー・レインのアルバム『Performs the Hits of Wings』でカバーしている[1]。
作曲
[編集]2010年11月に再発された『バンド・オン・ザ・ラン』のプロモーションとして放送されたイギリスのITV1によるテレビ番組「Wings: Band on the Run」でのインタビューで、ポールはジャマイカのモンテゴ・ベイでの休暇の際に、映画『パピヨン』の撮影セットに「潜入」し、ダスティン・ホフマンとスティーブ・マックィーンに会ったという。ホフマンとの夕食の後にポールがギターを弾いていたところ、ポールが「何にでも」ついてすぐに曲を作れるとは信じていなかったホフマンは、雑誌を引き抜き、そこに載っていたパブロ・ピカソの死と彼の有名な最期の言葉
Drink to me, drink to my health. You know I can't drink anymore.
(私のために、私の健康のために飲んでくれ。知ってるだろう、私はもう飲めないんだ。)
から作るように提案、するとポールは即座に曲を完成してしまった。ホフマンは妻アン・バーンに対して「…見て、彼はやってるよ…彼はやっているよ!」と興奮したという[2]。
レコーディング
[編集]ナイジェリアのラゴスで『バンド・オン・ザ・ラン』を録音している間に、ウイングスはイケジャの郊外にあるジンジャー・ベイカーのARCスタジオに招待された。ベイカーはポールにここでアルバム全てのレコーディングをしたらいいと提案したが、ポールは気が進まず、そこで1日を過ごすことについて同意した。「ピカソの遺言」はその間に録音された。ベイカーも録音に参加し、砂利でいっぱいのブリキ缶をパーカッションとして演奏した[3]。
パーソナル
[編集]- ポール・マッカートニー - リードボーカル, ギター, ベース, ドラムス
- リンダ・マッカートニー - バックボーカル
- デニー・レイン - リードボーカル, ギター
- ジンジャー・ベイカー - パーカッション
参照
[編集]- ^ “Performs the Hits of Wings”. Allmusic. 28 December 2011閲覧。
- ^ Presenters: Dermot O'Leary (2010年10月31日). "Wings: Band on the Run". Paul McCartney and Wings: Band on the Run. ITV. ITV1. 2012年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ Lewisohn, Mark "Band on the Run - 25th Anniversary Edition; The Recording of Band on the Run" Parlophone (4 99176 2).