スモール・フェイセス
スモール・フェイセス | |
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1965年撮影。左からスティーヴ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、ジミー・ウィンストン。 | |
基本情報 | |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル | |
公式サイト |
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旧メンバー |
スモール・フェイセス (Small Faces)は、1960年代に活動したイングランドのロック・バンド。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーと共に「イギリスのビッグ4」の一つに挙げられる[2]。
経歴
[編集]1965年、スティーヴ・マリオット(ギター、ヴォーカル)、ロニー・レーン(ベース・ギター、ヴォーカル)、ケニー・ジョーンズ(ドラムス)、ジミー・ウィンストン(キーボード)の4人で結成された。1966年にウィンストンが脱退しイアン・マクレガンが後任となった[1]。
結成まで
[編集]マリオットはロンドンのイーストエンドで生まれ育った。彼は子役俳優としてミュージカル『オリバー!』のアートフル・ドジャー役で有名になり、10代初期に2本の映画に出演した。1本はピーター・セラーズとの共演であった。俳優業の傍ら、ソロ・シングルやスティーヴ・マリオット&ザ・モーメンツ名義でのシングルを発表するが、いずれも不発。
1965年、マリオットはロニー・レーンに出会った。彼はマナー・パークのJ60 ミュージック・バーで働いており、そこにレーンが父親のスタンと共にベース・ギターを買いに訪れた。彼等は会話し、ベースを買ったレーンはマリオットが仕事を終えた後、レコードを聴きに彼の家を訪れた。バンドの核は、その夜に誕生した。バンド名は、マリオット、レーン、ジョーンズの3人が小柄(Small)だったことと、シーンの顔役という意味を込めた「Face」が由来[2]。
デッカ・レコード時代
[編集]1965年、デッカレコードからデビュー・シングル「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット」を発表。第二弾の「アイヴ・ゴット・マイン」はチャート入りしなかった。ウィンストンが脱退し、元ザ・ミュールスキナーズのメンバーで経験豊富なイアン・マクレガンが加入した。
1966年1月、シングル「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」がイギリスでのメジャー・ヒットとなった。同年発表したファースト・アルバム『スモール・フェイセス』は、全英アルバムチャートで最高位3位を記録[3]。シングル「オール・オア・ナッシング」が全英シングルチャートで第1位を獲得[4]。
しかし契約上の問題などからデッカ・レコードとの関係が悪化し、彼等は移籍を検討し始めた。
イミディエイト・レコード時代
[編集]1967年2月、彼等はアンドリュー・ルーグ・オールダムのイミディエイト・レコードに移籍した。マリオットとレーンは、イミディエイトに在籍するクリス・ファーロウに「マイ・ウェイ・オブ・ギヴィング」を提供していたので、契約の手続きは円滑に進行した。
同年6月に発表された移籍第1弾のアルバム『スモール・フェイセス』[注釈 1]は全収録曲がオリジナルの楽曲で、バンドとしての進歩を見せて成功を収めた。一方、デッカは4ヶ月前の同年2月に、移籍に対する報復として編集アルバム『フロム・ザ・ビギニング』[注釈 2]を発表。同時期に2作のアルバムがヒットするという事態となった。
その後も、「イチクー・パーク」(全英3位)[5]、「ティン・ソルジャー」(全英9位)[6]が立て続けにヒット。前者は全米16位[7]、後者は73位[7]を記録し、彼等はこの2曲で初の全米チャート・インを果たした。
1968年5月、コンセプト・アルバムの一つに挙げられる『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』を発表。同作は全英アルバムチャートの1位を連続6週間記録した。
マリオットの脱退とフェイセズへの移行
[編集]1968年、マリオットは元ザ・ハードのピーター・フランプトン(ギター、ヴォーカル)をメンバーに迎え入れることを提案したが、レーンとマクレガンに猛反対された[8]。同年大晦日、彼等はゲストにアレクシス・コーナーを迎えてアレクサンドラ・パレスでコンサートを行なうが、マリオットは途中でステージを降りてしまった[9]。彼は楽屋で激怒するメンバーにむかって脱退を宣言し、翌1969年にフランプトンらとハンブル・パイを結成。彼等はブルー・アイド・ソウル、ゴスペル色を強めたアルバムを発表し、好評を得た。
残ったレーン、マクレガン、ジョーンズは、ジェフ・ベック・グループを解雇されたロッド・スチュワート(ヴォーカル)、ロン・ウッド(ギター)を迎えてクワイエット・メロンとして再出発。彼等は数ヶ月後にフェイセズと改名し、1975年に解散するまで「玉つきリチャード」「ステイ・ウィズ・ミー」などをヒットさせた[注釈 3]。
その後
[編集]1976年、「イチクー・パーク」のリバイバル・ヒットがきっかけでレーン以外の3人が集まり、スモール・フェイセスを再結成。リック・ウィルス(ベース)を迎えて[10]1977年に『プレイメイツ』、1978年にはジミー・マカロック(ギター)を迎えて[11]『78イン・ザ・シェイド』を発表。
レーンはスリム・チャンスを率いて活動していたので、スモール・フェイセスの再結成には参加しなかった。彼はやがて多発性硬化症という難病を発症。1981年にはマリオットと再会し、互いの曲を持ち寄ってレコーディングを楽しんだ。この音源は2000年に『マジック・ミジッツ』(Majik Mijits)というタイトルでCD化された。
1991年4月、マリオットは海外旅行からエセックスの自宅に帰宅して就寝中、寝タバコが原因の火災で焼死。44歳没。
1997年6月、レーン病没。51歳没。
2014年12月、マクレガン病没。69歳没。
影響
[編集]スモール・フェイセスはデビュー当時、ザ・フーと並んでにモッズに人気があった。ザ・フーのメンバーとは異なり、彼等自身もかつてはモッズだった[12]。
ポール・ウェラーは、スモール・フェイセスの熱心な愛聴者で、レーンの闘病生活の支援にも携わった。2001年にはマリオットのトリビュート・コンサートに参加して、ノエル・ギャラガー(オアシス)、マクレガン、ジョーンズと共演した。
ジョン・サイクス率いるヘヴィメタル・バンド、ブルー・マーダーは、アルバム『ナッシング・バット・トラブル』で「イチクー・パーク」をカヴァーした。
メンバー
[編集]- スティーヴ・マリオット (Steve Marriott) - ギター、ボーカル ※44歳死去。
- ロニー・レーン (Ronnie Lane) - ベース、ボーカル、ギター ※51歳死去。
- ケニー・ジョーンズ (Kenney Jones) - ドラムス
- イアン・マクレガン (Ian McLagan) - キーボード、ボーカル、ギター ※69歳死去[13]。
- ジミー・ウィンストン (Jimmy Winston) - キーボード ※75歳死去。
- ジミー・マカロック (Jimmy McCulloch) - ギター ※26歳死去。
- リック・ウィルス (Rick Wills) - ベース
タイムライン
[編集]ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『スモール・フェイセス』 - Small Faces (1966年、Decca LK4790)
- 『スモール・フェイセス』 - Small Faces (1967年、Immediate IMLP008)
- 『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』 - Ogdens' Nut Gone Flake (1968年、Immediate IMSP012)
- 『プレイメイツ』 - Playmates (1977年、Atlantic SD19113)
- 『78イン・ザ・シェイド』 - 78 In The Shade (1978年、Atlantic SD19171)
コンピレーション・アルバム
[編集]- 『フロム・ザ・ビギニング』 - From The Beginning (1967年、Decca LK4879)
- 『イン・メモリアム』 - In Memoriam (1969年、Immediate(German) 1C 048-90 201)
- 『オータム・ストーン』 - The Autumn Stone (1969年、Immediate)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d Eder, Bruce. Small Faces Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023年5月13日閲覧。
- ^ a b キース・カフーン (2021年11月12日). “フェイセズ、その華やかかつ複雑な軌跡(The Fabulous and Fractured Faces)”. Mikiki. タワーレコード. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “Official Albums Chart Top 30 (05 June 1966 - 11 June 1966)”. Official Charts Company. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “Official Singles Chart Top 50 (15 September 1966 - 21 September 1966)”. Official Charts Company. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “Official Singles Chart Top 50 (20 September 1967 - 26 September 1967)”. Official Charts Company. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “Official Singles Chart Top 50 (24 January 1968 - 30 January 1968)”. Official Charts Company. 2023年5月13日閲覧。
- ^ a b “Faces Chart History (Billboard Hot 100)”. Billboard. 2023年5月13日閲覧。
- ^ Jones (2019), p. 176.
- ^ Jones (2019), pp. 177–178.
- ^ Jones (2019), p. 236.
- ^ Jones (2019), p. 240.
- ^ Jones (2019), pp. 22–23, 24–25, 45.
- ^ “スモール・フェイセス、イアン・マクレガンが急逝”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2014年12月4日). 2023年5月13日閲覧。
引用文献
[編集]- Jones, Kenney (2019). Let The Good Times Roll. London: Blink Publishing. ISBN 9781911600664