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17区 (パリ)

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パリ17区から転送)
パリ・17区の位置
地図
パリ・17区の位置

パリ17区 (17く、: 17e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである[1]。第17区、パリ17区ともいう。市の北西部にあり、セーヌ川の北側に位置している。

概要

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パリの17区は、市の北西部にある行政区。「バティニョール=モンソー区 (Arrondissement de Batignolles-Monceau)」と呼ばれることもある[2]セーヌ川の北の地域にある。北から西にかけて、ペリフェリック (パリ環状道路)に沿う形で市の境界線が敷かれており、北の一部がセーヌ=サン=ドニ県に接しているほかは、オー=ド=セーヌ県に接している。人口は、160,860人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。

シテ・デ・フルー(ル) (Cité des Fleurs) のメゾン

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその17番目にあたることから、「17区」と名づけられた。17区の主要な施設としては、パレ・デ・コングレエコール・ノルマル音楽院(音楽師範学校)バティニョール公園などのほか、8区16区との境界に凱旋門がある。

16区や8区等に接する西側地域は一般住宅街、あるいは"プチ高級住宅街"とされているが、セーヌ=サン=ドニ県と接する東部地域周辺に差し掛かると18区同様、移民等"バンリューの問題"に突き当たることとなる。

地理

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パリ・17区の概略図

17区は、パリの北西部に位置しており、"芸術の街・モンマルトルの丘"がある18区の真西にあたる。セーヌ川の北の地域にある[3]。面積は、5.67 平方キロメートル。

北から西にかけて、ペリフェリックに沿う形で斜めに市の境界線が敷かれており、北のやや東寄りではセーヌ=サン=ドニ県自治体であるサントゥアンに接し、北のやや西寄りから西にかけてはオー=ド=セーヌ県の各自治体、北はクリシー、北西はルヴァロワ=ペレ、西はヌイイ=シュル=セーヌに接している。南は、シャルル・ド・ゴール広場以東は同じパリの行政区である8区(境目にあるモンソー公園は8区に属する)に、以西は16区に接している。東は18区に接している。

凱旋門から16区と17区の境界線を走るグランダルメ大通り、そしてラ・デファンスの眺め
ヴィリエ大通り (Avenue de Villiers)、6月

隣接する自治体(行政区)

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地区(カルチェ)

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パリ・17区のカルチエ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。17区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

住民

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人口

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17区の人口は、1954年に231,987人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年にはピーク時の7割程度の160,860人となった。2005年の推計では160,300人と見積もられており、人口の更なる減少が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の7割程度の28,375人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 101,804 1,851,792 5.50% 17,958 21,303
1954年 231,987 2,850,189 8.14% 40,922 32,788 人口がピークに達する。
1962年 227,687 2,790,091 8.16% 40,164 32,097
1968年 210,299 2,590,771 8.12% 37,096 29,804
1975年 186,293 2,299,830 8.10% 32,862 26,457
1982年 169,513 2,176,243 7.79% 29,902 25,035
1990年 161,935 2,152,423 7.52% 28,565 24,761
1999年 160,860 2,125,246 7.57% 28,375 24,449
2005年 160,300 2,166,200 7.40% 28,277 24,920 人口は推計。


歴史

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政治・行政・司法

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主な官公庁・公共機関

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経済

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主な企業

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生活

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墓地等

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教育

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リセ・カルノ(Lycée Carnot)の前身エコール・モンジュ時代、1875-77年にギュスターヴ・エッフェルが建設したル・アル・エッフェル (Le hall Eiffel)

大学等

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高等学校等

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宿泊施設

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主な宿泊施設

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文化施設

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美術館・博物館

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映画館・劇場

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その他

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宗教施設

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教会・寺院

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観光・憩い

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建築

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公園・緑地等

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交通

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鉄道

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高速道路・有料道路

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道路

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広場・交差点

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パリの「広場(プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分はオベリスク緑地等に利用されている場合もある。17区の広場や交差点には、次のようなものがある。

著名な居住者

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貴族・聖職者

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政治

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学者

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文化

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芸能

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その他

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著名な出身者

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政治家・貴族

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芸能

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その他ゆかりある人物

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脚注

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  1. ^ フランス語の 「17e 」 = 「dix-septième 」 は、英語の「seventeenth 」 に相当する序数。「第17の」 「17番目の」を意味する。したがって、原語の「17e arrondissement 」を直訳すると「第17区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ セーヌ川右岸の地域にあたる。
  4. ^ 明治元年11月(1869年)に水戸藩第11代最後の藩主に就いた。それ以前の幕末から維新草創期に仏留学中の慶応3年5月(1867年)から3か月間、凱旋門近くフォッシュ街界隈ペルゴレーズ街 (Rue Pergolèse) 53番地のロシア貴族邸を借り住居とした(徳川慶喜・昭武関係年表一 松戸市教育委員会生涯学習部 戸定歴史館)。その8年後の明治11年(1878年)に再び仏留学をし、前回の国賓待遇とはうって変わってパンテオン近くパリ5区エストラパッド街 (Rue de l'Estrapade) に居住し、パリ17区にあるエコール・モンジュ(現リセ・カルノ)に通った(徳川慶喜・昭武関係年表二 松戸市教育委員会生涯学習部 戸定歴史館)。
  5. ^ Paris-Skyscrapers.fr. “Paris (Les plus hauts immeubles de la ville)” (仏語) 2008年8月21日閲覧.
  6. ^ www.docufox.hu, Docufox Kft. "Munkácsy Mihály Múzeum". www.munkacsy.hu. 2017年2月19日閲覧
  7. ^ Anne Vidalie, « Patrimoine : demeure de maître pour Villepin », L'Express, 22 février 2012, www.lexpress.fr.
  8. ^ Jacques Hillairet, Dictionnaire historique des rues de Paris, Paris, Les Éditions de Minuit, 1972, 1985, 1991, 1997 , etc. (1re éd. 1960), p. 647
  9. ^ (en) Franz Liszt, The Letters of Franz Liszt to Olga Von Meyendorff, 1871-1886, in the Mildred Bliss Collection at Dumbarton Oaks, Dumbarton Oaks,‎ , 532 p. (ISBN 978-0-88402-078-3, présentation en ligne).
  10. ^ 地球の歩き方編集室編『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.216.
  11. ^ Orenstein (1989), lettre aux Godebski, p.57, novembre 1908.
  12. ^ 以下引用 "De la fenêtre du salon, on découvrait l'Arc de Triomphe. Aux murs, recouverts d'un papier moiré, un beau portrait du père de l'artiste par Marcelin Desboutin, une gouache de Paul Sordes et deux estampes japonaises. Rien n'indiquait au visiteur l'habitation d'un compositeur de musique. Ce magicien aimait à escamoter jusqu'à l'appareil de ses tours. Il était rare que l'on vît traîner un crayon ou une feuille de papier réglé sur la table ou sur le piano, lequel était presque toujours fermé.(自宅からは凱旋門が見え、壁はモアレ紙で覆われ、マルスラン・デブータンによる芸術の父の美しい肖像画、ポール・ソルド(fr)のガッシュと2枚の日本の浮世絵が掛かっていた。この"魔術師"は、訪問者に自らの芸当の器材をはぐらかし隠すのを好んだ。たいてい閉じられたビアノやテーブルの上に楽譜や鉛筆を置いておくことはなかった。)"
    以上の引用は、Colette, et al. Maurice-Ravel par quelques-uns de ses familiers, Tambourinaire,‎ より。
    オンライン上の"カルノ大通り4番地" を参照 (lire passage en ligne sur "le 4, avenue Carnot") の場合は以下、"extraits en ligne" (フランス語). 2014年9月4日閲覧
  13. ^ ヴィリエ大通り98番地を南に下ったマルゼルブ大通りと交差するモンソー公園北側ジェネラル=カトルー広場に標識と銅像があり、同様に「(デュマ・フィスの祖父の)アレクサンドル・デュマの奴隷を想起させる鉄鎖の像」「(デュマ・フィスの父の)アレクサンドル・デュマ・ペール三銃士の銅像」が建つ。また、同広場にはサラ・ベルナールの銅像もある (Panneau Histoire de Parisの記事にある「place du Général-Catroux」を参照。マルゼルブ大通りと合流交差する界隈にある (À l'angle avec le boulevard Malesherbes.)。
  14. ^ « La très chic rue Fortuny », 11 novembre 2010, www.lepoint.fr.
  15. ^ 以下引用 "J'occupais alors tous mon temps à surveiller la construction d'un joli hôtel que je me faisais bâtir au coin de l'avenue de Villiers et de la rue Fortuny. […] Le gendre de Monsieur Régnier, Félix Escalier, architecte très à la mode, me construisit un ravissant hôtel. Rien ne m'amusait plus que d'aller dès le matin avec lui sur les chantiers. […] Je dépensais mes forces à aider mes amis peintres qui faisaient des plafonds dans ma chambre, dans ma salle à manger, dans mon hall : Georges Clairin, l'architecte Escalier qui était en même temps peintre de talent, Duez, Picard, Butin, Jadin et Perrot."
    以上の引用は、Sarah Bernhardt, Ma double vie. Mémoires, Paris, E. Fasquelle, 1907, p. 354, online より。

参考文献

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  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目

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外部リンク

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