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シルヴィオ・クレメンテッリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Silvio Clementelli
シルヴィオ・クレメンテッリ
生年月日 (1926-10-28) 1926年10月28日
没年月日 (2001-12-04) 2001年12月4日(75歳没)
死没地 イタリアの旗 イタリア ローマ
職業 映画プロデューサー
ジャンル イタリア式コメディ
配偶者 アンナ・マリア・クレメンテッリ
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シルヴィオ・クレメンテッリSilvio Clementelli, 1926年10月28日 - 2001年12月4日 ローマ)は、イタリア映画プロデューサーである。「イタリア式コメディ」の重要人物である。

来歴・人物

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1926年10月28日に生まれる。1949年、23歳のとき、ステーノ監督のデビュー作でもある『トト、家を探す Totò cerca casa』(日本未公開)の製作主任として、はじめて名をクレジットされる。マリオ・モニチェリとステーノの共同監督作『犬の生活 Vita da cani』(製作カルロ・ポンティ、1950年、日本未公開)では助監督を経験した。

アテナ・チネマトグラフィカ社での製作主任を経て、同社で、伊仏合作の音楽映画『あいさつしてキス Saluti e baci』(日本未公開)をプロデュースすることになる。1953年8月14日、27歳を目前にして、はじめてプロデュースした同作がイタリアで公開、フランスでは同年9月4日コシノール社(フランソワ・トリュフォーの義父の経営する会社)配給によって公開される。

ティタヌス社に移り、ふたたび製作主任を経てプロデューサーとなり、1957年、同世代の批評家でいくつか脚本も手がけていたパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレの書いた小説『祖母サベッラ La nonna Sabella』(日本未公開)をディーノ・リージ監督によって映画化、さらに同年カンパニーレとマッシモ・フランチオーザの書いた脚本をもとにリージが監督した『美しいが貧しい娘たち』が大ヒット、つづいて2作のシリーズものをプロデュースする。ディーノ・リージを中心に1960年代の「イタリア式コメディ」を多数つくる。またフランス、アメリカとの合作映画もいくつか手がけた。

1966年[1]、40歳のときに、アンナ・マリア・カンパニーレ(のちのアンナ・マリア・クレメンテッリ)とともに映画製作会社「クレシ・チネマトグラフィカ」をローマに設立する。設立第一作はパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督、カトリーヌ・スパーク主演のコメディ映画『結婚戦争Il marito è mio e l'ammazzo quando mi pare (1966年、日本未公開)で、以降、同監督と組んでスパーク主演の『女性上位時代』(1968年)やラウラ・アントネッリ主演の『クロツグミの男』(1971年)といった艶笑コメディを量産した。

1970年代に入ると、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ作品の連打のほか、サルヴァトーレ・サンペリと組んで『青い体験』(1973年)をヒットさせ、一時代を築く。『神はわれらとともに Dio è con noi』(監督ジュリアーノ・モンタルド、1969年)で1971年度のナストロ・ダルジェント賞プロデューサー賞を受賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では1974年に特別賞、1987年には『インクアイリー 審問』(監督ダミアーノ・ダミアーニ)で、妻で共同プロデューサーのアンナ・マリア・クレメンテッリとともにアリタリア賞を受賞した[2]。1980年代にはテレビ映画を手がけた。1989年、第42回カンヌ国際映画祭の審査員をつとめた。

2001年12月4日、ローマで死去。75歳没。ジャッロ映画マカロニ・ウェスタンモンド映画の時代のプロデューサーであったが、クレメンテッリはそれらに手を染めず、「イタリア式コメディ」を基調とした恋愛もの、文芸もの、青春ものに徹した。

フィルモグラフィ

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本人クレジットのないものはプロデューサー

1950年代

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1960年代

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1970年代

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1980年代

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  • Odio le bionde 1980年 監督ジョルジョ・カピターニ
  • 虚空への跳躍 Salto nel vuoto 1980年 監督マルコ・ベロッキオ ※第33回カンヌ国際映画祭コンペティション部門上映作品
  • Piso pisello 1980年 監督ピーター・デル・モンテ
  • コロンブス/大いなる生涯 Christopher Columbus テレビ映画 1985年 監督アルベルト・ラットゥアーダ
  • インクアイリー 審問 L'inchiesta 1987年 監督ダミアーノ・ダミアーニ
  • E non se ne vogliono andare! テレビ映画 1988年 監督ジョルジョ・カピターニ
  • Una Casa a Roma テレビ映画 1988年 監督ブルーノ・コルティーニ
  • Malizia 2000 1992年 監督サルヴァトーレ・サンペリ

関連事項

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  1. ^ BFI | Film & TV Database | Clesi Cinematografica (2007年11月7日閲覧)には「1968年営業開始(Started trading: 1968)」とあるが、IMDbのClesi Cinematografica (2007年11月7日閲覧)によれば、「1966年」から作品を製作している。設立第一作を記述する都合上、後者「1966年」を採用した。
  2. ^ 受賞関連はAwards for Silvio Clementelliを参照した。2007年11月7日閲覧。

外部リンク

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