クレシ・チネマトグラフィカ
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
イタリア ローマ県ローマ市フランチェスコ・カラーラ通り24番地[1] |
設立 | 1966年 |
事業内容 | 映画の製作 |
代表者 | シルヴィオ・クレメンテッリ |
関係する人物 |
アンナ・マリア・クレメンテッリ パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ サルヴァトーレ・サンペリ |
クレシ・チネマトグラフィカ(Clesi Cinematografica, S.R.L)は、イタリアの映画製作会社である。
映画プロデューサーシルヴィオ・クレメンテッリとアンナ・マリア・カンパニーレ(のちのアンナ・マリア・クレメンテッリ)によってローマに設立された。1960年代後半から1970年代にかけてを最盛期として、「イタリア式コメディ」を量産した製作会社である。
来歴・概要
[編集]1966年[2]、シルヴィオ・クレメンテッリ、アンナ・マリア・カンパニーレのふたりがローマに設立した映画製作会社である。設立第一作はパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督、カトリーヌ・スパーク主演のコメディ映画『結婚戦争』(1966年、日本未公開)で、以降、同監督と組んでスパーク主演の『女性上位時代』(1968年)やラウラ・アントネッリ主演の『クロツグミの男』(1971年)といった艶笑コメディを量産した。
1977年から1992年までは、クレメンテッリ夫妻が連名で作品をプロデュースした。ジャッロ映画、マカロニ・ウェスタン、モンド映画にあって、同社はそれらに手を染めず、「イタリア式コメディ」を基調とした恋愛もの、文芸もの、歴史もの、青春ものに徹した。1992年の『青い体験2000』(日本未公開)以降、夫妻はプロデューサーとしては事実上引退したが、同社は映画製作をつづけた。2001年12月4日、シルヴィオがローマで死去(75歳没)。アンナ・マリアの現況は不明である。
フィルモグラフィ
[編集]1960年代
[編集]- 結婚戦争 Il marito è mio e l'ammazzo quando mi pare 1966年 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- Non faccio la guerra, faccio l'amore 1966年 監督フランコ・ロッシ
- Che notte, ragazzi! 1966年 監督ジョルジョ・カピターニ
- ブロンドの罠 La Blonde de Pékin 1967年 監督ニコラス・ジェスネル、プロデューサーレイモン・ダノン、ハンス・エッケルカンプ 仏伊独合作
- Sequestro di persona 1968年 監督ジャンフランコ・ミンゴッツィ
- 夜は盗みのために La Notte è fatta per... rubare 1968年 監督ジョルジョ・カピターニ
- 女性上位時代 La matriarca 1968年 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- La donna invisibile 1969年 監督パオロ・スピノーラ
- 神はわれらとともに Dio è con noi 1969年 監督ジュリアーノ・モンタルド
- ロザリオの悲しみ La Monaca di Monza 1969年 監督エリプランド・ヴィスコンティ
- ほんとのほんとの物語 Certo, certissimo... anzi probabile 1969年 監督マルチェロ・フォンダート
- Con quale amore con quanto amore 1969年 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
1970年代
[編集]- 女にしっぽがあったころ Quando le donne avevano la coda 1970年 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- Ninì Tirabusciò: la donna che inventò la mossa 1970年 監督マルチェロ・フォンダート
- クロツグミの男 Il merlo maschio 1971年 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- さらば美しき人 Addio, fratello crudele 1971年 監督ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ
- 女がしっぽをなくしたころ Quando le donne persero la coda 1971年 製作主任 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- 初夜権 Jus primae noctis 1972年 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- D'amore si muore 1972年 監督カルロ・カルンシオ
- Beati i ricchi 1972年 監督サルヴァトーレ・サンペリ
- 青い体験 Malizia 1973年 監督サルヴァトーレ・サンペリ
- 続・青い体験 Peccato veniale 1973年 監督サルヴァトーレ・サンペリ
- Le farò da padre 1973年 監督アルベルト・ラットゥアーダ
- SEX発電 Conviene far bene l'amore 1975年 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- ワールド・バイ・ナイトTODAY Mondo di notte oggi 1976年 監督ジャンニ・プロイア
- Marcia trionfale 1976年 監督マルコ・ベロッキオ
- スキャンダル Scandalo 1976年 監督サルヴァトーレ・サンペリ
- ルー・サロメ 善悪の彼岸 Al di là del bene e del male 1977年 監督リリアーナ・カヴァーニ
- 女教師ベニーナの性 Io sono mia 1977年 監督ソフィア・スカンデュラ
- L'Ingorgo - Una storia impossibile 1977年 監督ルイジ・コメンチーニ ※第32回カンヌ国際映画祭コンペティション部門上映作品
- エルネスト 美しき少年 Ernesto 1979年 監督サルヴァトーレ・サンペリ
1980年代
[編集]- Odio le bionde 1980年 監督ジョルジョ・カピターニ
- 虚空への跳躍 Salto nel vuoto 1980年 監督マルコ・ベロッキオ ※第33回カンヌ国際映画祭コンペティション部門上映作品
- Piso pisello 1980年 監督ピーター・デル・モンテ
- SFコンクエスト/魔界の制圧 La Conquista 1983年 監督ルチオ・フルチ、プロデューサージョヴァンニ・ディ・クレメンテ 伊スペイン・メキシコ合作
- コロンブス/大いなる生涯 Christopher Columbus テレビ映画 1985年 監督アルベルト・ラットゥアーダ(製作ロリマー・テレピクチャーズ)
- インクアイリー 審問 L'inchiesta 1987年 監督ダミアーノ・ダミアーニ
- L'Estate sta finendo 1987年 監督ブルーノ・コルティーニ
- La Città dei nostri sogni 1988年 監督ヴァレリオ・ジャロンゴ
- E non se ne vogliono andare! テレビ映画 1988年 監督ジョルジョ・カピターニ
- Una Casa a Roma テレビ映画 1988年 監督ブルーノ・コルティーニ
1990年代
[編集]- Feu sur le candidat 1990年 監督アニエス・ドラリヴ、プロデューサージャック・バール
- 青い体験2000 Malizia 2000 1992年 監督サルヴァトーレ・サンペリ
- Gangsters 1992年 監督マッシモ・グリエルミ、プロデューサージャンニ・ミネルヴィーニ
- Donne sottotetto 1992年 監督ロベルト・ジャンナレッリ、プロデューサーフランコ・コミッテリ
- Messaggi quasi segreti 1997年 監督ヴァレリオ・ジャロンゴ、プロデューサーカティ・マクギネス、カルロス・パジーニ・ハンセン、ドミニク・ライト 伊アイルランド合作
関連事項
[編集]脚注
[編集]- ^ clesicinematografica.visualnet.com [リンク切れ], 2007年11月7日閲覧。
- ^ BFI | Film & TV Database | Clesi Cinematografica (2007年11月7日閲覧)には「1968年営業開始(Started trading: 1968)」とあるが、IMDbのClesi Cinematografica (2007年11月7日閲覧)によれば、「1966年」から作品を製作している。設立第一作を記述する都合上、後者「1966年」を採用した。
外部リンク
[編集]- Clesi Cinematografica - Internet Movie Database
- Clesi Cinematografica Production - Internet Movie Database
- Clesi, S.R.L. - Internet Movie Database