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コスタ=ガヴラス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コスタ・ガヴラスから転送)
Costa-Gavras
コスタ=ガヴラス
コスタ=ガヴラス
本名 コンスタンディノス・ガヴラス
Κωνσταντίνος Γαβράς
Konstantínos Gavrás
生年月日 (1933-02-13) 1933年2月13日(91歳)
出生地 ギリシャの旗ギリシャ共和国
ルトラ・イレアス
国籍 ギリシャの旗 ギリシャフランスの旗 フランス
職業 映画監督脚本家
配偶者 ミッシェル・レイ=ガヴラス
著名な家族 ジュリー・ガヴラス(娘)
ロマン・ガヴラス(息子)
アレクサンドル・ガヴラス(息子)
受賞
アカデミー賞
脚色賞
1982年ミッシング
外国語映画賞
1969年Z
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1982年ミッシング
監督賞
1975年Section spéciale
審査員賞
1969年Z
ヴェネツィア国際映画祭
監督・ばんざい!賞
2019年部屋の中の大人たち
ベルリン国際映画祭
金熊賞
1990年ミュージックボックス
功労賞
2002年
ヨーロッパ映画賞
名誉賞
2018年
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1969年Z
英国アカデミー賞
脚本賞
1982年ミッシング
国連賞
1973年戒厳令
ゴールデングローブ賞
外国語映画賞
1969年Z
セザール賞
脚本賞
2002年ホロコースト -アドルフ・ヒトラーの洗礼-
その他の賞
備考
第58回ベルリン国際映画祭 審査委員長(2008年)
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コスタ=ガヴラス(Costa-Gavras、1933年2月13日 - )は、ギリシャ出身でフランスで活動する映画監督脚本家である。パルム・ドール金熊賞の2つの最高賞を受賞している。娘は『ぜんぶ、フィデルのせい』で長編デビューした映画監督、ジュリー・ガヴラス。息子のロマン・ガヴラスも映画監督。

来歴・人物

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1933年2月13日ギリシャアルカディア県のルトラ・イレアス(Λουτρών Ηραίας / Loutra-Iraias)で生まれる。第二次世界大戦中はペロポネソス半島で過ごし、終戦後はアテネで暮らす。ソルボンヌ大学で学んでいたが中退し、IDHEC(高等映画学院)で映画を学んだ。1958年に25歳で習作短篇を撮ったのち、1960年からアンリ・ヴェルヌイユジャック・ドゥミルネ・クレマンジャック・ベッケルらの助監督を経験した。1965年セバスチアン・ジャプリゾの小説『寝台車の殺人者』を原作にした長篇劇映画『七人目に賭ける男』で、監督としてデビューした[1]

政治的な題材をサスペンスタッチに描く作風を特色とし、1969年監督作品『Z』がアカデミー外国語映画賞カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。1972年『戒厳令』でルイ・デリュック賞を受賞。1982年、『ミッシング』でアカデミー脚色賞第35回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。1990年、『ミュージック・ボックス』で第40回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。1998年、永年の業績に対し第5回ルネ・クレール賞を受賞した。

中でも、『Z』、『告白』、『戒厳令』は、彼の“三部作”といわれる(3作ともイヴ・モンタン主演)。

1982年から1987年まで、また2007年以降シネマテーク・フランセーズの理事長を務めている。

2009年アテネ新アクロポリス博物館の依頼を受け、来場者のための「パルテノン神殿の破壊の歴史」を描いた1分40秒程度のフィルムを制作したが、その中のギリシャ正教徒が同神殿に梯子をかけて登り、彫刻を奪う場面が、ギリシャ正教会の圧力で削除された。彼はこの措置に「容認できない」と激しい抗議をしている[2]

2018年8月30日にはAP通信がガヴラスが死去したという情報をツイッター上で流し、それに他の報道機関も続く騒ぎとなったが、後に死亡情報を流した発信元がギリシャ文化省を名乗る偽のアカウントであったことが判明し、AP通信はツイートを削除した[3][4]。2019年、ドノスティア賞を受賞した。

主な監督作品

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参考文献

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外部リンク

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