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エリック・シンガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリック・シンガー
Eric Singer
ハリウッドにて (2012年3月)
基本情報
出生名 Eric Doyle Mensinger
生誕 (1958-05-12) 1958年5月12日(66歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オハイオ州 クリーブランド
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
グラムメタル
担当楽器 ドラムスボーカル
活動期間 1984年 - 現在
共同作業者 リタ・フォード
ゲイリー・ムーア
ブラック・サバス
バッドランズ
アリス・クーパー
キッス
Eric Singer Project
公式サイト Eric Singer.com

エリック・シンガーEric Singer1958年5月12日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド出身のロック・ミュージシャンドラマー

HR/HMの分野で幅広く活躍。非常に多くのミュージシャンと仕事をしているが、特にキッスでの活動で有名。

来歴

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素顔のエリック (2008年)
ブラック・サバス時代のエリック(1986年、右から2人目)
キッスでのプレイ (2013年)

1984年リタ・フォードのバックバンドの一員として、プロドラマーとしてのキャリアを開始。

1985年から1987年にかけてブラック・サバスで活動。『セヴンス・スター』と『エターナル・アイドル』の2枚のアルバムに参加した。

1987年にはブラック・サバスで共に仕事をしていたボブ・デイズリーの紹介により、ゲイリー・ムーア・バンドに参加。

1988年レイ・ギラン(ブラック・サバス時代のツアーで共演した)やジェイク・E・リーらとバッドランズを結成するが、アルバム1枚で脱退(1989年ポール・スタンレーキッス)のソロツアー参加のため)。その後アリス・クーパーのサポートを務める。

1991年に、病死したエリック・カーの後任としてキッスに加入。『リヴェンジ』(1992年)とライヴ盤『アライヴ3』(1993年)、『停電 (地獄の再会) 〜 Kiss アンプラグド』(1995年)、『カーニバル・オブ・ソウルズ』(1996年)に参加した。

1996年、キッスがメイクを復活させデビュー当時のラインナップに戻ったのに伴い、キッスを脱退。『リヴェンジ』に続くスタジオ・アルバムとなる予定だった『カーニバル・オブ・ソウルズ』は、一度は発売中止となったが、海賊盤対策のため1997年にようやく発表された。

1998年、キッス時代の盟友ブルース・キューリックや、元モトリー・クルーのジョン・コラビらと共にエリック・シンガー・プロジェクト (ESP)を立ち上げる。同年、ブライアン・メイのツアーに、コージー・パウエルの代役として参加。その後は、ギルビー・クラーク(元ガンズ・アンド・ローゼズ)やアリス・クーパーなどと共演。

2001年、キッスのオリジナルドラマー ピーター・クリスの脱退に伴い、ピーターのメイクをして再度キッスに復帰。

2003年ピーター・クリスのキッス復帰に伴い、再度キッスを脱退する。

2004年、キッスからピーター3度目の脱退により、キッスに3度目の加入。それ以降は再びキッスの固定メンバーとなる。

2005年、ブルース・キューリックのバンドであるユニオンのサポート・メンバーとして来日した。

2015年、キッス名義で東京ドーム公演に出演[1]

備考補足

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アリス・クーパー バンドでのプレイ (2008年)

最初のキッス加入時は、バンド自体がノーメイク時代であったために素顔だったが、復帰後はメイクバンドに戻っていたので、メイクを施すようになる。なお、メイクはオリジナル・メンバーのピーター・クリスと同じキャットマン模様である。

また2000年以降、キッスがツアーしていない時期は、キッスメンバーでありながら、それ以前から参加していたアリス・クーパーのバンドや、自身のEric Singer Projectなど外部の仕事もこなしている[2]

大の腕時計コレクターであり、高級時計界のアカデミー賞 「GPHG」(ジュネーブ時計グランプリ)の審査員として招かれている[3]

ディスコグラフィ

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Eric Singer Project
  • Lost and Spaced (1998)
  • ESP (1999)
  • ESP Live in Japan (2007)
  • ESP Live at the Marquee

脚注

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外部リンク

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