風の谷のナウシカ (映画)
風の谷のナウシカ | |
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Nausicaä of the Valley of the Wind | |
監督 | 宮崎駿 |
脚本 | 宮崎駿 |
原作 | 宮崎駿 |
製作 | 高畑勲 |
製作総指揮 |
徳間康快 近藤道生 |
出演者 |
島本須美 松田洋治 榊原良子 納谷悟朗 |
音楽 | 久石譲 |
撮影 | 白神孝始 |
編集 |
木田伴子 金子尚樹 酒井正次 |
制作会社 | トップクラフト |
製作会社 |
徳間書店 博報堂 |
配給 |
東映洋画 ニューワールド・ピクチャーズ ブエナ・ビスタ・インターナショナル Bir Film RUSCICO Cinema Mondo Oro Film Folkets Bio Entertainment One ファゾム・イベンツ/GKIDS |
公開 |
1984年3月11日 2020年6月26日(revival)[1] 1985年6月13日 1988年2月12日 2000年12月30日 2005年9月5日 2006年8月23日 2007年7月6日 2007年7月26日 2008年4月11日 2008年9月26日 2008年10月10日 2009年4月17日 2010年5月7日 2017年9月24日 |
上映時間 | 116分[2] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 7億4000万円[3] |
次作 | 天空の城ラピュタ |
『風の谷のナウシカ』(かぜのたにのナウシカ)は1984年に公開されたトップクラフト制作の日本のアニメーション映画。宮崎駿監督の長編アニメーション映画第2作。1982年に『アニメージュ』に連載していた宮崎の同名漫画(『風の谷のナウシカ』)を原作とする[4]。原作の単行本全7巻から見ると、序盤に当たる2巻目の途中まで連載された時点での作品で、内容も2巻66ページまでの映像化。映画公開後に連載を再開した漫画とは内容が異なる(後述)。
アニメージュを発行する徳間書店と広告代理店の博報堂による製作委員会方式で映画化され[5]、宮崎自身が監督・脚本を手がけた。高畑勲・鈴木敏夫・久石譲ら、のちのスタジオジブリ作品を支えるスタッフが顔を揃えている。
上映データ
公開日 / 上映時間 | 1984年(昭和59年)3月11日 / 116分27秒05コマ |
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サイズ | カラー/ワイドビスタ |
上映スクリーン数 | 東映洋画系90館 |
制作期間 | 1983年5月31日 - 1984年3月6日 |
作画枚数 / 使用色数 | 5万6078枚 / 263色 |
キャッチコピー | 「少女の愛が奇跡を呼んだ」[注 1]。 |
同時上映 | 「名探偵ホームズ」「青い紅玉(ルビー)の巻」「海底の財宝の巻」[注 2]。 |
あらすじ
かつて栄華を誇った地球の人類は星にまで行っていたとされる高度な文明を築き上げた。しかし今より千年前の「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により、巨大産業文明は崩壊し、錆とセラミック片に覆われた荒れた大地に「腐海 (ふかい) 」と呼ばれる「瘴気 (しょうき) (毒ガス) 」を発する巨大な菌類の森に世界は覆われていた。わずかに生き残った人類は、腐海が放つ猛毒とそこに棲む巨大な蟲 (むし) たちに脅かされ、衰退の一途を辿っていた。
辺境にある「風の谷」は海から吹く風によって森の毒から守られ、民は慎ましやかに農耕生活を送っていた。ある日、族長ジルの娘であるナウシカは、飛行具メーヴェに乗り腐海の森を散策していたところ、蟲封じの銃声 (鏑弾 (かぶらだま) (音を出す銃弾) の音) を聞く。誰かが蟲に襲われていると察したナウシカは、その人が腐海の奥に逃げようとしているのを、遠くの腐海の入り口付近から見て、狼煙弾 (のろしだま) (煙を出す銃弾) で合図を送り逃げ道を教え、腐海の外に出ても蟲が人の後を追うのを止めなかった為、光弾 (ひかりだま) (丸い閃光弾) と蟲笛 (むしぶえ) を使って「王蟲 (オーム) 」の怒りを鎮め、1人の男を救う。その男は、腐海の謎を解くため旅を続けていたナウシカの師、ユパだった。
ユパは、ナウシカが谷の民や城の守りにつく城オジたちから深く敬愛され、人々から恐れられている腐海の蟲とも心を通わせる優しい少女に成長していたことに驚きつつも、互いの久々の再会を喜ぶ。風の谷に帰還したユパとナウシカはその夜、大ババから「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結びついに人々を青き清浄の地に導かん。」という、風の谷の古い言い伝えを聞く。
夜明け近く、嵐が強まる頃、突如轟音と共に大国トルメキアの大型輸送船が城の真上に出現。大型船は蟲に襲われて制御を失い、不時着を試みるも崖に突っ込み風の谷に墜落する。ナウシカは燃える大型船からペジテ市の王女ラステルと名乗る少女を救い出すが、少女は「積荷を燃やして」と言い残し息絶える。大型船の積荷には、千年前に世界を焼き尽くしたという巨大人型兵器「巨神兵 (きょしんへい) 」の胚が積まれていた。
トルメキア軍司令官である皇女クシャナは、巨神兵で腐海を焼き払うことを目論んでおり、大型船が撃墜されたとみて風の谷へ侵攻する。その過程でジルを銃殺し、怒りに我を忘れたナウシカと部下たちとの間で乱闘騒ぎが起こる。ユパの介入で騒ぎは鎮められたものの、相手に逆らう余地はなく、本国へ運ぶつもりだった巨神兵の輸送を諦めて未完成の巨神兵を風の谷で完成させる方針が固まったことにより、谷はクシャナの支配下に置かれることとなる。
捕虜となったナウシカはトルメキアの輸送機でぺジテ市へ護送される途中、突然現れた戦闘機・ガンシップの攻撃により大きな損害を受ける。輸送機や護衛のコルベットが応戦するが次々と撃墜されていき、コルベットがガンシップを撃墜するものの、ナウシカらが乗る輸送機も被弾し落下する。ナウシカは輸送機に積まれていた風の谷のガンシップでクシャナとともに脱出し、腐海に不時着する。ナウシカは王蟲から、無言のうちにガンシップのパイロットの少年が生きて腐海をさ迷っていることを知らされ[6]、蟲達の群れを追って少年を救出する為、ワイヤーが切れ同じく腐海に不時着した風の谷の貨物機・バージで人質として同行していた城オジたちに「1時間後に戻らなければ谷に帰れ」と言い残して単身メーヴェでその場を離れる。ナウシカは墜落後に地蟲と翅蟲から逃げ回っていた少年をすんでのところで救い出すが、翅蟲の体当たりを受けてメーヴェの体勢を崩し地面に落下し彼女は気絶して、少年と共に流砂に飲み込まれ腐海の奥底に落ちてしまう。過去に幼い彼女が王蟲の幼生と遊んでいたが、彼女の前で大人達が幼生を捕まえてしまった夢を見て、その夢から覚めたナウシカは腐海の底に広がる清浄な空間の水と砂が、城の地下で自分が腐海植物を育てるのに使っていた井戸水と井戸の底の砂と同じであることから、腐海が毒素に満ちた大地を浄化するために存在しているという確信を抱く。そして先ほど助けた少年―ぺジテのアスベルと再会し、彼が大型船の墜落事故で死去した少女ラステルの兄だったことを知る。
一路アスベルの故郷であるぺジテ市へ向かった2人であったが、町は大量の蟲の死骸に覆われ破壊されつくしていた。トルメキア軍と蟲との激戦の跡や、アスベルが以前から聞いていたトルメキアを追い払う計画から2人は、ぺジテ市に残留していたトルメキア軍を打倒するため、ぺジテの民が蟲を利用して町ごと襲わせていたことを悟る。愕然とし憤るアスベルを他所に、トルメキアに奪われた巨神兵の胚のありかが風の谷にある事を突き止めたペジテ市長は、報復として王蟲の群れを誘導して風の谷へ侵攻させ、トルメキア軍を全滅させる計画を立てていた。ナウシカはその非道な作戦に憤り、計画を中止するよう訴える。しかし訴えは聞き入れられず、谷へ知らせに戻ろうとしたナウシカは、ぺジテの民が乗る貨物艇・ブリッグに監禁されてしまう。
その頃風の谷では、トルメキアの船と共に谷に運び込まれた胞子を全て焼却したはずだが、一部が残留し貯水池の周囲の森の木に付着してしまい、瘴気を吐き始めるという一大事が起きていた。谷を守るために森を焼き払わざるを得なくなったことで谷の民の怒りが頂点に達し暴動が発生する。住民たちは谷と酸の湖に近い砂漠の中にある宇宙船の残骸の中に立てこもり、ナウシカを待つ。
ナウシカはブリッグに乗船していたラステルの母の計らいと協力により、ぺジテの少女と身代わりで入れ替わることで監禁部屋を脱出する。しかし、そこにコルベットが急襲し、たちまちブリッグの船内は制圧されていく。船からの脱出をためらうナウシカだったが、アスベルによってメーヴェごと空中へ押し出され、迷いを振り切るように谷へと向かう。それに気づいたコルベットがブリッグから離脱して襲い掛かるが、城オジのミトとユパが乗ったガンシップが駆けつけ、コルベットを粉砕する。そして、ブリッグに飛び移ったユパによってブリッグ内部の争乱は鎮圧される。
ミトと共にガンシップに乗り全速力で谷に駆けつけんとするナウシカ。その頃、初めて風が止み、不気味なまでの静けさと共に膠着状態が続いていた風の谷。ナウシカ達は怒り狂って谷へと進撃する王蟲の群れと、王蟲を谷へ導くために王蟲の幼生を吊り下げて飛ぶペジテの飛行ガメを発見する。非道なやり口に憤りつつ、ナウシカは穏便に事態を収束するため、王蟲の幼生を群れに返すことを試みるべく、一人メーヴェに乗り移って飛行ガメへと接近する。風の谷では、ミトの乗ったガンシップが降り立ち、王蟲の襲来が知らされる。ナウシカは飛行ガメのパイロットたちに話を聞くよう説得するが、彼女を敵と思い込んだ彼らは執拗な銃撃を繰り返すばかりだった。ナウシカはメーヴェの上に仁王立ちになり、身を捨てて飛行ガメに飛び込み、酸の湖の中州へ墜落させる。怯える王蟲の幼生に寄り添いながら王蟲の群れを待つナウシカだったが、トルメキア兵の攻撃により、怒りに我を忘れた王蟲たちは動きを止めず谷へと突き進んでいく。ナウシカは自分と同じく中州に落ちた飛行ガメのパイロットたちを銃で脅し、自分と王蟲の幼生を群れの先に運んで降ろすよう命じる。
ほどなくして王蟲の群れが谷に近づき、刻一刻と破滅の時が近づいてくる。クシャナは不完全な状態で巨神兵を無理やり孵化させ、圧倒的な威力の光線によって王蟲たちを死滅させようと試みる。しかし巨神兵の肉体は攻撃の反動に耐えきれる状態ではなく、2発の光線を放つとどろどろに腐り落ちていった。
絶望の最中、王蟲の幼生とナウシカを乗せた飛行ガメが王蟲の群れの正面に現れ、2人を下ろして去っていく。静かな眼差しで王蟲の群れを見つめるナウシカは、王蟲の幼生もろとも王蟲の群れの突進を受けて弾き飛ばされてしまう。谷の民が立てこもっていた廃船が王蟲たちの突進によって崩壊し始めたその時、王蟲の目の攻撃色が鎮まり、次第に動きを止めていく。身を以って谷を守ったナウシカの姿に人々が泣き崩れる中、地に倒れて死んだナウシカを囲うように集った王蟲たちは、触手を伸ばして彼女を支え、宙に持ち上げていく。朝日が昇り風が吹き始める中、ナウシカは蘇り意識を取り戻し、驚きと共に辺りを見回し、下を見て王蟲の幼生の無事を確認し、王蟲に感謝し、彼女に感謝する王蟲たちの金の触手に支えられながら歩きだす。さながらその姿は、青き衣の者の伝説を体現したかのようであった。その後、無人のメーヴェが空を飛び、風が吹いている事に人々は気づいた。
エンディングで、谷に群れ集った王蟲たちは森へ帰っていった。クシャナはナウシカと和解して風の谷から去り、人々は焼き払われた森を取り戻すための植林に精を出し、アスベルはユパと共に旅に出た。
腐海の奥底に落ちたナウシカのヘルメットの脇で、こぼれ落ちたチコの実の木の芽が芽吹いていた。
原作との違いと共通点
映画の制作準備のため、原作漫画の連載は『アニメージュ』1983年6月号にて一時中断された。この時点では単行本第3巻のはじめの部分 (住民が全滅した集落で、ナウシカが蟲に襲われる場面) までが描かれていた。映画版では単行本第2巻途中(66ページ)、王蟲の群れが暴走するエピソードまでを扱い、設定や展開を脚色している。
以下に原作と映画版のおもな相違点と共通点を記す。登場人物に関しては「風の谷のナウシカの登場人物」を参照。
- 時代設定
- 原作・映画共に、セラミック時代終末期[7]。金属に代わる一般的な素材として、千年前の遺物であり世界中に散らばる硬化セラミックが、千年前の巨神兵の骨格、ナウシカのセラミック刀、トルメキア装甲兵の甲冑、航空機等に使用されている。
- 勢力図
- 原作ではトルメキアと土鬼 (ドルク) 諸侯連合の二大勢力の紛争 (トルメキア戦役) に、風の谷やペジテ市などの小国が巻き込まれる構図。映画版に土鬼は登場せず、トルメキアがこれらの小国に侵攻する構図となっている。
- トルメキア
- 原作では大陸の東端 (トルメキアと腐海の間に風の谷やペジテ市を含む辺境諸国や山脈がある) に位置し、風の谷やペジテ市などの辺境諸国と同盟を結んでいる王国だが、映画版では国号もトルメキア帝国で、遥か西方に存在する強大な軍事国家であり、ペジテ市で発掘された巨神兵を奪取しに来た侵略者として描かれる。王族同士の権力争いは描かれず[注 3]、辺境諸国統合の司令官となったクシャナのみ登場する。また、突撃砲 (自走砲) や「大型船」など、原作には無かった技術を有している。トルメキア兵のうちコルベットに乗りこんでいるコマンドは、原作の蟲使いと似た形状のヘルメットとマスクを装着している。
- 風の谷
- 原作ではトルメキアとの盟約に従い、ナウシカがクシャナの部隊の南下作戦に従軍する。その後は物語にほとんど登場しない。映画版ではトルメキア軍によって占領され、巨神兵の卵の培養地となったため、ペジテ市の残党により王蟲の暴走の標的とされる。酸の湖 (原作や映画資料集[8]の表記。映画の台詞では「さんのうみ」と言っているし、ロマンアルバム[9]では酸の海と書かれている) は、映画では、風の谷や腐海に近い砂漠の中[10]にあるが、原作では、辺境諸国と土鬼諸侯連合のほぼ中間に位置する腐海の中にある。原作・映画共に、この湖は強酸性の水の為、水中も岸も中州も、カビ (菌類) も生えず、本来は蟲も近づかない。岸や中州では瘴気マスクなしで呼吸できる。原作では、湖岸が一時的にクシャナ軍の宿営地になった。原作では、酸の湖の中州に墜落した王蟲の幼生と共にいたナウシカの前で、対岸にいた群れの中の一匹の王蟲が湖に入って溶ける場面があるが、映画は対岸の王蟲が湖に入って溶ける場面はない。原作では、土鬼の乗組員二人は酸の湖の中州に飛行ガメの墜落時に、湖に投げ出されて死ぬし、飛行ガメの中で前述の二人の足元の外からは見えない所にいる乗組員二人は、飛行ガメの墜落時の衝撃で死ぬが、映画のペジテの乗組員二人は中州に落ちた為死なない。原作・映画共に、風の谷の近くにある海は、風の谷から見ると砂漠 (腐海) とは逆方向にある。この海は、原作ワイド判の見返しの地図と本文[11]では「塩の海」という表記である。原作の城には風車がついていないが、映画では城の大風車で地下500メルテ (作中の長さの単位。1メルテは1m程[12]。もっと長いリーグという単位もある。1リーグは約1.8km[13]) から水を汲み上げている。また、谷中に小さな風車があり (原作にも谷中に小さな風車があり地下水汲み上げ用) 、深さは不明だが地下水汲み上げ用である[14]。原作ではナウシカの台詞によると、地下100メルテから水を汲み上げている[15]。原作・映画共に、汲み上げた地下水は森 (この森が、原作では500年水源 (貯水池) を、映画では300年貯水池を守っていたが、原作・映画共に、トルメキアの船に付いていた胞子が森の木に付着し、燃やす事になる) の中の貯水池に寝かせてから、畑に引いたり、沸かして飲んだりする。原作では出てこないが、映画では風の谷と腐海の間の砂漠の中に、蟲よけの塔がある。この塔に人は登れず、塔の上の風車が回る度に奇妙な音をたて、蟲を近づけさせない。原作では出てこないが、映画では風の谷の入り口に、巨大な砂さけ柵がある。この柵は、瘴気を含む砂煙が谷に入らないように、石の塔の間に布張りのウィングをつけて風を集め、砂を吹き上げる仕組みになっている[16]。映画の終盤で、風の谷の人々が立てこもった宇宙船の残骸は、原作でも砂漠の中の辺境にあり塩の海の近くだが、映画と違い、周辺には鉱山町 (この町から見ると塩の海は腐海とは逆方向) がある上に腐海からも風の谷や酸の湖からも遠い為、風の谷の人々が立てこもる話はない。原作・映画共に、人々は風の神を信じ、風使いという大気の流れを読み取り、風により運ばれる瘴気や砂塵から人々を守る職業の者がいて[17]、映画は不明だが、原作の風使いは風を目で見る能力がある。ナウシカは風使いであり、メーヴェは風使いの乗り物。原作には出てこないが、映画では、ナウシカが持ち、トルメキアのコマンドを叩きのめすのに使った後、装甲兵を攻撃しようとして盾で防がれ折れてしまった、風使いの杖という1m前後で、片方の端が六角レンチになっていて、クランクやフックやハンマーとしても使える物が出てくる[17] (映画オープニングと本編序盤とエンディング (恐らく新しい物) でこの杖がメーヴェに長銃と共に収納されている) 。
- ペジテ市
- 原作・映画版とも、地下で発掘された巨神兵を狙うトルメキア軍に侵攻され大半の市民が虐殺されている。工房都市国家。原作では、避難民 (ラステルを含み、女性と子供だけ) を乗せたブリッグが蟲に襲われ墜落してアスベル以外の住民 (男性はトルメキアと戦って死亡した模様) は全滅する。映画版では、生き残りの避難民達がトルメキア同様に巨神兵を使った腐海の焼却を目的に行動し、まずペジテ市に駐留するトルメキア軍を壊滅させるために人工的に王蟲の暴走を起こし、自らの手でトルメキア軍もろとも街を腐海に飲み込ませ滅ぼした。さらに風の谷にも王蟲を暴走させようとしており、ナウシカの抵抗にあう。原作では出てこないが、映画では、腐海との間にエトナ山脈[18]があり、瘴気は町へは届かない。原作では、地下の千年前の遺跡からエンジンやセラミック等を発掘し、製品に加工供給していた。映画では、宇宙船寄生都市とも呼ばれ、宇宙船の残骸を使い製品を生産していた[17]。原作では出てこないが、映画では巨大なセンタードーム (中央ドームという表記もある) があったが、王蟲に食い破られた[19]。イメージボードではこのドームは、トルメキアの戦艦が入っている設定だったし、元々巨神兵を収納する為に建設した設定だった[20]。
- 巨神兵
- 原作でも孵化する前及び孵化した直後は、生体兵器として戦争に勝つ為トルメキア・土鬼共に使おうとしたが、後に知性を持つ巨大人型人工生命体として描かれる。だが、映画版では巨大人型生体兵器としての面が強調され、トルメキア・ペジテ共に腐海を焼き払うための道具として、また、トルメキアが軍事目的で使おうとした。詳細は「巨神兵」を参照。絵コンテの段階では巨神兵と王蟲の戦闘場面が描かれていた[21]。原作[22]では超硬質セラミックの骨格、映画資料集[17]ではセラミックの骨格と合成タンパク質の肉体と書かれている。映画では出てこないが、原作では、腐海の縁の上空で遭遇したラステルを含むペジテの避難民の乗ったブリッグを、ナウシカとミトがガンシップで腐海の外へ避難誘導しようとしたが、ブリッグが蟲のせいで片方の翼が折れ墜落し、ラステルが死ぬ直前に、ナウシカに兄に渡すように頼んで、巨神兵と関係のある秘石という物を渡した。原作では肩と背中の複数の突起を使う飛行能力があるが、映画オープニングタペストリー (映画開始時点より千年前の世界と金色の野の上を飛ぶ白い翼のある青き衣の者 (女性) (映画タイトルバックでは白い翼の白い服の女性、映画本編の風の谷のジルの部屋の壁の旗には金色の服の男性、大ババの想像では青い服の男性として描かれる) の伝説の絵が描かれている) の空を飛ぶ鳥のような姿の巨神兵らしきものの絵を除いて、映画本編では化石の肩の突起以外に突起はなく飛行能力を持たない。映画は口から光線を出すだけだが、原作では口だけではなく額からも口より威力の弱い光線を出す事がある。
- 腐海
- 人類によって汚染された大地を再生するためにこの星が生みだした生態系という仮説は、原作序盤でも語られている。しかし、原作の終盤では、腐海は自然発生したものではなく旧文明の科学力により創出された浄化装置の一種であることが明かされる。原作・映画共に瘴気は重い。映画ではラストシーンで、腐海の底でチコの実の木の芽が生え始めているのが映る事から、腐海の底が将来は「青き清浄の地 (つまり緑色の葉や茎を持つ草木が生えた清浄な大地の事) 」になる事を示唆しているが、原作でも腐海は「青き清浄の地」と関係があるが、原作の「青き清浄の地」の場所は違う。
- 王蟲の幼生
- 原作・映画版共に王蟲の幼生を捕らえて飛行ガメ (飛行ポッド) から吊り下げて王蟲の群れをおびき寄せることは共通しているが、原作では実際にはその王蟲は幼生ではあるものの、ナウシカの発言によると王蟲は最低でも12回脱皮するし、人間が捕らえることができないレベルにまで成長しており (原作・映画共に、夢の中の回想場面で、幼いナウシカと腐海の外で遊んでいたが、大人達に捕まった幼生 (この幼生は彼女のいない所で殺された模様) と同様に幼い幼生は成虫のいない所では簡単に捕まえたり殺したりできるし、テレパシーで成虫を呼ぶ事もない) 、以降の展開への伏線となる。ちなみに、幼いナウシカと遊んでいた幼生の大きさは50cm程である[23]。映画では、腐海の中でペジテ市民がどうやって囮の幼生を捕まえたのかは不明。原作と映画の囮の幼生の大きさはほぼ同じに見える。
- ラストシーン
- 傷つけた王蟲の幼生を囮にして、王蟲の群れを怒らせて暴走させるという作戦は、原作では土鬼軍がクシャナの部隊の宿営地に対して仕向ける。その後、ナウシカが暴走を停止した群れの前にコルベットから幼生と共に降り立ち、幼生を帰し、ナウシカは感謝する王蟲たちの触手によって空中へと持ち上げられ、触手により片足の傷を治療してもらい感謝した (この傷は、後述の酸の湖の水による火傷である) 。映画版ではペジテ残党が風の谷 (巨神兵を擁するトルメキア軍の駐留地) に対してこの作戦を行い、ナウシカが幼生とともに暴走する群れの前に立ちはだかり、身を犠牲にして王蟲の怒りを鎮める。暴走を止めた王蟲の群れの中で倒れて死んだナウシカに、幼生やその他の王蟲たちが金色の触手を集中させ、ナウシカは蘇る (この時、ナウシカは左肩と右足を怪我している。その傷は、ペジテ市民の銃で左肩と右足首を傷つけられたのと、その後に幼生が酸の湖に入るのを止めようとして右足が水に浸かった時の火傷である。この両方の傷も、王蟲は触手で治療してくれた) 。なお原作のナウシカは、酸の湖に幼生が入るのを止めようとして片足を水に浸からせた後、すぐに幼生の流れる体液が傷ついた片足に触れた為に、体液が酸を中和してくれた。その後の彼女の行動により、群れの暴走が停止するし、彼女は暴走する群れの前に立たないので死なない他、原作では王蟲と戦争する展開ではなく普通に土鬼軍とクシャナ軍が戦争している最中に起きた出来事になっており、敵味方全員が観客のように彼女の行動を見守るという展開にならなかったため、一部の人しか彼女の勇姿を見ていないという、映画ラストシーンと展開が似て非なる形になっている。なお映画では、ナウシカの蘇生を皆で喜び戦争を中止しクシャナ軍も引き上げ、エンディングに突入するという大団円で終わったが、原作では傷ついた片足に幼生の体液が触れたシーンの直後、ナウシカは止めようとしたが、中州にいる幼生に近づこうとして酸の湖に入った対岸にいた一匹の王蟲が溶けるのを見て、王蟲の群れが酸の湖に入らないように牽制し、クシャナ軍のコルベットに乗り込み幼生を運ばせ、群れに帰す。その後クシャナ軍が壊滅したが、土鬼軍が辺境諸国を占領しようとしている事を知った上に、王蟲の群れが土鬼に行こうとしている事も知って、城オジ達をガンシップで谷に帰し (他の辺境諸国の族長達も国に帰った) 、ナウシカ一人だけ王蟲の後を追う為に、クシャナ達と共にコルベットに乗り、土鬼の戦場に向かう。
- 原作では、腐海から脱出する為、腐海の底から腐海の表面までアスベルと二人でメーヴェに乗り飛ぶ時、ナウシカは身軽になる為、下着と長ズボンと靴しか身につけていなかったが、その後腐海上空で浮砲台 (飛行機) に乗った土鬼のマニ族と遭遇し、そのマニ族のトルメキア兵に殺された少女の上着 (青ではない) を、少女の家族からもらって着ていたし[24] 、映画版のナウシカはペジテの赤い上着を着ていたが、両方とも中州に墜落した傷ついた幼生が群れに近づく為に、酸の湖に入るのを止めようとした時、幼生の体液を浴びた際に青く染まった。 (ちなみに、両方とも下着と長ズボンと靴は、ナウシカの物をそのまま使用している) 「青き衣の者」伝説の具現と呼ぶのは、原作ではマニ族僧正[25]、映画版では風の谷の大ババである。
- 宮崎の絵コンテでは、ラストシーンは突進してくる王蟲の前にナウシカが降り立つ場面で終わっていた[26]。高畑勲と鈴木敏夫は娯楽映画としてカタルシスが足りないと考え、一旦死んだ後蘇るという案を提案し、公開間近で焦っていた宮崎はこれを受け入れた[26](ほかに「ナウシカが死んで永遠の伝説になる」という案も検討された[27])。これについて宮崎は、映画を宗教的な画面にしてしまったことへの想いから、宿題が残った映画であると振り返っている[28]。鈴木は「いまだに宮さんはあのシーンで悩んでいますね」[26]と述べている。
- 押井守は演出で強引にラストへと持っていったことに関して「あそこは納得できません」としている[29]。後年には「宮さん流の『宇宙戦艦ヤマト』なんですよ。色々粉飾をこらしているけど、特攻隊精神が充満している」[30]とも述べている。
制作
映画化までの経緯
宮崎はアニメージュ編集部の依頼を受け、同誌1982年2月号から『風の谷のナウシカ』の連載を開始したが、11月にテレコム・アニメーションフィルムを退社してフリーとなり、一時『ナウシカ』の漫画連載が唯一の仕事となる。この状況を知った尾形英夫編集長から、同誌主催のイベント「アニメグランプリ」で上映する10分程の短編としてアニメ化する事を提案され、主人公ナウシカの幼少期を描くプランを提示したが、結局実現しなかった[31]。次にOVAの企画があがり、70分程度ならばと受諾したが、採算が合わないという理由でこの件も消滅した[32]。最後に長編アニメ映画案が上がり、尾形編集長が徳間康快徳間書店社長から共同出資するパートナー企業をつけることを条件に承諾を得た[32][33]。
当時、徳間グループ傘下には映画会社の大映があったが、アニメへの理解とノウハウがなかったため製作に関わらず、徳間書店自らが製作を行っている。条件だった共同出資社は、『テレビランド』誌でつきあいのあったバンダイが浮上するも出資は実現せず、広告代理店大手の博報堂の近藤道生社長と徳間康快がトップ会談で出資が決定[34]。博報堂には宮崎の弟が勤めていたことも幸いし、映画化と全国ロードショー公開が実現することになった。
配給する東映にとっては当初マイナー作品の扱いで宣伝に熱が入ってなかったが[35]、徳間康快が親しかった岡田茂社長に「もっと力を入れて欲しい」と頼み、岡田が現場に尻を叩いた[35]。公開前には徳間康快指揮の下、徳間ジャパンなども含めたグループ総動員で宣伝活動がなされた。
宮崎はアニメーションにならない世界を描くつもりで『ナウシカ』を執筆しており、実際に映画化が決まると困惑したという[36]。それでも「アニメーションをやるには『ナウシカ』しかないって言うんだったらやってみよう」[36]という思いで制作作業に取り組んだ。
制作体制
映画は1983年になって始動し、同年5月、プロデューサーに高畑勲が選ばれる。長年宮崎と仕事を組んで来た仲間であり、宮崎の指名によるものだった。当初、自分はプロデューサー向きではないと渋ったものの、アニメージュの鈴木敏夫副編集長の説得により受諾し[37][注 4]、8月から作画に取りかかる。
制作拠点となったのは、宮崎や高畑の東映動画時代の同僚である原徹たちが運営し、主に海外合作を手がけていたトップクラフト。ここに宮崎らはフリーで参加するという形を取る。当初、宮崎らはテレコム・アニメーションフィルムか日本アニメーションを制作母体とすることを考えていた[38]。テレコムは長編アニメーション制作を目的に設立された会社で『ルパン三世 カリオストロの城』もここで制作された。宮崎や高畑は籍を離れたとはいえ、大塚康生などかつての仲間たちも在籍している。宮崎の考える制作環境としてはうってつけだったが、同社は『NEMO/ニモ』の準備に忙しく、一部スタッフが手伝い程度に参加するに留まった[39]。
鈴木によれば、宮崎・高畑コンビが在籍した会社はそのあとダメになるという通説のため、制作拠点探しは難航し、本作の成功後も状況は変わらなかったという[40]。次作『天空の城ラピュタ』ではトップクラフトを改組する形でスタジオジブリを設立し、以降の宮崎と高畑の長編アニメーション映画を制作する拠点となった。
本作には、それまで宮崎と付き合いのなかった新しい顔ぶれのスタッフも多数参加している。宮崎や高畑が要求する高いレベルのスタッフがトップクラフト内だけでは不十分だったこともあり、2人が過去に関係した人材のみならず、尾形英夫ら「アニメージュ」関係者も、取材を通じて知った人材などをスカウトしてスタッフが集められた[41]。本作で原画で参加したトップクラフトのアニメーターは4、5人程度で、原画マンも動画として参加させるほどスタッフを淘汰していたという[42]。
作画監督はテレビ時代の東映動画の中心アニメーターであるOH!プロダクションの小松原一男。美術監督の中村光毅は、神秘的な腐海の背景制作を担当した。原画にはタツノコプロ系のなかむらたかしや、「金田パース」という独特の作画で人気だった金田伊功、後に『新世紀エヴァンゲリオン』で名を馳せる庵野秀明などが集結している。金田は宮崎アニメを支える有力スタッフとなり、1997年の『もののけ姫』まで連続して参加した。
本作の制作協力を担った主なアニメ制作会社の内、現在もTVアニメなどの制作に関わる会社は動画工房、スタジオ雲雀、AIC、オープロダクションなどである。
制作技法
王蟲の登場シーンでは巨大さと重量感を表現するためにハーモニー処理[注 5]が用いられ、さらに体節の動きを再現する為に、パーツをゴムで繋いで伸縮させるゴムマルチという方法で撮影している[43]。王蟲の鳴き声は当時BOØWY[注 6]に在籍していた布袋寅泰によるギターの音が使われた[44]。
劇中の防毒マスク装着時の会話シーンの収録は、様々な試行錯誤の末、紙コップにゴムをつけた特製マスクを声優が装着して行われた[45]。
音楽
音楽は、後の宮崎作品にも関わっていく久石譲が担当している。当初、久石は公開前年の1983年に映画に先行して発売された漫画版を元にしたイメージアルバムのみの担当で、映画の劇伴音楽は安田成美の歌うシンボルテーマソングを作曲した細野晴臣が担当する予定であった。細野以外には坂本龍一、高橋悠治、林光らが候補だったという[46][47]。しかし、宮崎と高畑がイメージアルバムを気に入ったため、久石が本編の音楽にも起用された[48]。久石のイメージアルバムへの起用は徳間グループ系列のレコード会社であるジャパンレコードから過去にアルバムを出していたことから関係者の推薦で[46][47]、それまで宮崎も高畑も久石の予備知識は何もなかったという。最終的に映画の作曲者を決定した高畑は起用の理由について、イメージアルバムの内容に加え、久石に音楽的素地に加え教養があることや、色々な曲を知っており映画音楽として助かることなどを挙げていたという[49]。
本編のサウンドトラックは50名編成のオーケストラと[50]、プロフェット5、リン・ドラム、MC-4、DX7などの機材を中心に、ケーナ、タブラ、ダルシマーなどの民族楽器を使用し制作された[51][52][53][54]。「ナウシカ・レクイエム」などに使用されたフェアライトCMIは矢島賢、矢島マキ夫妻がスタジオで所有していた物を借りて作られた。久石はナウシカの仕事が終わるとすぐにフェアライトを注文した[55]。当初、宮崎はヴラジーミル・ヴィソツキーの「大地の歌」を主題歌に使用したいと考えていた[56]。しかし版権の問題で使用することが出来なかったため、それなら自分たちで曲を作ろうと高畑・久石と3人で話し合い、歌手を呼びレコーディングを行ったがその楽曲はお蔵入りとなり、エンドロールにはメインテーマ「風の伝説」が使用された[57]。映画で使われている「遠い日々」は、当時4歳だった久石の娘、麻衣が歌っている[58]。
反響
1984年度のアニメグランプリ、日本アニメ大賞の作品部門をダブル受賞。また、映画雑誌ではベストテンに選出され、新聞のコラムでは「女性原理の主張」や「自然との共生」という視点を賞賛される[59][60]など、アニメの枠を越える評価を受けた。国内外で複数の映画賞を受賞し、アニメーション作家としての宮崎駿の知名度を引き上げる作品となった(受賞・推薦節を参照)。
観客動員は約91万5千人、配給収入は約7.4億円。当時のアニメ映画としては大ヒットとはいえず[注 7]、この作品が多くの人に知られるには翌年のテレビ放映以降まで待たねばならなかったが、その後のソフト販売・レンタルでは一般映画に並ぶ売上げを記録した。オリコンランキングでは、1997年発売のVHS版[61]、2003年発売のDVD版[62]、2010年発売のBlu-ray版[63]が各部門1位を獲得しており、史上初の同一作品による3部門制覇を成し遂げている。
サウンドトラック『風の谷のナウシカ〜はるかな地へ〜』はオリコンアルバムチャートで最高8位[64]、安田成美が歌うシンボルテーマソング『風の谷のナウシカ』は同シングルチャートで最高10位[65]を記録した。
宮崎は興行的成功については「ものを作るチャンスがまた巡ってくるかもしれないと思って、ほんっとにホッとしたんですよ。運が良かったと思って」[66]と語っている。映画としては原作漫画の途中までしか描かれていない不完全な作品とし、自身ではあまり評価していない[67]。原作完結後の1997年に公開された『もののけ姫』は、テーマが本作の延長線上にあり比較されることもある。
宮崎は映画のラストが予定調和であることを認めており、力が足りずにああせざるをえなかったと語っている。二時間では他の収め方がなく、ああいうものを作りたかったこともたしかで、否定はしないけれどクリスマスの奇跡映画のようなものを作ってしまったという後ろめたさもあるという。映画の続編を作らない理由は、マンガで結論が出なかったのに、映画になったらもっとわからないからだと説明している[68]。
再上映
2020年、新型コロナウイルスの流行によって新作映画の供給が困難になったことを受け、同年6月26日から8月まで全国の映画館で本作の再上映が行われた[1]。本作の冒頭は「世界野生生物基金 (WWF) 推せん」という文字とロゴマークであるパンダが表示されているが、今回のリバイバル上映ではトトロの描かれているブルースクリーンに差し替えられての上映となった。興行収入は7.3億円[69]。
- 再上映時の週間興行順位の推移
上映週 | 週末日付 | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 2020年 | 6月27日-28日3位 | |
2 | 2020年 | 7月 4日- 5日||
3 | 2020年 | 7月11日-12日[70][71] | |
4 | 2020年 | 7月18日-19日4位 | [72] |
5 | 2020年 | 7月25日-26日5位 | [73] |
6 | 2020年 | 8月 1日- 2日[74] | |
7 | 2020年 | 8月 8日- 9日9位 | [75] |
備考
スタジオジブリ作品としての扱い
前述のように、この作品の制作会社はトップクラフトであり、厳密にいえば、制作・公開後に設立されたスタジオジブリの作品ではない。しかし、『金曜ロードショー』にてテレビ放送[注 8]される際には冒頭でトトロの描かれているブルースクリーンが表示されているほか、スタジオジブリが販売したVHSビデオ「ジブリがいっぱいコレクション」シリーズにも含まれていることなどから、社会一般からもスタジオジブリ作品の一つとして幅広く認知されている[注 9]。
例として『もののけ姫』が公開される際、テレビCMにおいて大々的に宣伝がなされたが、そのナレーションにおいて「『風の谷のナウシカ』から13年(以下略)」という文句から始まっていたことからジブリの歴史が当作を起点としていることが証明されている。また、2016年9月公開の『レッドタートル ある島の物語』の公開を記念して過去の長編作品を劇場にて上映する企画がなされ、過去の作品の中から1作選んで投票する総選挙が開催され、投票可能な該当作品の中にも当作が含まれている。以上のことから、スタジオジブリ側も同社のシリーズ作品の一つとして公式に扱っている。
海外版
アメリカでは『Warriors of the Wind(風の戦士たち)』という英題を付けられ劇場公開された。これはロジャー・コーマンが創立したニューワールド・ピクチャーズ社の配給であり、腐海の浄化作用などの設定やナウシカの過去に関する描写は省かれ、日本で116分だった上映時間は95分に短縮されている。またナウシカが「ザンドラ姫」となっているなど、登場人物の名前も多くが改変されている。このバージョンを知らなかった宮崎は、朝日新聞1985年9月17日夕刊「いまアニメの時代」の連載3回目を読んで初めて知り、無断で改変されたことに激怒した[76]。
『Warriors of the Wind』は同年にVHSビデオで発売されている。その後南アメリカやヨーロッパに二次輸出され、アルゼンチン、イギリス、スペイン、フランス、ドイツなどで改変された内容のままVHSがリリースされた。フランスではVIP Internationalから『Le Vaisseau Fantome(幽霊船)』の題で、Blue Kid's Videoから『La Princesse des Etoiles(星のプリンセス)』の題で発売された[77]。
その後ディズニー配下のブエナ・ビスタ・インターナショナルがビデオ配給の権利を得て、改変が施されていないオリジナルバージョンが各国に配給されるようになった。後に2005年にナウシカの完全英語版がDVDで発売された[78]。この英語版では、ペジテ市長役でマーク・ハミルが出演している。
ディズニー製作の英語版はアメリカで、2017年にGKIDSとファゾム・イベンツによってイベント上映され[79][80]、2019年にも字幕版と併せて751館で劇場公開された[81][82][83]。
実現しなかった続編と外伝
1986年の『天空の城ラピュタ』特別試写会の際、挨拶に立った製作者の徳間康快はナウシカの続編映画を依頼しているが、宮崎が期待に応えてくれないことを明かし、今後も会う度にしつこく頼んだり手紙を出していくと語った[84]。漫画作品の連載がクライマックスを迎えた1993年頃には映画会社内で続編が企画されていたが、続編を作らない意向を貫く宮崎駿の反対により企画は立ち消えとなった[85]。
原画として参加した庵野秀明は、後に作中の登場人物クシャナを主人公にした外伝を作りたいと申し出るが、宮崎駿は庵野の企画を「戦争ごっこをやりたいだけなのだ」とし、「くだらない最低のものになるのが決まっているから」と却下していた[86]。しかし2011年頃になって宮崎がアニメ映画『風立ちぬ』制作中に体調不良で病院で検査することになり、その際に死を覚悟して心変わりを起こす。庵野が『風の谷のナウシカ』をやることを許す気になり、宮崎は自分も亡くなった人の作品を原作にやりたいようにやったのだから、庵野もやるのなら原作通りではなく好きなようにやることを希望した[87]。自身で続編を制作することについては2013年9月の引退会見で明確に否定している[88]。
声の出演
キャラクター | 日本語版 | 英語版 |
---|---|---|
ナウシカ | 島本須美 | アリソン・ローマン |
アスベル | 松田洋治 | |
クシャナ | 榊原良子 | ユマ・サーマン |
ユパ | 納谷悟朗 | パトリック・スチュワート |
大ババ | 京田尚子 | トレス・マクニール |
クロトワ | 家弓家正 | クリス・サランドン |
ジル | 辻村真人 | マーク・シルヴァーマン |
ミト | 永井一郎 | エドワード・ジェームズ・オルモス |
ゴル | 宮内幸平 | フランク・ウェルカー |
ギックリ | 八奈見乗児 | ジェフ・ベネット |
ムズ | (表記なし) | ジェームズ・アーノルド・テイラー |
ニガ | 矢田稔 | マーク・シルヴァーマン |
ラステル | 冨永みーな | エミリー・バウアー |
ペジテ市長 | 寺田誠 | マーク・ハミル |
ラステルの母 | 坪井章子 | ジョディ・ベンソン |
テト | 吉田理保子 | |
少年 | ||
少女 | グレイス・ロレク | |
コマンド | 水鳥鐵夫 | |
トルメキア兵 | ||
ペジテ市民 | ||
ペジテの少女 | 太田貴子 | アシュレイ・ローズ・オル |
ナレーター | なし | トニー・ジェイ |
スタッフ
製作 | 徳間康快、近藤道生 | |
協力製作 | 原徹 | |
企画 | 山下辰巳 | |
音楽 | 久石譲 | |
作画監督 | 小松原一男 | |
原画 | 金田伊功、丹内司、なかむらたかし、庵野秀明、鍋島修、賀川愛、吉田忠勝、才田俊次、小林一幸、福田忠、小原秀一、高坂希太郎、渡部高志、池田淳子、羽根章悦、富山正治、高野登、林貴則、小田部羊一、篠原征子 遠藤正明、二木真希子、吉田正宏、大久保富彦 | |
動画チェック | 尾沢直志、平塚英雄 | |
動画 | 佐々木よし子、高橋幸江、田口裕美子、斉藤喜代子、水谷貴代、矢野順子、渡部由加里、祝浩司、飯田馬之介、坂元大二郎、長井和久、中村美子、谷沢泰史、讃岐平、前田真宏、多田幸子、華房泰堂、近藤方子、池田和洋 | |
動画協力 | オープロダクション、スタジオぽっけ、草間アート、はしだプロ、AGU、動画工房、スタジオトト、スタジオ501、スタジオアトン、ランダム、ヤマトプロ | |
美術監督 | 中村光毅 | |
背景 | 木下和宏、野崎俊郎、吉崎正樹、西村くに子、海老沢一男 デザインオフィスメカマン 三浦智、青木龍夫、岡崎得江、杉山祐子、岡田和夫、下野貴美子、今村立夫、下野哲人、富樫佳子、村井弘子、千葉薫、高波美好 スタジオビック | |
ハーモニィ処理 | 高屋法子 | |
特殊効果 | 水田信子 | |
色彩設計 | 保田道世 | |
色指定 | 鈴木福男 | |
仕上検査 | 荻原穂美 | |
仕上 | 近江妙子、石井恵美子、古谷由実、菅野わか子、長嶺浩美、水間千春、山内真紀子、吉田政代、清水理智子、山室智弘 | |
仕上協力 | イージーワールドプロ、スタジオロビン、IMスタジオ、はだしプロ、新生プロ、遊民社、スタジオ2001、スタジオ雲雀、ホクサイ、ヤマトプロ、AIC、スタジオマリーン | |
撮影監督 | 白神孝始 | |
撮影 | 首藤行朝、清水泰宏、杉浦守 高橋プロダクション 宮内征雄、平山昭夫、小林武男 | |
撮影協力 | アニメフレンド、スタジオ35 | |
音響制作 | オムニバスプロモーション | |
音響監督 | 斯波重治 | |
整音 | 桑原邦男 | |
音響効果制作 | E&Mプランニングセンター | |
音響効果 | 大平紀義、佐藤一俊 | |
音楽制作 | ワンダーシティ | |
音楽プロデューサー | 三浦光紀、渡辺隆史 | |
音楽ディレクター | 荒川勝 | |
エンジニア | マスタリング レコーディング |
大川正義 |
アシスタント | 林雅之、すずきたけお | |
劇中歌 | 麻衣 | |
CD制作 | 徳間ジャパン 平田久男 | |
録音スタジオ | 音楽収録 | にっかつスタジオセンター、TAMCOスタジオ、C・A・Cスタジオ、一口坂スタジオ |
台詞収録 | 新坂スタジオ | |
タイトル | 高具秀雄 | |
リスマーク | 高具アトリエ | |
編集 | 木田伴子、金子尚樹、酒井正次 | |
演出助手 | 棚沢隆、片山一良 | |
制作担当 | 酒井澄 | |
制作デスク | 鈴木重裕 | |
制作進行 | 押切直之、神戸守、島崎奈々子 | |
プロデューサー補佐 | 奥本篤志、森江宏 | |
宣伝プロデューサー | 徳山雅也 | |
「風の谷のナウシカ」 製作委員会 |
徳間書店 小金井道宏、和田豊、小原健治、鈴木敏夫、亀山修、大塚勤 博報堂 佐藤孝、中谷健太郎、宮崎至朗 | |
現像 | 東映化学 | |
企画協力 | アニメージュ編集部 | |
アニメーション制作 | トップクラフト | |
プロデューサー | 高畑勲 | |
チーフプロデューサー | 尾形英夫 | |
エグゼクティブプロデューサー | 東海林隆 | |
原作 脚本 監督 |
宮崎駿 徳間書店「アニメージュ」連載 | |
配給 | 東映 |
吹き替え版
翻訳 | シンディ・デービス、ドナルド・H・ヒューイット |
翻訳監修 | ウィリアム・コマル |
録音 | ランディー・コッピンガー |
整音 | ドシー・ケイン |
台詞編集 | ジュディス・アレイ、スティーブ・アルパート、コーリー・ハンセン、リンダ・ホーグランド、ジム・ヒューバート |
音楽編集 | トム・E・ダール |
字幕 | 雨咲奈央 |
制作担当 | デヴィッド・カーディフ |
制作コーディネーター | コーリー・ハンセン |
アソシエントプロデューサー | ネッド・ロット |
プロデューサー | リック・デンプシー、ライリー・ジャクソン |
監督 | ペトラ・バッハ |
シンボルテーマソング
- 安田成美のファーストシングルとして、1984年1月25日に徳間ジャパンコミュニケーションズより発売された。映画公開前に「ナウシカガール・コンテスト」と銘打ちイメージガールを募集し、7600人あまりの応募者から後に女優となる安田がグランプリを獲得。当初、安田が歌う本曲を主題歌にする旨が発表されたが、宮崎と高畑が映画の内容と楽曲の乖離を理由に反対し、劇中本編で使用されることはなかった。しかし、予告編やテレビCMなどの映画プロモーションに使用され、シンボルテーマソングとしてエンドロールにクレジットされている[90]。
受賞・推薦
日本
- WWF世界野生生物保護基金(現・世界自然保護基金)推薦
- 文化庁優秀映画製作奨励賞
- 第39回(1984年)毎日映画コンクール 大藤信郎賞[91]
- キネマ旬報1984年度ベスト・テン日本映画第7位 / 読者選出日本映画第1位 / 読者選出日本映画監督賞[92]
- 1984年(第13回)ぴあテン 映画部門第2位
- 第2回アニメフェスティバル 日本アニメ大賞 最優秀作品賞
- 全国映連賞日本映画作品部門第1位 日本映画作品賞部門1位
- 日本SF大会星雲賞 メディア部門 第1位(1985年)
- 第1回映像ソフト大賞 ビデオ部門アニメ賞
- 第7回(1984年)月刊アニメージュ アニメグランプリ 作品賞
- 第8回〜第15回(1984年〜1992年)月刊アニメージュ アニメグランプリ 歴代ベスト1作品
ここまでの出典[32]。
- 日本のメディア芸術100選アニメ部門選出(2006年)
海外
- 第14回パリ国際SF&ファンタジー・フェスティバル 特別審査委員賞(準グランプリ)
- ザグレブSF&ファンタジーフィルムフェスティバル 第1位
- ローマ・ファンタジー&SFフィルムフェスティバル 第1位
ここまでの出典[32]。
関連商品
- 映像ソフト
-
- 風の谷のナウシカ VHS - 徳間書店/徳間ジャパン/徳間コミュニケーションズ 148AH-3 1984年3月21日発売
- 風の谷のナウシカ Beta - 徳間書店/徳間ジャパン/徳間コミュニケーションズ 148AB-5003 1984年3月21日発売
- 風の谷のナウシカ LD - 徳間書店/徳間ジャパン/徳間コミュニケーションズ 98LX-1 1984年4月21日発売
- 風の谷のナウシカ VHD - 徳間書店/徳間ジャパン/日本エイ・ブイ・シー 98HD-1 1984年4月21日発売
- 風の谷のナウシカ VHS - ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント 1997年9月19日発売
- DVD(通常版) - ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント 2003年11月19日発売
- DVD(ナウシカ・フィギュア セット) - ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント 2003年11月19日発売
- DVD(コレクターズBOX) - ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント 2003年11月19日発売
- DVD(宮崎駿監督作品集) - ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 2014年7月2日発売
- Blu-ray Disc[93] - ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 2010年7月14日発売
- Blu-ray Disc(宮崎駿監督作品集) - ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 2014年7月2日発売
- 宮崎駿:著
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- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ 1(1983年8月25日)ISBN 4-19-773581-2
- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ 2(1983年8月25日)ISBN 4-19-773582-0
- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ 3(1985年1月20日)ISBN 4-19-775514-7
- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ 4(1987年5月1日)ISBN 4-19-777551-2
- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ 5(1991年6月30日)ISBN 4-19-771061-5
- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ 6(1993年12月20日)ISBN 4-19-773120-5
- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ 7(1995年1月15日)ISBN 4-19-770025-3
- 風の谷のナウシカ 豪華装幀本(上・下)(1996年11月30日)ISBN 4-19-860561-0。ISBN 4-19-860562-9
- 豪華装幀本「風の谷のナウシカ」(2巻組)(1996年11月30日)ISBN 4-19-869901-1
- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻組(2002年8月25日)ISBN 4-19-210002-9
- アニメージュコミックス ワイド判 風の谷のナウシカ トルメキア戦役バージョン 全7巻組(2003年10月31日)ISBN 4-19-210010-X
- 風の谷のナウシカ―絵コンテ(1・2)(アニメージュ文庫)(1984年3月31日)ISBN 4-19-669522-1。ISBN 4-19-669523-X
- 風の谷のナウシカ(スタジオジブリ 絵コンテ全集1)(2001年6月30日)ISBN 4-19-861376-1
- THE ART OF 風の谷のナウシカ(アニメージュ編集部編)(1984年6月20日)ISBN 4-19-814560-1
- 風の谷のナウシカ―宮崎駿水彩画集(ジブリTHE ARTシリーズ)(1996年9月5日)ISBN 4-19-810001-2
- 映画出版
-
- 風の谷のナウシカ GUIDE BOOK(アニメージュ増刊 ロマンアルバム)(1984年3月、復刻版2010年7月)ISBN 4-19-720309-8
- 風の谷のナウシカ-ロマンアルバム (1984年5月、復刻版2001年5月)ISBN 4-19-720155-9
- 講談社アニメコミックス61 風の谷のナウシカ 1(1984年4月11日)ISBN 4-06-174461-5
- 講談社アニメコミックス62 風の谷のナウシカ 2(1984年4月25日)ISBN 4-06-174462-3
- 講談社アニメコミックス63 風の谷のナウシカ 3(1984年5月18日)ISBN 4-06-174463-1
- 講談社アニメコミックス64 風の谷のナウシカ 4(1984年5月30日)ISBN 4-06-174464-X
- 風の谷のナウシカ(上)(徳間アニメ絵本)(1988年3月31日)ISBN 4-19-703624-8
- 風の谷のナウシカ(下)(徳間アニメ絵本)(1988年3月31日)ISBN 4-19-703625-6
- 風の谷のナウシカ 1(アニメージュ フィルムコミック)(1990年10月30日)ISBN 4-19-770101-2
- 風の谷のナウシカ 2(アニメージュ フィルムコミック)(1990年11月20日)ISBN 4-19-770113-6
- 風の谷のナウシカ 3(アニメージュ フィルムコミック)(1990年11月20日)ISBN 4-19-770114-4
- 風の谷のナウシカ 4(アニメージュ フィルムコミック)(1990年12月20日)ISBN 4-19-770120-9
- 風の谷のナウシカ トルメキア戦役バージョン(アニメージュ フィルムコミック 4巻組)(2003年10月31日)ISBN 4-19-210011-8
- スタジオジブリ作品関連資料集 型録Ⅰ(ジブリTHE ARTシリーズ)(1996年6月30日)ISBN 4-19-860525-4
- ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ(文春ジブリ文庫)(2013年4月10日)ISBN 978-4-16-812000-8
- シネマコミック1 風の谷のナウシカ(文春ジブリ文庫)(2013年4月10日)ISBN 978-4-16-812100-5
- 音楽
-
- 風の谷のナウシカ イメージアルバム 鳥の人…(カセット 25AN-13/LP ANL-1013)徳間ジャパンコミュニケーションズ (1983年11月25日)
- 風の谷のナウシカ イメージアルバム 鳥の人…(CD TKCA-72716)徳間ジャパンコミュニケーションズ((再発版2004年8月25日)(オリジナル盤CD/1983年11月25日))
- 風の谷のナウシカ シンフォニー編 〜風の伝説〜(CD TKCA-72718)徳間ジャパンコミュニケーションズ((再発版2004年8月25日)(オリジナル盤CD/1984年2月25日))
- 風の谷のナウシカ ドラマ編 (CD TKCA-70135)徳間ジャパンコミュニケーションズ((再発版1993年7月21日)(オリジナル盤CD/1984年2月25日))
- 風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ…(CD TKCA-72717)徳間ジャパンコミュニケーションズ((再発版2004年8月25日)(オリジナル盤CD/1984年3月25日))
- 風の谷のナウシカ BEST(CD)徳間ジャパンコミュニケーションズ(1986年11月24日)
- 風の谷のナウシカ ハイテックシリーズ(CD TKCA-72719)徳間ジャパンコミュニケーションズ((再発版2004年8月25日)(オリジナル盤CD/1993年7月21日))
- (シンボルテーマソング)風の谷のナウシカ (CD)安田成美、C/W「風の妖精」徳間ジャパンコミュニケーションズ((再発版CD/2004年10月)(オリジナル盤レコード/1985年6月))
- ピアノ曲集 風の谷のナウシカ イメージアルバム&サウンドトラック ケイ・エム・ピー 菊倍版(2008年6月)
- スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX [Box set, Limited Edition](CD)徳間ジャパンコミュニケーションズ(2014年7月16日)
- 玩具・模型他
-
- 1980年代中期当時、TEACなどが発売し、オーディオマニアなどで人気だった、オープンリール似のハブを使ったノーマルポジションのカセットテープを560円にて販売していた。C-46(往復46分/片道23分)のみの販売。
売上記録
(日本国内)
内容 | 記録 | 補足 |
---|---|---|
興行収入 | 約14.8億円[96] | 推測 |
配給収入 | 約7.42億円[96] | |
全国動員 | 91万4767人[96] | |
『イメージアルバム〜鳥の人〜』 | ||
『サウンドトラック〜はるかな地へ〜』 | ||
『風の谷のナウシカ』 | (1984年発売のレーザーディスク) 徳間コミュニケーションズ CLV 116分 MONO (音声)98LX-1 | |
『ドラマ編〜風の神さま〜』 | ||
『シンフォニー編〜風の伝説〜』 | ||
『ハイテックシリーズ』 | ||
『BEST COLLECTION』 | 5万枚出荷(1986年発売のCD)[97] | |
シンボルテーマソング 『風の谷のナウシカ/風の妖精』 |
||
VHS・ベータ(徳間版) | 12万本出荷[98] | 1989年7月時点 |
VHS(ブエナ・ビスタ版) | 90万本出荷[98] | 2003年6月時点 |
DVD | 75万枚出荷[98] | 2005年3月時点 |
Blu-ray Disc | 2.0万枚売上(発売初週) | 2010年7月時点 |
テレビ放送
日本テレビでの初回放送は、1985年4月6日(土曜日)。19時30分-21時50分に特別枠を設けて、ノーカットで放送した[99]。日本テレビ系列の『金曜ロードショー』では、ほぼ2年に1度の割合で放送されており、放送回数は当枠最多の15回を数える。2013年12月27日放送分では、石丸博也による副音声による解説放送も行われた。
回数 | 放送日 | 視聴率 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1985年 | 4月 6日(土)16.5% | [100] |
2 | 1986年 | 7月25日(金)16.4% | [101] |
3 | 1988年 | 7月22日(金)17.5% | |
4 | 1990年 | 9月28日(金)18.2% | |
5 | 1992年 | 7月17日(金)21.4% | |
6 | 1994年 | 3月25日(金)16.6% | |
7 | 1996年 | 3月 8日(金)19.3% | 金曜特別ロードショー、完全ノーカット・ワイドクリアビジョン放送。 |
8 | 1997年 | 7月 4日(金)19.0% | |
9 | 2000年 | 2月11日(金)23.3% | |
10 | 2002年 | 1月11日(金)19.8% | |
11 | 2004年 | 1月16日(金)19.4% | |
12 | 2006年 | 2月 3日(金)15.3% | デジタルリマスター版・ノーカット完全放送[102] |
13 | 2008年 | 6月 6日(金)15.3% | [103] |
14 | 2010年 | 2月19日(金)17.5% | [104] |
15 | 2012年 | 5月11日(金)14.6% | [105][106] |
16 | 2013年12月27日(金) | 12.9% | [107] |
17 | 2017年 | 1月13日(金)12.7% | [108] |
18 | 2019年 | 1月 4日(金)10.4% | [109] |
19 | 2020年12月25日(金) | 10.2% | [110] |
- 19回目までの放送日と視聴率の出典:日刊スポーツ 2020年12月28日記事など
関連番組・作品
ラジオ特番
- オールナイトニッポン 風の谷のナウシカスペシャル
- アニメ映画公開前日の1984年3月10日深夜(日付は3月11日)にニッポン放送「オールナイトニッポン」で映画を宣伝する「風の谷のナウシカスペシャル」が生放送された。ゲストは監督の宮崎駿やナウシカガールの安田成美。この特別番組内では、約30分のラジオドラマが流された。
- 当時の同種のアニメ映画のオールナイトニッポンスペシャルでは生のラジオドラマも多かったが、本作では事前に収録が行なわれていた。宣伝という性格上、ストーリーと声優のキャスティングはアニメ版に準拠し、途中までをドラマ化し、続きを映画館で見せるとの趣向だった。脚色は藤井青銅、演出はドン上野こと上野修[111]。
特撮短篇作品
コンピュータゲーム
劇場アニメ版とのタイアップとして、1984年に徳間書店からテクノポリスソフトのブランド名で、当時の8ビットパソコン用にナウシカを素材としたコンピュータゲームが発売された。
- 『風の谷のナウシカ』
- PC-8801用。徳間書店、アドベンチャーゲーム、6,800円。
- 『ナウシカ危機一髪』
- PC-6001mkII用。シューティングゲーム。土鬼の飛行ガメを撃ち落としていく。
- 『忘れじのナウシカ・ゲーム』
- MSX用。シューティングゲーム。ストーリー的には漫画版をベースにしている。風の谷へ侵攻する土鬼を最終的には交渉して引き返させるのが目的。ガンシップ、メーヴェ、バージの連結・切り離し、土鬼の浮砲台、飛行ガメ、王蟲、ストロボ光弾など原作の要素が含まれている。飛行している蟲は撃ち落とすことはできず、接触すると減点となる。
「ナウシカのゲームが、ナウシカが腐海の蟲たちを撃ち殺してスコアを稼いでゆくというもので、このゲームに宮崎や高畑が激怒したため、以降の作品がゲーム化されなくなった」という説があり、宮崎駿がコンピューターゲーム嫌いになったのはこのゲームが原因という記述が井坂十蔵の『宮崎駿のススメ。』にもあるが、実際にはこのような内容のゲームは存在しない。
その他
1987年に徳間書店〈アニメージュ文庫〉で、ゲームブック『巨神兵を倒せ! 「風の谷のナウシカ」より』[112]が発売された。
ツクダホビーからは、『風の谷のナウシカ』というボードウォー・シミュレーションゲームが発売されている。頭、胴、右腕、左腕、右足、左足、盾、手持ち武器がそれぞれ駒になっており(長剣などは2ヘクスの駒)、1対1の剣格闘で剣を振りかぶって斬りつけるなどの動作を再現している。
脚注
注釈
- ^ キャッチコピー「少女の愛が奇跡を呼んだ」は映画宣伝会社メイジャーの宣伝プロデューサー徳山雅也によるもの(叶(2006)、p.63)。
- ^ 『名探偵ホームズ』は宮崎がテレコム・アニメーションフィルム在籍時に演出として参加していながらお蔵入りになっていたもので、宮崎の手がけた短編6作品のうちの2作品。後のテレビシリーズとは声優など細部で異なる点がある。
- ^ クシャナが巨神兵移送を命じる本国に対し、バカ共達の玩具にさせる気はないと触れる程度。
- ^ 最初に高畑にプロデューサー就任を断られたとき、宮崎は酒席で「高畑に全青春を捧げたのに」と涙を流したという(鈴木(2008)、p.41)。
- ^ 「ハーモニー」とはセル画にセルカラーをベタ塗りするのではなく、グラデーションを付けて絵画的に表現する技法。出崎統の演出法として知られる。動画ではなく止め絵に用いるのが一般的。本作でも王蟲の動きの多いカットでは通常の動画処理している。
- ^ BOØWYは当時、徳間ジャパンと契約していた。
- ^ 1984年公開の長編アニメ映画では、『ドラえもん のび太の魔界大冒険』の配給収入16.5億円がトップ(日本映画製作者連盟)。
- ^ 他のジブリ作品同様、テレビ放送は『金曜ロードショー』での独占となっている。
- ^ 実際に、DVD等の映像作品のジャケットにも「スタジオジブリ作品」と表記されている。ただ、ジャケット裏側の「制作」のクレジットはトップクラフトである。また、『ルパン三世 カリオストロの城』(TMS作品)など、宮崎駿や高畑勲が深く関わった作品も「ジブリがいっぱいコレクションシリーズ」のラインナップに含まれている。
出典
- ^ a b “スタジオジブリ4作品、26日から上映 『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』”. オリコンニュース. (2020年6月18日) 2020年6月18日閲覧。
- ^ 116分27秒05コマ
- ^ 鈴木俊夫『ジブリの仲間たち』新潮新書、2016年、p.20
- ^ “新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」宮崎駿がOK出した2つの条件 : 映画ニュース”. 映画.com (2019年9月30日). 2020年12月11日閲覧。
- ^ 梶山寿子『ジブリマジック――鈴木敏夫の「創網力」――』 講談社、2004年、p.33。
- ^ 『スタジオジブリ作品関連資料集 型録Ⅰ』スタジオジブリ、1996年。
- ^ 宮崎駿『風の谷のナウシカ ワイド判 第一巻』徳間書店、26頁。
- ^ 『スタジオジブリ作品関連資料集 型録Ⅰ』スタジオジブリ、1996年、p.14,19頁。
- ^ 『ロマンアルバム・エクストラ61 風の谷のナウシカ』徳間書店、1984年。
- ^ 『ロマンアルバム・エクストラ61 風の谷のナウシカ』164頁に蟲よけの塔の近くにあるという記述があり、同書の168頁に蟲よけの塔は砂漠の中にあるという記述がある、徳間書店。
- ^ 宮崎駿『風の谷のナウシカ ワイド判 第二巻』徳間書店、1983年、97頁。
- ^ 『風の谷のナウシカ ロマンアルバム・エクストラ61』徳間書店、169頁。
- ^ 宮崎駿『風の谷のナウシカ ワイド判 第7巻』徳間書店、144頁。
- ^ 『風の谷のナウシカ ロマンアルバム・エクストラ61』徳間書店、167頁。
- ^ 宮崎駿『風の谷のナウシカ ワイド判 第7巻』徳間書店、130頁。
- ^ 『風の谷のナウシカ ロマンアルバム・エクストラ61』徳間書店、165頁。
- ^ a b c d 『スタジオジブリ作品関連資料集 型録Ⅰ』スタジオジブリ、1996年。
- ^ 『ロマンアルバム・エクストラ61 風の谷のナウシカ』徳間書店、1984年。
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- ^ 宮崎駿『風の谷のナウシカ ワイド判 第三巻』徳間書店、1985年、14頁。
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- ^ 宮崎駿『風の谷のナウシカ ワイド判 第二巻』徳間書店、p.26,79頁。
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- ^ 「千と千尋の神隠し」歴代最高興収更新!再上映の8.8億加算で316.8億に(映画.com 2020年12月15日)
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- ^ 『今日から俺は!!劇場版』初登場1位を獲得! シネマトゥデイ (2020年7月20日)
- ^ 『今日から俺は!!』2週連続1位!『コンフィデンスマンJP』新作2位に初登場 シネマトゥデイ (2020年7月27日)
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- ^ 『映画ドラえもん のび太の新恐竜』が初登場1位! シネマトゥデイ (2020年8月11日)
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- ^ この当時に放送されていた「水曜ロードショー(「金曜ロードショー」の前身番組)」ではなく「土曜トップスペシャル」枠での放送。所謂「金曜ロードショー枠」以外での放送はこの初回放送のみ。
- ^ 「金曜ロードショー」での放送はこの回から。
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- ^ 藤井青銅『ラジオな日々 80's RADIO DAYS』小学館、2007年、p.198。
- ^ 「巨神兵を倒せ!」(下村家恵子・文、ふくやまけいこ・イラスト、アニメージュ文庫、1987年7月)。ISBN 4-19-669563-9
参考文献
- 井坂十蔵編著『宮崎駿のススメ。-「宮崎アニメ」完全攻略ガイド』21世紀BOX 、2001年7月。ISBN 4-88469-235-7
- 尾形英夫『あの旗を撃て!-『アニメージュ』血風録』オークラ出版、2004年11月。ISBN 4-7755-0480-0
- 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年。ISBN 4-84590687-2
- 酒井信『最後の国民作家 宮崎駿』文藝春秋〈文春新書〉、2008年
- 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ、2005年4月。ISBN 4-8356-1540-9
- 鈴木敏夫『仕事道楽 スタジオジブリの現場』岩波書店〈岩波新書〉、2008年。 ISBN 978-4-00-431143-0
- スタジオジブリ責任編集『ナウシカの「新聞広告」って見たことありますか。-ジブリの新聞広告18年史』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2002年7月。ISBN 4-19-861538-1
- 高畑勲『映画を作りながら考えたこと-1955〜1991』徳間書店、1991年8月。ISBN 4-19-554639-7
- 宮崎駿『風の帰る場所-ナウシカから千尋までの軌跡』ロッキング・オン、2002年7月。ISBN 4-86052-007-6
関連項目
外部リンク
- 風の谷のナウシカ - スタジオジブリ公式サイト
- 風の谷のナウシカ - 日本映画データベース
- 風の谷のナウシカ - allcinema
- 風の谷のナウシカ - KINENOTE
- 風の谷のナウシカ - MOVIE WALKER PRESS
- 風の谷のナウシカ - 文化庁日本映画情報システム
- 風の谷のナウシカ - 映画.com
- Nausicaä of the Valley of the Wind - オールムービー
- Nausicaä of the Valley of the Wind - IMDb
- SF MOVIE DataBank:風の谷のナウシカ
- 風の谷のナウシカ - Rotten Tomatoes