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5thアルバム製作中に、事務所の人間に無理矢理連れて行かれた先の[[タイ王国]]で文化的な衝撃を受け<ref group="注釈">タイショックと呼ばれる</ref>、作風にも大きな変化が表れている。1995年頃からタイの[[ニューハーフ]]であるサオプラペーッソン(平沢はSP-2と呼んでいる)<ref group="注釈">saopraphetson、สาวประเภทสอง:第二の女性/平沢の著書やHPでSP2とも表記されることがある</ref>に深い関心を示し、繰り返し現地を訪れている<ref>{{Cite web|title=平沢進がタイの「第2の女性」に密着したエッセイ集|url=https://natalie.mu/music/news/10450|website=音楽ナタリー|accessdate=2021-04-21|language=ja|first=Natasha|last=Inc}}</ref><ref>{{Cite web|title=「カトゥーイ」禁止令 – Phantom Notes|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site|url=https://susumuhirasawa.com/phantom-notes/2005/06/03/33|website=susumuhirasawa.com|accessdate=2021-04-21}}</ref>。以降、彼女たちには、レコーディング時にコーラスとして協力を仰いだり、ライブアクトとして招聘するなどしたことがある<ref>{{Cite web|title=INTERACTIVE LIVE SHOW 1995「SIM CITY」 – 平沢進・公式サイト|information|url=https://susumuhirasawa.com/information/archives/197|website=susumuhirasawa.com|accessdate=2021-02-01}}</ref><ref>{{Cite web|title=「LIVE 点呼する惑星」Tenkosuru Wakusei (Planet Roll Call) – 平沢進・公式サイト|information|url=https://susumuhirasawa.com/information/archives/179|website=susumuhirasawa.com|accessdate=2021-02-01}}</ref><ref>{{Cite web|title=東京異次弦空洞 DVDTokyo I-jigen Kudou DVD – 平沢進・公式サイト|information|url=https://susumuhirasawa.com/information/archives/175|website=susumuhirasawa.com|accessdate=2021-02-01}}</ref>。2004年には、平沢と親交が深かった9人の彼女たちが相次いで亡くなったことを受け、彼女たちを追悼するアルバム『[[SWITCHED-ON LOTUS]]』が製作された<ref>{{Cite web|title=SWITCHED ON LOTUS – 平沢進・公式サイト|information|url=https://susumuhirasawa.com/information/archives/154|website=susumuhirasawa.com|accessdate=2019-05-27}}</ref>。サオプラペーッソンの存在そのものが、創作意欲に大きな影響を及ぼしていると本人は語っており、彼女たちに対して大きな尊敬を以て接していることがその言動から見て取れる。 |
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また、1994年から1998年、2000年、2007年にはファンクラブ旅行『万国点検隊』を開催<ref>{{Cite web|title=万国点検隊FAQ|url=http://susumuhirasawa.com/vote/faq.htm|website=susumuhirasawa.com|accessdate=2021-04-21}}</ref>。主にタイ王国を舞台とし、インタラクティブライブで行われるような[[ゲーム]]が展開された<ref>{{Cite web|title=平沢進、伝説の「万国点検隊」ツアーがDVDで登場|url=https://natalie.mu/music/news/8693|website=音楽ナタリー|accessdate=2021-04-21|language=ja|first=Natasha|last=Inc}}</ref>。1995年、1997年にはインタラクティブライブやアルバムの物語の続編として行われた。2000年以降のタイ王国での開催ライブの収益は現地の児童支援団体に[[寄付]]している。 |
また、1994年から1998年、2000年、2007年にはファンクラブ旅行『万国点検隊』を開催<ref>{{Cite web|title=万国点検隊FAQ|url=http://susumuhirasawa.com/vote/faq.htm|website=susumuhirasawa.com|accessdate=2021-04-21}}</ref>。主にタイ王国を舞台とし、インタラクティブライブで行われるような[[ゲーム]]が展開された<ref>{{Cite web|title=平沢進、伝説の「万国点検隊」ツアーがDVDで登場|url=https://natalie.mu/music/news/8693|website=音楽ナタリー|accessdate=2021-04-21|language=ja|first=Natasha|last=Inc}}</ref>。1995年、1997年にはインタラクティブライブやアルバムの物語の続編として行われた。2000年以降のタイ王国での開催ライブの収益は現地の児童支援団体に[[寄付]]している。 |
2021年12月3日 (金) 11:42時点における版
平沢 進 | |
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別名 | |
生誕 | |
出身地 | 日本・東京都 |
学歴 | 東京デザイナー学院 |
ジャンル | |
職業 |
|
担当楽器 |
|
活動期間 | 1973年 - |
レーベル | |
事務所 | |
共同作業者 | |
公式サイト | SUSUMU HIRASAWA OFFICIAL WEBSITE |
ケイオスユニオン公式チャンネル | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2007年10月18日 - |
ジャンル | 音楽 |
平沢 進(ひらさわ すすむ、1954年〈昭和29年〉4月1日 - )は、日本のミュージシャン・音楽プロデューサー・映像CGアーティスト。有限会社ケイオスユニオン代表取締役[8]。第79回アカデミー賞歌曲賞部門ノミネート候補[9][10]。常に時代に先駆けた姿勢で音楽活動を行い、音楽業界内外のアーティスト達へ影響を与え続けている[6][11][12]。愛称は「師匠」[注釈 5]「ヒラサワ」[注釈 6] 「ステルス」[注釈 7] 「音楽使い」[注釈 8]。
概要
1973年にプログレッシヴ・ロックバンド・MANDRAKEを結成、音楽活動を開始[13][14]。
1979年にテクノポップバンドP-MODELのボーカル・ギター担当としてシングル『美術館で会った人だろ (ART MANIA)』でメジャーデビュー[15]。テクノ御三家の一角として、テクノポップブームの火付け役となり、テクノ、ニューウェイブシーンにおける中心的存在となる[16]。
1984年からはバンドと並行し、自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」などを使用した実験音楽サンプリングユニット『旬』を結成。
1989年にはソロアルバム『時空の水』をリリースし、バンド、ユニットと並行してソロ活動を開始[17]。ソロ作品ではより歌に重心を置いた無国籍風サウンドで「過去(神話/民族的)」と「未来(SF/コンピューター的世界)」が「現在」に出会ったかのような独自の音楽世界を確立した[18][19][20]。
プログレッシブ・ロック、テクノポップ、ニューエイジ、ポストパンク、ニュー・ウェイブ、シンフォニー(交響曲)、 アコースティックにオーケストラ等と音楽性は幅広い[21][22]。並びに東南アジアや江戸木遣に落語といった民族音楽及び伝統音楽にも造詣が深く、様々な音楽ジャンルのエッセンスを昇華した作品を発表している[23][24][25]。多数の別名を使用しており、バンド、ソロ、サウンドトラック、提供曲を含め総作曲数は400曲を超える[26]。
歌唱では軍人のような低い声にシャウトからオペラのようなファルセットまで、様々な声色を使い分ける[27][28]。演奏楽器はタルボギター[29]、アコースティックギター[30]、エレクトリックチェロ[31]の他、プログラミング[32]、テスラコイル[33]、レーザーハープ[34]など多岐にわたる。人工音声合成ソフト(VOCALOID)を初音ミク販売以前の黎明期から使用しており、VOCALOIDを楽曲やライブで利用した先駆者でもある[35][36][37]。
アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music(RYM)」の『史上最高の日本の音楽アルバム』では、ソロアルバム「救済の技法」が名邦盤ランキングにて第9位の評価を得ている他、RYMの世界ジャンル別評価では「救済の技法」がプログレッシブ・ポップランキング4位、平沢のソロユニット核P-MODELの「回=回」がエレクトロ・インダストリアルランキング6位、エレクトロ・ポップランキングではP-MODELの「P-MODEL」が9位、「Big Body」が8位、「電子悲劇/〜ENOLA」が1位。また、2021年発売のソロアルバム「BEACON」が同年のRYM世界年間アルバム評価チャートにて、アート・ポップ・アルバムで7位、プログレッシブ・ポップ・アルバムで3位と高い評価を得ている。
インターネットを黎明期から活用しており、1994年からはソロアルバムをコンピューターを駆使し自身1人での作成に切り替え、Perl言語でプログラミングを行いインターネット上に立ち上げた自身の掲示板を販売サイトに変えオンライン上での販売を開始[38][39]。バンドであるP-MODELにても、メンバー達も個々で活動をしつつ、オンライン上のやり取りにより遠距離でのP-MODELのアルバム作成を、インターネットとコンピューター並びにコンピュータグラフィックス(映像CG)を駆使した、会場と在宅の観客同時参加型マルチメディアコンサート「インタラクティブ・ライブ」を支援者の協力を得て開始。[40][2][41][42][43]。2000年に行われた「インタラクティブ・ライブ・ショウ 2000 賢者のプロペラ」が平成14年度、デジタルコンテンツグランプリ2001において「作品表彰の部」の最高賞である経済産業大臣賞、並びにエンターテイメント部門最優秀賞を受賞している[44][45]。インタラクティブライブについて詳細は後述する。
また、世界最古の映画機関の一つである英国映画協会(BFI)から1988年の『AKIRA』や2001年の『千と千尋の神隠し』などと共に、傑作アニメ映画に選定されている2006年のアニメ映画『パプリカ』の劇伴を担当し、主題歌である「白虎野の娘」が米国で行われる第79回アカデミー賞歌曲賞のノミネート候補に選定された[46][47][48]。
平沢独自の音楽性や世界観は米津玄師[49]、DAOKO[50]、Aimer[51]、メトロノーム[52]、トビー・ドライヴァー[53]、リッカルド・ブレッド[54]等のミュージシャンの他、三浦建太郎、今敏[55][56][57][58]、秋元きつね、古坂大魔王[59]、吉田大八[60]、吾峠呼世晴[61]、ベネディクト・シュナイダー[62][63][64]といったクリエイター等も国内外問わず影響を公言している。常に時代に先駆けた姿勢で音楽活動を行い、音楽業界内外のさまざまなアーティストたちへ影響を与え続けている[65]。
1999年にはメジャーレーベル出身のアーティストで国内初となる、MP3によるデジタル音楽配信を開始する[66][67]。それに伴い、音楽配信の弊害となるメジャーレーベルを離脱し、以降は自社レーベル「CHAOS UNION[68]」にてインターネットを中心に活動を行っており、作品の販売や映像コンテンツの配信、ライブコンサートも自身と少数の社員らで企画して行っている[18]。2004年からはソロプロジェクト「核P-MODEL」としても活動している。
ライブ映像DVDやグッズ、一部のアルバムは自社の「テスラカイト・オンラインショップ」にて限定販売されており、会員限定作品も存在する[69]。ファンクラブは「GREEN NERVE(GN)」[70]。
来歴
P-MODEL結成まで
幼少期はラジコンの改造を楽しんでいたが、配送しにやって来る牛乳配達のお兄さんがジミ・ヘンドリックスやクリームのレコードなどを教えてくれたことがきっかけで音楽にへと傾倒していった[71]。10歳頃にTHE SPOTNICKS[72][73]やThe Atlantics[74]に触発されてエレキギターを手に取り音楽活動を始める。ギター技術を買われて大人達のバンドに誘われ、神社等でセッション等をして過ごしていた。その後、一旦音楽を離れモトクロスに転向。しかし、高校生のときにトラックとの事故を起こしたことがきっかけで音楽活動を再開する[74][75]。
東京デザイナー学院に進学した1973年頃にHR/HMバンド『マンドレイク』を結成[76]。初期はブラック・サバスをコピーする[77]などハードロック色が濃かったが、年々プログレッシブ・ロックに傾倒していった。結成当初、平沢はギタリストとして参加していたが、活動途中でボーカル担当が失踪してしまった為、急遽代役としてボーカリストを始めた[78]。1975年に卒業制作作品「Hall for Tangerine dream〈胎内から宇宙意識への回帰〉」を発表し、インテリアデザイン科を卒業する[79]。
専門学校を卒業後、マンドレイクは精力的に活動を行い、最終的にはレコード会社数社に声を掛けられるほど成長したが、1978年に解散する[80][81]。
マンドレイク解散前には既にP-MODELへの模索が始まっており、マンドレイクのメンバーであった田中靖美と共に、電子音楽を演奏するバンド『バッハ・リヴォリューション』に参加。同バンド内で神尾明朗と出会う。神尾とは後にP-MODELで「FISH SONG」を共作し、P-MODELや平沢ソロのプロデューサーを務める事となる。同時期にモーグ・シンセサイザーを用いてバロック音楽などをアレンジしたものを製作[注釈 9]。1978年には神尾の勧めで週刊プレイボーイ誌上で行われたシンセサイザーの多重録音コンテストに参加。作品「いりよう蜂の誘惑」が入賞し、入賞作品を集めたコンピレーション・アルバム『驚異の頭脳集団』に収められメジャーリリースされた[81][注釈 10]。
1979年にP-MODELを結成し、メジャーデビューを果たす[81]。当時レコードが売れても中々自分達の手元に金銭が渡らず、餓死しかけたため平沢は全財産600円で「食べられる雑草の本」を購入した事もあった[82][83]。XTCやヴァン・ヘイレンの来日ツアーの前座を務め、日本武道館での演奏も行った[84]。ツアー中、ヴァン・ヘイレンはP-MODELの曲を気に入ってリハーサルで演奏することもあったと平沢は語っている[85]。1980年3月に京都で行ったライブに当時京都に滞在していたデヴィット・ボウイが観客の一人として現れる。ライブ後にメンバーらの楽屋にボウイは訪れ、メンバーと語らった[86]。米国に帰国後、ボウイは米国版PLAYBOY誌にて坂本龍一と対談し、坂本から日本に気になるアーティストが居たかと聞かれた際、ボウイはP-MODELが気になっていると語っている[87]。2016年、ボウイが死去した翌日に平沢は自身のTwitterにて当時の思い出と彼への思いを語っている[88]。
また、この頃の平沢は「怖さ」を強調しており、客からの野次に対して真っ向から反応し同調圧力に対しては怒りで対処する等のエピソードがある[89]。当時のリスナーであった編集者の高橋かしこは「音のみぞ」トークイベントで、80年代の平沢の印象を「殺されそうな殺気のある感じだった」と述べている[90]。
1978年から1981年頃まで『バッハ・リヴォリューション』のメンバーが運営する会社「エレクトロサウンド」に所属し、ヤマハのシンセサイザー教室の講師やマニピュレータ、CMソング制作などの仕事を行うようになる[81]。バンド活動と並行してペンネームでの楽曲制作を行い、プロレスラー長州力の入場テーマ曲「パワー・ホール」を異母犯抄として作曲[91]。ストロング・マシーンの入場曲「ハリケーンズ・バム」も福来良夫名義で作曲している[92]。1982年には平沢が講師を務めていたシンセ教室の生徒だった折茂昌美と足立眞理をShampooとしてプロデュースを行い、メジャーデビューをさせている。以降、折茂とは長らく交流が続き、1990年には島崎和歌子に提供した楽曲「アフリカのクリスマス」の共作、2005年に行われたイベント『氷の集いは反射の9』、2013年のインタラクティブライブ『ノモノスとイミューム』にはゲストとして参加している[93]。
また、CMソング制作は90年代前半まで行っており、テクノポップからカントリー風な物まで様々な作風の物を作曲した。これが平沢ソロでのバラエティに富んだ音楽性に繋がっている[94]。
1984年には実験音楽サンプリングユニット『旬』を結成[95]し、1996年までにシングル・アルバム含め6作品を発表している[96]。なお、当時のサンプリングマシンは非常に高価で個人が気軽に所有出来る物ではなかった為、平沢はラジオカセットレコーダー2台を改造して自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」制作した[97]。
また、1987年頃から関西のテクノユニット『4-D』の小西健司と共に「不幸を退治する」との名目でフロッピーの往復書簡で遠距離での楽曲制作を始める[98]。この時に制作された楽曲は1996年に「不幸のプロジェクト」名義でアルバム『不幸はいかが?』として発売された[99]。
ソロデビュー
1988年12月、P-MODELが『凍結』と称して活動休止を宣言。その後、P-MODELは1991年にバンドの『解凍』を宣言し、『解凍』P-MODELとして期間限定で活動した後、一時的な休止期間を経て1994年に『改訂』P-MODELとして再び活動を再開する[95]。詳細はP-MODEL#来歴を参照。
1989年1月に当時のファンクラブ「モアレ・クラブ」会員向けに全編CGで作られたビデオ『平沢進のCG年賀状』が販売され、同ビデオ内でP-MODELの活動休止の経緯とソロ活動開始を発表する。同年9月にアルバム『時空の水』をリリースし、ソロとして活動を開始[95]。同時期に所属事務所をMODEL HOUSEからアイスリープロモーションへ移籍する[100]。また、同年12月から2002年3月まで、ニフティサーブ(パソコン通信)のAMIGAフォーラムにて平沢進のエッセイ『来なかった近未来』が連載された[101]。
1991年にはロボットSFアニメ、OVA「デトネイター・オーガン」の音楽を担当する[102]。以降は劇伴製作にも進出し、HTB『人間ビジョンスペシャル カムイ・ミンタラ 神々の遊びの庭・阿寒』や志摩スペイン村にて上演されたライブショー『ロストレジェンド〜失われた大陸の伝説〜』の音楽を担当した[103][104][105]。また、1992年には長野県茅野市のからくり時計台のオルゴールを作曲した[106][107]。
なお、「カムイ・ミンタラ」のサウンドトラックは当時発売されず、その中で使用された楽曲である「カムイ・ミンタラ」のみが、1992年に発売したベストアルバム『魂のふる里』に収録された。完全収録されるのは2012年発売のボックスセット『HALDYN DOME』まで待つこととなる。
1991年には戸川純が率いるバンド、ヤプーズのサポートギタリストとしてライブに参加。翌年にはヤプーズに楽曲「ビールス」「Y-Dash(コンドルが飛んでくる)」を提供[108][109]。その後、1995年には戸川純のアルバム『昭和享年』に平沢がアレンジを手掛けた「バージンブルース/野坂昭如」、「リボンの騎士・能加平/ 冨田勲」、「夜が明けて/坂本スミ子」を提供した[110]。その他、1998年・1999年には声優の宮村優子のアルバム「魂」と「大四喜」に楽曲「MOON」「Mother」「Ruktun or Die」を提供した[107]。
1994年にはディスクユニオン内に独自レーベル「DIW/SYUN」を設立。主に『旬』や『P-MODEL』関係のアルバムが発売された。
また、同年にストーリー仕立ての観客参加型マルチメディア・コンサートとして「インタラクティブ・ライブ」を開始[111]。詳細は後述する。
また、1994年7月8日から翌年の1995年3月31日まで初の冠番組である『平沢進のテクノ実験工房』がFM群馬にて放送され[95]、平沢と共に上野洋子(元ZABADAK)がパーソナリティを務めた[112]。同年10月28日、女子美術短期大学にてAMIGAによるコンピューターグラフィックス(CG)制作方法とインタラクティブ・ライブの解説を主題とした「平沢進講演会」が開催[113][114]。この「平沢進講演会」は1996年にも同大学にて開催している[115]。
1996年には当時の所属していたレコード会社である日本コロムビア内に独自レーベル「TESLAKITE」を設立。第一弾としてシングル「サイレン*SIREN*」とアルバム『SIREN』を発売する[116]。
同年、改訂P-MODELメンバーがそれぞれソロに別れて活動を行うプロジェクト「Unfix」が開始。その一環であるオールナイト・イヴェント『Unfix #3 コミュノ・ハイブリディア』が同年11月に新宿リキッドルームにて開催された。平沢を含むP-MODELのメンバー4人がそれぞれソロステージを行うというものだったが、平沢は当日になり急遽欠席。翌年の1997年にアイスリープロモーションを退社し、個人事務所であるケイオス・ユニオンを設立[117]。この際に送付された新事務所・ファンクラブ発足告知によると、前年の欠席の理由は「殺人的なスケジュール」による平沢の心身の不調だったものと書かれており[118]、後に平沢はパニック障害を患っていた事を告白している[119]。
個人事務所設立後の活動
1999年、P-MODELはMP3を使用してインターネット上で新曲を配信すると発表した[120]。この楽曲配信の弊害となる為、日本コロムビアとの専属契約を解除し、日経BP社の協力により配信サイト「P-PLANT」を立ち上げた。このMP3による楽曲配信は、メジャーレーベルで活躍してきたプロアーティストとして日本で初めての試みであった[121][122]。また、同年にはプログレッシブ・ロック・バンド、クラスターのメンバーであるレデリウスおよび小西健司(4-D・P-MODEL)と、ネット上でのやり取りだけでコラボレーションを行い、『Global Trotters』としてアルバム『Drive』をリリースする[95]。
2000年12月、P-MODELが『培養』を宣言。平沢に活動再開の意思は無く、事実上の解散である[123]。同年には通算8枚目となるソロアルバム『賢者のプロペラ』をケイオスユニオンより発売。CD版とMP3版がそれぞれ制作・販売されており、アレンジが互いに異なっている[124]。本作以降は原則的にケイオスユニオン内レーベル「TESLAKITE」にて作品が販売される。
2000年代に入ってからは再びアニメやゲームの劇伴制作を行うようになり、2000年にはゲーム『ラグナキュールレジェンド』のテーマ曲として「星を知る者」を提供。また、同年に今敏によるアニメ映画『千年女優』の劇伴を担当する。以降、同監督作品『パプリカ』とTVシリーズ『妄想代理人』の劇伴を手掛ける。2006年公開の『パプリカ』の音楽は「東京アニメアワード 2007」にて個人部門・音楽賞を受賞し、米国での第79回アカデミー賞のオリジナル歌曲部門に『パプリカ』のエンディングテーマである「白虎野の娘」がノミネートされた[125][126][127][128]。その他、三浦建太郎原作のアニメ・ゲーム『ベルセルク』シリーズの劇中歌や楽曲を制作した[129]。
2001年7月2日、プロジェクト『Hirasawa Energy Works』[130]がスタート。これは必要な電気エネルギーの全てを太陽発電に委ねて音楽製作を試みるプロジェクトであった。プロジェクト第一弾としてアルバム『SOLAR RAY』が製作される[131]。その後、太陽発電及びこのプロジェクトに賛同するファンの協力による自然からの蓄電(エナジーハンティング)のみを利用したライブ『SOLAR LIVE』[132]を敢行した。このプロジェクトはNHK BS2やTBSで特集された。翌年の2002年には『Hirasawa Energy Works』の第二弾として、P-MODELのほぼ全ての音源を網羅したボックスセット『太陽系亞種音』[133]を発売。太陽発電を用いたスタジオである「Solar Studio(studio WIRE SELF 2002)」でリマスタリング[134]された。
2003年、イラク戦争に対する抗議の意思を表すべく『殺戮への抗議配信』と題し、楽曲「高貴な城」「Love Song[2003年バージョン]」の無料配信を行った[135]。同年3月には坂田四郎名義でゆいこのシングル『陸の人よ』(アサヒビール『穣三昧』CMソング)の制作を手掛け[注釈 11]、10月にはNHK『おかあさんといっしょ』内で放送される「地球ネコ」の作詞作曲をした[注釈 12][136](2006年12月にも再度放送された)。
2004年、P-MODELとは異なるものとして、『核P-MODEL』名義で活動を開始。同年10月に『ビストロン』発売後、断続的に活動を行う[137]。(詳細は核P-MODELのページを参照。)
2007年からは従来のインタラクティブ・ライブとは異なる「ノン・インタラクティブ・ライブ」[注釈 13]として『LIVE PHONON 2550』を開催。その後も継続的に開催している[138]。
2008年6月、イタリアのデス・メタル系ヴォーカリストのリッカルド・ブレット(InhVmaN)との共作でマキシ・シングル『Tetragrammaton (テトラグラマトン)』をリリース[139][140]。同年11月、タイ王国の第2の女性で平沢の友人らである23人のSP-2[141]との1994年からの交流から生まれたエピソードを彼女たちの写真と共に綴ったエッセイ集、『SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』を自社出版した[142]。
2009年からTwitterアカウントを開設。同年より放送されたかきふらい原作のアニメ作品「けいおん!」に自身の名前が由来とされる主人公が登場していた事や[注釈 14]、「けいおん!公式ホームページ」にてP-MODELのデビュー曲名をリスペクトした物が「けいおん!ゆるふわスタッフブログ」にて掲載される等があり[注釈 15][143]、それによりフォロワー数が増えてしまっていると感じた為「間違えてないか?私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない。[144]」とツイ―トした所、更にフォロワー数が(1日で1万3180人まで)急増してしまう事となった[145][146][147]。この出来事が自身のTwitterの方向性を決める事に繋がったとしている[148]。以降、毎週水曜日以外の連日、フォロワー及びファンとの交流として21時から22時までツイートを行うようになる[149]。
2010年11月15日、「今敏監督を送る会」に参加[150]。
2011年、フォロワー数5万人突破記念として平沢の作業風景[注釈 16]を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』がUSTREAMにて不定期配信される[151]。同年、東日本大震災が発生した際に自宅が被災。自身は当時仕事上の関係でタイ王国に滞在していたが、同年の3月21日に被災された方々へ祈りを捧げる為にWat Raikching寺院に頼み、亡くなった方のご冥福と残った日本人の安全を祈願した寺院の僧侶達との映像をインターネット上で発信し届けた[152]。
2012年2月、1st~7thまでのオリジナルアルバムとシングルカップリング曲や発掘音源などを網羅したボックスセット『HALDYN DOME』発売。上述した「地球ネコ」も収録されており、平沢自身がボーカルを務めるリアレンジ版が収録されている[153]。2017年には『HALDYN DOME』のブックレットに掲載されている文章を朗読したものと楽曲を交えて構成された初のナレーション作品『第6フォルマント』を配信した[154]。
2014年、声優の上坂すみれのラジオ番組「すみぺ的 音楽談議◆黙示録」の放送1周年ゲストとして出演[155]。同年にはフォロワー数7万人突破記念として平沢が合計7万歩散歩をする『HIRASAWA追跡70000歩』がUSTREAMにて不定期配信される[156]。
2016年、元SOFT BALLETの藤井麻輝と森岡賢の音楽ユニットminus(-)のライブ、<minus(-)LIVE 2016“ecru”>にゲスト参加。SOFT BALLET時代に一度セッションした事のある曲、「Texture」も演奏した[157]。同年12月には、クリスマスイベント「ヒカシュー 絶景クリスマス」にケラとありふらんぽと共にゲスト参加。ヒカシューのリーダー巻上公一と共に庭師KINGやRuktun or Die、美術館で会った人だろ等を演奏並びに歌唱した[158][159]。どちらのゲスト参加ライブもその後ライブ映像ディスク化され発売された[160][161][162]。
同年、グリーンナーブ会員限定イベント『景観する循環カフェ』が吉祥寺のスターパインズカフェにて10月から11月まで開催[163]。また、2017年3月15から17日までの3日間に追加公演が開催された[164]。
2017年4月2日、TVアニメ「ベルセルク」 のビジュアル・スペクタクル・イベント 「蝕2017 ~生贄たちの宴~」に岩永洋昭、下野紘ら声優陣と共に参加し、ライブの回にて担当劇中歌「灰よ」をレーザーハープでの演奏と共に披露した[165]。また、サイバーパンクゲーム『RUINER(ルイナー)』に楽曲提供を依頼され、ポリドール時代の楽曲「トビラ島」等がゲーム内にて使用される[166][167]。また、同年には三島由紀夫の小説「美しい星」の実写映画に1stソロアルバム「時空の水(1989年)」より「金星」を提供した[168]。
同年10月にはTwitterフォロワーが9万人を超した事から、溶接マスクを付けた正体不明の二人組「黒会人」と、P-MODELメンバーの一人であったドラマーの上領亘を迎えライブ『第9曼荼羅』を開催[169]。
なお、「会人」は以降のライブでもサポートメンバーとして参加し、2019年7月にはペストマスクを装着した「白会人」とのユニット『平沢進+会人(EJIN)』としてフジロックフェスティバル'19にてフジロック初出演した[170][171]。平沢はこのユニットを『会然TREK(エシカル・トレック)』と命名し、同ユニットで約一年間活動した[172][173]。同年11月のバトルスの来日ツアーには同ユニットにサポートドラマーとしてユージ・レルレ・カワグチを迎え、オープニングアクトとしてツアーに帯同した[174]。2021年にはTwitterフォロワーが24万人を超した事から、ルベドマスクを装着した正体不明の二人組「ルベダリアン会人」とサポートドラムに再びユージ・レルレ・カワグチを迎え、『平沢進+会人(EJIN)』名義でライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催[175]。同ユニットで同年8月のフジロックフェスティバル'21の最終日の大トリとしてWHITE STAGEに出演した[176][177][178][179]。
2019年2月13日にゲンロンカフェにて2000年からの付き合いである精神科医の斎藤環と共に対談配信を行い、配信後に無期限アーカイブとして有料レンタル公開がされる[180]。
同年12月、茨木県つくば市のベジタブル系ラーメン専門店「KENJUキッチン[181][182]」の店主との対談を行い、平沢の実兄である平沢You1のYoutubeチャンネルにて無料公開された[183][184]。
2020年、元P-MODELメンバーの福間創の5年ぶりのフルアルバム『this is our music』に同じく元メンバーの小西健司と共にゲスト参加[185]。2021年7月に発売された『FILTER Volume.01』創刊号には三人が登場し、鼎談「シンセサイザーの制御と表現」が特集される。また、表紙アーティストとしても掲載された[186]。
2021年3月には同じく元メンバーであった上領亘が参加するネオ民謡ユニットNeoBalladのアルバム「『05』-zerogo-」に平沢がギターゲストとして参加[187]。また、同年7月28日には6年ぶりの平沢ソロアルバム「BEACON」が発売された[188]。
同年5月20日、公式ホームページにて漫画家三浦建太郎を追悼[189]。
同年11月27日、1996年に「ホテルメルパルク東京 メルパルクホール」で行ったインタラクティブ・ライブショー「SIREN - 架空のソプラノ」の音源が各音楽配信サービスより配信開始[190]。また、1990年代後半に日本コロムビア内のレーベル・TESLAKITEから発表されたアルバム「SIREN(セイレーン)」「救済の技法」がアナログレコードの2枚組カラーバイナル仕様、ボーナストラック収録で発売[191]。
2022年3月25日、3月26日に6年4カ月ぶりなるインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』が2020年に開業された東京ガーデンシアターにて、25日に1公演、26日に2公演の計3公演開催。並びに有料同時配信予定[192]。
音楽性
ここでは、主にソロについて記述する。マンドレイク、P-MODELについては各項を参照。
ソロ作品ではより歌に重心を置いた無国籍風サウンドで「過去(神話/民族的)」と「未来(SF/コンピューター的世界)」が「現在」に出会ったかのような独自の音楽世界を確立した[95][193][194]。
プログレッシブ・ロック、テクノポップ、ニューエイジ、ポストパンク、ニュー・ウェイブ、シンフォニー(交響曲)、 アコースティックにオーケストラ等と音楽性は幅広い[1][195][196]。並びに東南アジアや江戸木遣に落語といった民族音楽及び伝統音楽にも造詣が深く、様々な音楽ジャンルのエッセンスを昇華した作品を発表している[197][198][199]。多数の別名を使用しており、バンド、ソロ、サウンドトラック、提供曲を含め総作曲数は400曲を超える[200]。
歌唱では軍人のような低い声にシャウトからオペラのようなファルセットまで、様々な声色を使い分ける[201][202]。演奏楽器はタルボギター[203]、アコースティックギター[204]、エレクトリックチェロ[205]の他、プログラミング[206]、テスラコイル[207]、レーザーハープ[208]など多岐にわたる。人工音声合成ソフト(VOCALOID)を黎明期から使用しており、VOCALOIDを楽曲やライブで利用した先駆者でもある[209][210][211]。
評価
2006年にアニメ映画『パプリカ』の劇伴を担当し、主題歌である「白虎野の娘」が米国で行われる第79回アカデミー賞歌曲賞のノミネート候補に選定された[126][128]。その他、『パプリカ』の音楽は「東京アニメアワード 2007」にて個人部門・音楽賞を受賞している[127]。
アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music(RYM)」の『史上最高の日本の音楽アルバム』では、ソロアルバム「救済の技法」が名邦盤ランキングにて第9位の評価を得ている他、RYMの世界ジャンル別評価では「救済の技法」がプログレッシブ・ポップランキング4位[212]、平沢のソロユニット核P-MODELの「回=回」がエレクトロ・インダストリアルランキング6位[213]、エレクトロ・ポップランキングではP-MODELの「P-MODEL」が9位、「Big Body」が8位、「電子悲劇/〜ENOLA」が1位[214]。また、2021年発売のソロアルバム「BEACON」が同年のRYM世界年間アルバム評価チャートにて、アート・ポップ・アルバムで7位、プログレッシブ・ポップ・アルバムで3位と高い評価を得ている[215][216]。
楽曲
ソロ作品のほとんどはコンセプト・アルバムである。特に1994年からインタラクティブ・ライブを開始して以降はその傾向が強まり、7th『救済の技法』ではインタラクティブ・ライブ『WORLD CELL』のストーリーに沿ってアルバムが制作されている。ただし11th『点呼する惑星』では最初からアルバム中でストーリーが組まれ、それを解体、再構築する形でインタラクティブ・ライブのストーリーが作られている。
P-MODEL時代の音楽性の変遷と同等、あるいはそれ以上に、P-MODELからソロへの移行はかなり異質なものへの転換が意図されていた。その変化の大きさは、ソロ活動初期に寄せられた「こんな平沢に誰がした」という反応に大きく現れている[217]。これに対し平沢は、「結果それでこそヒラサワ、あるいは完全に裏切られたという反応を期待しており、それなりに成功したおかげで今日までソロ活動を続けることができた」と述懐している[218]。
P-MODELとの主な差別化はストリングス・セクションの大々的な導入と、アコースティック・ギターの使用と述べている。ストリングスの音についてはメロトロンのような本人いわく暗い音を好んでおり[74]、現在はEast West社のHollywood Stringsを使用している[219]。12th『現象の花の秘密』ではこの音源を大々的にフィーチャーしている。かつてはソロでシャウトを使わないという制約も設けていたが、11th『点呼する惑星』の「Mirror Gate」で解禁した[220]。
バンドにおける制約を排したなんでもありの音楽性が意識されている。また、ソロのための習作として、マンドレイクの楽曲『飾り窓の出来事』のリメイクが行われていることからも分かる通り、長らく離れていたプログレにも接近している。このことから、中野泰博は平沢の音楽性を「現代のプログレ」と評している[221]。
「All Performed by SUSUMU HIRASAWA」とクレジットされている通り、ソロ活動では一貫して独力での楽曲制作が意識されている。ソロ活動へ移行する決定打はKORGのM1シンセサイザーの登場であった。M1の登場により、家で打ち込み、スタジオでは足りない部分と歌の録音、というレコーディングスタイルが実現し、ほぼ独力で楽曲制作が可能となった。4th『AURORA』以降はゲストミュージシャンすら排し、AMIGA用シーケンサBars&Pipesを用いた完全な独力での楽曲制作へと移行する[222]。以降は打ち込みのアンサンブル+声+ギターという構成がソロ作品、及び後の核P-MODELの決定的な特徴となる。
5thは当初90年代版ピンク・フロイドの『The Dark Side of the Moon』を意識したコンセプト・アルバムを制作する予定だったが、その途中でタイへと渡航し、そこで出会ったSP-2の影響を 受け作風が大幅に変化した。同時期に活動を再開したP-MODELでの活動においても平沢ソロとの融合が図られ、民族音楽とテクノポップを融合したアジアン・テクノを打ち出した。
平沢の独特なヨーデルのような唱法を質問された際、「江戸時代の消防士である火消しが歌う、木遣りというものなんですけど、そこからアイデアを得たんです。」と答えている[223]。
曲作りについて、以下のように話している。
「わたしは世の中で一番好きな音楽が『君が代』なんですけども。ああいう、先に日本語のノリがあった上で成立する音楽は素晴らしい。それはもうリズム・パターンにも影響してきますね。そういう意味で昭和初期の歌謡曲なんかほんとに歌詞の乗せ方からなにからお見事と言うしか言いようがない。」『卓上のウロボロス』P.20 より
14thソロアルバム「BEACON」収録曲『TimeLineの終わり』に『静かの海』と核P-MODELの『Timelineの東』の邂逅が見られ、伝統音楽からの影響を質問された際に、「P-MODELの中期、後期では西洋的なモダンな質感、感触を取り入れたいと言う考えと、当時すでに欧米ロックへの関心が薄れ、しかし国内に共感できるニュアンスもなく、かと言って伝統的な旋律をいじる動機も必然性もなく、西洋にルーツを見れないポップミュージックの姿を模索して作っていました。今の自分の言葉で表すと、”来なかった日本の近未来”です。」と答え、「伝統文化の形状を真似たり流用するのではなく、伝統のコアを採用して現在の平沢が創作するとどうなるかという物です。つまり伝統音楽に影響を受けて言えるし、言えないとも言えます。」としている[224]。
アジアン・テクノ路線も2000年の『賢者のプロペラ』以降は収束し、以降はアメリカ同時多発テロ事件やイラク戦争への疑問から、初期P-MODEL以降距離をとっていたディストピア的な世界観を前面に押し出たメッセージ性の強い楽曲を多く発表するようになる。還弦主義8760時間における過去曲の弦楽的アレンジ作品のリリース、Hollywood Stringsを導入したアルバムの制作(『現象の花の秘密』)など弦楽的なアプローチを強める一方、核P-MODEL『回=回』やフジロック・フェスティバル2019での演奏からはサーフサウンドのスタイルも見て取れ、平沢ソロと核P-MODELとの融合が感じられる。
平沢は2000年からの付き合いである精神科医斎藤環とのゲンロンカフェでの対談にて、「自分が意図している訳ではないが、先駆者と同じ方法とは違う角度で音楽を行うのが彼らへの敬意だと考えている」としており、新たな領域への挑戦をしているアーティスト及び人々に対する好奇心も強い。
ボーカルエンジン(ボーカロイド)を早期から利用しており、所有しているソフトはLOLAとMEIKOで用途によって使い分けられている。女性音源として「確率の丘(2005)」「白虎野の娘(2006)」ではLOLAを使用している。『ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使』に寄稿した際には、ボーカロイドに対しキャラクター性は求めておらず、あくまでも楽器の一つとして利用しているとしている[225][226]。
平沢はEDMの、いかにもEDM風のアレンジを好いてはおらず、サイドチェイン(キックが鳴った時に周りの時が小さくなる)やヴォーカルのオートチューンは恥ずかしいとしている[227]。
平沢の楽曲はデジタル要素が強く、VOCALOIDも初音ミク台頭のはるか以前から使用しているが、同時に奇妙なアナログの手触りも残している。ゲンロンカフェにて斎藤環から「あなたの音楽は徹底的にデジタルではなく常にアナログとの境界線を探っていると思うが、その見立ては正しいか?」と尋ねられ、「正しい」と答えている[228][229]。
平沢進から強い影響を受けていると語るミュージシャンの米津玄師は、7th『救済の技法』に収録されている楽曲「Mother」を「本当に聴いた事ないような新しい音楽なんだけども、どこかに懐かしさ、郷愁感(ノスタルジア)を宿している。そこには何か普遍的な何かがあると思った。」、「ものすごいバランス感覚で成り立っている音楽だなと。自分の音楽でもバランス感覚を大事にしようと、この時に初めて思えた。」と、音楽活動を開始する18歳の前頃に初めて試聴した当時の心境と共に評している[230]。
歌詞
80年代、平沢が精神的に不安定だった時期にユング心理学に傾倒するようになる[231]。以後、作品の中に錬金術や神話的・仏教的用語が使われていること[232]や、平沢作品のテーマである「全き人格の回復[233]」などユング心理学(及び河合隼雄、エーリッヒ・ノイマンの著書)の影響が強くなっていく[234]。
神道や仏教、その他のアジアの宗教や哲学の概念を繰り返し音楽のテーマに取り入れながらも自分の思想とはしておらず、「これは音楽のプロセスの為ですから、私の立場を既存的なカテゴリーや集団主義的な話と一緒にしないでください」としている[235][236][237]。
自身のBSP配信内にて、「自分の楽曲の歌詞が難解だと思われているのは、その方が所謂、小説を読むような捉え方をされているからです。自分の楽曲の歌詞には全て意味があり、音楽で以外でこれらが表現出来るのであれば音楽を長年やっておりません。」と語っている[238]。
平沢進から自身の表現スタイルに強い影響を受けていると語った、劇中歌でのタッグを組んだアニメーション監督の今敏は、平沢進の世界観を敢えて単純化すると「相反するものの同居」と評しており、「たとえば平沢さんの歌詞によく現れてくるのは「神話と科学」というモチーフです。テクノロジー全盛の近現代において、非科学的であると断罪される神話とテクノロジーが平然と同居しながら、両者がバランスしている。」、「あるいはまた、こんなイメージすら感じることもあります。『澄み渡った気持ちの良い青空の下、瀕死の子供たちが笑っている。』という物。」と米国インタビューにて語っている[239][240]。
歌詞作りにおいては宮沢賢治の作品が大きく影響しており、平沢の歌詞の特徴である「専門用語の多様」「言葉が描き出す世界観」など宮沢賢治の作品の構成と類似する点が多く存在する[180]。マンドレイク時代に平沢が歌詞作りに困っていた際、じょうじマョンのボーカリストから「ぜひとも、宮沢賢治を参考にしろ。」と言う助言を受けた事がきっかけである[180]。宮沢賢治の影響について平沢は次のように語っている。
「ヒラサワの全アルバムを15秒で包括する方法:宮沢賢治を3行も読めばいい。」Twitter @hirasawa 2014年06月30日
ライブパフォーマンス
ライブ活動においても当初はサポートミュージシャンを迎え、バンド編成でライブを行っていた。メンバーは非常に流動的であり、元P-MODELメンバーである秋山勝彦、ことぶき光の他、戸川純、砂原良徳、秋元きつね、上領亘らが在籍していた。
1990年の『世界タービン・ツアー』最終公演では『オーケストラル・マヌーヴァース・イン・ザ・ナース[注釈 17]』と名付けられた看護婦姿のオーケストラ隊が登場。サポートミュージシャンとオーケストラ隊による大編成でのライブも行ったが、1992年に行われたライブ『Hi-Res』ではコンピューターの同期を用いて完全に一人で演奏を行った。これが起点となり、1995年以降は基本的に平沢のみでライブを行うようになる。
元々、平沢は生演奏におけるミュージシャン固有のニュアンスを排したかったと述べており、楽曲制作及びライブにおけるこのスタイルは当然の帰結と言える。以降はP-MODELの再結成やソロ活動初期のようなバンド形式での活動には後ろ向きの態度をとるようになり、2004年に活動を開始した核P-MODELも、基本的には平沢のソロプロジェクトである。
一方で、2012年のライブ『PHONON2555』にPEVO1号や元P-MODELメンバーの荒木康弘がサポートメンバーとして参加して以降は、サポートパフォーマーとしてゲストを迎えることも増え、バンド形式での活動も再び増加している。
2017年以降は正体不明の「会人(EJIN)」がサポートメンバーとして出演しており[241]、2017年の『第9曼荼羅』東京公演では元P-MODELメンバーの上領亘をドラムに迎え、2019年の『戦法STS』、2020年の『会然TREK2K20▲03』、2021年の『24曼荼羅』ではユージ・レルレ・カワグチ(DEARIVETH)をドラムに迎えて四人編成でのライブが行われた[242] [243]。
インタラクティブ・ライブの考案
インタラクティブ・ライブ(以下インタラ)は、平沢が1994年に開始したパフォーマンスの形態である[111]。通常ミュージシャンの行うライブでは、ミュージシャンが事前に設定した曲目を順に披露していくことになる。一方インタラでは、ライブ自体にストーリーを付加し、その展開に合わせて曲目が設定される[244]。さらにその展開は、会場に仕掛けられた様々なインターフェースによって観客の行動をライブの進行に反映させることで変化する仕組みになっている[245]。すなわち、演者と観客の双方向性を重視したパフォーマンスとなっている。また1998年以降は、インターネットを通じて現地の様子を生配信し、併せて特設サイトに提示された課題を解くことで、会場に足を運ばなかったリスナーも在宅オーディエンスとしてライブの進行に影響を及ぼせるという仕組みも導入された[111]。
このようなパフォーマンス形態を取るに至った理由を、「打ち込みの音源に合わせて生身の人間が演奏すること以外の、『ライブをやる必然性』を探るため」「インターネットをパフォーマンスに組み入れるため」としている[246]。
こうした試みが評価され、2001年には『インタラクティブ・ライブ・ショウ 2000 賢者のプロペラ』が、(財)デジタルコンテンツ協会と経済産業省の共催するデジタルコンテンツグランプリ2001において、「作品表彰の部」の経済産業大臣賞、並びにエンターテイメント部門最優秀賞を受賞している[247][125]。
人物
幼少期・学生時代
幼少期
子供の頃から機械が好きで、幼少期は自分のことをエンジニアだと思っていた[248]。ラジコン飛行機が好きで、パイロットになりたいと思っていたこともあり、親からもらったラジオや懐中電灯などの壊れた機器を修理する等していた[249]。
牛乳配達のお兄さんがジミ・ヘンドリックスやクリームのレコードなどを実家への配達時に教えてくれる等して、10歳頃から音楽並びにエレキギターにへと傾倒していった[71]。
幼少期は夢見が悪く、金縛りのような体験を夢の中でしていたと語っている[250][251]。
小学生時代にはクラスメイトに煽てられ、自ら校舎の2階の窓からぶら下がるような行為を行い、クラス会でクラスメイトは教師に褒められたいがために平沢が行った行為の密告合戦が行われた[252]。また、自習時間には学級委員のクラスメイトから叩き棒で叩く等の体罰行為をされたが、担当教師は学級委員に対して叱らず、それ以降平沢はクラスメイトを信用出来なくなった[253]。また、体質上の問題で肉類を苦手としたが偏見の強かった当時では理解を得られず、教師に強制的に給食で食べさせられトイレで喉を切りながら血と共に吐き出す等といった生活を毎日過ごしていた[254]。所謂「いじめ」だと思った事が当時から無く、「学校生活はサバイバル生活と思っていた」と語っている。しかし、現在は「幸い、そのような環境が私を育てた」と述べている[255]。また、小学4年生になり自身を認めてくれた学内の教師に出会わなければ、自身による自身の評価は最低なまま人生を過ごしていたとゲンロンカフェ等にて語っている[256]。
ギター技術を買われて大人達のバンドに誘われ、神社等でセッション等をして過ごしていたが学校では自身がエレキギターを演奏していた事は隠していた[257]。平沢は自身をバンドに呼んだ人物を「師匠」と仰いでおり、現在も敬意を払っている[258]。また、当時はバンドや飼っていた猫と過ごすのが楽しかったとしている[259]。
学生時代
兄の裕一から読書を勧められ、書籍に傾倒していった[260]。当時は特に宮沢賢治の書籍を好んだ[261]。
一旦音楽を離れモトクロスに転向していたが、高校生のときにトラックとの事故を起こし、音楽活動を再開する[74][75]。
1973年、高校時代にプログレッシブ・ロックバンド「マンドレイク」を結成。当初、平沢はボーカリストではなかったが活動途中にボーカル担当が失踪して行方知れずとなった為、代役としてボーカリストを始めた[78]。
学生時代は長髪のなで肩であったことから女性と間違えられ、電車内で痴漢にあう等もした[262][263]。1975年に東京デザイナー学院にて卒業制作作品「Hall for Tangerine dream〈胎内から宇宙意識への回帰〉」を発表。インテリアデザイン科を好成績で卒業した[79]。
タイ王国への関心
5thアルバム製作中に、事務所の人間に無理矢理連れて行かれた先のタイ王国で文化的な衝撃を受け[注釈 18]、作風にも大きな変化が表れている。1995年頃からタイのニューハーフであるサオプラペーッソン(平沢はSP-2と呼んでいる)[注釈 19]に深い関心を示し、繰り返し現地を訪れている[264][265]。以降、彼女たちには、レコーディング時にコーラスとして協力を仰いだり、ライブアクトとして招聘するなどしたことがある[266][267][268]。2004年には、平沢と親交が深かった9人の彼女たちが相次いで亡くなったことを受け、彼女たちを追悼するアルバム『SWITCHED-ON LOTUS』が製作された[269]。サオプラペーッソンの存在そのものが、創作意欲に大きな影響を及ぼしていると本人は語っており、彼女たちに対して大きな尊敬を以て接していることがその言動から見て取れる。
また、1994年から1998年、2000年、2007年にはファンクラブ旅行『万国点検隊』を開催[270]。主にタイ王国を舞台とし、インタラクティブライブで行われるようなゲームが展開された[271]。1995年、1997年にはインタラクティブライブやアルバムの物語の続編として行われた。2000年以降のタイ王国での開催ライブの収益は現地の児童支援団体に寄付している。
2008年11月、タイ王国の平沢の友人らである23人のSP-2[141]との1994年からの交流から生まれたエピソードを、彼女たちの写真と共に綴ったエッセイ集『SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』を自社出版した[142]。
2011年3月11日、タイ王国滞在中に東日本大震災が発生。3月21日に被災された方々へ祈りを捧げる為に現地のWat Raikching寺院に頼み、亡くなった方のご冥福と日本人の安全を祈願した寺院の僧侶達の映像をインターネット上で発信し届けた[272]。
インターネット台頭以降の活動
先述のインタラクティブ・ライブは、インターネットの普及を予見した平沢が、その可能性に反応して作り出したパフォーマンス形態である。
80年代からインターネットの可能性を見出していた事を「インターネットのパイオニア、核P-MODEL・平沢進インタビュー」にても語っており、「1980年代の終わり頃からデジタル技術が著しく発達し、ミュージシャンが「個人」でできる範囲もどんどん広がっていきました。その頃から、音楽制作から流通に至るまでのプロセスにおける最後の部分、つまり「情報発信」とダウンロードを含めた「流通」の部分が、インターネットによって完全に網羅されると思ったんです。」、「当時のP-MODELのような、デジタルで音楽を形にしていくアーティストにとって、「ライブをやることの必然性」というのが実はあまりないんですよ。もちろん、打ち込まれた音源を大勢の人の前で鳴らし、それに合わせて生身の人間がパフォーマンスをすることには意義があると思います。ですが、それとはまったく違う形で、デジタル系のアーティストが「ライブをやることの必然性」を探りたかったんです。それと、せっかく手中に収めたインターネットというメディアを、自分の音楽のなかにどう取り込んでいくか? というある種の実験の意味もありました。」、「たとえばレコーディングスタジオでの作業がパソコン1台でできるようになり、それまで資本がなければ動かせなかったメディアや流通機構を自分の手中に収めることができる。そういった感触を得ることができたため、インターネットを早い段階から積極的に取り入れることにしました。」などとインタビュー内で語っている[273]。
1994年から活動再開した改訂P-MODELでは、インターネットをキーワードとしており、P-MODELのオフィシャルサイトではライブツアーやレコーディングの模様をMPEGファイルとして配信、各メンバーが個人ホームページを開設しリスナーとの直接なやり取りが行われた[注釈 20]。平沢も個人ホームページ『Ghost Web』を開設した[274]。自身のケイオスユニオンの掲示板はPerl言語でプログラミングを行い、販売サイトとしてクレジットカード決済を導入した[275][276]。
P-MODEL結成30周年、およびソロ活動20周年にあたる2009年には『凝集する過去 還弦主義8760時間』というプロジェクトを開始[277]し、特設サイトではイントロダクションとして平沢による語りと今までのライブ音源やライブ画像、フライヤーが視聴、閲覧が可能であった。また、P-MODELと平沢ソロの楽曲をそれぞれストリングスアレンジしたアルバム『突弦変異』、『変弦自在』をリリース。
このイベントの一環として本人による公式Twitterのアカウントを開設。進捗状況の報告を行い[278]、いくつかの発言がインターネット上で話題となった[279][280]。スケジュールの都合により発売記念ライブは行わない予定であったが、Twitterのフォロワー3万人を突破した事により翌年に『東京異次弦空洞』が開催された[281]。本来ならばTwitterアカウントはイベント終了後に削除する方針が示されていたが、ライブ『東京異次弦空洞』にてイベント終了後も運用を続行する旨が発表された。
2012年6月にはニコニコ生放送に出演。約88000人もの来場者数を動員した[282]。ファンのリクエストに答えて同年11月23日にもニコニコ生放送に出演し[283]、こちらも約70000人が来場した[284]。
以降はTwitterのフォロワー数に応じてインターネット上にて各種イベントを開催しており、2011年にはフォロワー数5万人突破記念として平沢の作業風景[注釈 16]を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』、2014年にはフォロワー数7万人突破記念として平沢が合計7万歩散歩をする『HIRASAWA追跡70000歩』がUSTREAMにて不定期配信された。2021年現在はアーカイブが公式Youtubeチャンネルで閲覧が可能となっている。
毎週水曜日以外の連日、フォロワー及びファンとの交流として21時から22時まで起承転結のツイートを行っている。所謂「人気物」という扱いを好まない為、人気が出て来ると意図的にファンを裏切り(平沢によれば10年周期で)、常にすべてと距離を保つようにしている。これは自身が何かにのめり込みすぎることがファンにも影響するため、ファンから自身との距離を取らせる為と斎藤環とのゲンロンカフェでの対談等でも語っている。TwitterやBSP配信では、フォロワー数が増えるとフォロワーやファン減らしの為の投稿や発言を敢えて行なっている[285][286]。公式サイトやTwitter上での投稿はあくまでも仕事の一環として行っており、仮に個人的な利用なのであればプライベートな情報を日々公開する事は無いとしている[287]。
2017年にはTwitterフォロワー数が9万人を突破したことを記念し、5公演内でスネアドラムを合計9万打目指すライブ『第9曼荼羅』が開催された[241]。なお、ゲストドラマーとして会人:鶴(TAZZ)またはP-MODEL改訂期の元メンバー、上領亘が参加した。その後、全公演通してのスネアドラムの打数が9万回を達成したことを記念して、音源「第9曼荼羅」が配信された[288]。また、2021年にはフォロワー数24万人を突破したことによりライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催した[289]。なお、24曼荼羅ではドラムスにユージ・レルレ・カワグチが参加した[175]。
2019年9月からは、フォロワー17万人通過記念イベントとして『170帰路の1分間』を開始[290]。特設サイトに設置された地図と、ハッシュタグ「#平沢進170帰路の1分間」に投稿されたヒントを手がかりに正しいページへたどり着くことで、およそ1分間の動画を閲覧することができるという内容となっている。『黄金の10年周期[291]』にまつわる長期的なイベントであることが示唆されている[292][293]。
MP3音源の活用
パソコン黎明期から音源のMP3に対して関心を持ち、1999年にソロ10周年・P-MODEL20周年記念として行われたプロジェクト『音楽産業廃棄物 P-MODEL OR DIE』において、P-MODELメンバーがMP3を用いて各自宅のみで楽曲を制作。インターネット上で公開ミックスダウンも行われた。MP3でファンがP-MODEL楽曲をリミックスするイベントも開催された。楽曲配信の弊害となる為、日本コロムビアとの専属契約を解除し、日経BPの協力によりP-MODELの音楽配信サイト『P-PLANT』を開設。 アルバム『音楽産業廃棄物』や『VIRTUAL LIVE』シリーズが配信された[121]。オンライン販売にはビットキャッシュ(株)の電子決算システム“BitCash”が利用された。このMP3による楽曲配信は、メジャーレーベルで活躍してきた日本のプロアーティストとして初めてとなった[294][295]。
その後、MP3ファイルについては公式ウェブサイト内において未CD化曲の販売を行っており、また、ニューアルバムをリリースする度に収録曲の中から一曲またはアウトテイク数曲を無料配信している。2011年3月にはフリージャーナリスト・市民メディア向けに楽曲を無料配信を行った[296]。同年6月24日にはパレード・パンクの期間労働者・ステルスマンなる人物にオフィシャルサイトを占拠され、楽曲「原子力」(P-MODELの「BOAT」を編曲・歌詞を改変したもの)を無料配信させられる[297]。後に平沢はステルスマンから奪ったカラオケ音源をオフィシャルサイトで無料配信した[298]。
MP3をインターネットそのもの含めて「表現者としてリスナーとコミュニケーションを取る新しい枠組み[120]」と評価している。
サブスクリプションサービスにおいては、「デジタル技術の発達やインターネットの普及によって、必然的に生まれた形態だと思います。もちろん、これから変わらざるを得ないこともたくさんあるでしょう。レコードに針を落として音楽を聴いていた時代から、携帯にダウンロードして聴く時代になり、音楽そのものの価値がその人にとってどの程度なのかを技術が決定してしまうような、そういう状況にあると思います。が、それはもう止められないことです。付帯された価値から裸にされ、むき出しになった音楽をユーザーはそのまま聴いて、いいか悪いか判断していくということは、決して悪くないと思いますし。ただ、然るべき努力を積み重ねてきた人たちが作った楽曲と、『できちゃったからアップしてみた』みたいな人の楽曲が、同じ土俵に上がっているのは問題といえば問題ですけどね。そこはきっと、今後整理がついていくんじゃないでしょうか。」と好機的であり、「たとえばリスナーとしての自分は、曲単位で聴いても本当に「いい」と思えばアーティスト名も経歴も調べる。曲の良し悪しを超えて、そのアーティストのことをもっと知りたいと思うし、アルバムで聴きたくなる。つまり、アルバムは必然なんですよ。きっと、ファストフードのように消費される音楽がある一方で、手の込んだ料理を味わい尽くすように楽しむ音楽も存在する。そこはなくならないんじゃないかと思いますけどね。」と語っている[246]。
著作権管理団体および大手レーベルからの撤退
それまで権利関係に疎かった平沢は、自分の楽曲の著作権が出版会社に永久譲渡という形で契約されていることを知る[いつ?][299]。出版会社は、日本音楽著作権協会(JASRAC)から分配された楽曲使用料(印税)のうち50%を控除し、残額をアーティストに分配していたことから、その出版会社が控除した楽曲使用料がどのように運用されるのか、平沢は説明を求めた。しかし、出版会社からは「プロモーションに努める」という回答しか得られず、どのようなプロモーションを行い、どれだけの対費用効果があるのか、平沢が納得できるだけの具体的な回答が無かった。出版会社の変更もレコード会社との関係で困難であったことから、「なぜ私の権利が私の選んだ出版会社と契約できないんですかと、一回ゴネたことある」と述べている[299]。
その後、1999年にはP-MODELのアルバム『音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE』をMP3で配信することを発表し、それに伴う大手レーベルからの撤退を発表する[120]。以降は著作権管理団体をイーライセンスに切り替えているが、P-MODELとして活動した初期の楽曲については権利の奪還が不可能であり、2010年に平沢が発売した『突弦変異』の収録曲の一部は、P-MODEL時代のセルフカバーであるにも関わらずJASRACに著作権料を支払ったことを明かしている[300]。
書籍『音楽産業廃棄物』に同封されているインタビュー(1999年)では、「メジャーレーベルが売りたいと思える曲でなければ世に出せない現状だが、インターネットなら際限がなく音楽を発信でき、その音楽を聴きたい人に直接届ける事が出来る。遠くない未来に、このようなアーティストが台頭していくでしょう。」と語っている。また、「音楽で大儲けしたいのではなく、音楽で生活が成り立てば自分はいい。メジャーレーベルならば儲ける事を強要されるが、インターネットでならリスナーとアーティストで作品を直接提供でき、どれほどお金が必要かは自分で決めれる。」と話している。
1999年に、P-MODELがMP3による新曲配信をMP3にて行っていくとしてメンバーの小西健司と福間創らと共に記者会見を開いた際には、「インターネットの発達と、音楽圧縮技術の発達により、ミュージシャン自身がリスナーに対して音楽を発信できるようになった。しかし、プロのアーティストはレコード会社との関係上、MP3形式による音楽配信は難しかった。我々はメジャーから外されても自分たちの活動は変わらない自信があるし、曲を直接リスナーに届けたいという気持ちから、メジャーからの契約を打ち切って音楽配信に踏み込んだ。MP3形式のデータを聴けないユーザーにもCDのパッケージ販売も続けていく」と答え、「今後は、レコード会社に所属しないミュージシャンが増加するだろう。ミュージシャンの自立を怖がるレコード会社もあると思う。しかし、MP3形式によるデータ配信は在庫管理などの面から見ても人員削減以外によるリストラが可能になるなどマイナス面ばかりではないだろう」と語った[301]。
2001年1月8日のNEWS23の「特集 音楽配信の未来は」にて取材を受けた際には、「日本全国のレコードショップなどで音楽を届ける手段、これらがインターネットの到来で僕ら自身が出来るようになってきたんです。つまり、もうレコード会社に居る必要はないんです。」と答えている。集金システムとの契約や音楽配信サイトの立ち上げ等は自身で可能な限りは全て自分一人で自社で行っていると語った。また、番組内でNapster等によるインターネット上での音楽の拡散問題が取り上げられた際には、「インターネットの中で不法コピーされる事をどう解釈するかによるんですね。インターネットという物は、無名なアーティストにとって非常に有利な”武器”になるんです。それで不法コピーされて広がったとして、プロモーションとして受け止められるのであればそれでいい。」とインターネットの肯定派の立場として取り上げられた[302]。
BSP配信では、「音楽というのは、その人の感受性が出来るに至る履歴も含めて、初めて良いか悪いか判断できるようなバックボーンが出来たうえで反応する物です。」と答えており、有線回線などを通して他者に無理に聴かせる等、自然に音楽に出会う機会を無くす事を否定している[303]。
現在、2000年初頭より平沢の新作CDについて販売方法は平沢本人が代表取締役社長を務める所属事務所の直売サイト、「TESLAKITE ONLINE SHOP 」によるインターネット通販が中心となっており、銀行振込以外は電子決済PayPalの支払いのみな為国外ファンも直接購入可能である。店頭在庫が存在する店舗はタワーレコードやHMVの様な大都市部などのインディーズレーベルを大々的に扱っているCDショップに限られている。2000年発売の『賢者のプロペラ』以前の作品もボックスセット『HALDYN DOME』と『太陽系亞種音』の発売により、ほぼ全ての既発表音源がオフィシャル通販で購入可能となった。2021年にリリースしたアルバム「BEACON」と、核P-MODEL名義のアルバム「回=回」はBandcampにてアルバムダウンロード販売が開始された[304][305]。
また、版権がポリドール(ユニバーサルミュージック)、日本コロムビアにあるオリジナル・アルバムについては2021年現在オリジナル・アルバムが2社から全て再販されており、iTunes Store等音楽配信サイトにてAACファイルの形で入手することが可能となっている。
音楽業界及びJASRACの著作権管理体制については厳しく批判している反面、リスナーによる個人間の二次利用については「資本主義と相容れない音楽の性質」として、自身への同一性保持権の侵害に該当しなければ基本的には黙認している[306]。
エネルギー問題への関心
上述の通り、『Hirasawa Energy Works』では太陽光発電を取り入れ、自然エネルギーへ関心を寄せている。プロジェクト開始時は、120Wのソーラーパネル2枚のみをやぐら型のタワーに取り付け、残りの2枚は窓際に立てかけている状態であったが、後に4枚全てをタワーへ設置した。自宅スタジオの稼働を開始した初期はハードウェア・シンセサイザーやミキシング・コンソールを使用していたことで、電力使用に多大な制約が生まれていたが、後に全面ソフトウェア・シンセサイザー環境へ変更し、大幅な消費電力削減が図られた[307][308]。
なお、studio WIRESELF自体は幾度の移転を経ており、2013年から稼働されている現行のスタジオは一般的な住宅用太陽光発電システムが搭載されているため、レコーディングに用いるための蓄電設備は用意されていない[309]。
また、エネルギー問題への意識に目覚めてからは、それまで所有していたシトロエン・エグザンティアをインターネットオークションで売却し[310]、トヨタ自動車のプリウスを購入[311]。その後、2020年からは水素自動車であるトヨタ・MIRAIを所有している。
また、近場であれば自転車での移動を行い、用途によって通常のアップライト自転車とリカンベント(米Burley社のLimbo[312])を併用している。リカンベントは『RIDE THE BLUE LIMBO』のPVや、インタラクティブ・ライブ『LIMBO-54』などの作品で搭乗している。
使用機材
- ギター
マンドレイク時代にはグレコのレスポール・ゴールドトップを使用しており、現在もギブソン・レスポール[注釈 21]を一本所持している[313][314]。
P-MODELのデビュー当初はH.S.Anderson製エクスプローラー型ギターのヘッドを削り、ボディを黄色に塗り替えて使用していた。後にこのギターはザ・グルーヴァーズに譲ったと語っている[315]。1980年頃からは黄色から青色に塗り替えたFernandes VK-7を使用[74]。デヴィッド・ボウイのサインがボディー裏側に書かれていた[315][316]が、このギターはその後行方不明となっている[317]。
1982年頃にはAriaproⅡ製のランダムスター型ギターを使用していたが、本人曰く「それ(ランダムスター型であること)以外は殆ど記憶にないギター」[318]。映像として残っている物は1982年発表の『フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ』のPVのみである。また、1981~83年ごろまでフリクションのレックから借りた黒のムスタングを使用していたこともあった。
1983年以降は東海楽器製造が製造・販売を行うアルミニウム製ギター「Talbo」を使用[74]。発売直後から、その素材やデザインの特異性に惹かれ使用を続けていた[319]。しかし、長年の使用による消耗から補修を要した際、製造元の東海楽器が経営悪化による影響からTalboの生産を打ち切っており、1994年にTalboと同シェイプのフェルナンデス製木製ギター「PHOTON」を特注にて製作し、再び使用を開始[318]。その後、2014年に改修された際に「PHOTON」は「PHOTON(光子(こうし))」へ改称している[320][321]。また、2012年にはゴールドカラーのTalboがTALBO Secret FACTORYにおいて補修・改造を施され、「TALBO-ASTRO」として登場している。
2004年からはTALBO Secret FACTORYが企画し、東海楽器が制作したオリジナルTalboである「ICE-9」を所有[322]。メインのステージギターとして用いられ、2005年にはICE-9に触発されたギターアルバム『ICE-9』が発売されている[323]。2021年にはTALBO Secret FACTORYからTalbo「ICE-9」のシグネチャーモデルが数量限定で販売された[324]。
2013年以降は新たなメインギターとして、HISASHIとTALBO Secret FACTORYの共同で制作されたギター「EVO」の平沢モデルである「0101Z」を使用[325]。通常仕様のものに加えてシングルコイルピックアップを搭載した独自仕様の2本を使い分けている[326]。その後、2018年にネックカラーを変更した新たなEVOとして「EVO-PHYTO ELECTRON」を制作[注釈 22]。2021年にはジャズマスターのピックアップ(65年ヴィンテージタイプ)と新たなトレモロユニットを搭載した「EVO-PHYTOELECTRON SEED」を制作[327][328]。現在はメインギターとしてライブ・レコーディングで使用されている。
その他、2009年には新たにモズライトギターを導入し、アルバム『点呼する惑星』収録曲「可視海」にて使用されている[329]。その後このモズライトを売り、[330]黒雲製63年リイシューのモズライトを購入。「Mosrite PHYTOELECTRON」として塗装・改造を施された。[331][332]。2018年には新た「Backlund400」を購入[333]。核P-MODELのアルバム『回=回』の制作、およびライブ『回=回』で使用された[334]。
2017年にはメインのアコースティックギターとしてGodin Grand Concert Duet Ambianceを購入[335]。同年に行われたライブ『第9曼荼羅』で初披露された[336]。
- MIDIトリガー
1992年以降はカシオ・FZ-1を、パイプオルガンのパイプのように並んだチューブ管を介して鍵盤を操作する用に改造した、MIDIトリガー「チューブラHz(ヘルツ)」を用いていた[74]。2001年開催の『LIVE SOLAR RAY』以降は節電のため、改造した自転車の車輪(ハブダイナモ発電装置)を用い、その電気で作動させたMIDIトリガーのスイッチを押すことで出音する楽器『グラヴィトン』を使用していた[74]。
2008年のライブ『PHONON2551』からは楽器としてテスラコイル[337]を、2009年のインタラクティブ・ライブ『点呼する惑星』からは発光ダイオードの光を遮ることでMIDIを操作するレーザーハープを使用している[338]。レーザーハープは長年赤外線センサーの横形を使用していたが、2021年のライブ『24曼荼羅』からは最新鋭の認識センサー導入し鳥居形に改造、改良を続けている[339][340][341]。
2017年のライブ『第9曼荼羅』以降は、Novation社製MIDIコントローラのLaunchpadを用いたパフォーマンスを、サポートメンバーの会人に行わせている[342]。
また、ヤマハ・Miburiの使用者でもあった[343]。このMiburiは専用トリガーが専用着衣の中に内蔵されており、それを着た人間の動きによってシンセサイザーが演奏できると言うシステムである[344]。1995年に行われたライブ『INTERACTIVE LIVE SHOW 1995「SIM CITY」』、『ENDING ERROR』や2001年に行われたライブ『LIVE SOLAR RAY』でMiburiの演奏をしており、同名のライブDVDで演奏している姿が確認できる[345]。
- レコーディング機材
P-MODEL時代から自宅録音で製作された作品が多数あり、『賢者のプロペラ』以降のアルバムについては全て自宅スタジオのstudio WIRESELFで録音されている[346]。
1987年にはCG制作のために導入したAmiga[347]での楽曲制作を開始。1990年代初頭から『白虎野』まではAmiga用ソフトの「Bars'n Pipes」などで制作した音源をレコーディングなどにも流用し[307][74][348]、2003年までのインタラクティブ・ライブは映像オペレーティングもAmigaで駆動されていた[349]。また、この縁から2005年発表の「AmigaOS 4.0」で起動音を手掛けている[307]。なお、Amigaは「今やAmigaを維持するのはクラシックカーを維持するようなもので、コストがかかる」として、現在は全てMicrosoft Windows環境に移行している[74]。
2003年の『BLUE LIMBO』以降導入したケークウォークのDAW「SONAR」を中心に[74]、フリーソフトウェア・シンセサイザー「Synth1」や[74]、EASTWEST製「Hollywood Strings」が主な音源となる[307][219]。2017年、Cakewalk製品の生産終了を機に使用DAWをSONARからStudio Oneに乗り換えた。
アルバム『白虎野』収録曲である「白虎野の娘」と「確率の丘」には「アマチュアでも使っているごく普通の廉価なヴォーカルエンジン」を使用していることを公式サイトで明らかにし、具体的にはLOLAであると明らかにした[350]。また、平沢はこのヴォーカルエンジンを「お姉さん」と呼んでいるという噂があったが、これも同誌の中で本人が否定した。ただし、平沢はヴォーカルエンジンのことを「お姉さんは磨けばプロになる。」と表現している[351]。
この他、合成音声に関してはAmigaOSに付属するスピーチ・シンセサイザーの「Sayコマンド」を1988年頃から用い、ライブの出囃子、CG年賀状、またはP-MODELの楽曲「WIRE SELF」「ERROR OF UNIVERSE」、平沢の楽曲「QUIT」「UNDOをどうぞ」などで確認する事ができる[352]。
キーボード・シンセサイザー
先述の通り、ソロ活動初期はKORG M1を中心に使用していた。90年代のP-MODELやソロ活動において、DAWに完全移行するまでアナログ・シンセサイザーがレコーディングで使用されており、1999年当時はRoland JD800やE-MU Proteusなどを使用していた[353]。 また、「KORG TRITON」「KORG 800DV」「Roland SH-3」を名器・革新的と評価している。
作品
プロモーションビデオ
- 世界タービン(1990年)
- LOVE SONG(1993年)
- SIREN〜セイレーン(1996年)
- 不幸はいかが?「不幸 其の壱」(1996年)
- BERSERK ~Forces~(1997年)
- TOWN-0 PHASE-5(1998年)
- 賢者のプロペラ-I(2000年)
- ロタティオン(LOTUS-2)(2001年)
- RIDE THE BLUE LIMBO(2003年)
- 白虎野の娘(2006年)
- TIMELINEの終わり(2021年)
- COLD SONG(2021年)
参加作品
提供・プロデュース
- 恐るべき頭脳集団 - 「いりよう蜂の誘惑」
- パワーホール(長州力の入場曲) ※異母犯抄名義で作曲
- ハリケーンズ・バム(カルガリーハリケーンズのテーマ曲) ※福来良夫名義で作曲
- Xボンバー - 「ラミアとシロー(愛のテーマ、ラミアのテーマ)」、「謎の宇宙船」
- オムニバス盤「les enfants 2」 - 「トゥーリスタ」
- 横川理彦/横川タダヒコ- 「トラック・ラグーン」、「CALL」
- 島崎和歌子 - ポリドールが企画したクリスマスをテーマにしたオムニバスアルバム『White Album'90』(1990年11月10日)に、“平沢進with島崎和歌子”名義で参加。7曲目に収録された『アフリカのクリスマス』において共同作詞、プロデュース。
- DETONATORオーガン - 全編楽曲
- カムイ・ミンタラ - 全編楽曲
- グローリー戦記 - イメージアルバム
- PEVO - プロデューサー(ヴォルキス・プロラデュークとして)、作曲家(P-MODELのカバー)、ボーカル、ギター
- Shampoo - プロデューサー
- THE LOODS - プロデューサー
- 上領亘 - 「voix」、「鴉」
- 剣風伝奇ベルセルク - 「BERSERK 〜Forces〜」(劇中歌)
- 宮村優子 - 「Mother」、「MOON」、「Ruktun or Die」
- ロスト・レジェンド - 全編楽曲
- ベルセルク 千年帝国の鷹篇 喪失花の章 - 全編音楽
- 千年女優 - 全編楽曲
- ゆいこ - 「陸の人よ」(坂田四郎名義で一部作曲)
- おかあさんといっしょ - 「地球ネコ」
- 妄想代理人 - 全編楽曲
- ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章 - 全編音楽
- パプリカ_(アニメ映画) - 全編楽曲
- ベルセルク 黄金時代編 - 「Aria」(主題曲)
- ヤプーズ - 「ヴィールス」「コンドルが飛んでくる」
- ベルセルク(2016年のアニメ) - 「灰よ」、「Ash Crow」(劇中歌)
参加
- The Bach Revolution - 「No Warning」、「Synthesizer Study」
- ロック&キーボード'79 シンセサイザー附録レコード - 「ダミーの策略」 - シンセサイザー演奏
- 五十嵐久勝 - 「七節男」(P-MODELカバー) - 作詞・作曲・ギター演奏
- 遠藤ミチロウ - 「ING,O!7」、「WATER SISTER」 - シンセサイザー演奏
- THE LOODS - 「STOP」 - キーボード演奏
- 梅津和時 - 「シェルブールから 〜シェルブールの雨傘」 - ボーカル
- 戸川純 - 「バージンブルース」「吹けば飛ぶよな男だが」 - 編曲・演奏
- ヤプーズ - アルバム『ダイヤルYを廻せ!』 - ギター参加
- PEVO - アルバム『PEVO』 - ボーカル参加
- 4-D mode1 - シングル『Die offizielle Raubkopie』、曲「My Neighbor Upstars」、シングル『緋色のCrew』 - ギター参加
- nakaitoshifumi - アルバム『monogrammed』 - ギター、ボイス参加
- 横川理彦 - 「Call」ボイス参加
- 福間創 - 「this is our music」ゲストミュージシャンとして小西健司と共に参加
CM制作
(出典[231])
メーカー | 商品名 | タレント | 年 |
---|---|---|---|
ナショナル | カラートランザムX30 | - | 1980年 |
キリンレモンサービス | サーフブレイク | ???? | 1983年 |
資生堂 | メンズムース | とんねるず | 1983年 - 1985年 |
松坂屋 | 山本寛斎プレタポルテ | - | |
ソニー | ビデオプロモーション | ||
ネスレ | ネスカフェエクセラ | ||
帝人 | ワオ | ||
丸井 | メンズ館 | ||
ユニ・チャーム | シルコット | ???? | |
VOLVO | ???? | ???? | ???? |
DENON | CONCEPT | ???? | ???? |
本間ゴルフ | ???? | ???? | ???? |
JT | PR広告 | ???? | ???? |
ツクダ | コンピューター・オセロ | 岡本綾子 | 1985年 |
マイプリント | ???? | ???? | ???? |
内田洋行 | ???? | 河口洋一郎、手塚真、柴門ふみ | 1985年 |
NTT | ???? | ???? | ???? |
アクメシステム | ???? | ???? | ???? |
MAZDA | ボンゴ | ???? | ???? |
〃 | タイタン | ???? | ???? |
松坂屋 | ピットイン | ???? | ???? |
ミズノ | ???? | ???? | 1988年または1989年 |
酒田時計貿易 | RADO Ceramica | 横尾忠則 | 1989年 |
雪印乳業 | とってもゼリー | 浅香唯 | |
ピップフジモト | 肩こり内服液 | 片岡鶴太郎 | 1990年または1991年 |
ユニベール | ピポQ | ダウンタウン |
その他
公演
ライブ・コンサートツアー
年 | 形態 | タイトル | 会場 | サポートメンバー |
---|---|---|---|---|
1989年 | コンサートツアー | 第1回"時空の水"ツアー | ことぶき光:Key 友田真吾:Dr 高橋BOB:Ba 秋元一秀:Com | |
単発コンサート | 人間大地・めざめの里 Festival '89 | 秋元一秀:Ba | ||
コンサートツアー | 第2回"時空の水"ツアー | ことぶき光:Key 友田真吾:Dr 高橋BOB:Ba 秋元一秀:Key ゲスト: SOFT BALLET (9月8日) 橋本一子 (9月28日) | ||
単発コンサート | across the forewaters | (ソロ) | ||
1990年 | コンサートツアー | ライヴ・フォトン | ことぶき光:Key、Cho 小西健司:Key、Cho 秋元一秀:Com 名倉丈雄:Com ゲスト: 戸川純 (5月19日) | |
世界タービン・ツアー | ことぶき光:Key 友田真吾:Dr 秋山勝彦:Ba 秋元一秀:Key ゲスト: 梅津和時 (7月4日/7月11日) 戸川純 (7月4日)[注釈 24] オーケストラル・マヌーヴァース・イン・ザ・ナース (7月11日) | |||
単発コンサート | 人間大地・めざめの里 Festival '90 | ことぶき光:Key 秋元一秀:Key | ||
ライブイベント | ERROR FORCE | ことぶき光:Key 秋元一秀:Key 高橋BOB:Ba 藤井ヤスチカ:Dr | ||
コンサートツアー | 世界タービン・ツアー Vol.2 | 戸川純:Cho | ||
1991年 | ヴァーチュアル・ラビット・ツアー | ことぶき光:Key 友田真吾:Dr 高橋BOB:Ba 砂原良徳:Key 本地陽子:Viol 横川理彦:Viol 戸川純:Cho 秋山勝彦:Cho 藤井一彦:Cho 藤井ヤスチカ:Cho | ||
ライブイベント | I3 DAYS | ことぶき光:Key 友田真吾:Dr 高橋BOB:Ba 藤木弘史:Key 戸川純:Cho | ||
1992年 | Hi-Res | (ソロ) | ||
I3 DAYS '92 | ことぶき光:Key 高橋BOB:Ba 上領亘:Dr ゲスト: 秋山勝彦:Cho 戸川純:Cho ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Cho 砂原良徳:Cho 蔦木栄一:Cho | |||
1993年 | ERROR OF INFORMATION 待機 | (ソロ) | ||
I3 DAYS '93 | 高橋BOB:Ba 上領亘:Dr TAKA:Key ゲスト: 小西健司:Cho | |||
1994年 | 単発コンサート | ERROR ENGINE 平沢三幕三時間 | 第一幕 小西健司:Syn 第二幕 (ソロ) 第三幕 横川理彦:Viol 本地陽子:Viol 高橋BOB:Ba 上領亘:Dr TAKA:Key 戸川純:Cho 梅津和時:Sax | |
1999年 | コンサートツアー | Live-Phonon 渡橋する声軍 | 中野テルヲ:Systems 福間創:Systems TAINACO:Dr | |
2001年 | 単発コンサート | Hirasawa Energy Works - Solar Live LIVE SOLAR RAY | (ソロ) | |
2005年 | ライブ・トーク・イベント | -GREEN NERVE PRESENTS- 反射の集いは氷の9 | ゲスト: 中野泰博 折茂昌美 | |
2007年 | 単発コンサート | PHONON2550 | (ソロ) | |
2008年 | PHONON2551 | |||
2010年 | PHONON2553 | |||
2011年 | 東京異次弦空洞 | Neng:パフォーマンス Rang:パフォーマンス | ||
2012年 | PHONON2555 | 荒木康弘:Timpani PEVO1号:Gt | ||
2014年 | 平沢進×核P-MODEL HYBRID PHONON | PEVO1号:Gt、Laser Harp、Tesla Coil | ||
2016年 | ライブ・トーク・イベント | 景観する循環カフェ | (観客参加:Cho) | |
2017年 | 景観する循環カフェ(追加公演) | |||
単発コンサート | 第9曼荼羅 | SSHO:Gt、Cello、Systems TAZZ:Dr、Violin、Key、Systems 上領亘:Dr (10月のみ) | ||
2019年 | ロック・フェスティバル | 平沢進+会人(EJIN) フジロックフェスティバル '19 (3日目) |
白会人SSHO:Gt
白会人TAZZ:Gt、Tesla Coil | |
コンサートツアー | 戦法STS BATTLES JAPAN TOUR 2019 |
白会人SSHO:Gt
白会人TAZZ:Gt、Violin | ||
2020年 | 平沢進+会人(EJIN) 会然TREK 2K20 |
会人93317543:Gt、Cello、Systems
会人66594428:Gt、Ba、Violin、Systems | ||
2021年 | 単発コンサート | 24曼荼羅 | SSHO:Gt、Cello、Dr TAZZ:Key、Violin、Dr ユージ・レルレ・カワグチ:Dr | |
ロック・フェスティバル | 平沢進+会人(EJIN)
フジロックフェスティバル '21 (3日目) |
全1公演
8月22日 苗場スキー場 WHITE STAGE |
SSHO:Gt、Cello
TAZZ:Ba、Violin ユージ・レルレ・カワグチ:Dr |
インタラクティブ・ライブ
年 | 回 | タイトル | 会場 | サポートメンバー |
---|---|---|---|---|
1994年 | 1 | AURORA TOUR 1994 INTERACTIVE LIVE オーロラ伝説 | 戸川純:Cho、"マザー・オブ・ナバホ"役 | |
2 | TOKYOパラネシアン | TAKA:Key、"電気ッTAKA"役 上領亘:アルゴリズム 高橋BOB:Ba、"IOラスタ"役 | ||
3 | I3 DAYS '94「Adios Jay」 | 上領亘:アルゴリズム | ||
1995年 | 4 | INTERACTIVE LIVE SHOW SIM CITY TOUR | Miss-N:Cho | |
1996年 | 5 | INTERACTIVE LIVE SHOW Vol.5 SIREN | Miss-N:Cho Miss-Aeh:Cho | |
1998年 | 6 | INTERACTIVE LIVE SHOW "WORLD CELL" | 福間創:System | |
2000年 | 7 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2000 賢者のプロペラ | MIRAI:System、"スペース・ナッカドー"役 小西健司:System、"アイアン・ナッカドー"役 | |
2003年 | 8 | Interactive Live Show 2003 LIMBO-54 | (ソロ) | |
2006年 | 9 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2006 「LIVE 白虎野」 | ||
2009年 | 10 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2009 「点呼する惑星」 | A-sai:パフォーマンス、"Naangfaa 1"役 Fiat:パフォーマンス、"Naangfaa 2"役 Rang:パフォーマンス、"Astro-Hue!"役 | |
2013年 | 11 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2013 「ノモノスとイミューム」 | 折茂昌美:Vo、ナレーション、"サンミア"役 野田隼平:"Amputeeガーベラ"役 PEVO1号:折茂のエスコート | |
2015年 | 12 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2015 「WORLD CELL 2015」 | PEVO1号:Gt、Laser Harp、村正 折茂昌美:"火事場のサリー"役(声のみ) Rang:"Astro-Hue!"役(映像のみ) | |
2022年 | 13 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」 | オリモマサミ:"シトリン"役
ナカムラルビイ:"ルビイ"役 会人SSHO 、会人TAZZ、在宅オーディエンス:"天候技師"役 会場オーディエンス:"改訂評議会員"役 |
万国点検隊
開催年 | サブタイトル | タイトル | 舞台 |
---|---|---|---|
1994年10月12日 - 10月17日 | HIRASAWA BYPASS Presents 万国点検隊 | トビラ島大追跡旅行団 | タイ王国・プーケット県 |
1995年10月10日 - 10月14日 | 第二回万国点検隊 | วิวัฒน์ ธาราสงบ(ウィワット・ターラーサンゴップ)仮想救出移動団 | タイ王国・バンコク |
1996年10月16日 - 10月22日 | 第三回万国点検隊 | 偽装巡礼ソプラノ煩悩団 | マレーシア・クアラルンプール |
1997年10月28日 - 10月31日 | 第四回万国点検隊 | 非局所性緑色免疫団 | インドネシア・バリ島 |
1998年11月28日 - 12月3日 | 第五回万国点検隊 | 世界細胞組合合唱鉄橋団 | タイ王国・バンコク、ムアンカーンチャナブリー郡 |
2000年6月14日 - 6月19日 | 第六回万国点検隊 | 平行郷錬金術大プロペラ団 | ミャンマー・ヤンゴン、バガン タイ王国・バンコク |
2007年6月29日 - 7月3日 | 万国点検隊2007 | P-0 | タイ王国・プーケット県 |
ゲスト・ライブ
年 | アクト | タイトル | 会場 | バンドメンバー | パート |
---|---|---|---|---|---|
1978年 | The Bach Revolution | FM25時・サウンド・カーニヴァル シンセサイザー・ランド |
神尾明朗:Syn 田崎和隆:Syn 小久保隆:Syn 田中靖美:Syn |
Syn | |
1986年 | THE LOODS | MORE LOUD MACHINE SESSION | 西村茂樹:Vo、Gt 鈴木浩司:Gt 村田語:Ba 佐藤勝彦:Dr |
Key | |
1991年 | ヤプーズ | ヤプーズ デ ラ クルスの犯罪的人生 96m巻・2枚重ねミシン目あり |
戸川純:Vo 泉水敏郎:Dr 中原信雄:Ba 吉川洋一郎:Key ライオンメリィ:Key |
Gt | |
SOFT BALLET | SOFT BALLET meets 平沢進 | 遠藤遼一:Vo 森岡賢:Key 藤井麻輝:Key 上領亘:Dr 石塚伯広:Gt |
Gt、Vo | ||
1992年 | 梅津和時 | 続々・大仕事 | 梅津和時:Sax 小西健司:Com |
Com | |
1994年 | ヤプーズ | I3 DAYS '94 TOKYO & OSAKA | 戸川純:Vo 中原信雄:Ba ライオンメリィ:Key 河野裕一:Gt 新井田耕造:Dr |
Gt | |
TAKA | I3 DAYS '94 TOKYO & OSAKA | TAKA:Vo | |||
1995年 | LONG VACATION | LONG VACATION'S LAST TOUR of the 20th CENTURY | ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Vo 中野テルヲ:Key みのすけ:Dr | ||
2006年 | 4-D mode1 | 『Die Rekonstruktion』発売記念ライヴ | 小西健司:Com、Vo 横川理彦:Com 成田忍:Com |
Com、Gt、Vo | |
2009年 | DRIVE TO 2010 | Gt(前もって録画された) | |||
2012年 | PEVO | PEVO!PEVO!PEVO! | PEVO1号:Gt PEVO2号:Ba PEVO4号:Vo |
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして) | |
2013年 | ケラ&ザ・シンセサイザーズ | ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー 生誕50周年・ナゴムレコード30周年&新生記念 (2日目) |
ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Vo 三浦俊一:Gt、Key 福間創:Key RIU:B Reiko:Dr |
Gt、Vo | |
2014年 | PEVO | NEOZIC | PEVO1号:Gt PEVO2号:Ba PEVO4号:Vo |
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして) | |
2016年 | minus(-) | ecru | 森岡賢:Key、Vo 藤井麻輝:Key、Vo Yuumi(FliP):Dr 山口美代子(detroit7):Dr |
Gt、Vo | |
PEVO | Mock'n'doll show 2016 擬装市民PEVO誕生 |
PEVO1号:Gt PEVO2号:Ba PEVO4号:Vo |
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして) | ||
ヒカシュー | ヒカシューの絶景クリスマス | 巻上公一:Vo 三田超人:Gt 坂出雅海:B 清水一登:Key 佐藤正治:Dr ケラリーノ・サンドロヴィッチ:キューピッター |
Gt、Vo |
主な出演番組
テレビ出演
- ヒットスタジオR&N - ゲスト出演、1989年、フジテレビ
- 夢で逢えたら - ゲスト出演 YAPOOSとして登場、1991年、フジテレビ
- SOUND GIG - ゲスト出演、1991年、パワーチャンネル
- 美・I・ism - ゲスト出演、1991年、WOWOW
- NEW WAVE90'S - ゲスト出演、1991年、スペースシャワーTV
- ミュージックトマトJAPAN - ゲスト出演、1992年、テレビ神奈川
- 気分は天気 - ゲスト出演、1992年、北海道テレビ
- MUSIC CLIQUE - ゲスト出演、1993年、テレビ神奈川
- アニマムンディ - ナレーション、1994年、TBS
- 週間おもしろパソコン - ゲスト出演、1995年、テレビ東京
- 輝け!噂のテンベストSHOW - 1996年、日本テレビ
- 真夜中の王国 - ゲスト出演・特集、1997年、NHKBS2
- Let It Beat Japan - ゲスト出演、1997年、千葉テレビ
- 妄想ビーム - ゲスト出演(司会)、1999年、テレビ東京
- ミュージックパフォーマーズTV - ゲスト出演、2000年、ミュージックエアネットワーク
- NEWS23 - インタビュー出演、2001年、TBS
- 80年代ニューウェーブ特集「P-MODEL」 - 「LIVE SOLAR RAY」放送、インタビュー出演、2001年、NHKBS2
- ニュース10 - インタビュー出演、2001年、NHK総合
- FUTURE TRACKS - インタビュー出演、2002年、テレビ朝日
- シネマ通信 - インタビュー出演、2006年、テレビ東京
- 最強ダークファンタジー「ベルセルク」TVシリーズ 7/1スタート記念特番[354] - インタビュー出演、2016年、WOWOW
- FUJI ROCK FESTIVAL '19 完全版[355] - ライブ映像及びインタビュー出演、2019年、フジテレビNEXT
- FUJI ROCK FESTIVAL '21 完全版[356]ライブ映像、フジテレビONE
ラジオ出演
- FMナイトストリート - ゲスト出演、1990年、JFN系にて放送
- サイバーテレフォンリクエスト - ゲスト出演、1992年、BAYFM
- 平沢進のテクノ実験工房 - パーソナリティ、1994年 - 1995年、FM群馬
- ハートビートナイト - ゲスト出演、1995年、NACK5
- ナイトワープ ENO@HOME - ゲスト出演、1997年、TOKYO FM
- ブーメラン・サテライト - ゲスト出演、2002年、TOKYOFM
- 超機動放送アニゲマスター - ゲスト出演、2002年、文化放送
- 上坂すみれの乙女*ムジカ[357] - ゲスト出演、2014年、東海ラジオ、KBS京都、RKB毎日
インターネット配信・出演
ライブ配信自体は2003年よりおこなっており、PeerCast(2003年・2006年)、Ustream(2009年 - 2016年)、Youtube(2017年 - )をそれぞれ用いている。
- 亜種音TV - 2004年 - 、teslakite.com
- Hirasawa監視50000秒 - 2011年8月 - 12月、Ustream(現在はYoutubeで視聴可能[358])
- 「ベルセルク 黄金時代篇II」公開記念 平沢進と一緒に「Sign」投稿動画を見よう! - 2012年6月、ニコニコ生放送
- 『ベルセルク 黄金時代篇III 降臨』公開記念 『(`Д´)ワージ!を超えろ!「Aria」歌詞ネットスタンダード認定祭』 - 2012年11月23日、ニコニコ生放送
- HIRASAWA追跡70000歩 - 2013年8月7日 - 2015年1月2日、Ustream(現在はYoutubeで視聴可能[359])
- 平沢進のBack Space Pass - 2014年5月31日 - (不定期)、Ustream、YouTube(現在は一部を除き,アーカイブがYoutubeで視聴可能[360][361][362][363][364])
- 百足らず様が通る 「足らず講釈」 - 2016年5月16日 - 2017年1月16日、Youtube[365]
- okagesama2019 - 2019年4月1日、susumuhirasawa.online[366]
- 平沢進+会人(EJIN) - 2019年4月5日、Youtube[367]
その他出演イベント
- 平沢進×斎藤環「平沢進・徹底解剖!」 - トークイベント 2019年2月13日開催、VOLVO STUDIO AOYAMA、ニコニコ生放送[368]
主な雑誌等への寄稿
- サウンド&レコーディング・マガジン 1994年4月号[369]
- 現代思想2011年9月臨時増刊号 総特集=緊急復刊 imago 東日本大震災と〈こころ〉のゆくえ[371]
- 「医道の日本」2016年5月号[372]
- CDジャーナル 2017年05月号[373][374]
- ユリイカ2020年8月号「特集=今敏の世界 -『PERFECT BLUE』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』……その先の10年」[375]
影響を受けた人物・作家・アーティスト
- 宮沢賢治[379][180][380][381][382]
- 河合隼雄[383][384]
- 添田唖蝉坊[385][386][387]
- 古今亭志ん生(5代目)[388][389][390]
- 山上たつひこ[380][391]
- 黛敏郎[380]
- 武満徹[380]
- 伊福部昭[392][393]
- 冨田勲[394][395]
- フラワー・トラベリン・バンド[396][397]
- レック(フリクション)[217]
- 蔦木栄一(突然ダンボール)[398][399]
- シオドア・スタージョン[380][180][400][401]
- カート・ヴォネガット[380][180][402]
- アンドレ・ブルトン[403][404]
- カール・グスタフ・ユング[405] [180]
- クロード・ドビュッシー[406]
- モーリス・ラヴェル[406]
- イーゴリ・ストラヴィンスキー[406][407]
- バルトーク・ベーラ[406][407]
- ウェンディ・カルロス[408]
- THE SPOTNICKS[72][73]
- アストロノウツ[409]
- アトランティックス[410][217][74]
- ブラック・サバス[410][217]
- アイアン・バタフライ[411][412][413]
- ピンク・フロイド[217]
- ジェスロ・タル[71]
- ロバート・フリップ(キング・クリムゾン)[410][217]
- スティーヴ・ハウ(イエス)[74]
- ピーター・ガブリエル(ジェネシス) [217][414]
- ピーター・ハミル(ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター)[415][416][417]
- クラウス・シュルツェ(タンジェリン・ドリーム)[217]
- ジョン・ライドン(セックス・ピストルズ)(パブリック・イメージ・リミテッド)[410][217][418]
- 999[217][418]
- Métal Urbain[418]
- DEVO[180]
- ジョン・フォックス(ウルトラヴォックス)[217]
- コリン・ニューマン(ワイヤー)[217]
関連・関係人物
- 平沢裕一(平沢YOU1) - 平沢進の兄。グラフィックデザイナーとしてP-MODELやFC会報のジャケットを手がける。マンドレイク時代は演出チーム「ディバイス・マンドラゴラ」を率入り、メジャーデビュー後はセルフマネジメント事務所「MODEL HOUSE」リーダーを務めた。2013年4月より茨城県つくば市にてニューウェーブカフェバー「GAZIO」を経営していたが、2015年11月をもって閉店し、以降は不定期に、イベント「Cafe Gazio」や「ゆるGazi」などを開催している[419]。
- 中野泰博 - 中野ブロードウエイ3Fのレコードショップ『ショップメカノ』店長。FC会報でのライブレポートや、万国点検隊隊長を務めたお礼として、核P-MODELのメカノ限定シングルを提供した。長年平沢の活動初期のプログレシブ・ロックバンド「マンドレイク(MANDRAKE)」時代のアルバム作成を要望しており、2006年に現存する音源をリマスタリングしたアルバム「unreleased materials(アンリリースド・マテリアルズ)」がリリースされた。2010年には『超マニアックなCD屋「メカノ」はなぜ潰れないのか』というタイトルで特集が組まれた[420]。
- 高橋かしこ - 編集者。記念本「音楽産業廃棄物」やライナーノーツを手がけている。平沢進ソロ25周年記念企画の監修を務め[421]、『初期三部作』のリマスター盤に解説を寄稿、ベストアルバム『Archetype』の選曲にも携わった。
- Shampoo - 1979年に結成された女性ユニット。当時シンセサイザー教室の生徒だった折茂昌美と足立眞理を、講師だった平沢がプロデュース。1982年デビュー。その後、足立が1983年に脱退し折茂のソロユニットとなるが、1999年頃よりキーボーディストのKCこと鈴木KCが活動に参加し2011年に正式加入。折茂は2005年のFC会員限定イベント「反射の集いは氷の9」にゲストとして参加[422]。折茂はのちに大病を患い右足を切断するも、楽器化した特注の義足を駆使して活躍[423]。2013年には折茂がインタラクティブ・ライブ「ノモノスとイミューム」に登場人物の「サンミア」役として参加し、2015年には「World Cell 2015」に登場人物の「サリー」役として映像に出演している[219]。2018年にKCが逝去。2022年3月から開催の6年4カ月ぶりのインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』に折茂が"シトリン"役として参加予定[424]。
- 村田語(カタル) - パンクバンドニューロティカのメンバー。かつて平沢がプロデュースしたバンドTHE LOODSのメンバーであった。その時平沢がP-MODELの菊池達也が使用していたベースを譲り渡したものの、後にライブで壊してしまっている[425]
- デヴィット・ボウイ - マルチ・アーティスト。1979年から1980年に知り合いの京都宅に滞在していた事で知られ、P-MODELの京都公演に観客の一人として参加。ライブ後に楽屋にボウイは訪れ、メンバー達と語らった[86]。平沢は黄色から青色に塗り替えたFernandes VK-7(エレキギター)にサインをボディー裏側に書かれたが、このギターはその後行方不明となっている[426]。米国に帰国後、ボウイは米国版PLAYBOY誌にて坂本龍一と対談し、坂本から日本に気になるアーティストが居たかと聞かれた際、ボウイはP-MODELが気になっていると語っている[87]。2016年、ボウイが死去した翌日に平沢はTwitter上で当時の思い出と彼への思いを語っている[88]。
- ヴァン・ヘイレン - アメリカ合衆国出身のハードロック・バンド。当時P-MODELはワーナーの洋楽部門に所属しており、対バン希望について聞かれた際、テクノ以外のバンドと演りたいとして同じワーナーの洋楽部門所属のバンドのリストからヴァン・ヘイレンを希望した。1980年の来日ツアーをP-MODELが前座を務め、日本武道館での演奏も行った[84]。楽屋でエドワード・ヴァン・ヘイレンとマイケル・アンソニーと仲良くなり、楽屋でP-MODELの曲を演奏するなどした。平沢曰く、「ギターの人(エディ)はシャイでいい人」「ドラムの人(マイケル)は不思議な面白い人」だったと語っている[85]。
- 今敏 - 漫画家、アニメーション監督。高校時代からの平沢のファンでもあり、表現スタイルに最も影響を与えたのは平沢の音楽であると語っていた。平沢が当時音楽担当として参加していたアニメ『ベルセルク』のPV編集を今敏が行っており、その後に自身の映画『千年女優』の劇伴・主題歌を平沢に依頼[427]。以降は『パプリカ』、『妄想代理人』の音楽も平沢が担当。平沢から先に作中曲を提供してもらい、それを聴きながらコンテを起こしていた。2010年、平沢も参加予定であった新作『夢みる機械』制作中に膵臓がんで逝去。2010年11月15日、平沢は「今敏監督を送る会」に参加。今が自身をなぞらえて最も気に入っていた黄鉄石を受け取り、自身の引き出しに閉まっている。
- 秋元きつね - 平沢初めての弟子として、80年代後半から90年代前半にかけてツアーライブや作品に19歳から参加。平沢を「師匠」と呼んでいた。平沢から学んだAmigaを使いCG作家としてデビュー。1999年にスクエアエニックスよりゲーム『せがれいじり』を発表。2014年、糖尿病の悪化により逝去。
- 三浦建太郎 - 漫画作品『ベルセルク』の原作者。学生時代からの平沢のファンであり、漫画制作中も楽曲を流しながら作業していた。ベルセルクのアニメ劇伴を平沢が担当するようになり、以降20年来の付き合いとなる。ゲーム『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章』主題歌の「Sign」、映画『ベルセルク 黄金時代篇』の主題歌「Aria」は三浦が作成した俗語一覧から平沢が作詞・作曲を行った。2021年5月20日、 大動脈解離により急死。同日、平沢は自身の公式ホームページに「三浦建太郎先生の訃報に接して」と追悼文を掲載した[428]。
- 戸川純 - 1983年に結成したヤプーズのリーダー。平沢がP-MODELを凍結中にヤプーズのサポートに参加。1989年にはTV番組「夢で逢えたら」のコーナー「バッハスタジオⅡ」に平沢が参加していたヤプーズで出演し、ダウンタウンとウッチャンナンチャン並びに戸川純らと共にセッションを行った[429]。また、1990年には戸川が平沢の「世界タービンツアー」のサポートに参加。平沢は「戸川純が居れば、下手な女性活動家は必要ないのではないか」と戸川の楽曲と活動姿勢をリスペクトしており、雑誌上やTVで音楽やジェンダーに関する対談を行う等もしていた。ヤプーズは2006年から休止していたが2019年から再活動開始。2020年4月からはYoutubeチャンネルを開設し、メールお便りでの相談にメンバーの山口慎一を相手に答える動画を投稿している[430]。平沢は「1番好きな戸川純の曲を定めるのは至難の業」としており、名曲の一つ「諦念プシガンガ」を「あれは神を作った神であります。」と語っている[431]。
- 砂原良徳 - テクノミュージシャン、マスタリング・エンジニア。電気グルーブ元メンバーで「まりん」の愛称で知られる。現在はソロと高橋幸宏主催のMETAFIVEメンバーとして活動中。1991年に平沢のソロコンサートツアー「ヴァーチュアル・ラビット・ツアー」のサポートメンバーとして参加。P-MODELの解凍期にメンバー入りも希望されていたが、電気グルーヴへ参加が先に決定したため実現しなかった。電気グルーブ入り後にはコラム『電気Grooveの生涯勉強』上で対談。また、砂原が「キーボードスペシャル」連載にてこのシンセを売ってくれる人を公募していた為、平沢は所有するMS-20の2台のうち1台を砂原に渡している[432][433]。2021年のフジロックフェスティバルでは、8月20日のホワイトステージにMETAFIVE(砂原良徳、LEO今井)メンバーで、「平沢進+会人」と同日の8月22日に「砂原良徳」名義でレッドマーキーステージの最終公演に出演した[434][435]。
- 巻上公一 - P-MODELと共に「テクノ御三家」と称されたヒカシューのリーダー。「超声楽家」としても知られるテルミンの使い手。詩集『至高の妄想』で第一回大岡信賞を受賞[436]。2016年12月の「ヒカシュー 絶景クリスマス」では庭師KINGや美術館で会った人だろ等を平沢と共に演奏並びに歌唱。互いに笑顔で握手や抱きつき合う等もした[437]。平沢とは熱海好き仲間でもある。
- ケラリーノ・サンドロヴィッチ - 有頂天リーダー。80年代後半からの付き合いで平沢を「先輩」呼びしている。2016年12月の「ヒカシュー 絶景クリスマス」では平沢と共にゲストメンバーとして参加[438]。
- PEVO - P-MODELのコピーバンド大会「P-MANIA!」優勝バンド。バンドネームの由来はP-MODELとDEVOを掛け合わせたものであり、DEVOのような衣装が特徴的。ヴォルキス・プロラデューク名義で平沢がプロデュース。メンバーのPEVO1号は、2014年のライブ「パラレル・コザック」「HYBRID PHONON」や、2015年のインタラクティブ・ライブ「World Cell 2015」にサポートメンバーとして出演した[439][320][440]。
- テスラコイル - 高周波、高電圧を発生させることのできる共振型変圧器。平沢がスタッフに頼み当時入手可能な最大の物を確保、ライブ演奏で使用する様になる。平沢所謂性別は女性でサポートメンバーの一人[441]。
- 中村健寿 - 茨木県つくば市のベジタブル系ラーメン専門店「KENJUキッチン[181][182]」の店主。「KENJUキッチン創業三周年感謝祭」には平沢の実兄であり「STUDIO GAZIO」の店主、平沢You1が経記念グッズのランチョンマットをデザインを行い販売した。また、平沢進と対談収録がYoutubeチャンネルにて無料公開された[183][184]。
- ベネディクト・シュナイダー(Benedykt Szneider) - 2014に設立されたポーランドのゲーム会社「REIKON GAMES」のコンセプトアーティスト、クリエイティブ・ディレクター。長年平沢のファンであり、自身らが当時開発していたサイバーパンクゲーム『RUINER(ルイナー)』のゲーム内にて平沢の楽曲を使用するアイデアを持ち出し、ゲームとマッチするとわかり楽曲提供を平沢の事務所に依頼。その後平沢が許可を出し、ポリドール時代の楽曲「トビラ島」等をゲーム内楽曲として提供[442][443]。『RUINER』は2017年よりSteam、PS4、Xbox Oneにて配信され、2020年には任天堂Switchより配信並びにパッケージ版が発売された[444][445]。
- ナカムラルビイ - 1996年1月10日生まれ。父親はドラムミュージシャン、俳優の中村達也。中学3年生時代に合法薬物バンド「酢酸カーミン」を発足。高校生時分には、当時のクラスメイトと「地下女子企画。」なるモツ投げ地下アイドルユニットを結成。同時期にDJも開始。2015年には、芝居方面でも表現の幅を広げ、田中要次監督作品などに出演。2019年3月には中村達也独り叩き旅にてソロサックスO.A.。同年7月、「太陽肛門スパパーン」にて『平沢進+会人(EJIN)』と同じくフジロックフェスティバル'19にてフジロック初出演。2020年、Freaky Style Locaの活動休止に伴い、説法パンクバンド「Buddhadatta」に加入[446]。2022年3月から開催の6年4カ月ぶりのインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』に"ルビイ"役として参加予定[424]。
- 吉田大八 - 映画監督。2013年、『桐島、部活やめるってよ』で第36回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀作品賞を始め各賞を受賞[447]。学生時代から平沢のファンであり、「僕そのものの考え方を半分くらい作った」と語っている[448]。2017年に三島由紀夫の小説「美しい星」の映画に平沢のソロ曲「金星」が提供されるにあたり、「CDジャーナル 2017年5月号」で対談が掲載された[449]。
- 斎藤環 - 筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。初期P-MODELからのファンであり、平沢とは2000年からの付き合い。2019年にはゲンロンカフェにて平沢と対談公演、配信を行った[450]。自身のnoteでは『「平沢進」論』を寄稿している[451]。
脚注
注釈
- ^ 「パワーホール」作曲時の名義
- ^ 『ハリケーンズ・バム』作曲時の名義
- ^ (『陸の人よ』共制作時の名義
- ^ PEVOプロデュース時の名義
- ^ P-MODEL時代のメンバー達から呼ばれていた。90年台からは一部のファンからも称されるようににり、オフィシャル・ファンクラブであるGreen Nerveの会報誌では師匠と呼ばれている。
- ^ インタラクティブ・ライブでは「CALL ヒラサワ」とのレスポンスが毎回行われる。
- ^ 平沢自身はメジャーアーティストでは無いとしており「ステルスメジャー」と自称。ファンクラブ会報において「ステルス」また「ステルスメジャー」とも呼ばれている。
- ^ ファンクラブ会報、音楽誌掲載時に呼称される。
- ^ その際の音源は『配線上のアリア』として1994年にCD化されている。(Pre P-MODEL名義)
- ^ 後にリリースされたマンドレイク・アンリリースド・マテリアル・パート2 にも収録されている。
- ^ CM使用部分は平沢が作曲、残りはゆいこ作曲となっている。
- ^ 歌唱は今井ゆうぞうとはいだしょうこ。
- ^ 所謂、一般的なライブ・コンサートの事を指す。
- ^ ただし名前の由来に関する作者からの正式なアナウンスは発表されていない。
- ^ P-MODELのメジャーデビュー曲「美術館にあった人だろ(1979)」、平沢進ソロ「ロシアン・トビスコープ(1991)」の歌詞「東京の平沢です」 「ビックサイトで会った人だろ。」 https://www.tbs.co.jp/anime/k-on/k-on_tv/blog/200910300000.html 「横浜の平沢です」 https://www.tbs.co.jp/anime/k-on/k-on_tv/blog/200903100000.html
- ^ a b 新シングル「Aria」レコーディング風景も公開された。
- ^ オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークのもじりである。
- ^ タイショックと呼ばれる
- ^ saopraphetson、สาวประเภทสอง:第二の女性/平沢の著書やHPでSP2とも表記されることがある
- ^ 書籍『音楽産業廃棄物』にて平沢は、アルバム「舟」に因み「舟を出航させるために、みんなの港をメンバー全員が作るという意味あいですね」と語っている。
- ^ ゴールドトップ、P-90、テールピースはゴルドー製のトレモロ仕様
- ^ 2021年にはフジロック出演に際しての特別仕様「EVO-PHYTO ELECTRON SEED」を使用した。
- ^ 「平沢進のCG年賀状」にて、同曲のアレンジが挿入されている。
- ^ 7月11日の渋谷公会堂公演は、病欠のために不参加。
出典
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タグ; name ":42"が異なる内容で複数回定義されています - ^ (英語) Siren by 平沢進 [Susumu Hirasawa - RYM/Sonemic] 2021年11月15日閲覧。
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外部リンク
- 平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site
- テスラカイト・オンラインショップ - 公式ショップ
- 平沢進 / Susumu Hirasawa - Bandcamp
- Susumu Hirasawa (@hirasawa) - X(旧Twitter)
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- 平沢進・公式無料ダウンロード
- 「平沢進」論
- ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA#16 平沢進・徹底解剖!