本間ゴルフ
本社の入居する六本木ヒルズ森タワー | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 本間、ホンマ、HONMA |
本社所在地 |
日本 〒106-6135 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー35階 |
設立 |
1959年(昭和34年)2月18日 (有限会社鶴見ゴルフセンター)[1] |
業種 | 製造業 |
法人番号 | 5010401067921 |
事業内容 | ゴルフクラブ等スポーツ用品及び工業製品の製造販売 |
代表者 |
劉建国(代表取締役会長) 伊藤康樹(代表取締役社長) |
資本金 | 5億円 |
売上高 |
138億円 (2024年3月期)[2] |
営業利益 |
4,700万円 (2024年3月期)[2] |
経常利益 |
2億1,500万円 (2024年3月期)[2] |
純利益 |
4,300万円 (2024年3月期)[2] |
総資産 |
164億9,300万円 (2024年3月期)[2] |
従業員数 |
694人 (2017年3月31日現在) |
決算期 | 3月末 |
主要子会社 |
TAIWAN HONMA GOLF CO.,LTD. HONMA GOLF (THAILAND) CO.,LTD. |
外部リンク | https://www.honmagolf.com/jp |
株式会社本間ゴルフ(ほんまゴルフ)は、中国資本で東京都港区に本社を置くゴルフクラブ・スポーツ用品のメーカー。 ゴルフクラブの草分け的な老舗メーカーである。
かつては「パーシモン(persimmon:柿) といえば本間」というほどの知名度があり、木製ウッド全盛の時代には、「ヒロホンマ」ブランドのクラブは高級品としてゴルファーに絶大な人気を誇った[要出典]。
石原裕次郎が愛用したことでも有名であり、西部警察の山形ロケの舞台にもなった[要出典]。創業者兄弟は酒田本間氏庶流にあたる。
沿革
[編集]1958年1月に横浜市に開業したゴルフ練習場が母体[3]。 1959年(昭和34年)2月18日に「有限会社鶴見ゴルフセンター」を設立[1]。1963年に「有限会社本間ゴルフクラブ製作所」を設立してクラブの製造・販売を開始する。 1972年(昭和47年)1月に鶴見ゴルフセンターを「有限会社ホンマ」と商号を改める[1]。1978年(昭和53年)10月に株式会社ホンマに改組[1]。
1990年にそれぞれの商号を「本間ゴルフ製作所」「本間ゴルフ」に変更。1992年、本間ゴルフ製作所とゴルフ場開発の本間ゴルフ興産を本間ゴルフに吸収合併。一本化する。
1973年、日本のゴルフクラブメーカーとして初のカーボンシャフト(ブラックシャフト)クラブの販売を始めたほか、1978年には自社製造も開始した。加えて1982年には、創業者が血を引く豪商本間氏のお膝元山形県酒田市の有力者から、酒田大火以来の雇用不足解消を狙い、進出を懇願されていた酒田工場が竣工、操業を開始した[4]。これによって製造・販売の一貫体制も整備された。 このころは未だ木製ウッドが主流の時代であり、本間は「パーシモンのウッドでは右に出るものはない」とまで言われた[要出典]。
1995年には株式の店頭公開も果たし、全国主要都市に販売直営店を展開していたほか、ゴルフ場運営も手掛けていた[3]。しかし、ゴルフクラブの趨勢はチタンなどのメタル(金属製)ウッドが全盛の時代に突入。飛距離の点で有利なメタルウッドに人気が集まる中、パーシモン主流の本間はこの分野で完全に出遅れたほか[5]、バブル経済崩壊によってゴルフ市場も低迷し始めた。2001年2月には、ゴルフクラブの密輸に関与していたとして大阪支店長が逮捕されたほか、インターネット販売で不当な二重価格表示をしていたとして公正取引委員会から排除命令を受けた。これら事態によって兄の社長が相談役に退き、弟の副社長が社長に昇格した[6][7]。また同年10月には、ゴルフクラブを販売した際に消費税を徴収せず脱税したとして東京地検が法人としての本間ゴルフと相談役に退いた兄を在宅起訴した[8]。2004年8月、弟が社長から代表権のない会長に退き、社長には兄の長男の副社長が昇格した[6]。
2005年6月20日、国内生産に固執するあまり価格競争力が低下していたことや、ゴルフ場の運営撤退によるゴルフ会員権の預託金返還債務を引き続き負わねばならないことから資金繰りが悪化[7][9]。東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請。経営破綻した。負債総額は約305億7200万円[3]。翌月ジャスダックも上場廃止とされた。
2006年3月14日、本間ゴルフは創業者ファミリーの保有分を含む株式の100%の減資とスポンサー企業として選定した日興コーディアル証券系列の投資会社である日興アントファクトリー(現:アント・キャピタル・パートナーズ)と独立系のマイルストーンターンアラウンドマネジメントを引受先とする10億円の増資を実施したと発表した[10][広報 1]。この方針によって兄の長男の社長は退任。東明浩が代表取締役社長に就任し[11]、創業者ファミリーと本間ゴルフの関係は解消された[10]。また同年11月には、新たにゴルフクラブ製造会社を立ち上げた兄の長男の元社長が、新会社に製造や開発部門の従業員を引き抜くことなどの企図のもと、同年2月、実行役の男らと共謀し酒田工場に放火したとして山形県警に非現住建造物等放火の容疑で逮捕されている[12]。
2007年4月1日に李孝が社長に就任。それまでの「裕福なシニアクラス」が使うクラブのイメージを一新しようと比較的リーズナブルな価格のモデル「アスポート」シリーズをリリースする[要出典]。
2010年2月、中華人民共和国の大手企業が共同出資する持ち株会社のマーライオンホールディングスの傘下に入ることを発表。マーライオンホールディングスは投資会社から過半数の株式を譲り受け(株式総数や売却金額は非公表)、今後は中国での販売拡大を目指すこととなった[13]。それに伴い、本間ゴルフ会長に中国人で愛帮網総裁の劉建国が就任。
2016年10月6日、香港証券取引所に株式上場[14]。同年11月17日、世界で初めて政府首脳で大統領選勝利後のドナルド・トランプ次期大統領と非公式会談した安倍晋三からトランプに本間ゴルフの特注品「BERES S-05」が贈られた[15][16][17]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 流通会社年鑑 1997年版, 日本経済新聞社, (1996-12-04), pp. 1049
- ^ a b c d e 株式会社本間ゴルフ 第66期決算公告
- ^ a b c “2005年(平成17年)6月度こうして倒産した・・・ (株)本間ゴルフ”. 東京商工リサーチ 2017年1月7日閲覧。
- ^ 「本間家の抗争 人呼んで酒田のフォークランド紛争 早瀬利之」『諸君!』1882年8月号
- ^ “イ・ボミも頼る本間ゴルフ、苦闘の10年「Disruption 断絶を超えて」特別編”. 日本経済新聞. (2017年1月5日) 2017年1月7日閲覧。
- ^ a b 「破綻の真相 本間ゴルフ 同族独裁で事業を急拡大ブランド過信があだに」『日経ベンチャー』 2005年8月号
- ^ a b 「国産クラブ固執で失墜 本間ゴルフ再生法申請 中国勢攻勢 売り上げ半減」『日経MJ』2005年6月22日
- ^ 「本間ゴルフが消費税2億3000万円を脱税 東京地検、前社長を在宅起訴へ」『読売新聞』夕刊 2001年10月19日
- ^ 「本間ゴルフの民事再生法申請 酒田市が雇用対策検討」『読売新聞』山形版 2005年6月21日
- ^ a b 「本間ゴルフ 創業家一掃 社長に日興系の東氏」『日本経済新聞』2006年3月14日
- ^ “略歴”. 株式会社サイトリ細胞研究所. 2024年9月14日閲覧。
- ^ 「本間ゴルフ元社長の上告棄却 酒田工場の放火事件で」『読売新聞』山形版 2010年9月16日
- ^ asahi.com(朝日新聞社):本間ゴルフ、中国系企業の傘下入り - ビジネス・経済 - 朝日新聞 2010年2月23日 (archive版)
- ^ 本間ゴルフが香港上場=168億円調達 時事ドットコム 2016年10月6日付(archive版)
- ^ “安倍首相がトランプ氏に贈ったドライバーは「中国企業ゆかりの品」”. 週刊ダイヤモンド. (2016年11月24日) 2016年10月27日閲覧。
- ^ “安倍氏、トランプ氏に中国製「本間」ゴルフクラブ 保護貿易を警告?”. 中央日報. (2016年11月24日) 2016年11月25日閲覧。
- ^ “「安倍首相、トランプ氏に中国製ゴルフドライバーをプレゼント”. BRIDGE. (2016年11月24日) 2016年11月25日閲覧。
広報資料・プレスリリースなど一次資料
[編集]- ^ “本間ゴルフ民事再生におけるスポンサーシップ”. マイルストーン ターンアラウンド マネジメント 2017年1月14日閲覧。