コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「北の国から」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
m編集の要約なし
156行目: 156行目:


====その他楽曲====
====その他楽曲====
さだ担当の[[サウンドトラック]]とは別に多数の楽曲が使用された。ジャンルは、[[クラシック音楽]]や[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]、[[J-POP]]、[[演歌]]と幅広い。
*さだ担当の[[サウンドトラック]]とは別に多数の楽曲が使用された。ジャンルは、[[クラシック音楽]]や[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]、[[J-POP]]、[[演歌]]と幅広い。
*フィクションでありながら、現実の時間とリアルタイムで同時進行する[[パラレルワールド]]という設定
**フィクションでありながら、現実の時間とリアルタイムで同時進行する[[パラレルワールド]]という設定
*時代考証的な見地から当時ヒットした楽曲の使用<ref>大晦日の描写に紅白歌合戦を使うのが具体例</ref>
**時代考証的な見地から当時ヒットした楽曲の使用<ref>大晦日の描写に紅白歌合戦を使うのが具体例</ref>
*脚本の[[倉本聰]]や制作スタッフの拘り
**脚本の[[倉本聰]]や制作スタッフの拘り
*演出上の指定楽曲であるケース
**演出上の指定楽曲であるケース
*北海道出身の[[中島みゆき]]、[[松山千春]]の楽曲は比較的使われ易い。
*北海道出身の[[中島みゆき]]、[[松山千春]]の楽曲は比較的使われ易い。
*『'87初恋』では、[[尾崎豊]]の楽曲が多用されている。倉本が[[吉岡秀隆]]に、「最近の若者に人気のある歌手を教えろ」とリサーチしたところ、吉岡から強く勧められたのが尾崎であった。倉本は尾崎の存在を知らなかったが、吉岡に贈られた尾崎のカセットテープを聞いて楽曲を気に入り、本作での採用が決まった。<ref>倉本聰『冬眠の森 北の人名録PART2』新潮社</ref>特に、『[[I LOVE YOU (尾崎豊)|I LOVE YOU]]』はその後何度も使われ、純の恋愛を描く上で象徴的な挿入歌として、『北の国から』と切り離せない存在である。吉岡は尾崎と交遊があり、「俺の事を兄と思ってくれていいよ」と尾崎より言われる程であった。
*『'87初恋』では、[[尾崎豊]]の楽曲が多用されている。倉本が[[吉岡秀隆]]に、「最近の若者に人気のある歌手を教えろ」とリサーチしたところ、吉岡から強く勧められたのが尾崎であった。倉本は尾崎の存在を知らなかったが、吉岡に贈られた尾崎のカセットテープを聞いて楽曲を気に入り、本作での採用が決まった。<ref>倉本聰『冬眠の森 北の人名録PART2』新潮社</ref>特に、『[[I LOVE YOU (尾崎豊)|I LOVE YOU]]』はその後何度も使われ、純の恋愛を描く上で象徴的な挿入歌として、『北の国から』と切り離せない存在である。吉岡は尾崎と交遊があり、「俺の事を兄と思ってくれていいよ」と尾崎より言われる程であった。

2008年3月23日 (日) 11:56時点における版

ロケに使われた黒板五郎の丸太小屋(麓郷の森
五郎3番目の家 富良野市(麓郷の森)

北の国から』(きたのくにから)は、北海道富良野市(主に麓郷地区)を舞台にしたフジテレビジョン制作のテレビドラマ1981年から2002年にかけて放送。

概要

  • 東京都から故郷の北海道に帰郷して、大自然の中で暮らす一家の姿[1]を描く。脚本家倉本聰。北海道の雄大な自然の中で繰り広げられる。連続ドラマ放送後、8編に及ぶSPドラマが放映された。主題歌の作曲・スキャットは、さだまさし
  • 映画『キタキツネ物語』と『アドベンチャーファミリー』の大ヒットにより、似た様なものが出来ないかと、フジテレビから倉本に話が持ち込まれた事から企画が始まる。コンセプトは、アメリカ合衆国のテレビドラマシリーズ『大草原の小さな家』をヒントにしたものと言われる。フジテレビはこの路線を継続し、別の脚本家によるアメリカを舞台にしたドラマ『オレゴンから愛』を制作・放映した。
  • 21年間に渡って放送されたが、制作スタッフの高齢化による定年退職や、長期ロケによる高額な制作費により、続編の制作が困難になった事から、『2002遺言』をもって制作を終了。同年の27時間テレビ総合司会のみのもんたが、「無理に最終回にしなくても良いんじゃないかなあ」と発言。
  • フジテレビ系列局である北海道文化放送が初回から番組制作に協力しており、毎回長期に渡る北海道ロケによって制作された。美しい自然や祭り等、富良野市は日本中に知られる様になり、過疎の村だった麓郷地区には第1作放送直後から、休日になると数百人の観光客が見物に訪れる事となった。最終作が放送された2002年度には249万人が訪れている。[2]富良野は北海道の観光名所となり、ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、富良野市駅前農業協同組合4号倉庫を改造した「北の国から資料館」が設けられた。連続ドラマ第1話、黒板親子が降り立った布部駅の入口脇には、倉本の筆による「北の国から ここに始まる」と書かれた碑が建てられるなどした。

連続ドラマ

  • 1981年10月9日から1982年3月27日、全24話。1年2ヶ月間に及ぶ長期ロケは民放では異例であった。金曜日22時からの1時間番組で、山田太一が脚本を担当した『想い出づくり』(東京放送)の向こうを張り、一時は一桁に落ちた視聴率は尻上がり。最終回の放送日には、新聞の朝刊にお礼の広告を出稿、最終回で遂に20%を突破。平均視聴率14.8%。テレビ大賞受賞。視聴者から寄せられた投書も1万通を超えた。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • 純による東京のガールフレンドに話りかけるナレーションが、物語の語り手となっている。吉岡秀隆の「今日僕は…な訳で」、「…しており」、「…と思われ」という語り口が特徴。これは、同じく倉本脚本のドラマ『前略おふくろ様』における萩原健一の口調を受けて使用されたものである。ガールフレンドに語りかける設定が無くなった続編でも、この口調だけは踏襲されている。

SPドラマ

  • 連続ドラマの好評を受け、10年単位で子役の成長を追う大河ドラマというコンセプトで、当初から長期シリーズとする予定で開始。SPドラマでは常時視聴率20%超えを記録。
  • 『北の国から』が制作されていない1986年、フジテレビ制作で倉本聰がフィギュアスケートを題材にした映画『時計 Adiue I'Hiver』を監督している。中嶋朋子の成長を追いながら撮影するという『北の国から』と共通するコンセプトの作品。
放送日・視聴率
  1. 北の国から'83冬(1983年3月24日放送)- 26.4%
  2. 北の国から'84夏(1984年9月27日放送) - 24.3%
  3. 北の国から'87初恋(1987年3月27日放送) - 20.5%
    過去の作品も含めて全てがビデオ化され、これがレンタルビデオを通じ新たな視聴者を獲得したと言われる。『'87 初恋』では、シリーズ完結前の「シリーズにおける最高の名場面は?」というアンケートにおいて、「純が汚れたお札を見ながら富良野を旅立っていく」というラストシーンが1位に選ばれている。
  4. 北の国から'89帰郷(1989年3月31日放送) - 33.3%
  5. 北の国から'92巣立ち(1992年5月22日、23日放送〉 - 32.2%、31.7%
    『'87初恋』、『'92巣立ち』が、文化庁芸術祭作品賞受賞。
  6. 北の国から'95秘密(1995年6月9日放送) - 30.8%
    『'95秘密』以降、ハイビジョンで撮影。
  7. 北の国から'98時代(1998年7月10日、11日放送) - 25.9%、24.8%
  8. 北の国から2002遺言(2002年9月6日、7日放送) - 38.4%、33.6%
    前編は、『2002FIFAワールドカップ』、『第53回NHK紅白歌合戦』を除き2002年の最高視聴率番組。
    『2002遺言』で共演の吉岡と内田有紀は、2002年結婚。[3]中嶋朋子の実子が息子役で出演。倉本は、『2002遺言』の脚本で第21回向田邦子賞受賞。

再放送

  • 現在は作品も、前述の通りDVD化されており、いつでも振り返る事が出来るが、DVD発売前は不定期に再放送され、新作の放送前に前作の再放送があった。視聴者が前作を振り返るという狙いと共に、連鎖的な視聴者の獲得を狙うといった局側の意図である。(これは本作に限らない) 90年代前半において、ほぼ毎年3月の最終土曜日の夕刻に近年の作品の再放送を放送するという、ある意味恒例とも言える放送がされていた。特に、進学・就職の4月にダブらせ、『'87初恋』、『'89帰郷』の純や蛍が人生の新しい旅立ちをする光景を放映した。

番外編

ゆく年くる年(1982~83年)
フジテレビ制作回。田中邦衛、吉岡秀隆、中嶋朋子の3人が出演。
北の国から 記憶
2002年8月23日、30日放送。最終章「2002 遺言」の放送前に製作された総集編。2週にわたって「金曜エンタテイメント」枠にて放送。前編の「1980~1987」は、連続ドラマから「'87 初恋」まで、:後編の「1989~1998」は、「'89 帰郷」から「'98 時代」までとなっている。この作品で大凡のストーリーが理解できるものの、前後編4時間弱という時間の関係上、細かなストーリーは省略されている。
ドキュメンタリー"北の国から"
2002年9月9日放送。「2002遺言」の舞台裏を中心としたドキュメンタリー番組。語りは中嶋朋子。
5夜連続!アンコールドラマスペシャル「北の国から」
2003年12月16日~19日放送。ハイビジョン撮影がされていた「'95秘密」、「'98時代」、「2002遺言」を地上デジタル放送開始を記念して、初のハイビジョン版での放送。なお編成上の都合で時間枠が足りなかった「2002遺言・前編」については、冒頭で22年間を振り返る回想シーンが追加されている。
北の国から2005 純と結の家
2004年、富良野市麓郷『拾って来た家』の一角に新たに「純と結の家」が作られた事を記念した倉本の書き下ろし短編。純の語りだけで構成されており、完成式で倉本自身によって朗読された。純と結の新婚生活と二人の拾って来た家が作られるまでの物語は、当時「新作ドラマが作られるのでは」とファンの間で話題となった。「季刊 富良野塾」に掲載された他、麓郷の拾って来た家では直筆原稿を読むことができる。
カルトQ2005~誇り~(北の国から)編
2005年10月17日(月)深夜1:19~2:14の登龍門ニューカマーズ枠で放送。
司会:伊藤利尋(フジテレビアナウンサー)、有村実樹
出演者:勝俣州和増田英彦ますだおかだ)、ビビる大木

キャスト

第1話~
第2話~
'83冬~
'87初恋~
'89帰郷~
'92巣立ち~
'95秘密~
'98時代~
2002遺言~

スタッフ

原作・脚本
音楽
演出
プロデュース
  • 中村敏夫富永卓二(連続ドラマ)
  • 中村敏夫(『'83冬』~『'84夏』、『2002遺言』)
    『2002遺言』では、フジクリエイティブコーポレーションのプロデューサーとして参加
  • 山田良明(『'87初恋』~『'98時代』)
    『2002遺言』では、アドバイザリースタッフとして参加
  • 清野豊(『'92巣立ち』~『'95秘密』)
  • 笹本泉(『'95秘密』~『'98時代』)、杉田成道(『2002遺言』)

音楽

主題歌

『北の国から~遥かなる大地より~』(作曲:さだまさし

  • 2007年現在、この主題歌や劇中BGM『純のテーマ』等は、バラエティ番組等で北海道のシーンのBGMとして使用されたり、北海道日本ハムファイターズの応援団が使用していたりと、北海道を象徴する楽曲となっている。主題歌のエピソードについては、こちらを参照。

その他楽曲

  • さだ担当のサウンドトラックとは別に多数の楽曲が使用された。ジャンルは、クラシック音楽フュージョンJ-POP演歌と幅広い。
    • フィクションでありながら、現実の時間とリアルタイムで同時進行するパラレルワールドという設定
    • 時代考証的な見地から当時ヒットした楽曲の使用[4]
    • 脚本の倉本聰や制作スタッフの拘り
    • 演出上の指定楽曲であるケース
  • 北海道出身の中島みゆき松山千春の楽曲は比較的使われ易い。
  • 『'87初恋』では、尾崎豊の楽曲が多用されている。倉本が吉岡秀隆に、「最近の若者に人気のある歌手を教えろ」とリサーチしたところ、吉岡から強く勧められたのが尾崎であった。倉本は尾崎の存在を知らなかったが、吉岡に贈られた尾崎のカセットテープを聞いて楽曲を気に入り、本作での採用が決まった。[5]特に、『I LOVE YOU』はその後何度も使われ、純の恋愛を描く上で象徴的な挿入歌として、『北の国から』と切り離せない存在である。吉岡は尾崎と交遊があり、「俺の事を兄と思ってくれていいよ」と尾崎より言われる程であった。
  • 『'89帰郷』では、東京へ行く勇次(緒形直人)と螢(中嶋朋子)が富良野駅で別れるシーンにおいて、『乾杯』(1980年レコーディングのオリジナルバージョン)が使用されている。長渕剛と倉本は交友関係があった。
  • 『'92巣立ち』では、「長溝(ながみぞ)剛だあ!」の名言及び、五郎(田中邦衛)自身が唄った「やるなら今しかねえ」の歌は、『西新宿の親父の歌』として、長渕のアルバム『JEEP』に収録されている。
  • ドラマとは無関係であるが、1995年に長渕が大麻取締法違反で逮捕され、後に釈放から不起訴処分になった時、倉本が富良野に呼び寄せている。その際、倉本は「ささやきの唄を創って欲しい」と懇願、倉本宅で完成された曲が『友よ』である。
  • 番組内でのサウンドトラックを除いた使用楽曲をまとめたサイトがあるので、詳細はこちらを参照。

エピソード

  • 「黒板」という苗字は、倉本聰の若い頃の恋人の苗字である。
  • 芸能界にもファンが多く、増田英彦ますだおかだ)は、富良野でのドラマの足跡を辿るのでは無く、東京(特に『'92巣立ち』の純)における生活の場面で登場するロケ地等を訪問するのが趣味であると語った。[6]蛍原徹雨上がり決死隊)は、年に何度か富良野を訪れ、地元の住民からも歓迎されている。蛍原は自身の希望により、北海道美瑛町で挙式している。「将来的に北海道に移住したい」と話しており、家にいる日は毎日『北の国から』のDVDを見ているという。
  • 田中邦衛演じる五郎のキャラクターは、小堺一機石橋貴明とんねるず)、原口あきまさ香取慎吾SMAP)らによく物真似される。石橋は、『とんねるずのみなさんのおかげです』でのパロディ「ちょっと北の国から」が本家の宣伝に一役買ったとして、相方の木梨憲武と共に、倉本脚本のドラマ『火の用心』主演に抜擢された。石橋は本編への出演も熱望していたが、こちらは叶わなかった。但し、『'98 時代』において、石橋が広末涼子に扮して歌う映像(『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「ほんとのうたばん」で実際に放送された)がテレビ画面に映る場面がある。
  • 同様な間接的出演を果たした人物に、『めざましテレビ』のキャスターを務める大塚範一がいる。『'92巣立ち』で大晦日のシーン、草太(岩城滉一)が車(U11型日産・ブルーバードバン)で黒板家に向う時のカーラジオから流れる音声として、第42回NHK紅白歌合戦NHKから許諾を得て使用したのだが、この時のラジオ実況が当時NHKアナウンサーであった大塚である。僅か数秒であるために本人も気付かず、後年になって関係者から「大塚の声では無いか?」と本人に確認したところ、「間違い無い」と回答を得られ明らかになった。
  • 特徴の一つとして、大晦日の情景が描かれるケースが非常に多い。上記のNHK紅白歌合戦を取り入れたものは、連続ドラマでも見受けられた。年末年始の帰省による久々の親子水入らずのシーンで、八代亜紀の『雨の慕情』が使用されている。放送は1981年であるが、ドラマの設定が1980年12月31日であるため、第31回NHK紅白歌合戦がベースとなっている。[7]大晦日放送のテレビ映像や音声を使うケースとしては他に、明石家さんま出演のものや、系列局である北海道文化放送のローカル番組が使われている。(山田英寿アナウンサーが間接的出演)
  • 北海道文化放送への制作協力という点では、『'92巣立ち』内で草太(岩城滉一)とアイ子(美保純)の結婚式をテレビ取材させるという名目で、同局のロケ用ワゴン車(日産・キャラバンもしくは日産・ホーミー・E24型)が登場する。日産自動車はSPドラマになってからのメインスポンサーでもある。連続ドラマにおける車両提供はトヨタ自動車であったが、五郎や中畑和夫(地井武男)の使用車両もSPドラマ以降は日産自動車である。
  • 『'87初恋』で、純が汚れたお札を見ながら富良野を旅立っていくシーンで登場する大型トラックは、スポンサーの関係から日産ディーゼル・レゾナであり、同様に『2002遺言』冒頭で倒産した旧北村家から牛等を持ち出して行くトラックも日産ディーゼル・ビッグサムである。しかし、「拾ってきた街」の住宅建築現場のクレーン付トラックは、車両手配が出来なかった関係なのか、いすゞ・フォワード(2代目)を使用しており、エンブレム類には全てガムテープ等で目隠しをしている。
  • 極寒の季節にも収録が行われるため、撮影には苦労が付きまとう。特にビデオ収録を行う中継機材車は、寒冷地仕様で無い事もあり、余りの寒さに収録機材が上手く動作せず、収録スタッフは機材の防寒対策に悩まされた。中継車の暖房をフル稼働しても対応出来ない事さえあったという(出典:フジテレビホームページより)
  • 『2002遺言』のストーリーは、中畑和夫(地井)の妻が癌で亡くなる事になっているが、これは「中畑木材」の原型である「麓郷木材」であった実話である。ちなみに地井の実妻も同時期に癌で亡くなっており、都内で行った撮影前のリハーサルではオーバーラップするためにリハーサルにならなかったらしい。中澤佳仁(笠松正吉役)は、芸能界を退き一般企業に勤める会社員となったが、本作だけは特別に出演を続けていた。しかし仕事との両立が困難となり、『2002遺言』では、蛍へ宛てた手紙を読む声のみの出演となった。

その後

あくまでもドラマが続いた場合の倉本聰の構想であり、画像化や活字化されているわけではないので注意。

  • 現在、純と結は富良野市内で二人で住んでいる。麓郷で一緒に暮らして欲しいという五郎と、町で暮らしたいという純は意見が対立しているが、結と五郎は懇意であるという。(ラジオでの倉本氏の対談より)
  • その後、正吉と蛍、純と結は離婚。(2007年1月の朝日新聞日曜版、倉本氏インタビューより)
  • 純は同じく離婚している初恋の相手れいと再婚。快を主人公にして、ドラマを展開する構想。(ASAHI.com、倉本氏インタビューより)

主なキャラクターの劇中使用車変遷

スタウトは、丸形4灯ライトの外観から1963年式以降の車両と思われる。ジュニアは途中から代替しているが、何れも1960~70年代に生産されたピックアップトラックであり、現在では貴重な車両。
テラノは初期の2ドアモデルで、地元日産ディーラー社員の所有車。劇用ナンバーは「旭」一文字であるため(劇用なので美術スタッフが制作した可能性が高いがリアリティを求めた結果と考えると)61~62年式のR3Mと思われる。さらにダットサントラックはダブルキャブ仕様。(『2002遺言』のみ登場)
1999年11月以前のライトグリニッシュシルバーの外装色、グリル一体型のエンジンフード、 マルチリフレクターではない ヘッドライト、リアへッドレストのない5ドア車。ホイールカバー装備から平成10~11年式のコレットと思われる。(『2002遺言』のみ登場)
グレードは不明。
ランドクルーザーには、「中畑木材」の看板入り。また、テラノは純のクルマとは異なる4ドア。

参考資料

シナリオ本
  • 全作品のシナリオが理論社から刊行されている。倉本聰が執筆したベースのものであるため、実際の放送内容と異なる点もある。倉本は、連続ドラマの小説化を理論社から依頼されるが、これを断り、当時としては異例のシナリオ本として上下巻2巻で全話シナリオを収録、路傍の石文学賞小学館児童出版文化賞を受賞。発行部数40万部と成功し、本作のシナリオ本が契機となり、山田太一向田邦子ら脚本家のシナリオが書籍化される様になった。
  • 以後、本作のシナリオ本の刊行は慣例となり、小説誌「小説新潮」に『'83冬』のシナリオが掲載された事もある。1994年現在、SPドラマのシナリオ本と合計し90万部。
  • 1993年、中学二年生の国語教科書(光村図書)にシナリオが掲載された。
その他

脚注

  1. ^ もっとも、劇中で描かれる「北海道における生活」はカリカチュアライズされたものであり、この作品によって北海道のイメージが誤解されて広まった部分がある。
  2. ^ (2006年9月19日付朝日新聞 webページ版
  3. ^ 吉岡と内田は2005年に離婚
  4. ^ 大晦日の描写に紅白歌合戦を使うのが具体例
  5. ^ 倉本聰『冬眠の森 北の人名録PART2』新潮社
  6. ^ 2006年7月21日放送『ごきげんよう』より
  7. ^ 但し、ドラマ内で映像は確認出来ず、NHKから借りた素材であるかは未確認。権利問題等でフジテレビ内のアーカイブ素材を使用した可能性もある。

関連項目

外部リンク

フジテレビ系 金曜劇場(金曜22時台)
前番組 番組名 次番組
北の国から
(1981年10月~1982年3月)
');