Wikipedia:コメント依頼/Greenland4
利用者:Greenland4(会話 / 投稿記録 / 記録)さんが非専門家の著作や個人ブログを出典として使用して記事の編集を行い、またこれらの出典を使用可能だと議論で主張することについて、Wikipedia:検証可能性やWikipedia:信頼できる情報源など各種方針・ガイドラインに照らして適切なものか、ご意見いただければと思います。
経緯
[編集]Greenland4さんは歴史分野の記事などを中心に、多くの記事を編集されています。そして、例えば下記の通り、非専門家の著作や個人ブログを出典に使用して編集されています。
- 広南従四位白象 - 歴史小説(薄井ゆうじ『享保のロンリー・エレファント』)や『マンガ日本の歴史』、非専門家のジャーナリストの著作などをもとに立項
- 桂・ハリマン協定 - 倉山満(アカデミックな意味では憲政史家でもない)また黒岩比佐子(ノンフィクション作家)、渡部昇一の出典を多用して立項
- 竹島関係記事で個人サイト等、非専門家のサイトなどをたびたび出典として追加([1]、[2]、[3])(「利用者‐会話:Greenland4#個人ブログを出典とした加筆など」も参照)
こうしたGreenland4さんの編集については、以前より非専門家の著作等、信頼できる情報源に基づかない編集は避けるべきだと指摘されているところです([4]、[5]、[6]、[7])。特に「Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/桂・ハリマン協定 20200616」では、私を含め、4名の利用者が同様の指摘を行っています。
しかしながら、Greenland4さんは指摘に従って記事を修正されることもある([8])ものの、基本的には、信頼できる情報源以外からの加筆・編集も問題ない旨を各議論で主張し続けています。例えば、桂・ハリマン協定については、「歴史を「専門家」だけのものにするのは、それはそれで問題ありますよ。「通俗的だから」みたいな理由で排除した方がよいとは私は思わない]、「情報源として受け入れるかどうか」というのは、本来的には読者に委ねられるべきことなのであり、執筆者が先回りしてあれこれ考えるべきことではないと考えます。(中略)だから、黒岩外せという意見にしても、それなりに尊重することはよいとしても、全面的に受け入れる必要はないと考えます。(中略)GA選考での「反対」は、ケチつけやすいところでケチつけているところが多分にあるので、あまり神経質にならなくてもよいんじゃないでしょう」、「「出典の品質」よりも「記事の品質」の方を優先することをお約束します]、竹島関係の記事については「非専門家のものであれ、ないよりはあった方がマシだと考えます」、「それからまあ、「信頼できる情報源」というのは、人によって違ったりしませんか」と言った発言です。
関連議論
[編集]- Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/桂・ハリマン協定 20200616
- 利用者‐会話:Greenland4#信頼できる情報源に基づかない執筆について
- 利用者‐会話:Greenland4#個人ブログを出典とした加筆など
依頼者のコメント
[編集]このような個人サイトや非専門家の著作等を用いたGreenland4さん編集は、方針・ガイドラインに反していると考えます。Wikipedia#検証可能性#自主公表された情報源「自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、ほとんどの場合は適切な情報源としては認められません。」、Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源に「学術的な主題については、なるべくピアレビュー(査読)を経た情報源を用いるべきです」、「とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。」とあるとおりです(WP:RS#情報源の評価、WP:RS#歴史も参照)。同様の問題は「Wikipedia:コメント依頼/おいしい豚肉」や「ノート:明智光秀/過去ログ1#咲村庵『明智光秀の正体』ブイツーソリューション、2017年について。」で再三議論されているところで、方針・ガイドライン違反だという大勢となっています。
Greenland4さんの編集には良質なものも多数ありますが、しかしながら、このような低品質な出典に基づく編集は多くの記事の品質の低下を招く編集だと思いますし、同様の議論のたびに方針・ガイドラインに沿わない主張を繰り返されることもコミュニティを消耗させる行為ではないでしょうか。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2020年10月11日 (日) 02:20 (UTC)
- 細かい話ですが、追記します。Greenland4さんは、小村壽太郎を歴史記事ではなく人物記事だとおっしゃいますが、「Wikipedia:良質な記事/リスト」(ひいてはその分類基準である日本十進分類法)で、「伝記」が「歴史」の一部に区分されていること、歴史上の重要人物の記事であることを考えると、小村壽太郎が歴史記事ではないというのは無理がある見解だと思います(織田信長が歴史に関する記事ではないということになるのでしょうか?)。Uminokawausoさんは他の出典の案内など、コメント依頼の前に他にできることはあったはずとおっしゃいますが、すでにそうした案内は「Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/桂・ハリマン協定 20200616」で行われているところです。個別案件に出典があるかどうかと、Greenland4さんの編集・議論姿勢が妥当なものかどうかとは、論点の異なる話だと思っています。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2020年10月15日 (木) 15:42 (UTC)
- 信頼できる情報源の判断の指針を示してほしいという話が出ていたので(見落としていてすみません)、追加でコメントします。方針やガイドラインは具体例のすべてをカバーできないため、個々の事例について解釈・当てはめが必要なのは「WP:RS」に「常識的感覚と編集上の判断」が必要と書かれているとおりで、私も異論ありません。ただ、原則的な指針は「WP:V#何を信頼できる情報源とするか」、「WP:RS#情報源の評価」に書かれているため、個人個人で大きく異なるということはないと思います。前者において、「情報源」は、「創作物自体(文章・記事・論文・書籍など)、創作物の製作者(著者など)、創作物の出版機関(東京大学出版会など)の意味に解釈されます。この3つ全てが情報源の信頼性に関わってきます」と書かれているとおり、この三つの要素を考慮することが求められています。具体的な判断は後者(WP:RS#情報源の評価)などに従うことになると思います。たとえば、「WP:RS#情報源の評価」では『アメリカン・ヒストリカル・レビュー』の話や「あなたの情報源についてほかの人がどのように言っているか探し出してください」といったことが書かれています。日本の歴史関係の文献についていえば、権威ある学術雑誌の『史学雑誌』の「回顧と展望」に毎年まとめられていますので、ここで言及されている情報源は学術的な文脈で言及される価値のある文献だと言えるでしょう。この観点で言えば、「創作物の出版機関」に焦点を当てると、Greenland4さんが「マイナーな出版社」と仰った岩田書院は、その発行している歴史関係の文献の大半が『史学雑誌』の「回顧と展望」で言及されており([9])、学術的な(信頼できる)出版社と言えそうです。
- 個人サイトの使用が可能な場合については、「WP:V#自主公表された情報源」で書かれているとおり、著者がその分野の専門家である場合にはもちろん使用可能なこともありますが、それは例外的な場合であり、しかも「もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」という注意点もあります。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2020年10月17日 (土) 15:50 (UTC)
Greenland4さんのコメント
[編集]- 「利用者‐会話:Greenland4#個人ブログを出典とした加筆など」において私は、「『信頼できる情報源』というのは、人によって違っていたりしませんか」と申し上げました。たとえば、「Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/小村壽太郎 20200611」において、伊佐坂安物さんは「作家が歴史について書いたものは、事実にせよ意見にせよ、信頼できるものとみなすことができるのは例外的なケースになります」というふうにお書きになっています。つまり、この記事を「歴史記事」として読んでおられるということです。その見解が妥当であるかどうかは別として、「小村壽太郎」の記事を「人物記事」として読んだり、加筆したりする人もいるわけです。少なくとも、そういう人がいていけない理由はないでしょう。したがって、「信頼できる情報源」というのは、人によって違うし、読み手の読み方によっても随分違うものだということは確かに言えるのではないでしょうか。
- 「広南従四位白象」(Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/従四位広南白象 20200311)に関しては、残念ながら、まともな研究書というのが未だ出されていないのです。おもしろい題材だとは思っていて、ちょこまか資料を集めていて数年間「作業室」に放置していたものを、たまたま図書館で、《和田実『享保十四年、象、江戸へ行く』岩田書店、2015年2月。ISBN 978-4-87294-900-1》があるのを見つけて、これを元に立項したものです。ただ、この方の著作は古文献を渉猟なさっていて、大変な労作であることは間違いないのですが、検証の面でやや甘いところもあります。現状では精いっぱいのところです。記事中「28日の午前10時頃御所に入った象は、宮中において中御門天皇御覧の際に台盤所の前で前足を折って頭を下げる仕草をした。このようすは福岡藩お抱えの絵師尾形探香『象之絵巻物』にも描かれているが、後代の作である」という記述の出典は、確かに 《石ノ森章太郎「間章 吉宗の好奇心」『マンガ日本の歴史34 米将軍吉宗と江戸の町人』児玉幸多監修、高埜利彦原案執筆》、《『ビジュアルNIPPON 江戸時代』山本博文監修》なわけですが、出典が「マンガの脚注だから」「ビジュアルNIPPONは非専門家のライターが書いたものだから」という理由でそっくり削除してよいものなのでしょうか。私は、何も書かないことによって「象之絵巻物」が朝廷絵師などが実見して描いたかのように誤解される方が出てくる方がヨリ問題であって、致命的に「品質が低い」と考えます。何も書かないと、必ずそういう誤解や予断をもつ人が出てきますから。これは私の良心に反します。私は私なりに、伊佐坂さんとは全然別の意味で「出典主義」に徹しているつもりです。
- 自分が加筆する立場で考えると、無出典が一番困るのです。「トラウトマン和平工作」なんて記事は本当に困ります。全面改稿しなくてはいけませんからね。質はどうであれ、とりあえず出典さえ付いていてくれれば、それをより良いものにしていくことはそれほど難しいことではありませんし、見たついでに直すなんてことはしょっちゅうあることでしょう。「ないよりはあった方がずっとマシ」というのは偽らざる感想です。誰しもアクセスできる情報には限りがあるし、それをカバーしあえるところがウィキペディアのよいところなのではないでしょうか。
- 竹島関連(「石島 (韓国)」「観音島 (韓国)」に関しては、いささか事情が特殊です。《保阪正康『歴史でたどる領土問題の真実』朝日新聞出版〈朝日新書〉、2011年8月。ISBN 978-4-02-273409-9》によれば、竹島問題に関しては日韓双方とも領有権主張の議論と過度に結びつけられて、双方とも一方的見解の提示と相手に対する批判・非難に終始する、あるいは自国に不利な証拠については無視するという不毛な状態が長く続いたといいます。保阪が言うには、「池内敏の登場によってようやく学問的な話ができるようになった」ということなのですが、これを私は今年の9月に読みました(昨日図書館に返却したばかりですが)。2014年段階で私は、「本当のところどうなんだろう」と思っていろいろ調べましたけれども、そのときは池内敏の存在も知らず、しかし、保阪氏指摘の不毛な状態は感覚的によくわかる状態で、正直、Gerry Bevers氏の 「Dokdo-or-Takeshima?」とか茶阿弥氏の「日韓近代史資料集」だけが「学問的」と感じたのですね。Gerry Bevers氏などは韓国に住んでいて、ろくに学問の自由のない国では、政府が「石島=独島」と言ったら国民はそれを「信じる」しかないわけです。そこに疑問を感じてはいけない。それは、東北亜ネットなんか見てもハッキリしているわけでしょう。疑問を感じたら右翼だ何だと罵られる社会です。そこに疑問を感じて検証していこうというのですから、おのずと手法は学問的ですし、中立的であるところからスタートしています。「日本固有の領土だ」「いや韓国だ」みたいな話は別にどうでもよい、ただ真実が知りたいのだというふうに思う人がいてもよいのではないでしょうか。ウィキペディアが、それに応えるものであってはいけない、ということはないと思います。もとより一般論としては、個人ブログよりも専門家のブログ、それよりも専門家の論文、それよりも紙媒体の書籍みたいなことは承知していますが、竹島問題に関しては少し特殊事情があるように思います。--Greenland4(会話) 2020年10月11日 (日) 05:36 (UTC)
- Miraburu様、御教示ありがとうございました。「ばっさりカットする」という御提案には私も特に異論はなく、今日は「広南従四位白象」の薄井ゆうじ(小説家)出典部分と石坂昌三(ジャーナリスト)出典部分を削除いたしました。また、「竹島切手」に関しては「竹島切手騒動記」を出典とする箇所を削除しました。貴重な情報が失われた気もしますが、これがウィキペディアのルールであれば仕方ありません。前者については「石ノ森マンガの脚注」と「ビジュアルNIPPON江戸時代」は残しておきました。一応、日本語文献参照の際には逐文的に出典を付けるようにしていますので、これらの削除が必要だというコンセンサスがあるのなら、削除自体はいつでも可能であり、また、たいへん容易な作業です。懸念されるのは、本記事の主たる出典元である和田実氏が大学教授ではなく、東海地方のある市の某宿場資料館の主任学芸員という肩書であって、また、出版社も比較的マイナーであるところから、「信頼できる情報源ではない」ということを言い出す人が出て来はしないかということです。メジャー出版社から出された「高埜利彦原案執筆」「山本博文監修」の方を俺は信用する、そういう人がいてもおかしくありません。信頼できる情報源かどうかは、やはり人によって全然違いますので、そのあたりの指針をお示しくだされば、私としてはたいへんありがたいです。後者は、森井さんという切手収集を趣味とする個人の開いたサイトのなかの1ページなのですが、事の経緯がたいへん詳細に述べられており、情報としてはたいへん貴重なものです。個人サイトを出典にしてはいけないというのは、方針文書で確認しました。したがって、今後これを出典に加筆するということはいたしませんが、外部リンクとして貼ることはできないものかと思います。ページの説明によれば、「たんぷるぽすと10月号」に掲載されたものを執筆者の了解を得て転載したというものであり、内容としては「信頼できる」と判断できるのではないかと思います。しかし、「たんぷるぽすと」という雑誌は定期購読誌のようで、検証可能性ということでいえば難があります。趣味の世界ではよく知られた事実であっても一般社会ではあまり知られていないということはあるようで、自分としては、「外部リンク」節に「個人サイト」であることを断ったうえで、このページを貼り、コメントアウトで「これをもとに加筆してはいけない」というような注意書きを添えたらどうかと思うのですが、何か問題はあるでしょうか。この件について、皆様の御意見をお伺いしたいです。--Greenland4(会話) 2020年10月12日 (月) 20:57 (UTC)
- Henares様。まずは、Henares様をたいへん傷つけてしまったことについては、心よりおわびいたします。イヤな思いをさせてしまいました。本当にすみませんでした。これは、「竹島」とは別に「独島」という単独記事があるのを統合するかどうかという議論での話でした。私としては、どちらでもよいから早く決めてほしいという気持ちがたいへん強うございました。正直、議論に加わるつもりもあまりありませんでした。今夏、竹島関連についてはあらためて不勉強を反省し、図書館から本をまとめて借りてだいぶ勉強しなおしました。その結果、いろんなことがわかったので記事に反映させたいというふうには考えておりました。図書館には返却期限がありますから、なるべく早くしていただきたい、そのように考えておりました。これについては、あの場でも申し上げましたが、本来的には「ノート:独島」のなかでおこなうべき話であり、正式に統合提案が示されたならば、みなさんで意見を出し合って、1週間か2週間で決着のつく話だと思っていました。自分としては、議論のための議論は好まず、Henaresさんがまとめてくださるのなら、それでよいと思って議論からは撤退いたしましたが、Henaresさんがまとめる気がないのならば本当に困ってしまいます。私のことを心配してくださるのは大変ありがたいことで、心より感謝申し上げますが、それとは別に、統合の件を一歩でも進めていただきたいなとは思います。よろしくお願いいたします。
- 「自説を書き込むことを目的とした目的外利用」という御指摘については滅相もない話で、今まで竹島関連で私が書き込んできたことは、すべて学者なりジャーナリストなり(過去にはブロガーも)が書いていることを、そのまま出典付きで示したにすぎないのであり、決して「独自研究」ではありません。韓国の学者の見解もちゃんと併記しています。ページを付けろというHenaresさんの御注文にも、その都度応じてまいったつもりです。演説は確かによろしくありません。今後はしないようにします。「竹島問題」と一口に言っても実は多岐にわたっていて、「竹島外一島」に関しては、韓国の学者の言い分の方が筋が通っているとは思います。そのへんは私のなかで是々非々なところです。ちなみに、「石島 (韓国)」に関しては、記事では「石島=独島」説と「石島=観音島」説しか紹介されていませんが、実はこれ以外に「石島=竹嶼」説と「石島=古地図で鬱陵島南方に描かれてきた未確認の5島」説があります。個人サイト出典なので今は紹介できませんが、そのうち、紹介できる日がくるのではないかと思います。いずれにせよ、しばらくの間、竹島関連の加筆は見合わせたいと思います。本当に、申し訳ありませんでした。--Greenland4(会話) 2020年10月15日 (木) 02:41 (UTC)
- totti様。御意見ありがとうございました。tottiさんの御指摘、御見解は至極納得いくものでさっそく実行に移したいと思います。皆様御指摘のように、出典に関して私は非常に甘い考えを持っていたようです。方針熟読が必要だと思います。今後3~4か月程度、自主的に活動を自粛して方針熟読の期間を設けたいと思います。ただ、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/糸魚川のヒスイ 20200810のなかで、私は「日本のヒスイ文化」の記事を立てると言ってしまったので、「作業室」だけは使わせていただくと、ありがたいです。それから、Henaresさん御指摘の「未対応」への対応についても、この期間を利用して対応していきたいと考えます。--Greenland4(会話) 2020年10月15日 (木) 13:37 (UTC)
- Uminokawauso様。御親切にありがとうございます。「広南従四位白象」について、GA選考では、伊佐坂安物様はやはり「小村壽太郎」同様「歴史記事」というとらえ方をなさっていますが、むしろ「人物記事」に準ずるものという考え方をしてくださると、私としてもおおいに助かります。「人物記事」であるならば、歴史学者だけではなく、伝記作家やジャーナリスト、ノンフィクション作家の力も借りなければ良い記事にはならないように思います。「汪兆銘」などは上坂冬子の出典を抜いてしまうと、そもそも記事が崩壊してしまいます。「白象」に関しても、薄井ゆうじは別として、石坂昌三くらいはお認めいただくと嬉しいです。Uminokawausoさんの御紹介くださった資料は素晴らしく、感謝に堪えません。ありがとうございました。--Greenland4(会話) 2020年10月15日 (木) 15:21 (UTC)
- ペン打ゴン様。ありがとうございます。2014年段階ならばいざ知らず、今になって「竹島切手」や「李宇衍」で個人サイトを出典としてしまったことは、言い訳のできない失態であり、Heneresさんのお怒りもごもっともと思います。これについては、やはり深い反省が必要で、方針を再度熟読せねばならないと考えております。 Henaresさん御指摘の「出典に書かれていないことが書いてある」という、「下関条約」の『蹇蹇録』の件ですが、同じような御指摘が、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/セルゲイ・ウィッテ 20200805でもございました。ウィッテに関しては、選考のなかで私が説明している通りですが、下関条約に関しては、簡単に申せば、ある出典の「蹇蹇録によれば」以下の長文記述を記事に反映させようとしたものの、うまくいかなったということです。「低質」の誹りは免れませんが、決して悪意から発したことではないことを御理解いただければ幸いです。--Greenland4(会話) 2020年10月16日 (金) 21:18 (UTC)
- Henares様。Henaresさんの 2020年10月17日 (土) 01:06 (UTC)の投稿ですが、それについては、「未対応」「言われないと対応しない」というふうにHenaresさんがおっしゃったので、対応したのですが何かまずかったのでしょうか。自分の投稿記録を調べ、指摘されていないところにも回って修正すべきところを修正いたしました。対応したらしたでそれにクレームをつけるというのは、少し筋が通らないような気がいたしますけれども。--Greenland4(会話) 2020年10月17日 (土) 04:05 (UTC)
- 伊佐坂安物様。ありがとうございました。和田実さんの文献が使えることにホッとしています。また、信頼できる出版社かどうかの調べ方はたいへん参考になりました。今後、活用させていただきます。ただ、人物記事に関しては、私はやはり、歴史記事とは、ある程度独立した別の基準を設けるべきではないかと思っています。伊佐坂様は日本十進分類法を根拠に、「伝記」は「歴史」に含まれるとおっしゃいましたが、その論でいくと、「地理、地誌、紀行」も「歴史」に含まれてしまいます。地理は地理学者に任せるべきだと私は思いますし、伝記は本来、伝記作家の主領域ではないかと思います。たとえば、大正・昭和期の「林きむ子」や「朝吹磯子」のような綺麗な女性も、なかなか現代の歴史学者が取り上げないところで、やはり、森まゆみや石村博子といったノンフィクション作家、ジャーナリストといった人びとの力を借りないと記事そのものが成り立たないと私は思います。「小村寿太郎」に関しては、小村自身が自伝どころか日記すら残さなかった人で、手紙すら私信と呼べるものはほとんど残っていないといいます。小村に対する伝記的研究はひじょうに遅れていて、中公新書の片山慶隆による『小村寿太郎』(2011年)が歴史学者による初めての本格的評伝だといいます。ノンフィクション作家やジャーナリストがまずいという理屈はわかりますが、2011年以前にこの記事を書くとすれば、やはりそのような出典に依拠せざるを得なかったのではないかと思います。片山著作が出版された今となっては、同著にすべて依拠することはもちろん可能です。しかし、それをやりすぎてしまうと今度は別の問題が生じてしまうように思いますので、GA選考で御指摘を受けた件は今後外務省の小村外交史などで置き換えていきたいと思います。
- 「汪兆銘」に関しては、専門家のものとしては柴田哲雄「汪兆銘伝のための覚書き」『愛知学院大学教養部紀要』 66巻 2.3合併号(2019年) があります。しかし、タイトルからわかりますように評伝としては「覚書き」段階で、ノンフィクション作家による評伝が先行している状態です。現状がそうである以上、私はノンフィクション作家だからという理由で出典からそれを排除するのはよくないと考えます。「従四位広南白象」については、Uminokawauso様の紹介してくださったファン・ハイ・リン先生の論文(2018年)には、参考文献として石坂昌三『象の旅 長崎から江戸へ』(1992年)を掲げられています(なぜか和田実さんの著作(2015年)はありません)。専門家が参考文献に掲げているものを、一介のボランティアにすぎない我々が外さなくてはならない理由はあまりないのではないかと思います。また、リン先生の関心は象を通じた日越交流に集中しており、この論文によって記事の全出典を置き換えることは不可能です。ざっとみて、日本に来るまでがリン先生、長崎から江戸までの道中が和田実さん、江戸に着いてからは石坂昌三氏を元に書くのが一番よいような感触を得ました。Uminokawausoさんには、あらためて感謝申し上げます。この記事の難しさは、実は、林復斎のもの、近藤重蔵のもの、同時代に書かれたもの、それぞれ江戸時代における史料の段階ですでに全然統一がないことに由来することに、ようやく気付きました(この不統一さは、象の大きさや称号、天皇の歌まで、かなり根本的なところまで及んでいます)。その意味で「検証の甘さ」云々という上の私のコメントは筋違いでした。すみませんでした。本来的には、それぞれの原典に直接あたってウラをとらない限り、この記事は決して良記事にはなりえないものと思います。これも、時間があるときに取り組みたいと思います。
- 歴史的な事件や事実、現象、概念については、方針文書の通り、また、伊佐坂安物様はじめ皆様の御教示の通り、今後は専門家による出典を第一に考えます。しかし、人物に関しては、完全に歴史上の人物になった人ばかりでなく、今ようやくなった人、なりつつある人、まだなっていない人、いま生きている人、忘れられていたけれど発掘された人(動物)…など、歴史とのかかわりにおいて決して一様ではないので、一律に考えるべきではないように思います。それ以外は、伊佐坂安物様が教えてくださったことを守っていきたいと思います。--Greenland4(会話) 2020年10月18日 (日) 04:21 (UTC)
- TEN様。さすがTENさんです。丁寧に読んでくださいまして、ありがとうございました。すべてTENさんの御指摘の通りであり、弁解の余地はありません。独語・仏語については削除依頼をしました。ありがとうございました。--Greenland4(会話) 2020年10月20日 (火) 11:58 (UTC)
- Henares様。[10] この編集が個人サイトを出典としたものであるから対応が必要との仰せでしたので、それを外しました。何か問題あったでしょうか。まあ、それだけだと網羅性に乏しくなるので[11]というふうに書籍で補強いたしました。それのどこが問題ですか。「Wikipedia:存命人物の伝記」を読みましたが、特に「悪意のある記述」ではないと思いましたし、むしろ、好意的な書き方をしたつもりです。具体的に、どこが「存命人物伝の否定的記述」なのでしょうか。
- ペン打ゴン様。御紹介ありがとうございました。私は「歴史的人物」といっても一義的には「人物」だと思うので、ライター出典を認めてよいのではないかと思います。相談された方の会話ページも読みましたが、少なくとも「歴史群像シリーズ」よりはマシだと思います。あの手のものは、地元の人だと絶対に間違わないようなところを平気で間違っていたりしますし、おそらくはライターさんの書いたものをいくつか集成して作っていると思いますから。ただ、ライターさんだけだと確かに信頼性に乏しいので、都道府県史、市町村史、あるいはそのネタになっている「〇〇町史編纂資料 第〇集」のような刊行物を渉猟すれば、求める情報は必ず得られると思います。ライターだから排除みたいなことをやっていると、削除マニアみたいな人が喜ぶだけですし、意欲のある方の芽をつぶすことになりかねません。ここでの議論を活かすならば、ノートを活用すべきということになるのではないでしょうか。杉原千畝や白洲次郎のような人物だって、最初から歴史家が評伝を編んだわけではないと思います。自身のルーツへの関心、地域社会への関心、その人物の生き方・考え方に対する関心、外国人の評判…など、人物への関心は歴史への関心と常に一致するわけではありません。いずれにせよ、「伝記は歴史に含まれる」という見解には反対ですし、「歴史上の人物ないし過去の人物のすべてが歴史学者による検証・考証を受けている」ということもありませんので、それを前提にした物言いは、しないに越したことはないと考えます。また、ペン打ゴンさんがおっしゃるように無出典の記述へ出典を付けることが問題視されるのは本末転倒ではないかと思います。--Greenland4(会話) 2020年10月21日 (水) 17:16 (UTC)
- もう一度、読み返しましたがライターの氏素性はともかく、「新紀元社」はやはりいただけないですね。一応、「ノート:相合元綱」には市町村史と編纂資料、それから文部科学省の指導で各都道府県教育委員会が調査してきた城館調査報告書を参考にするようお伝えしてきました。--Greenland4(会話) 2020年10月23日 (金) 13:01 (UTC)
- 153.133.213.150様。返す言葉がないです。約束を破ってきたのは事実ですね。--Greenland4(会話) 2020年10月23日 (金) 13:01 (UTC)
- Compha30様。お手を煩わせて申し訳ありませんでした。--Greenland4(会話) 2020年10月23日 (金) 13:01 (UTC)
- 皆様。このたび、私はウィキペディアでの活動を停止することにしました。今までお世話になりました。ありがとうございました。--Greenland4(会話) 2020年10月23日 (金) 13:01 (UTC)
ブロック復帰以来、私は、「執筆中心に活動する」「逐文的に出典をつける」「初心者には優しく」ということを心がけてやってきたつもりです。しかし、復帰の際にコミュニティとのあいだにかわした「意見を求められた時以外は議論に参加しない」「投票行為には、新着記事・強化記事ふくめ一切かかわらない」という約束については破ってしまいました。このことは、まごうかたなき事実であり、非は全面的に私にあります。したがって、今後はかつての約束を再度確認のうえ、
- 意見を求められた時以外は議論に参加しない
- 投票行為には、新着記事・教科記事ふくめ一切かかわらない
ことをお約束いたします。また、
- 専門研究者以外の個人ブログを典拠として使用しない
- Wikipedia:礼儀を忘れない
という、Takabegさんの御忠告を胸に刻み、今後は、仮に意見を求められて議論に参加せざるを得ないときでも、礼儀を忘れないよう心がけます。 さしあたって、いま、「日本のヒスイ文化」の原稿を書いています。「石島 (韓国)」をより中立的な記述に改め、「日本のヒスイ文化」を投稿したら、しばらくウィキペディアから離れようと思っています。したがって、上の約束は「復帰する(できる)としたら」の話です。いったん活動停止を心に決めた以上は、撤退も追放も大きな違いはないと考えています。コミュニティの皆様方におかれましては、いままでの御厚情まことにありがとうございました。皆様の御多幸をお祈り申し上げます。--Greenland4(会話) 2020年10月26日 (月) 09:20 (UTC)
- Henares様。「自分の尻ぬぐいを他人にさせるつもりはない」と申し上げたのは本心からであり、別にこの件への対応を放棄していたつもりはありませんでした。ですから、コミュニティの皆様の手を煩わせる必要はないものと存じます。「日本のヒスイ」に関しては、それに先立って公言したことであり、図書館の本には貸出期限というものがございますから、そちらを優先させていただいておりました。御指摘のとおり、自分が過去に編集した記事について、参加当時にさかのぼって個人ページやリンク切れページを除去する作業を始めております。はじめてみると思いのほか楽しい作業であり、たいへん勉強になります。今しばらくお待ちください。--Greenland4(会話) 2020年10月29日 (木) 11:35 (UTC)
- TEN様御指摘の件。いつも拙文を丁寧にお読みくださり、ありがたく思っております。再度自分なりにもう一度考えてなおしてみましたが、この件は(政治的にはともかく)純学問的には、ほぼ決着のついてしまった問題ではないかという気がしてなりません。つまりは、1906年7月13日付「皇城新聞」"鬱陵島の配置顛末" という決定的なものが出てしまった以上、「中立的」にすることは大変難しいのではないかと思います。これをいくらかでも中立的に戻す手法としては、3つほど、やり方が考えられると思います。1つ目は、決定的なことを言わないでボカすやり方。2つ目は、単純な両論併記に構成を変えて、逃げを打つやり方。3つ目は、TENさん御指摘の最後の矢印にさらに矢印を加重して「プチ・どんでん返し」をつくるやり方です。ほぼ決着の着いた論争を内包している記事の書き方は難しく、論争が継続していて未だ解決していない問題よりもむしろ難しいと感じます。私は、この3つしか思いつきませんでしたが、ほかによい方法があるのか、また、個人的には3つ目のやり方で修正を加えたいと思うのですが、それについてはどう思われるか。御教示いただければ幸いです。--Greenland4(会話) 2020年10月30日 (金) 17:06 (UTC)
- 私について、「いつまでも納得しない」という御批判がありましたが、決してそのようなことはなく、個人サイトを除去する件については十分に納得し、コミュニティに約束もし、いま、その作業をおこなっている途中です。「評伝が歴史に含まれる」という伊佐坂安物様の御見解については、確かに納得できず、たとえば「困ります、ファインマンさん」という個人伝記の日本十進分類法による分類も、200番台(NDC=289.3)です。これも「歴史」に含めるべきでしょうか。物理学者リチャード・P・ファインマンの評伝記事の出典が、「専門の歴史学者」だけに限定されなくてはならないのは著しく不便であり、不都合が多いと感じます。そもそも、「困ります、ファインマンさん」という自伝も使えない話になって矛盾します。このような私の個人的な意見の表明を、「いつまでも納得しない」議論態度の事例とみなされるのは、いささか困ります。決して屁理屈ではないはずです。単純に「意見が異なる」だけの話ではないでしょうか。この件についての、伊佐坂安物様の御見解をうかがいたいです。
- それはさておき、個人サイト除去作業の過程で、ちょっと判断に迷うところがあったので、皆様の御教示をいただきたいです。それは、「歴史映画」という記事のなかの「映画で楽しむ世界史」というページと「映画で世界史を勉強しよう!」というページです。前者は、確かに個人ブログなのではありますが、氏名を公表しており、なおかつ『映画で楽しむ世界史』(近代文芸社)というブログと同名の本を出版されています。後者は、岐阜県教育委員会の教育委員会Webサイトなので大丈夫だろうと思うのですが、念のため御意見をうかがいたく存じます。よろしくお願いいたします。--Greenland4(会話) 2020年10月30日 (金) 23:59 (UTC)
第三者のコメント
[編集]- 「質はどうあれ、とりあえず出典さえ付いていてくれれば…」とは仰いますが、記事の品質の管理の上では一時的であろうと質の怪しいソースを貼り付けるのは、閲覧者さんにとっても信頼の低下を招く行為です。「自分が加筆する立場で考えると、無出典が一番困るのです」との事ですがそれはあくまで一エディターさんであるGreenland4さんの目線でのお話であって、他のエディターさんも同様のお考えとは限らない以上、やはりそこはWikipediaのルールであるWP:RS等に配慮して頂かなければいけないかと思います。
- 「『信頼できる情報源』というのは、人によって違ったりしませんか」というのも本来は確かに仰る通りで、その辺りは基本的にはユーザーさん同士の話し合いで閾値を決めて頂くしかないのですが、ただGreenland4さんお一人のその閾値があまりにも他大勢のユーザーさんと乖離し過ぎているといった場合、一つ一つの個別の案件ごとに毎回話し合うというのはコストに見合わない、コミュニティ全体の消耗が大きすぎると見なされてしまうかもしれません。
- もしこうした論争を呼ぶような内容の出典以外見当たらないという事であれば、ノートで提供を呼び掛けるか下書き等として他の出典が見つかるまで保存しておくか、それも手間でしたらその内容を残す事は断念してばっさりカットする事を検討してください。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2020年10月11日 (日) 15:47 (UTC)
- コメント 私自身の率直な印象としてGreenland4さんの記事は題材、内容ともとても面白いと思っています。広南従四位白象の例のように恐らく論文や専門書だけでなく、漫画や一般書など(前者と比較し)ややエンターテインメントに寄った分野も参考にされており、それが面白さに繋がっているのではないかと思います。しかしそれらをWikipediaの出典として使えるかどうかはまた別の話で、伊佐坂安物さんやこれまでのご指摘のとおり、コミュニティの定める基準に従うべきかと思います。また専門家の個人サイト、ブログについても場合によっては個々に検討すべきではあるものの、真に記述すべき重要な「特筆性のある」情報であれば、個人サイト以外にもより適切な媒体で触れられているはず、というのがWikipediaの考え方です。歴史分野に明るいGreenland4さんが探されて、それでも個人サイトでの言及しかないような情報であれば、残念ながらそれは(まだ)Wikipediaに記載できる「特筆すべき」情報ではないのです。
「>趣味の世界ではよく知られた事実であっても一般社会ではあまり知られていないということはあるようで、自分としては、「外部リンク」節に「個人サイト」であることを断ったうえで、このページを貼り、コメントアウトで「これをもとに加筆してはいけない」というような注意書きを添えたらどうかと思うのですが、何か問題はあるでしょうか。」
とのご質問についてですが、出典として不適であることを付記するくらいなら、外部リンクでなくノートに記載すべきかと思います。その際に「このサイトの○○という内容は記事にとって有用だが、加筆する上では適切な出典が見つかっていない」という旨を補記されれば、他のユーザーの助けにもなるのではないでしょうか。--totti(会話) 2020年10月13日 (火) 08:12 (UTC)
- 竹島関係についてのGreenland4さんの活動については、これまで全く無関係な議論で「竹島がどこの領土なのか」についての政治演説を二度行っています[12][13]。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんを何度もご案内差し上げたのですが石島云々などという無関係な演説行為を頻繁に議論に混ぜ込む上に、感情的になっていると思われてもやむを得ない面も何度も見受けられます。もうずいぶん前からノート:竹島でGreenland4さんのお相手をしていますが、出典の不備を指摘すると返ってくるのは「何だか面倒くさくなってきた」「子供にも論理的に導き出せる帰結なので出典を出す必要はない」という出典を示さないための口実が返ってきます。利用者‐会話:Greenland4#en:Seokdo_dokdo-or-takeshima.blogspot.com_-_Global_Fighterのような指摘もあります。もはや竹島関係のページ(記事本文かノートページかを問わず)において論拠がない(または信頼できない論拠しかない)自説を書き込むことを目的とした目的外利用を疑われてもやむを得ない状況だと思います。領土問題に関連した作業には関わっていただきたくありません。
- 「個人サイトを出典にしてはいけないというのは、方針文書で確認しました。」などと今ごろになっておっしゃっているところがGreenland4さんの問題を如実に表しているように思います。6月の時点ですでにWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/桂・ハリマン協定 20200616において伊佐坂安物さんからWikipedia:信頼できる情報源のご案内があったにもかかわらず、なぜ今ごろそんな基本中の基本を確認しているのでしょうか。こんな基本中の基本すら確認しないまま会話ページでこれほどいつまでも納得せずに個人サイトが信頼できるなどと主張し続けたのでしょうか。初心者ではあるまいしGreenland4さんほど経験豊富な利用者であればこのような基本は前記6月の良質な記事の選考など始まる前からとっくに確認済みであって当然ですし、最悪この6月時点まで未確認であったとしても伊佐坂安物さんからご案内があったのならばその時にお読みいただかなければなりません。なぜこれまでずっと確認しなかったのでしょうか。「記事に付随するノートページは利用者が個人的な見解を開陳する演壇として用いられるべきではありません。」と導入部に太字で書いてあるWikipedia:ノートページのガイドラインをご案内差し上げた[14]後も出典のない自説を長々とくりかえしていますが[15]、他者に案内された文書を読みもせず(または読んだふりをして)に個人的価値観のみを理由に方針に反した行動繰り返すということが常態化してしまっているように思います。これでは方針無理解の状態がいつまで経っても改められないのは当然ではないでしょうか。ノート:竹島#「独島」記事についてでは「ノートに意見するならば出典が必要ですよ」という基本中の基本をご理解いただくのにこれほど長大な議論を要しましたが、Greenland4さんが基本的なことを確認しようとしないがためになぜ他の利用者はこれほどの苦労を強いられるのでしょうか。方針やガイドラインは何か活動をする前に自主的にご確認いただきたいですが、これほど出典の不確かな行動を次から次へと繰り返されると正直三大方針すらも今まで全く確認したことがないのではないかと疑わざるを得ないです。こういったコメント依頼をいちいち提起されなければこんな基本的なことも自主的に確認できないのならば、Wikipediaへの参加は今すぐ自主的におやめいただきたいです。
- 伊佐坂安物さんが指摘するノンフィクション作家による著書を出典とする執筆についても(例:[16])、「個人運営」だと言っているこちらのサイトを出典と執筆についても(例:[17])、今なお未対応のままです。まさか、指摘されているものだけ対応して指摘を受けていないものは黙っておこう、としているとは思いたくはないですが。これまでの長きにわたるGreenland4さんの活動では当たり前のようにこういうことがなされてきたのであろうとしか思えないのです。出典に書かれていないことが記事本文に多く書かれている旨の指摘[18]も確認しています。会話ページでページ数を問い合わせたのは本当に出典にそんなことが書かれているのか不安に思ったからです。明記している出典に書かれていないことを意図して記事に書いているのならば、出典がないのにもかかわらず「出典がある」という嘘をついているだけのことであり極めて悪質性が高いと思うのですが、まさかそんなことまで常態化しているとは思いたくはないですが、これほど徹底的にいつまでも納得せずに基礎的な方針を無視するための口実を延々と語られてしまうと、そういったことも私は信用できなくなってしまっています。記事の執筆についても議論についても活動量が多いだけで、さすがにやっていることが低質すぎます。--Henares(会話) 2020年10月13日 (火) 14:05 (UTC)
- 専修大学古代東ユーラシア研究センター年報 第4号[19]にファン・ハイ・リン氏の『前近代ベトナムにおける象の国家的管理と象貿易』[20]が載っています。検索すれば、容易に出てきます。「利用者の行為についてのコメント依頼」の前に、出典になりそうなものをGreenland4さんに紹介するなどできることは色々あったのではと思います。Greenland4さんも、今後は、紀要にあたるなどされるとよろしいかと存じます--Uminokawauso(会話) 2020年10月15日 (木) 13:26 (UTC)
提案 被依頼者は何やら自主ブレイクがどうとか人物記事が何とかゴチャゴチャ言ってますけど、もうすぐコメ依頼から一週間たつし、次の段階に進んで良いんじゃないですかね?--210.232.14.176 2020年10月15日 (木) 23:46 (UT荒らしとしてブロック済- (コメント)あくまで個人的な意見ですが、「信頼できる情報源」の解釈が人によって違うのはその通りと思いますし、無出典の記述へ出典を付けることに異論はないです。個人サイトについては記事の主題にかかわる自費出版ではない書籍を出したうえで、著者がその補足をサイトでおこなっている場合はありだと思います。--ペン打ゴン(会話) 2020年10月16日 (金) 03:07 (UTC)
- 10月11日のこのコメント依頼提起後の10月16日に崔碩栄という人の著書を出典として加える編集が行われています[21]。私には今このコメント依頼で問題視されている活動そのものであるようにしか思えません。この投稿と個人ブログの件は偶然私が見つけましたが、Greenland4さんほど活動ペースが速いとなると、少なくとも私一人ではこうした編集をすべて確認するだけの作業も到底追いつかないでしょう。Greenland4さんは「議論については、意見を求められた時以外は参加せず、以前の自分以上に、執筆中心で活動することを誓います。」というコミュニティとの約束を半年後に破ったということがありました[22]。コメント依頼終了後の行動についてもコメント依頼に寄せられたご意見が活動に反映されているのかコミュニティ全体から監視していただきたいと思います。--Henares(会話) 2020年10月17日 (土) 01:06 (UTC)
- コメント 依頼文で言及されている編集のうち、従四位広南白象、桂・ハリマン協定については良質な記事の選考で言及された内容でコメント依頼に対する内容としては十分だと思うので、竹島関係および石島 (韓国)についてだけコメントします。率直に申し上げて、竹島関連については「自説を書き込むことを目的とした目的外利用」という指摘は残念ながら現状の記事の内容からして正鵠を射ていると思います。現在の石島の記事は韓国の主張に対する反論を宣伝するための文書としか表現できないものになっており、少なくとも中立性に大きな問題がある状態になっています。Greenland4さんの編集後の記事の構成は「大韓帝国の勅令の提示」⇒「石島=独島説の説明」⇒「疑問点列挙」⇒「石島=観音島説の説明」⇒「韓国の学者の猛烈な反駁」⇒「島根県竹島研究所の結論」という筋立てで出来上がっており、「韓国の学者の見解もちゃんと併記しています。」とはあるものの、記事を読む限りこれは反論するために併記されていることに疑問の余地がないです。
- Greenland4さんが出典を付けて石島の記事に加筆した「すべて学者なりジャーナリストなり(過去にはブロガーも)が書いていること」は、Greenland4さんの独自研究ではなくとも、Greenland4さん自身が賛同する見解を紹介したもの以外の何かであるとは受け取り難いです。本質的に問題なのは記事を書く際に選択している出典が個人サイトであるか否か、という話では無く、記述にあたってGreenland4さんの意見が前面に出てしまっていることであるように思えます。重要なのは石島が竹島を指すという説が実際におかしいかどうかではなく、領土問題に関連する主題の記事における構成の仕方と出典の選び方にあります。。
- 例えていえば、アルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ領有権を巡るいずれか一方の「歴史学説A」について矛盾点を抽出して、疑問点1・疑問点2...と並べ(この部分の大本自体はGreenland4さんの編集ではないですが)、アルメニア/アゼルバイジャンにおいては学説Aは立証されているとは言えない、Bであったという意見がある(出典の大部分はそれぞれの国の公的機関・ブロガー・領土問題の検証と反論を取り扱っている学者)。という記事があったとしたならそれは問題のない記事とは到底言えません(大体にして「固有の領土」議論は竹島に限らず世界中どこにいっても歴史学的には穴だらけなのが普通で、大抵は反論も豊富なので、いくらでも疑問点の指摘を出典付きで並べられることでしょう)。
- そして、コメント依頼では言及されていませんが、重要なこととして、Greenland4さんの会話ページで指摘されている外国語版への投稿についてはきちんとした対応が必要なものと思います。Greenland4さんが投稿されたドイツ語版Wikipediaのde:Seokdoを確認しましたが、英語版Wikipediaの記事をGoogle翻訳にかけてドイツ語訳したものとほぼ完全に文章が一致し、機械翻訳による投稿であるという会話ページの指摘はまず正しいものと考えます。日本語版の出典の調整以上に、機械翻訳による投稿については各言語版の手続きに沿って修正なり削除なりが必要なものと思います。--TEN(会話) 2020年10月20日 (火) 01:25 (UTC)
- (コメント)記事の出典に使う書籍に関してはWikipedia:井戸端/subj/歴史に関する記事の出典に一般向けの出版物を使うことの是非も参考になると思います。--ペン打ゴン(会話) 2020年10月21日 (水) 01:51 (UTC)
- (コメント)Greenland4氏が無期限ブロックを受けた時に利用者‐会話:Chokorin/Log4に「道義的に許されざる信用失墜行為、不正行為を犯してしまいました。この不正は、弁護の余地のないもの(原文ママ)」と自らわざわざ言われて、2007年に不正をされたとご発言でした。「深く悔恨、そして反省(ママ)」されていましたし、「投票行為には、新着記事・強化記事ふくめ一切かかわらないことをお約束します。議論については、意見を求められた時以外は参加せず(ママ)」と誓っておられました。しかし、それもいつの間にか反故にされたらしく、自ら積極的に議論参加や良質な記事選考で投票参加されています。方針や約束を守らず、自分の主張を記事に反映するためにコミュニティを利用する姿勢は橘光満・Cotton5・YourNext・SanWilliam・Symplux・Chokorinのアカウントをご使用の頃から変わってないと感じましたし、今後も約束は破られるのでしょう。コミュニティが長年を費やしても変化が期待できなかったのだと認識しています。--153.133.213.150 2020年10月22日 (木) 03:13 (UTC)
- コメント 無出展で編集している利用者が多い中で、Greenland4さんは、きちんと典拠を示している利用者の一人であると認識しています。きちんと典拠が示されていると、仮に「虚偽出展」であった場合も含め、検証する際に非常に助かります。Greenland4さんの場合、歴史ものの執筆が多いようで、本依頼においては、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史における「閾値」が中心的な議題なのだろうと理解しています。この文言は「アドバイス」となっていて、強制力のあるルールとまでは言えない状態であると理解しています。Wikipedia:良質な記事への選出を目指したり、議論が起きたりしなければ、スルーされてしまっているケースが多いのが実情だと思います。もちろん、より優れた記事にするためには信頼性の低い出展を「排除」してゆくのがよいと思います。個人ブログなどは即除去でいいでしょうが、微妙なケースも少なくないので、それらは記事のノートでやっていくのがよいと思います。
- Henaresさんが指摘された李宇衍の記事における崔碩栄の著作の使用については、韓国における事情を紹介していて歴史的事実を記述しているわけではないので、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史に当たらず、崔碩栄が評論家であるという点から、属人化して使用する分には問題ないと考えます。
- 伊佐坂安物さんが列挙されている例に関しては、まず、竹島関連記事での個人ブログはアウトです。広南従四位白象:『マンガ日本の歴史』に関しては、「大人向け」の作品であり高埜利彦原案執筆ということなので、使用不可とまでは言えないかと思います。ただ、単独出展では弱い印象を受けますので、更なる専門書・論文が見つかれば出展追加するのがよいと思います。『享保のロンリー・エレファント』は時代小説なので、「影響」などの節で紹介するのはよいとしても、「主文」 (項目のメインストリームに相当するもの) に使用するのは不味いでしょう。桂・ハリマン協定に関して言えば、Greenland4さんが倉山満、渡部昇一の作品を使用したのは、主として「ハリマン伝説」という「主文」とは違った箇所であり、多用しているとまでは言い難いです。黒岩比佐子『日露戦争 勝利のあとの誤算』については、確かに多用していましたが、黒岩は、サントリー学芸賞や角川財団学芸賞などを受賞しており、当該作品『日露戦争 勝利のあとの誤算』については、ざっと調べただけですが、以下の「学術論文」においても引用されています。
- 鈴木雄雅「神戸英字紙界と日露戦争」『コミュニケーション研究』第36号
- 川井裕「外国軍艦の日本訪問に関する一考察-1908(明治41)年の米国大西洋艦隊を対象として-」『防衛研究所戦史研究年報』第14号
- マイク・ヘンドリク・シュプロッテ/ 平松英人訳「国家に主導された市民社会?1945年以前の日本にその手がかりを求めて」European Studies Vol.14 (2014)
- 桜井良治「日露戦争財源としての相続税導入時の国会審議過程」『静岡大学経済研究』第21巻第3号
- 丸山隆司「海行かば 万葉の〈近代〉IV」『藤女子大学国文学雑誌』第84号
- 他の研究書や研究論文を使用すれば事足りる内容を黒岩の作品だけで書いてしまうのはいかがかと思いますが、「非研究者」であることだけを理由に「使用不可」としてしまうのは行き過ぎていると考えます。個人的には「閾値」に関しては、「緩め」の考え方です。最近、ポリコレ厨的な主張も散見されるので、利用者が気に入らない情報を恣意的に排除するのを許容することに道を開き、最悪、言論封殺につながってしまうのではないかと危惧しています。記事の「主文」にあたる箇所は、専門研究者の著作に従って書き、非研究者や非専門家の著作からの引用であっても、特筆すべきものは、明確に「属人化」して使用すればよいと考えています。また、専門研究者の著作であっても、脚注の無いもの、新書などは研究者によるものであっても、単独で「主文」に使用するのは、微妙なのではないかなと考えています。
- また、Henaresさんが指摘された過去の「約束」を見て、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Keisotyo_3回目#被依頼者コメントを思い出しました。これについては、ちょっとでも発言したら「約束違反」と見做すことには消極的な立場を採ります。立てた議論が建設的なものか否かといった内容面も勘案して総合的に見ていけばよいと思います。
- TENさんが言及された他言語版における問題に関しては、決して褒められたことではないと思います。しかしながら、他言語版や姉妹プロジェクトにおける問題編集は、それぞれのコミュニティーにおいて審議されるべきであり、日本語版で審議する類のものではないと判断します。
- まず何よりも前に、Greenland4さんに以下の二点について確約していただきたく存じます:1. 専門研究者 (隣接領域などはOKでは?) 以外の個人ブログを典拠として使用しない。2. WP:CIVを守る。これは、私がGreenland4さんの態度のうち最も違和感を感じているところです。を確約していただきたく存じます。また、Greenland4さんとその他すべての利用者さんにおかれましては、日本語版ではen:Wikipedia:Reliable sources/Noticeboardに相当するものが存在していない状態ですので、「閾値」の理解の違いで「紛争」が起きかねない典拠については、それぞれの記事のノートで議論するようつとめていただくようお願いしたく存じます。-- Takabeg(会話) 2020年10月25日 (日) 10:58 (UTC)
- 返信 (Takabegさん宛) 『ちょっとでも発言したら「約束違反」と見做すことには消極的な立場』とおっしゃいますが、本当に「ちょっとだけ」と言える状況でしょうか。私も初めてGreenland4さんと初めて議論するよりもはるかに以前から約束違反の件については承知していましたが、ノート:竹島で議論の本題と無関係な「石島イコール云々」などという竹島に関する自説の書き込みがなされるまで一度も約束違反の件は指摘したことがなかったはずです。また、李宇衍については経済史学者の研究そのものに対する批評を含みますので、経済史学そのものの記述です。--Henares(会話) 2020年10月25日 (日) 12:18 (UTC)
- Greenland4さん以外の方々に申し上げます。個人サイトなどWikipedia:信頼できる情報源にあたらないサイトを情報源とした記事は竹島分野に限られず、今現在も大半が未着手のままです。以下例示しますがこれはごく最近のGreenland4さんの投稿履歴を一部確認しただけの結果にしかすぎません。
- 「Chokorin」として活動していた時期にも[25]を出典として国民之友が書かれていたこと(この件だけはHenaresが対応済み[26])を考えれば、Greenland4さんはずっとこうした活動をしてきて、現在もなおGreenland4さんが個人サイトなどを出典として投稿した記述が大量の記事に残っていると考えることが自然であると思われます。何個か見つけるだけならばGreenland4さんの標準名前空間投稿履歴を少し見ていただければそう難しいことではありませんので、皆さまのご協力をお願いしたいと思います。不慣れな分野であるからだとか、信頼できるサイトか否か判断が難しいだとか、何らかの理由で自ら対応できない場合にはノートにご報告いただくだけでも有益と考えます。正確な数は把握していませんが、機械的に一律除去をしていったとしてもこの量は私一人では永久に終わることはないでしょう。
- 以下はGreenland4さんに対して。皆様が再度の約束を信用するのかどうかはわかりませんが。個人サイトの件について「自分の尻ぬぐいを他人にさせるつもりはない」とおっしゃったのにもかかわらず、これほど大量に個人サイトを出典とした記事が残された状態でこの件への対応を放棄して利用者:Chokorin/第四作業室の投稿だけに集中してしまっている現在のGreenland4さんが、私が投稿ブロック依頼提出を強くにおわせる発言をした段階になってやっと約束を再度守るとおっしゃったところで、私個人は正直まったく信用できないです。--Henares(会話) 2020年10月27日 (火) 09:23 (UTC)
- 提案 個人サイトについてこれほど問題視されている状況でWikipediaに参加するお時間があったにもかかわらず「貸出期限までに書きたいことを書く」ことを優先して大量の個人サイト出典への対応を停止させたならば、まさしく私が申しあげたかったところの「放棄」そのものです。行動を問題視しているのであって「本心」だとか「つもり」のようなGreenland4さんの内心は私の知ったことではありません。
- 「出典の信頼性」「三大方針違反」「いつまでも納得しない」「自説宣伝目的の目的外利用」「著作権侵害」という問題を起こさないならば議論不参加の旨の約束については破られていたとしても私個人は見て見ぬふりをします。しかし、これほど様々な事柄に#Greenland4さんのコメントでいつまでも納得しなかったGreenland4さんが、あからさまに個人サイトの対応を停止しておきながら「放棄したつもりはありません」とおっしゃってしまうとなると、もはや将来的に個人サイトを再び用いながら「信頼できない情報源を用いたつもりはありません」などと、いつまでも納得しない事態が発生するであろうとしか思えないのです。方針理解以前に「どれほど無茶な言い分でもとりあえず自己正当化を自制できない」というお人柄の面が最大の問題であり、これまで多くの議論を混乱に陥れてきた最大の要因であるように思います。
- Greenland4さんの為を思って忠告しますが、数年程度無条件のウィキブレイクをすることを強くお勧めします。個人サイト等への対応を求めた私の発言は撤回します。とりあえず食い下がってしまうこうしたお人柄の面が根本的に改められない限り、このコメント依頼でどうにかなったとしても個人サイトへの対応を継続したとしても、最終的にコミュニティがGreenland4さんに取りうる対応の選択肢は「期間を定めない投稿ブロック」以外になくなってしまうだろうとしか思えないです。言葉のみでは信用できる状況ではありませんので、お返事なども結構です。--Henares(会話) 2020年10月30日 (金) 12:15 (UTC)
- コメント Greenland4さんのコメント依頼であるので、個別の記事の改善や特定の出典の妥当性について議論したり問答するのは話題が拡散して何の話をしているのかわからなくなると思います。その議論を開始するならば、それは各々の記事のノートで続けた方が良いでしょう。一応私宛のGreenland4さんのコメントへの返信はノートに書きましたが、石島 (韓国)の記事の編集を問われればこう答える、というだけのものですのでさらに突っ込んだ議論を目指すものではないです。--TEN(会話) 2020年10月31日 (土) 18:22 (UTC)
まとめ
[編集]Henaresさんらに反省せずに記事執筆を強行しているのでWikipedia:投稿ブロック依頼/Greenland4を作りました。被依頼者は投票を許されませんがコメントはできます。--Compha30(会話) 2020年10月22日 (木) 11:52 (UTC)
- 被依頼者に対する投稿ブロック依頼の必要性は認めますが、その前にまずCompha30を名乗る利用者のブロックを検討しなければならないようです。総編集回数やこれまでの行動からは、撹乱アカウント以外の何物でもありません。--126.152.243.129 2020年10月22日 (木) 14:50 (UTC)
- 投稿ブロック依頼提出の報告を「まとめ」に書くことには違和感があるのですが、もう書かれてしまっているので続けて書きます。「今後3~4か月程度、自主的に活動を自粛」というお言葉があったので何らかの自主的自制を期待してウィキブレイクを提案しましたが、ノートでの閾値云々のお話を見る限り「いつまでも納得しない」行動が改められる見込みはないように思いましたので、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Greenland4 20201102を提出しました。なお、Compha30さんによる依頼はすでに終了しています。--Henares(会話) 2020年11月2日 (月) 02:16 (UTC)
- こちらの議論はまだ終わっていないのもあるのですが、それは続けていいのですか? --Greenland4(会話) 2020年11月2日 (月) 05:59 (UTC)
- 投稿ブロック依頼提出の報告を「まとめ」に書くことには違和感があるのですが、もう書かれてしまっているので続けて書きます。「今後3~4か月程度、自主的に活動を自粛」というお言葉があったので何らかの自主的自制を期待してウィキブレイクを提案しましたが、ノートでの閾値云々のお話を見る限り「いつまでも納得しない」行動が改められる見込みはないように思いましたので、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Greenland4 20201102を提出しました。なお、Compha30さんによる依頼はすでに終了しています。--Henares(会話) 2020年11月2日 (月) 02:16 (UTC)