Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/糸魚川のヒスイ 20200810
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選考終了日時:2020年8月24日 (月) 16:22 (UTC)→2020年9月21日 (月) 16:22 (UTC)
- (自動推薦)2020年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2020年8月10日 (月) 16:22 (UTC)
- コメント ノートで本項目の記事名選定の経緯が触れられていますが、本項目は文化としての「日本におけるヒスイとその利用の歴史」と地質学・鉱石としての「糸魚川のヒスイ」として分けるべきなのではないかと感じました。これらがごっちゃになっているせいで記事名・主題に対し内容が「日本~」と「糸魚川~」とで揺れ動いてアンバランスになっているように思います。たとえば国石についても選定されたのは「(日本の)ヒスイ」であり「糸魚川のヒスイ」ではないわけで、それなのに国石の概念の形成や選定投票の詳細まで本項目で記載するのはやや過剰に感じられます。明治・大正期のヒスイブームの節についても「糸魚川のヒスイ」の再発見前夜として紹介しているのだと思いますがブーム自体に糸魚川のヒスイが直接絡んでいるわけではなく、この記事名であれば次節の冒頭に組み込み軽く触れるだけで十分なのではと思ってしまいます。
また上記の事情が無くとも、各国のヒスイ文化など日本、糸魚川のヒスイと関係のない情報は上位項目のヒスイに記載すべきかと思います。--totti(会話) 2020年8月11日 (火) 15:45 (UTC) 2020年8月12日 (水) 02:14 (UTC)に修正。--totti(会話) 2020年8月12日 (水) 02:14 (UTC)- コメント 本記事の地学関係部分の主執筆者の、のりまきです。tottiさん、ご意見どうもありがとうございます。とりあえず地学関係部分を中心に、記事構成等の意図について説明いたします。まずヒスイの性質については、糸魚川のヒスイの説明に大きく関わる部分を中心に記述しました。世界最古の利用の歴史を持ち、宝飾品としての利用もやはり世界最古で、縄文時代から奈良時代までの長い利用の歴史を持つ糸魚川のヒスイですので、まずは最低限、宝石としてのヒスイの位置付けを載せるべきだと考えました。その上で糸魚川のヒスイの地学的説明の中や、特に糸魚川のヒスイの利用が密度が大きく緻密で割れにくいという特性を生かした、敲石であった点の説明に必要であるため、そのあたりのヒスイの特性についての記述は不可欠だと判断しました。
- 当記事を執筆する段階で、日本の他のヒスイ産地に関する記述ももっと加えて、「日本におけるヒスイとその利用の歴史」等の記事名にすることも考慮しました。しかし他の産地のヒスイは利用された形跡がほぼ皆無です。つまり日本でのヒスイ利用の歴史は糸魚川のヒスイの利用史とイコールとであると言い切ってしまって構わないのです。
- そこで各産地の地学面について記述を行い、日本におけるヒスイに相応しい記事に出来ないかと考えたのですが、各産地のヒスイの産状についてはそれなりに何とかなりそうな感触を得たのですが、形成年代、形成史については糸魚川のヒスイと同年代の5億2000万年前に形成され、やはり世界最古の形成年代のものとされる岡山県新見市の大佐山のヒスイを除き、記述が難しそうでした。するとやはり糸魚川のヒスイにほぼ特化された記述になってしまうのが見えてしまい、それならば記事名は糸魚川のヒスイとして、成因や形成年代から産状、そして縄文時代からの利用史と文化面等の絡みを記述する方が良いと判断しました。
- なお、国石としての選考基準を見ていただければわかるように、ヒスイの国石としての評価は1~5まで全て糸魚川のヒスイに関する評価といって差し支えないものです。tottiさんご指摘の他の部分の簡略化等は検討すべきと考えますが、国石選定の経過、結果の簡略化は正直賛成できません。--のりまき(会話) 2020年8月12日 (水) 11:25 (UTC)--一部推敲--のりまき(会話) 2020年8月12日 (水) 11:28 (UTC)
- コメント 本記事の歴史部分の主執筆者、Swanee(スワニー)と申します。totti様、査読と批評をありがとうございました。執筆意図についてなど、2点説明します。
- まず、「各国のヒスイ文化」について。これは日本(=糸魚川)で発達したヒスイ文化が世界最古であることへの導入部として書いたもので、多少の簡略化は許容範囲かと思われます。ただ、これを全部削ってしまうと、どこの文明と比べて世界最古なのか不明瞭になる虞があります。
- 次に、「明治・大正期のヒスイブーム」について。ここは思い切って簡略化も可能かと思います。(親記事にあたるヒスイへの出典付き加筆も考えましたが、現時点の当該記事に組み込むにはおさまりが悪そうです)以上2点、できれば他の方のご意見もお聞きしてみたいところです。--Swanee(会話) 2020年8月12日 (水) 13:38 (UTC)
- 返信 (のりまきさん、Swaneeさん宛) 大変丁寧なご回答、ありがとうございました。このコメントの執筆中にSwaneeさんのコメントが投稿されたようで編集競合しましたので、以下は主にのりまきさんのコメントを受けての物だと思ってください(笑)
- まず1~3章の地学分野の記述に関しては、ヒスイの基礎情報を含めて「糸魚川のヒスイ」を語る上で必要不可欠であり、全く問題ないと思います。
- 続いてですが、「>つまり日本でのヒスイ利用の歴史は糸魚川のヒスイの利用史とイコールとであると言い切ってしまって構わないのです」
私が一番引っかかっているのはまさにここで、古代以前までの日本のヒスイが全て糸魚川産であったことは記事で何度も触れられており理解しているのですが、「明治・大正期のヒスイブーム」の節があるために「日本のヒスイ利用≠糸魚川のヒスイの利用」になってしまっているんです。古代以前は確かに「日本でのヒスイ利用の歴史は糸魚川のヒスイの利用史とイコールとであると言い切ってしまって構わない」のだと思いますが、奈良時代でヒスイ利用が途切れて以降の近現代は必ずしもそうではないわけです。であれば「日本におけるヒスイとその利用の歴史」という別項目に本記事の第4章を中心に分割すれば明治大正期のブームや現代の(輸入品など糸魚川以外のヒスイを含む)加工利用等にも触れることができ、他利用者による今後の加筆も容易だと思ったのです。上のコメントでも触れたように現状では「糸魚川」と「日本」が微妙に混じってしまっているため、他利用者が「日本」側の加筆を試みたくても、どこまで書いていいのかの基準が曖昧になっているように思います。 - 国石についてですが、確かに本記事をここまで読み進めば「ヒスイの国石としての評価は1~5まで全て糸魚川のヒスイに関する評価といって差し支えないものです」という言葉が間違いではないのは分かるのですが、この節では「糸魚川」について全くといっていいほど触れられていないため、国石に選定されたという重要な出来事ながら記事から浮いてしまっているように感じました。「糸魚川のヒスイ」という主題であれば重要なのはヒスイの選定、投票に際する「糸魚川のヒスイ」の貢献、選考基準に照らし合わせた具体的な評価ではないでしょうか。クンツが独自に水晶を選定するに至った経緯や、他の候補全てとその票数までを網羅した投票の詳細などは先述の分割先「日本における~」、または国石の記事で触れるべきで、本記事に記載するとしても脚注で参照できる程度に留めておくべきように思いました。--totti(会話) 2020年8月12日 (水) 14:23 (UTC)
- 賛成 GA基準を満たすと思いますので賛成票を投じます。ただ、個人的には「日本のヒスイ文化」という項目名の方がしっくりきます。それから「日本列島の誕生とヒスイの形成」節のサブ節タイトルが「…生成されたヒスイ」「…ヒスイの誕生」「…ヒスイの生成」というふうに生成・誕生・形成の語がならぶところが気になりました。糸魚川ヒスイの生成には諸説あるのか、多段階を踏むのかがタイトルを読んだだけでは今ひとつ判然としない節名だと感じました。この生成史の節とその前の周辺産地の節が「糸魚川のヒスイ」であり、それ以外は「日本のヒスイ文化」なのではないかと思います。--Greenland4(会話) 2020年8月22日 (土) 22:24 (UTC)
- コメント 歴史節主執筆者のswaneeと申します。Greenland4様、査読と批評をありがとうございます。日本のヒスイ(=糸魚川のヒスイ)を古代だけではなく現在と未来への展望を含めて包括的に書こうと試みたので、かなり長くなったことはご覧のとおりです。分割するか、あるいは構成を一部変更して1つの記事に収めるべきか、少々考えてみたいと思います。選考期間の4週間延長を希望します。--Swanee(会話) 2020年8月23日 (日) 10:21 (UTC)
- 選考期間を4週間延長しました。--Tam0031(会話) 2020年8月23日 (日) 14:30 (UTC)
- コメント 歴史節主執筆者のswaneeと申します。Greenland4様、査読と批評をありがとうございます。日本のヒスイ(=糸魚川のヒスイ)を古代だけではなく現在と未来への展望を含めて包括的に書こうと試みたので、かなり長くなったことはご覧のとおりです。分割するか、あるいは構成を一部変更して1つの記事に収めるべきか、少々考えてみたいと思います。選考期間の4週間延長を希望します。--Swanee(会話) 2020年8月23日 (日) 10:21 (UTC)
- コメント 私の意見は、この記事は「日本のヒスイ文化」として読めばよい記事だと思いますが、「糸魚川のヒスイ」という主題で読むといろいろ問題が生じるのではないかというものです。日本のヒスイ=糸魚川のヒスイというのは、産地同定の結果わかったことであり、いわば「後知恵」です。「日本のヒスイ文化」として説明した結果、結果的に糸魚川産ヒスイの話が中心になるのは仕方ないと思いますが、糸魚川産のヒスイってこんなに凄いんだぜというところにいろいろなものを突っ込もうとすると無理が生じるように思います。地学部分も決してわかりやすいとは言えず、「糸魚川ヒスイは日本海側フォッサマグナの蛇紋岩メランジュのなかにある。生成については曹長石生成説は成り立ちがたく、熱水生成説が有力であると考えられるようになったが、それにも難点がある。いずれにせよ、糸魚川地域のヒスイ生成は海洋プレートの沈み込みと深いかかわりがあると考えられ、その後の造山運動による飛騨山脈の形成にともなって高所に位置するようになった。」くらいの簡潔な記載になおして、産地節と統合し、記事全体を「日本のヒスイ文化」に改名した方がよいと私は思います。それから、冒頭の「ヒスイ文化は原産地である糸魚川を中心として発展し、北陸地方における一大勢力となっていった」のなかの「一大勢力」という用語は、縄文時代のことを念頭に置くと、あまり適切とは思いません。「一大勢力」というのは、そういう政治集団があったかのように誤解されるので、「糸魚川を中心とする北陸地方で著しく発展した」くらいがよいでしょう。地学情報を中心に「糸魚川のヒスイ」という記事を別途作成することは構わないと思います。--Greenland4(会話) 2020年8月23日 (日) 22:37 (UTC)
- コメント Greenland4様、再度のコメントありがとうございます。確かにご意見には首肯できる点が多々ありますので、まずは定義文の見直しから始めて(歴史部分の方の)ブラッシュアップを試みたいと思います。実は定義文があの形になったのは、奴奈川姫と大国主命にかかわる説話が頭にあったからです。そこまで突っ込んで書いてしまうとさらに「風呂敷を広げすぎ」になると思って、本文では少し触れるだけにとどめましたが。--Swanee(会話) 2020年8月24日 (月) 13:26 (UTC)
- コメント 読み応えのある記事でありとても勉強になります。主筆者の方が「日本のヒスイ文化」の方向でブラッシュアップなさるのであればその意向を尊重しますが、私は「糸魚川のヒスイ」としての完成形を目指してほしいと思います。「なぜ糸魚川でヒスイが産出されるのか(ヒスイの鉱物としての特徴、糸魚川という地形の特徴)」「古代の日本社会で糸魚川のヒスイはどのような役割を果たしたのか」「ヒスイ文化が忘れ去られた近代の日本で、どのような経緯で糸魚川のヒスイは再発見されたのか」「糸魚川ではどのようにヒスイを保護・活用しようとしているのか」などの問いを明らかにする本記事は「糸魚川」という場所と切っても切り離せないと思うからです。その上で不足を感じるのは最後の部分。記事中には「地元への経済効果」について軽く触れられていますが、「糸魚川ではどのようにヒスイを地域活性化につなげているのか」という視点が欲しいところです。例えば、「ヒスイ加工品を扱う業者は糸魚川にどれくらいあって、いつ頃から存在するのか」「糸魚川では観光資源としてヒスイをどのように活用しているのか、そのような動きはいつ頃からみられるのか」「ヒスイ海岸はいつ頃から観光地として認知されはじめたか(そういえば、「ヒスイ海岸」という通称はいつ頃につけられたのでしょうか)」といった言及があっても良いのではないでしょうか。ネットで調べてみますと2018年度には「翡翠文学賞」が創設されたようですが、他にも行政、学校、商工会議所などの独自の取組などがあるかもしれません。--MTBM3(会話) 2020年8月29日 (土) 10:43 (UTC)
- コメント MTBM3様、大変有用で興味深いコメントをありがとうございます。現時点で資料を調査した結果わかったのは、糸魚川市では1980年代後半にフォッサマグナやヒスイを地域資源として活用する構想が生まれ、それが具現化したのが1990年のフォッサマグナパークと1994年のフォッサマグナミュージアム(ふるさと創生事業による)です。特にミュージアムはヒスイをメイン展示の1つとしています。このあたりを終盤部分に上手く組み入れることができれば、と思います。あと、記事ではあえて触れませんでしたが「ヒスイ峡を世界遺産に」という動きも出ているようです。(手元の資料を含めて、さらに確認をとってみます。さすがに糸魚川の再訪まではできませんが)--Swanee(会話) 2020年8月29日 (土) 14:17 (UTC)
- コメント 考古学に興味のある人ならば「糸魚川のヒスイ(産地)」というタイトルには心魅かれるものがあり、その意味ではキャッチーな題名だとは思うのですが、実際に読んでみると「糸魚川のヒスイ」というよりは「日本のヒスイ文化」というべき内容と感じましたし、「日本のヒスイ文化」の変遷が詳細にわかりやすく書かれている点がとても良いと思いました。「糸魚川のヒスイ」「日本のヒスイ文化」あるいは「国石」のいずれにもかかわるところとして、やはり「ヒスイの大珠」に関する部分の情報がもっと充実されるべきだと思います。2001年の青森県立郷土館発行の図録『火炎土器と翡翠の大珠 : 土の芸術、石の美、そして広域交流』などは参考になると思います。ヒスイの大珠が縄文時代前期後葉までさかのぼるからこそ「国石」に選ばれるまでになったのであり、これがなかったら水晶や自然金の方が国石にふさわしいということになったのではないでしょうか。少なくとも麹菌が「国菌」であるほどには圧倒的ではない印象を受けます。ここにおいて産地が糸魚川であることは、それなりに重要であることは間違いないとしても、日本においてヒスイが、宝飾品として、「第二の道具」としての利用がBC5000年もの昔にさかのぼるという事実にくらべれば副次的なものだと感じます。「日本のヒスイ文化」というところに重きを置くならば、ヒスイの大珠は交易品である以前に縄文人の精神文化を示す遺物のはずであり、したがって、そこの説明が(不明な点や未解明部分も含めて)もっと欲しいところです。ヒスイ大珠は『縄文時代の研究9 縄文人の精神文化』(1995年)など、古くから研究対象になっているので参照されるとよいと思います。そのなかでは、大珠の穿孔技術が勾玉や丸玉のそれのベースになったというような説明もあったかと思います。個人的におもしろいと思ったのは、東大寺の不空羂索観音立像の宝冠にヒスイも使われているというところで、ここは画像の欲しいところだと思いました。項目名については、上の方でtottiさんが指摘されていることに尽きると思います。重複する部分が多くても「糸魚川のヒスイ」「日本のヒスイ文化」の2つの項目を立て、そのなかでそれぞれの発展・充実を目指した方がよいのではないかと思います。--Greenland4(会話) 2020年8月29日 (土) 22:10 (UTC)
- コメント Greenland4様、大変有用な情報のご教示をありがとうございます。おっしゃるとおり、大珠については数あるヒスイ製品の中でも重要な位置を占めるもので、まだ加筆の余地があるかと思います。文献について、地元の図書館に所蔵があるか確認の上で所蔵がなければ取り寄せや遠隔複写なども検討してみます(以前自宅に近い図書館を通して東京都立図書館に取り寄せを依頼したら、4か月待たされて閉口しましたが)。あとは東大寺の不空羂索観音立像について、コモンズにまさしく頭部の画像があったので、他にアドバイスをいただいた点を含めて次回の修正で可能なところは改善しようと思います。--Swanee(会話) 2020年8月30日 (日) 10:26 (UTC)
- コメント 先ほど地域および観光資源としてのヒスイの節を新設しました。後はヒスイ大珠についての件が残っていますが、地元の図書館にはご教示をいただいた資料の所蔵が残念ながらありませんでした。(他自治体からの貸借は以前の件で懲りていますので)国会図書館の遠隔複写が可能か確認してみて、さらに手元にある資料と地元の図書館で入手可能な資料を探してみようと思います。--Swanee(会話) 2020年9月6日 (日) 10:07 (UTC)
- コメント( 条件付賛成) Swaneeさん、短い期間で充実した内容の加筆をありがとうございます。最後の節にある青海川ヒスイ峡とヒスイ海岸の写真はこの「地域および観光資源としてのヒスイ」節に動かしても良いかも知れませんね。後はすでに指摘されているとおり「各国のヒスイ文化」「明治・大正期のヒスイブーム」などの記述は精選すると良いと思います。また、記事の主題が「日本のヒスイ文化」になっているのではないかという指摘も尤もであり、表現を工夫するなどして日本全体を俯瞰した記述を糸魚川に寄せることができれば良いと思います。例えば、「各国のヒスイ文化」節「日本での利用例は、約7000年前の縄文時代前期後葉までさかのぼることができ、これは世界的にみても最古のものである。」と、次節の「蛍光X線分析の結果などにより、縄文時代以来、日本で利用されるヒスイはすべてが糸魚川産のものであることが判明している。」は連続した記述の方が「糸魚川のヒスイ利用は世界的に見ても古い」という事実がより明確になりますし、「加工技術の発展と交易ネットワーク」節にある「まず縄文時代早期末(約6500年前)には、糸魚川地方および富山湾沿いの地域で滑石を材料とした耳飾の生産が始まった。」という一文も、語順を入れ替えて「糸魚川地方および富山湾沿いの地域では、まず縄文時代早期末(約6500年前)に滑石を材料とした耳飾の生産が始まった。」とすることで記述が糸魚川寄りになると思います(こうすることで節全体の論旨が変わってしまうようでしたらすみません)。--MTBM3(会話) 2020年9月8日 (火) 06:11 (UTC)
- コメント コメントというか、むしろお願いなのですが、この記事を土台にして「日本のヒスイ文化」を別途立項することをお許しいただけないでしょうか。上に掲げた書籍のなかには私の家にあるものもありますし、それ以外でも小林達雄先生などもヒスイ文化、ヒスイ利用について結構おもしろいことを書いています。糸魚川に寄せて書くというのは、私にはちょっと無理なので、お許しいただけるとありがたいです。賛成票はキープします。--Greenland4(会話) 2020年9月8日 (火) 08:03 (UTC)
- コメント MTBM3様、再度のコメントとアドバイスをありがとうございます。おっしゃるとおり、今後は加筆よりむしろ推敲に力点を置いて記事のテーマを明確にしていくのも十分にありかと思われます。(地域および観光資源としてのヒスイの節については、画像がないのも確かに物足りないので、この2点のどれか、もしくはヒスイ王国館のB1に展示されている巨大なヒスイ原石の画像を上げてみます)そしてGreenland4様、御用の件了解しました。のりまき様とも協議した結果「新しい視点で記事を書く」というのも十分に有用ではないかと意見が一致しました。(結果がどうであれ)当選考の終了時に着手してくださればありがたいです。--Swanee(会話) 2020年9月9日 (水) 10:17 (UTC)
- 返信 了解しました。ありがとうございました。--Greenland4(会話) 2020年9月9日 (水) 13:43 (UTC)
- コメント MTBM3様、再度のコメントとアドバイスをありがとうございます。おっしゃるとおり、今後は加筆よりむしろ推敲に力点を置いて記事のテーマを明確にしていくのも十分にありかと思われます。(地域および観光資源としてのヒスイの節については、画像がないのも確かに物足りないので、この2点のどれか、もしくはヒスイ王国館のB1に展示されている巨大なヒスイ原石の画像を上げてみます)そしてGreenland4様、御用の件了解しました。のりまき様とも協議した結果「新しい視点で記事を書く」というのも十分に有用ではないかと意見が一致しました。(結果がどうであれ)当選考の終了時に着手してくださればありがたいです。--Swanee(会話) 2020年9月9日 (水) 10:17 (UTC)
- コメント コメントというか、むしろお願いなのですが、この記事を土台にして「日本のヒスイ文化」を別途立項することをお許しいただけないでしょうか。上に掲げた書籍のなかには私の家にあるものもありますし、それ以外でも小林達雄先生などもヒスイ文化、ヒスイ利用について結構おもしろいことを書いています。糸魚川に寄せて書くというのは、私にはちょっと無理なので、お許しいただけるとありがたいです。賛成票はキープします。--Greenland4(会話) 2020年9月8日 (火) 08:03 (UTC)
- コメント( 条件付賛成) Swaneeさん、短い期間で充実した内容の加筆をありがとうございます。最後の節にある青海川ヒスイ峡とヒスイ海岸の写真はこの「地域および観光資源としてのヒスイ」節に動かしても良いかも知れませんね。後はすでに指摘されているとおり「各国のヒスイ文化」「明治・大正期のヒスイブーム」などの記述は精選すると良いと思います。また、記事の主題が「日本のヒスイ文化」になっているのではないかという指摘も尤もであり、表現を工夫するなどして日本全体を俯瞰した記述を糸魚川に寄せることができれば良いと思います。例えば、「各国のヒスイ文化」節「日本での利用例は、約7000年前の縄文時代前期後葉までさかのぼることができ、これは世界的にみても最古のものである。」と、次節の「蛍光X線分析の結果などにより、縄文時代以来、日本で利用されるヒスイはすべてが糸魚川産のものであることが判明している。」は連続した記述の方が「糸魚川のヒスイ利用は世界的に見ても古い」という事実がより明確になりますし、「加工技術の発展と交易ネットワーク」節にある「まず縄文時代早期末(約6500年前)には、糸魚川地方および富山湾沿いの地域で滑石を材料とした耳飾の生産が始まった。」という一文も、語順を入れ替えて「糸魚川地方および富山湾沿いの地域では、まず縄文時代早期末(約6500年前)に滑石を材料とした耳飾の生産が始まった。」とすることで記述が糸魚川寄りになると思います(こうすることで節全体の論旨が変わってしまうようでしたらすみません)。--MTBM3(会話) 2020年9月8日 (火) 06:11 (UTC)
- コメント 先ほど地域および観光資源としてのヒスイの節を新設しました。後はヒスイ大珠についての件が残っていますが、地元の図書館にはご教示をいただいた資料の所蔵が残念ながらありませんでした。(他自治体からの貸借は以前の件で懲りていますので)国会図書館の遠隔複写が可能か確認してみて、さらに手元にある資料と地元の図書館で入手可能な資料を探してみようと思います。--Swanee(会話) 2020年9月6日 (日) 10:07 (UTC)
- コメント Greenland4様、大変有用な情報のご教示をありがとうございます。おっしゃるとおり、大珠については数あるヒスイ製品の中でも重要な位置を占めるもので、まだ加筆の余地があるかと思います。文献について、地元の図書館に所蔵があるか確認の上で所蔵がなければ取り寄せや遠隔複写なども検討してみます(以前自宅に近い図書館を通して東京都立図書館に取り寄せを依頼したら、4か月待たされて閉口しましたが)。あとは東大寺の不空羂索観音立像について、コモンズにまさしく頭部の画像があったので、他にアドバイスをいただいた点を含めて次回の修正で可能なところは改善しようと思います。--Swanee(会話) 2020年8月30日 (日) 10:26 (UTC)
- コメント 先ほど思い切って記事の構成を見直しました。MTBM3様からのアドバイスを参考に文を一部推敲、参考になりそうな画像も足しました。さらにtotti様、Greenland4様のアドバイスをもとに「明治・大正期のヒスイブーム」はほぼ削除、「各国のヒスイ文化」は一部記述量を縮減しました。後、修正していて思ったのですが「国石」についての記述を日本の国石(現時点では「日本」節へのリダイレクト)という記事を履歴継承の上で新設するのも「あり」かと思います。(国石に転記するのは、著しくバランスを欠く可能性がありそうです)--Swanee(会話) 2020年9月12日 (土) 00:12 (UTC)
- コメント見直しと整理、お疲れ様です。糸魚川のヒスイと直接的な関係がやや薄い部分が整理され、すっきりしたと思います。今後「日本のヒスイ文化」という記事が立てられるのならば、「明治・大正期のヒスイブーム」はそちらに記述した方が良いと思います。また確かに国石選定等の記述は、日本の国石を新規に立てて記述するのも一案だと思います。--のりまき(会話) 2020年9月12日 (土) 00:30 (UTC)
- 賛成 改稿をありがとうございました。賛成票を投じたいと思います。以下はコメントです。「加工技術の発展と交易ネットワーク」節において、「原石はヒスイ製のハンマーで形を整え、砂岩製の砥石で研磨されてさまざまな製品に姿を変えて日本各地に運ばれていった。やがて製品だけではなく、ヒスイの原石も運ばれていき、各地で加工されるようになった。」という記述の後に、天神遺跡と三内丸山遺跡の紹介を挟んで「これらのように広範な出土の分布から見て、ヒスイを扱う交易ネットワークの存在が示唆される。」とありますが、話の前後関係が逆転していないでしょうか(ヒスイネットワークの研究が進んだからこそ糸魚川産のヒスイ製品・ヒスイ原石が各地に運ばれたことが明らかになったのではないでしょうか)。なお、この節は長いので、ネットワークの部分だけを独立できると良いかもしれません。また、その前の部分で「長者ヶ原遺跡は発掘調査と研究を通して、縄文時代以降のヒスイ製品がすべて日本産であることを立証した」とありますが、このことはもう少し深掘りできる余地があるようにも思います。あとは細かいことですが、「天神遺跡(山梨県北杜市大泉町西井出)と三内丸山遺跡(青森県青森市大字三内字丸山)」については「山梨県の天神遺跡と青森県の三内丸山遺跡」とした方が、糸魚川から離れた地域の遺跡であることが強調されるように思います。--MTBM3(会話) 2020年9月12日 (土) 01:32 (UTC)
- コメントMTBM3様、丁寧な査読をありがとうございます。ご指摘をいただいた点について、語句の修正などは随時対応可能かと思います。実は前回修正の際に誤ってリンクをはずしてしまった部分があるので、そこも直そうかと。そして、長者ヶ原遺跡については、記事として独立の項目を立てることを視野に入れております。(この記事で書き足りなかったところは、そこに組み入れることができそうです)ただし、着手は来年以降になるかと思われますが。--Swanee(会話) 2020年9月13日 (日) 00:18 (UTC)
- 賛成 改稿をありがとうございました。賛成票を投じたいと思います。以下はコメントです。「加工技術の発展と交易ネットワーク」節において、「原石はヒスイ製のハンマーで形を整え、砂岩製の砥石で研磨されてさまざまな製品に姿を変えて日本各地に運ばれていった。やがて製品だけではなく、ヒスイの原石も運ばれていき、各地で加工されるようになった。」という記述の後に、天神遺跡と三内丸山遺跡の紹介を挟んで「これらのように広範な出土の分布から見て、ヒスイを扱う交易ネットワークの存在が示唆される。」とありますが、話の前後関係が逆転していないでしょうか(ヒスイネットワークの研究が進んだからこそ糸魚川産のヒスイ製品・ヒスイ原石が各地に運ばれたことが明らかになったのではないでしょうか)。なお、この節は長いので、ネットワークの部分だけを独立できると良いかもしれません。また、その前の部分で「長者ヶ原遺跡は発掘調査と研究を通して、縄文時代以降のヒスイ製品がすべて日本産であることを立証した」とありますが、このことはもう少し深掘りできる余地があるようにも思います。あとは細かいことですが、「天神遺跡(山梨県北杜市大泉町西井出)と三内丸山遺跡(青森県青森市大字三内字丸山)」については「山梨県の天神遺跡と青森県の三内丸山遺跡」とした方が、糸魚川から離れた地域の遺跡であることが強調されるように思います。--MTBM3(会話) 2020年9月12日 (土) 01:32 (UTC)
- コメント見直しと整理、お疲れ様です。糸魚川のヒスイと直接的な関係がやや薄い部分が整理され、すっきりしたと思います。今後「日本のヒスイ文化」という記事が立てられるのならば、「明治・大正期のヒスイブーム」はそちらに記述した方が良いと思います。また確かに国石選定等の記述は、日本の国石を新規に立てて記述するのも一案だと思います。--のりまき(会話) 2020年9月12日 (土) 00:30 (UTC)
- 賛成 読みやすく、良い記事になっているものと思います。--Tam0031(会話) 2020年9月14日 (月) 14:29 (UTC)
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2020年9月16日 (水) 14:51 (UTC)