竹本素行
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竹本 素行(たけもと そこう、安政7年1月(1859年12月-1860年1月) - 1938年(昭和13年)1月8日)は、明治・大正期の女義太夫の太夫。義太夫節を語る節太夫で、女義太夫の地位を高めるために尽力した[1]。しばしば「大正三美人」の一人と称される林きむ子の母[2]。
略歴
[編集]安政7年1月、上野国松井田(現、群馬県安中市)に生まれる[1]。
1872年(明治5年)に東京に出て叔父の養女となり、1874年に鶴沢巴磨寿についた後、豊竹和国太夫の内弟子となって和佐吉と称し、1875年より寄席に出るようになった[1]。1879年(明治12年)には地方興行に赴き、1880年には吉田國五郎一座に加わり、同年、北海道函館を巡業中に真打となって三福を襲名した。1886年(明治19年)、24歳のとき豊竹和国太夫との間の娘(林きむ子)を出産[2]。1891年には東京に戻り、1892年(明治25年)、竹本素行を名乗り、前の名の三福は門人の津賀蝶に譲った[1]。 1907年(明治40年)には弟子の竹本呂行に素行の名を譲り、みずからは瓢と改名した[1]。
1927年(昭和2年)に引退[1]。1938年(昭和13年)1月8日に死去[1]。78歳。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 新撰芸能人物事典【明治~平成】「竹本素行」(コトバンク)