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Wikipedia:コメント依頼/リズム音

利用者:リズム音会話 / 投稿記録 / 記録さん の編集内容および対話姿勢について、コメントを依頼いたします。

  1. 他編集者への不適切な言動
  2. Wikipediaの基本原則への理解不足
  3. ルールの恣意的解釈
  4. 目的外利用

これらの懸念に関し、理解と改善が見られない場合はブロック依頼の提出を検討いたします。皆様のご意見をいただければと思います。--KQuhen会話2024年9月6日 (金) 02:17 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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リズム音さん(以下、被依頼者)は2023年2月13日にアカウントを作成し、依頼提出時点で296回の編集を行っています。その編集の大部分は「浄土真宗親鸞会ノート / 履歴 / ログ / リンク元」やその創始者「高森顕徹ノート / 履歴 / ログ / リンク元」、および「三願転入ノート / 履歴 / ログ / リンク元」「宿善ノート / 履歴 / ログ / リンク元」など親鸞会に関連する項目に集中しています。約7回の編集を除き、ほとんどがこれらの項目に関するものです。

【問題点】
被依頼者の編集行動と対話姿勢には、以下のような問題が見られます:

  • 他編集者への不適切な言動:他編集者を「荒らし」と非難するなど、侮辱的な言葉を頻繁に使用しています。
  • Wikipediaの基本原則への理解不足: Wikipediaの基本原則「信頼できる情報源」「検証可能性」を理解しておらず、「出典削除」「信頼できる情報源に基づく記述の削除」「無出典の加筆」「一次資料の重視」「信頼性の低い出典の使用」など、記事の信頼性を損なう行為を繰り返しています。
  • ルールの恣意的解釈:「裁判例がなければ、個人の評価」「証拠価値で選択する」など、独自のルール解釈に基づく編集を行っています。
  • 目的外利用:参加当初より「浄土真宗親鸞会」関連記事を中心に編集し、「偽装勧誘」「新宗教」「選挙活動」「伝統仏教団体への抗議活動」「高森顕徹の経歴」などの情報を削除しています。

これらの懸念について、被依頼者本人の具体的な改善策の提示と、他の方からのご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

具体例

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  他編集者への不適切な言動:他編集者への侮辱や、謝罪要求などを繰り返し行っています。

  • 「荒らし」発言:議論の問題点を指摘したフューチャーさんに対し、「Wikipediaの荒らし」という個人攻撃を繰り返し(差分01差分02差分03差分04)、抗議を受けましたが(差分01差分02差分03差分04)、謝罪を拒否し続けています(ノート:浄土真宗親鸞会#出典にあることを全部記載した結果を参照)。
  • 「証拠価値」という独自ルールによる侮辱と謝罪要求: 「証拠価値」という独自ルールに基づき、フューチャーさんを侮辱する発言を繰り返しています。さらに、このルールについて相手に謝罪を強要するなど、不適切な行為を行っています。「証拠価値です。覚えたら良いと思いますよ(差分)」「Wikipediaの方針にあなたの姿勢は、反していると思われませんか?もう一度お読みになったほうがいいのでは?(差分)」「編集姿勢として大丈夫でしょうか?規定は読んでもらえましたか?(差分)」「そうやって被害者ヅラしないでください。(中略)意味わかりますか?(差分)」「まず間違いを認めてください。私の作った言葉じゃないですよね?笑(差分)」「謝罪の強要というか、間違ったら認めて、謝るの、当然でしょう?私が作った言葉なんて、ちょっと検索して調べればそんなこと言わなくてもよかったのに笑(差分)」。
  • 依頼者への批判:依頼者の編集に対して、建設的とは言えない批判を繰り返しています。「(依頼者が複数の出典を付けたことに対し、)あなたのせいで、Wikipediaのページが、非常に見にくくなっていますよ?(差分)」「あなたのお陰で、とても読みにくくなっていますよ。自覚されていませんか?(差分)」「要約の意味わかりますか?(差分)」「改行については、『後日やります』って言っていますよね?私の文章を、読んでます?(差分)」「あなた、他でも編集姿勢に問題ありますよね?(差分01差分02)」。また、依頼者の会話ページの内容をノートに転載しています(差分01差分02)。

  Wikipediaの基本原則への理解不足: Wikipediaの根幹である「信頼できる情報源」の原則への理解が不十分で、以下のような編集を繰り返しています。

  ルールの独自解釈:Wikipediaのガイドラインから外れた、独自ルールに基づく編集を行い、議論を提起しています。

  目的外利用中立的な観点の欠如
参加当初から、「浄土真宗親鸞会」に関する記事を中心に編集し、特定の情報を削除するなど、百科事典としての中立性を損なう編集を行っています。

  その他の問題点

参考リンク

依頼者のコメント

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被依頼者の編集には、「無出典の加筆」「出典にない記述の追加」「出典付き記述の削除」「出典の不適切な移動」「信頼できる複数の二次資料よりも一次資料を重視」など、Wikipediaの基本方針に沿わない傾向が見られます。また、対話においても「自分は正しいとの態度で、理解や改善の姿勢が見られない」「他編集者への個人攻撃を行う」など、コミュニティを消耗させる行動が見受けられます。私自身も「浄土真宗親鸞会ノート / 履歴 / ログ / リンク元」の記事編集において不適切な差し戻しを行い、被依頼者と共に一ヶ月の部分投稿ブロックを受けています。また、論争解決の正しい手順を踏まず保護依頼を出すなど、誤った対応をしたことでコメント依頼を提出されています。この経験から、より適切な編集と対話の重要性を痛感しています。

被依頼者との議論では、実際の編集行動とガイドラインを引用したノートの主張との間に乖離が見られ、建設的な対話や合意形成が困難だと感じています。「連続投稿」や「他編集者への批判的発言」、「細部の信頼性を問うて全体を否定する」などの行動も、建設的な議論を妨げる要因となっていると感じます。被依頼者の編集目的が、百科事典編纂とは異なる可能性があり、改善の見込みは低いと考えられます。さらなる議論の継続は、有益な結果をもたらさない可能性が高く、Wikipediaでの編集活動を控えていただくことが適切かもしれません。以上の理由から、被依頼者のWikipedia編集活動について、皆様のご意見を伺いたいと思います。適切な対応を検討するため、ご助言いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--KQuhen会話2024年9月6日 (金) 02:17 (UTC)[返信]

: 利用者:リズム音会話 / 投稿記録 / 記録 の2024年9月6日と7日と10日の返答は、以下の点に対する理解が示されていません。

  1. Wikipediaの基本原則への理解不足」:「無出典の加筆」「出典にない記述の追加」「独自研究の追加」「出典の削除」「出典付き記述の削除」「出典の不適切な移動」「二次資料を削除し、一次資料に変更」「信頼性の低い出典の使用」等(参照参照)。
  2. 大規模な情報削除」:リズム音氏は、複数の信頼できる情報源付き記述を削除しています(差分01差分02)。一方、依頼者が行ったのは、上記(1)のような編集の差し戻しです(差分)。具体的な内容は、箇条書き等で示しています(ノート:浄土真宗親鸞会#20240822_問題点箇条書きノート:高森顕徹#本人非公開情報の記載を参照)。
  3. ルールの恣意的解釈」:Wikipediaの一般的なガイドラインとは異なる解釈を行っています。例えば、
    「複数の出典を付けることを『悪意』と非難し(差分01差分02)、一番良い根拠をもってきて、他の根拠は持ってこないほうが、読みやすいよね?(差分))と主張(参照01参照02)」、「本人や親鸞会の公式Webサイト以外の情報をプライバシーの侵害として削除(参照)」、「『証拠価値』(差分01差分02)」という独自の判断に基づき、複数の二次資料を削除し、二次資料を一次情報に変更」、「『裁判でしか事実認定できない』ので「評価」にいれるべきと主張(差分)」。
  4. 目的外利用」:リズム音氏と類似の編集傾向を持つ、親鸞会関連の記事を主に編集する複数のアカウントがありますが、これらのアカウントは、一次資料の優先的使用、出典の独自解釈、特定情報の削除などが指摘されています(参照参照参照参照)。
  5. 他編集者への不適切な言動」:「『荒らし』発言(参照)」、「謝罪の要求(差分)」、「会話ページの転載(差分)」、「法的リスクを示唆する発言(差分)」、「脅迫とも取れる発言(「他人の権利を侵害…然るべき方法で抗議します(差分)」など)」を行っています。オーマイニュースにメールを送ったという行為についても違和感を覚えました(差分)。
リズム音氏には、Wikipediaの基本原則「Wikipediaの検証可能性」「信頼できる情報源」「一次資料と二次資料」「独自研究は載せない」等の原則を理解していただきたいと思います。また、他編集者との建設的な対話を心がけていただけると幸いです。これらの点についてご理解を示していただけますでしょうか。--KQuhen会話2024年9月14日 (土) 05:11 (UTC)[返信]
利用者:リズム音会話 / 投稿記録 / 記録 の2024年9月22日までの主張と、それに対する私の見解を以下に示します:
  • 一次資料について「置き換えてはいません」と主張していますが、:置き換えています(参照01参照02)。2024/9/22時点でも高森顕徹のノートにおいて、公式Webサイト(一次資料)のみを出典として使用することについて、個別のノートページでの合意形成によって決定できると主張しています(差分01差分02)。
  • 出典の削除について「出典が適切なものは、削除をしていません」と主張していますが、:「出典が適切」かどうかをリズム音氏自身が判断し、「必要ない」と判断した情報を削除しています(参照差分01差分02)。高森顕徹のノートで、リズム音氏は削除の理由を、「つまり私が判断しているのは、とくに必要のない情報だと判断したからです」と説明しています(参照)。
  • 反論せずに、毎回おかしいおかしい、しか言わない」:問題点は、ノートの議論に箇条書き等で詳細に説明しています(参照01参照02)。
  • ノートページでの会話が噛み合わない」:会話が噛み合わない主な理由として、リズム音氏の独自のルール解釈に基づく主張があります。例:「ノートページの合意でWikipediaの方針を超えた決定が可能(差分01差分02)」「裁判例がなければ個人の評価(差分01差分02)」「証拠価値で判断(参照)」。
返信 (田村悠さん、Shohei KIMURAさん宛) ご意見をいただき、ありがとうございます。
  • 新宗教について:「新宗教」と断定的に書くのは誤りでした。『新宗教事典(井上順孝:編)』には、「新宗教が何を指すかには議論がある」「既成宗教の再生運動という性格をもつものなど、境界領域的なものも一応含める方針にした」と書かれていました。
  • 複数の出典をつけることについて:田村悠さんの指摘されたWikipedia:脚注過剰については気づきました。2024年7月18日に議題に上がった際は、5-6個付いている箇所がありましたが、2024年7月18日(特別:差分/101145175)と8月14日(特別:差分/101473660)の編集で減らしています。複数の出典をつける意図は、Shohei KIMURAさんが指摘されたように、信頼性を高めるためです。出典は、記述に基づき必要な箇所に付けていますが、次回の編集で過剰な使用がないか見直します。
  • 利用者:リズム音会話 / 投稿記録 / 記録氏との議論では、ノートページ等の一見正当な主張と、実際のWikipediaの基本方針を無視した編集行為の間に乖離が見られ、建設的な対話や合意形成を進めることが困難な状況です。「信頼できる情報源(研究者や宗教家の著書や論文など)を出典とした記述であっても、自己の判断で削除参照01参照02差分)」「出典にない記述の追加」「出典の不適切な移動」「二次資料を削除し、一次資料に変更」「信頼性の低い出典の使用」などを行っています(参照参照)。また、指摘に対して強い批判を返すという行動パターンが続いています。--KQuhen会話2024年9月26日 (木) 00:47 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント

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まず依頼者のKQuhenさんは、私からノートに多数の質問をしているにもかかわらずあまり答えません。 毎回似たような意見を繰り返され、あげくのはてに、「コメント依頼」まで出してきました。 ここで真っ当な議論になるのか、甚だ疑問ですが、時間を使ってお答えします。

まず依頼者のコメント内容に返答していきます。

>KQuhenさん自身

この方は、表現をいつも誇張します。事実と評価をごちゃごちゃにして、会話が成り立たない状態です。 KQuhenさんから、質問をしてきたので質問を返しているにもかかわらず、返答なく次の話題にいったり、また同じ質問を繰り返しています。 適当に規定をはりつけるだけで、どこの規定のどの部分が悪いのか、全くわからないまま、批判を繰り返します。 また後述しますが、私に対して、事実じゃないのに、まるで事実かのようにコメントしてきます。事実をもとにコメントしてください。思い込みが強すぎます。 誹謗中傷レベルです。KQuhenさんの個人ノートをみていただければわかりますが、同じようなことを他でも繰り返されています。 つまり私だけが被害者じゃないということです。

具体的にこのコメント依頼もおかしい点について触れていきます。

>Wikipediaの基本方針に沿わない傾向が見られます。

そもそもその都度、どこがおかしいのか個別に議論すべきですが、-KQuhenさんは常に全部を差し戻します。Wikipediaの基本方針に沿わない傾向であればその都度修正していますが、KQuhenさんが勝手な判断で方針に沿わないと繰り返し、具体的な議論を前に進めようとしません。 全部を差し戻すので、どこがだめだったのかもわかりません。 KQuhenさんの常にすべての内容を差し戻すという編集姿勢が悪いです。

>「自分は正しいとの態度で、理解や改善の姿勢が見られない」「他編集者への個人攻撃を行う」など、コミュニティを消耗させる行動が見受けられます

まったくのKQuhenさんの主観で、どこがどう攻撃的なのか、わかりません。 私に対し理解や改善の姿勢がみられない、というわりには、私の質問に返信がありません。こちらは何度も理解しようと質問していますが、KQuhenさんはぐらかしているのか、質問を理解しようとされていません。 コミュニティを消耗といっていますが、二人としか、やり取りをしていません。ものごとをすぐに大きく表現・誇張して、人を悪者扱いにします。悪意しか感じません。 KQuhenさんは私個人を排除しようとして、私の編集をすべて否定し、どれ一つ、受け容れたものはありません。 ①とにかく、具体的に、何が悪いのか、指摘してください。そして、②質問に返信してください。 KQuhenさんのコメントはふわっとしているところが多すぎて、理解できませんし、

>論争解決の正しい手順を踏まず保護依頼を出すなど、誤った対応をしたこと

これ私は関係ないですよね?

どういうことですか?

私は、正しい手順を踏まず保護依頼を出すなんてしていません

私は、ず保護依頼を出していません

理解してください。

間違いですか?誤解ですか?誤解なら謝ってください。

保護依頼出した証拠なんてないでしょう。

KQuhenさん、申し訳ございません。上記につきまして、私の読み間違いでした。 KQuhenさんご自身のことを言われていたのですね。 大変失礼いたしました。

>編集行動とガイドラインを引用したノートの主張との間に乖離が見られ

どこか具体的に指摘してください。(何回も言っています。)

KQuhenさんの思い込みでは?

私からしたら、KQuhenさんのほうが、おかしいですよ。

私からは具体的に指摘していますので、返信を首を長くしてお待ちしております。

>「連続投稿」

どういうことですか?

KQuhenさんが意味のわからない意見をあげるので、沢山質問することがあるから、質問しているだけでしょう?

KQuhenさん、申し訳ございません。上記については、私の読み間違いでした。 連続投稿にならないよう、プレビュー機能を用いて修正いたします。 大変失礼いたしました。

>被依頼者の編集目的が、百科事典編纂とは異なる可能性があり、改善の見込みは低いと考えられます。

そのままそっくりお返しします。

KQuhenさんの編集は、悪意しか感じられません。

どこが悪意かも、質問しているので、返信してくださいませ。

>「荒らし」発言:議論の問題点を指摘したフューチャーさんに対し

荒らしと言ったのは、謝罪しました。わたしの間違えでした。

フューチャーさんが「荒らしと同じ考え」というのは、訂正しません。

なぜ私がフューチャーさんにそういったのか、理由を理解できていますか?

やり取りを読んでください。

KQuhenさんは理解できないと思うので、私たちとのやり取りに首を突っ込まないでください。

突っ込むならしっかり理解してください。

>さらに、このルールについて相手に謝罪を強要するなど、

KQuhenさん、また読み間違ってるじゃないですか。

ちゃんと、返信内容を読んでください

①フューチャーさんが

②証拠価値という言葉を「勝手にリズム音が作った変な言葉」と言ったところ

③リズム音が勝手に作った言葉ではなかった

となったからです。

フューチャーさんが、私を先に煽ったあげく、間違ったのです。

わかりますか?

毎回、言っていますが、コメントをちゃんと読んでください。いつもめちゃくちゃ間違っています。それともわざと悪意に解釈して、ここで意見を求めているんですか?

別にルールに基づいて謝罪を求めたのではないでしょう...

こういうちゃんと読まずに、意見をもとめてくることコミュニティを疲弊させているっていうんじゃにでしょうか?

>依頼者の編集に対して、建設的とは言えない批判を繰り返しています。

何回も言っていますが、KQuhenさんみたいに根拠をダラダラとつけまくるWikipediaのページを見たことありますか?

悪意しか感じません。

これも返信ないですが、なぜだれもしないような編集をやるんですか。信頼性をあげるためではなく、アンチのコメントを表示させたい、というだけじゃないですか?

>Wikipediaの基本原則への理解不足

指摘に対しては、全部に理由をつけて返信しています。

KQuhenさんが私の返信内容を読んでないだけでしょう。

まずは、読んで、理解して、返信して下さい。

>単一の出典のみを使用するよう発言するなど

単一なんて言っていないでしょう。

他の編集と同じような書き方をすべきだと言っているんです。

毎回同じことを言わせないでください。

>大規模な情報削除

自分もやるくせに、人には言うんですか?

どういうこと?

そもそも、今は表示できないような根拠ばかりでしたよね?

削除して問題はありません。

>事実認定がされていないので「評価」に入れるべきと主張

常識の話しをしているんです。

Wikipediaに書かれていなかったら、何をしても良いんですか?

KQuhenさんがわかりやすいように、書かないから、私が分かりやすいように、見出しをつけて、内容をまとめて書き直しました。

評価にいれるべきだという主張です

それに対して反論したらいいじゃないですか。

反論せずに、毎回おかしいおかしい、しか言わないのはなぜですか。

私の方が正しいからじゃないでしょうか。

>出典の価値を独自に判断し、取捨選択することを主張

ふつう、研究論文とかの出典記入ではそうしますよ。根拠を羅列するようなことはしません。

常識です。

4個も5個も出典を羅列させる、KQuhenさんの非常識さが目立ちます。

様々な文章に、同じ根拠を複数回繰り返し使用し、異常な数の出典の羅列をしています。出典の必要性が疑われるだけでなく、攻撃的な出典の掲載です。

他のWikipediaページと親鸞会のページを比較してもらえれば、異常な雰囲気のページになっていることが容易にわかります。

本当に必要な出典なら、5個でも6個でも記載していいと思いますが、KQuhenさん(依頼者)の記載は、悪意と攻撃性が見受けられます。

>被依頼者の投稿を制限しても、同様の編集が継続する可能性があると考えられます。

まったく証拠も事実もない、KQuhenさんの思い込みです

KQuhenさんみたいな修正する人のほうが、過去に多いですが、全部、KQuhenさんの多重アカウントですか?

よく事実も証拠もないのに、そのようなことを他人に言えますね。

毎回言っていますが、思い込みが激しいです

>「高森顕徹および「三願転入」「宿善」など親鸞会に関連する項目に集中しています

自分の得意分野を修正して、またはWikipediaページを作って、何が悪いのでしょうか?

私が何を修正しようと、関係がありますか。

私の表現の自由や、Wikipediaの編集を不当に制限しようとする指摘です。

後ほど、然るべき方法で抗議します。

KQuhenさんは簡単に他人の権利を侵害していることを、自覚されたほうがいいです。

コメント

皆様、どう思われますでしょうか。

このような状況で、KQuhenさんは私をブロックしたがっています。

お忙しいところ恐縮ですが、ご意見をいただけますと幸いです。

--リズム音以上のコメントは、リズム音会話投稿記録)さんが[2024-09-06 07:03‎ (UTC)、2024-09-06 07:06‎ (UTC)、2024-09-06 07:07‎ (UTC)、2024-09-07 03:17‎ (UTC)、2024-09-10 15:22‎‎ (UTC)、2024-09-10 15:24 (UTC)]に投稿したものです。

利用者:KQuhen会話 / 投稿記録 / 記録 の2024年9月27日の返答について以下の意見を申し上げます。

@KQuhen建設的な会話はいつでも行ないますよ。その前に、私からの質問に返信をお願いいたします。どうしたら返信していただけるのでしょうか?会話を止めているのはKQuhenさんです。返信をよろしくお願いいたします。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 01:50 (UTC)[返信]
@KQuhen 何回もご指摘させていただいておりますが、「多重アカウントの懸念」については、完全な言いがかりです。何の根拠もありません。懸念だけで批判するのは、誹謗中傷です。お辞めください。何回もご指摘させていただいておりますが、KQuhenさんは思い込みが強すぎます。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 02:17 (UTC)[返信]
利用者‐会話:KQuhen#」にもコメントを書いておりますのでご対応のほどよろしくお願いいたします。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 08:43 (UTC)[返信]
@KQuhen このコメント依頼の書き方について、ご相談ですが、私の意見に反論がある場合は、「これまでの経緯」を書き換えるのではなくコメントに返信していただけないでしょうか?私が気づきません。また「これまでの経緯」について、内容を書き換えていますが、以前の内容は斜線などで残すべきではないでしょうか?私の反論の意味がわからなくなります。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 02:22 (UTC)[返信]
@KQuhen一次資料の重視」は間違いです。私は、本人非公開情報の話をしています。一次資料を重視、と言っていません。現に、ほとんど二次情報も根拠にしています。議論のすり替えです。訂正してください。反論があるなら、高森顕徹ページで返信してください。議論の途中で、このような場所に書かれるのは心外です。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 02:36 (UTC)[返信]
@KQuhen改めてご指摘しますが、の創始者「高森顕徹(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)」、および「三願転入(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)」「宿善(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)」など親鸞会に関連する項目に集中しています、の何が問題なのでしょうか。コメント依頼に書く意味は、編集内容の中立性への懸念と言いたいのだと思うのですが、「得意分野の記事を書いてはいけない」という私への批判だと受け止めます。これは表現の自由という私の権利にも反しますし、私の編集内容が中立かどうかは別問題です。読者に間違ったイメージを与えようという悪意が感じられます。中傷誹謗にあたると思いますが、いかがでしょうか?--リズム音会話2024年10月3日 (木) 02:44 (UTC)[返信]
@KQuhen  「ルールの独自解釈も違いますし、当該箇所で議論の途中だと思います。然るべき場所で私からの質問に返信してください。独自解釈の話をしているのではなくて、「常識ではこうですよね」という一般ルールの話をしています。KQuhenさんは、私が指摘する「一般ルールが違う」のか、「一般ルールを当てはめるべきではないのか」の反論をすべきところを、KQuhenさんは私が「ルールの独自解釈」をしていると誤解しています。この点は、当該ノートで何回もご指摘いたしております。論点のすり替えになっている、というか、KQuhenさんの誤解です。私からの質問を読んでいただき、ご返信いただけますと幸いです。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 02:51 (UTC)[返信]
@KQuhen 「証拠価値」については、独自ルールではなく、意図がわかりやすくなると思い単語を使用しました。Shohei KIMURAさんには意図を汲み取ってもらえたようですが、「根拠を選ぶべき基準」を提案した際に証拠価値に基づくべきと、言いましたが、わかりにくいとのことでした。証拠価値は裁判上で使われる概念ですが、事実への根拠を検討する際に、会話の中でも使いやすいキーワードかと思っていました。証拠価値については、わかりにくくなり申し訳ありませんでした。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 02:56 (UTC)[返信]
@KQuhen 別ページで議論が途中の話題がたくさんある中で、コメント依頼を提出されています。並行して当該ページで議論を深めようとしない姿勢はいかがなものでしょうか?返信がないために、KQuhenさんの主張の誤解や間違いを、該当ページで訂正されませんし、訂正されないまま、再度このコメント依頼でも議論し、該当ページでも同じ内容を議論するという、二重議論となっております。これこそコミュニティを疲弊させる状況ではないでしょうか。冷静で、話が分かる方と思いますので、該当ページの議論が終わるまで、質問への返信を引き続きお願いいたします。わざと返信をせずに、議論を有耶無耶にしようとされているという懸念があります。返信内容も、端的にわかりやすくしていただけますようご協力お願いいたします。私のどの内容に返信しているのか、明確にしていただけますと幸いです。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 08:20 (UTC)[返信]
@KQuhen 私が大量に根拠を削除しているといわれますが、根拠がWikipediaの方針に反しているからだと、何回も説明しています。先ほど別ページに意見をあげられていましたが、何回も同じ指摘するのをお辞めください。私の回答に反論してから、つぎの意見をお上げください。
@KQuhen 先に私が質問していると思うのですが、なぜ毎回私の質問に答えずに、私に対する批判を別のノートにあげているのでしょうか。そして、別途同じような記載を何度も繰り返すのでしょうか?
@KQuhen このページで「悪意のない必要な出典であれば過剰でも問題ない」と私が指摘しているとKQuhenさんは言われますが、このページのどこにそう書いていますか?勝手な解釈です。KQuhenさんは思い込みが強すぎます。ご注意ください。


--リズム音会話2024年10月3日 (木) 08:20 (UTC)[返信]

第三者のコメント

[編集]
コメント 口をはさむ事が困難なので、見て単純に気づいた事。思想の絡まない事実のみを。被依頼者さんに倣って太字編集の形とします。ただ、被依頼者さんの編集は反論したいの発言の1つ1つを全て「見出し」として編集しているため、大量に見出しが作られてしまい目次が使いづらくなってしまっています。
>>論争解決の正しい手順を踏まず保護依頼を出すなど、誤った対応をしたこと
>これ私は関係ないですよね?
おっしゃる通り、被依頼者さんに関係ありません。依頼者さん自身が「私自身も~保護依頼を出すなど」と自身にも問題があるとして発言したものですね。ですので「間違いですか?誤解ですか?誤解なら謝ってください。」とされていますが、間違い、勘違いしているのは依頼者さんではなく被依頼者さんではないかと思います。
>>「連続投稿」
>どういうことですか?
>KQuhenさんが意味のわからない意見をあげるので、沢山質問することがあるから、質問しているだけでしょう?
依頼者さんはノートだけではなく、指摘としては「2024年8月22日から24時間以内に「浄土真宗親鸞会」の記事」「2024年9月5日から24時間以内に「宿善‎」の編集」とあるので、この間隔の投稿を問題視すべきかどうかはともかくとして、2024年8月22日の浄土真宗親鸞会の編集履歴2024年9月6日の宿善編集履歴についての話をしているはずです。前述の通り、この連続投稿が問題になるかどうかと、前半で指摘されているノートでの行為については私からは何も言う事は無いです。
上記2点、ささいな勘違いではあるのですが、ロクに依頼者の文章を読んでいないという事になります。依頼者さんに何度か「読んでない」と太字で発言しているだけに、これらの受け答えは被依頼者さんにとってかなり不利な材料となります。もう少し冷静になった方がよいのではないでしょうか。また、依頼者さんの行動に問題があると指摘するのであれば、依頼者さんのようにその箇所のリンクの提示が無いと第3者にはその指摘が正しいかどうか判断出来かねます。--田村悠会話2024年9月7日 (土) 16:52 (UTC)[返信]
上記2点は、私の読み間違いでした。
失礼いたしました。
ご指摘ありがとうございました。
もしわかりましたら教えていただきたいのですが、この場合、どのように訂正したらいいのでしょうか?
そのままでよければそのままにしておきます。--リズム音会話2024年9月7日 (土) 21:16 (UTC)[返信]
返信遅れてすみません。どうするかはリズム音さんの自由だと思います。ただ、発言間違いを申し訳なく思うのなら打ち消し線を入れて、その分の発言についてはKQuhenさんへ謝罪の言葉をいれる、それだけでも最低でも今回のこのコメント依頼での応答分については印象は違うと思います。(このような感情的になりやすい場であれば特に)ミスは誰にでもあるので、そのミスを認めるならそれを責める人はまずいないかと思います。
ただし、あくまでも私のこの発言はこのコメント依頼についてのみで、それ以前のコメント依頼に至るまでの中でのお二人のやりとりについてどのような感想を他の方がもたれるかは私にはわかりません。--田村悠会話2024年9月10日 (火) 15:10 (UTC)[返信]
田村様
とんでもございません。
お忙しい中丁寧にご返信いただき、ありがとうございます。
対応いたします。
この度は、ありがとうございました。--リズム音会話2024年9月10日 (火) 15:15 (UTC)[返信]
  • コメント 全ての主張をざっくりと読んだ上で少し気になったところを指摘します。
    • 「証拠価値」という独自の基準を設け、これを基にJAWP上で編集活動を行うことは、他の編集者との意見の食い違いを招きやすいと考えます。JAWPには「証拠価値」という概念はありません。WP:RSを読めば分かることです。ただし、「証拠価値」という概念がJAWP以外の分野で使用されているという主張をなさるのは自由です。しかし、JAWPでは証拠価値よりも「信頼できる情報源か」「他の編集者が検証可能か」が重視されます。これらは一見すると「証拠価値」と同じことを言っているように見えるかもしれませんが(例え同じものであったとしても)、JAWPでは混乱を避けるため、「証拠価値」という言葉は使用しない方がよいでしょう。したがって、被依頼者はこの言動を見直すべきです。
    • 「論文などでは〜」と被依頼者は述べていますが、論文などの叙述形式を引き合いに出すことはJAWP上では適切ではないと考えます。なぜなら、JAWPは百科事典であり、論文ではないからです。論文を書こうとするのならば、JAWPはふさわしい媒体ではありません。同じ理由により、同じ文章に対して出典を複数提示することは記事の信頼性向上に寄与する、とても重要なことです。単一の情報源しかない記事よりも、複数の情報源が示されている記事の方が、読者は安心して記事を信頼することができます。また、文章が著作権侵害を行っていないことを示すという意味合いでも、複数の出典を明示することは重要です。例え読みにくくなったとしても、出典はできる限り複数示されるべきです(私の知っている限りこのようなガイドラインは存在しませんが、JAWPの全体的な方針に従えばこのような解釈になると考えます)。したがって、被依頼者は複数の出典が示されているものを無用に削除する行為を改めるべきです。
    • 依頼者は被依頼者が出典を一次資料に置き換えていると主張なさっていますが、JAWPでは、ざっくり言えば基本的に二次資料が推奨されます(WP:PSTS)。特に宗教や歴史といった、個人によって主観や意見が異なるものとなりやすい一次資料の使用には、それらに関する特別な知識を持った人物が書いた書籍などの二次資料が必要となります。したがって、被依頼者はこの点に関して行動を見直すべきです。
指摘は以上です。被依頼者には指摘を真摯に受け止め、行動に反映することが望まれます。--Shohei KIMURA会話2024年9月22日 (日) 08:59 (UTC)[返信]
@Shohei KIMURAお忙しい中、コメントいただきありがとうございます。
  • 証拠価値は分かりやすいと思いましたが、一般的にわかりにくいということでありますので、控えたいと思います。
  • 私はそうとは考えません。「出典はできる限り複数表示」ではなく「必要な出典を表示する」のみで問題ありません。現に他のWikipedia記事では、2つくらいのまでした出典を表示されていません。ガイドラインながければ、これが一般的な、Wikipedia編集者の考え方だと思います。出典の多さが信頼性向上になるならば、他のページでも4つでも5つでもしているはずですが、誰もしていません。依頼者は、一般の編集者と異なる行動(2以上の複数出典表示)を取り続けています。信頼性向上とは関係ない別の意図があると考えられます。
  • 「被依頼者は複数の出典が示されているものを無用に削除する行為を改めるべきです。」は間違いです。出典がないものは削除しましたが、出典が適切なものは、削除をしていません。私が調べて間違っていたものは削除しました。
  • 「依頼者は被依頼者が出典を一次資料に置き換えていると主張なさっています」これは依頼者が間違っています。基本的にほとんどが二次資料を出典にしています。履歴をみていただいたらわかりますが、依頼者が誤解しているだけです。追記はしていますが、置き換えてはいません。
以上、証拠価値のみ、受け止めたいと思います。--リズム音会話2024年9月22日 (日) 13:18 (UTC)[返信]
ガイドラインがないものについて議論することは草の根を分けるようなことなので少々厄介ですが、一つの記述に対する出典の数は、信頼性の観点から多いに越したことはないと考えております。恐らく、出典の数に制限を設けるようなガイドラインが存在しないのはこの辺りが考慮されてのことではないでしょうか。現に、私が新規立項した記事、特に最近の10本くらいでは、一つの文章につき最大四つの書籍を出典として明示するようにしており、それに満たない(見つからない)場合に三つ、二つとしています。このような観点から、もし仮に既に出典として四つなど多くのものが用意されているのならば、それを削除することに特段の必要性を見出すことはできないと考えます。確かに、出典の数が多いと可読性は低下しますが、それは技術上仕方のないことでしょう。論文とは違うのですから、特定の一つから引用、とする必要性はないわけです。このコメントから私の作成した記事に飛び火するのはご勘弁願いたいのですが、また別の理由として「この書籍では正確に言及されているがこの部分が足りない、なので別の書籍も出典としておこう」という意図も執筆者側にはある場合があります(私がそうです)。この場合、ただ単に「出典が多いから」と削除されると、執筆者の意図に反して必要な情報源が失われる結果を招きます。文章内のどこに出典を配置するかにもよりますが、私のように書籍を主要な出典として使用するような執筆者は、書籍全体をかいつまんで出典とすることがあるため、文章の特定の部分に配置する、ということがままならない(それは非常に手間がかかる、そして出典表示が非常に多くなる)場合があります。このように、出典の配置には執筆者の意図があります。もし出典が多く、それを削除しようとするのならば、まず執筆者にそれが適当であるかを確認することをおすすめします。--Shohei KIMURA会話2024年9月22日 (日) 14:01 (UTC)[返信]
@Shohei KIMURAご返信ありがとうございます。もちろん絶対に4つ、5つの出典が駄目だと言っているわけではありません。必要な出典であれば、それだけ掲載してもいいかと思います。しかし執筆者(依頼者)が、信頼性を担保するために出典を掲載したのではなく、攻撃的な意図で出典の羅列をしていると読み取れるため、問題にしております。たぶんですがShohei KIMURAさんの執筆した記事と、依頼者が編集している記事では、全く雰囲気が異なります。ただただ同じ出典を様々な文章に繰り返し貼り付けています。Wikipediaの規則にないからといって、同じ根拠を複数回使用し異常に出典を羅列するのは、不要な出典の羅列であり、攻撃的な意図が読み取れます。Wikipediaの方針に根本的に反していると思います。「単純に出典が多いから」削除すべきと言っているわけではないことを知っていただければと思います。「攻撃的かどうか」という判断については、別の議論かと思いますので、この辺で、コメントを終わらせていただければと思います。必要な出典の羅列であれば、4個でも5個でも6個でもちろん賛成です。よろしくお願いいたします。--リズム音会話2024年9月22日 (日) 14:18 (UTC)[返信]
リズム音さんの受け答えからして、話せば分かる方という印象を持っております。この件での依頼者とは、出典の削除に関してそれが適切であるか事前に相談されましたか? されていれば、そもそもコメント依頼などという大事にはなっていないと思います。気になる記事があるならば、そして行おうとする編集が他の編集者の目にとまりそうならば、事前に当該記事のノートページで 提案 を行うことをおすすめします。執筆者は大抵は(たぶん)自分の書いた記事はウォッチリストに入れていると思うので、ノートページが更新されれば気付きます。いきなり利用者ページで会話を持ちかけるのも驚かれたりしますので、ノートページの利用から始めることをおすすめします。--Shohei KIMURA会話2024年9月22日 (日) 14:32 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。Shohei KIMURAさんのコメントに重ねてお礼申し上げます。今後はご助言のとおりに対応いたします。Wikipediaを始めたばかりだったこともあり、最初は事前に相談ができておりませんでしたが、後からはノートページで適宜相談するように心がけておりました。しかし今回の依頼者とは、始めからノートページでの会話が噛み合わない状況が続いております。今回のコメント依頼につきましても、依頼者は私の質問の多くに答えておらず、議論を深めようとせず、私に負担をかけるために一方的にコメント依頼が提出されたと認識しております。これは私の方の意見(主観)ですので、依頼者がどのように思っているかわかりませんが、個人的には、コメント依頼してもいいですが、依頼者は、私からの質問に全部答えてほしいと、切に願っております。お忙しい中、ありがとうございます。--リズム音会話2024年9月22日 (日) 15:29 (UTC)[返信]
問題になっている争点を第三者視点で指摘したいと思います。まずノート:浄土真宗親鸞会#出典にあることを全部記載した結果ですが、全て読みました。結論から申しますと、リズム音さんは個人攻撃とみなされても文句を言えない発言を多数行っています。これは、謝罪を要求されて当然の言動、という意味です。JAWPは他のSNSや掲示板のようなプラットフォームとは異なり、有り体に言えば、より「大人な」対応が求められます。これは建設的な議論を行う上で欠かせない要素です。これを欠いてしまうと、進む議論も進まなくなります。なぜなら、発言した側も、された側も、タイピングに感情が乗ってしまうからです。JAWPを建設的に成長させる上で、これは必ず排除されなければならない問題です。議論を進めようとする前に、不適切と指摘された発言については真摯に受け止め、謝罪してください。議論はその後です。なお、リズム音さんはフューチャーさんに「荒らし」呼ばわりした際の謝罪要求に対し「謝罪した」との発言が記録に残っていますが、謝罪と読める箇所は見当たりません(会話ページで謝罪していたのならば、私の見落としです。申し訳ありません。しかし、ノートページで謝罪要求がなされている場合、当該ページで謝罪を行うのが筋というものでしょう)。したがって、まずはいさかいの根本原因である問題発言に関して、当該ノートページか、あるいは関係者全員の会話ページで個別に謝罪を行うべきです。これは、「誰に対して発言したか」に関係なく、議論に参加していた発言者全員に対して、自らの不適切な態度により不快な思いをさせたことを詫びることが望まれます(名指しされたわけでなくとも、少なくとも議論の参加者は発言を読んでいます。これにより、不快な思いをさせていることを認識するべきです)。それが大人の対応というものです。謝罪が適切に行われたと確認が取れましたら、この場で次の指摘を行いたいと思います。--Shohei KIMURA会話2024年9月22日 (日) 16:46 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。改めたいと思います。--リズム音会話2024年9月22日 (日) 17:02 (UTC)[返信]
この点に関しては、Shohei KIMURAさんの意見と私は異なりますので、ご了承ください。--リズム音会話2024年9月22日 (日) 17:11 (UTC)[返信]
行動を改め謝罪を行うのか、考え方の相違により謝罪を行わないのか、読み手が混乱する返信内容になっています(そもそもですが、ここは第三者がコメントを書く場所なので被依頼者がここで返信を行うのは適切ではない気もしますが)。まず、大前提として投稿前に自らの意見を確立してから明示的に意思表示を行うことを心がけてください。また、私は第三者なので「ご了承ください」に対して了承することはできますが、依頼者や当該ノートページで会話を行った他のユーザーから苦言を呈されている発言や行動に対して責任を取らない場合、Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者の対象であるとして投稿ブロックをされてもおかしくないことを考慮してください。この場合の投稿ブロックは期限付きのものとなるようですが、ブロック明けに再度同じような言動を繰り返す場合、無期限ブロックも視野に入ってしまうかと思います。--Shohei KIMURA会話2024年9月23日 (月) 05:04 (UTC)[返信]
Shohei KIMURAの考えが絶対に正しいということでしょうか?それは傲慢だと思います。
私は、コミュニティを消耗させる利用者の対象には当たらないと考えます。
Shohei KIMURAさんの過剰な反応です。
全体に謝罪せよ、というのもShohei KIMURAさんの勝手な解釈ですし、やりすぎです。
無期限ブロックも視野に入ってしまうから、というのは脅しですか?
言動であらためるべきところは改めますが、Shohei KIMURAさんの私に対するコメント姿勢も改めるべきです。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 01:43 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(インデント戻します) 最後のコメントから二日が経過しましたが、被依頼者からの返信がなく、私の指摘に基づき当セクションでの返信を不適切と承知し返信が行われないものと解釈し、指摘を続行します。なお、ここでは論点を絞るため、ノート:浄土真宗親鸞会#出典にあることを全部記載した結果についてのみ言及します。始めに、まずは不適切と受け取られて不思議でない被依頼者の発言を以下に列挙します(誤字脱字はあえて残します)。問題部分を太字にします。敬語と礼儀作法を用いるよう促す意図もありますので、やや指摘範囲が広いです。

  1. いいえ、あなたのお陰で、とても読みにくくなっていますよ。自覚されていませんか?
    →相手を見下していると取られる可能性あり。
  2. 個人攻撃? 何を言っているんですか?
    →望まれる表現としては「個人攻撃とはどの部分を指しておいでなのですか?」
  3. フューチャーさんは証拠価値の意味をわかっていないと思いますよ
    →望まれる表現としては「ご存知でないのかと存じます」
  4. 証拠価値です。覚えたら良いと思いますよ。
    →相手を見下していると取られる可能性あり。
  5. 私の作った言葉じゃないですよね?
    →相手を見下していると取られる可能性あり。
  6. 私が作った言葉なんて、ちょっと検索して調べればそんなこと言わなくてもよかったのに笑
    →完全に相手を見下している。
  7. あなたのせいで、Wikipediaのページが、非常に見にくくなっていますよ? 私に対しては、「とても読みやすく書きました」って返信すべきでは?
    →相手を煽っている。
  8. 言いがかり? めちゃくちゃ読みにくくなっているのは事実でしょう。あと削除しろとは言ってないですよね? 責任を持って読みやすく書き直すべきだと言っています。除去してもしなくても良いですが、書き直すべきです
    →前半は、何と言うか、もう下品です。品性がありません。JAWPにはWikipedia:礼儀を忘れないというガイドラインが存在します。礼儀正しく振る舞いましょう。そして「書き直すべき」はWP:CHOICEで述べられている「ウィキペディアはボランティアのコミュニティであり、利用者に対して、本人が望む以上の時間と労力の提供を求めません。他の利用者により多くを要求するより、むしろ百科事典自体を改善することに集中してください。いつ編集を休み、またいつウィキペディアを離れるかは利用者の自由です。」に抵触します。
  9. 要約の意味わかりますか? 特定の情報に偏ったらいけないですよね。
    →完全に相手を見下している。
  10. 重要なのは、事実であること、偏りのない情報をのせることが中立性というんじゃないでしょうか。思い込みが激しすぎませんか?
    →一言多い。礼儀に欠ける。
  11. 改行は全然いれてくださいよ! わざといれてないみたいな、一部いれてるでしょ
    →望まれる表現としては「改行に疑問をお持ちでしたら、適宜入れてくださって構わないと考えております。」
  12. というか、あなた、他でも編集姿勢に問題ありますよね?
    →望まれる表現としては「また、◯◯さんは、他の記事においても編集に対する姿勢に問題があるように見受けられます。」
  13. その姿勢はなんなんですか?
    →これだけ抜き取ると文脈が不明なので補足しますが、これは「一言余計」に該当します。
  14. なぜですか? 雰囲気で喋ってませんか?
    →厳しいようですが、あえて言及するならば、このような口語的な発言は避けた方がよいでしょう。

次に方針とガイドラインの不理解が見られる発言を以下に列挙します(誤字脱字はあえて残します)。全てが問題発言のため、太字は使用しません。

  1. 出典は多いほど信頼性、検証可能性が上がる、わけではありません。
    Wikipedia:出典を明記する#三大方針との兼ね合いを精読のこと。
  2. もう一回言いますが、フューチャーさんは、証拠価値を全く考えておらず、Wikipediaの荒らしと同じです。
    →「証拠価値」については先に言及しましたのでここでは省略します。
    Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないを精読のこと。方針とガイドラインとは別の私論とされるものですが、コミュニティの多くの支持を受ける重要な指針です。
  3. Wikipediaにおいて、一番良い根拠をもってきて、他の根拠は持ってこないほうが、読みやすいよね?
    Wikipedia:出典を明記するへの不理解が見られます。読みやすさを優先して単独の出典のみ提示することは検証可能性を低下させます。特に当該ページはカテゴリ「論争のある話題」に属していますので、複数の出典が望まれることが一般的な見解と考えられます。
  4. 他に、こんな根拠ばかり並べているWikipediaがありますか?
    →極端な話、根拠ばかり並べるのがWikipediaです。
  5. 個人ブログだからダメというのはどういうことでしょうか? 私が選んでいるのは「専門性のあるブログ」です。個人とか関係ありませんん。
    Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源を精読のこと。
  6. 新宗教団体とみなすかどうかは、賛否ありますよね? 根拠みましたか? 宗教法人は事実でしょう。わかりますか。宗教法人に変更して何も問題じゃないでしょう。何が問題なのか理由を書いてください。
    →当該団体が宗教法人として登録されている出典を示さなければ、宗教法人としての記載はできません。
  7. 自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源として受け入れられるかもしれません。
    →この引用はWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源からのものですが、引用文の前後の文章を完全に無視している、ないしは恣意的に解釈していると考えられます。
  8. なぜ、事実より、評価を優先させるんですか? 評価には恣意性が入るので、事実を記載したほうが適切じゃないですか? という話しをしています。新興宗教団体と表示させたい! と思われるのは自由ですが、賛否がありますよね? だったら、事実を記載したほうが適切じゃないですか? なぜ事実より評価が優先されるのでしょうか? 賛否があるのに、なぜ評価を事実のように断定できるんですか?
    →これは「事実」と「真実」が必ずしもイコールではないことを考慮していない発言と見受けられます。JAWPは基本的に二次資料を優先して三次資料を作成する場なので、執筆対象当事者ないしはその対象に深く関わっている個人の主観にはバイアスがかかります。このため、報道機関で報道された内容などが論争のある話題では優先されると考えます(報道機関は報道前に必ずファクトチェックを行っているため)。これには被依頼者が言うところの「評価」も含まれるため、被依頼者の主張は通らないと考えます。
  9. 一般的に、本に書かれていたら事実認定されるんでしょうか? 一般的には、裁判でしか、事実認定できないですよね?
    →出版物は個人出版を除き、立派な二次資料です。また査読を経ている学術誌や論文も、被依頼者の言うところの「事実認定」の根拠となります。さらには報道機関での報道も使用可能です。判例だけが「事実認定」の根拠とはなりません。

指摘箇所は以上です。

最後に、私は本コメント依頼に既に合計で10時間ほど費やしています。これだけの時間があれば、他の記事を改善することができたでしょう(が、私は好き好んでこちらの作業を行っています)。また、間違いを認めない利用者に対して逐一、一つ一つ指摘するという作業には相当量の労力がかかります。私は被依頼者が話せば分かる人であると予感しているため、これに時間を費やしていますが、他の利用者相手ではこうは行かないでしょう(この二日間コメントがなかったことからもそう言えるかと思います)。つまり何が言いたいのかと言うと、これが「コミュニティを消耗させる(投稿ブロック対象)」ということです。被依頼者には、これらの指摘を真摯に受け止めることが望まれます。被依頼者が適切な表明と行動を行わない場合、「各種方針の熟読期間」の投稿ブロックが妥当かと考えます。--以上の署名のないコメントは、Shohei KIMURA会話投稿記録)さんが 2024年9月24日 (火) 19:54 (UTC) に投稿したものです(ホーリーブライト会話)による付記)。署名忘れのご指摘ありがとうございます。--Shohei KIMURA会話2024年9月25日 (水) 00:06 (UTC)[返信]

このコメント依頼についてはもう黙っていようと思いましたし、被依頼者に対するコメントでもないものをここに記すべきなのかと迷いもしたのですが、事実誤認を放置しておくのも被依頼者に対して不利な情報になるかと思い指摘はいれておきます。
被依頼者の攻撃的言動は目に余りますし、問題点は依頼者と被依頼者とを比べれば被依頼者の側に多く存在するけれど、それはShohei KIMURAさんが指摘しているので敢えて私が語る必要も無いので割愛。また、過剰な太字使用や攻撃的言動を除外して単純に依頼者と被依頼者の主張だけを比べた場合、今回の浄土真宗親鸞会の件に限っていえばどちらかが一方的に正しい、間違っているという事はなく、どちらの主張もそれほどに“間違ってはいない”と思っています。個々のケースを細かく見ていえば依頼者の方が正しい場合もある。
  1. 出典数:多すぎる出典はやはり読みにくくなるため、時々議題にもあがっています。たとえばWikipedia:井戸端/subj/出典表記が過多な場合についてなど。私論ではあるのですが、Wikipedia:脚注過剰なるものもありますので、正解は無い状態です(私はこの私論には同意しませんが)。同じ事象に対してほぼ同じ事を記述した出典を複数持ってくることの是非は人によって考え方が異なるので、このケースにおいては被依頼者が間違ってると断言出来るものでもないと考えます。
  2. 宗教法人が新宗教団体か(事実と評価):ここに記述すべき点ではないと思うのですが、これもここに記述されてしまった以上は誤りは訂正すべきなので記述します。まず、単純な話として「宗教法人」である事の出典は法人番号が記述されそこからリンクも張られているので、既に提示されています。冒頭文に出典を点けるか否かは難しいところですが、あまりにも当たり前すぎる情報については冒頭ではついてないケースはいくらでもありますので。
そして、冒頭文では被依頼者が言う通り誰が見ても変わらない事実を記すべきかと思います。宗教法人というのは絶対的な事実ですが、新宗教団体というのは定義がしっかりあるわけではなく、公式サイトを見る限り当の宗教法人自身がそれを否定しており、新宗教団体と考える人もいれば、そう考えない人もいるという状態、それを冒頭で「新宗教団体である」と断定調で記載するのはウソを書いているのと変わらず中立的でもないです。
また、わずか2日返答が無かっただけで勝手な解釈を行う。勝手にコメントしておいて、10時間もかけてるなどと苦労を強調する。面倒なら関わらなければいいだけで、それを被依頼者の責任とするなど言語道断です。Shohei KIMURAさんは一体何をしたいのですか?気になり追跡したところ、このコメント依頼に応じているのも「管理者立候補」の為と明言している。自身の為にコメント依頼に顔を勝手に出しておいてこれでは、左記部分は誤認でした。Shohei KIMURAさんには謝罪申し上げます。あなたこそがコミュニティを疲弊させかねない事をしていませんか?--田村悠会話) 2024年9月25日 (水) 15:39 (UTC)--田村悠会話2024年9月26日 (木) 14:20 (UTC)[返信]
  依頼者のKQuhenです。拙いコメント依頼にご意見をいただき、ありがとうございます。論点が分かりにくく、こちらの第三者のコメント欄や田村悠さんの会話ページで議論が生じてしまったことを大変申し訳なく思います。
被依頼者の主張が全て間違っているわけではないというのはその通りです。被依頼者の問題点は、相手の編集の一部を指摘しながら、自身は出典なしで記述を追加したり、出典付きの記述を削除したりしている点にあります。田村悠さんにご指摘いただいた「新宗教」と「脚注過剰」については、20240926_依頼者のコメントに記載しました。新宗教については、断定したのは誤りと気づきましたが、これまで被依頼者から激しく非難されてきた経験から、ノートページでこの点を伝えることを躊躇してしまいました。脚注については、被依頼者のコメント依頼の主張は、悪意のない必要な出典であれば過剰でも問題ない(ノートページでは「一番良い根拠」を残すよう主張)というものです。被依頼者は「浄土真宗親鸞会#出典」のように、タイトルや章タイトルに「新宗教」「カルト」と書かれた書籍やWebサイトを出典として複数回使用することを「悪意」だと捉えています。
Shohei KIMURAさんは、コメント依頼の内容を細かく調べ、(参照)や(差分)を丁寧に確認し、被依頼者の問題点を詳しく指摘してくださいました。私もこのように、その都度ノートページに被依頼者の編集例を示し、「出典のない記述に出典を付けてください」などと促し、周りの方にもどこが問題なのか分かりやすくするべきでした。被依頼者は、ガイドラインを引用して他者の問題点を指摘する一方で、自身はWikipediaの基本方針に反する編集を行っているため、建設的な対話が難しいと感じました。しかし、私がノートページで、周りの方に問題点を明確に説明してこなかったため、一見すると「どっちもどっち」と受け取られ、賛同が得られない状況になってしまいました。
田村悠さんの私の会話ページへの投稿については、ご意見の真意が伝わりました。ありがとうございます。ただ、これは第三者のコメントに書いていただいた方が、他の方々と共有できるのではないかと思います。ご検討いただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。--KQuhen会話2024年9月27日 (金) 09:30 (UTC)[返信]

:::@KQuhen建設的な会話はいつでも行ないますよ。その前に、私からの質問に返信をお願いいたします。どうしたら返信していただけるのでしょうか?会話を止めているのはKQuhenさんです。返信をよろしくお願いいたします。--リズム音会話) 2024年10月3日 (木) 01:50 (UTC) :::@KQuhen 何回もご指摘させていただいておりますが、「多重アカウントの懸念」については、完全な言いがかりです。何の根拠もありません。懸念だけで批判するのは、誹謗中傷です。お辞めください。何回もご指摘させていただいておりますが、KQuhenさんは思い込みが強すぎます。--リズム音会話) 2024年10月3日 (木) 02:17 (UTC) :::@KQuhen このコメント依頼の書き方について、ご相談ですが、私の意見に反論がある場合は、「これまでの経緯」を書き換えるのではなくコメントに返信していただけないでしょうか?私が気づきません。また「これまでの経緯」について、内容を書き換えていますが、以前の内容は斜線などで残すべきではないでしょうか?私の反論の意味がわからなくなります。--リズム音会話) 2024年10月3日 (木) 02:22 (UTC) :::@KQuhen一次資料の重視」は間違いです。私は、本人非公開情報の話をしています。一次資料を重視、と言っていません。現に、ほとんど二次情報も根拠にしています。議論のすり替えです。訂正してください。反論があるなら、高森顕徹ページで返信してください。議論の途中で、このような場所に書かれるのは心外です。--リズム音会話) 2024年10月3日 (木) 02:36 (UTC) :::@KQuhen改めてご指摘しますが、の創始者「高森顕徹(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)」、および「三願転入(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)」「宿善(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)」など親鸞会に関連する項目に集中しています、の何が問題なのでしょうか。コメント依頼に書く意味は、編集内容の中立性への懸念と言いたいのだと思うのですが、「得意分野の記事を書いてはいけない」という私への批判だと受け止めます。これは表現の自由という私の権利にも反しますし、私の編集内容が中立かどうかは別問題です。読者に間違ったイメージを与えようという悪意が感じられます。中傷誹謗にあたると思いますが、いかがでしょうか?--リズム音会話) 2024年10月3日 (木) 02:44 (UTC) :::@KQuhen ルールの独自解釈も違いますし、当該箇所で議論の途中だと思います。然るべき場所で私からの質問に返信してください。独自解釈の話をしているのではなくて、「常識ではこうですよね」という一般ルールの話をしています。KQuhenさんは、私が指摘する「一般ルールが違う」のか「一般ルールを当てはめるべきではないのか」の反論をすべきところを、KQuhenさんは私「ルールの独自解釈」をしていると誤解しています。この点は、当該ノートで何回もご指摘いたしております。論点のすり替えになっている、というか、KQuhenさんの誤解です。私からの質問を読んでいただき、ご返信いただけますと幸いです。--リズム音会話) 2024年10月3日 (木) 02:51 (UTC) :::@KQuhen 「証拠価値」については、独自ルールではなく、意図がわかりやすくなると思い単語を使用しました。Shohei KIMURAさんには意図を汲み取ってもらえたようですが、「根拠を選ぶべき基準」を提案した際に証拠価値に基づくべきと、言いましたが、わかりにくいとのことでした。証拠価値は裁判上で使われる概念ですが、事実への根拠を検討する際に、会話の中でも使いやすいキーワードかと思っていました。証拠価値については、わかりにくくなり申し訳ありませんでした。--リズム音会話) 2024年10月3日 (木) 02:56 (UTC) :::@KQuhen 別ページで議論が途中の話題がたくさんある中で、コメント依頼を提出されています。並行して当該ページで議論を深めようとしない姿勢はいかがなものでしょうか?返信がないために、KQuhenさんの主張の誤解や間違いを、該当ページで訂正されませんし、訂正されないまま、再度このコメント依頼でも議論し、該当ページでも同じ内容を議論するという、二重議論となっております。これこそコミュニティを疲弊させる状況ではないでしょうか。冷静で、話が分かる方と思いますので、該当ページの議論が終わるまで、質問への返信を引き続きお願いいたします。わざと返信をせずに、議論を有耶無耶にしようとされているという懸念があります。返信内容も、端的にわかりやすくしていただけますようご協力お願いいたします。私のどの内容に返信しているのか、明確にしていただけますと幸いです。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 05:33 (UTC) [返信]

私が加筆したのは、「#依頼者のコメント」内の「#20240914_依頼者のコメント」と「#20240926_依頼者のコメント」です。「#これまでの経緯」には変更を加えていません。被依頼者は、「第三者のコメント」に直接返答・反論を書き込んでいますが、通常は「依頼者のコメント」および「被依頼者のコメント」でそれぞれが返答をするのが適切と思います。
また、私の会話ページに「利用者‐会話:KQuhen#「多重アカウントの懸念がある」のご指摘(根拠なき誹謗中傷について)」を書き込まれましたが、「#被依頼者のコメント」にお願いできないでしょうか。--KQuhen会話2024年10月3日 (木) 07:13 (UTC)[返信]
@KQuhenコメントの仕方について、教えていただきありがとうございます。修正いたします。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 08:09 (UTC)[返信]
@田村悠さん リズム音です。お忙しいかrコメントにつきまして感謝いたします。--リズム音会話2024年10月3日 (木) 01:47 (UTC)[返信]

まとめ

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