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Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安/過去ログ8

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洗い直し

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とりあえず、英語版から現行日本語版に対応すると思われる部分を利用者:みっち/翻訳ものに私訳として載せましたのでご確認・精査をお願いします。不十分とは思いますが、ここで私が演説するより、読んでいただくのがいちばんではないかと。

「一般の状況」の「出来事」節では、英語版には該当がない部分ですが、現行日本語版の「ニュース報道等」後段部分の代わりにノート:東北地方太平洋沖地震/過去ログ1でのジンボ・ウェールズのコメントを引用してはどうかと考えました。この部分のみはオリジナルの加筆です。

あと「単独記事を作成するかどうか」WP:NOPAGE、「これらの要件を持つ理由」WP:WHYN、「単独の一覧記事」WP:LISTNの3つの部分が未訳ですが、それぞれ長文かつ過去の翻訳済み部分を参照できないため私の力量ではかなりきつい、というのと、現行日本語版の洗い直し自体は現状でもほぼ目的を果たせており、これらの節がなくともガイドライン化には必ずしも支障にならないかもしれないとも考えました。ご意見をいただければと思います。今後文書全体をよく読んだ上で、notability の訳語としての「特筆性」の表記について、あらためて整理して提案したいと考えています。なお、WP:FAILN節でやりとりのあったリダイレクト化については、WP:NOPAGEでも触れているようです。--みっち会話2014年6月26日 (木) 14:08 (UTC)

自己レスです。利用者:みっち/翻訳ものの未訳箇所をひととおり訳し終えました。私の力ではこれが精一杯というところで、十分に意味をくみ取れていない部分もあろうかと思いますが、それでも、現行の日本語版がかなり「ずれている」ことはおわかりいただけるのではないでしょうか。まだ直訳調の域を出ておらず、よりこなれた日本語とするためにも、遠慮なく手を入れていただけるとありがたいです。
なお、前回の改名によって、文書のタイトルは「独立記事作成の目安」となりましたが、文章中では「特筆性」という用語がそのまま残っています。部分的にはこれを「目安」あるいは「基準」などに言い換えすることは可能としても、notability はこの文書の中心となる概念ですから、まったく使わずにすべて言い換えることは無理がありそうです。ガイドライン化に当たっては、notability が「特筆性」のままでいのか、という検討は避けて通れないものと考えます。この点はもう少し時間をいただいて考えてみます。--みっち会話2014年7月4日 (金) 13:28 (UTC)
再自己レスです。利用者:みっち/翻訳ものについて、Yassieさんに手を入れていただきました。おかげさまで、これまで意味がとりにくかったところが解消され、日本語としても通りのよい文章になったと思います。--みっち会話2014年7月25日 (金) 11:45 (UTC)

コメント 更なる洗い直し等に反対ですね。 JWPの運用は特に理由がないかぎり、本家のWPにできるだけ準拠したほうが良いのですが、(分かってみれば特筆性や独立記事作成の目安は、微妙だったりグレーゾーンはあるものの原則は簡単なものです。)、つまり「広告目的や手当たり次第に収録されることを避けるために、客観的にある程度世の中に認識されている(つまり当面推測でも構わないが、信頼できる二次情報源による十分に言及されるようなワード)項目を選べ。記事のみっともなさと記事の特筆性とは無関係だ。」というだけのこと。 単純なものならば 説明まで英語の翻訳至上主義に頼れば、新規参入の日本人としては余計混乱して理解できないものになるのが目に見えてます。 特にある程度忠実に訳すが、ところどころ省略していいという考えが一番いけないと思います。--Gyulfox会話2014年6月27日 (金) 05:15 (UTC)

重ねて言いますが、英文の準拠化はやめてください。 日本語版の運用の動きが英語版の運用に準拠することが大切であり、現状の日本語版の説明が十分に機能を果たしていれば、長年安定して支持されていることが一番であって、もしも日本語版の運用の動きが英語版の運用から逸脱するならば、逸脱の原因を分析した後に、極力翻訳に引きずられない自然な日本語で説明するべきでしょう。--Gyulfox会話2014年7月24日 (木) 06:17 (UTC)
確認しておきたいのですが、「JWPの運用は特に理由がないかぎり、本家のWPにできるだけ準拠したほうが良い」というのは疑念の余地のない第一原理のようなものなんでしょうか?--柒月例祭会話2014年7月24日 (木) 16:37 (UTC)
疑念のない第一原理かは言いすぎでしょう。JWPは参加人数が少ないですから、少ない合意で何でもできやすい環境になっていますので、本家のルールは関係なく好きなようにやってしまえという風潮は危険という意味です。ほぼ準拠状態である現状のまま困っていませんし、欧米人と日本人は考え方が違いますから、不用意に文書を変えたせいで解釈が偏向し、理念を台無しにする新たなリスクを負う必要はないということです。--Gyulfox会話2014年7月24日 (木) 19:27 (UTC)
ありがとうございます。もちろん「こちらはこちらで好きにしていいだろう」という考えでお尋ねしたわけではないです。おっしゃることはよくわかりました。--柒月例祭会話2014年7月24日 (木) 22:48 (UTC)
お断りします。Gyulfoxさんの「分かってみれば」以下の要約は英語版の翻訳を読んだからこそいえることで、現行の日本語版からでは読み取れないものですが。加えて「JWPの運用は特に理由がないかぎり、本家のWPにできるだけ準拠したほうが良い」としながら「英文の準拠化はやめてください」とは支離滅裂でしょう。「現状の日本語版の説明が十分に機能を果たしていれば」とか「長年安定して支持されている」とかはなにを根拠にいわれるのでしょうか。長期間にわたってガイドライン化できず、現実に削除依頼の運用で混乱も起こっているのは、ひとえに現行の日本語版が十分に機能しておらず、安定して支持されていないからです。空疎な議論はお控え下さい。また、合意なく文書の本文を加筆するのはやめてください。
読んでもらえば分かるだろうと思っていましたが、あまり分かってもらえていないようなのと、notability の訳語の問題を考えているうちに、こちらについても一体として解決していかなければ先に進めなさそうなので、以下に洗い直した結果を述べます。--みっち会話2014年7月25日 (金) 11:45 (UTC)

notability の概念

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英語版からnotability に関して定義や重要な言及がなされていると思われる部分を抜き書きしました。以下の7点になろうかと思います。これは「特筆性」の用語の問題を考える際にも重要になってくるものです。

  1. notability とは、対象となる主題について記事を立てるにふさわしいかどうかを判断するために用いられる指標(テスト)である(冒頭)。
  2. notability の概念は、「検証可能性」という基本的な規範を、「主題についての情報を無差別に収集しないこと」(WP:IINFO)に適用したものである(冒頭)。
  3. 記事や一覧記事の主題は、著名(notable)であるか、または「注目に値し」("worthy of notice")なければならない(冒頭)。 notability の判断は名声、重要性、人気(fame, importance, or popularity)などには必ずしも依存しないが、それらの要素は以下の「一般的な目安」(WP:GNG)を満たしやすいものにする(冒頭)。
  4. notability の証明には、対象から独立した、複数の信頼できる二次情報源が必要(WP:GNG)。ただし、notability が要求するのは、そのような情報源が「存在している」ことであって、それを「出典として記事に明示する」ことではない(WP:NRVE)。
  5. notability は推定(あるものと仮定)するのであって、保証はしない(WP:GNG)。
  6. notabity の目安は、記事内容には適用されない(WP:NNC)。同様に、ウィキペディアの記事内容は、notability を決定しない(「特筆性は記事の内容では決定されない」)。
  7. notability は一時的ではない(WP:NTEMP)。

現行日本語版の問題点

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上記に照らして現行日本語版を見ると、一応カバーできているといえるのは5番目と7番目くらいでしょう。あとは欠落しているもの(2)、触れてはいるが不十分だったり誤解を招く書き方になっているもの(1, 3, 4, 6)です。以下具体的に問題点を挙げます。なお、「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」(WP:FAILIN)については上ですでに議論が進んでいるので、対象から省きました。

  • ① まず冒頭文ですが、現行日本語版では「ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が必要です。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(notability)と表現します。」としています。ここでnotability を「言及するにふさわしい価値」と言い換えているのは果たして適切でしょうか。英語版で価値に触れているのは「注目に値し」("worthy of notice")の部分ですが、これを「言及するに値する」と一般化してしまったため、主題としてでなく記事中で述べることまでが「特筆性」というように読めます。この冒頭の時点で、すでに「特筆性」という用語の弊害と、一人歩きが始まっているといえます。
  • ② 冒頭文3段目からは、立項段階から出典明記による「特筆性の立証」を推奨していますが、このような記述は英語版にありません。それどころか、notability が要求するのは、適切で独立した検証可能な情報源が存在していることであって、それを出典として記事に直接示すことではないとするWP:NRVEや、notabity の基準は記事内容には適用されず(WP:NNC)、同様にウィキペディアの記事内容はnotability を決定しないとする英語版の趣旨とも整合しません。一方で、「検証可能性」をWP:NOT中のWP:IINFOに当てはめたとする記述は現行日本語版から抜け落ちています。
  • ③ また、現行日本語版の冒頭文の4段目には、特筆性のある対象でも独立記事でなく別の記事に含めて記述した方がよい場合があると述べており、これは英語版では「一般的目安」(WP:GNG)の脚注や別節(WP:NOPAGE)に対応する部分ですが、冒頭文以外には具体的な言及がない(WP:FAILNで統合について述べているが、これは特筆性がはっきりしないときの対処)ため、宙に浮いてしまっています。同時に、ここでも「対象に特筆性が見つかった場合、多くの場合ウィキペディアに記述できます」としており、項目として立てるかどうかよりも記述できるかどうかという「特筆性」の用語にありがちな誤解を招く表現が組み込まれています。
  • ④ 「一般的な目安」(WP:GNG)でも冒頭文の「価値」を引きずっていますが、なにより末尾で「出典が提示されなければ、この目安を満たさない」としていることは、この文書の趣旨を決定的に歪めています。この言葉を入れ込んだために、「この目安を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの価値がない、とも言い切れません。」は文としてまったく意味不明です。
  • ⑤ 「特筆性は客観的な証明を必要とする」(WP:NRVE)では、「少なくとも、「重要である」「名声がある」「人気がある」と言うだけでは、ウィキペディアにおける特筆性を主張するには、全く無意味です。」という冒頭文とは矛盾する記述があります。また、後段の「その分野の国家レベルで第一線の専門家が」以下の説明は、この文書の適用について議論が想定される、単独立項すべきかどうかの「境界付近」についての検討からはかけはなれて大言壮語的で、これこそほとんど無意味でしょう。
  • ⑥ 「特筆性は一時的なものではない」(WP:NTENP)では、英語版では削除依頼や記事の再作成どちらも将来的にあり得るという中立的な記述になっているのに対して、現行日本語版では親切心からだろうとは思いますが、余計なことまで書き足しているために焦点がぼけ、結果として誤解を招くおそれがあります。細かい表現への疑問はここでは省くとしても、とりわけ「ただし、記事の再掲載を求める側も、特筆性を証明する新たな証拠を提示して下さい。でなければ、まず間違いなく削除されるでしょう。」という部分は明らかに削除バイアスを生じさせる記述です。

以上、現行の日本語版は、おそらくこの文書ないしはnotability に対する理解不足や混乱、なんらかのバイアスに基づく加筆・修正が積み重なったものであり、削除依頼で「特筆性」がらみの紛糾が生じるのも当然といえる状態です。構成面も含めてこれだけの問題を抱えたものをガイドライン化のベースとするのは現実的ではなく、破棄(全面的に書き直し)すべきです。英語版を基本として出直し、適宜アレンジを加えるにしても基本から遊離しないように留意すべきでしょう。--みっち会話) 2014年7月25日 (金) 11:45 (UTC)(番号付記)--Gyulfox会話2014年7月29日 (火) 01:00 (UTC)

みっちさん、まず英語版の説明原理主義ありきから一歩はなれてください。 被験者Aさんが今の日本語文の説明を読んでから新規立項した時に、コミュニティーから特筆性に問題ありとされない程度存続(日本語版でも英語版でも存続という意味)できそうなページが作成できれば良いのであって、仮に未証明だったページでも、第三者によって特筆性を証明して下さいと言われたときに、困らずにはいどうぞと提出できるようなら、ルールはできるだけシンプルな方が良いのです。英語版はすでに雪だるまになりかかっていると思います。そんなところまで真似ることもないと思います。 もちろん本当に悪ければ修正すれば良いと思います。 以下反論です。

>*① まず冒頭文ですが、現行日本語版では「ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が必要です。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(notability)と表現します。」としています。ここでnotability を「言及するにふさわしい価値」と言い換えているのは果たして適切でしょうか。英語版で価値に触れているのは「注目に値し」("worthy of notice")の部分ですが、これを「言及するに値する」と一般化してしまったため、主題としてでなく記事中で述べることまでが「特筆性」というように読めます。この冒頭の時点で、すでに「特筆性」という用語の弊害と、一人歩きが始まっているといえます。

  • 「ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及独立記事として立項するにふさわしい価値が必要です。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(notability)と表現します。」に修正します。そして英語版の単語と比べるから混乱しそうになるのであって、文字通り特筆性がある/ないという議論の意味するところは、とどのつまり該当ページが存続するにふさわしい価値のあるなしの議論と同じ意味だからです。ここで言う「価値」は日本語で理解される価値のことであって、英語版の単語と厳密に対応させる必要性を感じません。(簡単に分かることを複雑化しない。)

>*② 冒頭文3段目からは、立項段階から出典明記による「特筆性の立証」を推奨していますが、このような記述は英語版にありません。それどころか、notability が要求するのは、適切で独立した検証可能な情報源が存在していることであって、それを出典として記事に直接示すことではないとするWP:NRVEや、notabity の基準は記事内容には適用されず(WP:NNC)、同様にウィキペディアの記事内容はnotability を決定しないとする英語版の趣旨とも整合しません。一方で、「検証可能性」をWP:NOT中のWP:IINFOに当てはめたとする記述は現行日本語版から抜け落ちています。

  • 対応していなくても、熟練者の多くが(義務でないことを表示しつつ)、立項段階から出典明記による「特筆性の立証」を賢明と考えていますので、推奨は妥当なものです。対応していないことは単なる「差」であって直ちに問題なのではありません。また、WP:NRVEやウィキペディアの記事内容は特筆性を決定しないとする英語版の趣旨とも整合しています。誤解しそうなことは何もないですよ。 むしろ書いてあることは初心者にとって親切。かかれなければ不親切です。

>*③ また、現行日本語版の冒頭文の4段目には、特筆性のある対象でも独立記事でなく別の記事に含めて記述した方がよい場合があると述べており、これは英語版では「一般的目安」(WP:GNG)の脚注や別節(WP:NOPAGE)に対応する部分ですが、冒頭文以外には具体的な言及がない(WP:FAILNで統合について述べているが、これは特筆性がはっきりしないときの対処)ため、宙に浮いてしまっています。同時に、ここでも「対象に特筆性が見つかった場合、多くの場合ウィキペディアに記述できます」としており、項目として立てるかどうかよりも記述できるかどうかという「特筆性」の用語にありがちな誤解を招く表現が組み込まれています。

  • 「一般的目安」に書かれていなければ、末尾にでも書けば良いことであって、除去すべき理由とは思えません。「対象に特筆性が見つかった場合、多くの場合ウィキペディアに記述できます」のどこが悪いのでしょうか。「対象に特筆性が見つかったと推定された場合、多くの場合ウィキペディアに記述できます」の方が良いのでしょうか。利用者がより良く理解できるためにわずかばかりの包括的説明を問題であると言い受け付けない方がより問題でしょう。

>*④ 「一般的な目安」(WP:GNG)でも冒頭文の「価値」を引きずっていますが、なにより末尾で「出典が提示されなければ、この目安を満たさない」としていることは、この文書の趣旨を決定的に歪めています。この言葉を入れ込んだために、「この目安を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの価値がない、とも言い切れません。」は文としてまったく意味不明です。

  • そもそも末尾のどこにも「出典が提示されなければ、この目安を満たさない」なんて書いていません。したがってこの目安(=一般的な目安)を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの価値がない、とも言い切れません。」は文として十分に意味が通っています。

>*⑤ 「特筆性は客観的な証明を必要とする」(WP:NRVE)では、「少なくとも、「重要である」「名声がある」「人気がある」と言うだけでは、ウィキペディアにおける特筆性を主張するには、全く無意味です。」という冒頭文とは矛盾する記述があります。また、後段の「その分野の国家レベルで第一線の専門家が」以下の説明は、この文書の適用について議論が想定される、単独立項すべきかどうかの「境界付近」についての検討からはかけはなれて大言壮語的で、これこそほとんど無意味でしょう。

  • 何の矛盾もありません。削除されそうな特筆性のなさそうな記事について、ある人が「「重要である」「名声がある」「人気がある」と声高に言っただけで誰が納得してくれますか? 大言壮語についてはそうかも知れません。 

>*⑥ 「特筆性は一時的なものではない」(WP:NTENP)では、英語版では削除依頼や記事の再作成どちらも将来的にあり得るという中立的な記述になっているのに対して、現行日本語版では親切心からだろうとは思いますが、余計なことまで書き足しているために焦点がぼけ、結果として誤解を招くおそれがあります。細かい表現への疑問はここでは省くとしても、とりわけ「ただし、記事の再掲載を求める側も、特筆性を証明する新たな証拠を提示して下さい。でなければ、まず間違いなく削除されるでしょう。」という部分は明らかに削除バイアスを生じさせる記述です。

  • 余計なことではありません。十分中立的でありこれらの方法があることを伝えることは重要です。 あなたが場所が悪いという理由で受け付けなかった文章です。誤解って何の誤解ですか?例示できますか?--Gyulfox会話) 2014年7月25日 (金) 15:17 (UTC)(番号付記)--Gyulfox会話2014年7月29日 (火) 01:00 (UTC)
    • ①定義文からして問題があるということに同意いただけたことはよかったと思いますが、「価値」にこだわる姿勢はいただけません。英語だから日本語だからということではなく、価値を強調すると価値観の問題に結びつくからまずいといっています。この文書は主題の対象自体の価値とは無縁なのですから、そのような誤解を招く用語を多用すべきではありません。定義においてはなおさらです。簡単に分かることを複雑化しようとしているのはGyulfoxさんです。
    • ②別に英語版と照らし合わさなくても、現行日本語版にも不十分ながらこの文書は「記事の内容について直接には関係しません。」ということが書かれています。一方では記事内容の方針類は別にあるからそれを読めといっておきながら、その直前で記事内容に直接関わる出典明記を推奨するのは矛盾でなくてなんでしょうか。「親切」といえば聞こえはいいですがいらぬお節介です。それともGyulfoxさんは「記事の内容について直接には関係しません。」という原則を否定するのですか? ここでも単純なことを支離滅裂にしようとしているのはGyulfoxさんです。
    • ③「末尾にでも書けば良いこと」をなぜ冒頭に書くのですか? これも支離滅裂です。私は除去しろとはいっておらず、構成面も含めて問題があるといっています。いっていないことに反論するのは議論の撹乱です。また、「特筆性」が記述できるできないの話ではないことが理解できていないのなら、あなたにここで議論する資格はありませんからお引き取り下さい。
    • ④「信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさない」とありますよ。現行日本語版は「百科事典の記事として言及するにふさわしい価値」について述べたものですから、この文章では、出典がなければ目安を満たさず(この解釈自体が誤りですが)その価値はないことになるのは当然でしょう。それが「価値がないとも言い切れない」ではこの部分にとどまらず文書全体が意味不明です。「目安」とは文書のタイトルであり断りもなしに「この目安(=一般的な目安)」とは都合よすぎでしょう。百歩譲って仮に「一般的な目安」限定だとしても、こんなあやふやな留保が付いては「一般的な目安」の用は果たせず結局のところ意味不明です。いずれにせよ、Gyulfoxさん個人には十分意味が通っているのだとしても、それは一般人の理解とはかけはなれたものです。
    • ⑤重要性、名声、人気などの要素は「特筆性」と一致はしませんが無関係でもありません。したがって「まったく無意味」という表現はあり得ません。後段の大言壮語的な表現に同意いただけたのはなによりですが、こちらも大げさなことは同じでありかつ誤りです。
    • ⑥いいえ、余計です。この節のタイトル及び趣旨は「特筆性は一時的ではない」ことであって、記事の再作成を推奨することではありません。「特筆性」が認められた主題は、ふつうの記事として記事内容に関する方針にしたがって作成されることがあり得るのであって、ここで手ほどきすることではありません。誤解というのは、このような脱線ばかりで「特筆性は一時的ではない」ことの意義が薄まり、この文書の趣旨は記事の再作成推奨であるとか、逆に削除推奨であるとか無用なバイアスを生じさせることです。現行の日本語版は、そのさじ加減を取ろうとしてか、加筆に加筆を重ねてGyulfoxさんがいうところの「雪だるま」になっています。それで、Gyulfoxさんがこの節に加筆したことの合意はどこにあるんですか?
    • 以上、上記Gyulfoxさんのコメントはほとんど反論になっていないと思いましたが、ひととおりお答えしました。ついでにレッテル貼りも返上します。私の立場はすでに述べているように、「英語版を基本として出直し、適宜アレンジを加えるにしても基本から遊離しないように留意すべき」であって、「JWPの運用は特に理由がないかぎり、本家のWPにできるだけ準拠したほうが良い」というGyulfoxさんの立場よりどちらかといえばむしろ幅広いでしょう。Gyulfoxさんのようには言行不一致でないだけです。あなたと大きく違うのは、現行日本語版に対する評価です。できが悪いものをそういったからといって「英語版の説明原理主義ありき」などとレッテル貼りをするのは、議論者の取るべき態度ではありません。よほど現行日本語版に執着がおありのようですが、改めるべきはむしろGyulfoxさんのそのような態度でしょう。--みっち会話) 2014年7月28日 (月) 13:29 (UTC)(番号付記)--Gyulfox会話2014年7月29日 (火) 01:00 (UTC)
      • (第三者にも分かりやすく番号を付けさせて頂きました)みっちさん、レッテル貼りといいますが、いま現在文句を付け始め、英語版文章に厳密に照らし執着されて、変えよう変えようとしているのは明らかにあなたの方です。またそんな一々攻撃口調的な議論態度ではこちらも相手を理解し納得しようにも納得は困難になるばかりです。
  • ①明らかな問題があるから変更提案をしたのではなく、みっちさんの指摘を聞いて、なるほど現状より、こう変更したほうが良いと感じたので提案をさせていただいたまでです。相手の意見を聞いてなるほどこの方が良いですと譲歩するたびに、はい問題があることを認めましたねなどと畳み掛ける必要はなく、むしろ無用に議論の進行を妨げるので今後はやめてください。また強調するもなにも、特筆性がある/ないと議論していることは、結局のところユーザー同士がある項目についてWP内の独立項目を立てるだけの価値がある/価値がないと言っているに過ぎないことです。簡単に分かることと言いましても日本語を基本とした初心者に簡単に分かることがよほど大切ではないですか?誤解を産むと言われてもじゃあどんなユーザーがどのように文章を誤解したのか?具体的にいくつかリンクなどで例示してもらわなければ、客観性がないので納得できようがありません。
  • ②記事の内容に直接関係せずであって、間接的にも関係できなかったらどうしようもないですね。みっちさんの論理でいけば現状ページの一番最後の節(つまり目安を満たさない記事をどうこうする)も何にも書けなくなります。記事の内容に直接関係せずと言っても、読者に対して証明されない記事がどのようなリスクを負っているのか指摘し、どうするとそのリスクが消えたり軽減するのか言及することまで禁止というわけはありません。リスクを知らないから削除依頼を出されて怒ったり焦ったりする人が多いんでしょ。案内されて納得してもらうため削除や変更の必要は感じません。
  • ③冒頭で述べられていることが、本文で明示されていないと感じるならば本文にもっと明示すれば良いという意見は自然でかつ論理的な反論です。「支離滅裂」という表現は攻撃的ですし多分に感情的なだけで何も説明になっていないので納得できないことをご理解ください。本文中にこれこれの文章を入れるべきと示されれば納得できるかもしれません。本文中にかっちりと明示されていないことを持ってダメだと言うのは本末転倒と思います。
  • ④都合良過ぎではありません。あなたが単純に「この目安」の意味を拡張して誤読しただけです。他にも大勢いるなら例示してください。なるほどそうかとなれば、「この目安」を「ここで挙げられた一般的な目安」に変えたら良いだけと思います。
  • ⑤これも(批判精神が過ぎせいと思いますが)みっちさんが誤読してしまっただけで、具体的に言えば、削除の場で「重要だ!」「名声がある!」と繰り返して叫んだだけでは聞いてもらえない状況を指しているだけのことと思います。
  • ⑥余計ではなく妥当な説明です。たとえ削除されても後から証明できそうな出典が出てきたら、再作成・復帰依頼・再分割の方法があることは明らかであり、その情報をここでユーザーに伝えないのは説明として不備というものです。何かの匙加減という批判は当たっておらず全くの誤解です。何かの匙加減だと言われた当方としては心外でもあります。--Gyulfox会話2014年7月29日 (火) 01:00 (UTC) 
    • 少なくともGyulfoxさんが加筆された再作成に関する記述に付いては、みっちさん自身が「現行の文書では「特筆性は一時的なものではない」節WP:NTEMPが該当しているようです。」「よりふさわしい箇所がほかにあるにもかかわらず、違うところでわざわざ取り上げるのは(中略)不適切です。」とおっしゃっており、その後の私の「みっちさんは再作成に関する部分をWP:FAILNに記載することに反対されているだけで、WP:NTEMPに記載することには反対されていないように思います。」という発言に対しても異論はなかったわけですから、再作成に関する記述をWP:NTEMPに記載することに関しては合意されていると考えるのが妥当でしょう。Gyulfoxさんの加筆は合意という面からは特に問題はないと思いますし、加筆内容としても自然な文脈で言及されており余計な付け足しで焦点がぼけているようには感じませんでした。
    • Gyulfoxさんが加筆された部分よりもむしろ元からある部分の方が問題で、みっちさんも指摘されている「ただし、記事の再掲載を求める側は、特筆性を証明する新たな証拠を提示して下さい。でなければ、まず間違いなく削除されるでしょう。」という部分に関しては私も削除側にバイアス生じさせる記述なように感じますし、これは除去する方向で考えていいと思います。また、みっちさんの英語版からの訳の方でも、私がその分野に詳しくないからというのもあるでしょうが「ウィキペディアは、特筆性の「遅行指数」です。 景気動向指数でいう遅行指数が経済の過去の動向を指し示すのとちょうど同じように」と経済用語で例えられてもいまいちピンと来ませんし、上の方で指摘したアップルパイ案件でもそうでしたがやはり英語版の記述は例えが悪いように思えます。この部分の方がむしろ、わかりにくい例えで焦点がぼけ結果として誤解を招く恐れがあるのではないかと感じました。現在の日本語版の記述にも英語版の記述にもいい部分と悪い部分が混在しているように思いますし、日本語版の記述を全否定、英語版の記述を全否定とやりあっていてはどうにもならないように思えます。やはりWP:FAILNで行ったように、それぞれの良い部分を組み合わせ悪い部分をカットする作業が必要かと思いますし、そのためにも頭を切り替えて是々非々で話し合う必要があるのではないかと感じました。--重陽会話2014年7月29日 (火) 11:05 (UTC)
      • 重陽さんありがとうございます。みっちさんが誤読されたことを考慮して、以下を提案します。
  • A:逆に、既にある記事においては、信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの価値がない、とも言い切れません。逆に、既に存在する記事においては、情報源を探す努力もしないうちから、信頼できる二次情報源による出典が提示されておらず、上記に挙げられた一般的な目安を満たしていないからという理由で、独立記事として収録するだけの価値がないと判断することはできません。

次にみっちさんの指摘を考慮して以下を提案します。

  • B:「ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及独立記事として立項するにふさわしい価値が必要です。
  • C:その分野の国家レベルで第一線の専門家が集まり、それ自体言及すべき価値のあるにおいて権威のある学会、大会や、あるいは専門分野のメディアにおいて、

最後にみっちさん、重陽さんの指摘を考慮して以下を提案します。

  • D:ただし、記事の再掲載を求める側は、特筆性を証明する新たな証拠を提示して下さい。でなければ、まず間違いなく削除されるでしょう。でなければコミュニティーにあなたが新たに発見した情報源が伝わらず、記事を存続させるのは厳しいことになります。

とりあえず先にこれを済ませましょう--Gyulfox会話2014年7月29日 (火) 14:44 (UTC)

(重陽さんへのレス)まず1点目ですが、私の発言はその通りです。ただし、WP:NTEMPに記載することに反対はしていませんが同意しているわけでもありません。重陽さんの質問に対してGyulfoxさんは沈黙したままでしたから、本文に加筆するなら、その旨の確認が必要だと思いますが違うでしょうか。ちなみに、私はその場合は当面了解するつもりでしたが、なにもアナウンスがないまま加筆されたことについて疑問を呈しています。
2点目ですが、削除バイアスについて同意いただきありがとうございます。「遅行指数」については私も訳しながらもっといい例えはないのかと思った部分です。もとより英語版がすべてだと主張してはいませんから、原則から遊離しないアレンジについては検討されるべきでしょう。私としては、現行日本語版は一度リセットした方が合理的だと考えているのですが、WP:FAILNでは英語版をベースにそのようなアレンジが施されたと認識しており、その延長線上であれば了解です。
(Gyulfoxさんへのレス)いつの間にか私の誤読ということにされているようですが、私のコメントを最後まで読んでおられないようです。
Aは、一般的な目安で求められているのは「出典」ではなく「情報源」です。この違いが理解できていない時点で論外です。
Bは、「価値」にこだわる理由がありません。
Cは、英語版の「証拠となる情報源には、査読によって認められた出版物、信頼性や権威のある書籍、評判のよいメディアソース、その他の一般に信頼できる情報源が含まれます。」ではどうしていけないんですか?
Dは、表現もですが、その前にこの文の必要性が疑問だということはすでに述べました。内容的にも「再掲載を求める」と「記事を存続」では意味が異なってきていると思いますが、ここだけの問題でなく、ガイドラインにするならもう少し言葉を吟味して下さい。--みっち会話2014年7月30日 (水) 13:23 (UTC)
確かに、「じゃあWP:NTEMPに記載するようにします」とでも一言いただいていればもっとスムーズに済んだ話だったかなとは思いますし、他のページの議論には意見を入れて活発に活動されていたことが投稿履歴から明白であるにも関わらずこちらの方では意思表示がないまま、いざみっちさんが文書の改定に手を付けたとたんにWP:NTEMPの変更を行ったのは揉め事の種になりかねないなという懸念はありました。ただ、みっちさんも反対しないとおっしゃってはいたけれども同意しないと明確な意思表示をされていたわけではありませんし、顔と顔を突き合わすわけではない文字だけのやり取りでは言外の意図を汲み取ることが困難であることを踏まえても、みっちさんに合意したつもりがなかったとしてもあのやり取りでは合意が形成されたと解釈するのが自然な文脈になっていたと思います。まあそういう部分を突っつきだすときりがない上不毛ですし、当面了解されるつもりであったのであればなおさら、ある程度の不作為には目を瞑って実を取るべく話を進めた方がいいんじゃないかと思います。WP:FAILNでのやり方の延長線上であれば了解との事ですので、議論の進行をみながらまた各案や現行文書をすり合わせて文案の作成しようかと思います。--重陽会話2014年7月30日 (水) 14:24 (UTC)
みっちさん。とりあえず英文翻訳版による全面改訂のことはおおごとですし、たかが数名の同意ではやれないようなものだと思ってください。 英文は参考にとどめておきましょう。 今はよりわかりやすいを目的として現行文章のブラッシュアップをしてしまいましょう。 英文表現がどうであれ日本語の文章が原則を踏み越えておらず、妥当と思われるならそれで良いとしてください。文章なんて所詮パーフェクトな文章などありえませんから、ケチを付け続けることはやめて下さい。そういうつもりでなくても、無意識にそうならないように注意していて下さい。
  • Aについては「情報源」はととどのつまり最終的に書かれるとしたら「出典」ということになるわけですし、現実問題として、出典が明記されていない状態を見て特筆性が「ない」と言ってしまうユーザーがあとをたたないわけですし、その点はむしろベストであると思われます。  逆に、既に存在する記事においては、情報源を探す努力もしないうちから、信頼できる二次情報源による出典が提示されておらず、上記に挙げられた一般的な目安が満たされているかが記事上で確認できない状態であるという理由で、独立記事として収録するだけの価値がないと判断することはできません。 なら良いですか?。
  • Bについては、こだわる理由がないと言われましても、初心者に最も分かりやすいから使われるのは当然であって、日本語で「価値」と書いてはいけない理由もないでしょう。「ウィキペディアに独立した項を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の独立記事として立項するにふさわしい価値が必要です。この価値は以下の一般的な目安節で示されるような条件を満たした情報源がウィキペディア外部に存在するかどうかで測られています。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(notability)と呼び、特筆性のあるなしで表現しています。ウィキペディアに特筆性が導入された目的は、検証可能な情報源だという理由だけで、手当たり次第に新規に独立記事が作成されることを防ぐことにあります」。なら良いですか?
  • Cについては、~じゃいけないんでしょうかと言われましても、大言壮語を自分なりに改めた提案文じゃいけないんでしょうかと言う以外仕方がありません。みっちさんの文の方が優れているというのなら英文からの翻訳だという以上の理由を示してください。 
  • Dについての重要性は既にお話しした通りで、疑問と言われましても明らかにここがこう間違ってるといわれるならば改めますが、特筆性欠如を理由として削除された項目について、初心者が知っておくべき重要なインフォメーションであって、削除されたらこうしなさいなら問題かもしれませんが、再作成や回復の道があることを伝えたり、新たな証拠の提示がないままに色々画策したって無駄骨になったしんどいよという情報を、ここで与えずどこで与えるというのでしょう。ただし、記事の再掲載を望まれる場合には、特筆性を証明する新たな証拠の提示が望まれます。証拠の提示がなければコミュニティーにあなたが新たに発見した情報源が伝わらず、記事の回復を依頼しても了解されなかったり、ご自分で記事を再作成されたとしても、その項を存続させるのが厳しい状態におかれます。でいかがですか--Gyulfox会話2014年7月31日 (木) 01:13 (UTC)
  • Eを追加します。対象に特筆性がある、またはそれに近いにせよ、独立記事中に十分に反映されていない状態を特筆性が推定される証明されていないと表現します。特筆性の立証証明は、いつでも、また初稿作成者以外でも可能です。ただし特筆性が推定されているだけ証明されていない記事は、(略)--Gyulfox会話2014年8月2日 (土) 15:20 (UTC)
いいえ、そんなことはありません。英語版のどこまでを取り入れるか、内部リンクが未翻訳になっているところをどうするか、ほかにもっとよい例示がないのか、クリアする必要があるのはこのあたりで、そう難しい話ではありません。現行日本語版のように根本的に見直す必要がなく、より理解しやすく、幅広い合意が可能だと考えます。そもそも、ご提案のような小手先の修正ですむと思っていたら、現行日本語版の破棄など持ち出しはしません。したがって、あなたの提案には応じかねますので悪しからず。「JWPの運用は特に理由がないかぎり、本家のWPにできるだけ準拠したほうが良い」といわれたのはGyulfoxさんですから、なぜそこまで英語版を拒否したいのか理由を明らかにしてください。
以下、英語版の対応箇所です。これで十分でしょう。ご提案の文章はむしろない方がマシです。
A ウィキペディアにおいて特筆性とは、対象となる主題について記事を立てるにふさわしいかどうかを判断するために用いられる指標(テスト)です。 (冒頭)
B 主題がこれらの目安を満たしていない場合でも、検証可能な事実がまだあるときは、別の記事の中での議論に活かすことができるかもしれません。(WP:GNG)
C 証拠となる情報源には、査読によって認められた出版物、信頼性や権威のある書籍、評判のよいメディアソース、その他の一般に信頼できる情報源が含まれます。(WP:NRVE)
D このように、以前に特筆性がある(もしくはない)とされた記事であっても、数ヶ月あるいは数年後に削除の提起や記事の再作成がなされることがあります。(WP:NTEMP)--みっち会話2014年8月3日 (日) 14:11 (UTC)
みっちさん。ごてて現行文章のブラッシュアップの邪魔をしないで下さい。提案文に間違いを発見できないようですので、このまま反映させたいと思います。みっちさんの大変更は全然次元の違う話ですしより説明不足に進むものですし、変更するほどの意味もないと思いますので反対します。私が拒否しているのではなくユーザーへの情報削除してまで大変更する必要がある説明が不足しているのはみっちさんの側ですよ。--Gyulfox会話2014年8月3日 (日) 14:45 (UTC)
同意もなく、お示しした英語版の文章について問題点の指摘も何もないにもかかわらず、このまま反映とはどういうことでしょうか。前回、なんのアナウンスもなくWP:NTEMPに加筆したことを大目に見てもらったことがこういう態度に結びつくのであれば、別途手立てが必要と思いますがよろしいですか。
私の提案趣旨とその理由はこの節の冒頭ですでに明らかにしています。この文書のガイドライン化をめざし、ブラッシュアップを図るにおいて日本語版も英語版もまったく同じ「次元」でしょう。現に重陽さんは日本語版と英語版のよい部分を活かし悪い部分をカットするという方向性を示しておられ、私もそれを了解しています。「全然次元の違う話」というあなたのコメントは的外れです。
私は「この文書は記事内容を制限しない」(WP:NNC)という独特な規定がある点に配慮が必要であり、「情報」だからといってなんでも書いていいわけではないということをこれまでも繰り返し述べました。しかしGyulfoxさんはこの点を無視し続けています。それどころかGyulfoxさんは英語版の文章をまったく受け付けようとしておらず、拒否していないというのは事実に反します。すでに正式化もされ、実績のある英語版を説明不足というならその根拠を具体的に示して下さい。でなければ「JWPの運用は特に理由がないかぎり、本家のWPにできるだけ準拠したほうが良い」といわれたGyulfoxさんは英語版に準拠しない理由を示せない、ということになりますがよろしいですか。あなた好みの「価値」や「出典」の文字面にいつまでも執着しつづけたい、そういう作業の邪魔をしてほしくないというのであれば、この文書でなく「私論」としてサブページでも作ってそこでどうぞお続け下さい。--みっち会話2014年8月5日 (火) 15:07 (UTC)
そもそもみっちさんが根拠とする、「この文書は記事内容を制限しない」の真意は、「ここで要求されるガイドラインは記事内容の規定ではない」という意味であり、この一言を根拠にあれこれ削除するのは危険ですし間違った解釈でしょう。従ってみっちさんの解釈されるような特筆性の証明がされない記事のもつ潜在的なリスクの説明等までを禁止・排除するというのは乱暴です。やめてください。 私とみっちさんが同じなのは、共に提案しているという事実だけであって、
  • A:私の場合、現状で読者に提供中の10の情報は極力10保たれる単なる修正提案。
  • B:みっちさんの場合、実質的削除であって、10の情報が6や4に減らす提案です。
どちらがより慎重かは明らかでありAとBは根本的に全く違う次元の議論です。同じではありません。 現状で今の文章が読者に提供されているという事実くらいは認めてもらわないと話にもなりませんし、強引に情報を減らすのであれば何が悪いのか十分な説明とより重い合意が必要です。みっちさんは準拠準拠といとも簡単に考えているようですが、現実に英語版でどれほどの活動をされ、英語版でどれほどのコミュニティーの支持を受けているのでしょうか?英語翻訳の経験はいかがですか?例えばジェット旅客機の操縦経験もロクにないような人がやってきて、日本語の操縦マニュアルの現状の文章をザックリしようと提案しても、周辺情況(文化的な違いや双方のWPの進捗段階の差など)を含めて本当の意味で大丈夫であるのか、すぐには信用されないと思います。 --Gyulfox会話2014年8月5日 (火) 20:30 (UTC)
「この文書は記事内容を制限しない」は、英語版の冒頭文They do not limit the content of an article or list. によっていますが、なにか問題ありますか? Gyulfoxさんがいわれる「ここで要求されるガイドラインは記事内容の規定ではない」とは、どこに対応する文章がありますか? というかこれ、日本語の文章としても意味不明でむしろ劣化版でしょう。一般に文章解釈は人によって幅があるものですが、Gyulfoxさんだけの「真意」を他者に押し付けないで下さい。
あなたのいう「現状で今の文章が読者に提供されているという事実」は、すなわちこの文書がいまだに正式化できす、削除依頼の運用でも問題となっている原因であり、正当化の理由にはなりません。これについては空疎な議論はお控えくださいと前にも述べました。ABの比較も勝手な決めつけです。あなたのいう「10」や「読者に提供中の情報」がそもそも疑問であり前提として成り立っていません。「どちらがより慎重かは明らか」というのもGyulfoxさんの中だけの話でしょう。ちなみに慎重と果断はときと場合により、比較してどちらが上ともいえないものです。いずれにしてもこれらは同じ次元、同じ土俵の話です。Gyulfoxさんが違う次元にしたいのは、英語版を拒否する口実にすぎません。
それで、Gyulfoxさんは重陽さんの提案も拒否されるのですか? また、繰り返し聞いていますが、あなたは「JWPの運用は特に理由がないかぎり、本家のWPにできるだけ準拠したほうが良い」といわれたわけですが、準拠しようとしない理由はなんですか? 英語版の翻訳に疑問があるからですか? 誤訳があるならご指摘ください。修正すればすむ話です。それとも翻訳者の英語版での活動実績や英語版コミュニティーの信頼度に疑問があるからですか? これはつまり英語版に準拠するためには、英語版で豊富な活動実績があり英語版コミュニティーで十分な信頼を得ている利用者による翻訳でないと受け入れないということですか? なかなか興味深いご意見なので、明確にお答えください。--みっち会話2014年8月7日 (木) 15:13 (UTC)
重陽さんの提案は日英の双方の良い部分を取り入れて、悪い部分を取り除いてはどうかでしたよね。だったらせっかくの提案をを踏みにじってるのはみっちさんです。私がおふたりのご提案を取り入れて、まずはブラッシュアップしましょうと提案をしてるのに、いつまでもそれを妨害され、「お断りします」という態度で取り付く島もないですし、対案を出されましたがそれは理由なき実質の削除提案になってしまっています。英の良い部分のアピールもなく、悪い部分について具体的にどんな害が実質的具体的に出ているのかの分析さえされず、一切お断りしますみたいな態度では困りますし、明らかに次元の異なるAとBを一緒一緒と言われたって一緒でない次元のものは一緒ではないというほかありません。 準拠ということについては、言葉尻で準拠と言われましても、英版での活動実績もなく英版での信頼もない方では、いくら原文をまじめに忠実に翻訳したところで表面上の誤訳がなくとも所詮信用できるものにはなりませんし、時間もかかるのです。また日英の運用の誤差を熟された人材が必要です。 また、みっちさんのnotability の概念の7項目については100%日本語に対応する文章がないにせよ、特に目新しいものはないようです。実質の削除ではなくて、この部分の情報が日本語版に欠落しているので追記したほうが良いということならお話を聞くことはやぶさかではないのです。--Gyulfox会話2014年8月7日 (木) 22:48 (UTC)
私がお断りしたのは、英語版の翻訳に不備を指摘することすらできないのに一切を拒否して現行日本語版の若干の手直しのみでお茶を濁そうとするGyulfoxさんの提案についてです。あなたのいう「真意」がその場しのぎのいい加減なものであることからも、このことは裏付けられます。これらについて、Wikipedia:コメント依頼/Gyulfox 20140808を提起しましたのでお知らせします。
しかし、重陽さんの提案は拒否しないといわれるのなら、今後の作業工程について提案があります。まずベースは英語版としてください。これはWP:FAILNと同様であり、Gyulfoxさんにも同意いただけると思います。具体的には、現行日本語版と対応する節を取り入れることとし、現在対応していない節(すなわち「単独記事を作成するかどうか」(WP:NOPAGE)、「なぜこれらの要件があるのか」(WP:WHYN)、「単独の一覧記事」(WP:LISTN))については当面外すということで構いません。その上で、そのままでは日本語版に適合させにくいところを挙げていただき、Gyulfoxさんのいわれる「現行日本語版のよい部分」をどこにどういう形で残すかを合わせて議論しましょう。--みっち会話2014年8月8日 (金) 15:15 (UTC)
みっちさん提案に反対します。英語版ありきでは、唐突すきて説明になっていません。 最初に述べているように話が逆。現行日本語版が悪いのであれば、解釈でつまづいてるユーザーの発言をいくつか実例で見せてください。その客観的な具体例の分析で修正しても追いつけないようなら、英語版を参考にしてよいだろう。あなたが言葉質に使われている準拠についてですが、日本語版の「運用」と英語版の「運用」は現状でほぼ同じと考えています。文章表現の違いは別に問題ないと考えています。従って英語版の欠点をあげつらう必要もないはずです。 違うとおっしゃるなら、運用上の違いをきちんと説明してください。 またあなたが英語版で何か新しいことを学んだということであれば、荒いこと提案するのではなく、その不足している文言について追記修正の案をお示し下さい。--Gyulfox会話2014年8月13日 (水) 10:15 (UTC)
唐突すぎるも何も、私の主張は当初からであっていま始めたわけではありません。その理由もこの節の冒頭ですでに説明済みです。Gyulfoxさんが受け入れたくないだけでしょう。まだ正式化もされていない日本語版の「運用」と英語版の「運用」は現状でほぼ同じとはなにを根拠にいわれるのでしょうか? それに「ほぼ」とは一体なんですか? 話が逆なのはあなたです。英語版をベースとすることを否定してあくまでも現行日本語版の修正でいきたいというなら、英語版の問題点について「客観的な具体例」とやらを見せる必要があるのはあなたでしょう。それはどこにあるんですか。また、Gyulfoxさんは日本語版での活動実績や信頼はどれほどあるのですか? 「英版での活動実績もなく英版での信頼もない方では、いくら原文をまじめに忠実に翻訳したところで表面上の誤訳がなくとも所詮信用できるものにはなりません」というあなたの論法では、あなた自身がここにきてはいけないんじゃないですか? ついでにいっておきますが、翻訳は私一人でやったわけではありません。Gyulfoxさんの指摘はものすごく失礼だと思いますよ。Wikipedia:コメント依頼/Gyulfox 20140808で「議論の攪乱」あるいは「議論の妨害」との指摘がなされているにもかかわらず、いまだにこうした転倒した議論を継続しているため、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Gyulfoxを提出しました。--みっち会話2014年8月16日 (土) 09:34 (UTC)

(今までの議論が十分に追えていないので、場違いな発言でしたらお詫びします。)現在のこの草案は、英語版の相当古い訳をベースにしているように見えます。その上、削除依頼で事実上の運用状態にあるにもかかわらず、十分な合意なく改変されてきたために内容が混乱していると思います。現在の英語版に基づいた内容にすることは、この混乱を収拾するのに最も確実な方法だと思います。--有足魚会話2014年8月17日 (日) 12:44 (UTC)

有足魚さん、コメントありがとうございます。Gyulfoxさんから私の提案に反対しないとの言明がありましたので、このまま異論がなければ、すでに合意済みのWP:FAILNを除いて、新しい英語版の翻訳から現行日本語版に対応する箇所を置き換えます。その上で日本語版として必要なアレンジを加えることは妨げませんので、あらためて提起いただければと思います。--みっち会話2014年8月29日 (金) 13:18 (UTC)

(編集の便のための節区切り・2014年9月)

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当該の投稿ブロック依頼は否決されました。冒頭の前提となっているコミュニティーの判断が存在しないということにもなり言明の有効性は疑問です。コメント依頼やブロック依頼を悪用して脅しとった言質ということにもなると思います。特に 1:1 でやりあっている当事者によるブロック依頼は好ましくありません。こちらの議論に関して言うと、1つの議題ですら時に枝分かれしていくのに6個程度も問題点として並べて、それらを平行して話していくのは参加者も傍観者も追うのが難しくなり誤解も増えます。一般に難しい事は1つ1つ分割して結論付けていった方が読みやすくもなり、全体的にも解決しやすくなります。コメント依頼やブロック依頼の提案文の説明不足を見ても、みっちさんの側にも説明・議論能力あるいは努力の不足といった問題点があったように思いますので、再び数ヶ月以上、冷却期間をおいて仕切り直した方がいいと思います。--Sureturn会話2014年9月5日 (金) 02:49 (UTC)

その必要はないでしょう。ブロック依頼ではブロックするか否かだけが話し合われたのであり、ここの議論について何かの合意がなされたわけではなく、影響を及ぼすべきではありません。--有足魚会話2014年9月5日 (金) 11:52 (UTC)

他の場所での議論や発言がここに影響を及ぼすべきではないということは、それはみっちさんが相手に行ってきたコメント依頼やブロック依頼を背景とした一連の攻撃的な発言も取り消して謝らないといけません。それが影響を及ぼさないということです。ガイドライン化までは解除すべきではない[1]とまで言って出したブロック依頼で、これ自体もこちらへの影響を期待しての目的ですが、そのノートに謝らせてこちらに引用までした[2]わけですから、こちらへの影響が無いというのは無理があり、その影響はみっちさん自身が望んでいた事と言えます。望んだ通りの結果になれば影響として受け入れ、望まぬ結果になったら影響がないことにするというようなのはさすがにかっこ悪いです。脅して謝らせる時は喜び勇んで叩き続けて来たわけですから、前提としていたコミュニティの後ろ盾が得られなかった現在、その勇み足に対してなんらかのけじめは必要かと思います。--Sureturn会話2014年9月5日 (金) 14:49 (UTC)

コメント依頼やブロック依頼を通じて、Gyulfoxさんの問題点が明らかとなり、上記言明はそれに答えてのものでした。ブロックに至らなかったからといって帳消しになったりすることではありません。Gyulfoxさんの言明を見て反対票を入れた方もおられたように思います。もし、ブロックされそうだからいってみただけで、結果はそうならなかったから前言を翻すのだとしたら、再度コメント依頼からやり直す必要があるかもしれません。いずれにせよ、Gyulfoxさんの行動を決めるのはGyulfoxさん自身であって、Sureturnさんでも私でもありません。有足魚さんがご指摘のとおり、当該ブロック依頼ではこちらの議論の扱いについてなんら合意はありません。
私の能力や行動に疑問やご不満があるのでしたら、適切な議論場所を設けてけじめでもなんでもつけられたらよろしいでしょう。ここはWikipedia文書をどうするかを議論するところですので、文書について議論する気がないのでしたら、ご遠慮ください。それともSureturnさんに合意取りまとめをはかっていただけるのでしょうか? 仮に私の説明不足や能力不足があったとして、数ヶ月以上の冷却期間を置く理由にはまったく結びつかないことはいっておきます。--みっち会話2014年9月6日 (土) 06:16 (UTC)
  • (質問) みっち殿の意欲を高く評価します。ところで、根本的な質問なのですが、英語版を元に全面改訂を目指しておられるようですが、(そもそも、英語版を元にすることや、全面改訂が妥当かどうかも含めて)コメント依頼などで意見公募は行ったのですか? また、Dwy殿の議論もあることだし、心配はしておりませんが、英語版の実情に詳しい利用者による検証も継続して公募されるという理解でよろしいですか? 最後に、これはみっち殿を攻撃する意図では断じてありませんが、(1)WP:Nという重大な文書を、(2)数ある外国語版のうちのひとつである英語版に準拠して、(3)過去の議論をリセットして一からやり直し、という提案について、広く意見を公募する重要性を理解していると信じていいですよね? 私はみっち殿(とGyulfox殿)が意見公募をせず論争を継続させたのは、なんでもかんでも一人で抱え込もうとする使命感があだになったものであると信じます。(もし、すでに意見公募がすんでいるのでしたら、無礼をお許しください。)--伏儀会話2014年9月7日 (日) 12:23 (UTC)
  • (コメント)Sureturn殿のご提案についてですが、ブロック依頼とここの議論は切り離すべきです。ただし、Gyulfox殿が議論に再度参加したいと意見表明された場合は、無条件で受け入れるべきだと思います。「Gyulfoxさんの問題点」についてですが、有足魚殿のご指摘にあるように、ブロック依頼では「ブロックするか否かだけが話し合われた」のみです。おのおのが意見表明したのみで「Gyulfoxさんの問題点が明らか」という合意が形成された事実はありません。みっちさんが考える問題点が具体的に何かにもよりますが、過去のコメント依頼に対しては「コミュニティよりブロックの意思があったとは思えません」という意見もあったため、Gyulfox殿に何か要求するのであれば現在も継続中のWikipedia:コメント依頼/Gyulfox 20140808で合意形成を試みるべきでしょう。
  • 過去の議論を読み直してみましたが、今回の提案に対する合意形成の事実が確認できませんでした。「このまま異論がなければ」ではなく、意見公募から始めて下さい。半年の冷却期間などは不要ですが、最悪の場合、合意形成までNP:NOTの時と同等の期間が必要かもしれません。--伏儀会話2014年9月8日 (月) 00:01 (UTC)

伏儀さんの意見にほぼ同意します。ブロック依頼やコメント依頼とここの議論は切り離すべきという前提から、ダブルスタンダードにならないように、みっちさんが個人的に主張するGyulfoxさんの問題点や言明等もまたこちらには全く影響しないことの確認をさせて頂きましたが、回りくどい話の持っていきかたで申し訳ありませんでした。Gyulfoxさんも一連の事にめげずに今後も同じように頑張って活動していただければと思います。ガイドラインというのは多くの利用者に支持される文書ということなのでガイドライン化を目指すとしたら、現時点ではまだガイドライン化させたくない人の反対理由が重要と思います。不満の全てとはいわないまでも、共通部分を汲み取って潰していく事が支持者を増やす基本になるだろうと思いますので、突然、個人的な改定案からスタートではなくまずは意見公募でというのは妥当な流れだと思います。支持者がそれなりに多ければそのままガイドライン化でもいいですし。--Sureturn会話2014年9月8日 (月) 07:15 (UTC)

コメント 意欲というより「業を煮やして」の方がふさわしいです。管理者までもがこの文書を恣意的に改変するのを見て、もう任せておけないと思ってしゃしゃり出ました。伏儀さんは覚えておられると思いますが、ノート:九州征伐と同じです。気は進みませんが、出たからには既成の議論・文章でも抜本的に見直し、必要に応じて大なたも振るいます。しかしそれは、議論の道筋を付けることが目的であって、自分の考えをこの文書に盛り込みたいからではありません。ここでの道筋とは、この文書をガイドライン化できる水準に引き上げることであり、具体的には、ひとつは混乱した現行日本語版を英語版に基づいて立て直すこと、もうひとつは中途半端な状態で残されているnotability の訳語の問題について決着を付けること、この二つがガイドライン化の前提条件だと考えます。それ以外のことに私は四の五のいうつもりはありません。日本語版としてはやっぱりこういう表現がふさわしいといったアレンジについては、WP:FAILNで合意したように、基本をふまえた上でやっていただいて構わない。現行日本語版はこの逆で、アレンジのために基本が曲げられてしまっています。だから混乱が起こるのです。
意見公募については、ガイドライン化の提起をするときには当然周知が必要ですが、いまはまだ草案の段階であり、そこまでは考えていません。このノートページをご覧になれば、アクティヴな利用者がこれまで相当数参加していることが分かるはずです。マイナーな記事のノートとは違い、ここをウォッチしている人も多いだろう、ということもあります。また、Gyulfox さんとのやりとりだけでなく、私は常に第三者が入ることも考慮してコメントに時間をかけています。とはいえ、不本意ながらこの間ほとんど1対1のように議論が進捗したことは事実であり、プロジェクト:プロジェクト関連文書/リストに案内を載せました。このほかにもお知らせやコメント依頼で呼びかけが必要だと思われるなら、そうされたらよろしいでしょう。しかし、もっと時間をかけるべきということについては、その間にも現行日本語版に起因する混乱は止まらないということを意味します。あくまで手続き論にこだわるということであれば、WP:FAILNの合意も公募がされていないから元に戻さねばなりません。この文書の編集に関して必要な意見公募とはどのようなレベルなのか、どこまで遡ればいいのかお示しください。もっとも、すでに翻訳版は示していますから、心ある方はこちらを読んで運用にあたってもらえることを期待しています。伏儀さんもSureturnさんも当然翻訳をお読みの上でのご意見だと思いますから、率直なご感想をいただけると幸いです。
英語版を元にすることについては、ウィキペディアのほとんどの方針類は英語版からの移入でできており、この文書もその例外ではないと考えます。とくにこの文書の場合、記事内容に関わる方針との関係で独特な位置付けにありますから、英語版に準じてそれを押さえておくことは、この文書を理解する上で必須だということはおわかりだと思います。なお、翻訳の検証については異存ありませんが、Dwyさんの議論についてはWikipedia:コメント依頼/Gyulfox 20140808でも触れたとおりまた別の問題があり、別途コメント依頼した方がいいかもしれないと考えていることだけ述べておきます。Gyulfox さんの件についてはすでに述べたとおりであり、繰り返しません。以上、お答えになっているでしょうか?--みっち会話2014年9月9日 (火) 13:10 (UTC)

こちらに影響しない筈の事象で節が出来るのは不自然ですから節は消します。

業を煮やしているなら議論関係には関わらない方がいいと思いますよ。気が進まないなら疲れる事が多くなるので尚更です。相手のせいでというよりは、自ら疲弊しにいくようなものです。このページもみっちさんの私有物ではありませんから、色々なことがおきますが怒ってはいけません。権限行使以外での管理者は特別な人ではありませんし、誤解もありますからそれによって責められ続けるべきでもありません。ウィキペディアに限りませんが一般論として、プロジェクトの初期段階においては今後起こり得る混乱を予想してルールを作っていき無駄になることも多いわけですが、年月が過ぎてくると実際に起きた混乱に対処するためのルール作りが重視され、実用的なものが多くなります。Wikipedia:特筆性 (各分野)やウィキプロジェクトでの細かい話の方が、多くの人に関係するようになります。 議論としては今起きている混乱を並べて沢山あれば緊急に対処していくということになります。ガイドライン化が進まなかったのは、そういった事象が少なく、急ぐ必要性を認識されていないことの裏返しでもあると思いますので、最近、この文書の記述が元で起きた混乱、対立が頻繁にあるのなら、それらをいくつか具体的に並べてみてください。問題意識の共有は議論を進めやすくなります。 ウォッチしている人が多いと思うなら何故誰も来なかったのか考えてみてください。1:1で紛糾している所に、コメント依頼に来た二人の方だけでも加わってみっちさんに賛同していたら3:1です。ウォッチしている多くの方がみっちさんに賛同しているはずと思うのであれば、もっと沢山の人がいらして、反対者が一人いたとしても話が進んだと思います。両者…相手側だけでなくみっちさんの側にも賛同者が現れなかったから1:1なんです。そこをよく理解していただければと思います。

手続き方法にこだわっているわけではありません。そうしてみっちさんの考えるようにウォッチしている人が沢山いて、その人達が集まってきて議論になっているなら別途告知は必要ないと思います。今回はそういった読みが外れているので1:1になり、相手を恨むようになり追い出したくなったという事なので、最初の段階あるいは1:1で膠着し始めた段階で人集めの努力をすべきだったかと思います。 多くの利用者が同意する文書として位置づけられているガイドラインを目指すという割に異様な状況です。投票に持ち込んだとしてもそれこそ誰も読まずに賛成票を集めただけの本当にガイドラインなのかどうかから分からない文書になりそうな気がします。

ちなみに私はその翻訳は当然読んでいません。原文が英語なら必要があれば元の文章を読んだ方が変な訳を読むより楽ですから。読む必要があれば、具体的に起きている問題を示し、その解決方法として必要性を説いてみてください。そうすればその翻訳の読者も増えるかと思います。個人的には独立記事作成の目安という緩やかで広い名前になったことも良くも悪くも重要性を薄めてしまったかなと思いますけどね。大項目主義と小項目主義の一般的な説明が占めていても不思議ではないタイトルですから。--Sureturn会話2014年9月10日 (水) 08:21 (UTC)

Sureturnさん、利用者:みっち/翻訳ものを読む前に「変な訳」と断定的な表現でそれを批判するのは穏当でないと思いますが、「誤訳箇所を含む可能性がある翻訳」あるいは「一般論として翻訳には間違いが入ることがある」というような意味でおっしゃったのでしょうか。 --whym会話2014年9月21日 (日) 10:19 (UTC)

直訳でたどたどしい日本語訳ということが一瞥しただけで分かるような文章を読むのは無駄に疲れるだけですから、必要があれば原文の方を読みますよと言っただけです。争点にならない限り誤訳の有無というのは些末な事です。どのページの話かは知りませんが、この文書のせいで現実に最近の日本語版は混乱しているそうです。その混乱というのを解決させ、納得いく結論になれば誤訳から生まれた表現であってもそれは支持される文書(ガイドライン)となっていきます。英語版からの忠実な翻訳とかガイドライン化自体が目的になってしまっているようで、その向こうの事象が見えないので現状は何とも言えませんが、いろいろと本末転倒になってしまっているような気がします。--Sureturn会話2014年9月22日 (月) 16:24 (UTC)

それでは、お約束どおり私は引き下がりますので今後の進行をお任せします。なお、提案そのものは取り下げません。

こちら[3]を見るといろいろと勘違いされているようなので書いておきます。意見公募などはあくまでみっちさんが自分の意見を通したいならという前提ですので、再び膠着することを心配するくらいならそういった方法を模索してくださいという事です。膠着した場合、議論はそこから進まないわけですから廃案ということになるわけですが、それも議論の結果の一つですし、受け入れなければいけません。それでも提案を通したければ意見公募などを提案者側がしないといけません。提案が出たからといってそれを通してあげなければいけない理由はありません。賛同者を増やす努力を提案者側がしないのであれば廃案となるというだけです。ブロック依頼については、ガイドライン化までは解除すべきではない[4]とまで述べていますし、こうして脅して取った言質について、コミュニティーの判断で私が疲弊ユーザーだとされるのであれば[5]という前提を無視し、みっちさん自身にとって都合の良い所だけを持って来た上、ブロックされそうだからいってみただけで、結果はそうならなかったから前言を翻すのだとしたら、再度コメント依頼からやり直す必要がある[6]とさらに威嚇しています。一連の言動からしてみっちさんがGyulfoxさんの議論参加を拒んでいるというのは明かです。議論が膠着し、かつ提案を通したいなら相手を追い出そうとする前にやれる事は沢山あります。みっちさんの一連の行動は、とにかく自分の提案を通す事が第一というような議論軽視と言えると思います。提案したり議論に参加する以上は、膠着も廃案も議論の結果なら尊重しないといけないということを理解された方がよろしいかと思います。Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけを見るとガイドラインは「多くの利用者に支持されている、最善の方法」であり、利用者のほとんどいない状況でいろいろ決めていこうとするこの状況自体はガイドラインには遠く及ばない議論(もどき)のように感じています。ないないづくしと言われている私としては削除されないためのアドバイス程度の私論で十分かと思いますし、「多くの利用者に支持されている」ガイドラインにしたい人がいれば、変に進行を引き継ぐ事無く、今までの経緯は無視して自由にやられた方が良いように思います。--Sureturn会話2014年10月1日 (水) 04:35 (UTC)

みっち殿も「後は任せる」として議論を辞退なされたので、いろいろ納得できない点はあるでしょうが、この議論は終わりにしましょう。私も過去の議論は忘れて、ゼロからやり直した方がよいと思います。そういう意味では英語版に基づいて全面改稿するのも、確かに一つの手でしょう。あるいは、合意できる条項のみ逐次追加していく方がうまくいくかもしれません。急がば回れです。また、私論で十分とのことですが、規則でなくスタイルマニュアルや執筆ガイドを主眼とした文書にすれば、以外とすんなりガイドラインにできるかもしれません。Zai零細系統保護協会さんが仕切り直しされているので、私も議論を見守ろうと思います。--伏儀会話2014年10月2日 (木) 11:11 (UTC)

立項段階から出典明記による『特筆性の立証』

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英語版では「立項段階から出典明記による『特筆性の立証』」は要求されていないというご意見がありましたが、私の認識はちょっと違いますので、参考までに、以下コメントしておきます。

英語版のWP:Vは、記事の記述には原則として「信頼できる第三者による情報源」の提示が必要だとしています。同様に、WP:NORは情報源として「二次資料」を要求しています。「出典明記による『特筆性の立証』」ができていない記事は、「特筆性」の点では直ちに問題とすべきものではありませんが、「検証可能性」や「独自研究禁止」の観点から言えばダメダメです。英語版の運用がそのような記事の状態を許容しているわけではありません。

実際、en:Wikipedia:Article wizardで解説されている記事作成の手順を見ても、

  • 作成しようとしている項目の記事が未作成であることをチェック・確認
  • 次に「特筆性」をチェック
  • 更に出典となる資料の有無をチェック
  • そして、記事の執筆。その項目に特筆性があることが、記事を読む人に分かるように書く。

という指示になっています。--Dwy会話2014年7月29日 (火) 15:52 (UTC)

>「検証可能性」や「独自研究禁止」の観点から言えばダメダメです。
それこそ、このガイドラインは記事の内容にはふれませんということで、「検証可能性」へのリンクが引っ張ってあります。 WPの理念では信頼できる二次情報源を使用すべきだが、理想通りでない場合は、定評ある百科辞典(三次情報源)や注意しつつ自らの公式サイトや時には週刊誌を使うことも許されているわけです。検証可能性に違犯していない記事であっても、例え二次情報源が使用されていても、直接的で十分な言及をされていないのならば、特筆性の証明は未だできていないということになる。 --Gyulfox会話) 2014年7月29日 (火) 18:15 (UTC)またen:Wikipedia:Article wizardで示されていることは、日本語版のチュートリアルにおいてぜひとも反映させるのが良いとは思いますが、結局案内は案内であって、今のところガイドラインでも方針でもないと思います。--Gyulfox会話2014年7月29日 (火) 18:33 (UTC)
  • コメント Dwyさんの認識と、この文書の求めるものが違っているのだと思います。この文書においては、記事内容に関する方針類とは別の論理(「特筆性の目安は、記事の内容には適用されない」(WP:NNC)及び「特筆性は記事の内容では決定されない」)で動いていますから、「出典明記による『特筆性の立証』ができていない記事は、『特筆性』の点では直ちに問題とすべきものではありません」といわれるのはほぼその通りです。ここを勘違いする方が多いので繰り返しますが、この文書で求められているのは情報源の存在であって出典明記ではありません。ご案内の記事作成の手順でいえば、2番目のチェックまででいいわけです。
「検証可能性」や「独自研究禁止」の観点から言えばダメダメということに関しては、英語版「特筆性は客観的な証明を必要とする」(WP:NRVE)において「ウィキペディアの記事は最終稿ではありません。」と書かれているあたりも参考になるでしょう。上記手順の4番目にある「特筆性が分かるように書く」ということは、日本語版のアレンジとしてはあるかもしれませんが、書きぶりには注意が必要でしょう。--みっち会話2014年7月30日 (水) 13:26 (UTC)
もう一度繰り返しますが、少なくとも英語版の運用では「特筆性は客観的な証明を必要とする」というガイドラインが立項時にもかなり厳密に適用されています(ガイドラインの文言を素直に解釈すれば、当然そういう解釈になります)。例えば、英語版には新規記事の作成を第三者が審査するen:Wikipedia:Articles for Creationという手続きがありますが、記事のドラフトの中で特筆性を裏付ける情報源が提示されていなければ(特筆性が存在する可能性がある場合でも)立項そのものが却下され、「本当に特筆性があるのなら、適切な情報源を加筆して再申請してください」という扱いになっています。(実例はen:Category:AfC submissions declined as non-notableでいくらでも確認できます)--Dwy会話2014年8月2日 (土) 16:18 (UTC)
しかし、Articles for CreationもArticle wizardも必須ではありません。英語版ウィキペディアでは非登録利用者は記事を作成できないので代理で記事を作成してもらうためにAFCがあるわけですが、AFCの冒頭では登録すれば自分自身で記事が作成できることを案内しています。そして登録利用者が記事を作成する時には特筆性を示す客観的な証明を提示することなく記事を作成することが出来ます(以前、リダイレクトを作成しようとして#REDIRECTの部分の誤記のため記事としてページを作成してしまったことがあります)。英語版ウィキペディアでも特筆性を満たさないかもしれない記事を第三者の審査を経ずに作成することは可能ですよ。英語版ウィキペディアでは「特筆性は客観的な証明を必要とする」というガイドラインが立項時にもかなり厳密に適用されている、というのは正しくありません。--Kusunose会話2014年8月2日 (土) 18:41 (UTC)
ミスリーディングな表現で誤解を招いたかもしれませんが、Kusunoseさんがおっしゃる通り全ての新規記事作成がAFCの手続きを経るわけではありません。登録利用者は誰のチェックも受けずに自由に新規記事の立項ができますから、特筆性を示す客観的な証明を提示することなく記事を作成することも不可能ではありません。
ただ、これはウィキペディアの編集に事前の検閲が設けられていないというだけのことであって、そのような記事作成が方針上容認されているわけではありません。前にも述べましたようにen:WP:Nは「特筆性は客観的な証明を必要とする」と明言していますし、en:WP:AFDPでは更に「特筆性は常に客観的な証明を必要とする(Notability always requires verifiable evidence)」と解説しています。
Article Wizardはヘルプ文書です。ウィザードの使用が必須というわけではありませんが、登録利用者を含むすべての編集者が記事を作成するときに従うべき手順を解説しています。ちなみに、新規記事作成に関するヘルプ文書はArticle wizardの他にもen:Wikipedia:Your first articleen:Wikipedia:Starting an articleen:Wikipedia:Simple guide to creating your first articleがありますが、いずれも上に引用したArticle Wizardと同様の手順を指示しています。--Dwy会話2014年8月3日 (日) 16:25 (UTC)
Dwyさんの論理は分からないでもありませんが、特筆性の証明はある人にとって十分でも別のユーザーが不足と考える場合があったりして数学の証明のような簡単なものではありません。 ここのページが要求しているガイドラインは、特筆性の存在の確認や評価だけです。立項するための前提として、特筆性を確認すべきとガイドラインで規定されているのに、もしも確認しないまま立項するようなユーザーがいれば立派に規定違犯となっているのです。確かに記事上に書かれた文章の出典明記は義務であっても、資料集めで得られた情報は片っ端から明記する義務もないわけですし、特筆性の明記の義務が初項から書かれるべきとルールを確定するならば、それなりの同意も集める必要がありますし、十分な周知徹底も必用でしょう。 --Gyulfox会話2014年8月5日 (火) 21:27 (UTC)
この節で私が述べていることは英語版の状況であって、「Dwyさんの論理」ではありません。英語版では"notability must be verifiable through references to reliable sources"とか"notability must be verifiable through citations to reliable sources."と明言しているわけですから、立項段階から出典明記による「特筆性の立証」を推奨する記述が英語版にないというのは明らかに誤りであると指摘しているまでです。--Dwy会話2014年8月6日 (水) 16:05 (UTC)
「notability must be verifiable through references to reliable sources」とは「特筆性は信頼できる情報源によって検証可能でなければならない」くらいの意味でしょう。検証可能と言うとWPの事実上の出典の明記が連想されるわけですが、それこそ「この文章は記事の内容について規制するものではない」というノーティスを含めて総合的に判断するとすれば、既にそのワードがWP内に立項されていようがいまいが関係なく、広義の意味で現実世界において信頼できる情報源によって検証可能でなければならない。と述べている文章かと思われます。--Gyulfox会話2014年8月6日 (水) 18:18 (UTC)
「この文章は記事の内容について規制するものではない」という言い方は、少しニュアンスがずれています。その部分は、(「対象とは無関係な信頼できる二次情報源からの有意な言及」を要求する)特筆性のガイドラインは記事の中の個々の情報については適用されないと言っているだけです。つまり、一連のcontents policiesに適合していいる情報であれば、「対象とは無関係な信頼できる二次情報源からの有意な言及」がなくても記事に加筆できるということ。それ以上の意味はありません。--Dwy会話2014年8月9日 (土) 15:52 (UTC)

みっちさんの2014年7月30日 (水) 13:26 (UTC) のコメントで話は終わっています。この節でしている議論とは何の関係もない、英語版文書読んだぞ自慢なので、ほっといてスルーでOK。--ikedat76会話2014年8月9日 (土) 09:37 (UTC)

すばらしい「議論見てるんだぞ自慢」ですなあ。106.169.49.81 2014年8月10日 (日) 00:41 (UTC)

肥大化した節の分割による単独記事化について

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上記議論とは直接関連性がないと思いますが、たまたま気になったことがあったので書き留めておきます。

  • Wikipedia:スタイルマニュアル_(レイアウト)#本体節では、「節が相当長くなるような場合には、ページの分割によってその節を独立させて一つの記事にすることも検討してください。」とあり、まるで「節が肥大化した」を根拠に単独項目が成り立つような表現が行われています。
  • Wikipedia:ページの分割と統合#分割すべき場合でも、「ページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合」、「ページ中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合」、「見出し語の解説としては不要な記述もしくは見出し語との関係が不明確な記述であるが、百科事典の情報としては有用な場合」は分割すべきとなっています。

まあ「○○の登場人物」とかでこのタイプの記事を見かけますので、そういうものの場合には「○○」の特筆性が証明されれば、「○○の登場人物」での特筆性を証明しなくても記事ボリュームを根拠に単独記事が保証されるように解釈できます。ところが、この中からさらに「○○の登場人物であるA氏」の記述がボリュームが増えたので分割するよ、として「A氏」が単独記事になった場合、見かけ上は「A氏」単独で特筆性を証明することを求められるようなりそうな気がします。

私見ですが、これは現状のWP:NOTE(特筆性)の考え方とはなじまないように思います。トータルとしての整合性の検討をお願いしたいです。--柒月例祭会話2014年9月22日 (月) 06:26 (UTC)

Wikipedia:ページの分割と統合の関連項目に挙がっているWikipedia:サマリースタイルには「不用意な分割によって特筆性の基準を満たさない記事を作ったりしないように注意する必要がある」という記述があります。また、英語版では Wikipedia:SplittingWikipedia:ページの分割と統合#ページの分割に相当)の導入部において、「but only if the new articles are themselves sufficiently notable to be included in the encyclopedia (ただし、新しい記事自体が百科事典に含まれるために十分な特筆性を持つ場合に限ります)」という記述があります。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません(この方針の節の冒頭には本ガイドラインへのリンクがあります)から、独立記事として分割される情報が特筆性のガイドラインを満たすことを求めることは、ウィキペディアの方針に沿ったものだと言えるでしょう。全体の整合性としてはWikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)Wikipedia:ページの分割と統合に特筆性を考慮することを求める記述を追加することが望ましいと思います。--Kusunose会話2014年9月22日 (月) 10:25 (UTC)

仕切りなおしというわけではないのですが、今後の進め方について

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これまでの議論からスピンアウトしたコメント依頼や、主導してきた方々が席を離れたことで、議論がいったん停止したように見えます。とはいえ、先行議論は長大で、後から来た方が理解するのは容易ではないように思います。僭越ですが、批判は覚悟の上で、きわめて大雑把ですが、私なりにこれまでの議論をまとめたうえで、私なりの考えを述べます。

ポイント

  • (1)この文書は重要である。
  • (2)だから、この文書の改訂には高いレベルでの合意が必要ではないか。
  • (3)議論の焦点は、以下の点にある。
  • (3-1)この文書を「記事の削除」の根拠として援用することに関連する議論
  • (3-2)「Notability」-「特筆性」の語義に関連する議論

私の考え・主張

  • (1)に関してはほぼ受け入れられると思います。
  • (2)に関しては先行議論があります。168時間(1週間)意見がないことを「合意」とみなして改訂を行うことの是非はありますが、私はこの文書の重要性に鑑み、「高いレベルでの合意」を得るべきと考えます。「高いレベルでの合意」が具体的に何を示すかは程度問題ですが、たとえばこんなイメージです。
  • 少ないとはいえない数の人が積極的に賛成を表明している。
要するに「1対0」とか「3対1」ぐらいの評決ではふじゅうぶん。(30対10と3対1は違う。)
  • 評決にあたっては、評決を行うことを広く告知し、十分な期間をとる。文書の重要性に鑑み、数週間待ってもバチはあたらないと思います。
  • ただし、これらの「評決」の段階では「YES/NO」二択で行う。もはや議論はしない。
  • (3-1)に関しては、私は次の3つのことを考えます。いずれにせよ、これは本文書だけでなく、他の方針文書もあわせて改訂が望ましいです。
  • (3-1-A)
  • 規定を勝手に「逆解釈」して運用することを抑制/回避する。「逆」の場合の規定もきちんと作る。
  • 「Aであれば単独記事でOKである。」という規定から「Aでないなら単独記事はNGである」と導かない。
  • ただしい解釈は「Aでなければ単独記事でOKとはいえない」にすぎず、「OKでないもの」への対処は「定めがない」である。
  • 「OK/NG」二元論と考えると、最初の逆解釈は正しいようにみえるが、「犬は哺乳類である」→「犬でなければ哺乳類でない」と比較すれば、逆解釈が正しいとは限らないことがわかる。
  • したがって「Aでない場合はこれこれ」や「Bの場合はこれこれ」「Cの場合はこれこれ」という規定を備えるべきである。
  • 信号機の喩え(故障は想定しない)
  • 「赤信号1灯だけの信号」を想像してください。これが点灯している場合に進行すると、「100%事故ります」。しかし、これが点灯していないからといって、「必ず安全」は保証されません。電源が入っていないだけかもしれないのです。
  • 「青信号1灯だけの信号」を想像してください。これが点灯していれば、「100%安全」です。しかしこれが消えているからといって、絶対死ぬとは限りません。行ってみたら行けた、ということはあるかもしれません。これが消えている場合は「100%安全とは保証しないよ」というだけです。
  • 「青と赤の2灯の信号」があれば、必ずどちらかが点灯していて、OKかNGかが確実にわかります。しかし、どちらも消灯している場合もあるかもしれません。その場合には、OKかNGかは行ってみないとわかりません。
つまり、「これこれであれば単独記事でいいよ」と書いてあっても、『これこれじゃないから削除とします』とは言えない、という明確なルールをつくる。(それは本文書で言及するのか、WP:DELで言及するのか、の違いはあるが、いずれにせよ読者を正しく誘導できるようにする。)
  • (3-1-B)
  • 「削除」と「統合・除去」の違いをきちんとわかりやすく説明する。
  • 出典がないスタブ記事があり、これを上位概念に統合し、さらにその記述を「除去」した場合には、「見かけ上の結果」は「削除」と同じような結果が得られる。しかし、履歴や過去版に情報は残っており、将来活用できる可能性が残る。(「将来の特筆性」とは別。)
  • 「削除」してしまうと、完全に喪失されてしまう。
  • (3-1-C)
  • 削除ありきではなく、「記事の問題の解決」と考える。
  • 問題解決の手段は、(a)加筆・出典の提示、(b)統合、(c)削除、が考えられる。aやbについても検討しなければならない。
  • 削除(あるいは統合)を依頼する場合には、aやbを検討したことを、判断する人に対して説明しなければいけない。
  • たとえば、「こういう検索を行いました」「これこれの文献を調べました」「このコミュニティで○ヶ月問い合わせをし、こういう回答を得ました/回答が得られませんでした」ということを述べる必要を示す。「これこれの文献には出ていない」という情報も、後からくる人にとっては有用である。
トータルとしては、「特筆性がなければ立項しちゃダメよ」と言うのですが、実際立項されちゃったら安易には削除できないよ、という方向になります。しかし安易に削除はできないが、統合・除去はできるので、統合・除去が「特筆性が怪しいスタブ」への主要な対応ということになっていくでしょう。もちろん「特筆性がないのに(特筆性を証明しないで)立項しちゃった人」はルール違反をしたわけですから、その利用者に対しては然るべき措置がとられます。まあ、性悪説・悪い意味では「やったもんがち」の方向に舵を切る格好にはなるでしょう。弊害がゼロではないことは認めます。
これと対極の方策は、次の2パターンになると思います。
  • A - 単独立項を困難にする。出典がないとシステム的に立項できない、立項に何らかの認証が必要になる。
  • B - 削除を容易にする。出典がない場合にどんどん削除できるようにする。
どちらもそれなりに極端な考えです。これらの選択肢の中庸な状態として現状を位置づけることもできます。つまり、立項も(システム上の制約がないという意味で)自由にできて、削除でもめる。現状のルール・運用で問題がゼロだというわけではないが、どちらかに振った場合に新たに生じる問題・デメリットとメリットをトータルで比較した場合に、現状維持とし、新しい問題が生じることを回避するために、今の問題がある状態を受け入れることにする、という判断も理解できるものです。
  • (3-2)に関して、私は「特筆性」という訳語は誤解・誤用・誤読を生じさせる原因になっていると考えます。もっと誤読の可能性の無い、完全に「新造語/概念」だと誰からもわかる語のほうが望ましい。「単立要件」とかね。
「私の考え」はどうでもいいのですが、「ポイント」について、確かにそこがポイントだね、今後、そこを改訂する方向で検討するのか、改訂しないのか、どうするのか、大方針をまずは決めましょう、というところからお話を再開できないでしょうか。いかがでしょう。--柒月例祭会話2014年10月1日 (水) 07:20 (UTC)
  • (1)その通りだと思います。ガイドラインにすべきでしょう。
  • (2)「改訂」が何を意味するのかわかりませんが、ガイドライン化や内容が意味するところを大きく変えるような変更が行われるとすると、その通りだと思います。
「少ないとはいえない数の人が積極的に賛成を表明している。要するに「1対0」とか「3対1」ぐらいの評決ではふじゅうぶん。(30対10と3対1は違う。)」そんな感じでいいと思います。秀逸な記事の再選考などを習って「賛成は全体の75%なおかつ賛成票は10票以上あること」などの数字を条件にしてもいいと思います。
「 評決にあたっては、評決を行うことを広く告知し、十分な期間をとる。文書の重要性に鑑み、数週間待ってもバチはあたらないと思います。」その通りだと思います。過去の投票(Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安/過去ログ1#決定の取消)でも、投票を行うこと自体への合意形成が不十分だったと指摘が挙がっています。
  • (3-1-A)ここはよくわかりません。現在のウィキペディアでは、「特筆性があれば単独記事でOKである。」という規定から「特筆性がなければ単独記事はNGである」という解釈と運用に合意は成されていると思います。Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事で「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。」と書かれ、このページへリンクが飛ばされ、特筆性(対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及)が認められないという理由で現在も削除はされ続けていますよね?「特筆性があれば単独記事でいいよ」と書いてあることから『特筆性がないから削除とします』は成り立っていると思います。意図したいことを酌み間違えていたらすみませんが、それをわざわざ変えようとする必要性や利点が分かりません。
上記の議論で問題とされていたのは、「記事中に出典が無い」=「特筆性がない」という解釈をする人が居ること、特筆性があるかどうかのきちんとした調査をしない人が居ること、などではないでしょうか。特筆性(対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及)が無いということがきちんと調査して報告され、それに合意が形成されれば、特筆性が無いという理由にもとづき削除されますよね。
  • (3-1-B)ここはその通りだと思います。もう少し分かり易い説明が必要だと思います。
  • (3-1-C)ここもその通りだと思います。ただし「削除(あるいは統合)を依頼する場合には、aやbを検討したことを、判断する人に対して説明しなければいけない。」というような文はWikipedia:削除依頼Wikipedia:削除の方針に書く方が最適と思います。削除の順序規定までこのガイドラインに書くのは盛り込み過ぎに感じます。このような要求を明確にするのは方向性自体には賛成します。
  • (3-2)みっちさんがまとめて下さった利用者‐会話:みっち/翻訳もの#考察などを読みながら私も色々考えましたが、結局良い案は出て来ませんでした。「特記性」というのはどうかなと思ったんですが、すでに結構使われてて[[7]]、混乱を招きそうで微妙でした。例として出して頂いた「~要件」みたいな言葉だと、0か1か的であまり私は賛成できないですね。特筆性は大小あって、ある閾値以下だとウィキペディアでは単独記事になれない、というのが私のイメージです。(当然その閾値を常に明確にすることなどできないわけですが。)そういうわけで「特筆性」のままでいいのではないでしょうか、すでに浸透していますし。Zai零細系統保護協会さんがおっしゃている「特筆性という言葉が招く誤解・誤用・誤読」というのは具体的にはどんなことでしょうか?「特記性」が「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及」とは別の意味で使用される、要は「一般常識に基づき、特筆に値するかどうか」というような一般的意味合いで使用されているということでしょうか。
  • 色々と書きましたが、私はガイドライン化を進めることに賛成で、現状の「独立記事作成の目安」の文章に大きな問題も感じてないです。1点だけ変えてほしいのは、冒頭文の「ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が必要です。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(notability)と表現します。」を、みっちさん達が翻訳(利用者:みっち/翻訳もの)された冒頭文の「ウィキペディアにおいて特筆性とは、対象となる主題について記事を立てるにふさわしいかどうかを判断するために用いられる指標(テスト)です。」に置き換えて欲しいです。その主題に「価値」があるかどうかという言い方は、ひどい傲慢さを感じさせます。主題が人物○○だとしたら「人物○○に特筆性は無い」は「人物○○に百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が無い」と言ってるに等しいことになります。--Yapparina会話2014年10月20日 (月) 14:35 (UTC)
読んでいただきありがとうございます。
(3-1-A)に関しては、特に後段についてご指摘の通りと思います。
前段部分は、私の提案に具体性が無かったのがマズイですね。要するに「特筆性がないと判断する流れも明文化しましょう」ということです。<「記事中に出典が無い」=「特筆性がない」ではないよ><ちゃんと調査してよ>ということをを明示する。Wikipedia:削除の方針(ケースE)は「著名性・特筆性がない記事」というところに本文書へのリンクが有りますが、「著名性」「特筆性」を一般的な日常語のように解釈してしまった場合には、わざわざWP:FAILNまでたどりつかないかもしれないです。もっと「必ずWP:NWP:FAILNに書かれた事項をチェックしてくること」のような誘導を強化しましょうという趣旨です。くどかったり重複になるかもしれないですが、Wikipedia:削除の方針に「出典がないというだけでは特筆性がないことの根拠になりません。詳しくはこちら」みたいにするとか。
(3-2)に関しては、おっしゃるっとおり、「一般常識に基づき、特筆に値するかどうか」というような一般的意味合いで使用されている、ということです。
半分冗談みたいですが(半分本気ですが)、私は『WP採項要件』という新造語を提案します。(単独の目として録するための要件
これは「記事の主題」ではなく「記事の内容・形式」に着目した用語です。Yapparinaさんがおっしゃるように「この人物に特筆性はない」というとなんだか侮辱的ですが、「この記事はWP採項要件を満たしていない/クリアしていない/WP採項要件未証明だ」のような使い方をします。
WP採項要件は、「無関係な第三者による」「信頼できる情報源で」「有意な言及」を「明示すること(出典の明記)」によって「クリア(証明)」されます。(単に現在の「特筆性」を言い換えただけです。)
Yapparinaさんがおっしゃる「特筆性の大小」は、「ナショナルジオグラフィックで半年にわたって連載された地域」と「地元のミニコミ誌に1回載った」では差があるだろう、ということだろうと思います。これは「信頼できる情報源」の水準(信頼度)や「有意な言及」(有意さ)の度合いの問題というふうに置き換えることもできるだろうと思います。事例によっては「出典は示してあるけどこれは第三者じゃない」とかいう指摘を受けることもあるでしょう。見かけ上は「WP採項要件」を満たしても、「いやいや、これは信頼できる情報源ではないでしょう」というような議論は当然ありうるでしょう。
みっちさんの訳にある「指標」「テスト」に相当するのが「WP採項要件」です。「WP採項指標」でも「WP採録テスト」でもいいのです。細かい言葉はどうでもよく、要するに「明らかに特殊で固有の概念だ」とみてわかる用語にしたい、ということです。
冒頭文に関して、Yapparinaさんの思いとは違うかもしれませんが、「百科事典の記事として言及するにふさわしい価値」という表現を変える、ということは、現状の日本語版ウィキペディアがサブカルチャーに満ち溢れていることに対する応えになると思います。私自身も競馬というサブカルチャーなジャンル(芸能人、タレント、アイドル、アニメ、ゲーム、などがまさにその主流)の執筆者ですが、こうしたジャンルは伝統的・一般的な百科事典では言及されないような分野ですから。
ついでにもうひとつ、英語版の文書では削除が「deletion should be a last resort.」と表現されています。いま、この文書ではこれを「削除は最後の手段であるべきです。」と訳しています。「last resort」という表現は、「最初の」、「2番めの」、「3番目の」、「最後の」みたいに単なる順序というよりも、もっとずっと厳しい、できれば絶対に避けたい手段、これを決めた人は切腹するぐらいの覚悟が必要な感じの語last resortの訳のようです。したがって、「記事の削除」をする際には高いレベルで、「八方手を尽くしたけど他にもう成すべき選択肢がないんだよ」ということを示す方向づけしたほうがいいんじゃないの?と感じています。(もちろん、それを詳述する場所はこの文書でなくてもいいです。相互に整合性がとれてリンクされていれば。)--柒月例祭会話2014年10月21日 (火) 15:39 (UTC)
(3-1-A)について了解しました。「特筆性がないと判断する流れも明文化しましょう」には私も基本的に同意です。ただ、私は現在の記事でも<「記事中に出典が無い」=「特筆性がない」ではないよ><ちゃんと調査してよ>に関する説明は一通り備えていると思いますので、「そこまで問題点を抱えているかなぁ」と率直に思っています。もちろん、より良いもの、より分かり易いものをこれから議論していくことに別に異存はありません。
(3-2)もおっしゃってることはよく理解できます。上では「~要件みたいな言葉はちょっと…」みたいな感じで書きましたが、別に強いこだわりはないので多数派意見があればそれに従います。特筆性のままで良いのではと思ったのは、単に言葉の変更による混乱を嫌ったのが大きな理由です。特筆性のままにする場合は、「特筆性」について言及するときは常に「ウィキペディアにおける特筆性」という風に記すことを推奨するとかして、後はまぁ地道に啓蒙していくでも良いかなと。この問題、感覚的で理詰めで決めるのが難しいそうなので、昔のように結局多数決で決めるしかないだろうと思っています。
ガイドライン化における問題点は、Zai零細系統保護協会さんが最初にまとめて下さったように、(3-1)と(3-2)、内容の問題と特筆性という言葉の問題の大きく2点だと思います。本記事がその重要性が共有されながらも今に至るまでガイドライン化できなかったのも、たぶん議論点がこれら2点あるせいでしょう。内容の問題を片づけていくだけでもこじれるのに、さらにもう1つ、論理的というよりは言語感覚な問題が絡んでややこしくなっているではと推測します。
そういうわけで、「今後の進め方について」ですが、この2点は、議論と合意形成までの道筋を独立させて進める方が余計な混乱が無く議論ができるんではと思っています。具体的には、このノート上でセクションを分けて話を進めようというだけですが。特筆性の定義自体はもう決まっており異論も無いと思いますんで、記事文章の細かな点に関する話し合いと別個に、「特筆性」が良いか「WP採項要件」が良いかは議論できると思うんです(最適語が決定されたら機械的に置き換えるだけでいい)。それぞれ、まずやるべきなのは、(3-2):最適語の候補を募集する、(3-1):内容について意見を募集しながら、改善文を具体的に提案して議論していく、という形になるかと思います。--Yapparina会話2014年10月23日 (木) 13:46 (UTC)

「特筆性」という言葉をよく見かけるので、英語版も含めてあちらこちらの履歴などを調べてみた感想を書きます。現状をみると、ガイドライン化を目的としているはずなのにWikipedia:特筆性 (音楽)以外のガイドラインが成立していません。これはつまり、最初に英語版の出来上がっているガイドラインを翻訳して導入しようとしたのが間違いだったのだと思います。「特筆性」のガイドラインというのは、単純に言えば「くっだらない記事を量産するな」ということなのでしょう。どのような「くっだらない」記事が作りたい人が多いかということは、それぞれの言語版で違います。どんな「くっだらない」記事でも1人の編集者がちまちまと月1ぐらいのペースで作っている程度ならばさほど害はなく、ガイドラインを作るほどの必要性はありません。英語版の場合は、実際に問題の生じた分野で個別のガイドラインができ、それを統合して「特筆性」のガイドラインを作っています。そこのところを見落として、翻訳で導入しようとしたことが間違いです。したがって、英語版にあるから導入するというのではなく日本語版で必要なものを作っていくのがよいと思います。「Wikipedia:独立記事作成の目安」も含めて「Wikipedia:特筆性 (音楽)」以外のガイドラインも必要だと思われるなら、セクション名に「仕切りなおしというわけではないのですが」とありますが、ここは思い切って「仕切りなおし」をされた方が早道のように思います。その際、細かいことを色々論議していつまでたってもガイドライン化できないということをくりかえすよりも、合意できる範囲でガイドライン化して、あとで細かい点を改良するというやり方がよいと思います。「小さく産んで大きく育てる」ということです。ところで、英語版ではある程度の期間ガイドライン化されなかった草案は廃案とするというルールがあります。日本語版にはそのようなルールがないようですが、現在ある「特筆性」関連の草案はいったん全部廃案にしてもよいのではないでしょうか。200z会話2014年11月23日 (日) 02:08 (UTC)

人があまり集まらずガイドライン化に向けた話がなかなか進まない理由としては、人が集まったら集まったで意見が対立して収拾がつかなくなるというのもあるでしょうが、結局は特筆性周りの文書がガイドライン化できないまま長年草案に置かれているという状況下にあっても、特筆性を理由とした削除依頼の多くでは本文書を準用した形で現状大過なく運用できてているというのが大きいように思います。喫緊の問題があるわけではなくガイドライン化できなくても別に困っていない現状では、多くの人は多大な手間をかけてまでガイドライン化するメリットをなかなか見出せないのも仕方ないのではないでしょうか。そういう意味では、本文書は「方針・ガイドライン・草案」で区分すれば「草案」に当てはまる文書ではあるものの、現実に本文書に従った運用がされているという点においては慣例的に草案以上ガイドライン未満というような立ち位置で扱われているように思います。同じような立ち位置にある文書としては、Wikipedia:Three-revert ruleなどがありますね。現在進行形で削除依頼ケースEの考え方の下敷きとして頻繁に引用されている文書でもありますから、一旦全部廃案にするというのは廃案化による影響を考えると賛成しかねます。そもそも現状の本文書は英語版からの翻訳がベースにあるものの、英語版にあるから導入したというわけではなく翻訳のベースの上に日本語版で必要な物を積み上げて作られてきた文書です。だからこそ上の方の節の改定議論では、英語版からの翻訳でそのまま上書きしてしまうという案では合意できず日本語版の現状とすり合わせた上で文案を考えるべきだと言う話になっているのです。動いてるものは変えるなというような格言もありますし、玉虫色な状態であっても安定して運用できているならそれはそれで構わないという考えもありなんじゃないかと思います。玉虫色の状態が据わりが悪くて気持ち悪いというのも分からなくはないですが、かといって思い切った方法で手っ取り早く解決しなければならない差し迫った必要性も特に無いのではないでしょうか。--重陽会話2014年11月23日 (日) 06:04 (UTC)
2014年10月23日 (木) 13:46 (UTC)での私の意見でも書きましたが、「特筆性」という言葉についての議論、記事内容についての議論に分けて、ガイドライン化に向けた議論を立ち上げたいと考えています(手が回ってませんが)。内容に関しては、現行版と英語版準拠案(利用者:みっち/翻訳もの)の良いところを取りながらが、存続・統合・削除の要件、削除依頼に当たっての特筆性調査の必要性とかの意見が分かれやすい問題のバランスを取りながら一旦提案しようかと思っています。「合意できる範囲でガイドライン化して」でも良いと思います。具体案ありましたらご提案ください。重陽さんおっしゃるように現在進行形で運用されている文章なので、廃案はやめたほうが良いかと。私はちゃんとガイドラインにしたいんですよね。削除依頼の現状を見ても、細部は異論反論あるかもしれませんが、この草案の核についてはコミュニティーの合意は明らかに得られていますので。この草案の文章を根拠に「Wikipedia:削除の方針、ケースE、著名性・特筆性がない記事」として記事が削除されているんですから、きちんとガイドライン化するのが筋かと思います。--Yapparina会話2014年11月23日 (日) 15:42 (UTC)
コメント かなりの程度に運用実績のある草案です。色々と改善する余地は大いにあるとも思いますが、一旦はガイドライン化する、がスジでしょうね。逆にガイドライン化する事での弊害(恣意的な削除提案の嵐が吹き荒れる等)は考え難いと思います。既にガイドラインとそう大差無く扱われて居ますし、「ガイドラインに昇格したから削除提案しました」とされる記事の数というのもそう多く無いでしょう。改善はその後でも宜しいかと思います。--Kinno Angel会話2014年11月24日 (月) 13:44 (UTC)
コメント仕切りなおし前のやり取りで意見の対立からコメント依頼だのブロック依頼だのに発展して最終的にわやくちゃになってしまったのを見て馬鹿馬鹿しく感じたのもあって、今の所は問題なく運用出来てるんだからグダグダやるぐらいなら今のままで問題ないじゃないかというような思いも多少はありますが、要は一旦廃案にするような思い切った手っ取り早い方法で焦ってガイドライン化を目指さなければならないような差し迫った状況ではないという事を言いたかっただけですので、順当な手法でガイドライン化を目指すということであればもちろん異論はありません。Kinno Angelさんの仰るように一旦ガイドライン化してから改善していくという方法も一つかとは思いますが、これまでにもガイドライン化の提案の度に意見が割れてきたことを考えるとすんなりとは行かなさそうだという気はします。やるとしても駄目で元々、反対意見が集まったら早めに取り下げて文書の修正に移行するというぐらいのつもりでやったほうがよさそうかなと思います。--重陽会話2014年11月24日 (月) 17:41 (UTC)
コメント重陽さんが「かなりの程度に運用実績のある草案です。」とおっしゃることも分からないではないのですが、「草案」の本来の目的を考えるとおかしなことだと思います。何か問題点があるから「ガイドライン」にできずに「草案」にとどまっているわけで、その状態で「運用」するのはかなり危険なことのように思います。「役に立つ部分がある」・「存在意義を認めている編集者がいる」ということを否定するつもりはないので、そのことをはっきりさせるために、特筆性の草案全般について「草案」ではなく「私論」にしたほうがよいと思います。ガイドライン化については、「勢い」別の言い方をすればパワーのある推進者が必要で、特筆性関連の草案群の大部分にはもう「勢い」がないと思います。ほんとにガイドライン化を考えるのならば「一旦廃案にするような思い切った手っ取り早い方法」を考えるぐらいのパワーがないとむずかしいのではないでしょうか。ところで、「私論化」について「お前がやれ」というご意見があれば、私が提案してもいいですよ。もし、そのようなご意見があるなら、まず「Wikipedia:特筆性 (ウェブ)」などの個別の草案から私論化を提案します。200z会話2014年11月29日 (土) 00:11 (UTC)
コメント 本文書がガイドライン化できず草案に留まっている理由は過去の議論を見れば明白ですが、「特筆性」の用語の扱いと、ガイドライン化することによる記事削除への影響の懸念の2点にほぼ絞られます。直近のガイドライン化提案に置いても反対意見の最大の理由はやはり削除関係でした。前者は単に用語の問題ですし、後者は本文書をガイドラインではなく草案の状態で運用する方が削除の乱発を防げて安全だという考えの反映であって、草案の状態で運用するのはかなり危険だというのとはむしろ逆の判断をコミュニティはしてきたということでしょう。実際にそれで草案のままで運用出来ているのですから、草案のままでは危険だという認識はちょっと共感しがたいです。草案という玉虫色の状況で運用されているものをハッキリキッパリとした運用にしたいというお考え自体は分からなくもないですが、勢いが、パワーが、という抽象的、感覚的な物言いに終始されていては中々賛同もし難いです。直近で削除依頼のSTEP:0にWP:FAILNへの誘導を加えたのもあって最近の削除依頼では調査の不十分なケースEの依頼は存続終了となるようなケースも増えてきていますから、Kinno Angelさんのおっしゃるようにガイドライン化による削除依頼乱発の懸念は現在ではかなり薄らいでいるのは確かです。また、前回のガイドライン化提案では「記事中に出典がないことは記事主題に特筆性がないことを意味しない」という説明の明示がないと賛成できないという意見が複数ありましたが、その後の改定で現在では冒頭に「現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。」と明記されるようになり当時の反対理由は解消されています。ですので、ガイドライン化を目指すのであれば私論化という方向よりはむしろ、すんなりとは行かないでしょうが駄目で元々ぐらいのつもりで一旦このままでのガイドライン化を提案してみるぐらいの方がいいのではないかと思います。--重陽会話2014年11月29日 (土) 06:05 (UTC)
  • 個々には個々の事情があります。「単に議論を進める人がない」「<ガイドライン>にしなくてもそのジャンルで多くの人が参考にしていれば実際の運用が可能」とか、いろいろでしょう。ガイドライン化されていない、ということだけをもって一律に「何か問題がある」と決めつけ、内容の精査をせずに全部まとめて私論にしちゃえ、というのはいかにも乱暴です。一つ一つ、問題があるのならば、その問題を解決していく、というのが建設的な筋道と考えます。--柒月例祭会話2014年11月29日 (土) 01:13 (UTC)
  • 200zさんが始めた「分野別のガイドライン」の話は、大きくは(3-1)の話の中に包含できると思います。(3-1)の中の論点の1つとして提起しておきますが、<本文書(一般的な特筆性定義)>と、<分野別の特筆性定義>との関係性についても明記をするとよいと思います。
私個人は、<分野別>基準と<一般的>基準のいずれか一方を満たせば「単独立項可能」というふうに解釈していますが、どちらかがどちらかに優越する、という解釈もあるようです。つまり、ある分野ではその分野の特筆性基準だけが適用され、一般的基準は適用されないというものです。
もしも特筆性基準を裏返して削除基準にもしようとする場合には、このように専門分野に特化した基準を有する分野では、どちらの基準をどう適用するのか、も注意が必要でしょう。
そのほか、「特筆性の判断」とは異なりますが、単独立項/削除に関連して別の運用ルールを設けている分野もあります。(PJ:漫画)--柒月例祭会話2014年11月29日 (土) 01:30 (UTC)

コメントほとんどの内容について反対意見ばっかりだったら草案廃止でも良いと思いますが、けどこの草案はそうではないでしょう。あるいは、編集やノートページへの記入も全く行われない無関心状態で長く放置されているものなら、「ガイドラインとして提案中」というステータスにふさわしくなく一旦棄却すべきという意見もわかりますが、この記事は現在も活発に議論されているのものなので冒頭告知の「ガイドラインとして提案中」にふさわしい状態かと思います。というか、200zさんのおっしゃる私案化でパワーが生まれるというのが、私はいまいちピンと来ないのですが。今の草案のステータスのまま話を続けるのと何が違うのでしょうか。ステータスの不一致を解消したいだけというのであれば、上記の反対意見の通りです。(あと一応断っておきますが、私の草案廃止反対はこの「Wikipedia:独立記事作成の目安」についてだけであって、各分野の特筆性草案については、詳しくないので今のところ反対も賛成もしません。)--Yapparina会話2014年11月29日 (土) 04:48 (UTC)

追加ですが、Kinno Angelさんと重陽さんが書かれている、まずは今のままガイドライン化してその後内容や特筆性という表現の議論・修正を行うというステップでも、もちろん支持します。てっきり、まだまだ修正をしないとガイドライン化に賛成しない人たちが多数派なのかと思って、先に議論の立ち上げが必要かなと思ってました。細かいところは私自身も直したり整理したいところがありますが、上の方にも書きましたけど現在の文面でおおよそ書かれるべきところは書かれており、一旦ガイドライン化もできないレベルの問題は抱えていないと思います。--Yapparina会話2014年11月30日 (日) 00:10 (UTC)
コメント(重陽さん・Yapparinaさん・Zai零細系統保護協会さんのご意見を読んで)実態として、重陽さんのおっしゃる「実績のある草案」であるというお話はわかるのですが、筋論で考えると何の拘束力もない単なる提案でしかないはずの「草案」に「実績がある」という状態はかなり「気持ちが悪い」と思います。このような「気持ちの悪い」状態になってしまったのは、2007年頃に英語版からの導入を検討した時に、まだガイドラインになっていない時点で、Yapparinaさんご指摘の削除の方針の中の文言を追加(2008年2月頃)したり、template:特筆性を作成(2007年12月頃)したりというようないささかフライング気味の行動をとったことが原因だと思います。ガイドライン化がすんなり進んでいれば、これらのフライングはさして影響がなかったのでしょうが、提案者が息切れしてしまって、ガイドライン化をあきらめ、といって草案を取り下げるでもなくというような中途半端な形で議論から撤収してしまい、その際にこれらのフライングを片づけないままにしたために、いびつな形の「遺跡」ができてしまったのだと思います。2007年の時点に戻って、やり直すことができればすっきりしますが、実際上それができるとは思えません。「私論化」は、「気持ちが悪い」状況をいくらかでも解消するための一つの方法です。しかし、具体的な解消法について議論する前に、まず、現在の状況が「気持ちが悪い」状況であることをご理解いただく必要があると思って、このコメントを書きました。なお、「ガイドライン化」も「気持ちの悪い」状況を解消する方法なので、反対するつもりはありません。とはいうものの、重陽さんのおっしゃるように「投稿ブロック」などを使って議論をつぶそうとする参加者がいるような状態では、難しいように思います。杞憂かもしれませんが。200z会話2014年12月12日 (金) 11:22 (UTC)
(補足)上に書いた、「Wikipedia:削除の方針」の中の「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」は、「特筆性がない→削除」というように理解されているようです。しかし、元の文は「*人物、組織(バンド、クラブ、会社など)、出版物などの記事で、百科事典に記載するほどの著名性がないもの。なお著名性については、削除依頼を提出する前にWikipedia:著名性を参照してください。もし著名性を有するのに削除依頼が開始された場合は、Wikipedia:著名性を参考にして著名であることを直ちに記事本文に示した後、削除依頼の審議でそれを報告して下さい。【2008-02-02新設】」ともっと長いもので、[過去ログ]を見ていただければわかるように、英語版の即時削除の方針A7から導入されました。(「削除の方針」ではありません)英語版A7には当時も現在も「This is distinct from verifiability and reliability of sources, and is a lower standard than notability.」とあり、関連性はあるものの特筆性(notability)とは別物です。200z会話2014年12月12日 (金) 12:07 (UTC)
(200zさんへ)過去の経緯調査ありがとうございます。私も役に立つ議論がないか色々探してみましたが、Wikipedia:信頼できる情報源のガイドライン化までの道のりを見ると、英語版から翻訳を終えて英文が除去されたのが 2008年3月5日 (水) 13:08‎[8]、それからガイドライン化に至ったのが2012年4月18日 (水) 03:41[9]となっており、4年間「草案・提案中」のまま議論を重ねて、ようやくガイドライン化に至ってます。他にもWikipedia:カンバスなど、英語版ではガイドライン化されているが、日本語版では「草案・提案中」のままというのは多々あるようです。もちろんテキパキと方針・ガイドラインの制定の結論がでれば良いと思いますが、このような状況をみると、日本語版での方針・ガイドラインの制定がゆっくりとしたスピードでしか進まないことを許容するしかない私は思ってます。英語版と比べてしまえば日本語版は議論に関わるヒューマンリソースが不足しているなど、理由を挙げれば色々あるでしょう。その辺については話がそれますのでこれ以上は議論しませんが。
「草案に実績があるという状態はかなり気持ちが悪い」という意見も了解しました。私はこのままガイドライン化を目指すべきと主張しますが、現状のステータスが気持ちが悪いと感じている点では、200zさんと共通かと思います。200zさんも「ガイドライン化」にも反対しないとおっしゃってくださったこと、重陽さん、Kinno Angelさんも現状のままでとりあえず「ガイドライン化」すべきではとおっしゃってくださいましたので、下記のように正式ガイドライン化の提案に進むことを提案しようかと思います。
提案 「修正を必要とする声はまだ存在するものの、現行版で運用実績を長く積んでおり、コミュニティーの概ねの同意が得られていると考えられることから、内容や"特筆性"という用語に対する修正要望は当然ながらガイドライン化後も受け付けることを前提として、ひとまずガイドライン化することを提案すること」を提案したいと思います。反対なければセクションを新設して、提案に進みたいと思います。ここ1年くらいまでの議論の整理もできるだけ添えたいとは思っています。以上よろしくお願いします。--Yapparina会話2014年12月13日 (土) 15:15 (UTC)
  • すべての事例がそうである、とは言いませんが、“「草案」に「実績がある」”というのは、要は、各々の場面で各々の議論参加者がその草案を妥当だと考えて援用してきた結果、ということだと私は思います。
いまの削除依頼では既にこの「独立記事作成の目安」がふつうに参照されており、いまの状態から「正式なガイドライン」に格上げしても、実際問題として大して何もかわらないだろう、とは思います。もちろん私は全ての削除依頼の議論を精査しているわけではないので、私が知らないだけかもしれませんが、削除依頼の場面で「WP:Nなんてのはガイドラインですら無いんだから、あんなものの規程に従う必要なんてない」という主旨の主張をしている場面はほとんど無いように思います。『分野別基準』との関係については、WP:Nが「ガイドライン」となっても、そのWP:Nで各分野の基準(草案・私案含む)を示している限りにおいては、両者の関係は従来通りの運用でよいと思います。『特筆性という術語』『分野別基準』に関する今後の課題はあるものの、現状のままガイドラインに格上げしてもあらためて発生する大きな混乱はないのではないか、という意味で、Yapparinaさんのご提案に賛同します。--柒月例祭会話2014年12月13日 (土) 18:43 (UTC)
  • ガイドライン化のご提案ありがとうございます。直近の議論はかなり長大なものになってしまっていますし、議論の整理も添えていただけるということでとてもありがたいです。もし反対意見が多く出てガイドライン化には至らなかったとしても、そこで出た反対理由を解消していく方向で修正を進めればガイドライン化への道筋がよりハッキリとするかと思いますし、どういう結果になったとしても非常に有益であると思います。よろしくお願いします。--重陽会話2014年12月14日 (日) 05:42 (UTC)

ガイドライン化の提案20141214

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提案 本文書「Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安」の正式のガイドライン化を提案します。話の流れは上のセクションの通りですが、ガイドライン化すべき理由を私なりに整理してみます。参考ください。

  • 本文書は、Wikipedia:削除依頼におけるWikipedia:削除の方針に組み込まれ、運用実績を長く積んでおり、ある題材に対する独立記事作成の是非を問うような場面では頻繁に参照され、議論の土台として頻繁に使用されています。したがって、本文書の基本的内容は、ガイドラインの定義である「多くの利用者に支持されている、最善の方法(ベストプラクティス)WP:GUIDES」に十分に相当すると考えられること。言い換えれば、コミュニティー内で、十分運用されたり、参照されたりしてきていることから、「草案」という状態はそぐわず、そろそろ「形式」と「実質」を一致させるべきと考えられること。
  • 柒月例祭さんやKinno Angelさんの言葉も借りるなら、現行版のまま「正式なガイドライン」に格上げしても、実際問題として(良い意味で)大して何も変わらない、恣意的な削除提案の嵐が吹き荒れるようになる等の悪影響の発生は考えにくいこと。
  • 「特筆性という術語の是非」や「内容の整理・修正」など、議論を必要とする声はまだ存在するものの、それらは、当然ながらガイドライン化後にも議論して修正可能なこと(もちろん、抜本的に基準を厳格化したいor緩和したいというような意見を出すのも結構)。しかし、それらの完全な解決を待っていてはガイドライン化されるのが非常に遠い先になってしまうと考えられること。
  • 現在のノート上だけでも、2012年6月、2013年2月、2014年1月にガイドライン化が提案されました。いずれもガイドライン化へは至りませんでしたが、その度に合意形成を経て文書や文書名に修正が加えられていき、本文書に対するコミュニティーの意見反映が着実に成されて来ていること。(別途用意した#最近の議論、文書変更の流れの整理(ご参考)も参考ください)

以上の理由から、ガイドライン化後にも議論すべき点が存在することは認めた上で、ひとまず、ガイドライン化することを提案いたします。

議論の見通しを良くするため、近年の議論の整理は、下の節#最近の議論、文書変更の流れの整理(ご参考)に分けましたが、賛成、反対など、ご意見については、ここの直下に吊り下げてもらえればと思います。よろしくお願いいたします。--Yapparina会話2014年12月14日 (日) 13:01 (UTC)

(報告)Wikipedia:お知らせプロジェクト:プロジェクト関連文書/リストWikipedia:コメント依頼#議_2014年12月にて告知しました。--Yapparina会話2014年12月19日 (金) 21:50 (UTC)

  • 賛成 ご提案ありがとうございます。前回のガイドライン化提案やそれ以降に指摘された問題点の多くは改善の積み重ねによって解決されており、現状でも既に多くの削除審議において度々本文書が参照されコミュニティからはほぼガイドラインに近いもとのとして運用されていますから、草案からガイドラインに変わったとしても実際の削除依頼や記事の立項などへの悪影響や混乱はないだろうと思います。ひとまずガイドライン化した上で改善を続けていくという方法に賛成します。--重陽会話2014年12月17日 (水) 21:54 (UTC)
  • 賛成 Yapparinaさんのご提案に賛成します。私としてはひとまず言いたいことは上で述べたとおりで、今回の提案の「ガイドライン化(昇格)」は、実際上「これまで(仮)つきで運用されていたものの(仮)をはずす」ぐらいのインパクトしかない(それはそれで重要な節目ではあるけれども)と思います。--柒月例祭会話2014年12月21日 (日) 07:21 (UTC)
  • 賛成 技術的なことばかり書いたので、賛成なのか反対なのかわからないと思っておられる方もあると思います。私は、実質的にガイドラインとして運用されているものが「草案」であるというのは不正常だと思います。したがって、現在のままでガイドライン化することに賛成です。200z会話2014年12月22日 (月) 11:22 (UTC)
コメント私も、ちょうど4週間経過ということで、本日の13:01 (UTC)を過ぎたら同様の提案をしようと思ってました。今から1週間待って、特に異論なければ正式化を実施したいと思います。--Yapparina会話2015年1月11日 (日) 03:12 (UTC)
コメントよろしくお願いします。200z会話2015年1月12日 (月) 10:13 (UTC)

報告 上記の宣言から1週間経過しましたが、異論ありませんでしたのでガイドライン化いたしました(差分:prev)。議論にお付き合いいただきました皆様、ありがとうございました。--Yapparina会話2015年1月18日 (日) 03:17 (UTC)

  • ひとまず、おつかれさまでした。上でも書きました通り、実情からすると大きな変更では無いようでもありますが、これまで何年も「ガイドライン化」が成立していなかったことを考えれば、大きな前進であるように思います。--柒月例祭会話2015年1月19日 (月) 06:47 (UTC)

最近の議論、文書変更の流れの整理(ご参考)

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簡単になってしまいますが、ここ1年くらいの議論について時系列に沿って整理してみます。全ての議論は要約しきれませんので、具体的な文書変更に至った議論などに絞って書いています。ご了承ください。

  1. 2012年6月3日にガイドライン化に向けた問題点についての検討が行われました(#ガイドライン化に向けての相談)。その議論の中で「"特筆性"という術語が適切ではない」という指摘がありました(大和屋敷さん2013年6月13日 (木) 14:02、みっちさん2013年6月14日 (金) 11:09など)
  2. これを受けて、2013年8月頃からのページ名についての議論が行われ(#改名提案など)、議論の末に2013年9月23日に、「Wikipedia:特筆性」が「Wikipedia:独立記事作成の目安」へ改名されました。[10]
  3. 改名後に、冒頭部、「一般的な目安」節、WP:NRVEWP:NTEMPに修正加えられました(#改名後の編集)。これら一連の編集で「ニュース報道等」のセクションが独立するなどの変更が加わりました(差分)。
  4. 2013年12月14日に、ガイドライン化のために一旦文章をスリム化すること、{{proposed}}から{{draft proposal}}へ変更することなどの提案がありましたが(#ガイドライン化について)、現状のままでガイドライン化を進めるべきという意見が多く(ぱたごんさん 2013年12月25日 (水) 15:28、大和屋敷さん2013年12月21日 (土) 06:33など)、ガイドライン化の提案に進むことが提案されました(伏儀さん2013年12月26日 (木) 14:25)
  5. 上記の議論を受けて、2014年1月3日に再度ガイドライン化が提案されました(#ガイドライン化の提案)。反対意見として「特筆性を担保する情報源と記事中の出典の位置づけが明記されていない」など意見が出て(みっちさん 2014年2月28日 (金) 09:35、ikedat76さん2014年3月24日 (月) 16:30など)、ガイドライン化には至りませんでした。
  6. 上記の指摘に関連した議論の結果(#冒頭部分の編集再提案)、冒頭文へ「特筆性と記事内容自体は無関係であること」、「特筆性の証明は記事立項時に行うことの薦め」などが、2014年5月8日に反映されました。[11]
  7. 2014年4月頃から削除依頼における削除を求める側と存続を求める側の努力のバランスについて議論されました(#削除を求める側の努力規程に関して)。
  8. 議論の結果、2014年5月18日頃にWikipedia:削除依頼には、ケースEを理由にした依頼をする場合には、依頼の前にWP:FAILNを参考に削除以外の方法も検討することを推奨する旨が加わりました。(Wikipedia‐ノート:削除依頼‎#「STEP.0 依頼の前に」節にWP:FAILNへの案内を加える提案)。
  9. さらに、2014年5月頃から、本文書のWP:FAILN自体にも修正の議論が行われ(#以上の意見をふまえて、FALINの改正提案を行います)、英語版も参考にすべきという議論も起こりました(#英語版に準拠した修正案)。
  10. 上記の議論の結果、最終的には、WP:FAILNには英語版に準拠した修正案を基に全体的に修正が加えられ、「調査過程の少なくとも一部には、積極的な情報源の探索が含まれるようにしてください。」といったような削除を求める側にも一定の努力を求める文言などが、2014年7月23日に追加されました[12]。また、WP:NTEMPには「特筆性が満たされるようになれば削除されたものでもの復帰可能であることの明記」が、2014年7月24日に反映されました[13]
  11. さらに、2014年6月頃から10月頃にかけて、WP:FAILN以外の箇所についても、英語版を基にした修正が提案され(#洗い直し)、英語版との違いなどが指摘されて(#現行日本語版の問題点)、議論を行ったが、具体的な文書の変更には至りませんでした。

以上、議論ツリーと変更履歴をにらみながら抜き出してみました。裏を取りたい方は各議論を参照ください。めちゃ長ですが。。。個人的印象としては、前々回、前回のときのガイドライン化提案のときよりも、少しずつですが合意形成を得ながら文章に修正が加えられ、最低限書かれるべきことは書かれている状態になっているのではと思っています。その辺の思いもあって今回の提案に至ってます。できるだけ事実だけを抜き出すようにしたつもりですが、明らかな事実誤認がありましたら修正しますのでお知らせください。--Yapparina会話2014年12月14日 (日) 13:01 (UTC)

ガイドライン化についての技術的な提案

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ガイドライン化について技術的な提案を2つします。一つ目は、あらかじめスケジュールとガイドライン化を断念する基準を決めておくことです。たたき台として、私の考えた案を下に書いておきます。

フェーズ1:ガイドライン化のための文章の推敲。
 主に、ガイドライン化の支障となる文言の削除等を行う。
 ガイドライン化の是非については議論しない。2週間。
フェーズ2:ガイドライン化の是非についての意見表明。
 文面の変更はしない。1週間。
フェーズ3:投票。賛成と反対のみ有効とする。1週間。
ガイドライン化の基準:ガイドライン化の賛成票が有効投票の2/3以上でかつ10票以上あったときに
ガイドライン化を行う。(20141219変更しました) この条件を満たさないときは、今回のガイドライン化は断念する。

「2週間」等の提案中の数値は仮のものですが、一応妥当な線だと思っています。もう一つの提案は、この議論の周知に、{{特筆性}}を使うことです。template:特筆性/sandboxに周知のための告知を追加したものを試作しました。私の下書き頁(利用者:200z/sandbox1)に試作したテンプレートを貼っておくので、ご覧ください。{{特筆性}}は全保護になっているので、この提案を実施するためには、皆さんの合意を頂いて管理者に依頼する必要があります。(2つ目の提案は取り下げます。200z会話2014年12月21日 (日) 11:28 (UTC))
提案理由:1つめの提案は、ガイドライン化の議論がいつまでもだらだら続くのを避けるための提案です。2つめの提案は短期間でかたをつけるためには、周知をしっかりしておく必要があるだろうという考えにもとずく提案です。以上、ご検討よろしくお願いします。200z会話) 2014年12月16日 (火) 11:07 (UTC)
既に、コンセンサスを確認する段階になっており、この提案は不必要だと思います。取り下げます。200z会話2015年1月12日 (月) 10:13 (UTC)

  • こうしたことを事前に取り決めておくのは悪いことではないと思いますが、話の流れとは相容れない部分もあります。
提案の中では「反対意見が多く出てガイドライン化には至らなかったとしても、そこで出た反対理由を解消していく方向で修正を進め」るということも考えにはいっていますので、単純に賛成反対だけ票決してハイ終わり、ということではないです。賛否を問う中で問題点や改善すべき方向性が炙りだされてくればそれはプラスに働きます。過去に行われてきた議論も含めて今回の提案は、ウィキペディアの改善という大きな方向性の流れの中にあるのであって、流れから独立して二択で完結するようなものではないでしょう。賛成でガイドラインになったとしても、更に改善は続きますし。
グダグダにしないために賛否を端的に明確にすることは必要でしょうけど、賛成にしろ反対にしろ、その根拠を述べて論点を出すことはむしろ望ましいと思います。どこから来てなにをどう読んだのかわからない票(要は、怪しい票)が数だけ集まっても、いかがなものかなあとは思います。
ガイドライン化には「高いレベルの合意が必要」とされています。「1週間の投票、10票以上、2/3以上」というのが高いレベルの合意というに値するのか、最低ラインだと10対5ということになりますが、それぐらいを「高いレベルの合意」とみなすのか、私は過去にどういう判断がされてきたのか知らないのでなんともいえません。
テクニカルには「有効票」の定義も必要ですね。--柒月例祭会話2014年12月16日 (火) 12:02 (UTC)
提案内容を若干変更しました。変更点は、可決とするための最低必要数をなくしたことです。最小だと賛成1反対0でも可決ということになりますが、投票数が少なくても、それが十分に周知を図った結果であれば、「1:この頁を見に来たが投票しない人数」+「2:告知を見たがこの頁を見に来ない人数」が多いということで、どちらにしても「反対」ではないので問題ではないと考えます。200z会話2014年12月19日 (金) 12:47 (UTC)
(補足説明です)投票して、反対が多い場合のことですが、あくまで「今回のガイドライン化は断念する」ということで、(今までと同様に)少人数で文面の見直しなどを継続していくことを否定しているわけではありません。200z会話2014年12月19日 (金) 12:47 (UTC)
報告この議論の周知に、{{特筆性}}を使うことをTemplate‐ノート:特筆性にも提案しました。両方の提案に対して1週間程度反対がなければ、Wikipedia:管理者伝言板/保護ページ編集で{{特筆性}}の変更を依頼するつもりです。200z会話2014年12月19日 (金) 14:10 (UTC)
  • 本提案を立ち上げたものとしては、Wikipedia:合意形成の考え方にもとづき、まずは投票ではない形で、合意形成を目指したいと考えています。柒月例祭さんの指摘する「怪しい票」の問題もありますし、「私は~~だと思います。よって賛成or反対します。」という風に意見を述べてもらわないと、次の改善に繋げようがないからです。
周知が十分に行われるべきという考えは同意するところですが、標準名前空間の内、「{{特筆性}}が貼り付けられた記事」のみに告知するのは、偏った告知になってしまわないかを懸念します。この提案は「{{特筆性}}が貼り付けられていない記事」の編集者・閲覧者にも関係ある話ですので、一方だけに告知されるは不平等かと思われます。かといって全ての記事に告知を貼るのは明らかにやり過ぎになってしまう。とりあえず、一般的に推奨されている、お知らせ、プロジェクト関連文書、コメント依頼にて告知しましたので、そこまでやらずに当面は経過を見ることでどうでしょうか。
議論がいつまでもだらだら続くことの懸念ですが、たとえ長くなっても互いにきちんと根拠を述べながら議論が行われるならば、この提案の議論が多少長くなってもそれを無理に止める必要もないと思います。一方で、議論が余りにも長引くようであれば、{{提案}}を取り消して、{{取り下げ}}を掲げます。どのくらいの時期でその判断をするのかは、議論の行方を見ないと何とも言えません。
では合意形成の目安はどこかと言えば、通常の議論と同じく、有意な反対意見が無くなり、ある程度の賛成が得られたところだと思います。もちろん私が「これは有意な反対ではないか排除します」などと一方的に決めることではなく、それも議論の過程において参加者の中で判断されていくことだと思います。ガイドライン化における「ある程度の賛成」がどのくらいかを決めてしまうのは難しいです。内容の質や議論の経緯が違うので一概には言えませんが、以下のような例を見て、私の意見として、表明された賛成意見数が10名に満たない場合でも十分だと判断します。
いずれにしろ、合意形成には至らないと判断して提案を取り下げるときも、合意形成されたと判断してガイドライン化するときにも、事前に告知して確認します。「~という状況なので、1週間後に取り下げorガイドライン化をしたいと思います。異議のある方は表明ください」という風に。--Yapparina会話2014年12月20日 (土) 00:44 (UTC)
上記提案のフェーズ1の作業場所としてWikipedia:独立記事作成の目安/草案20141214を作成しました。期間の提案は留保します。上記作業場所あるいはこのページで2週間程度変更の提案がない場合は、フェーズ2への移行を提案するつもりです200z会話2014年12月21日 (日) 11:28 (UTC)
周知のために{{特筆性}}を利用する提案は取り下げます。200z会話2014年12月21日 (日) 11:28 (UTC)
今の所は従来どおりの合意形成プロセスで特に問題なくスムーズに話は進行しているのですから、先回りしてスケジュールの細部を固定化して議論進行の柔軟性を失わせてしまうのは逆効果でしょう。ガイドライン化の是非の議論は既に始まり、進行しています。本筋の議論の方に力を注いで下さい。--重陽会話2014年12月21日 (日) 12:11 (UTC)
ガイドライン化に賛成か反対かを明確に書いていなかったので、上の方に書いておきました。200z会話2014年12月22日 (月) 11:22 (UTC)

草案用サブページ作成提案

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IP利用者なので中身の議論にはあまりかかわれそうにありませんが、改訂とガイドライン化をスムーズに進めるべく、新たに改定案を作成することを提案します。具体的には次のような手順です。

  1. 「Wikipedia:独立記事作成の目安/改定案」 ないし「Wikipedia:独立記事作成の目安/改定案20141217」といった按配の草案用のサブページを作成します。
    • サブページの冒頭には「このページはガイドライン化に向けた草案である。削除依頼等で参照することを禁ずる」という趣旨の注意書きをしておきます。
  2. 作成したサブページを利用してガイドライン化に必要な編集を施します。必要に応じて大幅に書き換えたり、最新の英語版から翻訳しなおしても問題ありません。サブページは他の方針の草案と同じように取り扱います。
  3. 準備ができたら「サブページの内容を独立記事作成の目安の正式な内容としてガイドライン化する」という合意を取り付けます。
  4. 合意ができたらサブページの内容を独立記事作成の目安に統合し、「削除依頼等で参照することを禁ずる」の注意書きを除去します。

これはWikipedia:投稿ブロックの方針の改定の際に用いた手法とほぼ同じものです。サブページを用いるのは、独立記事作成の目安が事実上の運用状態にあるためです。 独立記事作成の目安は現在、削除依頼においてケースEの判断材料として参照されているため、目安に大幅な編集を加える前には合意形成を得る必要があります。 仮に数文字書き換える些細な編集であっても、意図せず目安の意味合いを大幅に変えてしまう可能性があるため、編集には慎重にならざるを得ません。これではガイドライン化に必要な編集を終えるのに極めて長い時間がかかってしまいます。

そこで、運用状態にある目安とは別にサブページを設け、そこで草案を作ることにします。これなら大胆に書き換えても運用中の目安に影響を及ぼさないので、より草案の作成が行いやすくなります。現状の「草案がいつの間にか運用状態になってしまう」問題を回避するため、サブページには「削除依頼で参照しないこと」という注意書きをしておき、あくまで草案であることを強調しておきます。

Wikipedia:投稿ブロックの方針の改定でも使われた実績のある手法です。運用中の目安を直接書き換えることでの不具合を避け、落ち着いてガイドライン化に向けた編集ができるよう、草案を別途設けることを提案する次第です。 --180.19.30.140 2014年12月17日 (水) 14:40 (UTC)

サブページを作成する提案には賛成で、改定案を作成する提案には反対です。今回の提案は、現在の草案が実質的にガイドラインとして機能していることを前提とする「ガイドライン化」の提案だと理解しています。作業をスムーズにするためにサブページを作成することはよいと思います。しかし、ガイドライン化と同時に大幅な改定を議論すると議論が分散化してしまいます。そうならないようにするため、ガイドライン化の提案についてYesまたはNoの結論が出るまでは大幅な改定はさけ、ガイドライン化に必要な範囲での最小限の編集にとどめるべきだと思います。なお、サブページの名称は「Wikipedia:独立記事作成の目安/草案20141214」とするのがよいと思います。200z会話2014年12月19日 (金) 15:02 (UTC)
報告「Wikipedia:独立記事作成の目安/草案20141214」を作成しました。200z会話2014年12月21日 (日) 11:28 (UTC)
ガイドライン化についての技術的な提案節の方で書いたことと同様ですが、従来どおりの合意形成プロセスでも特に問題なくスムーズに進んでいるのですから、それ以上の特別な手法を試みる必要はないように思います。--重陽会話2014年12月21日 (日) 12:11 (UTC)
報告「Wikipedia:独立記事作成の目安/草案20141214」を削除依頼しました、200z会話2015年1月11日 (日) 03:10 (UTC)
削除されたので、念のためリンクも除去しておきます。200z会話2015年1月12日 (月) 10:13 (UTC)