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Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安/過去ログ4

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ルール(方針)と投票(利用者の皆様の意思)について

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明らかに掲載基準を満たしていないと思われる項目でも、削除依頼の投票数により長年存続(実質的放置状態)になったり依頼が長期積み残しになる事例が多くあると感じます。スムーズに物事を進めかつ百科事典としての品質を保つためには、たとえ票が分かれても「方針を重視した評決を出す管理者」と「それによって管理者が責められない規則」を置くことを提案いたします。この二点でスムーズかつ品質を保ちつつ百科事典が発展してゆくと思うのですが、いかがなものでしょう?--かんな文移 2010年10月22日 (金) 05:10 (UTC)

逆に、明らかに掲載基準を満たしていると思われる項目でも、投票数により削除されそうになった記事に対し、存続の評決を出す管理者も必要になるでしょう。投票数とは無関係に、削除・存続の評決を下せる管理者を仮に「裁定管理者」としましょう。裁定行為を責められないように、任期は例えば1年として、解任制度は設けない必要があるでしょう(再任や自ら辞任するのは可能。管理者の資格を失っても、無期限ブロックを受けない限り「裁定管理者」の資格は保持される。)。相互の牽制の為、「削除裁定管理者」と「存続裁定管理者」を分ける必要があり、両者の「裁定管理者」間で意見の相違が生じた場合には、裁定は認めず通常の判断を行うこととしましょう。--4行DA 2010年10月22日 (金) 12:32 (UTC)
まずは、この草案を正式なものにすることが先決だと思います。十分に周知した上で、それでもなお特筆性が誤解されるなら、その時に次の手を考えればいいでしょう。--有足魚 2010年10月26日 (火) 19:08 (UTC)
そもそも管理者はいざというときは投票数とは無関係に、削除・存続の評決をことができるのでは?--宗治 2010年10月28日 (木) 08:35 (UTC)
みなさま、コメント恐縮です。確かに管理者は投票数と無関係に評決を決めることは可能ですが、評決に納得のいかない利用者の方々とノートなどで議論となるとまた長い時間が必要になりますので、それならば評決を決めた結論に対しては議論をしないという規則を作れば管理者、利用者共にスムーズにプロジェクトを進行することができるのではないかな…?と思うのですが…(^-^;)。考えてみますと今は草案を正式にすることがスムーズ化につながるような気もいたします。--かんな文移 2010年11月9日 (火) 14:38 (UTC)

有名性と特筆性には正の相関がある

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貨幣進化論』という新潮選書の記事を作ったら、削除されてしまった者です。有名な会社から出た本だから、初稿投稿時には、特筆性には何の疑問も持ちませんでした。

特筆性のページの冒頭には、有名性と特筆性には正の相関があると書いてあります。つまり、有名性が大きければ特筆性も大きいということでしょう。「有名性が大きいなら十分特筆性も大きい」つまり、有名性は特筆性の十分条件であると思います。「有名性と特筆性はイコールじゃない」とも書いてありますが、それは、無名だから直ちに特筆性が無いということにはならない、という意味だと思います。そして無名と見なされたなら特筆性を示せってことで特筆性テンプレを貼るというルールであるべきだと思います。一方で、有名性のあるタイトルには、特筆性を貼るべきじゃないと思います。新潮社ダイヤモンド社から出版された(雑誌じゃなく)単行本に特筆性テンプレ貼られちゃたまんないよ~。有名性の定義はそんなに難しくないと思います。書籍なら、本の題名が有名なら当然のこと、図書館検索条件として一般的である著者または出版者(社)が有名なら、有名性ありと見なしてよいでしょう。では、有名かどうかの判断基準ですが、それもわりと簡単に数値化できると思います。グーグル検索数ですと、マイナーな事象名を少数者がブログなどで書きまくれば検索件数が結構な数になるという、組織票的なノイズが入ってしまう恐れがありますが、もし、書籍の場合でしたら、アマゾン・ドットコムと有名国公立図書館の双方で著者や出版社を検索すれば、その検索数が有名性を表すと思います。(出版社の場合は、資本金とか会社設立からの継続年数とか書籍の累積出版冊数などでも、その出版社が大手かマイナーかを判別できると思います) 検索数が全体で上から何位であるとか平均より上か否かという「相対評価」で計るのか、検索数何千件または何万件以上なら有名、という「絶対評価」にするかは議論の余地があると思いますが、後者でいいと個人的には思います。--Monavino 2011年7月14日 (木) 07:52 (UTC)

有名な著者や出版社の出版物だからといって、無条件に有名な出版物とみなされるわけではありません。以上。--123.230.207.251 2011年7月14日 (木) 23:33 (UTC)
大手の出版者の場合は製品が目に付きやすいだけで、一時期話題になっただけでなく後世に影響を残すものはもっと少なくなると考えられます。自費出版物や同人誌でも (第三者の目にも明らかな) 社会現象を起こしたら特筆性があるといえます。リイド社は従業員数が45名で大手とは判断しにくい出版社ですが、出版物である「ゴルゴ13」の著名性は火を見るより明らかです。またAmazonの著者検索は、同姓同名の著者を区別できない仕様になっていると思われますので当てになりません (図書館では「著者標目」という著者リストを作成することで、この問題を回避しています。出版者もしょっちゅう名称を変更するので正確な検索結果を出すには知識と手間が必要です) ついでにAmazonも含むネット書店は、それぞれ取引のある出版社や収録する書誌データや検索の仕組みが異なる・変更されうるため、そのブレゆえにWikipediaでの判断基準にはできないと思います。有名国公立図書館が国立国会図書館を指すならば、そこは日本国内で出版されたもは全て収集する・内容は一切検閲しないというポリシーでやっています (が、結構抜けも多い) ので、本が入っているという理由でプラスの評価がされたわけではないです。地方の公立図書館は一応本を選んで収集していますが、所蔵に至る理由がさまざまですので国立国会図書館と同様です。最後に削除依頼における検索結果は、ヒット数そのものより、全国紙や雑誌の特集で取り上げられた形跡がないことが容易に察せられるという意味があります。--via 2011年7月15日 (金) 03:35 (UTC)
特筆性に関する規定は現状草案ですので、削除されたのでしたら他に正当な理由があるはずです。--Himetv 2011年7月15日 (金) 03:38 (UTC)
確かに、「貨幣進化論」は特筆性が直接的な理由で削除議論が始まったのではないですが、特筆性が結局は問題にされ、最終的な削除理由も「単独で立項するほどの理由がない」という特筆性に似たものでした。しかし、ダイヤモンド社から出された本の記事(会計の勘所)でも特筆性テンプレを貼られました。北野武監督の映画のうち「みんな~やってるか」は興行的にも成功せず評論家にも評価されなかった作品ですが、wikipediaにページが存在します。そりゃ「世界のキタノ」の作品だからでしょう。なぜ、創作主体が(有名な)人間だと無名作でも立項され、(有名な)会社(ダイヤモンド社)だと特筆性が問われるのですか?その違いは何?--Monavino 2011年7月15日 (金) 08:54 (UTC)
「有名」であるかどうかは個人の主観に依存してしまうため、それを排除するために特筆性の考え方があるのです。つまり、その記事の主題に十分な第三者からの言及があるかどうかを基準とすることで、客観的な判断ができるようにしようというものです。また、著者の特筆性と作品の特筆性は直接関連しません。たとえば、作者について十分な資料があり、百科事典として問題のない記事が執筆できるとしましょう。しかし、その作者の作品について個別の記事を書こうとすれば、その作品そのものについて説明している資料がなければ書けません(検証可能性)。特筆性の考え方は、そういった事態を避けるためにも有用なのです。形式的に特筆性があるかどうかを判断するのではなく、具体的にその事柄について述べている資料によって、記事を百科事典的なものにすることができるのかどうかを考えることは大切なことです。
最後に、「○○もあるのだから××もあっていいだろう」と言う考え方は、ほかの編集者に受け入れられるものとは限りません。ウィキペディアには不完全な記事がたくさんありますが、だからといってそれに甘えていていいわけではないからです。--有足魚 2011年7月15日 (金) 09:39 (UTC)
「その違い」は、みんな〜やってるか!にはallcinemaキネマ旬報AllRoviIMDbという、それなりに中立・客観的かつ世間で認められた情報源があることだと思います。そういう情報源がないところで記事を作ると、結局、Wikipedia編集者(=どこの誰とも知れない一般人)のレビュー・感想文になってしまうか、あるいは著者・出版社・製作者側からの情報だけに基づいた視点の偏った記事にならざるを得ません。Wikipediaは百科事典ですから、そういう記事は不要なのです。--Dwy 2011年7月15日 (金) 12:52 (UTC)

元記事が削除されておりますので詳しくは分かりませんが、書籍紹介を目的とした記事だとすれば岩村「貨幣進化論」は2010年9月に公刊された書下ろしのようですので、充分で引用可能な書評はまださほど存在していないのじゃないかと考えます(googleった限りの印象です)。書籍紹介の場合、どうしても書籍そのものの内容の紹介と広告宣伝的な記述に依存して起筆することになるので、あんがいWikipedia単独記事むきではないという印象があります(むしろカメラやゲーム、自動車などのほうが客観的で信頼できる複数の情報源を得やすいことがある)。単独書籍のWikipediaへの紹介はあんがいハードルが高いと思いますよ。一方で「貨幣進化論」という独立した概念(書籍titleではなく)として考慮した場合、これは書籍「貨幣進化論」のtitleで使用されている以外に学術的概念としての存在を発見することができませんでしたので、このような独立概念で記事化するのはやはり難しいのではないかと考えます。--大和屋敷 2011年7月15日 (金) 19:32 (UTC)

書籍記事と見た場合について。単独書籍関連で過去に関わった記事に『さと子の日記』があります。児童文学分野の単独記事作成はさほど難しい状況ではないと思っています。『さと子の日記』に挙げてあるように、そこら中の教育系団体から推薦図書に挙げられていることを示せば、充分特筆性を示せるかと。そういう一部の分野では特筆性を示すことはそれほど難しくはないように思っています。
貨幣進化論』については、ドラッカー『マネジメント』におけるもしドラのように、あるいはここまでまるまる1冊しかも繰り返して注目したものでなくとも、複数の書籍(もちろん『貨幣進化論』の著者以外が著した書籍)によって「『貨幣進化論』によると」「『貨幣進化論』から引用すると」といった程度の言及が行われていれば、書評という形でなくとも有意に言及されているということになるのではないでしょうか?引用先の書籍が何かを語る上で、引用元として複数の選択肢の中から『貨幣進化論』を選択したわけで、そのような事柄が複数(まあ数には人によって閾値が異なるかもしれません)あるのなら、それはもう有意と言っていいのではないだろうかと思うのです。
それから、『貨幣進化論』が、「Wikipedia:特筆性 (書籍)#適用範囲」によって除外が示されている≪いくつかの特殊な性格を持つ出版物≫に該当するような特殊な性格があるなら、それを提示いただければ、別の基準を設けるに値するかもしれません。--NISYAN 2011年7月16日 (土) 12:47 (UTC)

国立図書館検索ページという裏技

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皆さん真摯なご返答をありがとうございます。ちょっと視点を変えてみたのですが、「国立図書館に蔵書されている」というのは、特筆性の根拠になるのではないでしょうか。図書館の検索データベースの蔵書情報も自然言語である日本語で書かれているわけだし、もし、ある書籍が検索されたとしたら、それは「この著書は、税金で購入されました。そして、国家権力が、無料で国民が読める機会を提供すべきと判断した書籍です」という第三者からの言及ですよ。「有意な」言及かどうかは演繹法的には論証しにくいですが、少なくとも街頭で子供が知ってる車を指差して「あ、ポルシェだ!」とか叫んでいるの(つまり、知ってるから、名前を叫んだ、という類の無意な”言及”)とは全然違うわけで、その意味で無意か有意かといえば相対的に後者であるような言及ですし、データベースの構築だって国税から払ってるんだし、「この図書館にその本あるぞ」っていうのは国家的な表現ですよ。だから、国立図書館の検索ページをリンクさせれば、特筆性を証明できるんじゃないかな。『貨幣進化論』の記事にも誰か貼ってくれたのに・・・。「有意な言及」とは内容に関する言及だという反論もあると思いますが、内容と言っても、たとえば清涼飲料水の内容と言ったら、ボトルの中身の液体ですよ。書物の場合、文字情報が内容であるというのは一見解に過ぎないわけで、インクの印刷された紙の束という即物的な側面を内容と見なすことも可能でしょう。--Monavino 2011年7月16日 (土) 00:25 (UTC)

国立図書館とは、国立国会図書館を指しているのでしょうか。国会図書館は納本制度という制度で、国内の出版物を片っ端から収集しています。選別なしです。選別なしで収集されたことに意義があるとは思えませんが…。--Akaniji 2011年7月16日 (土) 01:27 (UTC)
そうです。国会図書館のことです。選別なしだから意義なしというより、むしろ、全著作物に意義を見出す国立の機関が存在し、参政権を持つ国民がそれを拒絶していない(つまり現状に満足している)ということだと思います。日本以外の先進国も同じようなもんだと思います--Monavino 2011年7月16日 (土) 03:08 (UTC)
Akanijiさんと同意見です。検証可能性を満たしているとは言えると思いますが、特筆性(すでに著名な文献やジャーナル等で特筆大著され百科事典に独立項目を設定しても充分記述に堪えるthemeであるという属性)を満たしているかどうかはこの検索では不十分でしょう。--大和屋敷 2011年7月16日 (土) 02:48 (UTC)もっとも、私はこの点につきましてはMonavinoさんの意見にかなり同情的でありまして、むしろ一定程度の検証可能性を満たす公刊書籍であればWikipediaは独立記事として受け入れても良いのじゃないかという印象を持っています。Wikipedia:特筆性 (書籍)という草案がありまして、このガイドライン案によれば「国会図書館検索基準」ほどゆるくは無いものの、相当程度に許容範囲のある採録基準が提示されていると思います。いずれの場合にせよ「広告宣伝的な記事だ、記述だ」とみなされた場合はWikipediaコミュニティの反応は相当厳しいとおもいますので、単なる採録基準だけではなく、具体的にどのような慎重な記述をおこなうかも重要だと考えます。--大和屋敷 2011年7月16日 (土) 03:01 (UTC)
「著名な文献」・・・・。国会図書館のデータベースは、「著名な文献」と見なせないでしょうか。書籍用のガイドライン草案のご紹介ありがとうございます。チェックしてみます。--Monavino 2011年7月16日 (土) 03:17 (UTC)
納本制度は法律により同人誌でも本来納本する事が義務付けられています。はたして国立国会図書館に所蔵されているすべての本に特筆性があると思われますか?また、国会図書館のデータベースのみが情報源である場合、直接的かつ詳細に述べてに引っ掛かってくるでしょう。--Vigorous actionTalk/History2011年7月16日 (土) 03:38 (UTC)

日本の国立国会図書館 (NDL) の蔵書は、義務として納本されているものが基本であって、そこに価値を認められたという解釈は勘違いです。言うなれば「有象無象のひとつ、という程度の価値」が認められたというだけのことで、結局のところ、たかだか「NDLに所蔵されている、くらいしか言えない」程度の本を記事にしようというのが間違いです。--氷鷺 2011年7月16日 (土) 04:33 (UTC)

しかし、税金の使途だから、無価値ということはないでしょう。そうだったら、価値のないことに税金が使われていることになっちゃう。そこで、文字情報としての書物から、紙の束としての書物という風に発想を変えてみたいわけです。「貨幣進化論」と名づけられた紙の束に税金が投入された、という情報が国会図書館のデータベースで表現されていると考えたらどうなるか。新潮社という会社から「製造・販売」された、何枚分の紙の束を綴じた軽工業製品を公共財として購入したという、第三者(国家)からの言及だということになりますね。税金の使途のディスクロージャーだから無意味な言及ではない。ゆえに・・・・・・--Monavino 2011年7月16日 (土) 08:27 (UTC)
少しでも税金をかける価値があるかどうか、そんなことを立項の根拠にしないでください。あなたや私にもそ税金が使われていますし、道路の柵の一つ一つにも、路面のアスファルトの砂利一粒一粒にも税金が使われています。その程度のことしか言えないのならもう諦めてください。あと、こういう本の場合、国立国会図書館は、わざわざそれを発注して買っているわけではありません。取次が納本用のをまとめておいてくれるので、それを取りに行って、申請されていれば半額程度の「補償金」は出しますよ、……というものです。図書館を持ち出すのなら、NDLよりはまだ公共図書館・大学図書館の所蔵のほうが(特筆性の根拠としては)マシでしょう。年々減る限られた予算の中で、発注して(まぁ、見計らいとかブランケットオーダーとかもありますが)一応選書方針に基づいて購入しているわけですから。まぁ、それでも相当下のほうだと思いますが。--氷鷺 2011年7月16日 (土) 09:28 (UTC)
上で氷鷺さんがおっしゃってますが、出版関係勤務の私からもちょっと裏話をしますと、はっきり言って国会図書館に納本してお金払ってもらったこと、あんまりないですよ。めんどくさいですし。で、納本制度というのは、基本的に一冊一冊の価値を選別しない、という精神をもって成り立っています。この時点で特筆性の準拠とするには相いれないのです。極端にいうと、「国内で出版された」ことと、「国会図書館に本がある」こととは、まったく等価であるということです。特筆性とは、「出版された」本の中からどれが立項するにふさわしいかを選別する基準です。その基準とするべき前の前の前のお話にすぎないのです。--アイザール 2011年7月16日 (土) 13:14 (UTC) ごめんなさい、営業の人に聞いてみたら、それなりに払ってもらうそうですー(赤恥)。うーん、納本の現場にひさかた立ち会っていないので。。。--2011年7月18日 (月) 01:20 (UTC)修正追記

allcinema,imdbとamazon.comや図書館データベースとの違い

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では、最初に戻りましょう。映画「みんな~やってるか」の例示のときに、映画にはallcinemaiMDbなどがあるから、さほど有名な作品じゃなくても、それらが特筆性の根拠になるとおっしゃった方がいます。それが正しいとしたら、次のような疑問が湧きます。それらのデータベースは、製作年、スタッフ、キャスト、あらすじ、賞のノミネートや受賞情報などが並べられているだけの無味乾燥なものです。それらに客観性はあるでしょうが、最低限の情報の羅列でしかないと思えます。その意味では、書物にとってのamazon.comの書籍概要部分や図書館検索結果ページと大差無いと思えます。『貨幣進化論』のときは、最初に、amazon.comのリンクを貼ったのですが、それが商用サイトへの誘導とみなされてしまい(もちろん、そんなつもりは無くて、客観性を示したかっただけです)、他の方が国立国会図書館の検索ページを貼ったけど、ここで否定されているのと同様に、特筆性の根拠にはなりえませんでした。なぜ、映画だと最低限情報のデータベースが特筆性の根拠になり、書籍だと駄目なのですか?映画一本作られるのは(有名作じゃなくても)それ自体がまだまだ大きなイベントであり事件だけど、書籍が出版されるのはグーテンベルクの時代ならともかく今時はそうじゃない、ということなのかな?--Monavino 2011年7月17日 (日) 14:38 (UTC)

網羅的なデータベースに載っているということ自体は、特筆性の根拠にはなりません。図書だって、あなたがウィキペディアに立項したがっている(記事が削除された/されつつある)本でさえ、『BOOK PAGE : 本の年鑑』や『出版年鑑』には載ったはずです。そのような「有象無象の一つとしか扱われていない」ものを、特筆性の根拠として持ち出すのは論外です。次に、図書と映画との製作数の差についてですが、特筆性を考える上でその影響はあるでしょう。--氷鷺 2011年7月17日 (日) 15:58 (UTC)
コメント質問者の方へ。Wikipedia:特筆性は現在作成中の草案であり、その内容が確定しているものではありません。そのため「特筆性」の根拠について細かく質問し、回答を得たとしても、今後その回答内容が適用されるかどうかは不確定です。ご確認ください。--Himetv 2011年7月17日 (日) 16:32 (UTC)
「賞のノミネートや受賞情報」(=世間がその作品をどのように評価したか)が入っているなら、それほど「無味乾燥」でもないだろうと思います。それから、allcinemaiMDbが制作・配給サイドから一応独立している、それなりに中立的なデータベースであることも重要です。
その点、国立国会図書館のOPACはそれこそ「無味乾燥」なデータベースですし、Amazonは基本的には出版社サイドの情報に依存した販売サイトですから中立性に欠けます。--Dwy 2011年7月18日 (月) 00:29 (UTC)
 では、特筆性の根拠となりそうな例を挙げてみます。米国図書館協会の『大学図書館推薦図書目録』(2006年)などは、特筆性の根拠となりうるでしょう[1]。というのも、米国図書館協会という権威が、優良でない図書をはじいて、優良な図書のみを選別して目録に収録しているためです。選別があるからこそ、特筆性の根拠となるわけです。Monavinoさんは、こういうのを探したほうがいいです。こんなの[2]も特筆性の根拠になるでしょうね。--Akaniji 2011年7月18日 (月) 11:51 (UTC)
利用者:Himetvさんが、特筆性はまだ草案段階だから、それを根拠に削除されることは無いとおっしゃったけど、「会計の勘所」は「特筆性」で削除議論が始まってますよ。どういうこと?まだ、決定してない編集ルールである記事を不要と認定するなら、たとえば、私のこのケースで言えば、著者の國貞克則のページと統合するとかして、一度作られた記事を無に帰すような暴挙を避ける手段はあるわけです。まだ議論中のルールでまるごと削除は乱暴すぎると思います。
それから、皆さん、国会図書館は選別をしてないから特筆性が無いと簡単におっしゃるけど、いろいろな商品カテゴリの中で、産出された段階でほぼ間違いなく国立機関に税金で購入され、無料で市民に貸与されるものって書籍以外にあんまり無いと思うんですよ。蝶番爪切りはどうです?あらゆる品種の蝶番や爪切りを選別無しで買い集めて無料で市民に貸し出しする「国立蝶番館」とか「国立爪切り館」って無いでしょう。つまり、書籍という商品カテゴリそのものが、すでに選別されたジャンルであって、一冊の本はその中のひとつなのです。その辺のことを、すっ飛ばしてるように思えるのですが、いかがですか。--Monavino 2011年7月19日 (火) 08:58 (UTC)
草案段階の特筆性のみをもって削除することは、私も不見識だと思っています。時折Wikipedia:削除依頼/伊藤香織などでも指摘していますが、指摘の直後に「(削除)特筆性なし。--hyolee2/H.L.LEE 2011年7月1日 (金) 12:51 (UTC)」と書く方がいる始末で、多くの方が特筆性を既に適用されたルールだと勘違いしていることもまた事実です。--Himetv 2011年7月19日 (火) 09:16 (UTC)
HimeTVさん、お返事ありがとうございます。公正を期すために、今読み返してみたら「百科事典的でない。ケースEに従って」と書き添えられていたことも事実だということを、加筆しておきます。ところで、書籍用のこういうページ(Wikipedia:特筆性 (書籍)#判断基準)があったのですね。では、そちらに移ったほうがよさそうですね。最後に、ひとつだけ。そのページには、納本制度と国立図書館の件も、かなり目立つように言及されていました。それを早く示してくださればよかったのに。しかし、ここで「納本制度ではない数多くの図書館に置いてあること」が、柱となる5条件以外の目安として挙げられていました。私は、「貨幣進化論」の削除議論のときに、無作為に選んだ二つの図書館(福島と熊本の県立)に、本書が蔵書されていることを挙げた(検索ページURLは貼りませんでしたが)のですが、それについてのコメントは無く、削除されてしまいました。二つでは数多くとは言えないでしょうが、この判断基準を知っていれば他の図書館も調べてたくさんの例示を示せたはずです。どうも、ページを存続させようとする側に、わざと情報を教えないで、削除のほうに持っていこうとする勢力があるように思えてなりません--Monavino 2011年7月19日 (火) 09:34 (UTC)
お疲れ様です。Wikipedia:特筆性 (書籍)もまた草案であることを念頭において討議なさってください。--Himetv 2011年7月19日 (火) 10:04 (UTC)
「納本制度ではない数多くの図書館に置いてあること」を示すのであれば、Webcat Plus大学図書館)やゆにかねっと市民図書館)での横断検索結果を示すのがよいでしょう。--Akaniji 2011年7月19日 (火) 11:00 (UTC)
コメント産出された段階でほぼ間違いなく国立機関に税金で購入され、無料で市民に貸与されるものって書籍以外にあんまり無いと思うんですよ」とのことだが、それと「百科事典に掲載するにふさわしい項目」がどうかと何か関係があるのだろうか。「間違いなく国立機関に税金で購入され」るからといって、それを理由に購入対象の全てが百科事典に掲載するに値するとは到底思えないが。「ほぼ間違いなく国立機関に税金で購入され」るかどうかだけに着目するなら、社会主義国で産出される生産品は全部対象なのか。日本でもついこの間まで専売制度や食管制度が機能していたわけだが。まさか一粒一粒、一粒一粒に特筆性があるとでも言うのだろうか。「無料で市民に貸与される」についても同様。百科事典に収録するに足る項目なのかという観点とは直接関係しておらず、論点がずれている。--フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうか 2011年7月19日 (火) 19:06 (UTC)
コメント多くの場合塩一粒一粒・米一粒一粒には個々を他と区別するための手段が施されておらず、そのため第三者による資料に収録することができず、Wikipedia:検証可能性を満たしません。また、Wikipedia:特筆性は草案段階のため、検証可能性を満たさない事物を著名性等をもって検証可能性を満たすものと同様に扱うことができないため、収録対象にならないと考えます。--Himetv 2011年7月19日 (火) 19:53 (UTC)すみません、誤って巻き戻ししてしまいました。--VZP10224 2011年7月19日 (火) 23:51 (UTC)
コメント Himetv殿がおっしゃるとおり、塩一粒や米一粒には第三者による出典が提示される可能性は非常に低いと言わざるを得ない。したがって収録は不可。同様に、Monavino殿が話題にしている書籍も、第三者による出典すら提示できないような場合は、収録は不可。書籍の場合、個々を他と区別することは塩や米に比べれば容易かもしれないが、出典が提示できない以上、収録できない。Monavino殿は「産出された段階でほぼ間違いなく国立機関に税金で購入され、無料で市民に貸与される」から収録してもよいと主張なさりたいのかもしれないが、そのような理屈を展開しても貴兄の願望は満たせないと考える。--フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうか 2011年7月20日 (水) 16:47 (UTC)
コメント「そのような理屈を展開しても貴兄の願望は満たせないと考える。」についてフハハハハさんに同意します。削除された理由は草案段階のWikipedia:特筆性とは別にあるはずなので、Wikipedia:特筆性に適った資料とは何か? ということをいくら問いかけたところでそれは草案の作成者か、草案を解釈した方々、あるいは削除依頼での議論で草案であるにもかかわらずさも拘束力があるようにWikipedia:特筆性に掲げられた基準を持ち込んでいる方々の考える特筆性に関するルールとの異同を確認しているだけでです。実際に運用されている方針等はこの草案に拘束されませんし、ここで論議されたことを理由に削除の復帰依頼を出したとしても方針にてらして特筆性があり復帰すべきという結論にはならないと考えます。Wikipedia:特筆性が草案段階のため、「『特筆性』が存在する」ということのみでは記事の復帰についての根拠になりません。--Himetv 2011年7月21日 (木) 10:19 (UTC)
コメント 空気を読まずに議論に水を差すようで恐縮ですが、Monavinoさんの作成された記事の根本的な問題(上のほうでHimetvさんが仰っているところの「(削除の)正当な理由」)は、「信用できる第三者情報源に基づく出典」が無い、即ち検証可能性を満たさない点にあります(あるいは、一次情報源のみに頼ることによる中立的な観点の欠如の問題もはらんでいます)。現在削除審議中の『超図解「財務3表のつながり」で見えてくる会計の勘所』でも明らかですが、出典が何も挙げられておらず、参考文献は「本書」即ち当該書籍そのもの(一次情報源)という状況で、既に削除された『貨幣進化論』の削除理由も、「第三者による検証可能な主点のない本の記事。宣伝目的とも思われる。」(主点=出典の誤りと考えられます)というものでした。そもそもこの議論の冒頭でMonavinoさんは「有名な会社から出た本だから、(中略)特筆性には何の疑問も持ちませんでした。」と仰っており、出版社の著名性が出版物の掲載基準に繋がるとお考えだったようですから、第三者情報源(二次情報源)をお示しにならなかった、その点が問題の発端でしょう。Monavinoさんには、「削除のほうに持っていこうとする勢力がある」などと推察をなさる前に、まずは出典を何もお示しにならずに記事を作成なさった点をご反省いただき、いま一度ガイドブック方針とガイドラインについてじっくり読み返されることをお勧め致します。また、『会計の勘所』の削除依頼でも指摘いたしましたが、百科事典に掲載できるほど評判の良いもの・一般によく知られたものは、自ずと「信用できる第三者情報源に基づく出典」も見つかるものだと思います。図書館の蔵書件数というお話が出ていますが、何件以上の図書館に所蔵されれば掲載基準を満たすのか具体的な定義がありませんし、例えば寄贈・廃棄による増減をどう捉えるかとか、“売れない”本でも何件かの図書館に寄贈さえすればウィキペディアの記事たり得るのか、など、まだまだ議論の余地があります。それよりは信頼できる情報源に挙げられるような報道を出典となさるほうが、記事の存続の道も開けると考えます。--おきた 2011年7月20日 (水) 08:55 (UTC)
コメント今後のMonavinoさんへのアドバイスとしておきたさんに同意します。草案段階に過ぎないWikipedia:特筆性の線引きについて論じるより、まずは満たされていなかったと考えられるWikipedia:検証可能性を満たすことからはじめた方がよいと考えます。--Himetv 2011年7月21日 (木) 10:19 (UTC)

特筆性 (フィクション)の廃案化

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Wikipedia‐ノート:特筆性 (フィクション)にて特筆性(フィクション)の草案を見送ることを提案しています。よろしければノートへの参加をお願いします。--アッー! 2011年9月11日 (日) 00:35 (UTC) 報告 草案を見送り私論とすることにしました。--アッー! 2011年9月25日 (日) 00:10 (UTC)

特筆性除去提案テンプレートの作成について

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新着記事に編集者の個人的な主観や好き嫌いで特筆性タグを貼られた場合、Template:特筆性/docには「タグを剥がしたり再度貼ったりしたい場合は、いきなり剥がしたり貼り直したりするのではなく、まずはノートでひとこと宣言し(「剥がしたい」「再度貼りたい」)、しばらく(1週間くらい?)意見が出ないか様子を見てから、剥がしたり貼り直したりするとよいでしょう」と記載されているものの、客観的な告知方法(コメント依頼に出す?)について何ら方針が示されていない為、除去提案に二の足を踏んだまま放置された末に特筆性を理由とする削除依頼が出されるケースが見られるので、タグが張られてから優位な加筆が為されたり記事で解説されている事物を取り巻く状況(知名度・評価)が変化したなどの理由で特筆性タグ除去を提案・告知する為のテンプレートを作成した方が良いのではないでしょうか。--江東琴 2011年11月18日 (金) 13:25 (UTC)

提案に反対です。そのようなテンプレートを作成した場合、記事内容が改善されたにも関わらず、「テンプレートを使った告知がされていない」という訳の分からない理由で特筆性タグが復帰されることが容易に想像できます。- NEON 2011年11月18日 (金) 16:15 (UTC)
コメント じゃあ具体的にどのような方法であれば客観的に特筆性が担保され、タグの除去が認められる状況になるとお考えなのでしょうか。それを提示していただかなければ為にする反対でしか無いと言えます。一部の編集者が新着記事や特定ジャンルの記事に対して絨毯爆撃的な特筆性タグの貼付を行なっている現状は深刻を極めており、現在の運用では事実上タグを張った本人にしか除去について判断する権限が認められていないかのような解釈が為されているせいで、貼付した編集者がいつまでも納得しなかったりウィキブレイクに入ってしまいノートに除去の是非について判断するよう書き込んでも反応が無くいつまでも除去が出来ないと言う事態が頻発することが考えられ、それが好ましいとは全く思えません。そうした事態を防ぐ為にも、削除や分割・統合・改名のように一定の条件を満たした時点で除去が可能とする基準を明確にすべきです。 --江東琴 2011年11月18日 (金) 17:58 (UTC)
「一定の条件を満たした時点で除去が可能とする基準を明確にすべき」だと自分も思います。その基準や文面について話し合えば良いのであって、新たなテンプレートなど要らないでしょう。- NEON 2011年11月19日 (土) 06:04 (UTC)
コメント 既に貼られているタグを剥がすための話し合いを行う際に専用のテンプレートが必要とは思えません。話し合いが必要ならば、{{告知|議論|要約文}}を用いて告知すれば良いと思います。また、誰が剥がしても構わない条件を提示しておくことが有用だと思います。(貼った本人にしか剥がせないような運用がなされているとしたら、それはとんでもない問題です。)--Frozen-mikan 2011年11月19日 (土) 03:07 (UTC)
コメント テンプレートが不要で従来の「告知/提案」を使えばいいと言う意見に一理有るとしても、その告知をする場所が現状ではコメント依頼ぐらいしか存在しないことについては改善の余地(特筆性タグから専用の告知ページへ誘導するなど)が有ると思います。例えば、この記事などは既に商業ベースで単行本を20冊以上も刊行しているので著者の特筆性には何ら問題が無いであろう漫画家の(単発の読み切りならいざしらず)連載作品にも関わらず、新規作成の直後に特筆性タグを投下されました。現状では誰でも主観でタグを貼り付けられるのに対してタグの除去について明確な基準が存在しない為、特定の分野を毛嫌いする一部編集者の「やり得」になってしまっており、有意な加筆を施しても貼り付けた本人が「いつまでも納得しない」ことでタグを除去することが出来ず、かと言って編集者個人の判断で有意な加筆をしたと思ってもタグを除去すると貼り付けた本人から執拗に「警告」を発されるなど、有意の加筆を促す目的から乖離して一部の編集者が個人的な主観を基に特定ジャンルの記事そのものを排除することのアシストにしかなっていないような現在の特筆性タグの運用は、加筆した編集者個人の判断でも除去が可能なスタブと比較すると著しく不合理であるとしか思えません。少なくとも、それがコメント依頼であるにしても特筆性審議(仮称)のような専用ページであるにしても外部のページで告知をしなければタグを貼った編集者が「告知の要件を満たさず内輪だけで決めているからタグ除去は無効」と難癖を付けて来ることが極めて容易に予想され得るので、まずは「特筆性タグ除去の告知をするページ」を作ることの是非に焦点を絞り、作成することになって場合は一定期間の試験運用を経て「新規に除去提案タグを作成する」「特筆性タグ内に除去提案ページへのリンクを追加する」「現状維持」のいずれかについて判断すると言うのはいかがでしょう。 --江東琴 2011年11月19日 (土) 10:30 (UTC)
一般的な議論を告知するテンプレートを配置する場所は、改名提案テンプレートと同じように記事ページの冒頭であり、コメント依頼ではありません。さて、幾つかの新しい話が出てきましたが、問題点が後から出てきてしまうことは、話が分散してしまい良くありません。まずは、問題点を明確にした上で、改めて改善案を提示されたほうが良いかと思います。--Frozen-mikan 2011年11月19日 (土) 13:48 (UTC)
終了 それでは、過去ログ化作業が終わったら改めて議論を提起することとし、今回は仕切り直しの為に一旦終了を宣言します。 --江東琴 2011年11月19日 (土) 18:23 (UTC)

過去ログ化の提案(2011年11月)

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1年以上前に提案され、最近30日以内の発言が無い第14節までを「/過去ログ3」に転記すること、それら以外で最近30日以内の発言が無い、第15節から第17節までを「/過去ログ4」に転記することを提案します。ご意見のある方は一週間を目処にお願いします。--Frozen-mikan 2011年11月19日 (土) 03:15 (UTC)

それでは当初の予定通り、過去ログ化を行います。--Frozen-mikan 2011年11月26日 (土) 15:32 (UTC)
過去ログ化の作業は終了しました。細部は後日行います。--Frozen-mikan 2011年11月26日 (土) 15:52 (UTC)

特筆性タグを除去する基準と告知方法について

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過去ログ化作業が完了したので#特筆性除去提案テンプレートの作成についてで提起した議論について、論点を最整理したうえで再開したいと思います。現状において、特筆性タグの運用が抱えている問題は以下の通りではないかと思います。

  1. 現状、タグの貼付に関しては事実上の「貼り放題」になっているのに対し、除去については明確な基準が存在しない為に本来の目的である加筆や出典・参考文献の追加を促す目的から逸脱して一部の編集者が特定ジャンルの記事を排除する為の口実に使われている
  2. タグの除去についてある編集者が加筆や出典・参考文献の追加を行ってもそれが特筆性を満たすかどうかの客観的な検証を行う場や基準、議論を第三者に告知する場所が存在しない為、タグの除去を巡る編集合戦が起こりやすい
  3. そもそも個人的な好き嫌いで特定ジャンルの記事を排除する為に特筆性タグの絨毯爆撃を行なっているような編集者は「いつまでも納得しない」ことで加筆状況に関わらずタグの除去に同意しない可能性が存在する
  4. 上記の問題点を解決する為に、削除や改名・分割・統合のような特筆性審査(仮称)のページを作成し、加筆を行った編集者がページに告知を行うことで反対が無いか賛成多数の場合は特筆性タグの除去を認めるような運用が必要ではないか

4.に関しては当初に提案した除去提案のテンプレート作成については否定的な意見が多数を占めたので、現行の特筆性タグに特筆性審査(仮称)のページへ誘導するリンクを挿入し、特筆性審査(仮称)のページは改名・分割・統合と同様に告知のみを行い議論は個々の記事のノートに委ねる方式を想定しています。また、特筆性自体が草案であることから特筆性審査(仮称)のページは一定期間(概ね3ヶ月ぐらい)の試験運用の後に正式な採否を決めるのが良いのではないかと思っています。 --江東琴 2011年11月26日 (土) 21:34 (UTC)

これまでの議論は分からないので、まとめられた文章だけ読んで気になったことを書かせて頂きます。
1について、「貼り放題になっている」というのと、「除去については明確な基準が存在しない」ということは認識が間違っていると思います。
まず、特筆性には既にガイドラインが示されており、それによれば「もし対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、その話題は単独記事としての収録基準を満たすことが推定されます。」とのことです。つまり、このガイドラインに照らして「特筆性に疑問がある」場合のみ特筆性タグを貼ることが出来、貼り放題になっている現状があるとすれば、それはそういう編集をする編集者の側に問題があるのであって、特筆性タグの問題ではありません。
それと、除去について明確な基準がないというのも、既に示したガイドラインをよく読んでいない編集者、もしくは個々人が勝手に自分の中でガイドラインを決めてしまっていることに起因するものであって、明確な基準がないという認識も誤りだと思います。
編集合戦が起きる場合は、ガイドラインをよく読んでいない編集者の問題でしょうし、その解釈を巡っての編集合戦なら、ノートページでよく話し合えば良いだけのことです。ウィキペディアは規則主義ではないし、細かいところまで基準を決めたところで無意味だと思います。最後は話し合いで解決するのがベストですから。
「そもそも個人的な好き嫌いで特定ジャンルの記事を排除する為に特筆性タグの絨毯爆撃を行なっているような編集者」に対しては、対話のために投稿を制限したり、あるいはコメント依頼などをしてよくよく理解いただくように務めればいいのではないでしょうか。
なんだかこうやって観ていくと、編集者個人の問題を特筆性タグの問題にしてしまっているような気がします。--リネン 2011年11月27日 (日) 06:33 (UTC)
解釈上の意見衝突があるたびに「ノート:井上苑子」「利用者‐会話:Pauro 2003/過去ログ1#井上苑子さんの記事について」といったやりとりをしたくないと思うのです。「たかが1箇月のやりとりじゃないか」と思うかもしれませんが、特筆性テンプレート付与(参考)から理由説明(参考)があるまで2週間、≪最低でも3ヶ月のタグの貼り付け議論を≫(参考)とわけの判らない議論展開され、除去するのに1箇月掛かりました。しかも付与者からは、最低3ヶ月は待てといっていたのに性急に除去するとは何事だと言われるようなやりとりでした。当該分野は「Wikipedia:特筆性 (音楽)」という明確な基準が存在するはずなのですが、このやりとりでは≪ノートページでよく話し合えば良い≫で済まない場合もある、としか感じませんでした。
≪編集者個人の問題を特筆性タグの問題にしてしまっている≫場合もあるかもしれませんが、特定のタグで問題が頻発するのなら、そのタグの機能か運用かに問題がある可能性もあると思います。提案者は、そういった観点で何らかの改善が必要と感じたのだろうと思います。提案された方法によって、特筆性付与者と特筆性除去者以外の人を呼ぶことができるという点はいいと思うのですが、逆に、人を呼ぶことができるのか(コメント依頼を掛けても人が集まらないことはよくあること)という疑問はあります。それから、分野別のプロジェクトがあるような分野においては、プロジェクト配下におくほうがいいかもしれないと感じました。結局その分野における特筆性の有無(というより、潜在的な特筆性担保出典の存在)を判断できるのは、その分野のことを知っている人だけに限定されるように思います。それであれば、その分野以外の人を呼んでもあまり正しい判断に結びつかないように感じます。--NISYAN 2011年11月27日 (日) 10:17 (UTC)
NISYANさんが上げられた議論を読んで見ましたが、頭が痛くなりました。なんかこじれる必要が無い話がこじれまくって意味が分からなくなってる感じ。ただ、個人的な意見を書くと、もう少しパウロさんの意見を尊重しても良かったんじゃないかなと。
それと、特筆性タグで問題が頻発する理由ですが、私としては「問題を起こす人が多いから」と思うのです。
じゃあなぜ問題を起こす利用者がそれほど多いのかと言えば、「特筆性」の考え方が一般常識とは違っているからでしょう。「要出典」なんかもそうです。日本語版だけでないと思いますが、「誰でも編集できる」場所であるがゆえに、ルールを理解しない・するつもりもない人たちがたくさんいてもおかしくはありません。ルールを知らない人たちは、一般常識に則った行動をするので、そこに齟齬が生じるのでしょう。
まとめると、これはウィキペディアをよくしようと思う人たちが地道に努力するしかないのであって、特筆性タグの問題ではない、ということになるのです。--リネン 2011年11月27日 (日) 11:10 (UTC)
特筆性とは有意な第三者言及があるかどうかです。「その分野のことを知っている人だけに限定」・・・自称「その分野のことを知っている」とやらの極少数の意見になんの説得力がありましょう。特筆性は信頼できる情報源の有意な言及の明示があるかどうかでしょう。特筆性があるのに、信頼できる情報源の有意な言及が提示できないなんてありえないでしょう。「信頼できる情報源の有意な言及は提示できないけど、でも特筆性あります」とか言われても「はあ?」としか思いませんね、それだけです。逆に、記事対象とは無関係な信頼できる情報源による有意な言及を複数提示しているのに特筆性タグの除去に同意出来なければ、それはその参加者に問題ありと思います。--ぱたごん 2011年11月27日 (日) 11:38 (UTC)
その分野のことを知らない人と、自称「その分野のことを知っている人」との間で、≪記事対象とは無関係な信頼できる情報源≫を探してこれる人は後者の方が多いと思います。私が漫画記事に対して詳しくないからいう理由で「プロジェクト‐ノート:漫画」に聞くことで、その分野における情報源を得ることができたなどといったケースがありますが、そういうことを期待しています。自称「その分野のことを知っている人」とやらの「意見」を期待しているわけではなく、「探してくる特筆性を担保する情報源」を期待しています。「潜在的な特筆性担保出典の存在」と書いたら伝わると思っていたのですが、伝わらなかったのは少し残念です。別に特筆性だけの話ではなく、井戸端で挙がっていた「Wikipedia:井戸端/subj/出典をつけよう大会(仮称)の提案について」なんかもそうですが、そういうのが共同作業のメリットなのだと思うし。「Wikipedia:秀逸な記事」なんかも独りよがりになりがちな部分を共同作業によって改善するという意味もあるだろうと思います。
それから≪特筆性とは有意な第三者言及があるかどうか≫だとして、その分野のことを知らない人が、ある第三者言及に有意性があること/ないことを正しく判断できるかというと疑問です。もちろん自称「その分野のことを知っている人」だってその道のプロではないのだから、正しく判断できると言いきれるものではありませんが、その分野のことを知らない人による判断よりはマシだと思います。プロジェクト参加者を巻き込むというのは、そういった意味合いの効果も期待できそうに思います。
今回の提案自体に肯定的な意見は今のところ出てきていないようですが、仮に今回の提案が通るとして、今回の提案の場所を分野別に分けて、分野別に分割したものをプロジェクト参加者から容易に参照できるようにすることに意味がないとは思えません。ぱたごんさんはどうやら意味がないと感じているようですが、そういう、共同作業にメリットを感じない人は一人で頑張ればいいのではないでしょうか。そういう人で、特筆性に関する活動に興味のある人なら、分野別に分かれた個別の場所すべてをウォッチリストに入れればいいだけであって、≪その分野のことを知っている人だけに限定≫なんて話はしていないつもりです。--NISYAN 2011年11月27日 (日) 13:44 (UTC)
現行の特筆性要件を満たすことを出典付きで記述してあっても、それでもなお{{特筆性}}を付与し、その付与理由の説明を2週間も行わない。そういう独自研究(「特筆性なし」という利用者の主観をテンプレート付与という形で記事に盛り込む、という意味合いでの独自研究)行為に対して説明責任を果たそうとしない。これに対してどんな意見尊重が必要でしょう?本文編集にしろテンプレート付与/除去にしろ、編集に対する説明責任を果たそうとしない以上、そんな義理はないと思います。ただ、それでもなお≪もう少しパウロさんの意見を尊重しても良かったんじゃないかな≫とお思いなら、これ以上は特筆性の話から外れると思うので、私の会話ページにでも記していただければ、今後の活動の参考にしようと思います。--NISYAN 2011年11月27日 (日) 13:44 (UTC)
  1. それは「一部の編集者」もしくは「特定ジャンル」に問題があるのであって、特筆性タグの問題では無いでしょう。タグ側の問題ならば、多くの人が様々な分野で問題を起こしているはずです。
  2. 告知の場はコメント依頼で良いと思います。
  3. 問題のある編集者に対するコメント依頼や投稿ブロック依頼で対処すべきです。
  4. 1-3の問題をなぜこの制度で解決できると期待するのか分かりません。仕組みを増やせばルールに不慣れな人が増え、議論場所を増やせば議論が散逸します。従って4には強く反対します。上に書いた通り、ガイドラインやテンプレートの運用基準を厳格化する方向で対応すべきです。- NEON 2011年11月27日 (日) 12:29 (UTC)
私も、新しい手続きの導入には反対します。
まず、特筆性タグの貼付に関する編集合戦は(説明責任を果たさない場合も含む)、他の編集合戦と本質的な差はないと思います。特筆性タグに固有の問題ではなく、他の編集合戦や問題のある編集を行う編集者と同じ方法で対処するべきだと思います。
具体的には、特筆性を証明する編集を行った際に、ノートページに「特筆性の証明のために○○の編集を行いました。これで不足と思う方はご意見をください。 特にご意見がなければ、1週間で特筆性タグを除去します」とでも記述し、実際にそのように運用すれば解決できる問題だと思います。
また、「潜在的な特筆性担保出典の存在」についてですが、WP:NRVEにあるように、特筆性を主張するには検証可能で客観的な証拠が必要です。潜在的に特筆性を証明する出典が存在することを推定することが、特筆性を認めることにはなりません。協力者や出典を求めるために記事ページを作成することは本末転倒で、これは記事ページを作成する前に、プロジェクトページや関連する記事ページのノートにおいて行うべきだと思います。また、特筆性を証明する資料が具体的に明示されるまでは、特筆性タグが貼られて当然の状態(そのための特筆性タグ)であると思います。--M.F 2011年11月28日 (月) 05:01 (UTC)
  • コメント 現行の手続きで十分とする意見が多勢を占めているので、特筆性審査の告知ページは設けないと言うことで決するのであれば最低でも以下の三点についてどうお考えか、或いは対処すべきかご意見をお聞かせ願えませんでしょうか。その点に関してだけでも方向性が見えれば、この議論を提起した意味は有ると提案者としては考えます。
  1. タグを貼付した編集者が資料価値の貴賤を主張する場合。日本経済新聞は認めるがコミックナタリーやファミ通.com、4gamer.netなどは特筆性を担保する資料と認められないと強硬に主張するような事例。
  2. 除去提案を通常の告知タグ“のみ”で行う際にタグを貼付した編集者への告知義務は必要か否か。必要だとする場合、ウィキブレイクに入っている編集者からは同意が得られないことも考えられるし通常の削除依頼では義務付けられていない為、記事作成者が削除を巡る議論に関与しないことは珍しくないことと整合性が取れないのではないか。
  3. 記事そのものは第三者の手で加筆が十二分に為されている場合や、編集者の偏見でタグが貼付された疑いの濃い事例の場合は提案者が加筆を行わずにタグ貼付が不当であると考える理由を指摘して除去提案をすることは是か非か。

--江東琴 2011年11月28日 (月) 19:48 (UTC)

出典の資料価値の貴賎についてですが、Wikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性#情報源/ソースを基準から要約すると、その情報源が信頼できるかどうかは、「複数の情報源に基づいている(報道に当たって「裏を取っている」)かどうか」「査読(または編集上の監督)を受けて発信されているかどうか」という点に集約できると思います(「広く信頼されている発行元」という基準もありますが、今はこの基準自体が論争の対象になっているので、ひとまずこれは除外します)。よって、その情報源がこのような要素を満たしていることを、第三者に分かる形で説明していただければよいと思います(それでも納得しない人は、荒らしとみなされても仕方ないでしょう)。
ただ、この点から考えると、多くのネットメディアが「信頼できる情報源」として認められるのは厳しいと思います。例えば「コミックナタリー」については、「利用規約」の7.(4)に情報の信頼性、正確性について一切の責任を負わない旨の免責事項が明示されていますので、信頼できる情報源ではないと主張されたら反論できないでしょう(但し、この免責条項がないからといって、直ちに信頼できる情報源といえる訳ではありません)。この点は、たとえば「日本経済新聞(電子版に限る)」でも同じです(asahi.com、YOMIURI ONLINE、毎日.jpにはこのような免責条項は見当たりませんでした)。
次に告知義務ですが、告知義務はないと思います。しかし、先にノートページで合意形成を行っておいた方が、編集合戦になることを避けることはできると思います。いったん合意形成が行われた後で異説を主張する人に対しては、新しい証拠の提示を求めることができ、それに応じない人は荒らしとみなされても仕方がないと思います。
また除去提案の可否ですが、記事そのものが第三者によって充分に加筆されたことを理由に、特筆性タグの除去提案はできないと思います。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源にあるように、ウィキペディア自身の記事を出典とすることはできませんので、それを特筆性の根拠にすることもできないでしょう。特筆性タグは特筆性の証明を求めるものですから、除去する唯一の方法は特筆性を証明を記事中に記述することでしょう。編集者の偏見でタグが貼付されたと推定される場合は、偏見であるか否かを証明するのは困難ですので、先に示したように「信頼できる情報源から言及されている」ことを主張すれば宜しいのではないでしょうか。
--M.F 2011年11月29日 (火) 03:28 (UTC)
おおよそ M.F 氏と同じです。
  1. 信頼できる情報源に依拠して出典の「資料価値の貴賤」を評価し、その結果特筆性を担保するものではない、と主張することは当然にあります。しかし主張の妥当性と「強硬」の程度によっては、コメント依頼や投稿ブロック依頼が必要になります。
  2. 告知の義務は無いと思います。
  3. 出典を伴って「加筆が十二分に」されているならば、除去提案も除去も可能です。単に文章量が多いことは除去の理由にはなりません。「偏見」や「疑いの濃い」は程度問題です。- NEON 2011年11月29日 (火) 09:07 (UTC)
コメント それでは、1.に関しては「タグの除去を提案した編集者が外部出典の信頼性(ソースの発信元が信頼に足るものであるかどうか)を提案理由に挙げることが出来る」、2.に関しては「告知義務は無い」と言うことで概ね一致したと提案者としては判断します。ただ、一点だけ見解の分かれた3.に関しては「提案者が必ず自身の手で加筆・出典を追加した場合でなければ不可」とするM.F氏の意見には必ずしも当てはまらないケースも存在するのではないかと思います。人物記事の場合、例えばプロジェクト:漫画家#特筆性では「商業出版社から自分名義での単行本が1冊以上刊行されている(自費出版は不可)」「商業誌で連載経験がある」が「目安」として挙げられていますが、記事の立ち上げ当初にはこうした条件に該当せずタグを貼付された人物が後に個人名義の著書(小説や漫画であればなおさら)を出版してこうした「目安」に挙げられた基準をクリアし、その事実を除去提案者以外の編集者がタグの貼付された記事に追記する状況は当然に考えられるからです。 --江東琴 2011年11月29日 (火) 21:18 (UTC)
コメント 私は「第三者の手で加筆が十二分に為された」という部分を、「第三者の手で特筆性を証明するか否かにかかわらず加筆が量的に十二分に為された」という意味に捉えたので、それは特筆性タグの除去の理由にはならない旨のコメントをしました。私は「特筆性タグの除去を提案した本人が特筆性の証明をしなければならない」という旨の主張は全くしておりません。もちろん、特筆性の証明をする人と、特筆性タグの除去の提案をする人は、別な人でも問題ないと思います。
但し逆に、特筆性の証明が行われない限りは、加筆の量がいくら多くても、また出典を伴う加筆が行われたとしても、特筆性タグを除去することはできないと考えます。出典を伴う加筆が行われることと、特筆性が証明されることは異なります。Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源に例示されているように、信頼性に乏しい情報源からのみの出典も可能だからです。--M.F 2011年11月30日 (水) 12:31 (UTC)
コメント 承知しました。それでは、意見はほぼ出揃い除去に際しての運用について方向性が定まって来たと思うので、節を改めて除去提案のテストを実施したいと思います。 --江東琴 2011年11月30日 (水) 21:33 (UTC)

除去提案テスト

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以下の項目について、特筆性タグの除去提案テストをそれぞれのノートで実施します。項目は2件で、提案者がタグを除去すべきと考える理由をノートに記載しますが飽くまでテストにつき提案テンプレートを貼る以外は一切の手を加えません。このテストの結果を見て、Template:特筆性/docの文章改訂を改めて提案したいと思います。

--江東琴 2011年11月30日 (水) 21:33 (UTC)

中間整理

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テストの途中ですが、現在の特筆性テンプレートとその使用方法が抱えている問題が見えて来たと判断し、中間整理として公表します。まず、現在のTemplate:特筆性における「この記事の解説する対象は「特筆性」を欠いているおそれがあります」と言う文面がテンプレートの目的である二次資料の捜索を促す意図とのと乖離を招いており「ケースEで削除されるべき記事」と言う削除寄りのニュアンスになっている点が一つ。次に、解説ページに挙げられているプロジェクト:検証との連携が取れていない(少なくともdocにはPJ:検証に関する言及が全く無い)ことが挙げられます。先に提案した審査ページ作成は既存のPJ:検証が活用されれば新規に作成する必要が無いことは明らかであり、以前の案に関してはここで撤回を表明します。

少なくとも、一部の編集者が自己の偏見に基づいて特定ジャンルの記事に絨毯爆撃を仕掛けていると言う印象に関しては「テンプレートの利用方法自体は間違っていない」と言うのであれば、現在のような削除を前提にした文面ではなくテンプレートの目的に即した評価資料の捜索を促す文面に改め、PJ:検証との連携強化を行うべきではないかと言う考えを表明し、現在の時点での中間整理とさせていただきます。 --江東琴 2011年12月2日 (金) 04:01 (UTC)

文面に関しては、江東琴さんご指摘の部分は必要な部分です。《テンプレートの目的である二次資料の捜索を促す意図とのと乖離を招いており》と仰っていますが、このテンプレートの目的には「閲覧者に対して、この項目はウィキペディア日本語版での掲載基準を満たしていない可能性があることを示す」ということもあるはずです。--iwaim 2011年12月2日 (金) 05:50 (UTC)
議論の流れがよくつかめないのですが、議論そのものが「誤解」から発生していませんか?特筆性というのは、「あたらしい記事を新規に作成するさいに」「信頼できる第三者による情報源が」すくなくとも必要だという基準ですよ。WP:N#NCONTENTを良く良く読んでください。豊田巧については特筆性について(百科事典の単独項目として価値があるか、わざわざ単独記事を作成するにあたいするラベルか)多少疑義がありますが、月刊少女野崎くんについては客観的資料が用意できており、まったく問題ないでしょう。タグを貼る側が単純にガイドラインの主旨を勘違いしているだけの可能性がありますので、そういった場合には勝手にタグを除去すれば宜しいですよ。「Wikipedia記事の内容が情報源の明示がなく、本人が書き込んだとしかおもえない」といったクレームは独自研究検証可能性の観点ですので、別のタグ(Template:独自研究Template:出典の明記)などを使用します。--大和屋敷 2011年12月2日 (金) 06:15 (UTC)むしろ特筆性テンプレートは「立頁にさいして外部の信頼できる「特筆された情報源」がまったく紹介されないままですと、ケースEで記事全体が削除される可能性がありますよ」というクレームをあらわしているわけで、テンプレートそのものは現行のもので問題が無いとおもいます。--大和屋敷 2011年12月2日 (金) 06:19 (UTC)
まず、テンプレートの文面についての疑義はテンプレートのノート(Template‐ノート:特筆性)で提起するべきということを前提として、以下にコメントします。
「特筆性」テンプレートの趣旨は、端的に言って「こんな項目はいらないんじゃないの?」ということであり、その対象が「特筆性」を欠く場合、他の項目への統合や削除といった対処になります。したがって、「二次資料の捜索を促す意図」との江東琴さんの理解は、そういう効果も副次的にはあるものの第一義的とはいえません。私は「特筆性(notability)」という訳語自体に疑問を持っており、これも誤解を招く一因となっているのではないかと考えています。例えば「立項性」とか「項目性」などと言い換えればこのタグの性格がはっきりします。
とはいえ、この方針(ガイドライン?)はいろいろあっていまだ草案段階であり、ただちに削除依頼でのケースE適用に結びつかないことからすれば、現時点でこのテンプレートを貼って回るというのは、推奨される行為ではありません。少なくとも抑制的に使用されるべきだと考えます。もし「一部の編集者が自己の偏見に基づいて特定ジャンルの記事に絨毯爆撃を仕掛けている」と見られるような振る舞いがあるなら、当該利用者を対象にしたコメント依頼を立てることをお勧めします。--みっち 2011年12月2日 (金) 10:49 (UTC)
「絨毯爆撃」の例を具体的に示すべきではないですか。「テスト」の2例はそれぞれ別の利用者が特筆性タグを付けており、またそれ自体不適切とは言えない使用例であり、改訂の必要性が感じられません。- NEON 2011年12月2日 (金) 11:29 (UTC)
コメント 絨毯爆撃の実例→Category:アスキーアート作品。このカテゴリに収録された記事の全てを現状のまま存続させることが妥当であると言い切る自信は無いので、例として挙げるのみに留めます。また、テストを行った記事2件については挙証責任を果たせなかったので削除依頼を提出します。 --江東琴 2011年12月3日 (土) 10:15 (UTC)
カテゴリ内の記事を見ましたが、どの記事も適切な出典が示されていません。特筆性テンプレートの妥当な使用例です。- NEON 2011年12月5日 (月) 14:42 (UTC)

あまり深刻に考えずホドホドにWikipediaの編集を楽しむ感じが良いと思いますよ。Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのかという私文書はもしかすれば参考になるかもしれません。--大和屋敷 2011年12月3日 (土) 12:31 (UTC)

挙証責任を果たせないから削除依頼ってのは困るのですよ。プライバシーや批判的内容が多々書き込まれる懸念があるなどの問題が無ければ、何もしない。その分野にある程度通じていて、第三者的な情報源の優位な言及は見つからないだろうと見当が付いているなら、しばらく待って、削除依頼。--Ks aka 98 2011年12月3日 (土) 14:12 (UTC)
コメント そうは仰言いますが、実際にやってみたテストでも提案理由を叩くかソースを否定するかのどちらかに終始するばかりで提案者が発見に至らなかった別のソースを提示して記事の存続ないし完成度向上に協力するような態度の議論参加者はただの1人も存在しなかったのですから口では違うと言いながら結果的に提案者へ全挙証責任をおっかぶせているも同然ではないですか。それが果たせなかった以上、削除依頼を提出するのは当然の責任だと考えての行動です。 --江東琴 2011年12月4日 (日) 02:56 (UTC)
いま・そこにいる人だけで解決する必要はないです。提案理由が叩かれているのは、適切ではない理由で除去しようとするから。剥がそうとするなら、剥がそうとする人に、特筆性を満たしていることを示す情報源が必要です。削除するか、剥がすか、以外に、そのままにするという選択肢があります。自分は見つけられなかったから、剥がすことはできない、というだけであって、誰かが見つけるのを待てばいいんですよ。これ以上探しても特筆性が満たされないとか、その他の理由から削除したほうがいいとかいう理由で、削除すべきであると考えるなら、削除依頼を出せばいい。--Ks aka 98 2011年12月5日 (月) 15:44 (UTC)
横から失礼します。著者自身に特筆性があっても作品には特筆性がないとか、作品に特筆性があっても著者自身には特筆性がないとか、作品に特筆性があっても作品のキャラクター単独には特筆性がないとか、フィクション分野においてそういうケースが多く見られます。記事が単独立項される場合には記事の主題自体に特筆性が必要というのが特筆性の基本的な考え方かと思います。江東琴さんはそこを勘違いされている部分が大きいような気がします。
それから、他の方も言われている通りですが、挙証責任を果たせないから責任をとって削除依頼というのは筋が違います。提案者が挙証責任を負うのは当然ですが、「テンプレ除去の挙証責任を果たせない=テンプレを剥がせない」であり、それ以上の行為(削除)の責任まで負う必要はありませんよ。
「絨毯爆撃」が問題だとされているようですが、私はむしろ特筆性を示すような出典がない記事が氾濫していることの方が問題だと思います。二次資料が提示されないまま単独立項されているの記事が非常に多いのです。言い方は悪いですが、「絨毯爆撃」される側にも(二次資料なしに記事を作成するという意味で)問題があると思います。--180.29.14.173 2011年12月7日 (水) 02:15 (UTC)

まとめ

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終了 意見も出尽くしたと思うのでまとめに入りますが、要するに文藝春秋から出版された作品の書評が週刊文春にしか載っていない場合は「特筆性無し」と即断されるのだから相当にハードルが高く、少なく見積もっても現在の78万件の記事の1割から2割は直ちに削除されるべきだと言うことになるのでしょう。二次資料がある雑誌の何年何月号に載っていると言うことだけは知り得ても現物に当たることが出来ないような場合の救援手段などに議論が発展すれば良かった気もしますが、今回の議論参加者はとにかく他人が書いた記事に難癖を付けて削除することを優先するばかりで全く建設的な議論にならなかったことは遺憾です。そのような現状である以上は削除依頼を今出そうが半年後に出そうが結果は大して変わらないとしか思えません。これを以て、今回の結論とさせていただきます。 --江東琴 2011年12月7日 (水) 05:31 (UTC)

ええと。今後のこともあるので、このまとめには異議を示しておきます。文藝春秋から出版された作品の書評が週刊文春にしか載っていない場合は「特筆性無し」って、どこで即断されてるのかな。即断されてたら反論しにいきますよ。で、別に文藝春秋ほど知名度がある出版社から刊行されていなくてもいいし、週刊文春ほどの歴史や部数を持つ週刊誌に載ってなくても特筆性は満たされるので、それほど高いハードルではないです。最終的にどれくらいの記事が削除されるかどうかはわかりませんが、「直ちに削除されるべき」と言っている人はいないと思います。--Ks aka 98 2011年12月7日 (水) 06:09 (UTC)
コメント 要は特筆性を理由にした削除依頼が乱発されるような事態を防ぐことが問題提起を行った理由だったので、加筆依頼のような形で「削除は望ましくない」と考える編集者が「留保宣言」を行うことが出来れば削除依頼の乱発に対して一定の歯止めになる可能性が有ると思います。建前はどうあれ実態としては提案者に挙証責任を押し付ける形にしかなっていない今のやり方はコミュニティを消耗させるだけとしか思えないので、今後は「文献の存在はわかっているが現物の確認は出来ない」状態であることを通知する手段と「第三者の言及に対する客観的な評価を行う方法」を考えて行くべきでしょう。例えば「◯◯と言う雑誌の何年何月号に記事が載っているらしいので確認して欲しい」とか「ニュースサイトで記事を発見したが第三者の言及として有効かどうか自信が無いので評価して欲しい」と言うような場合です。「留保宣言」タグ(仮称)の使用場所を特筆性タグが貼られたページに限定すれば、別の告知ページを作る必要も無いでしょう。 --江東琴 2011年12月7日 (水) 11:59 (UTC)
「挙証責任を押し付け」ているのは出典も示さずに書き散らした人であって、特筆性タグを貼ったり削除依頼を出したりするのは是正の一環に過ぎません。議論してる暇があったら、例えば月刊少女野崎くんとかエイヒレをどうにかすべきではないですか。こういういい加減な立項が無ければ、無駄な議論もテンプレートも要りません。- NEON 2011年12月7日 (水) 14:56 (UTC)
コメント 意見させていただきます。「特筆性を理由にした削除依頼が乱発」というのはそれが不当なもの(=特筆性があるにも関わらず、解釈を捻じ曲げて無いと主張する場合や、現在の記事に特筆性がないからといって即時に削除しようとする場合)ならば防ぐべきものですが、これは不当な依頼を乱発する利用者にWikipedia:特筆性ガイドラインを熟読させたり、ガイドラインの文言を引用することで防ぐべきものです。ただ、不当な依頼を乱発する利用者が多数に上るならば大枠での対策も必要かも知れません。そういう利用者が多数いたという実例などあるでしょうか?
「特筆性を理由にした削除依頼が乱発」というのが正当なもの(=Wikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事に則って時間と手間をかけて最終的に削除に値すると判断されたもの)ならば、特筆性の無い記事が乱立されているという真逆の問題になるかと思います。
Wikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事に『時間が経過しても特筆性があるという証明が記事上に現れないような場合、単にそのような証明を与えることのできる情報源があると主張するだけでは説得力はない』書かれているように、情報源があると主張するだけ(=文献の存在はわかっているが現物の確認は出来ない)では駄目です。もし、期限を定めずに「留保宣言」タグの使用を許可すれば、情報源があると主張するだけの状態でいつまでも留保させておくことが可能になってしまい、情報源があると主張するだけでいくらでも記事を乱立できる危険な状態になり得ます。これを回避するとしたら、期限を定めるか、タグを剥がすルールを明確化する必要があります。しかし、「タグを剥がせる状態=留保できないことを証明する」というのは悪魔の証明的なものであり、相当な困難が予測され、危険は回避できないでしょう。「留保宣言」タグは良い案とは言えません。また、現行のガイドラインでそれなりの時間と手間をかけて特筆性の有無を調査すべきだとされていますから、わざわざそのような宣言をしなくても猶予は持たされているので、そのようなタグは不必要を言えるでしょう。--ちあんめにあ 2011年12月8日 (木) 02:14 (UTC)
コメント 江東琴さんの話も分かる所が有りますので、江東琴さん庇護の立場で意見を書いてみます。
現状、削除依頼でケースEで出される案件が多く、しかも「ケースE=特筆性が無い」と言う状況が常態化しているのは確かだと思います。そうすると、特筆性が無いと言う指摘は即削除を臭わさせる傾向が出来る訳ですが、特筆性が無いとする削除は本来「最終手段」であるべきだったかと思いますので、印象的に「最終手段では無く安易手段になってるんじゃないか」と言う懸念が有るのだと思います。
また、特筆性の条件も編集者に取って判断が微妙だったりしますし、しばらくの期間様子を見るにしても、その期間に対して編集者同士で同一尺を持ち得ないので、有る人から見れば「厳しすぎる」「しかも即時削除だ」と見えたり、有る人から見れば「甘すぎる」「放置しすぎだ」と見えたりする部分も有るのでしょう。少なくとも前者から見れば、特筆性タグの貼りつけは即「削除の危機」を意味するのだと思います。
NEONさんが指摘している「出典も示さずに書き散らした人」はちょっと違う気がしてまして、例えば読者サイドとして「これは有用だ」と思える記事が出典のパワー不足によって削除の危機に陥っていれば、これは百科事典として破壊行為に感じる事象でも有ります。
後は体感温度の問題も有りますよね。今は有用な二次出典が出ていないのだけれども、WEB上での反応は上々、後は「大人の事情な圧力」さえ無ければ将来的に二次出典がいつ出てきてもおかしくないと思える事柄など。記事を庇護したい側からすれば、「人々の話題に上がってるんだから、もうしばらく長い目で見てくれよ」と言う事になるのかと思います。
私は結局のところ、特筆性が無い記事を認めない側も、庇護したい側も、ゼロサムゲーム的な議論になるからこじれるんじゃないかなぁ・・と思うんですよね。
「特筆性が無い。最悪削除だな」では無くて、「出典は中々見つからないけど特筆性は有るんだ」でも無くて、「これは今の所特筆性を満たす出典が有りませんが、見通しはどうですか?」と。「ぅーん、見通しは悪くないと思うので、しばらく様子を見たいな」と。「ならば、期限を切りませんか?」と。そこで期限は半年なのか3年なのか、どの程度が妥当なのかで議論すれば良いのでは無いかと思います。
後、個人的に他にも気になる問題は、所謂「フジテレビ問題」関連なのですけれど、マスコミ各社が業界ぐるみで偏向報道してて、更に出版社までもが業界に逆らえない様な状況が発生していると推測される場合を想定して、何かルール上に対策を盛り込まないとNPOVが維持できないと感じています。これは本議論と関係ない話かも知れませんが、一応ついでと言う事で。
--Toshi999 2011年12月8日 (木) 08:21 (UTC)
コメント 私が先に挙げたケース(井上苑子さん)では、{{特筆性}}が貼られるだけでなく、別の人(IPさん)によって特筆性が乏しいことを理由とした削除依頼も提出されています(Wikipedia:削除依頼/特筆性が乏しいミュージシャン)。私自身はあまり削除依頼をつぶさに見ているわけではありませんので、このケースと同じことが≪削除依頼の乱発≫と呼ばれるほどに発生しているのかどうかは知りません。ただ、このケースにおいて削除意見者は「特筆性が乏しい」ことの根拠を説明できていないわけで、そういう意味で≪特筆性を理由にした削除依頼≫の≪不当なもの≫の一例だとは思います。{{特筆性}}付与者1名、削除依頼提出者1名、削除依頼賛同者1名の最低3人はそういう立場で行動した人がいるのではないでしょうか。≪出典も示さずに書き散らした≫というケースでなくとも、特筆性欠如を理由とした削除依頼は提出されているように思います。尤も、「留保宣言」タグでどうにかなるのかと言われると、どうにかなるわけではないと思います。
もう一つ、特筆性絡みの削除依頼を挙げておきます。「Wikipedia:削除依頼/髪フェティシズム」ですが、有意な(と加筆者である私が考える)第三者言及を加筆したとしても削除票を取り消すわけでもなければ、削除票を継続するのが妥当であるとの意見表明もない、しかしながら当該削除依頼以外ではWikipedia活動を継続している、というケースは、このケースに限らず何度か見たことがあるように思います。≪現行のガイドラインでそれなりの時間と手間をかけて特筆性の有無を調査すべきだとされています≫とありますが、当該削除依頼のノートページ「Wikipedia‐ノート:削除依頼/髪フェティシズム」を見ていただければ判るように、たかが1時間ネットで調べる程度で特筆性を担保する可能性の高い、有意な第三者言及書籍であろうものが見つかるようなケースですら、削除依頼に提出されているというのが現状だと思っています。これまた、このケースと同じことが≪削除依頼の乱発≫と呼ばれるほどに発生しているのかどうかは知りません。ただ、削除依頼をつぶさに見ているわけではない私ですらこうやって例示できる程度には見ているのですから、おそらくは≪削除依頼の乱発≫と呼ばれるほどに類似のケースが発生しているのではないだろうか、と推測します。--NISYAN 2011年12月8日 (木) 14:43 (UTC)
それらの不適切な例を踏まえて、何をどう変えると事態が改善されると考えますか。またそれらの例とは異なり、適切な依頼により削除されてゆく記事があることについてはどう捉えていますか。- NEON 2011年12月8日 (木) 16:02 (UTC)
コメント 事態の改善ができるような何かを考えついているなら、最初から提案をしています。残念ながら、私には今のところ改善のための方策は思いつきません。先に江東琴さんが挙げているケースを適切なケースでないと考える人が多いようなので、別の例、おそらくは不適切な削除依頼だと考える人が多いと思われる例を例示したまでです。
それから、≪適切な依頼により削除されてゆく記事≫の、≪適切な≫の部分について人によって閾値に差があるように思います。例えば、「Wikipedia‐ノート:削除依頼/髪フェティシズム」で話をした相手で、ここの議論にも登場されているぱたごんさんと私との間では、≪適切な≫の部分に対する認識は大きく異なるように思います。そういった点の認識を合わせることなく、NEONさんにとって(あるいは他のかたにとって)≪適切な依頼≫と考えているものを私が≪適切な依頼≫と捉えているか、それらが削除されてよしとするか、を話してもあまり意味があるとは思えません。--NISYAN 2011年12月8日 (木) 16:25 (UTC)
コメントええと。これまで「ウィキペディアにおける特筆性」という概念は十分に認識されてなくて、記事を書く時も、記事を見た時も、第三者による有意な言及がないから探して加えなければ、とは、あまり考えられていなかった。宣伝的だとか、著名性とか、データベースでないとか人名録でないとかいうことで、削除依頼の合意によって削除されることもあるし、ずっと放置されている記事もあるでしょう。この文書だって、まだ草案です。
現状では、第三者による有意な言及があるのに示されていない記事もたくさんあるし、第三者による有意な言及がないと思われる記事もたくさんある。後者は削除すればいいし、前者は削除すべきではない。「第三者による有意な言及」だけで判断してよいかどうかも、じつははっきりとはわからない。
そういう混乱した状態なのですね。そこで、「特筆性を理由にした削除依頼が乱発されるような事態」は、それぞれに懸念してるし、同時に、特筆性がないのに書き散らかされている記事が乱立していることを憂いている人も少なくない。
改善のためには、まずは、この文書の正式化でしょう。この文書は、曖昧で個人差のある「特筆性」というものを、第三者情報源の有意な言及というところまでは落としこんでいます。ciniiやNDLやamazonやgoogleで、うまく引っかかれば、それで議論が終わることもある。曖昧さが残るとしても、特筆性のあるなし、を、情報源の性質や取り上げられ方に変換している。情報源の性質ってことなら、プロジェクトが活発なら、そこでくわしい人たちの間で評価はある程度共有できるでしょうし。
そうして、この文書が意図することを理解する人を増やし、第三者による優位な言及がある資料を加える、加えるために探すだけの時間を確保する。それによって、どういう分野なら、どういう資料があって、どういう形で取り上げられるのかというのが、なんとなくでも共有されていく。
テンプレは、理解と調査を促すために必要で、特筆性を示す情報源がないから削除という前に、テンプレを貼るというステップを置いているもの。テンプレを貼られてたからといって機械的に削除依頼を出すのは正しくない。そういうふうに判断する人が出てくるのも避けられないから、機械的にテンプレを貼るのも、いまのところは好ましくないと思う。いったん全部に貼っておくというやりかたもあると思うけど、それをやるなら、そういう合意を得てから、になると思う。機械的なテンプレ貼りは、削除には直接結びつかないけど、検証可能性関連でもすったもんだありましたし、削除へのステップを減らして、削除依頼の場での合意に、集約させるものなので。ひとつひとつの記事に対して、それぞれが自分なりの知識やメディアリテラシーや調査で判断していくほうがいい。
あわてて削除する必要がないものも多いだろうけど、百科事典として取るに足らない項目、プライバシーや中立性の問題が関わるようなものもあるから、特筆性を理由とする削除というのは「なし」にするべきではない。情報源を探すなら探す。削除に向かうなら、あわてない。ということではないでしょか。--Ks aka 98 2011年12月8日 (木) 19:09 (UTC)
コメント NEONさんの質問が私にも向けられているのかちょっと分からなかったので、一応軽く回答を付けますが、もし違ってたら軽く流して下さい。
適切な依頼と言う認識がちょっと違うと思うんですよね。依頼を出す人は必ずそれが適切だと思っているはずですし、それに異議を挟む人は必ず不適切だと思っているはずです。
その認識のズレが本問題なのでは無いかなと思います。
そしてその認識のズレを埋める為の提案はしたつもりです。もっと具体的に言えば、一つのプロトコルとして「まずは特筆性のテンプレ貼り付け」→「ノートで何ヶ月か異論を待つ」→「異論が出たらコメント依頼などを経て猶予期間を議論する」→「猶予期間が決まったら、新たに特筆性の期限設定を示すタグテンプレを作ってもいいし、ノートで猶予期間と発効日を明確にしてもいい」→「ページを庇護したい人は猶予期間内に特筆性を満たせる出典集めをして、随時コミュ二ティに「OK?」確認(OKになった時点でテンプレはがしで問題解決」→「猶予期間に達して尚特筆性がNGのままなら削除依頼」みたいな感じです。このプロトコルは多分ルールに盛り込まなくても期限設定のテンプレを作れば結構、慣例化するのでは無いかと思います。ロングスタンスの期限を切った場合などは、もちろん、その時に議論に参加してた人以外の人で有っても、期限を過ぎてる記事を見つけて尚特筆性NGのままなら削除依頼に出せば良いと思います。
結局、特筆性とは読者需要が有るか無いかと言う事に直結すべき事柄ですし、特筆性が無い記事と言うのはイコール需要が無いページのはずです。であれば、Wikipediaのモラルに反していない限り、急いで削除する必要は無いと思います。(ルールに対する嫌味半分入ってます。本来そう有るべきのはずなのに、現状のルールだとそうなりきれて無いんですよね。)むしろ問題は特筆性が有って読者需要が高いにも関わらず色々と問題を抱えている記事の方かなと。
--Toshi999 2011年12月8日 (木) 19:53 (UTC)
「特筆性とは読者需要が有るか無いかと言う事に直結すべき事」という言い方に対して、私としては少し異論があります。私の考えでは、「特筆性」とは読者需要の有無の問題ではなく、むしろ、書き手の側が「中立的で信頼できる記事」を提供することが可能かどうかの問題です。いくら読者が知りたい事柄であっても、「対象とは無関係の信頼できる情報源」にそれなりの分量の情報が存在しなければ、百科事典にふさわしい中立的で信頼できる記事を立ち上げるのは無理です。中立的で信頼できる記事が書けるだけの材料がないのなら(つまり、無理して記事を書いても中立性や信頼性に欠けるものにしかならないなら)、そういう記事は削除しましょうということだと思います。--Dwy 2011年12月10日 (土) 08:19 (UTC)
コメント (インデント戻します)「読者需要が有るか無いか」というのはちょっと微妙な部分もあると思います。「需要がない」→「すぐに削除する必要はない」というのはよくわからないですが、「需要がある」→「すぐに削除する必要はない」という理屈ならわかります。それで、Wikipedia:閲覧回数の多いページの一覧Wikipedia:編集回数の多いページの一覧 を見るとわかるように、テレビ番組・芸能人とかアニメ・マンガ・ゲームなどが主に注目されているようで、これは巷間のネットユーザーの興味の対象を反映しているものだと考えられますが、だからといってガイドライン的に特筆性があるとみなすのは少し違うような気がします。少し違うというのは、現在の草案本文の「特筆性は「名声」「重要性」「人気」といったようなものとは別物ですが、それらは特筆性と(正に)相関するでしょう」の「別物」で表現されていると思います。
ウィキペディアのモラルとは、特に五本の柱や三大方針「WP:V」「WP:NOR」「WP:NPOV」、それから「WP:NOT」のことだと考えますが、特筆性/収録基準の方針/ガイドライン (WP:N) は三大方針を満たしNOTにあたらない記事を作るための方策・補助であるべきです。まず信頼できる出典があるかどうか (V, NOR)、そしてそれが第三者によるものかどうか (NPOV, NOR)、が記事に要求されるものであって、単独の項目として成立する基準を満たすかどうかとは、単独の項目内でそれらの要求を満たす見込みがあるかどうか、であると思います。見込みがあるかどうかとは、現在の状態でそれらの要求を満たす記述が存在するかどうか、または現在の記述がそれらの要求を満たしているかどうかではなくて、近い将来にそういった記述を作れるかどうかです。特筆性を示すというのは、そういった見込みがあるという示すことにより、削除されるべき記事(ケース E: 百科事典的でない記事)ではないことを示す、ということではないでしょうか。これは、たとえばVとNが区別されるべきゆえんであると思います。
「第三者による有意な言及」があれば特筆性があるとみなされる、というのが基本的な条件ですが、それ以外の条件も設定されるのは、単に第三者による有意な言及がなくともよいというのではなく、それら「それ以外」の条件を満たすのであれば有意な言及を直接探さなくとも、どこかにあることが容易に期待できるとみなされるような条件である、というのが私の考えです。そうでなければ、「名声」「重要性」「人気」があることを理由として、本質的に三大方針を満たさない記事の作成を容認することになるでしょう。
特筆性タグをはがすかどうかでもめるのは、タグに内在する問題のためではなく、特筆性の基準の曖昧さである、というのは上記各コメントと同じく私も思うところで、はがしてよいのは特筆性が明らかにされた時点である、ということ自体は明確だと思います。従って、問題の解決のためには特筆性の方針/ガイドラインを正式なものとし、できる限り判断基準を明確化するべき、というご意見には同意です。これにあたっては Wikipedia:信頼できる情報源 のガイドライン化も望ましいと思います。井上苑子の例では、テレビ番組は特筆性を満たす基準になるかどうかが曖昧であったため、議論がまとまらなかったのではないかと思います。
--Calvero 2011年12月10日 (土) 08:22 (UTC)
失礼ながら、Dwyさんの反論は何かちょっと違う気がし、どちらかと言えばCalveroさんの反論が的を射てる気がします。そこで、Calveroさんが指摘している様な「読者需要」を示すらしき事柄と特筆性をルール上、別物として扱っている点が私的にルールの本質的な意図を掴みきれないと言うか、前述で嫌味を含めた部分でも有ります。基本原則(特に検証可能性と独自研究を載せないはほぼイコールだと思いますので実質的には2原則+5本の柱だと思っています)は多分、Wikipediaの信頼性確保と読者の便のスパイラル的向上性を意図しているものと勝手に思っており、全てのルールはこのバランスを大切にすべきだとも思っているので、そう言う意味で特筆性ってルールは何か一人歩きし過ぎて無いか?と言う印象が少しだけ有ります。
やはり読者がいるからこそのWikipediaであり、読者がいなければただのオナニーですから、読者需要と言うのは常に意識すべきだと思いますし、そう言う意味で、やはり特筆性と言うのは読者から見て特筆性が有るのか無いのか・・と言う観点も多大に持つべきだと思っています。
信頼出来る情報源無しで記事が乱立する懸念に対しては、既に検証可能性及び信頼出来る情報源のルールが示されており、そちらで十分にカバー出来ると思っていますし、むしろこれらのルールが現状、かなり幅を利かせていますので最大公約数的なバランスを考えると特筆性には余り信頼出来る情報源を強く絡ませたく無いな・・・と個人的には思っています。とは言え、現状のルールを強く否定するつもりは有りませんので、示した提案を見て頂いても分かる通り、ルールに則った判断で最終的な削除依頼をジャッジすべきだとは思っています。
ただ、本来は信頼性と権威は別物なのでは無いかと思っていますが、現状のWikipediaのルールは信頼出来る情報源=権威有る情報源となっていると思います。しかしながら権威が無い情報源でも、ほぼ全ての人が肯定できる情報と言うのは普遍的に有って、そして多くの人が権威有る情報源に頼らなくてもそれが正しい情報(信頼出来る情報)だと認識出来る事柄だからこそ民衆の注目度的に特筆性が発生し、故に将来的に権威有るメディアが取り上げるだろうと期待を持てるのだと思います。
よって、その様な成長性が望めるも、現状のルールから見れば確かに信頼出来る有用な出典が無い記事だから、即、特筆性無しとして削除依頼だ!と言う方向性は無しにしたいなぁ・・と言う思いから前述となりました。(もちろん逆説的に、権威有るメディアが多く取り扱っている話題は民衆に注目されているから特筆性が有るとも言えると思います。ただここは論理的に難しい所で、権威有る情報源が扱っている=民衆の注目度が高い、とは言えても、民衆の注目度が高い=権威有る情報源が扱うとは限らない・・んですよね、ここが一番の懸念どころです。でも権威の無い信頼出来る情報源なら見つけられる可能性も有ったりすると、これをルールに則って黙殺するのは忍びない所です。)
尚、余談ながら、読者需要が無いから急いで削除する必要は無いと言う意味に付いて言及しますと、有る人から見て多少何か問題が有ると思える記事だったとしても、読者需要が無いなら読者に悪影響を及ぼす可能性は低い訳なので、急いで削除しなくても有る程度長い目で見る事も可能だろうと言う事です。そして、読者需要が高いのにモラル違反な記事が有った場合は、即に読者への悪影響とWikipediaの信頼に関わる問題となりますので早急に対処しなければならないのでは無いか・・と言う事を述べたつもりでした。
--Toshi999 2011年12月10日 (土) 10:00 (UTC)
Toshi999さんの発言に異論があります。注目されない記事はただのオナニーとのことですが、読者数が少なかろうと小国の過去の元首などは十分に大事な記事であると思います。読者需要というものを重視するとしたら、高校野球で甲子園に出場した選手(現在のところ特筆性があるとは言い難いとされ、ハンカチ王子クラスでないとまず存続されることはありません。)などはぜひ作成するべきだということになります。権威のある信頼性の認められた情報源でないものについて、どういったケースを想定されているかわかりませんが、芸能人、政治家、企業などで公式HPなどしか情報源がない場合、大言壮語、宣伝のおそれもあります。--Tiyoringo 2011年12月10日 (土) 10:40 (UTC)
私はDwyさんの考え方が最も「特筆性」を理解していると思いました。ただ、特筆性というのは考え方を理解するだけでなく実際にある程度の調査を必要とすることですから、そこらへんは慎重にやらなければならないなぁと思います。私も以前調査不足でタグ貼りしていたのを注意されたので、そういうことは特に注意を向けなければならないなと思っています。--リネン 2011年12月10日 (土) 11:03 (UTC)
ぅーん、ちょっと言葉不足だったかも知れません。注目度と読者需要はそれこそ正の相関が有る場合が多いとは思いますが、読者需要が有る=注目度が高いとも限らないとも思うんですよね。もしかすると特定の分野に携わる人から見ると需要が高いページなのかも知れませんが、それはイコール一般注目度が高い事は意味しませんし、しかしながら私の言う読者需要はどちらかと言えば全てをひっくるめた意味合いで使っています。また、大言壮語とか宣伝の恐れが高いとの懸念も尤もなのですが、これも既に他のルールで抑制出来ると思うんですよね。
今の所出ている懸念は全てに於いて「特筆性」を用いなくても既存のルールで抑制可能なものばかりと言う気がしてます。だからこそ最大公約数的なバランスを考えようよと言いたい訳でして・・・
--Toshi999 2011年12月10日 (土) 11:17 (UTC)
コメント 一応Calveroさんから指摘のあった点について。少なくとも特筆性テンプレート付与に伴って慌てて行った出典付与時点である「2010年8月20日 (金) 00:05 (UTC)」の時点(参考)、言い換えると、特筆性付与者が付与理由の詳細を説明している「2010年8月27日 (金) 12:05 (UTC)」の約一週間前の時点で、新聞(大阪日日新聞)で特集1件、テレビで特集3件、ラジオで特集1件、その他音楽サイト(特集と書いたものは、いずれも団体ではなく個人を対象としたもの)、といった感じの出典が付いているわけです。この水準の出典をつけてある記事状態に対して≪テレビ番組は特筆性を満たす基準になるかどうかが曖昧≫と言われても、テレビでその記事主題を対象とした特集が「Wikipedia:特筆性 (音楽)#音楽家・音楽グループ」に挙げられる「有意な(些細でない)第三者言及」でないと言われてもそれはさすがにおかしいでしょうとしか言えません。井上ノートで別表現で書いたことの繰り返しですが、「Wikipedia‐ノート:特筆性 (音楽)」で「その基準はおかしいんじゃないの?」あるいは「パッケージ化される可能性の少ないテレビ番組で2度3度取り上げられる程度では、有意な言及とは言い難いのではないか?」などと提案するべきだろうと思います(Calveroさんに提案すべきと言っているわけではありません)。{{特筆性}}を貼り付けたままで1箇月意見募集する、貼り付けた当人は説明をなかなか行わない、剥がそうとすると「特筆性がないのではなく、特筆性がない可能性があるテンプレートだから」だの「別の削除依頼提出で忙しいから今は説明しない」だの「稚拙な行動はやめてください」だの、ってのはおかしいと思いますけど。まあ済んだことであって、同じような目に他者があっていないなら、それでいいのですが。--NISYAN 2011年12月10日 (土) 16:06 (UTC)
私も文書の正式化が望ましいと思います。皆さんの意見を参考に私論を述べさせて頂くと、NISYANさんに提示いただいたWikipedia:削除依頼/特筆性が乏しいミュージシャンのケースでは特筆性テンプレートが剥がされたにも関わらず、削除依頼にしてしまっている。井上苑子のノートでの議論もCalveroさんの指摘されている通り、テンプレートではなくて特筆性そのものの議論です。Wikipedia:削除依頼/髪フェティシズムのケースでは特筆性テンプレートが貼られることも無く、削除依頼にしてしまっている。これらを見ると特筆性テンプレートを貼り付けることによって削除に繋がっている訳ではなく、削除云々は特筆性テンプレートの運用以前の問題だと思われます。さらに上のノート:月刊少女野崎くんの不当な理由でテンプレートを剥がそうと提案された件も特筆性への誤解からきています。特筆性テンプレートに期限を設けるとか運用レベルでの改善案ではなくて、もっと根本的なレベルでの解決が必要です。また、テンプレートに期限を設けると削除への実効性が高くなることによる様々な不安要素もでてきます。よって、解決に望ましいのが根本的なレベル=文書の正式化による周知徹底、理解の促進というわけです。もし、文書の正式化をすべきかの議論を行うことに賛同頂けるならばとりあえず一旦はテンプレートにまつわる議論は切って、節も新たに議論を行うべきと思いますがどうでしょう。
すぐに削除すべきかどうか、についても意見を述べておきます。特筆性が見込めそうだと期待できるものは積極的に削除すべきではないし、特筆性が期待できなそうなものは積極的に削除してもかまわないと思います。Calveroさんの意見と同じかと思います。これはPJ:漫画#特筆性が先行しており、これを支持します。期待できるかできないかもプロジェクト:漫画#特筆性にように猶予条件を各分野で設定するのが良い方法ではないかと考えます。
それからToshi999さんへ。現状のルールに即さない意見が見られますが、現状のルールを強く否定するつもりがないのでしたら、あまりルールと異なる解釈を示さないでください。議論が混乱しますので。ルールと異なる解釈を示したい=ルールを否定するのでしたら、ルールの変更を求める議論展開を行ってくだされば良いと思います。ルールの新設や変更を求めるのでなければ、ルールを尊重していただけるのであれば、可能な限りルールに即した意見や解釈をお願いします。--ちあんめにあ 2011年12月12日 (月) 03:54 (UTC)
ええええ、私だけが非難される事柄なんですか?(^^; 確かに少し脱線気味かなとは思いましたが、脱線方向への異論が沢山出たので答えただけなんですけど・・(^^; また、本筋からそんなに離れているつもりも無く。
例えば、ちあんめにあさんの要旨は「テンプレの問題では無く、特筆性無理解の問題だ。現在は草案だから無理解者が多い。だから正式版に格上げすれば周知度が上がるから問題は解決するのでは無いか」と言う話だと思いますが、本筋の議論はテンプレを張る人の感覚と剥がしたい人の感覚の温度差であり、つまりは双方とも特筆性の草案を読んだ人同士のぶつかり合いだと思うのですよね。ですので、ちあんめにあさんの話も確かに肯定出来る部分では有りますが、やはり現状の特筆性ルールの有りや方や捉え方の問題と言う観点もまた大切なのでは無いでしょうか。そこで私はちあんめにあさんの話を本筋から脱線していると非難するつもりは毛頭無く、むしろ広く色々な観点で論じる事が大切だと思ってますので宜しくお願いしたい所では有ります。(つまり、やや脱線気味と思われた異論も含めて私は大切なトピックだと思っています。)
また、私のコメントがルールから外れているとの指摘はちょっと違う気がします。何度も申しますが、最大公約数的な趨勢が信頼出来る情報源に偏り過ぎて解釈されているのでは無いかと言う懸念を示しています。現状、検証可能性と信頼出来る情報源が密接になっていると思いますし、その上に特筆性にまで信頼出来る情報源が密接となると、削除依頼を出したい人の趨勢が強くなる懸念が有ると思うからです。信頼出来る情報源を疎かにしろと言う話では無く、また、検証可能性の面からも緩く考えろと言う話でも無く、現状、検証可能性の見地から十分に信頼出来る情報源への抑制は出来ているのだから、特筆性の見地からは「長い目」で見れる程度には考えるべきでは無いかなぁ・・と言う話です。
また、ここは「温度差」に絡む話だとも思っております。
実際に何かの記事で特筆性に関して議論になる時と言うのは、もっと色々な要因が複雑に絡み合う事が多いと思いますので、これでもまだ観点的には狭いと思ってるぐらいです。
例えば、常識と検証可能性の曖昧な境界線問題とか・・「地球の周回軌道は楕円である」に出典はいらないとされますが、では「ネット上では歩きタバコを非難するコメントが多く見られる」はどうなのか・・とか。これの信頼出来る出典が見つからない時に、それは即時に特筆性が無いと判断されるべきなのかとか。まぁ、色々考えられますよね。
--Toshi999 2011年12月12日 (月) 10:34 (UTC)
脱線を避難しているわけではありません。言葉足らずだったようです。分かりにくくて申し訳ありません。具体的にお話しします。例えば、現在のWikipedia:特筆性では対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及がとなっており、信頼できる情報源が密接に絡んでいるのは明白です。なので、信頼出来る情報源を強く絡ませたく無いと言われても、現在のWikipedia:特筆性を支持する人は納得できません。他にも特筆性と言うのは読者から見て特筆性が有るのか無いのか・・と言う観点も多大に持つべきなどと現在のWikipedia:特筆性とは異なる見解を述べられています。もちろん、Toshi999さんが現在のWikipedia:特筆性は否定すべきものであるという立場、ルールを改訂すべきという立場から否定的な見解や異なる見を述べているのでしたらルール自体を問う議論に御付き合いさせていただきます。しかし、現状のルールを強く否定するつもりは有りませんと言われているので、そのような立場から述べられているわけでもない(と思います)。ルール自体を問う議論でない場においては、現在のWikipedia:特筆性に否定的な見解を根拠にされても、それは『現在のWikipedia:特筆性とは違う』としか返答のしようがありません(ガイドラインや現状と異なるという反論が既にいくつか付いていると思います)。そういう不毛なやりとりが続きそうだったので指摘させていただいたのですが、Toshi999さんだけを名指しで指摘したのは失礼だったと思います。ごめんなさい。
議論の本筋は『テンプレを張る人と剥がす人の争いがあり、その原因と対策』と『削除したい人と存続させたい人の争いがあり、その原因と対策』ですよね。温度差は本筋と言うより、Toshi999さんが原因と推定しているものだと思います。特筆性の基準の曖昧さを原因と推定している人もいます。私は特筆性への不理解を原因と推定したわけです。本筋から脱線していないつもりです。
曖昧な境界線問題については上記でPJ:漫画#特筆性のグレーソーン的思考を述べたので、ぜひ御一考ください。--ちあんめにあ 2011年12月12日 (月) 15:46 (UTC)
なるほど、仰ってる事は分かりました。要は私の立ち位置が中途半端な点を指摘なさっているのだと思います。であるならば、私としては取りあえず軽く「ジャブ」って見た程度の物でしか無いとご理解頂ければと思います。私はこう思うのだけれども・・と言う点に付いて、それもこの議論問題の大きな要因だね的なコメントが多く付けば、じゃぁ草案を改定しようよと言う話にも発展可能かも知れませんが、現状では異論しか頂いていませんので、「ぅーん、やっぱそうなのかなぁ、でもそう言う要因も有ると思うんだけどなぁ」程度に囀っている次第です。
尚、私も言い方が悪かった様で、余りお互いの観点でお互いの観点を否定し合うのは避けましょうよと言いたいが為に、あくまで言葉遊びの範疇で、ちあんめにあさんの言も本筋とちょっと外れてると言う言い方も可能だ的な事を言ってしまいましたが、心からそう思ってる訳では無く、きちんと本筋の範疇だと私も思っております。
ただ、PJ:漫画#特筆性を軽く眺めさせて頂きましたが、書かれている事は私の書いた懸念を回避するべくローカルルールに見えました。結局、ここで書かれている様な酌量余地を、「特筆性が無い=即削除」と勇む人々に少しでも考えて貰う方向性は持てないものかと言う点ですね・・私が囀っているのは。
--Toshi999 2011年12月12日 (月) 16:27 (UTC)

特筆性タグを貼り付けるときにその理由をノートに記載することを貼り付けた人の義務とする

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複数の一流新聞・雑誌の出典が脚注に記載されているのに、特筆性タグを貼り付ける人が散見されます。どういう加筆をすればいいのかわからないことがありますから、特筆性タグを貼り付けた人には、ノートにその理由を記載することを義務付けることにできないでしょうか。--kz2011 2012年3月6日(火)

「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」の訳について

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WP:FAILNについて、一部の訳に個人的に疑問を持ったので、質問させていただきます。該当節の一文に、

もしある記事に特筆性を満たしていることを証明するのに十分な情報源が示されていないのならば、あなた自身でそのような記事の情報源を探すか、以下のように対処して下さい。

とあるのですが、翻訳元の英語版の原文は

If an article fails to cite sufficient sources to demonstrate the notability of its subject, look for sources yourself, or: (略)

となっています。ここで or は「または」(並列)という用法で訳されていますが、この or は「さもなくば」の用法で、「AまたはB」ではなくて「AができなければB」の趣旨であって、つまり

もしある記事に特筆性を満たしていることを証明するのに十分な情報源が示されていないのならば、あなた自身でそのような記事の情報源を探してください。それでも見つけられなかったならば、以下のように対処して下さい。

という訳ではないかと思えます。この節の全体を読む限り「まず自分で探しなさい、それでも無理なら協力を求めよ」という流れではないかと考えられるので、この方が妥当なのかとも思えるのですが、私もそれほど英語が得意ではないので誤解があるのかもしれません。以上の点について皆さんはどう思われますか。--Kurz会話2012年4月17日 (火) 03:59 (UTC)

「まず自分で、それでも無理なら」という意図ならば、解釈に疑義の生じない強い文章表現が選ばれているでしょう。そうでないということは、単なる並列か、もしくはあえて解釈を限定しない表現に留められているのだと思います。- NEON会話2012年4月17日 (火) 04:24 (UTC)
  • ここは「自分で探してみたり、以下のように他人に聞いてみたりして下さい。それでもどうしても見つからなければ」云々の主旨なので現状で問題ないのでは?--大和屋敷会話2012年4月17日 (火) 06:27 (UTC)
コメント なるほど、言われてみれば確かに表現が弱いのでそうかもしれないですね。--Kurz会話2012年4月17日 (火) 11:15 (UTC)