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ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス

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ビートルズ > 作品リスト > ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
ビートルズ > 曲名リスト > ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
ビートルズ楽曲
収録アルバムザ・ビートルズ
英語名While My Guitar Gently Weeps
リリース
  • 1968年11月22日 (album)
  • 1969年3月10日 (Japan single)
A面日本の旗 オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
録音
ジャンル
時間4分44秒
レーベルアップル・レコード
作詞者ジョージ・ハリスン
作曲者ジョージ・ハリスン
プロデュースジョージ・マーティン
ビートルズ シングル 日本 年表
ザ・ビートルズ 収録曲
ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル
(DISC 1 A-6)
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
(DISC 1 A-7)
ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン
(DISC 1 A-8)
ミュージックビデオ
「While My Guitar Gently Weeps」 - YouTube

ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」(While My Guitar Gently Weeps)は、ビートルズの楽曲である。1968年に発売されたオリジナル・アルバム『ザ・ビートルズ』に収録された。作詞作曲はジョージ・ハリスンで、歌詞はビートルズのメンバー内で生じた不和についての言及とされている。本作のリードギターはハリスンの友人であるエリック・クラプトンが演奏しており、雰囲気の悪さを緩和する役割も果たしたが、クレジットには記載されていない[5]

ハリスンは、中国の易経の書籍に触発されて本作を書いた。1968年7月にアコースティック・ギターハーモニウムを主体としたデモ音源が録音され、8月から9月にかけてバンド形態でのレコーディングが行われた。1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』には前述のデモ音源が収録され、2006年に発売されたシルク・ドゥ・ソレイユのショーのサウンドトラック盤『LOVE』には前述のデモにジョージ・マーティンがアレンジしたストリングスがオーバー・ダビングされた音源が収録された。

イギリスやアメリカではシングル・カットされていないが、日本、ヨーロッパ、オーストラリアではシングル『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』のB面曲としてシングル・カットされた[注釈 1]。リリース後、音楽評論家から称賛を受け、「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」と並んでハリスンの代表曲のひとつとされ、解散後のソロライブの定番曲となった。「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では136位にランクインした。

背景

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ハリスンは、イングランド北部のウォーリントンにある母親の家で、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を書いた。本作は中国の易経の書籍に触発されて書かれており、ハリスンは「僕は易経の写しを持ってたんだ。中国にはすべてが必然であり、偶然というものは存在しないっていう考えがある。一方、西洋では偶然の事をまれにあるものだっていう風に考えられてるんだ[6]。本を開いた時に見えたのが『gently weeps(そっと泣いている)』だった。僕は本を閉じて、曲を書き始めた」と語っている[7][8]

歌詞は、そこに眠っている愛がありながらも、それに気づけていない人類の哀歌となっている[9][10][8]と同時に、インドから帰国後のメンバー間の不和が反映されており[11]、同じくハリスン作の「ノット・ギルティ」でもハリスンがメンバーを率いて、マハリシに会いにリシケーシュに行った際のトラブル[12]や、アップル・コアの設立によって生じたメンバー間での対立などへの言及がなされている[13]。本作のリードギターのレコーディングには、グループの雰囲気の悪さを少しでも緩和することを目的にエリック・クラプトンが招かれた[14]

1968年5月にイーシャーにある自宅でデモ音源が録音されたが、初期の草稿にあった「I look at the trouble and hate that is raging(僕は猛り狂うトラブルと憎悪を見る)[15]」と「The problems you sow are the troubles you're reaping(君が撒く問題は君が収穫するトラブルだ)」というフレーズが差し替えられた[16][8]。また、EMIレコーディング・スタジオで録音された最初のバージョンでも、最後のヴァースの歌詞がリリースされたものと異なっており、「I look from the wings at the play you are staging / While my guitar gently weeps / As I'm sitting here, doing nothing but aging / Still my guitar gently weeps(僕は君が演じているのを舞台の袖から見る / 僕のギターはそっと泣いている / ここに座って、歳をとるだけ / それでも僕のギターはそっと泣いている)」と歌われていた[15][8]。この日に録音された音源は、1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録され、2006年に行なわれたシルク・ドゥ・ソレイユのミュージカル『ザ・ビートルズ LOVE』では、この音源をベースにジョージ・マーティンがスコアと編曲を手がけたオーケストラが加えられた音源が使用された[17][18][19][8]ミュージカルのサウンドトラック盤にもこのアレンジが収録されている。このアレンジについて、ハリスンの未亡人のオリヴィアは「心の底から音楽に共感してくれるんです。彼はジョージがあの曲で伝えたかった事を完全に理解していました」と称賛している[8]。なお、マーティンがビートルズの曲に対してストリングス編曲を手がけたのは、これが最後となった[17][18]

レコーディング

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ファースト・バージョン 〜 ベーシック・トラック

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「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のレコーディングは、1968年7月25日にEMIレコーディング・スタジオのスタジオ2で開始された[20]。この日のセッションは、ハリスンがアコースティック・ギターギブソン・J-200)で弾き語り、それに対してポール・マッカートニーが曲に合うようにハーモニウムでコードを弾くという形式で行われた[21][20]。この日に録音されたテイク1が『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』、テイク2が2018年に発売された『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)〈スーパー・デラックス・エディション〉』に収録された[20]

8月16日にバンド編成でのレコーディングが開始され、ヘヴィなアレンジが施された[20]。レコーダーのトラック1にマッカートニーのベース、トラック2にハリスンのアコースティック・ギター、トラック3にレノンのオルガン、トラック4にリンゴ・スタードラムが録音された[20]。14テイク録音されたなかから、最終テイクがベストとされ、2本目のテープにリダクション・ミックスする際に、ドラムとベースがトラック1、オルガンとアコースティック・ギターがトラック2にまとめられた[20]。なお、この過程でギターの音にフランジャーがかけられ、テープの回転速度が通常よりも遅くなった[20]。このためテンポが落ちて、キーも1音半低くなった[20]

9月3日のセッションでは初めて8トラック・レコーダーが導入された[22][21]。この日のセッションで、テイク15が8トラック・レコーダーに移されてテイク16となり、これに対してハリスンは、2年前に「アイム・オンリー・スリーピング」のセッションで行ったように逆回転のギターソロが加えられたが、このテイクは破棄された[22][20]。5日に8月22日のセッションを最後に離脱していたスターが復帰[注釈 2][28][20]。この日もオーバー・ダビングが行われたが、2番目のバージョンも没となった[20]。その後、3番目のバージョンの制作が開始された際、テイク数は17となっていたが、ハリスンはこれを「テイク1」と称した[20]。その後27テイク録音された中から、テイク25がマスターに選ばれた[20]。なお、最終テイクとなったテイク27は、2018年に発売された『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)〈スーパー・デラックス・エディション〉』のCD5に収録された[20]

リードギターのオーバー・ダビング

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クラプトンがレコーディングで使用したギブソン・レスポール。クラプトンはこのギターをハリスンにプレゼントした。

9月6日にサリーからロンドンへ向かう車の中で、ハリスンはエリック・クラプトンに「レコーディングに参加してギターソロを弾かないか?」と声をかけた。当初クラプトンは「僕がビートルズのセッションに参加するなんて恐れ多いよ」と断っていたが[29]、「僕の曲だぞ!その僕が参加してくれと言ってるんだから大丈夫さ」というハリスンの言葉で参加を決めた[30]

クラプトンは、「ルーシー」と名付けたギブソン・レスポールでギターソロを演奏し[5][31]、このギターソロはレコーダーのトラック2に録音され、トラック1にはドラム、トラック3にマッカートニーのオルガンとピアノ、トラック4にハリスンのボーカルとアコースティック・ギター、マッカートニーのハーモニー・ボーカルが録音された[20]。なお残されたテープから、クラプトンはテイク17からテイク45までの大半で共演していたことが判明している[20]

ミキシング

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クラプトンのギターソロを後から聴き直したハリスンは、「ビートルズっぽさが足りない」と判断し[20]、エンジニアに対して「ビートルズっぽさを出してくれ」と要求した[32][33]。このため、1968年10月14日にモノラル・ミックスとステレオ・ミックスが作成された際に、ギターソロとオルガンにADTがかけられた[20]。音楽学者のウォルター・エヴェレット英語版はレノンが弾いたトレモロをかけたギターのパートは、曲のコーダで弾いたフレーズのみ残されたとしている[34]

リリース・評価

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1968年11月22日にアップル・レコードからアルバム『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』が発売された[35]。「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」は、『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』に収録されたハリスン作曲による4曲のうちの1つで[36]、レノン作の「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」と「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」の間の7曲目に収録された[35][37]。現在、この曲以降のジョージ作のビートルズ・ナンバーはジョージの個人楽曲出版社ハリソングス・リミテッドが保有しているが、この曲と同アルバムに収録されている「ピッギーズ」「ロング・ロング・ロング」「サボイ・トラッフル」の4曲は最初アップル・パブリッシング[注釈 3]が保有していた。イギリスやアメリカではシングル・カットされなかったが、日本、ヨーロッパ、オーストラリアなどの国でシングル『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』のB面曲としてシングル・カットされた[38][39]。ちなみに日本でシングル発売された時のタイトルは「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」と、何故か「ホワイル」が抜け落ちていた。その後、ビートルズ解散後の1973年に発売されたコンピレーション・アルバム『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』や、1976年に発売されたハリスンのソロ名義でのコンピレーション・アルバム『ザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン』にも収録された。

ビートルズ研究家のエリン・トルケルソン・ウェバーは、1969年に発売された「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」とともに、「多くの聴衆がジョージの作品を、レノン=マッカートニーの作品と互角ともいえるほどに素晴らしいと考えるようになった時期の始まり」としており[40]、コラムニストのマーク・ハーツガード英語版は自身の著書で「ジョージのキャリアでは初の素晴らしい楽曲で、おそらく『ホワイト・アルバム』で最も印象的な楽曲の1つ」と評している[41]

ローリング・ストーン』誌が選んだ「500 Greatest Songs of All Time」と「The 100 Greatest Guitar Songs of All Time」、さらに「100 Greatest Beatles Songs」に於いて、それぞれ136位[42]と7位[43]、10位[44]にランクイン。

2018年に『インデペンデント』誌のジェイコブ・ストルワーシーは、アルバム『ザ・ビートルズ』収録曲を対象としたランキングで本作を1位に挙げ、「ビートルズで最も偉大な曲の1つ」「ハリスンが天才である証」と評している[45]

ハリスンによるライブでの演奏

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ハリスンは、解散後のソロライブで毎回「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を演奏した。初めて本作が演奏されたのは、1971年8月1日にマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたチャリティーコンサートで、当時の演奏はライブ・アルバム『バングラデシュ・コンサート』に収録された。同コンサートに同伴したクラプトンはジャズ[46]カントリー・ミュージックの演奏に適したギターであるギブソン・バードランド英語版を使用し[47]ていて、ヘロイン中毒という状態であったが[48]、同コンサートでの演奏について音楽評論家のトム・ムーン英語版は著書『1,000 Recordings to Hear Before You Die』で、「ロックで、よりスリリングな2人のギターの探求の1つ」と評している[49]

1974年11月から12月にかけてラヴィ・シャンカルと共に行なった北米ツアーでも演奏され[50][51]、リードギターのパートはロベン・フォードと共に演奏した[52]

1987年のプリンス・トラストでは、ハリスンとクラプトンのほかに、スターがドラムで参加した[53]。なお、同コンサートではコーダが延長されたアレンジで演奏された[54]

1991年にクラプトンと共に行なった来日公演でも演奏しており、12月14日の公演と17日の公演での演奏を組み合わせた音源が、ライブ・アルバム『ライヴ・イン・ジャパン』に収録された[55]

カバー・バージョン

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カナダのギタリスト、ジェフ・ヒーリーが1990年に発売されたアルバム『ヘル・トゥ・ペイ英語版』で本作をカバーしており、ハリスンがアコースティック・ギターとバッキング・ボーカルで参加した[56]。ヒーリーのカバー・バージョンは後にシングル・カットされ、ニュージーランドのシングルチャートで最高位25位、カナダのシングルチャートで最高位27位[57]全英シングルチャートで最高位85位[58]を獲得した。

2002年6月3日、バッキンガム宮殿で行われた、女王エリザベス2世戴冠50周年記念コンサートで、マッカートニーがクラプトンと共に本作を演奏した。同年11月29日に行われたハリスンの追悼コンサート『コンサート・フォー・ジョージ』では、マッカートニーとスター、クラプトンに加え、ダーニ・ハリスンマーク・マン英語版の5人で演奏した[51]

このほか、トッド・ラングレン[59]トム・ペティ[51]ピーター・フランプトン[60]マーク・リボー[61]TOTO[62]らによってカバーされ、日本ではTHE WILLARDMi-Ke吉田兄弟[63][注釈 4]らによってカバーされた。

ミュージック・ビデオ

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2016年に『ザ・ビートルズ LOVE』の初舞台から丸10年を迎えるのを記念し、このアレンジでのミュージック・ビデオが公開された[64]。映像はミュージカルの世界観を表現したものとなっており、ミラージュ・ホテル(ラスベガス)公演での映像やネヴァダで撮影が行なわれたインサート映像で構成されている[65]

クレジット

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※出典[20]

最初のバージョン
2番目のバージョン
3番目のバージョン

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本でシングルカットされた際の邦題は「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」
  2. ^ 8月22日に行われた「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」のリハーサル時にリンゴ・スターの演奏に納得いかなかったマッカートニーが度々注文をつけたことにより、スターが激怒してスタジオを飛び出して一時的に脱退することとなった[23][24][25][26]。テレビシリーズ『ザ・ビートルズ・アンソロジー』で、スターは「確かに僕は脱退した。もうやってられなかったからね。そしたら『君は世界一のロックンロール・ドラマーだ。帰って来いよ。愛してるぜ』という電報が届いた。スタジオに戻ったら、ジョージがスタジオのあちらこちらに花で飾ってくれてたんだ。あのちょっとした危機を乗り越えたところで、『ホワイト・アルバム』が本格的にスタートした」と振り返っている[27][20]
  3. ^ ビートルズが設立したアップル・コアの傘下企業でジョン・レノンポール・マッカートニー以外の作品の版権を管理する会社。現在は解散している。
  4. ^ 2016年に公開された映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(日本語吹替版)のエンディングテーマとして使用された。
  5. ^ 音楽学者のウォルター・エヴェレット英語版は、曲のコーダにレノンがトレモロをかけたギターで弾いたフレーズが含まれている可能性を示している[34]

出典

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  1. ^ Lewisohn 2005, pp. 153–154.
  2. ^ MacDonald 2005, p. 300.
  3. ^ Riley 2002, p. 268.
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  5. ^ a b Lewisohn 2005, p. 154.
  6. ^ Harrison 2002, p. 120.
  7. ^ The Beatles 2000, p. 306.
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  10. ^ Inglis 2010, pp. 12, 26.
  11. ^ Ingham 2006, p. 202.
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  13. ^ Huntley 2006, p. 165.
  14. ^ Everett 1999, pp. 305–306.
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  16. ^ Unterberger 2006, p. 199.
  17. ^ a b Watson, Greig (2006年11月17日). “Love unveils new angle on Beatles”. BBC. 2020年1月23日閲覧。
  18. ^ a b The Beatles 'LOVE' Podcast”. The Beatles (2007年1月11日). 2007年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月23日閲覧。
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  28. ^ Everett 1999, p. 201.
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  50. ^ Rodriguez 2010, pp. 59–60.
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参考文献

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外部リンク

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