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鴎座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鷗座』(かもめざ)は、加藤楸邨門下、古沢太穂師系の月刊俳句雑誌。太穂の死を発端とした2001年の『道標』分裂を契機に松田ひろむが創刊。ここでは母体となった『道標』と、その前身となった『沙羅』や戦中についても併せて取り上げる。

歴史

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戦中

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1942年加藤楸邨の『寒雷』同人、古沢太穂太平洋戦争の最中、横浜在住の「寒雷」、「馬酔木」、「」、「暖流」の句友と始めた雑誌『藤』が源流である[1]1943年、『藤』は戦時下の言論統制の厳しさと紙不足から13冊で終刊、『椎』と改題、手書きの回覧雑誌とした[2]。『椎』の通巻は不明だが、現存資料で1949年3月号までが確認できる[3]

沙羅

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1947年、太穂と同じ「寒雷」の楸邨門下、赤城さかえと、戦後の新たな社会性俳句運動を目指し『沙羅』を創刊[4]。各地のサナトリウムにおける「療養所俳句」やプロレタリアートによる「職場俳句」、飛鳥田一雄の「地域文化会」を中心に集まった[4]。また広く原稿を募り、石田波郷大野林火三谷昭、加藤楸邨、石橋辰之助らが執筆している[5]。しかし赤城さかえ自身の結核が悪化したこと、1950年の「レッドパージ」を契機に[6]、古沢太穂は『沙羅』とは別に、自身が組織した神奈川県職場俳句協議会の機関誌『俳句サークル』を母体として翌年、『道標』を創刊させる[6]

道標

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1951年、『道標』創刊とともに療養所俳句や職場俳句を詠んでいた若者たち、板垣好樹、岩間清志、望月たけし松田ひろむ、敷地あきら、石塚真樹らが参加[7]。 また自由律俳句横山林二[8]や、一時的に回復した赤城さかえ、しばらく後に谷山花猿[9]が加わる。

1955年、古沢太穂が栗林一石路の後任として[10]新俳句人連盟の委員長(のち会長)に就任すると、道標と連盟との関係はより深いものとなる[11]。月刊『俳句人』の編集長は赤城さかえ、岩間清志、板垣好樹、橋本夢道、敷地あきら、谷山花猿と、橋本夢道を除けばすべて道標の同人が起用された。また太穂が顧問に退いた後も石塚真樹、谷山花猿、敷地あきらと会長職を独占した[7]

当初は他結社との交流も盛んで、1956年から「氷海」の秋元不死男と「横浜俳話会」を、佐藤雀仙人の「雑草」や金子兜太の「海程」、佐藤鬼房の「小熊座」、見學玄の「五季」等と、連盟を通して社会性俳句運動を共にしている[12]

1967年、赤城さかえ死去。1972年、『沙羅』と合併[13]。新「道標」体制となる[13]

鷗座

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2000年、古沢太穂死去。その翌年の2001年、「道標」の「鷗俳句会」を運営していた松田ひろむ岡崎万寿乗本眞澄ら道標同人の一部が離脱、松田を代表に「平明清新・抒情・生活感覚」をかかげ「鷗座」を創刊する[14]。誌名は鷗俳句会の「鷗」に俳諧の「座」[14]を合わせた造語。『道標』、『鷗座』ともに太穂の師系を名乗り、師系の分裂は2017年まで続いたが、印刷所の閉鎖に伴い「道標」終刊[11]。古沢太穂の師系は16年の時を経て再び一本化された。

2017年ホテルメトロポリタンで創刊15周年記念祝賀会を開催。日本伝統俳句協会副会長の大久保白村全国俳誌協会会長、現代俳句協会理事の秋尾敏世界俳句協会夏石番矢俳人協会岩淵喜代子らが出席した[15]

代表は現代俳句協会参与、第9回新俳句人連盟賞、第28回現代俳句評論賞受賞の松田ひろむ[16]編集長は第51回現代俳句全国大会賞[17]受賞の石口榮。副編集長は東京都区現代俳句協会の小髙沙羅・古川塔子、主要同人に日野百草、東京都区創立30周年俳句賞受賞の小平湖、旧華族久我家当主の久我誠通(女優、久我美子の実兄)らがいる[18]。この他に顧問同人に、長谷川ヱミ・宮沢子・柳瀬亜湖・古川塔子。終身会員に倉本岬(前編集長)がいる。同人会長は初代山中蛍火・倉本岬・柳瀬亜湖につづいて小髙沙羅が務めている。歴代の編集長は(初代)倉本岬・(二代目)姉崎蕗子・(現)石口栄である。

結社の賞として同人賞、鷗座賞、新風賞(新人賞)。公募の賞として新樹賞を設けている。

参考文献

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  • 『赤城さかえ全集』青磁社、1988年
  • 『宙 鷗座合同句集II』第三書館、2004年
  • 『古沢太穂全集』新俳句人連盟、2013年

出典

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  1. ^ 『古沢太穂全集』953頁。
  2. ^ 『古沢太穂全集』954頁。
  3. ^ 『資料収集・整理事業』「古沢太穂資料」神奈川近代文学館、151頁。
  4. ^ a b 『赤城さかえ全集』1037頁。
  5. ^ 『俳句人』1948年2月号、27頁。
  6. ^ a b 『古沢太穂全集』955頁。
  7. ^ a b 『新俳句人連盟70年 歴史と作品』年表、2016年。
  8. ^ 古沢太穂「横山林二さんをおくる」『赤旗』、1973年3月6日版。
  9. ^ 『俳句人』1979年2月号「特集・第七回新俳句人連盟賞」。
  10. ^ 「新俳句人連盟一九五五年度役員一覧」『俳句人』1955年11月号、24頁。
  11. ^ a b 『俳句人』2017年5月号、後記。
  12. ^ 『古沢太穂全集』年譜。
  13. ^ a b 『古沢太穂全集』958頁。
  14. ^ a b 創刊のことば
  15. ^ 『俳句展望』第176号、31頁。
  16. ^ 現代俳句協会
  17. ^ 第51回現代俳句全国大会
  18. ^ 「色即是空」『鷗座』2016年10月号、41頁

関連項目

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関連リンク

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