辻井民之助
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辻井 民之助(つじい たみのすけ、1893年(明治26年)6月3日[1] - 1972年(昭和47年)7月1日[1][2])は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]京都市上京区西陣で生まれる[1]。1905年、小学校卒業後、西陣織の徒弟となる[1]。1918年頃に賃織業者として独立[1]。1919年、友愛会に加わり労働組合運動に従事[1][2]。1921年、西陣織物労働組合を組織し、同年、日本労働総同盟関西労働同盟会副会長に就任[1]。1922年、日本共産党に入党し、1923年、執行委員に就任したが、一斉検挙事件の後、ソ連に亡命し、帰国後、1924年に検挙され、禁錮10ヵ月となる[1]。その後、労働農民党、日本労農党、社会民衆党などに所属し、1935年、京都府会議員に当選し、同参事会員、京都市会議員も務めた[1][2]。
戦後、日本社会党に入党し[1]、1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に京都府選挙区から出馬して当選[2]。第23回総選挙(京都府第一区)でも当選し、衆議院議員を連続二期務めた[2]。この間社会党中央執行委員にもなっている。
衆院議員落選後は再度京都府会議員となる傍ら、京都合同繊維労働組合長、京都労働金庫理事長、京都府地方労働委員などを務めた[2]。
著作
[編集]- 『労働運動40年 : 附・社会党・総評批判』辻井民之助、1962年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。