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諫早不二雄

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諫早 不二雄[1][2](いさはや ふじお[3]1897年明治30年)4月4日[4] - 1947年昭和22年)1月16日[5])は、日本華族(旧佐賀藩国老、男爵[2][4][6]資産家[7]

人物

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長崎県北高来郡諫早村(現・諫早市)出身。諫早家興の弟[1][4]諫早家崇庶子[6]

1913年家督を相続し、襲爵仰せ付けられる[4][6]。1913年12月、長崎県北高来郡立諫早実科高等女学校敷地として畑255歩を寄付し、銀杯1箇を賜う[8]。住所は長崎県北高来郡諫早村原口名[6]東京府荏原郡品川町大字南品川三ツ木[6]鎗ケ崎[9](現・品川区)。

家族・親族

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諫早家
親戚

脚注

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  1. ^ a b 『大正人名辞典 第3版』819頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『現代華族譜要』イ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月18日閲覧。
  3. ^ 『華族名簿 大正6年3月31日調』165頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』い177頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月17日閲覧。
  5. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.115
  6. ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』い152頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月17日閲覧。
  7. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月17日閲覧。
  8. ^ 『官報 1920年06月28日』官報 第2371号 746頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月17日閲覧。
  9. ^ 『帝国信用録 第15版』東京府下イ34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月17日閲覧。

参考文献

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  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 『華族名簿 大正6年3月31日調』華族会館、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1920年06月28日』日本マイクロ写真、1920年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 帝国興信所編『帝国信用録 第15版』帝国興信所、1922年。
  • 維新史料編纂会編『現代華族譜要』日本史籍協会、1929年。

関連項目

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日本の爵位
先代
諫早家興
男爵
諫早家3代
1913年 - 1923年
次代
諫早英雄