コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

多久茂文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
多久茂文
多久茂文像(多久市郷土資料館蔵)
時代 江戸時代前期 - 後期
生誕 寛文9年11月26日1670年1月17日[1]
死没 正徳元年8月29日1711年10月11日[1]
別名 伊豆、伊予(通称)
墓所 佐賀県佐賀市本庄町の慶誾寺
官位正五位
主君 鍋島光茂綱茂吉茂
肥前佐賀藩
氏族 鍋島氏後多久氏(多久鍋島家)
父母 鍋島光茂、廉
多久茂矩
兄弟 鍋島綱茂鍋島吉茂茂文村田政盛
鍋島長行鍋島辰茂鍋島宗茂
鍋島茂之鍋島徳寛神代直方、千、
伊東祐実継室、水野忠直正室、
鍋島茂正室、鍋島武興室、鍋島直朗室、
鍋島嵩就養女、諫早茂照室、
岡部盛明正室、鍋島直恒正室ら41名
鍋島直堯娘・彦市
千重子、曽雄
茂村茂明
テンプレートを表示

多久 茂文(たく しげふみ)は、江戸時代前期から中期にかけての肥前国佐賀藩士。多久鍋島家後多久氏)4代当主。

略歴

[編集]

寛文9年(1670年)、佐賀藩2代藩主・鍋島光茂の三男として誕生。後に3代多久邑主・多久茂矩の養子となり、貞享3年(1686年)、家督を継ぐ。

儒学者武富咸亮実松元林に学び、東原庠舎多久聖廟を創建する。鍋島元武の三男を長女・千重子(本良院)の婿養子とし、茂村と名乗らせる。

正徳元年(1711年)、死去。

茂村は茂文没後に5代多久邑主を継ぐが、兄で小城藩4代藩主・鍋島元延が正徳4年(1714年)に没すると5代藩主・鍋島直英となる。そのため、次女・曽雄の婿である茂明[2]が6代邑主として相続した。

明治44年(1911年)、正五位を追贈された[3]

系譜

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『旧多久邑人物小志』
  2. ^ 須古鍋島家6代当主・鍋島茂清の子。
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.29