多久茂孝
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多久茂孝 | |
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 宝暦2年10月27日(1752年12月2日) |
死没 | 文化12年2月18日(1815年3月28日) |
墓所 | 佐賀県多久市円通寺 |
主君 | 鍋島重茂、治茂 |
藩 | 肥前佐賀藩 |
氏族 | 後多久氏(多久鍋島家) |
父母 | 多久茂堯、山中氏 |
兄弟 | 兼連、茂孝、茂鄰、鍋島茂郷 |
妻 | 鍋島直右娘・於富 |
子 |
鍋島茂矩 茂鄰 |
多久 茂孝(たく しげのり)は、江戸時代中期の武士。肥前国佐賀藩士。多久鍋島家(後多久氏)8代当主。
略歴
[編集]多久茂堯の次男として誕生。母は側室の山中氏。正室は鍋島直右の娘・於富。
宝暦4年(1754年)に兄・兼連が早世したため父の嫡子となり、明和6年(1769年)17歳で家督を相続する。明和8年(1771年)に領地を接する唐津藩領内で虹の松原一揆が発生した際は、人を遣わして動静を探らせ、藩に報告した。
天明元年(1781年)6月、病を理由に隠居して弟・茂鄰に家督を譲る。文化12年(1815年)2月18日死去。享年64。菩提寺の円通寺に葬られた。