第三航空戦隊
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第三航空戦隊(だいさんこうくうせんたい)とは、日本海軍の機動部隊の一翼を担った部隊である。略称は三航戦[1]。略字は3Sf[2]。 最初の三航戦は水上機母艦神威を基幹戦力とし、南洋諸島の調査や[3]、第三艦隊に所属して支那事変(日中戦争)に参加した[4]。 二代目の三航戦は1940年(昭和15年)11月15日に再編され、第一艦隊に所属して大東亜戦争(太平洋戦争)開戦を迎えた[5]。1942年(昭和17年)4月1日に解隊された[6]。三代目の三航戦は1944年(昭和19年)2月1日に再編された[7]。第三艦隊に所属し、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に参加した。同年11月15日、解隊された。
概要
[編集]初代(1936年6月1日新編~1936年12月1日解散)
[編集]1936年(昭和11年)6月1日、水上機母艦「神威」[8]、第28駆逐隊(夕凪、朝凪)[9][10]、司令官戸苅隆始海軍少将(当時)[11]をもって、第三航空戦隊が創設された。第三航空戦隊は同年6月末から10月中旬まで[3]、南洋方面における航空機基地調査や訓練に赴いた[12][13]。
同年12月1日、第三航空戦隊は第十二戦隊に改編される形で解隊された[14][15]。戸苅少将(第三航空戦隊司令官)は呉鎮守府参謀長へ転任[16]。第十二戦隊司令官には宮田義一少将(当時、横須賀警備戦隊司令官)が補職された[16]。第十二戦隊の所属艦は、敷設艦沖島[17][14]と水上機母艦神威[8]および第28駆逐隊(夕凪、朝凪)[15]、4隻の戦隊であった[18]。第十二戦隊(連合艦隊直率)は対米戦に備えて太平洋に進出し、南洋諸島の調査を実施する[19][20]。半年以上の航海を終えて日本本土に帰投したのは、支那事変勃発後であった[3]。
二代(1937年8月27日新編~1938年12月15日解散)
[編集]1937年(昭和12年)7月7日に支那事変が勃発すると[21]、日本海軍は中国大陸沿岸や揚子江流域の作戦を担当する第三艦隊(司令長官長谷川清中将)を増勢した[4]。 8月27日、日本海軍は水上機母艦「神威」と第28駆逐隊(朝凪、夕凪)により、再び第三航空戦隊を編制した[22]。空母「赤城」艦長寺田幸吉大佐を、第三航空戦隊司令官に任命した[23]。第三航空戦隊は第三艦隊に編入され[4]、中国大陸へ進出した。 9月18日、衣笠丸型貨客船を改造した水上機母艦「香久丸」が第三航空戦隊に編入された[24]。 10月20日、第28駆逐隊は佐世保警備戦隊に編入され、第三航空戦隊から外れた[25]。また水上機母艦(元知床型給油艦)「能登呂」が第三航空戦隊に編入された[26]。同日附で施行された艦隊平時編制標準における第三艦隊は、第十戦隊、第十一戦隊、第五水雷戦隊、第三航空戦隊で編制されていた[27]。
同年12月1日、「能登呂」は新編された第四航空戦隊(司令官鮫島具重少将)[28]に編入され[26][29]、三航戦から除かれた。同時に、貨客船を改造した水上機母艦「神川丸」が第三航空戦隊に編入される[30]。三航戦は水上機母艦3隻(神威、香久丸、神川丸)を揃えた[30]。旗艦は「神威」や「香久丸」に置かれた[31][32][33]。
1938年(昭和13年)7月1日、「神川丸」は第三艦隊附属となる[30]。8月1日、第四航空戦隊が解隊され[34]、同航空戦隊所属だった「能登呂」は第三航空戦隊に復帰した[26][35]。三航戦は3隻編制(神威、能登呂、香久丸)となる[36]。 12月15日、第三航空戦隊は解隊される[37]。寺田少将は軍令部出仕[38]。「神威」と「能登呂」は予備艦に指定される[8][26]。「香久丸」は解傭された[24]。
三代(1940年11月15日新編~1942年4月1日解散)
[編集]1940年(昭和15年)11月15日[39]、日本海軍は小型空母2隻(鳳翔、龍驤)と、峯風型駆逐艦4隻[40]の第34駆逐隊(秋風、羽風、太刀風、夕風)[41]により第三航空戦隊を新編した[5][42]。第三航空戦隊司令官には角田覚治少将を任命した[43]。淵田美津雄少佐(海兵52期)[44]も第三航空戦隊参謀に補職されている[45]。
1941年(昭和16年)4月10日、日本海軍は第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将)を新編した[46][47]。同日附で「龍驤」は新編の第四航空戦隊(司令官桑原虎雄少将)[48]へ転籍し[5]、第一航空艦隊隷下において四航戦の旗艦となった[49]。ひきつづき第一艦隊隷下の第三航空戦隊には[5]、剣埼型潜水母艦を改造した瑞鳳型航空母艦1番艦「瑞鳳」が編入される[50]。 また第34駆逐隊(秋風、羽風、太刀風)は第一航空戦隊に編入される[51]。同駆逐隊より「夕風」が除籍され[52][53]、そのまま第三航空戦隊に所属した[54]。 一方、駆逐隊に所属せず単独駆逐艦だった睦月型駆逐艦10番艦「三日月」[55]も4月10日附で第三航空戦隊に編入される[56][57]。三航戦は4隻(鳳翔、瑞鳳、三日月、夕風)となった[5]。
同年8月25日、第三航空戦隊参謀淵田美津雄少佐[58](第一航空艦隊参謀源田実中佐の盟友)[59]は、8月25日附で空母「赤城」飛行隊長に補職される[60]。真珠湾攻撃航空部隊の指揮官として、第一航空艦隊の母艦飛行隊を指揮することになった[61]。 9月1日、第三航空戦隊司令官と第四航空戦隊司令官を入れ替える人事がおこなわれ、角田覚治少将は四航戦司令官へ転任した[62]。それまでの四航戦司令官桑原虎雄少将が三航戦司令官に補職される[62]。第三航空戦隊旗艦は臨時に「夕風」となる[63]。
同年9月12日に内示された『昭和17年度海軍戦時編制』によれば、第三航空戦隊(第一艦隊所属)は瑞鳳型航空母艦2隻(祥鳳、瑞鳳)[64]と神風型駆逐艦2隻(朝風、春風)で編制[65]。 それまで第三航空戦隊所属だった「鳳翔」は、新鋭の秋月型駆逐艦3隻(秋月、照月、初月)の第25駆逐隊[66]と特設航空母艦2隻により『第七航空戦隊』を編制予定であった[67]。また第三航空戦隊所属の「三日月」は第十一航空戦隊に[68]、同「夕風」は第十二航空戦隊に編入予定だった[69]。 だがこの編制を実現する前に太平洋戦争が勃発したため、第三航空戦隊に3隻(祥鳳、朝風、春風)が加わることはなかった。
1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦時における三航戦の編制は[5]、軽空母鳳翔、軽空母瑞鳳[70][71]、睦月型駆逐艦三日月、峯風型駆逐艦夕風であった[72]。 開戦と共に、第三航空戦隊は主力部隊[注 1]を掩護して小笠原沖まで進出した[75]。帰投時、鳳翔と随伴駆逐艦3隻が一時所在不明となった[76]。
1942年(昭和17年)2月初頭には米軍機動部隊の活動がはじまり[77]、日本海軍は内地所在の低速戦艦および第三航空戦隊と第五航空戦隊を基幹とする警戒部隊(指揮官高須四郎第一艦隊司令長官)を編成した[注 2]。米軍機動部隊来襲の情報により警戒部隊が出動することもあったが、特に戦闘は発生しなかった[82][83][84]。この後、パプアニューギニアのポート・モレスビー海路攻略に備え、第五航空戦隊はセイロン沖海戦に参加したあと南洋部隊(指揮官井上成美第四艦隊司令長官)に派遣されている[85]。
1942年(昭和17年)4月1日、第三航空戦隊は解隊された[6][86]。桑原虎雄少将は軍令部出仕となる[87]。4隻(鳳翔、瑞鳳、三日月、夕月)は第一艦隊附属となった[88][89]。 4月18日のドーリットル空襲時、鳳翔と瑞鳳は内海西部にいた[90]。たまたま横須賀に帰投していた第二艦隊司令長官近藤信竹海軍中将(前進部隊指揮官、旗艦愛宕)が敵機動部隊邀撃の指揮をとることになり、警戒部隊は前進部隊の支援を命じられた[91]。鳳翔と瑞鳳および随伴駆逐艦2隻は警戒部隊を掩護して内海西部を出撃し、応援の第15駆逐隊(黒潮、親潮、早潮)や第16駆逐隊(雪風、初風、時津風、天津風)も合同して米軍機動部隊を捜索した[92]。 5月末から6月上旬のミッドウェー作戦における元三航戦の鳳翔と夕風は、連合艦隊旗艦「大和」以下の主力部隊に区分された[注 3]。 瑞鳳と三日月は、第二艦隊司令長官近藤信竹中将指揮下の攻略部隊本隊[注 4]に所属して行動した。ミッドウェー海戦敗北後の7月14日に第三艦隊(司令長官南雲忠一中将、参謀長草鹿龍之介少将)[97]が新編されると、瑞鳳は第一航空戦隊に、鳳翔と夕風は附属部隊に編入された[98]。
四代(1944年2月1日新編~1944年11月15日解散)
[編集]1943年(昭和18年)中旬以降、水上機母艦千歳、千代田の航空母艦への改装が完成[99][100][101]した。 これにともない日本海軍は1944年(昭和19年)2月1日附で瑞鳳型航空母艦3隻(瑞鳳、千歳、千代田)により第三航空戦隊を再編した[102]。第三航空戦隊司令官には、当時第五十一航空戦隊司令官だった大林末雄少将が任命された[103]。 2月15日、空地分離方式により三航戦所属各空母の航空隊が分離統合され第六五三海軍航空隊が新編される[104]。この措置にともない大林少将は、三航戦司令官と第六五三海軍航空隊司令の兼務となる[105]。
3月1日、第一機動艦隊が新編される[106][107]。 3月29日、木村軍治中佐が同日付で第六五三海軍航空隊司令に任命され、大林少将は兼務を解かれた[108]。6月中旬以降、第三航空戦隊は「あ号作戦」に参加、6月19日から20日にかけてのマリアナ沖海戦で第一機動艦隊は大敗し、三航戦では千代田が被弾して損傷した[101]。
8月10日、第一航空戦隊を雲龍、天城で再編する事になる[109][110]。それに伴い、所属艦でマリアナ沖海戦から唯一生還した瑞鶴は第三航空戦隊に、海戦後第一航空戦隊に転属していた龍鳳は第四航空戦隊に編入[110]となり、空母4隻(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)となる[110]。
10月1日、それまで第一機動艦隊司令部が直卒していた第一航空戦隊が直卒から外れ、独自に司令部を編成する事になる[111][112]。これに伴い、第三航空戦隊が第一機動艦隊司令部の直率部隊[113]となり、それまでの第三航空戦隊司令部は解散[114]、大林少将は第三航空戦隊司令官の職務を解かれ、第一機動艦隊参謀長に転じる[111][115]。
10月20日より始まったレイテ沖海戦では、小沢中将直率として機動部隊本隊を編制[注 5]して出撃した。10月25日のエンガノ岬沖海戦で第三航空戦隊の空母4隻は全隻沈没する[50][100][101]。 11月15日、第三航空戦隊は第一機動艦隊と、その基幹となる第三艦隊[116]と共に解隊される。
編制
[編集]- 1936年(昭和11年)12月1日 解隊(第十二戦隊に改編)[14]
- 1938年(昭和13年)2月1日 第五艦隊編入時の編制(第五艦隊所属)
- 神威、香久丸、神川丸
- 1938年(昭和13年)8月1日 第四航空戦隊解隊時の編制
- 神威、能登呂[26]、香久丸
- 1938年(昭和13年)12月15日 解隊
- 1942年(昭和17年)4月1日 解隊
- 1944年(昭和19年)11月15日 解隊
歴代司令官
[編集]- 戸苅隆始 少将:1936年6月1日[11] - 1936年12月1日[16] ※解隊
- 寺田幸吉大佐/少将:1937年8月27日[23] - 1938年12月15日[38] ※解隊
- 角田覚治少将:1940年11月15日[43] - 1941年9月1日[62]
- 桑原虎雄少将:1941年9月1日[62] - 1942年4月1日[87] ※解隊
- 大林末雄少将:1944年2月1日[103] - 1944年10月1日[111]。以後は専任の司令官を置かず、1944年11月15日の解隊まで第三艦隊司令長官直率。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 開戦時に内海西部を出撃した主力部隊は[73]、連合艦隊司令長官山本五十六隊長が直率する第一戦隊(長門、陸奥)、第一艦隊麾下の第二戦隊(日向、伊勢、扶桑、山城)、第21駆逐隊(初春、子日、若葉、初霜)、第27駆逐隊(有明、夕暮、白露、時雨)、第7駆逐隊(曙)、航空部隊(鳳翔、瑞鳳、三日月、夕風)という戦力だった。主力部隊には重雷装艦の第九戦隊(大井、北上)も所属しているが[74]、開戦時は工事が終わっていなかった。
- ^ 2月8日聯合艦隊電令作第64号により、五航戦を基幹とする聯合艦隊附属航空部隊が編成されていた[78]。同8日1830に編成された警戒部隊は[79]、第二戦隊(伊勢、日向、扶桑、山城)、第九戦隊(北上、大井)、第三航空戦隊(鳳翔、瑞鳳、三日月、夕月)、連合艦隊附属航空部隊(翔鶴、瑞鶴、秋雲、霰、陽炎)[80]、第27駆逐隊第1小隊(時雨、白露)、駆逐艦矢風という編成だった[81]。
- ^ 連合艦隊司令長官山本五十六大将直率の主力部隊は[93]、戦艦部隊(大和、長門、陸奥、伊勢、日向、山城、扶桑)、巡洋艦戦隊(大井、北上)、水雷戦隊(軽巡川内、第11駆逐隊、第19駆逐隊、第20駆逐隊、第27駆逐隊)、空母隊(鳳翔、夕風[54])、特務隊(千代田、日進。ただし攻略部隊に続行)[94]、第一補給隊、第二補給隊。
- ^ 攻略部隊本隊[95]。第四戦隊第1小隊(愛宕、鳥海)、第五戦隊(妙高、羽黒)、第三戦隊第1小隊(金剛、比叡)、第四水雷戦隊(軽巡由良、第2駆逐隊〈村雨、五月雨、夕立、春雨〉、第9駆逐隊〈朝雲、夏雲、峯雲〉)[96]、軽空母瑞鳳[50]、駆逐艦三日月[57]、健洋丸、玄洋丸、佐多、鶴見。他に水上機母艦2隻(千代田、日進)[94]。
- ^ 第三航空戦隊、第四航空戦隊(日向、伊勢)、巡洋艦3隻(大淀、五十鈴、多摩)、駆逐艦4隻(初月、秋月、若月、霜月、桑、槇、杉、桐)
出典
[編集]- ^ a b c #三航戦機密第1号 p.1〔 秘 三航戦機密第一号ノ九 昭和十一年六月十一日 横須賀神威 第三航空戦隊司令部 横浜郵便局御中|郵便物発送先ノ件照会|当隊行動ノ関係上、當司令部、軍艦神威及第二十八駆逐隊(朝凪、夕凪)宛郵便物ハ六月二十四日以降當分ノ間貴局氣付ト致スベクニ付発送ニ関シテハ左記ニヨリ御配慮ヲ得度|記 七月十三日迄到達見込ノモノハ サイパン/八月十四日 〃パラオ/九月十六日 〃ポナペ 十月十五日 〃父島(終) 〕
- ^ a b 戦史叢書91 1975, p. 002a付表第二 聯合艦隊編制推移表(昭和十四年十一月十五日~十六年十二月十日)
- ^ a b c 戦史叢書38 1970, pp. 55–57南洋群島の基地調査
- ^ a b c 戦史叢書91 1975, pp. 356–357現地艦隊への増勢
- ^ a b c d e f 戦史叢書91 1975, p. 002b付表第二
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- ^ #海軍航空部隊編制 p.30(19-2-1)〔 GF|3F(T×2)|◎3sf|瑞鳳/千歳/千代田|各C×21 O×9 〕-〔 ◎3Sf 3Fへ }2/1 〕
- ^ a b c d e #写真第4巻空母II pp.150-151〔 水上機母艦行動年表◆神威◆ 〕
- ^ #S1106朝凪日誌(1) p.1〔 摘要 六月一日付ヲ以テ司令駆逐艦ヲ朝凪ヨリ夕凪ニ変更(司令夕凪ニ乗艦ス)本日付ヲ以テ第三航空戦隊ニ編入セラル(以下略) 〕
- ^ #官房第3733号郵便 p.3〔 昭和十一年八月五日 省副官 神奈川郵便局宛 艦船宛郵便物ニ関スル件依頼 第三航空戦隊司令部、軍隊神威及第二十八駆逐隊(夕凪、朝凪)南洋方面行動中該艦宛郵便物ハ貴局気付トシテ発送可致候ニ付テハ左記ニ依リ処理方可然御取計相成度 追テ同隊行郵便物ノ最終締切月日御通知ヲ得度 記 九月二日迄ニ到達見込ノモノハ ポナペ/九月二十八日 〃トラツク/十月十日 〃サイパン 〕
- ^ a b 昭和11年6月2日(火)官報第2823号。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959304 p.9
- ^ #写真第4巻空母II p.187(神威写真)
- ^ #神威委員会一時転勤 p.3〔 (発宛略)機密第二八七番電 第三航空戰隊ニテサイパン島航空基地整備及訓練ノ爲左記ノ通一時轉勤セシメ度ニ付御承知相成度 〕
- ^ a b c 「昭和11年12月1日 海軍公報(部内限)第2496号 p.17」 アジア歴史資料センター Ref.C12070361800 〔 事務引継 第三航空戰隊司令部ノ残務ハ本月一日之ヲ第十二戰隊司令部ニ引継キタリ 〕-〔 ○事務開始 第十二戰隊司令部ハ軍艦沖島ニ設置セラレ本月一日其ノ事務ヲ開始セリ 〕
- ^ a b #S11.11朝凪日誌(1) p.31〔 摘要 昭和十一年十二月一日付ヲ以テ昭和十一年度聯合艦隊編制ニ依リ第十二戰隊ニ編入セラル 〕
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- ^ 戦史叢書38 1970, pp. 57–58第十二戦隊の基地調査
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- ^ 「昭和12年8月30日(月)海軍公報(部内限)第2702号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070367300 〔 ○代将旗指定 第三航空戰隊司令官ハ本月二十七日代将旗ヲ神威ニ指定セリ 〕
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- ^ 「昭和12年12月7日(火)海軍公報(部内限)第2783号 p.10」 アジア歴史資料センター Ref.C12070369000 〔 ○将旗掲揚 第四航空戰隊司令官ハ十二月五日将旗ヲ能登呂ニ掲揚セリ|第一根拠地隊指揮官ハ十二月五日将旗ヲ朝日ニ掲揚セリ 〕
- ^ a b c d #写真第4巻空母II p.192〔 特設水上機母艦行動年表◆神川丸◆ 〕
- ^ 「昭和13年3月7日(月)海軍公報(部内限)第2854号 p.32」 アジア歴史資料センター Ref.C12070372000 〔 ○旗艦變更 第三航空戰隊司令官ハ三月五日旗艦ヲ神威ヨリ香久丸ニ變更セリ 〕
- ^ 「昭和13年5月3日(火)海軍公報(部内限)第2899号 p.10」 アジア歴史資料センター Ref.C12070373200 〔 ○旗艦變更 第三航空戰隊司令官ハ四月三十日旗艦ヲ香久丸ヨリ神威ニ變更セリ 〕
- ^ 「昭和13年12月14日(水)海軍公報(部内限)第3086号 p.21」 アジア歴史資料センター Ref.C12070376100 〔 ○旗艦變更 第八戰隊司令官ハ十二月十二日旗艦ヲ那珂ヨリ由良ニ變更セリ|第三航空戰隊司令官ハ十二月十二日旗艦ヲ香久丸ヨリ神威ニ變更セリ 〕
- ^ 「昭和13年8月3日(水)海軍公報(部内限)第2977号 pp.11-12」 アジア歴史資料センター Ref.C12070374400 〔 ○将旗掲揚 第十三戰隊司令官ハ八月一日将旗ヲ球磨ニ掲揚セリ|○将旗撤去 第四航空戰隊司令官ハ八月一日将旗ヲ球磨ヨリ撤去セリ(略)第十三戰隊司令部、軍艦球磨、第十一掃海隊、第二砲艦隊宛 自今 佐世保郵便局氣付 〕
- ^ #S1308揚子江空襲部隊其二 p.2〔 一、八月一日附能登呂ヲ第三航空戰隊ニ編入セラル 〕
- ^ 「昭和13年12月5日(月)海軍公報(部内限)第3078号 p.16」 アジア歴史資料センター Ref.C12070376000 〔 ○郵便物發送先 第三航空戰隊司令部、特設水上機母艦香久丸、軍艦神威、能登呂宛 自今 各所属軍港(以下略) 〕
- ^ 「昭和13年12月19日(月)海軍公報(部内限)第3090号 p.46」 アジア歴史資料センター Ref.C12070376100 〔 ○将旗撤去 第三航空戰隊司令官ハ十二月十五日将旗ヲ撤去セリ 〕
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- ^ #第34駆逐隊支那事変第9回功績 p.2〔 自昭和十六年四月十日至昭和十六年四月三十日|第一航空艦隊第一航空戦隊ニ属シ教育訓練竝ニ沿岸防備ニ従事對支那事變内地待機 〕
- ^ #内令昭和16年4月(3) p.37〔 内令第三百六十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十六年四月十日 海軍大臣及川古志郎|第三十四驅逐隊ノ項中「、夕風」ヲ削ル 〕
- ^ #夕風支那事変第9回功績 p.1〔 驅逐艦夕風|自昭和一五.一一.一五至昭和一六.五.三一|第一艦隊ニ属シ對事変内地待機|昭和十六年四月十日第三十四駆逐隊ヨリ除カレ單艦トナル 〕
- ^ a b #ハンディ判艦艇写真集18〔 p.111(駆逐艦『峯風型・神風型・睦月型』行動年表)◇夕風◇
- ^ #三日月支那事変第9回功績 p.1〔 勲勞乙|自昭和一六.三.三一至一六.四.一〇|佐世保軍港ニ在リテ一般防備警戒ニ從事|上記任務ヲ完全ニ達成ス|自一六.三.三一至一六.四.六 佐鎮防空演習ニ参加 〕
- ^ #三日月支那事変第9回功績 p.2〔 勲勞丙|自昭和一六.四.一至一六.四.三一|聯合艦隊(第一艦隊第三航空戰隊)トシテ支那事變待機ノ傍ラ諸訓練ニ從事|上記任務ヲ完全ニ達成ス|一六.四.一〇第一艦隊第三航空戰隊ニ編入サル 〕
- ^ a b #ハンディ判艦艇写真集18 p.115(駆逐艦『峯風型・神風型・睦月型』行動年表)◇三日月◇
- ^ 淵田美津雄 2010, pp. 91–94再び赤城飛行隊長
- ^ 淵田美津雄 2010, pp. 99–101.
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- ^ 「昭和16年9月8日 海軍公報(部内限)第3892号 p.49」 アジア歴史資料センター Ref.C12070397300 〔 ○将旗一時移揚 第三航空戰隊司令官ハ九月一日将旗ヲ一時夕風ニ移揚セリ 〕
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- ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他 p.1〔 佐世保|第二十五驅逐隊|《秋月》《照月》《初月》|(戦時編制ニ依ル所属)第七航空戦隊 〕
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- ^ 戦史叢書43 1971, pp. 71–76決戦兵力の大部使用
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- ^ 戦史叢書43 1971, pp. 640–641幕僚陣の強化と情報参謀の新設
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- ^ 千歳は同年8月1日工事完了、9月15日附で第五十航空戦隊編入、千代田は12月21日工事完了、第五十一航空戦隊編入
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- ^ #第1機動艦隊戦時日誌 pp.3-4〔 三.一(略)第三艦隊軍隊區分ヲ左ノ通改ム 1sf(翔鶴瑞鶴六〇一空)/2sf(飛鷹龍驤隼鷹)/3sf(六五三空 千歳千代田瑞鳳)/10S(矢矧 10dg 4dg 61dg 16dg 17dg阿賀野)/附属最上 一.1sf 10Sハ昭南方面ニ於テ訓練整備/二.2sf 3sfハ内海西部ニ於テ訓練整備/三.三月一〇日大鳳ヲ1sfニ編入/四.三月二一日六五二空ヲ2sfニ編入/五.三月三一日阿賀野16dgヲ10Sヨリ除ク(以下略) 〕
- ^ 「昭和19年4月1日(発令3月29日)海軍辞令公報(部内限)第1399号 p.14大林免職・木村補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097000
- ^ #第1機動艦隊戦時日誌 pp.6-7〔 (略)二.八月十日第三艦隊軍隊區分ヲ左ノ通改ム 1sf(天城雲龍六〇一空) 3sf(瑞鶴瑞鳳千歳千代田六五三空) 4sf(日向伊勢隼鷹龍鳳六三四空) 10S(矢矧 61dg 41dg 4dg 17dg) 附属 最上 大鳳 翔鶴 〕
- ^ a b c #海軍航空部隊編制 p.37〔 GF|1KDF|3F|1Sf|◎天城 ◎雲龍/各0|3sf|瑞鶴千歳千代田瑞鳳|653/◎S164 C×48 ◎S165 C×48 ◎S166 C×48 K263 C×48|隼鷹龍鳳伊勢日向|各0 〕、p.38〔 ◎雲龍1Sf ◎天城1Sf 大鳳 翔鶴1Sf→3F 龍鳳1Sf→4Sf 瑞鶴1Sf→3Sf}8/10 〕
- ^ a b c 「昭和19年10月6日(発令10月1日付)海軍辞令公報(甲)第1602号 p.27」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101400
- ^ 「昭和19年10月4日 海軍公報第4817号 p.15」 アジア歴史資料センター Ref.C12070502900 〔 ○事務開始 第一航空戰隊司令部ハ十月一日開隊松山航空基地ニ於テ事務ヲ開始セリ 〕-〔 ○残務整理 第三航空戰隊司令部残務整理ハ第一航空戰隊司令部ニ於テ之ヲ行フ 〕
- ^ #第1機動艦隊戦時日誌 p.7〔 (略)一.十月一日1sf司令部新設セラレ3sfヲ直率トス/二.3sf昭南方面進出準備基地訓練整備 〕
- ^ 「昭和19年10月13日 海軍公報第4825号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C12070503000 〔 ○書類(除兵備品)引継ニ關スル件 本日附第三航空戰隊司令部ハ解散シ第一航空戰隊司令部新設セラレタル所従来第三航空戰隊司令部ニ配布又ハ貸與シアル首題物件ハ總テ當部ニ引継受領セシニ付了承相成度(第一航空戰隊司令部) 〕
- ^ #第1機動艦隊戦時日誌 p.42〔 二.人員ノ現状(十月)(イ)主要職員官氏名 〕
- ^ #第1機動艦隊戦時日誌 p.10〔 10.30 将旗ヲ雲龍ニ移揚/11.7 将旗ヲ龍鳳ニ移揚 /11.15 将旗ヲ徹ス 〕
- ^ 「昭和11年6月5日(金)海軍公報第2774号 p.25」 アジア歴史資料センター Ref.C12070356700 〔 ○司令驅逐艦變更 第十六驅逐隊司令ハ本月四日一時芙蓉ヨリ朝顔ニ、第二十八驅逐隊司令ハ本月一日朝凪ヨリ夕凪ニ司令驅逐艦ヲ變更セリ 〕
- ^ #S1208朝凪日誌 p.29〔 摘要 本日附ヲ以テ第三艦隊第三航空戰隊ニ編入、水上基地調査ノ為メ「キョーワン」ニ廻航即日帰投 〕
参考文献
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- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 ミッドウェー海戦』 第43巻、朝雲新聞社、1971年3月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 本土方面海軍作戦』 第85巻、朝雲新聞社、1975年6月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<1> ―開戦まで―』 第91巻、朝雲新聞社、1975年12月。
- 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 空母II第4巻 隼鷹型・瑞補型・千歳型・大鷹型・信濃・伊吹・龍鳳・神鷹・海鷹 水上機母艦 特設水上機母艦 母艦搭載機の発達』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7。
- 雑誌『丸』編集部 編『ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 第二復員局残務處理部『太平洋戦争中に於ける日本海軍航空部隊編制及飛行機定数表(外戦部隊)』1949年7月 。