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五智国分寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹之内草庵から転送)
五智国分寺

本堂地図
所在地 新潟県上越市五智3-20-21
位置 北緯37度10分6.8秒 東経138度13分29.8秒 / 北緯37.168556度 東経138.224944度 / 37.168556; 138.224944座標: 北緯37度10分6.8秒 東経138度13分29.8秒 / 北緯37.168556度 東経138.224944度 / 37.168556; 138.224944
山号 安国山
宗派 天台宗
本尊 五智如来
創建年 奈良時代
開基 不詳
中興年 (伝)永禄5年(1562年
中興 上杉謙信
正式名 安国山 華蔵院 国分寺
文化財 三重塔(新潟県指定文化財)
経蔵など・境内(上越市指定文化財)
法人番号 3110005008388 ウィキデータを編集
五智国分寺の位置(新潟県内)
五智国分寺
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五智国分寺(ごちこくぶんじ)は、新潟県上越市五智にある天台宗寺院山号は安国山。院号は華蔵院。本尊五智如来

奈良時代聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、越後国国分寺の後継寺院にあたる。

歴史

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本長者原廃寺跡
(上越市本長者原)
(推定越後国分寺跡)

聖武天皇の詔によって建てられた越後国国分寺を継承するとされ、寺伝では永禄5年(1562年)に上杉謙信が現在地に移転・再興したという[1]。移転前の当初の寺地は明らかでなく[1]、本長者原廃寺跡(上越市本長者原)に比定する説のほか[2]海岸侵食で没したとする説や、岩殿山奥の院を創建地とする説等がある[3]

上杉謙信による再興以前については、『延喜式』に寺料2万束と見える。中世には伊豆走湯山(現・伊豆山神社)別当密厳院の末寺であり、かつては真言宗であったともいう[1]室町時代には万里集九が当地を訪れ、境内の様子を『梅花無尽蔵』に描写している[1]。また寺伝では、承元元年(1207年)に親鸞が越後国に流罪になった際、親鸞は境内に草庵(竹之内草庵)を結んで住まったという[4]

謙信の再興以後では、『上杉年譜』から上杉景勝からの崇敬を受けたことが知られる[1]。また江戸時代には幕府から朱印地200石が国分寺村に与えられるとともに諸役が免じられた[1]慶安元年(1648年)には天台宗になっていたとされる[1]。堂宇は元禄2年(1689年)と寛政6年(1794年)の火災で全て焼失しており[1]、その後の再建・修復を経て現在に至っている。

境内

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三重塔(新潟県指定文化財)
山門(上越市指定文化財)

現在の寺地は永禄5年(1562年)の上杉謙信による移転・再興と伝える。移転ながら由緒継承等で旧寺との関係が推測されることから、境内は上越市指定史跡に指定されている[5]。また境内は土塁で周囲を囲まれていることから、再興以前は豪族の居館であったとも考えられている[5]

境内中央に建てられた本堂は、昭和63年(1988年)の焼失を経て平成9年(1997年)に再建されたものになる[6]。堂内には、大日如来を中心として薬師如来宝生如来阿弥陀如来釈迦如来の5体の五智如来像が本尊として安置されている[7]

本堂前に建てられた三重塔は、上越地方では唯一残る塔である[8]寛政6年(1794年)の焼失後の安政3年(1856年)に再建を着工し、慶応元年(1865年)に棟上がされたが高欄等は未完成である[9]。塔の心礎を鎖で釣って心礎に固定しないという、江戸時代後期から現れる手法を採っている[8]。この塔は新潟県指定文化財に指定されている[8]

経蔵は棟札から元禄6年(1693年)の建立とされ、市内で建築年代を特定できる建造物では最古になる[10]。蔵内には、元禄5年(1692年)の寄進銘を持つ「鉄眼版一切経」が納められている[11]。境内入り口に建てられた山門は、天保6年(1835年)の再建[12]。正面には「安國山」の山号を掲げる[12]。門内の左右2体の仁王像は天保7年(1836年)の作という[13]。この経蔵・山門はそれぞれ上越市指定文化財に指定されている[10][12]

以上のほか、境内には親鸞の旧跡という竹之内草庵(伝親鸞聖人坐像(上越市指定文化財)を安置)や、親鸞上人像がある。

文化財

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新潟県指定文化財

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  • 有形文化財
    • 三重塔(建造物) - 1976年(昭和51年)3月31日指定[14]

上越市指定文化財

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  • 有形文化財
    • 経蔵(附 棟札1枚)(建造物)[10]
    • 山門(建造物)[12]
    • 伝親鸞聖人坐像(彫刻)[15]
    • 銅造聖観音立像(彫刻) - 国分寺に秘仏として伝えられたといわれ、白鳳時代(8世紀)の作と評される[16]
    • 上杉景勝朱印状(古文書) - 上杉景勝が天正12年(1584年)に国分寺領に対して発給した諸役免除の安堵状[17]
  • 史跡
    • 越後国分寺境内[5]

関連文化財

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  • 木造大日如来坐像
    国の重要文化財(彫刻)。平安時代後期の作[18]。各種公式資料[14][19]で上越市五智の国分寺の所有とされているが、実際の安置場所は上越市五智国分の明静院である。明静院は国分寺奥の院と称され、五智国分寺が管理した。

現地情報

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所在地

交通アクセス

周辺

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 国分寺(平凡社) 1986.
  2. ^ 本長者原廃寺跡 史跡説明板。
  3. ^ 中世諸国一宮制 2000, p. 370-371.
  4. ^ 竹之内草庵(公式サイト)。
  5. ^ a b c 越後国分寺境内(上越市ホームページ)。
  6. ^ 国分寺本堂(公式サイト)。
  7. ^ 五智如来(公式サイト)。
  8. ^ a b c 五智国分寺三重塔(上越市ホームページ)。
  9. ^ 三重の塔(公式サイト)。
  10. ^ a b c 国分寺経蔵 附棟札1枚(上越市ホームページ)。
  11. ^ 経蔵(公式サイト)。
  12. ^ a b c d 国分寺山門(上越市ホームページ)。
  13. ^ 山門(公式サイト)。
  14. ^ a b 新潟県の文化財一覧 (PDF) (新潟県ホームページ)。
  15. ^ 伝親鸞聖人坐像(上越市ホームページ)。
  16. ^ 銅造聖観音立像(上越市ホームページ)。
  17. ^ 上杉景勝朱印状(上越市ホームページ)。
  18. ^ 木造大日如来坐像(上越市ホームページ)。
  19. ^ 木造大日如来坐像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)。
  20. ^ 上越市内公共交通総合時刻表”. 上越市. 2020年4月2日閲覧。

参考文献

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  • 「国分寺」『日本歴史地名大系 15 新潟県の地名』平凡社、1986年。ISBN 4582490158 
  • 中世諸国一宮制研究会編 編『中世諸国一宮制の基礎的研究』岩田書院、2000年。ISBN 978-4872941708 

外部リンク

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