益田就賢
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益田 就賢(ますだ なりかた、寛文13年(1673年) - 享保17年(1733年))は、益田家第26代当主。長州藩永代家老・須佐領主益田家7代。
父は益田就武。母は毛利元任の娘。養父は益田就恒。正室は福原広俊の娘。子は益田元道、福原元貞。娘は毛利広包室、毛利元雅室、国司通忠室。養子は兼慶。幼名は百合亀。通称は小四郎、右衛門、越中、玄蕃。
生涯
[編集]寛文13年(1673年)、分家益田就武の次男として生まれる。父就武は益田広兼の弟就之の子で元祥の孫。元禄2年(1689年)、本家益田就恒の養子となる。元禄6年(1693年)、養父就恒の死去により家督を相続する。元禄15年(1702年)、加判役(家老)となり藩主毛利吉広、吉元に仕えた。宝永2年(1705年)、瑞林寺を創建する。宝永7年(1710年)、病により隠居して家督を嫡男の元道に譲る。享保17年(1733年)没、享年61。
参考文献
[編集]- 「長陽従臣略系」(東京大学史料編纂所)