益田就恒
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益田 就恒(ますだ なりつね、寛永6年(1629年) - 元禄6年8月5日(1693年9月4日))は、益田家第25代当主。長州藩永代家老・須佐領主益田家6代。
父は益田元尭。母は清水景治の娘。兄は益田就宣。正室は福原元俊の娘、継室は阿曽沼就忠の娘。子は益田久之丞。養子は益田就賢。通称は與三左衛門、主馬、宇右衛門、越中。諱は就祥、就裕、就恒。
生涯
[編集]寛永6年(1629年)、毛利家家臣益田元尭の五男として生まれる。後に福原元俊の養子となり、その娘を娶る。延宝8年(1680年)、五男の久之丞が実家の益田家の末期養子となり、幼いためその代理を務める。貞享元年(1684年)、久之丞が夭折したため、帰家して益田家の家督を相続する。加判役(家老)として藩主毛利綱広、吉就に仕えた。
貞享4年(1687年)、東山天皇即位式の祝賀使を務めた。元禄2年(1689年)、分家益田就武の次男の就賢を養子とする。元禄5年(1692年)、松崎八幡宮に石灯籠を献上する。
元禄6年(1693年)8月5日没。享年65。家督は就賢が相続した。
参考文献
[編集]- 「長陽従臣略系」(東京大学史料編纂所)