益田元道
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益田 元道(ますだ もとみち、元禄15年(1702年) - 寛保2年4月15日(1742年5月19日))は、益田家第27代当主。長州藩永代家老・須佐領主益田家8代。
父は益田就賢。母は福原広俊の娘。正室は堅田就宣の娘。養子に益田広尭。幼名は梅之丞。通称は越中。
生涯
[編集]元禄15年(1702年)、益田就賢の長男として生まれる。宝永7年(1710年)、父が病により隠居したため家督を相続する。享保4年(1719年)、大頭役に任じられ、藩主の毛利吉元、宗広の2代にわたって仕えた。吉元からは元服の際に偏諱(「元」の字)の授与を受けた。
享保11年(1726年)、須佐領内に唐船が漂着し、藩命により打払う。享保20年(1735年)、初代館長に京の儒学者品川希明を招き、郷校育英館を創建し、家臣子弟の学問を奨励した。育英館は幕末に人材を輩出し、育英小学校の前身となる。寛保2年(1742年)4月15日没、享年41。笠松山麓に葬られる。家督は益田一族である問田益田家の益田就高の二男繁沢利充(広尭)が養子となって相続した。
参考文献
[編集]- 「長陽従臣略系」(東京大学史料編纂所)