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的場金右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
的場金右衛門

的場 金右衛門旧字体的󠄁場 金衞門、まとば きんうえもん、1892年明治25年)9月25日[1] - 1977年昭和52年)4月4日[2])は、大正から昭和期の農業技術者、政治家衆議院議員

経歴

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鹿児島県[2]肝属郡、現在の鹿屋市で生まれる[3][4]。1911年(明治44年)鹿児島県立鹿屋農学校(現鹿児島県立鹿屋農業高等学校)を卒業[2][3][4]

高隈小学校訓導、吾平小学校訓導、野里小学校訓導、実業補習学校訓導、実業学校助教諭、鹿児島県立農民道場講師などを歴任[2][3][4]。また、東市来村農会技手となり、1923年(大正12年)曽於郡農会技手、同技師、1938年(昭和13年)鹿児島県農会技師となり、同農産課長兼茶業課長を務めた[2][3][4]

1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で鹿児島県全県区から無所属で出馬して初当選[5]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙鹿児島県第3区から国民協同党公認で出馬して再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、国民協同党常任中央委員、同鹿児島県支部長などを務めた[2][3]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙民主自由党公認で出馬したが落選し[7]、政界を引退した[3]

その他、鹿屋市農業協同組合長、同市農業委員会長、鹿児島県老人クラブ連合会理事、同鹿屋市連合会長などを務めた[2][3][4]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、33頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』610-611頁。
  3. ^ a b c d e f g 『郷土人系 上』192頁。
  4. ^ a b c d e 『鹿児島県姓氏家系大辞典』451頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1741頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』603頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』385頁。

参考文献

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  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。