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田中一光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中一光
(たなか いっこう)
生誕 1930年1月13日
奈良県奈良市[1][2]
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)図案科[1][2]
著名な実績 グラフィックデザイナー
受賞 紫綬褒章,文化功労者[1]
選出 日本宣伝美術会

田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 2002年1月10日)は、日本のグラフィックデザイナー[3]奈良県奈良市出身[2][4]。本名は同じ表記で、読みは「たなか かずあき」。

昭和期を代表するグラフィックデザイナーの一人として活躍した[1]。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界、デザイナーたちに大きな影響を与えた。特にセゾングループクリエイティブディレクターとして、セゾン文化の裏方を担った[5][1]

自身の作風は琳派に大きな影響を受けており、間接的ながら琳派の作風を現代(1970年代以降2020年現在に至るまで)に広め紹介することとなった。

略歴

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受賞・栄典

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主な仕事

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西武百貨店の包装紙(2012年撮影)
1972年札幌オリンピック入賞メダル(銅)背面

著書

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  • 『デザインの周辺』 白水社、ISBN 978-4560039427
  • 『デザインの仕事机から』 白水社、ISBN 978-4560039434
  • 『デザインの前後左右』 白水社、978-4560038611
  • 『田中一光自伝 われらデザインの時代』 白水社、ISBN 978-4560073704
  • 『デザインと行く』白水社、978-4560073391
  • 『伝統と今日のデザイン』トランスアート、ISBN 978-4924956889

展覧会

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脚注

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  1. ^ 堤清二から依頼を受けて実施。
  2. ^ 展示デザインは、生前親交が深かった建築家安藤忠雄が担当した。

注釈・出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 田中一光と無印良品”. 良品計画. 2023年11月閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 田中一光 1977, p. 94.
  3. ^ 尾登誠一「1 色のセンスのよしあし」『色彩楽のすすめ』(第1刷)岩波書店〈岩波アクティブ新書〉、2004年1月7日、7頁。ISBN 4-00-700101-4 
  4. ^ a b c d e f g h i j 美術出版社編集部 編『12人のグラフィックデザイナー 第2集』美術出版社、1968年、42-51頁。doi:10.11501/2469497 
  5. ^ a b c 公益社団法人日本印刷技術協会 (2012年11月15日). “田中一光 華麗なる裏方(前編) デザイナー、クライアント、消費者の三角形を意識”. 2023年11月閲覧。
  6. ^ 朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月18日閲覧。
  7. ^ 田中一光 1977, p. 50.
  8. ^ 名建築と名作椅子が共演する、群馬県館林市の一日限りのスペシャルイベント。 カーサ ブルータス Casa BRUTUS
  9. ^ 日本専売公社(編)「業務概況報告 昭和39年度」、日本専売公社、1965年、doi:10.11501/9527520 
  10. ^ JDN /追悼特集 田中一光
  11. ^ 所蔵品の紹介 - 秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
  12. ^ 昭和の風情が残る鶴見駅付近の巨大商業ビル「フーガ」はなぜ「フーガ」?開発の歴史と知られざる名前の由来を徹底解明!”. はまれぽ.com. 2024年1月27日閲覧。
  13. ^ 田中一光 1977, p. 44.

参考文献

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  • 田中一光『田中一光の文字とデザイン』河出書房新社、1977年1月。doi:10.11501/12428232 

関連人物

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田中一光デザイン室出身のデザイナー

関連項目

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