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[[2007年]][[12月6日]]、DJ OZMAがフジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「[[とんねるずのみなさんのおかげでしたのコーナー一覧#新・食わず嫌い王決定戦|新・食わず嫌い王決定戦]]」にゲスト出演。コーナー内のトークで、前身の番組となる『[[とんねるずのみなさんのおかげです]]』のシリーズコント「ロックンロール最高物語」に登場する[[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[矢島工務店]]」を見たのがきっかけでバンドを始めたことを告白する。ここでとんねるずとDJ OZMAが意気投合して、「矢島工務店の現代版をやろう」と話が盛り上がったのが事の発端である。
[[2007年]][[12月6日]]、DJ OZMAがフジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「[[とんねるずのみなさんのおかげでしたのコーナー一覧#新・食わず嫌い王決定戦|新・食わず嫌い王決定戦]]」にゲスト出演。コーナー内のトークで、前身の番組となる『[[とんねるずのみなさんのおかげです]]』のシリーズコント「ロックンロール最高物語」に登場する[[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[矢島工務店]]」を見たのがきっかけでバンドを始めたことを告白する。ここでとんねるずとDJ OZMAが意気投合して、「矢島工務店の現代版をやろう」と話が盛り上がったのが事の発端である。


その半年後の2008年5月29日、番組内で「とんねるず×DJ OZMAプロジェクト」が始動。とんねるずがDJ OZMAをドッキリにはめ、その後ミーティングをするために[[六本木]]に繰り出したが、具体的な構想はここでは話し合われなかった。8月になりDJ OZMAが、[[レコードレーベル|レーベル]]を[[エイベックス・グループ|エイベックス]]と契約(同時期にDJ OZMA自身もエイベックスへ移籍している。また、エイベックスになった経緯はかつての野猿の流れを汲んでの事である)し、デビュー曲を[[ロッテ]]の新商品のガムのCMソングにタイアップすることを報告。しかし、この時点でプロジェクトの概要やデビュー曲自体については何も発表されなかった。
その半年後の2008年5月29日、番組内で「とんねるず×DJ OZMAプロジェクト」が始動。とんねるずがDJ OZMAをドッキリにはめ、その後ミーティングをするために[[六本木]]に繰り出したが、具体的な構想はここでは話し合われなかった。8月になりDJ OZMAが、[[レコードレーベル|レーベル]]を[[エイベックス]]と契約(同時期にDJ OZMA自身もエイベックスへ移籍している。また、エイベックスになった経緯はかつての野猿の流れを汲んでの事である)し、デビュー曲を[[ロッテ]]の新商品のガムのCMソングにタイアップすることを報告。しかし、この時点でプロジェクトの概要やデビュー曲自体については何も発表されなかった。


9月25日、番組内で緊急記者会見を放送。その中で「とんねるずとDJ OZMAの3人の個性が強烈過ぎて相容れず、共に音楽をやることは不可能」との理由により結成を断念し、代わりに海外の女性3人組ユニットをプロデューサーの立場に回って手掛けるプロジェクトを発表した。ここで初めてユニット名、ユニットの概要、デビュー日とデビュー曲がそれぞれ発表された。
9月25日、番組内で緊急記者会見を放送。その中で「とんねるずとDJ OZMAの3人の個性が強烈過ぎて相容れず、共に音楽をやることは不可能」との理由により結成を断念し、代わりに海外の女性3人組ユニットをプロデューサーの立場に回って手掛けるプロジェクトを発表した。ここで初めてユニット名、ユニットの概要、デビュー日とデビュー曲がそれぞれ発表された。
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;2008年
;2008年
* 9月25日、フジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした 秋の特大スペシャル』にて、[[10月29日]]に[[コンパクトディスク|CD]]を発売する事が発表される。[[デビュー]]曲「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」を番組内で初披露し、番組放送終了直後より[[着うた]]の配信を開始。[[ダウンロード]]数は約1時間で1万4000ユニットを記録。
* 9月25日、フジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした 秋の特大スペシャル』にて、[[10月29日]]に[[コンパクトディスク|CD]]を発売する事が発表される。[[デビュー]]曲「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」を番組内で初披露し、番組放送終了直後より[[着うた]]の配信を開始。[[ダウンロード]]数は約1時間で1万4000ユニットを記録。
* [[9月26日]]、[[エイベックス・グループ|エイベックス]]による公式サイトが開設。[[ロッテ]]『SPASH』([[長澤まさみ]]、[[古田新太]]出演)の[[CM]]スポットが[[東日本]]で先行オンエア開始。
* [[9月26日]]、[[エイベックス]]による公式サイトが開設。[[ロッテ]]『SPASH』([[長澤まさみ]]、[[古田新太]]出演)の[[CM]]スポットが[[東日本]]で先行オンエア開始。
* 10月29日、シングル「[[ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-]]」を発売し、[[avex trax]]よりデビュー。[[オリコンチャート]]では最高位3位を記録し、[[デジタル・ダウンロード|音楽配信]][[ダウンロード]]数は170万ユニットを超えた。
* 10月29日、シングル「[[ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-]]」を発売し、[[avex trax]]よりデビュー。[[オリコンチャート]]では最高位3位を記録し、[[デジタル・ダウンロード|音楽配信]][[ダウンロード]]数は170万ユニットを超えた。
* [[12月11日]]、[[日本]]滞在の[[査証|ビザ]]の期限が間もなく切れるとの理由で、メンバーの帰国(解散)が発表される。
* [[12月11日]]、[[日本]]滞在の[[査証|ビザ]]の期限が間もなく切れるとの理由で、メンバーの帰国(解散)が発表される。

2023年9月12日 (火) 05:15時点における版

矢島美容室
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス(公称)
ジャンル J-POPダンスホールレゲエ
活動期間 2008年9月24日2012年3月21日
レーベル avex trax
事務所 矢島美容室(公称)
共同作業者

石橋貴明(プロデュース)
木梨憲武(プロデュース)
DJ OZMA(プロデュース、作曲)
遠藤察男(作詞)


avex会長
松浦勝人エグゼクティブプロデューサー
公式サイト とんねるず×DJ OZMAプロデュース!! 矢島美容室 OFFICIAL WEBSITE
メンバー ストロベリー・カメリア・ヤジマ
マーガレット・カメリア・ヤジマ
ナオミ・カメリア・ヤジマ

矢島美容室(やじまびようしつ)は、とんねるずDJ OZMAが扮する[1] マーガレット・カメリア・ヤジマナオミ・カメリア・ヤジマストロベリー・カメリア・ヤジマの3人による日本音楽ユニットである。プロデューサーはとんねるずDJ OZMAであり、楽曲の全てはDJ OZMAが手掛けている。

概要

2008年フジテレビ系列バラエティ番組とんねるずのみなさんのおかげでした』発案の企画として、シングルニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」でデビュー。プロデュースはとんねるず石橋貴明木梨憲武)とDJ OZMAが、作詞脚本家遠藤察男(エンドウサツヲ名義)が、作曲はDJ OZMAが、それぞれ全て手掛けている。

ユニットは母と姉妹の3人で構成される。DJ OZMAがネバダ州ラスベガスにてスカウトしたとの触れ込みの下、母・マーガレットの夫であり失踪中の日本人美容師・矢島徳次郎[注 1]を探す目的で来日したという。ユニット名は矢島が気づきやすいようにという名目で付けられた。

出で立ちは1960年代に大ヒットしたモータウンの女性トリオ「ザ・スプリームス」と同様である。

ユニット結成までの経緯

2007年12月6日、DJ OZMAがフジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「新・食わず嫌い王決定戦」にゲスト出演。コーナー内のトークで、前身の番組となる『とんねるずのみなさんのおかげです』のシリーズコント「ロックンロール最高物語」に登場するロックバンド矢島工務店」を見たのがきっかけでバンドを始めたことを告白する。ここでとんねるずとDJ OZMAが意気投合して、「矢島工務店の現代版をやろう」と話が盛り上がったのが事の発端である。

その半年後の2008年5月29日、番組内で「とんねるず×DJ OZMAプロジェクト」が始動。とんねるずがDJ OZMAをドッキリにはめ、その後ミーティングをするために六本木に繰り出したが、具体的な構想はここでは話し合われなかった。8月になりDJ OZMAが、レーベルエイベックスと契約(同時期にDJ OZMA自身もエイベックスへ移籍している。また、エイベックスになった経緯はかつての野猿の流れを汲んでの事である)し、デビュー曲をロッテの新商品のガムのCMソングにタイアップすることを報告。しかし、この時点でプロジェクトの概要やデビュー曲自体については何も発表されなかった。

9月25日、番組内で緊急記者会見を放送。その中で「とんねるずとDJ OZMAの3人の個性が強烈過ぎて相容れず、共に音楽をやることは不可能」との理由により結成を断念し、代わりに海外の女性3人組ユニットをプロデューサーの立場に回って手掛けるプロジェクトを発表した。ここで初めてユニット名、ユニットの概要、デビュー日とデビュー曲がそれぞれ発表された。

メンバー

各メンバーの年齢をはじめとするプロフィールは、いずれも自称である(年齢は2009年7月現在の時点の公式サイトの記載による)。メンバーはプロデューサーである石橋・木梨・DJ OZMAの3名が各自メンバーを独自にプロデュースしている。なお、ストロベリー・マーガレット・ナオミの容姿はそれぞれ石橋・木梨・DJ OZMAに酷似しているが、3人は「偶然似ている」ということになっている。ストロベリー以外は腋毛を処理している。

ストロベリー・カメリア・ヤジマ
日本名は矢島ストロベリー。ヤジマ家の次女。12歳。髪型はアフロヘアー。一番大柄で好奇心旺盛。母の血を強く引いたためか少しおめでたいところがあり、今自分に何が起こっているのか、ほとんど状況を把握していない。
日本語は父親から教わったためか、日本語の言い回しは一番達者だが親父ギャグ物真似のネタが古く、最近の若い人にはわかりにくい日本語を連発する。なお、ナオミとは父親が別であることが『うたばん』(2008年10月23日放送回)でマーガレットの口から明かされた(マーガレットによると父親はパキスタン人とのこと)。
日本での目標は安藤忠雄に会うこと。
マーガレット・カメリア・ヤジマ
日本名は矢島マーガレット。ヤジマ家の母。37歳。髪型はボブ。地元では「黒い稲妻(ブラック・ボルト。北京オリンピックの男子短距離走で大きな注目を集めたウサイン・ボルトのニックネームからとっている)」なる異名を持っていたポールダンス専門の元ヌードダンサー。スターダムの座をつかみかけておきながら日本人美容師だった矢島のハサミさばきに惚れ、「フツーの女の子に戻りたい」と、19歳の時に引退。日本語には慣れておらずカタコトで話す。
ナオミ・カメリア・ヤジマ
日本名は矢島ナオミ(サインは「直美」)。ヤジマ家の長女。18歳。髪型は盛りヘアー。母親の職業を嫌っていたが、裸で踊るよりもいいという諸事情でついてきた。家族を残して逃げた父親に対する嫌悪感から男性不信に陥り、下ネタにも強い拒否反応を示す。母親の血が薄いのか家族一の美形で、学業も優秀。日本語は日常会話に支障が出ないほどマスターしている。
ナオミに「そっくり」なDJ OZMA(綾小路翔名義)がプロデュースする会員制パブ・六本木 masurao(2017年閉店)にて毎年開催されていたイベント「BARナオミの夢」に出演していた[2][3]

経歴

2008年
2009年
2010年
2012年
2019年

作品

シングル

# 発売日 タイトル 備考
1 2008年10月29日 ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-
2 2009年3月25日 SAKURA -ハルヲウタワネバダ-
3 2009年7月8日 はまぐりボンバー
4 2010年2月10日 メガミノチカラ
5 2010年4月21日 アイドルみたいに歌わせて 「矢島美容室 feat.プリンセス・セイコ」名義

アルバム

# 発売日 タイトル
1 2010年3月3日 おかゆいところはございませんか?

サントラ

# 発売日 タイトル
1 2010年4月28日 矢島美容室 THE MOVIE MUSIC ALBUM

参加作品

  1. DJ OZMA『I PARTY PEOPLE 3』(2008年12月31日発売)
    • ボーナストラックとして「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」を収録。
  2. バブルガム・ブラザーズDaddy's Party Night 〜懲りないオヤジの応援歌〜』(2008年12月3日発売)
    • マーガレットのみ同曲のプロモーションビデオにゲスト出演。

映画

DVD・Blu-ray

# 発売日 タイトル
1 2010年10月29日 矢島美容室 THE MOVIE 〜夢をつかまネバダ〜

出演

テレビ

ほか多数

雑誌・新聞

CM

  • ロッテ『SPASH』(2008年9月26日 - )

Web

脚注

注釈

  1. ^ 2010年5月3日放送の徹子の部屋では「鴻巣に実家がある」とストロベリー・カメリア・ヤジマが語った。

出典

外部リンク