「新十津川町」の版間の差分
m Cewbot: ウィキ文法修正 69: ISBNの構文違反 |
|||
313行目: | 313行目: | ||
== 新十津川町を舞台(モデル)とした作品 == |
== 新十津川町を舞台(モデル)とした作品 == |
||
* [[新十津川物語]] |
* [[新十津川物語]] |
||
* [[西村京太郎]]の[[十津川警部シリーズ]] 『札沼線の愛と死 新十津川町を行く』(2017年 [[実業之日本社文庫]] ISBN |
* [[西村京太郎]]の[[十津川警部シリーズ]] 『札沼線の愛と死 新十津川町を行く』(2017年 [[実業之日本社文庫]] ISBN 9784408505565) |
||
== 出身者・ゆかりの人物 == |
== 出身者・ゆかりの人物 == |
2023年8月29日 (火) 00:10時点における版
しんとつかわちょう 新十津川町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(空知総合振興局) | ||||
郡 | 樺戸郡 | ||||
市町村コード | 01432-0 | ||||
法人番号 | 7000020014320 | ||||
面積 |
495.47km2 | ||||
総人口 |
6,243人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年10月31日) | ||||
人口密度 | 12.6人/km2 | ||||
隣接自治体 | 滝川市、砂川市、石狩市、樺戸郡浦臼町、雨竜郡雨竜町、空知郡奈井江町、石狩郡当別町、増毛郡増毛町 | ||||
町の木 | オンコ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
開町記念日 | 6月20日 | ||||
新十津川町役場 | |||||
町長 | 谷口秀樹 | ||||
所在地 |
〒073-1103 北海道樺戸郡新十津川町字中央301-1 北緯43度32分55秒 東経141度52分37秒 / 北緯43.54856度 東経141.87694度座標: 北緯43度32分55秒 東経141度52分37秒 / 北緯43.54856度 東経141.87694度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
新十津川町(しんとつかわちょう)は、北海道の空知地方中部にある町。
町名の由来
1889年(明治22年)8月に起きた奈良県吉野郡十津川村での十津川大水害の被災民のうち2489人が離村して[1]トック原野に入植し、新十津川村と称した。その後、1957年に町制を施行して新十津川町となった。この縁で十津川村を「母村」と呼んで同じ町(村)章を用いるなど交流があり、2017年8月には正式に連携協定を結び[2]、連携協定PR事業も行っている[3]。
地理
北海道空知総合振興局管内のほぼ中央に位置し、東部は石狩川と空知川の合流部、石狩川右岸、西部は暑寒別岳を中心とした暑寒連峰がある。
- 山 - 奥徳富岳、南暑寒岳、ピンネシリ、待根山、徳富岳、鷲峻岳、留久山、壮志岳、察来山、大滝山、知来岳、総富地岳
- 河川 - 石狩川、徳富川、尾白利加川、ワッカウエンベツ川、ルークシュベツ川、幌加徳富川、樺戸川、樺戸境川
- 湖沼 - 袋地沼、留久貯水池、暑寒湖、和歌貯水池、南幌加貯水池、日進貯水池、福井谷貯水池、トップ湖
隣接自治体
気候
空知吉野(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 8.8 (47.8) |
9.6 (49.3) |
14.6 (58.3) |
25.2 (77.4) |
32.9 (91.2) |
34.3 (93.7) |
36.3 (97.3) |
36.8 (98.2) |
32.5 (90.5) |
26.7 (80.1) |
20.1 (68.2) |
13.0 (55.4) |
36.8 (98.2) |
平均最高気温 °C (°F) | −2.6 (27.3) |
−1.5 (29.3) |
2.8 (37) |
9.7 (49.5) |
17.6 (63.7) |
22.0 (71.6) |
25.6 (78.1) |
25.9 (78.6) |
21.8 (71.2) |
14.9 (58.8) |
6.5 (43.7) |
−0.5 (31.1) |
11.9 (53.4) |
日平均気温 °C (°F) | −7.0 (19.4) |
−6.3 (20.7) |
−1.9 (28.6) |
4.2 (39.6) |
11.1 (52) |
15.9 (60.6) |
19.9 (67.8) |
20.4 (68.7) |
15.7 (60.3) |
8.9 (48) |
2.2 (36) |
−4.3 (24.3) |
6.6 (43.9) |
平均最低気温 °C (°F) | −12.6 (9.3) |
−12.5 (9.5) |
−7.7 (18.1) |
−1.5 (29.3) |
4.6 (40.3) |
10.5 (50.9) |
15.3 (59.5) |
15.6 (60.1) |
10.2 (50.4) |
3.4 (38.1) |
−1.9 (28.6) |
−8.8 (16.2) |
1.2 (34.2) |
最低気温記録 °C (°F) | −30.2 (−22.4) |
−27.2 (−17) |
−26.9 (−16.4) |
−12.3 (9.9) |
−3.5 (25.7) |
0.1 (32.2) |
5.3 (41.5) |
5.5 (41.9) |
−0.1 (31.8) |
−4.7 (23.5) |
−14.8 (5.4) |
−28.3 (−18.9) |
−30.2 (−22.4) |
降水量 mm (inch) | 151.7 (5.972) |
114.6 (4.512) |
101.4 (3.992) |
69.6 (2.74) |
85.1 (3.35) |
67.8 (2.669) |
137.6 (5.417) |
163.7 (6.445) |
176.0 (6.929) |
165.0 (6.496) |
192.8 (7.591) |
186.9 (7.358) |
1,608.7 (63.335) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 23.9 | 19.8 | 17.7 | 12.8 | 11.4 | 9.3 | 11.1 | 11.6 | 13.7 | 16.7 | 20.8 | 24.0 | 193.0 |
平均月間日照時間 | 56.3 | 66.9 | 117.8 | 164.9 | 197.4 | 165.6 | 156.4 | 153.3 | 155.1 | 126.8 | 61.4 | 39.5 | 1,463.3 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[4] |
歴史
- 1857年(安政4年) - 松浦武四郎が探索をする。
- 1889年(明治22年) - 奈良県吉野郡十津川郷(現十津川村域)で十津川大水害が発生。
- 1890年(明治23年) - 十津川大水害の被災者600戸2489人が国と県の手厚い保護の下でトック原野(徳富川流域)に移住[注釈 1]。村民は古くから尊王の姿勢を貫いていたため(十津川郷士)、移住後も他地域の開拓移住民とは異なる待遇だった[5]。
- 1902年(明治35年)
- 滝川村(現・滝川市)と結ぶ石狩川橋(初代)、道内初の鋼トラス道路橋として竣工。
- 4月1日 二級町村制を施行、新十津川村となる。
- 1907年(明治40年)4月1日 - 新十津川村、一級町村制施行。
- 1931年(昭和6年)10月10日 - 札沼北線、石狩沼田駅 – 中徳富駅(のちの新十津川駅)間開通。
- 1933年(昭和8年)2月11日 - 治安維持法違反で逮捕された新十津川村の平和運動家西田信春が十数時間に及ぶ拷問により死亡。実家の西田家に特高警察が敗戦まで巡回監視を実施[5]。
- 1935年(昭和10年)10月3日 - 札沼線全通。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 札沼線部分(新十津川町内も含む)休止。
- 1950年(昭和25年)8月2日 - 集中豪雨により徳富川が氾濫。菊水で家屋14戸が流失、14人が石狩川本流に流されて行方不明[6]。
- 1953年(昭和28年)11月3日 - 札沼線部分(新十津川町内も含む)営業再開、中徳富駅が新十津川駅に改称。
- 1957年(昭和32年)1月1日 - 新十津川村が町制施行、新十津川町となる。
- 1972年(昭和47年)6月19日 - 札沼線、新十津川駅以北廃止。
- 1990年(平成2年)
- 開基100年。
- 8月4日 大和の西田公園に西田信春碑を建立[5]。
- 2000年(平成12年) - 総進不動坂遺跡における発掘品捏造事件発覚。
- 2002年(平成14年) - 滝新橋竣工。
- 2020年(令和2年)5月7日 - 札沼線、北海道医療大学駅 - 新十津川駅間廃止。
- 2021年(令和3年)5月6日 - 旧庁舎裏に新築の新町役場庁舎へ移転、業務開始。
経済
産業
農業・食産業
北海道では有数の米産地。十津川村からの移民が伝えた、高菜の塩漬け葉でくるんだおにぎり「めはりずし」など奈良県の食文化が伝わっている[1]
立地企業
- 金滴酒造株式会社
農協
- ピンネ農業協同組合(JAピンネ)
- 本所、花月支所
金融機関
- 北門信用金庫新十津川支店
郵便局
- 新十津川郵便局
- 橋本郵便局
- 石狩大和郵便局
- 石狩吉野郵便局
- 花月郵便局
※集配業務は滝川郵便局が担当
宅配便
公共機関
警察
- 滝川警察署
- 新十津川町駐在所、花月駐在所、大和駐在所
消防
- 滝川地区広域消防事務組合新十津川支署
姉妹都市・提携都市
国内
地域
人口
新十津川町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 新十津川町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 新十津川町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
新十津川町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
教育
- 高等学校
- 中学校
- 新十津川町立新十津川中学校
- 小学校
- 新十津川町立新十津川小学校
- 廃校
- 花月小学校(2009年3月31日閉校)
- 大和小学校(2009年3月31日閉校)
- 吉野小学校(2009年3月31日閉校)
交通
鉄道
札沼線(学園都市線)の町内区間が廃止されたため、現在は当町内を通る鉄道路線はない。
町中心部への最寄り駅は滝川駅。
かつて存在した鉄道
かつては札沼線が町内を通過していたが、1972年6月19日に新十津川駅 - 石狩沼田駅間が廃止されて町内の新十津川駅が終点となり、2020年5月7日に北海道医療大学駅 - 新十津川駅間が廃止されたことにより町内の鉄道路線が消滅した。
バス
2022年4月1日に町内バス路線の大幅な再編が行われた[7]。
以下の事業者の路線は誠和運輸の新十津川線を除きいずれも予約制で、同線を含めてすべての路線で現金や全国相互利用ICカードでの利用不可(回数券・定期券のみ利用可)
- 誠和運輸 - 滝川市と新十津川町中心部を石狩川橋経由で結ぶ新十津川線と、町内路線4路線を運行する。
- 新十津川北星ハイヤー - 町内路線1路線と、砂川市と町内を結ぶ1路線を運行する。
- 石狩市 - 浜益滝川間乗合自動車(石狩市浜益区 - 滝川市)が新十津川町内を経由しており、町内では幌加地区に限り利用可能。(予約制)
タクシー
- 新十津川北星ハイヤー
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
町の指定する文化財
- 絵馬(玉置神社奉祀之景) – 新十津川町開拓記念館
- 新十津川獅子神楽 – 新十津川町獅子神楽保存会[8]
神社
- 新十津川神社(玉置神社)[9]
- 下徳富神社
- 出雲大社新十津川分院[10]
寺院
観光地
スポーツ
- 中華鍋押相撲 – 年一度行われる「新十津川雪まつり」の一環として国際中華鍋押相撲選手権が開かれている。
新十津川町を舞台(モデル)とした作品
- 新十津川物語
- 西村京太郎の十津川警部シリーズ 『札沼線の愛と死 新十津川町を行く』(2017年 実業之日本社文庫 ISBN 9784408505565)
出身者・ゆかりの人物
出身者
- 土岐錬太郎(作家)
- 大谷勝義(作家)
- 朝海さち子(作家)
- 西田信春(大日本帝国時代の平和活動家)
- レオナルド熊(喜劇俳優)
- ジンギスキャン(お笑いコンビ)
- 鉢呂吉雄(政治家・参議院議員、元衆議院議員)
- 佐藤栄見子(フリーアナウンサー、元長野朝日放送アナウンサー)
- 大野かなこ(タレント、モデル)
- くぼたのぞみ(翻訳家・詩人)
- 中川雄貴(サッカー選手)
- 金龍静(僧侶、歴史研究者)
- 西村源二郎(実業家)
ゆかりの人物
新十津川町応援大使
2023年8月現在、以下の3人に「新十津川町応援大使」を委嘱している。3人のうち、西村とさだは「母村」十津川村の観光大使でもある[11]。
- 西村京太郎(2018年委嘱):作家。十津川警部シリーズには新十津川を舞台にした、『札沼線の愛と死 新十津川町を行く』がある。
- 五十嵐威暢(2019年委嘱):彫刻家、デザイナー。隣接する滝川市出身。旧吉野小学校の校舎と敷地を、アトリエ兼ギャラリー「かぜのび」として使用している[11][12]。
- さだまさし(2019年委嘱):シンガーソングライター。2023年7月28日には、この縁でさだが司会を務めるNHKの番組『今夜も生でさだまさし』の生放送が新十津川町役場から放送された[13][14]。
関連項目
外部リンク
脚注
注釈
- ^ 同集団移住に際して実施された土地区画は、北海道における殖民区画制度の最初の実施事例である。 柳田良造 (2009年1月). “北海道開拓期における殖民区画制度の計画原理と集落デザイン”. 2023年6月7日閲覧。
出典
- ^ a b 【フォーラム】和食って?(2)郷土料理編 めはりずし 北海道とならつなぐ『朝日新聞』朝刊2020年4月12日(オピニオン面)同日閲覧
- ^ 県、十津川村及び新十津川町による連携協定[リンク切れ]奈良県庁ホームページ(2017年8月14日)2017年9月7日閲覧
- ^ 奈良県、十津川村、新十津川町連携協定PR事業
- ^ “空知吉野 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年3月29日閲覧。
- ^ a b c 小松豊; 高崎暢『新・鳩を飛ばす! 明らかになった「戦争法」の違憲性』(25版)平和憲法草の根普及会、札幌市、2015年7月31日、17-19頁。
- ^ 「十四名濁流に呑まる」『日本経済新聞』昭和25年8月3日3面
- ^ “新公共交通の利用案内”. 新十津川町. 2022年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月29日閲覧。
- ^ 新十津川獅子神楽 新十津川町ホームページ(2020年4月12日閲覧)
- ^ 新十津川神社 北海道神社庁ホームページ(2020年4月12日閲覧)
- ^ 出雲大社新十津川分院(2020年4月12日閲覧)
- ^ a b 新十津川町. “新十津川町応援大使”. 2023年8月11日閲覧。
- ^ 五十嵐威暢. “かぜのび”. 2023年8月11日閲覧。
- ^ NHK (2023年7月28日). “今夜も生でさだまさし 北の国から2023 夏・新十津川”. 2023年8月11日閲覧。
- ^ NHK札幌放送局 (2023年8月1日). ““生さだ”が新十津川町にやってきた!”. 2023年8月11日閲覧。