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=== 歴代町長 ===
=== 歴代町長 ===
* 町長:[[田宮栄佐美]](たみや えさみ)(2002年 - 2019年)
* 町長:[[田宮栄佐美]](たみや えさみ)(2002年 - 2019年)
* 陣内 【イケメン】
* 町長:[[森谷俊雄]](もりや としお)(2019年 - )
* 町長:[[森谷俊雄]](もりや としお)(2019年 - )



2023年4月18日 (火) 05:59時点における版

かほくちょう ウィキデータを編集
河北町
河北町旗 河北町章
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
西村山郡
市町村コード 06321-5
法人番号 2000020063215 ウィキデータを編集
面積 52.45km2
総人口 16,408[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 313人/km2
隣接自治体 寒河江市村山市東根市天童市
町の花 ベニバナ
河北町役場
町長 森谷俊雄
所在地 999-3511
山形県西村山郡河北町谷地戊81
北緯38度25分35秒 東経140度18分51秒 / 北緯38.42631度 東経140.31428度 / 38.42631; 140.31428座標: 北緯38度25分35秒 東経140度18分51秒 / 北緯38.42631度 東経140.31428度 / 38.42631; 140.31428
外部リンク 公式ウェブサイト

河北町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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河北町(かほくちょう)は、山形県のほぼ中央部にある人口約1万8千人の。かつては最上川舟運の紅花の集散地として栄えた。現在はとべに花の里で知られる。また、山形県の中で唯一「町」を「ちょう」と読む。

卓球の町として知られ、1971年の世界卓球選手権で優勝した女子団体チーム4人のうち、小和田敏子と大場恵美子は河北町出身者である。冷たい肉そばが名物である。

地理

歴史

平安時代摂関家領であった寒河江荘の一部(北寒河江荘)であり、鎌倉時代に入ると大江氏の流れを汲む寒河江氏が地頭として領した。町内には谷地八幡宮・溝延八幡宮が建てられ、寒河江八幡宮とともに「寒河江荘三八幡」と称された。大江氏の相続問題により北寒河江荘は北条氏領や円覚寺領となり、南北朝時代中条氏領となる。中条氏は谷地城(現三社宮)を築城する[注釈 1]。中条氏が途絶えると、大江氏の流れを汲む[注釈 2]北方の土豪、白鳥氏が谷地城に入った。城を中心に今の街割が作られたが、最上義光によって白鳥氏は滅ぼされてしまい、その後、最上氏改易まで最上領(蔵入地)となった。

最上氏が改易になると谷地城は廃城となり、河北町域は天領新庄藩領に分割統治された。うち新庄藩は谷地市街北部までを領し、北口番所を置いて、現河北町北部と村山市西部を治めた。

行政

歴代町長

  • 町長:田宮栄佐美(たみや えさみ)(2002年 - 2019年)
  • 陣内 【イケメン】
  • 町長:森谷俊雄(もりや としお)(2019年 - )

町役場

河北町役場(旧庁舎)

2022年(令和4年)1月4日から新庁舎に移転した[1]。敷地面積9,403.85m2、建物は鉄筋コンクリート造一部鉄骨造(耐震壁付ラーメン構造)、地上4階一部塔屋、敷地面積1,880.75m2、延床面積5,497.46m2[2]

経済

かつては、紅花青苧の集積地、最上川舟運の船着場として栄えた。新庄藩の時代は、谷地は「町方」とされ最上川西岸南部支配の代官所が置かれた。「紅花資料館」となっている旧家の大きさ、町でありながら設置されたアーケード街、中心部の大きさなどといった点に、その残影を見ることが出来る。

産業

郵便局

  • 河北郵便局(集配局)
  • 北谷地郵便局
  • 溝延郵便局
  • 西里郵便局
  • 下槙簡易郵便局

金融機関

姉妹都市・提携都市

国内
1991年平成3年)7月6日友好都市提携。(藍染めと紅染めの染め物つながり)
2001年平成13年)1月14日友好都市提携。(同じ町名が縁で)
海外
1993年平成5年)10月20日姉妹都市提携。

地域

人口

河北町と全国の年齢別人口分布(2005年) 河北町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 河北町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
河北町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 22,643人
1975年(昭和50年) 21,947人
1980年(昭和55年) 21,880人
1985年(昭和60年) 22,311人
1990年(平成2年) 22,287人
1995年(平成7年) 21,930人
2000年(平成12年) 21,476人
2005年(平成17年) 20,738人
2010年(平成22年) 19,959人
2015年(平成27年) 18,952人
2020年(令和2年) 17,641人
総務省統計局 国勢調査より

教育

高等学校
中学校
小学校
社会教育
河北町民体育館
サハトべに花
紅花に関する資料、紅花染め振り袖、各時代の雛人形など、最上川舟運に関する資料を収蔵展示している。
新着図書や本の検索・予約ができる。
職人の道具や昔の農業用具、民具などを展示している。

交通

鉄道路線

町内に鉄道路線は通っていない。鉄道利用時の最寄り駅は寒河江駅左沢線、車で約20分)またはさくらんぼ東根駅奥羽本線、車で約20分)。

以前、河北町に鉄道を延伸させようとした計画[注釈 3]があったが、地主の農家から「所有する田んぼの面積が減る」という理由で猛反対にあい計画が白紙になった(かつては奥羽本線神町駅から谷地を結ぶ谷地軌道が1915年から1935年まであった)。

路線バス

空港

最寄りの空港

道路

観光ほか

冷たい肉そば

出身有名人

脚注

注釈
  1. ^ 弘治年間中条長昌が創建したとされる。
  2. ^ 大江氏説、安倍氏 (奥州)説、中条氏説がありはっきりしない。
  3. ^ 例えば、鉄道敷設法別表第24号に「山形県楯岡ヨリ寒河江ニ至ル鉄道」の路線計画があった。
出典

関連項目

外部リンク