「Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝」の版間の差分
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→「第1段落以降には...」の部分: 新しい節 |
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このほか「生年・没年が正確に分からない場合には、「1600年ごろ」「1600年頃」のように、およその年を書いてください」という現行の記述は「生年・没年が明確でない場合は「1600年ごろ」「1600年頃」のように書いてください」のように修正すべきではないでしょうか。現行の記述を杓子定規に適用すると独自研究になる場合も多いはずです。 --[[利用者:Meme-Meme|Meme-Meme]]([[利用者‐会話:Meme-Meme|会話]]) 2020年8月2日 (日) 01:24 (UTC) |
このほか「生年・没年が正確に分からない場合には、「1600年ごろ」「1600年頃」のように、およその年を書いてください」という現行の記述は「生年・没年が明確でない場合は「1600年ごろ」「1600年頃」のように書いてください」のように修正すべきではないでしょうか。現行の記述を杓子定規に適用すると独自研究になる場合も多いはずです。 --[[利用者:Meme-Meme|Meme-Meme]]([[利用者‐会話:Meme-Meme|会話]]) 2020年8月2日 (日) 01:24 (UTC) |
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== 「第1段落以降には...」の部分 == |
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導入部の節の「第1段落以降には記事の要約を」の部分ですが、内容を見ると、第1段落'''より後'''のことであることが分かると思います。一応「〇〇以降」という言葉には、それ自体を含める定義もあり、誤解する可能性があるので、「第1段落より後には記事の要約を」などの表記が良いと思いました。--[[利用者:馬刺し太郎|馬刺し太郎]]([[利用者‐会話:馬刺し太郎|会話]]) 2022年12月25日 (日) 18:00 (UTC) |
2022年12月25日 (日) 18:00時点における版
ここでは、人物伝の書式標準化について議論し、結論を出し、スタイルマニュアルに反映させます。
過去ログ一覧 |
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元・○○という表現
人物のページに元・○○(職業や役職)とつける投稿ユーザーが多いですが、これはどうかと思います。亡くなってしまった人はともかく、存命する人が再びその職に就く可能性はよほどのことがない限り否定できませんし、現任していないなら歴史上の人物全てに元を付けなければならなくなります。同じ理由で(故人)や故をつけないよう推奨されていますし。--Baioextra 2008年1月31日 (木) 22:21 (UTC)
- 記事「手島慶介」を拝見したときに同じ感想を持ちました。Baioextraさんのご意見はごもっともかと思います。また、どう表現してよいかわかりませんが、たとえば「元スポーツ選手」という定義文をつけられた人物は、スポーツ選手としての活動よりも「元スポーツ選手」としての活動が著名だということになってしまうのではないでしょうか。そういった方は大抵別の肩書きで活躍しているものであり、あえて「元」を付ける必要性を感じません。以上のことから、スタイルマニュアルに「肩書きに『元』『前』といった言葉をつけないでください」のような一文を加えてはどうかと思いますが、いかがでしょうか。ご意見をお願い致します。--Bellcricket 2009年1月27日 (火) 03:45 (UTC)
- 比較的最近の人で、その後も活動している人について、違和感を覚える人がいるのかもしれません。徳川家康は「日本の戦国武将・江戸幕府の初代征夷大将軍」と、すんなり書けるとしても、山口百恵を「歌手」、片山右京を「F1ドライバー」と書くと、現役であるように読まれる可能性があり、とはいえ、「主婦」「登山家、大阪産業大学工学部客員教授」という職業や役職が主体になるような記述にするのも適切とは言えないように思います。「付けないでください」だけでは、ちょっと話がこじれることが増えそうな気がします。
- 基本的には、「歌手。○○年に引退した」とか、「○年までF1ドライバー。その後はほげほげ」などと書くことで対応できると思いますし、そのように導くのがよいかなと思いました。職業によっては、いつまでと明記することが難しかったり、本人は今でも現役のつもりだけど社会的にはそのように認知されていなかったりということがあるかもしれません。--Ks aka 98 2009年1月27日 (火) 13:21 (UTC)
- 一律でつけないというのは難しいと思います。先にあげられておられるように、手島慶介の冒頭には違和感を覚えますが、山口百恵ではやはり元をつけるべきでしょう。ゴッホには元画家といった表現は問題だと思いますが、やはり個々で対応してもらうしかないかと思います。Ks aka 98さんのおっしゃるように「○○年代に活動を行っていた女優」といったように、「元に替わる表現の方がいいよ」といったことならまだ問題がないのかもしれません(これもやや難しい所がありますが)。なお、再び職につかれた場合は、その時点で修正すればいいだけのように感じます。--Baldanders 2009年1月27日 (火) 14:05 (UTC)
- 英語版ですと retired や former といった表現が私が翻訳したり閲覧することの多い記事に見られます。故人について元といった表現をするのは不適当ではないかと思いますが、たとえばマイケル・ジョーダンはバスケットボール選手。より元バスケットボール選手の方がしっくりいくように思います。現国王、現大統領でない存命の人物の場合など、ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴでは「かつてネパールの第12代国王であった人物」とありますが硬い表現のように感じます。--Tiyoringo 2009年1月27日 (火) 17:19 (UTC)
(インデント戻します)人物記事の定義として、職業や役職に「元」を付けないことに賛成します。百科事典の記事は過去形が基本です。元というのは、いまこの時点限定で現職でないという点で確定しておらず、「古くなる表現」です。別の言い方をすれば、百科事典の人物記事はなにをもって書かれるか、ということです。それは一定の評価を受けた事績や業績が対象であって、例を挙げるなら山口百恵やちあきなおみは歌手(ほかの活動があればそれも)として活動したことが記事に書かれるわけです。スタイルマニュアルの「導入部」の4.はこのことを示しています。現役かどうかは記事内容・活動期間で述べればわかることで、引退した人物が生きていたら「元」、死ぬと復帰の可能性がなくなるので「元」を消す、というような使い分けは無用ではないでしょうか。--みっち 2009年1月28日 (水) 12:32 (UTC)
- みっちさんのご意見に賛成ですが、「肩書きに『元』『前』といった言葉をつけないでください」だけでは、既存の記事から単純に「元」「前」を取る人が出てくる恐れがあり、その結果読者に誤解を与える不正確な記事になりかねません。追加文にもうひと工夫必要だと思います。--Penn Station 2009年1月28日 (水) 12:55 (UTC)
- おっしゃることはその通りだと思います。ここはスタイルマニュアルですから、スタイルとして「元」を付けない、ということを意見として述べました。原則はそうであっても、ただ「元」を消せばいいということではなく、転身した例でいえば、「国王、のちタレント」(あくまで例です)など、各記事の内容に即して個別に表現を考えることが必要なのはもちろんです。などと書かないと、字句だけを一面的に受け取って消して回られたりするのかなあ。--みっち 2009年1月29日 (木) 10:05 (UTC)
- 初心者を含めいろいろな方が参加されていますし、「予防保守」の観点から、できれば最初からガイドラインで説明しておいた方が後で手間がかからないと思うんですよね。とは言えいい文言はなかなか思い浮かばないのですが、例えば、「肩書きに『元』『前』といった言葉はつけないでください。ただし、読者が誤解することのないように表現を工夫して記述してください。例:『○○はXX年にデビューしYY年に引退した日本の歌手。』『○○は日本のプロ野球選手。YY年に引退。』『○○は日本の政治家。△△、□□を歴任。』」とか…。--Penn Station 2009年1月29日 (木) 11:31 (UTC)
- Penn Stationさんのご提案もよいと思います。例まではいらないかも、ということであれば、「職業名に「元」や「前」は付けないようにします。ただし、タレントやスポーツ選手など、活動期間が限られたり転職した場合は、引退時期や転職後の主な活動を併記するなど、読者が理解しやすいように記述してください。」という感じでしょうか。
- 書く場所については、導入部の4. 「人物の主な活動(政治家・作家・学者など)」、「在位期間・在職期間」の節、「その他細目」の「芸能人、漫画家ほか現代人の記事について」が候補になると思います。こうしたことが議論になるのはまず現代人でしょうから、個人的には最後の「芸能人、漫画家ほか現代人の記事について」に付け加えるのがいいように思います。といっても、合意になればの話ですが。--みっち 2009年1月30日 (金) 09:49 (UTC)
- 私は例示した方が分かりやすいと思いますが、それはともかく、方向性はそのような感じですね。一律禁止に反対されている方(Baldandersさん、Tiyoringo さん、KeirinLoverさん…?)の本議論に関するご意見もお聞きしたいです。--Penn Station 2009年1月31日 (土) 08:31 (UTC)
- 初心者を含めいろいろな方が参加されていますし、「予防保守」の観点から、できれば最初からガイドラインで説明しておいた方が後で手間がかからないと思うんですよね。とは言えいい文言はなかなか思い浮かばないのですが、例えば、「肩書きに『元』『前』といった言葉はつけないでください。ただし、読者が誤解することのないように表現を工夫して記述してください。例:『○○はXX年にデビューしYY年に引退した日本の歌手。』『○○は日本のプロ野球選手。YY年に引退。』『○○は日本の政治家。△△、□□を歴任。』」とか…。--Penn Station 2009年1月29日 (木) 11:31 (UTC)
- おっしゃることはその通りだと思います。ここはスタイルマニュアルですから、スタイルとして「元」を付けない、ということを意見として述べました。原則はそうであっても、ただ「元」を消せばいいということではなく、転身した例でいえば、「国王、のちタレント」(あくまで例です)など、各記事の内容に即して個別に表現を考えることが必要なのはもちろんです。などと書かないと、字句だけを一面的に受け取って消して回られたりするのかなあ。--みっち 2009年1月29日 (木) 10:05 (UTC)
(インデント戻します)手島慶介の件からノートで意見表明を求められました。様子見するつもりでしたが、多数の意見が出ていますので、私の考えを表明させていただきます。すでにある意見の中では私はKs aka 98さん、Baldandersさんの意見がいちばん近いです。選手のまま亡くなられた手島慶介や内田慶のような事例での違和感は理解できますが、では元や前をつけないというルールを中野浩一や井上茂徳に適用されたら実情に合いません(中野はタレント的活動をするスポーツコメンテイター、井上は競輪評論家です)。特に競輪選手の事例に特化すれば、一度引退すると復帰できない規定になっていますので、競輪の引退選手については何らかの形で定義に明示すべきでしょう。ただし、それが元や前を付けるという手段に頼らない(現役期間を明記する等で代用する)というのは構わないと思います。--KeirinLover 2009年1月29日 (木) 01:11 (UTC)
- 芸能関係の人に多いようですが、経歴を華やかに見せることだけを目的にして、ダンサー、歌手のようにやたらと前歴を並べ立てて、意図的に事実関係を曖昧にさせている例が見られます。あまり売れていない芸能人などにこの傾向があります。実際はダンサー歴が1~2年、歌手歴が30年として、現在職業として踊ることがないのであれば、この場合は歌手、元ダンサーという表現に違和感はありません。みっちさんが危惧されるように「古くなる表現」となる懸念もありません。要するに、事例ごとに「元」をつけるのが妥当なこともあれば、そうでないこともあるのではないでしょうか。一律で禁止するのには賛成できません。
- 在職期間が相対的または比較的短かった職業については、元●●という表現は可能。
- というルールを提案したいと思います。何年以下なら可能で、何年以上なら不可という線引きは難しいので、この程度の規定にとどめるべきだと思います。国会議員を1期しか務めなかった人を「元衆議院議員」と説明するのは百科事典として何ら問題ないと思います。これをいちいち「xx年からxx年まで衆議院議員」と書くことを義務化するのはやりすぎでしょう。--トトト 2009年2月13日 (金) 15:40 (UTC)
- 上で「一律禁止」と書いてしまいましたが、本文書がガイドラインという位置づけである前提でのことです。あくまでも推奨であって、義務化とは考えていません。「元○○」という表現の問題点は、例えば当該人物が亡くなられた場合や(場合によっては前言を翻して)その職業に再び就いた場合に、記事の正確性が担保できないためです(いずれ誰かが修正するのでしょうが、それが翌日なのか、数年後なのか、保証はありません)。問題が予見されるのに、敢えてその表現をとる必然性はないと思うのです。とはいえ、お気持ちは分かります。上記みっちさんとの議論で話し合った文面を、「時間経過と共に記事の正確性が損なわれるおそれがあるため、肩書きには『元』『前』といった言葉を付けないことが推奨されます。ただし(or 例:)…」というように表現を緩和する、ということでいかがでしょうか。--Penn Station 2009年2月14日 (土) 00:26 (UTC)
- 緩和していただけると助かりますが、その前にもう一つクリアしなければならない点として「元」を職業名にをつけるのか、それとも役職名につけるのか、という問題があるように思います。ある人が40年間銀行員として活躍したとして、最後の20年は引退生活だったとしても、その人を冒頭説明で「銀行員」とするのは全く賛成です。「A氏、銀行員」はよいとして、しかし、役職名はどうでしょう。「A氏、△×銀行岡山支店長」「B氏、○×銀行頭取」。これらの場合、A氏やB氏を説明するのに必要な記述ですが、最初から陳腐化することが明白です。なぜなら、その役職に永久に留まる人は皆無ですから。事務次官などは2年務めればおしまいで返り咲く可能性は皆無です。その人がその役職を下りた時点で、「C氏、元警視総監」とするのは問題ないでしょう。役職名に「元」をつけて時間経過と共に正確性が損なわれる例はむしろ少なく、逆に「元」をつけないことで百科事典としての正確性が損なわれます。というわけで、
- 比較的長期間務めた職業(職業を表わす一般名詞)については、その職業から退いた後でも『元』『前』をつけないことが推奨されます。ただし、役職名についてはこの限りではありません。
- (やはり職業には「長期間」の条件は入れてほしいのですが…。長くやってこそ、職業がその人の「顔」になるわけですから)
- はどうでしょう? 岡崎久彦さんはご自分の肩書を「元駐タイ大使」としておられたように記憶しています。新聞の訃報欄でも誰かが亡くなると、普通は「元××商事社長」となってますよね? これを単純に肩書として一括りでつけないように推奨してしまいますと、大変なことになりませんか。--トトト 2009年2月14日 (土) 12:44 (UTC)
- 間があいてしまってすみません。役職についてですが、仰るようにすぐに陳腐化するため、例えば「第○代内閣総理大臣」「○○年から××銀行頭取」など、最初から(在任時から)世代・時代を特定する説明を入れておくべきと思っています。また訃報欄は亡くなった直後のことですので、没後何十年にも渡って掲載される百科事典とは事情が異なるのではないでしょうか。それからここでの議論は、「その人の顔」となる職業に限らず、つまり冒頭の定義文(?)に限らず(そのような例を主として取り上げてはきましたが)、より一般的な話をしていると思っていますので、期間の長短は本質的ではないと思うのですが…。
例えば、「○○は元外交官・元◇◇・△△駐在大使、外交評論家、NPO法人□□研究所所長。」は、「○○は外交官、外交評論家。◇◇駐在大使、△△駐在大使を歴任。××年よりNPO法人□□研究所所長。」というように記述すべきかと思うのです。--Penn Station 2009年2月27日 (金) 12:47 (UTC)- 没後一定期間を経て歴史上の人物となってしまえば、御提案のような記述は全く妥当だと思います。しかし存命中ですと他の方も懸念されているように、「元」を完全に排除するのは難しいと思われます。社会通念上の「肩書」概念と乖離が生じます。そこで、
- 1. 存命中
2. 死後X年後
- 1. 存命中
- に場合分けしては如何でしょうか。御提案のように「~~を歴任」とすることで、なるべく使わないようにするのは良いことかもしれませんが、官職などの場合、退いたら「元」をつけないと不正確になります。そうした不可欠な場合もあることを考慮した上でのガイドラインとして頂きたいと思います。百科事典でも新聞でも、読むのは現在の読者であるという点で変わりないはずです。既に歴史となった人とは異なり、生存中の人物の記事はそもそも現在進行中なのですから(それが数十年続くこともある)、没後に訂正が必要になるとしてもそれはやむを得ないことでしょう。--トトト 2009年2月28日 (土) 06:15 (UTC)
- 没後一定期間を経て歴史上の人物となってしまえば、御提案のような記述は全く妥当だと思います。しかし存命中ですと他の方も懸念されているように、「元」を完全に排除するのは難しいと思われます。社会通念上の「肩書」概念と乖離が生じます。そこで、
- 間があいてしまってすみません。役職についてですが、仰るようにすぐに陳腐化するため、例えば「第○代内閣総理大臣」「○○年から××銀行頭取」など、最初から(在任時から)世代・時代を特定する説明を入れておくべきと思っています。また訃報欄は亡くなった直後のことですので、没後何十年にも渡って掲載される百科事典とは事情が異なるのではないでしょうか。それからここでの議論は、「その人の顔」となる職業に限らず、つまり冒頭の定義文(?)に限らず(そのような例を主として取り上げてはきましたが)、より一般的な話をしていると思っていますので、期間の長短は本質的ではないと思うのですが…。
- トトトさんのご意見を考慮して、以下のように文面案を作成してみました。いかがでしょうか?「必要な場合には」と曖昧に書いてしまいましたが、もう少し具体的な条件を挙げていただくことは可能でしょうか?
- 職業名・役職名の『元』『前』といった言葉について
- 存命中の場合:職業名(歌手、政治家、作家、建築家、プロ野球選手など)には『元』『前』は付けません。ただし活動期間が限られたり転職した場合は、引退時期や転職後の主な活動を併記するなど、読者が理解しやすいように記述してください。また、役職名(○○会社社長、○○銀行頭取、○○研究所所長など)については、在任期間を明示したり「〜〜を歴任」のように『元』『前』を使わない記述が推奨されますが、必要な場合には『元』『前』を付けて簡潔に記述しても構いません。
- 没後の場合:職業名・役職名ともに『元』『前』は付けません。必要に応じて活動期間や在任期間などを記述してください。
- --Penn Station 2009年2月28日 (土) 08:23 (UTC)
- 1.存命中の職業名にプロ野球選手とありますが、たとえば原辰徳の記事はどうでしょうか。「元プロ野球選手、監督」。これは世間一般の肩書表記方法に合致しており、原が生存中である限り特に問題なさそうです。真弓明信、金田正一もしかり。別分野では伊藤みどり、朝陽丸勝人。新聞でも同様の方法をとっていますね。前々回での私のお答えでは役職名のみを問題と指摘しましたが、職業名でも「元」表記が必要な場合があるようです。(人名一覧で見ると元○○女優というのが目立ちます。これはどうなんでしょうか?)
2.没後の人物についても役職名で「元」が必要なケースがありました。野上進、向井長年、どちらも「政治家・元参議院議員」。高柳先男・元中央大学教授。冒頭文ですが特に問題はなく、逆に「元」をとると読者が一瞬混乱します。結論からいうと必要でしょう。
これらは氷山の一角で他にも必要な例がありそうです。これまで申し上げたことと矛盾するようで恐縮ですが、確実に「元」をつけないことを推奨できるのは、2.没後(直後かどうかは不明)の職業名のみであり、他はケースバイケースのように思われます。ガイドライン制定を急がずに、もう少し職業名・役職名について事例ごとに議論を深めた方がよいのではないでしょうか。--トトト 2009年2月28日 (土) 16:44 (UTC)
- 1.存命中の職業名にプロ野球選手とありますが、たとえば原辰徳の記事はどうでしょうか。「元プロ野球選手、監督」。これは世間一般の肩書表記方法に合致しており、原が生存中である限り特に問題なさそうです。真弓明信、金田正一もしかり。別分野では伊藤みどり、朝陽丸勝人。新聞でも同様の方法をとっていますね。前々回での私のお答えでは役職名のみを問題と指摘しましたが、職業名でも「元」表記が必要な場合があるようです。(人名一覧で見ると元○○女優というのが目立ちます。これはどうなんでしょうか?)
(インデント戻します)私自身は本件に関するガイドライン制定を急いでいる訳ではありませんので、事例に基づいて議論を継続することは問題ありません。原辰徳の例ですが、私としては「…は、日本のプロ野球選手、監督。」(元なし、国籍・地域付き-Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部参照)の方が百科事典的だと思いますが、現役のプロ野球選手と誤解される読者が出てくるでしょうから、そのような誤解が生じないように追加説明(あるいは記述変更)を行う必要がある、というのが、上でみっちさんと話したときの議論でした。野上進や他の例も同様です。「ただし活動期間が限られたり転職した場合は、引退時期や転職後の主な活動を併記するなど、読者が理解しやすいように記述してください。」とあるのは、その議論の中から生まれたものです。
人名一覧の場合の括弧書きは、その人物を代表する肩書きを書くのでしょうから、その意味で、例えば「元大相撲力士」とされている人は「大相撲力士」でもおかしくはないし誤りでもないと思うのです。誤解が生じる問題については、その人物の記事の中できちんと説明することで対処できるのではないでしょうか。故人には「故」を付けないことになっていますが(Wikipedia:表記ガイド#人名)、ここでの議論と同じだと思っています。
たぶん、百科事典の記事を見る視点の違い(現在という特定の時点に立脚しているのか、その人物の人生(半生)全体を見渡す位置から判断しているのか)だと思うのですが…。--Penn Station 2009年3月1日 (日) 00:25 (UTC)
- Penn Stationさんとほぼ同意見です。「○○は日本のプロ野球選手、のち監督。」または「○○は日本のプロ野球選手。現役引退後は監督。」などとすれば、「元」をつける必要がありません。参議院議員や大学教授職などの「肩書き」は、経歴の一部であって人物の定義としてふさわしいかというと必ずしもそうではありません。挙げられた例の場合、政治家あるいは○○学者などとすれば、現職かそうでないかにとらわれないですみます。百科事典と新聞との違いについて、考えてもらえるとありがたいです。--みっち 2009年3月1日 (日) 02:14 (UTC)
- まず最初にお断りしますが、『元』表記が必要なのはその人物を1行で表現しなければならないときで、ほとんどがリスト表示における1行や冒頭定義文などに限られます。個別の記事で詳しく説明可能なのは当然ですが、であれば上記のような『元』表記を全て廃止してよいのか、というのが立脚点です。
みっちさんもPenn Stationさんも「百科事典は数十年先まで見通して…」ということを強調され、それのみをガイドライン改訂の根拠とされているようですが、生存している人間があと30~40年程度生きる可能性があるということもまた否定できない事実です。特にWikipediaの場合、通常の事典では落とされるような泡沫な人間を多く載せておりますので、なおさらその可能性が高いわけです。
そうした人物の場合、現在進行中であるという視点を欠けば情報としての質が低下するのは否めません。『元』をつけるのが妥当かどうかは業界や職種によっても異なります。野球や大相撲では現役かどうかが情報として重要なことであり、それを1行表示の中で『元』することに問題はないはずです。原の場合は世間の認知度が高いものの、そうでない人の方が大半です。苦労して情報を作り出している人がいるのに(例えば元プロ野球選手)、それを一律で否定するのはいかにも強引ではないでしょうか。他の方々の懸念もこうしたものであると思われます。
現状Wikiにさしたる問題が生じていないのになぜお二方が改訂にこだわるのか、私はどうも理解に苦しみます。厖大な野球選手の記事にコミットする覚悟はおありでしょうか? 野球以外の全てのジャンルを検討されたのでしょうか? どうしても改訂を希望されるのでしたら合意の得られた部分のみにして頂きたいと思います。すでにPennStationさんから表現緩和のお申し出がありましたので(2009年2月14日 (土) 00:26 (UTC))、- 【暫定改定案】
- 肩書にはなるべく在任期間を明示したり「~~を歴任」「第X代○○」のように『元』『前』を使わない記述が推奨されます。ただし、
- 1.生存中の人物の職業名(歌手、政治家、作家、建築家、プロ野球選手など)で、活動期間が限られたり転職した場合で社会通念上『元』をつけるのが妥当とされている場合、役職名(○○会社社長、○○銀行頭取、○○研究所所長など)については必要な場合に『元』を付けて簡潔に記述しても構いません。
- 2.没後の人物: 原則として職業名に『元』『前』は付けません。役職名についても誤解を招かない限りにおいてなるべく『元』『前』を使わない記述が推奨されます。
- というのはどうでしょうか。--トトト 2009年3月1日 (日) 05:32 (UTC)
- まず最初にお断りしますが、『元』表記が必要なのはその人物を1行で表現しなければならないときで、ほとんどがリスト表示における1行や冒頭定義文などに限られます。個別の記事で詳しく説明可能なのは当然ですが、であれば上記のような『元』表記を全て廃止してよいのか、というのが立脚点です。
- トトトさんが問題とされているのは(1)冒頭定義文 (2)一覧(人物名+肩書き)とのことですが、(1)冒頭定義文については上記でみっちさんからもコメントがあるように、「元」「前」を付けなくても記述可能ではないでしょうか。あまり著名でない(しかし特筆性はある)人物についても、転職や役職変更の経緯や活動期間などを明記することで、情報の質が高まりさえすれ劣化することはないと思うのですが。(2)一覧(人物名+肩書き)については確かにその一覧だけを見れば現役と誤解する恐れがある(人物記事へのリンクにしておけばリンク先記事で説明可能ですが、そこまで確認しない人も多い)でしょうし、「元」を付けて簡潔に記述した方が良い状況も理解できますので、例外としてもよいかなと個人的には思います。
- 既存記事を一律に否定する意図はありません。すぐに陳腐化する可能性のある表現をできるだけ避け、より百科事典らしい記述に改善する、という観点から改訂提案に賛成しています(元々の提案者はBaioextraさんやBellcricketさんです)。私的には、例えガイドラインが改訂されたとしても、既存記事を一気に変更する必要はなく、新規に記事を執筆する際や既存記事を編集する際に参考にしてもらい、徐々に対応していけばよいのではないかと思っています。あくまでも推奨であって、既存記事から「元」「前」を削除することを強制するものではありません。
- 暫定改定案ですが、ちょっと理解しずらいように思いました。下記のように例外として一覧の場合を明示する、ということではいかがでしょうか。また、没後の役職名も、没後であれば例外は必要ないのではないでしょうか。
- 【改定案(対案)】
- 存命中の場合:肩書(職業名・役職名)には『元』『前』は付けないことが推奨されます。活動期間や在任期間が限られたり転職した場合は、引退時期や転職後の主な活動を併記するなど、読者が理解しやすいように記述してください。ただし、一覧で人物名とその人物の代表的な肩書きを併記する場合で活動期間などを記述することが相応しくない場合は、『元』『前』を付けても構いません。
- 没後の場合:肩書(職業名・役職名)には『元』『前』を付けません。必要に応じて活動期間や在任期間などを記述してください。
- --Penn Station 2009年3月1日 (日) 07:45 (UTC)
- 推奨に過ぎないとしてもガイドラインを根拠に書換を始める人が出てくることは十分によ予想されます。潮匡人の冒頭定義文・「元防衛庁広報誌編集長」(役職名)など、『元』を除けば理解しづらくなる例は多数あります。堂々めぐりですが、岡崎久彦も存命中なら『元外交官』の方がしっくり来ます。4文字で的確に表現できるものを、読者を一瞬でも混乱させ、多数の行を読ませることを強いるのは賢明な改訂とは思われません。
「より百科事典らしい記述に改善する」という方針は、「社会通念上の肩書概念と乖離してよい」ということを意味するものではないでしょう。正当化としてやや無理があるように思われます。
「「元」「前」を付けなくても記述可能」と仰いますが、Baldandersさん(2009年1月27日 (火) 14:05 (UTC))、Tiyoringo さん(2009年1月27日 (火) 17:19 (UTC))と同様、私も存命中の人物の一部記事において冒頭定義文から『元』表記を外すことには違和感を覚えます。参議院議員や大学教授職など、没後の役職名についても『元』をつけた方が分かりやく、かつ長期間にわたって正確性が損なわれない例はすでに示しました。- 【改定案(再対案)】
肩書(職業名・役職名)にはなるべく在任期間を明示したり「~~を歴任」「第X代○○」のように『元』『前』を使わない記述が推奨されます。引退時期や転職後の主な活動を併記するなど、読者が理解しやすいように記述してください。ただし、冒頭定義文や氏名と代表的肩書を併記する一覧表示において活動期間などを記述することが相応しくない場合は、 - 1.存命中の場合:(職業名・役職名)活動期間や在任期間が限られたり転職した場合で、その業界において『元』『前』をつけるのが妥当とされている場合は、『元』『前』を付けても構いません。
- 2.没後の場合:肩書(職業名)には『元』『前』を付けません。
- (役職名)時間の経過とともに正確性を損なわれないことが明白でかつ必要な場合は『元』『前』を付けても構いません。
- ※職業名=歌手、政治家、作家、建築家、プロ野球選手など。役職名=○○会社社長、○○銀行頭取、○○研究所所長、○○バレエ団エトワールなど
- 【改定案(再対案)】
- 再対案の骨子は、冒頭定義文でも可能とする、没後の役職名も場合を限定して可能とする、の2点です。-トトト 2009年3月1日 (日) 09:55 (UTC)
- かなり議論が煮詰まってきていて、繰り返し反論するのも建設的ではありませんので、他の参加者の方の意見を待ちたいと思います。
「改定案(再対案)」に関する印象だけ述べておきますと、(1)「その業界において『元』『前』をつけるのが妥当とされている場合は、『元』『前』を付けても構いません。」…この箇所は条件がはっきりしません。「元」「前」を付けるのが妥当の業界、妥当でない業界、といった区別があるのでしょうか。ガイドラインを読む編集者が混乱しそうです。(2)没後の役職名に「元」が付くのは日本語的におかしいのではないかと感じます。野上進や高柳先男の例でも敢えて「元」付きの役職名で説明する必要はないように思います。--Penn Station 2009年3月1日 (日) 10:46 (UTC)- 1) 例えばバレエダンサーですとエトワールまでキャリアを全うしたら舞台に出なくなっても『元』をつけないのが通例です。雑誌ジャーナリズムの使用法などである程度の線引きは可能でしょう。評論家、芸術家もつけませんね。Wiki記事を見る限り、野球や相撲はつける方向で統一されているようです。官職も同様(田中均、片山さつきと町村信孝・元官僚)。この一文は、『元』がついている優良記事群を追認するのが狙いです。最初に原則をのべ、但書としてありますのでどうしても迷ったら原則に従えばよいし、論争になったらWikiプロジェクト毎に解決した方が良いのではないでしょうか。少なくとも、実情を検討せずに観念論的な条文いじりで優良記事群を(結果的に)破壊することは避けねばなりません。
- 2) 衆議院議員職ではつけていない記事もありましたので没後の議員職は微妙ですが、出井伸之の冒頭記事、父(故人)に関する記述=元早稲田大学教授。中村良夫、元ホンダF1の監督。『元』があった方が読みやすく、しっくりくる例です。日本語としても変ではありません。長期にわたり正確性が損なわれる恐れもありません。少なくとも目の敵にして排斥する理由はないでしょう。きちんと検証したわけではありませんが、新聞の追悼録にのる元・(役職名)は、死後20年程度は有効なのではないでしょうか。死んでもまだ完全に「歴史」の一部にはなっていないためだと思われます。冒頭で「なるべく使わない」としていますが、場合により問題ないということです。
- こうした条文では、例外が生じることを考慮することが大切ではないでしょうか。杓子定規に理想論をふりかざせば社会常識から乖離した記事になってしまうばかりでなく、記事を作成した大勢の人の努力を無にしてしまいます。--トトト 2009年3月2日 (月) 07:47 (UTC)
- PJ野球から参りましたチェンジオブベースです。議論の呼びかけがありましたので、簡単にではありますが個人的な印象を申し上げたいと思います。正直、議論の流れは掴みきれていませんので、重複するような内容や的外れな発言がありましたら申し訳ありません。
- さて、確かに現状、引退した野球選手の記事の定義は「元プロ野球選手」がほとんどだと思います。ですが、Penn Stationさん提案の「○○は日本のプロ野球選手。YY年に引退。」という書き方や、みっちさん提案の「○○は日本のプロ野球選手、のち監督。」といった書き方にも、私自身違和感はありません(あくまで私個人の感覚で、PJ野球としてどういう認識かは把握していませんが)。では、どちらで記載すべきかという点についても、元をつけないのが百科事典らしい記述であるならば、スタイルマニュアルもそれに準じた形で、現在の議論の流れを踏まえて書き換えて構わないと思います(百科事典的かどうかというのは、ここで議論されている方々のほうがよほど詳しいと思いますので、私からは意見申し上げません)。要約すると、元を外す表記にも必ずしも反対しない、といったところでしょうか。議論進行に少しでもお力添えできれば幸いです。失礼しました。--チェンジオブベース 2009年3月2日 (月) 13:22 (UTC)
- 1) 例えばバレエダンサーですとエトワールまでキャリアを全うしたら舞台に出なくなっても『元』をつけないのが通例です。雑誌ジャーナリズムの使用法などである程度の線引きは可能でしょう。評論家、芸術家もつけませんね。Wiki記事を見る限り、野球や相撲はつける方向で統一されているようです。官職も同様(田中均、片山さつきと町村信孝・元官僚)。この一文は、『元』がついている優良記事群を追認するのが狙いです。最初に原則をのべ、但書としてありますのでどうしても迷ったら原則に従えばよいし、論争になったらWikiプロジェクト毎に解決した方が良いのではないでしょうか。少なくとも、実情を検討せずに観念論的な条文いじりで優良記事群を(結果的に)破壊することは避けねばなりません。
- かなり議論が煮詰まってきていて、繰り返し反論するのも建設的ではありませんので、他の参加者の方の意見を待ちたいと思います。
- 推奨に過ぎないとしてもガイドラインを根拠に書換を始める人が出てくることは十分によ予想されます。潮匡人の冒頭定義文・「元防衛庁広報誌編集長」(役職名)など、『元』を除けば理解しづらくなる例は多数あります。堂々めぐりですが、岡崎久彦も存命中なら『元外交官』の方がしっくり来ます。4文字で的確に表現できるものを、読者を一瞬でも混乱させ、多数の行を読ませることを強いるのは賢明な改訂とは思われません。
(インデント戻します)各国語版のWikipediaではどうなっているかをざっと調べてみました。結論からいうと、存命中の人物の冒頭表記で『元』が使用されている例は普通に見られます。以下有名人物も含まれています。
何が百科事典的であるかということは、昔の印刷された百科事典からだけでは結論できないように思います。『元』をつけることで読み手にとって簡潔・明瞭な記事になるならば、ある程度は構わないのではないでしょうか。
英語版
- Michael Dukakis(政治家): former Governor of Massachusetts (元州知事)
- Al Gore(環境運動家): former journalist. (元ジャーナリスト)
- Phil Simms: a former American football quarterback, (元クォーターバック)
- José Canseco: a former outfielder (元外野手)
フランス語版
- Ségolène Royal: Ancienne députée, ancienne ministre des gouvernements Bérégovoy et Jospin (元代議士、元閣僚)
- Monique Pelletier: ancienne ministre et membre du conseil constitutionnel français. (元閣僚、憲法院委員)
- Marie-José Perec: une ancienne athlète française. (元陸上選手)
- Carin Jennings-Gabarra: une ancienne footballeuse américaine (元サッカー選手)
- Perrine Pelen: une ancienne skieuse alpine française (元アルペンスキー選手)
- Élodie Chérie: une ancienne actrice pornographique française. (元ポルノ女優)
ドイツ語版
- Joschka Fischer: ein ehemaliger deutscher Politiker (元政治家)
- Andreas Krautscheid: ehemaliger Bundestagsabgeordneter (元連邦議会議員)
- Murad Wilfried Hofmann: ein deutscher Jurist und ehemaliger Diplomat (法学者・元外交官)
- Michael Schumacher: ein ehemaliger deutscher Automobilrennfahrer. (元ドライバー)
- Fritz Altmeyer: ein ehemaliger deutscher Fußballspieler (元サッカー選手)
- Hans Appel(死後の場合): (* 8. Juni 1911 in Berlin; † 27. Juli[1] 1973) war ein deutscher Fußballspieler. (『元』つけず、過去形でサッカー選手)
--トトト 2009年3月3日 (火) 03:11 (UTC)
2016年8月10日以降の議論
- Kyoyaku-25(会話) というユーザーは、小池百合子などのページを通して「現職でないものには『元』表記を付けなければならない」と主張しているようです。「元」表記を強制するこのような主張について、上掲議論を踏まえた上で明確に反対の意を申し述べるとともに、その論理的正当性の欠如について簡単に言及しておきます。
- まず、Wikipediaは百科事典であって、選挙公報でもなければ個人のホームページでもありません。Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝) では、導入部について、人物の「活動」を記すことが求められていますが、現職者の肩書きでないものに「元」を記さなければならないとするなら、伊藤博文も「元武士」「元政治家」と表記しなければならなくなるはずです。「伊藤博文が故人であるから関係ない」などという主張もあるかもしれませんが、故人であっても(あるいは故人であるからこそ)伊藤博文が現職の「武士」「政治家」でないことに変わりはなく、伊藤博文を「元武士」「元政治家」と表記しないことに妥当性を認めておきながら「現職の肩書きでないものには『元』を記さなければならない」と判断することは、論理として成立しません。Kyoyaku-25(会話) のようなユーザーさんには、少なくとも現時点で「『元』表記は必要ない」という前提が存在すること、そして、その前提を覆すような「自分ルール」の押し付けは不適切であることを理解しておいていただきたいものですね。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 09:59 (UTC)
- そこで提案というか確認です。こちらのスタイルマニュアルで全般的な合意形成がなされる(その必要性はさておき)までは、各人物の活動に「元」を付け加えるべきか否かは、各人物ページのノートで個別に議論することが適切であると考えます(もっとも、議題として上がらない場合がほとんどでしょうが)。スタイルマニュアルとして全般的な合意が形成されていない以上、ある人物の活動に「元」を付け加えるべきか否かで議論が生じ(てい)る場合には、各ノートで個別に合意形成を図るしかないでしょう。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 10:09 (UTC)
- 返信 (210.4.242.26さん宛) 私は、210.4.242.26さんがすべての人物記事から「元」を除去すべきだと考えていると勘違いしていたのですが(なので記事のノートではなく別の場所で議論すべきと言う意味で「他のページを「反対意見なし」として処理しないで下さい」と述べました)、そうではなくて、人物によってつけるかどうかを個別に判断すべきだということですね。
- 私は、すべての人物記事において原則として現状維持することを提案します。先の提案の時点では、「現状」がいつかはあまり意識していませんでした。編集合戦が起きている場合、編集合戦が始まる直前の版を現状とし、まだ編集合戦が起きていない場合は最新版を現状とすればどうでしょう? 編集合戦が始まっていない状態で「元」を追加/除去し、それを起点に編集合戦が始まればその編集は取り消されます。「元」を追加/除去しても編集合戦にならなければ、それは皆が問題ないと考えているものとして取り消す必要はありません(それが原則としての意)。
- もちろん、編集合戦が起こるかどうか試してみよ、というわけではありません。事前にノートに提起して、反対意見があれば編集すべきでありません。もし反対意見があればほぼ確実に編集合戦になりますから、実際にやってみるまでもありません。
- ただし、このような規則をゴテゴテ作るよりも、「~を経て」とすれば良い気がしますが、どうでしょう? 210.4.242.26さんは小池百合子には問題提起していないので、これで万事解決ではないでしょうか。
- また、私以外の様々な人の意見を聞くために、コメント依頼に出すという手もあるので、おすすめしておきます。
- 最後に、210.4.242.26さんが提起した議論をまとめておきます。記事に個別の議論は以下で行い、人物記事全般についてはここで行うことにしましょう。
--GodsGarden. [Talk|Contribution] 2016年8月10日 (水) 12:01 (UTC)
- 返信 (GodsGardenさん宛) ご意見ありがとうございます。「編集合戦が始まる直前の版」を「現状」とみなすべきということは、言い換えるならば、「編集合戦が生じる以前に定着していた版」を「現状」とみなすべきということになろうかと存じます(表記が「定着」していない状況を「編集合戦」と呼ぶのでしょうから)。編集合戦が生じた場合には版を保護した上でノートで議論を進めればよいのですから、その点については、私としては異論はございません。
- 「〜を経て」というスタイルをすべてのページに当てはめるというのは、果たしていかがなものでしょうか。すでに「元」表記の「ある」ページと「ない」ページがWikipedia上では数多混在し、どのページに「元」が表記されているかなどといったことは把握すらされていません(それどころか把握が図られてすらいません)。編集合戦が生じたページについては「〜を経て」というスタイルを和解案として採用することも一案とは存じますが、「人物」に関する全ページに当てはめる規定としては望ましくないものと思われます。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 15:57 (UTC)
- 「〜を経て」というスタイルにすれば経歴を説明する文章として親切・適切であり、「推奨」の一つとしても問題ないでしょう。「元」表記のあるページないページの把握がこの議論のどう関係するのか不明です。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月12日 (金) 22:08 (UTC)
- 「推奨」の趣旨が分かりません。一般的に「推奨」とは「〜にすべき」「〜であるのが望ましい」との意味を指すと存じますが、Kyoyaku-25さんは、活動の「元」表記について特に議論が浮上していない人物の記事においても「〜を経て」というスタイルに強制的に変更するべきだとお考えなのでしょうか。だとすれば、「元」表記の「あるページないページの把握」に関わりなく「手当たり次第」に各人物の記事を編集することが求められることになります。それとも、活動の「元」表記について議論が生じている場合にのみ、「〜を経て」というスタイルの採用をスタイルマニュアルとして「推奨」するべきだとお考えなのでしょうか。Kyoyaku-25さんの数百字程度の説明からはその趣旨がまったく掴めませんので、ぜひ具体的にご説明ください。--210.4.242.26 2016年8月13日 (土) 13:49 (UTC)
- 「〜を経て」というスタイルにすれば経歴を説明する文章として親切・適切であり、「推奨」の一つとしても問題ないでしょう。「元」表記のあるページないページの把握がこの議論のどう関係するのか不明です。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月12日 (金) 22:08 (UTC)
- GodsGardenさんの、「〜を経て」というスタイルの推奨に賛同します。冒頭文で現職のように記載し、本文中でいついつまで勤めたというように書くと同じ記事内で矛盾が発生します。210.4.242.26さんは本文を読めばいいと主張しておりますが、そもそも、冒頭文に現職のように書くことは虚偽記載に当たりますので望ましくないものと思われます。編集合戦の回避につきましても賛同いたします。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月12日 (金) 04:02 (UTC)
- 2016年8月10日 (水) 12:01 時点のGodsGardenさんの主張からは、GodsGardenさんが「〜を経て」という表記を「推奨」化しようとしているのか「ルール」化しようとしているのかは判然としません。にもかかわらず、GodsGardenさんの主張を「推奨」化の試みと決めつけ、自らの決め付けに基づいて勝手に「賛同」することは慎むべきでしょう。また、仮に「〜を経て」という記述を推奨化するにしてもルール化するにしても、現時点では「〜を経て」という表記を採用していないページが圧倒的多数であることは間違いありません。Kyoyaku-25さんは、手当たり次第に、人物に関するすべてのページの記述を「〜を経て」という表記に改めることが望ましいとお考えなのでしょうか。
- 「冒頭文で現職のように記載」「冒頭文に現職のように書くこと」の趣旨が分かりません。例えば、「現ニュースキャスター」と記載されていれば「冒頭文で現職のように記載」することや「冒頭文に現職のように書くこと」に該当すると判断されますが、伊藤博文が「元政治家」と書かれていなかったり、明石家さんまが「元歌手」と記されていなかったりするからといって、「冒頭文に現職のように書くこと」に該当するとは考えられません。人物のページにおける「活動」の部位は「現在の肩書き」を記す欄ではなく、あくまでもその人物の「活動」を記載する部位なので、現職でないものに「元」を付けなければならないと「推奨」したり「ルール」化したりすることは不適切でしょう。--210.4.242.26 2016年8月12日 (金) 07:42 (UTC)
- 何度も説明申し上げたはずですが、「AはBである」これは現在形です。故人については存命人物と条件が大きく異なりますので例示として不適切ですね。これも何度も申し上げました。ただし、故人の記事で「人物の主な活動を記載する」との理由で「元」をつけないという考え方は一理あると思います。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月12日 (金) 15:00 (UTC)
- 故人の場合(例:伊藤博文の「政治家」)であろうが存命人物の場合(例:明石家さんまの「歌手」)であろうが「現職」でないことに変わりはないため、まったく説明になっていません。「条件が大きく異な」るというのであれば、まずはその「条件」の違いを提示した上で、なぜ「現職でないものには『元』を付けなければならない」というルールを故人には適用外とするかを説明する必要がありますが、Kyoyaku-25さんからは未だ説明されておりません。また、「人物の主な活動を記載する」のだから「元」は不要であると判断するならば、例えばタモリが「作詞家」「作曲家」、明石家さんまが「歌手」として「活動」したことは、伊藤博文が「政治家」として「活動」したことと同様に史実なので、やはり「現職でないものには『元』を付けなければならない」という従来の主張と齟齬を来します。これでは、Kyoyaku-25さんの主張はダブルスタンダードであると指摘されても致し方ないでしょう。--210.4.242.26 2016年8月12日 (金) 15:17 (UTC)
- 故人と存命人物とで条件が異なることが分からないということに驚きを隠せません。いのちがある/ないという違いが理解できないのでしょうか?再三注意申し上げたのに未だに人身攻撃を繰り返されているようで残念です。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月12日 (金) 22:03 (UTC)
- 反論どころか回答になっていません。私が「故人」(いのちがない)と「存命人物」(いのちがある)の違いではなく、「現職でないものには『元』を付けなければならない」と主張するならば、なぜ「故人」の場合と「存命人物」の場合で対応が変化するのかとお尋ねしているのですよ。また、根拠もなく私が「人身攻撃」と繰り返し主張しているKyoyaku-25さんこそ、レッテル貼りという名の「人身攻撃」を繰り返していらっしゃるのではないでしょうか。Kyoyaku-25さんは「再三注意申し上げたのに未だに人身攻撃を繰り返されているようで」とも仰っていますが、そもそも私が「人身攻撃」をしてきたと主張しているのはKyoyaku-25さんのみです(現に私はそのことが理由でブロックされたこともございませんし、第三者に「人身攻撃」の過去を確認されたこともありません)。レッテル貼りや人身攻撃に終始するのはやめて、議題について誠実かつ冷静に対応してくださるよう要請します。--210.4.242.26 2016年8月13日 (土) 13:49 (UTC)
- 最初に敬称もつけず「Kyoyaku-25(会話) というユーザーは・・・」と喧嘩腰に議論を始める方が「誠実かつ冷静に対応」といっても説得力は皆無ですよ。残念ですが。それに私は故人と存命人物で条件が異なると言っているのであって、対応が変化するとまでは判断していません。対応をどうするかは、コミュニティの判断に依るべきと思います。議論相手の文章を正しく読まれるよう要請します。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月13日 (土) 15:03 (UTC)
- 「ある時、ある文章に敬称が付けられていなかったことを未だに根に持っている」ということ以外に、Kyoyaku-25さんの記述している内容の趣旨がまったく分かりません。まさしく私は「故人と存命人物で条件が異なる」理由を再三にわたってお尋ねしているのですが、なぜ未だにお答えいただけないのでしょうか。また、まさしくこのノートでは「コミュニティの判断」が議論されているのですから、「コミュニティの判断に拠るべき」などという主張は意味を持ちません(ある議題についての結論を出すための会議で「会議の結論を結論とすべき」と主張したところで無意味なのと同様です)。--210.4.242.26 2016年8月13日 (土) 19:17 (UTC)
- 伊藤博文を例に出すことは時代背景も制度も違うから存命人物と同等に扱うのは不適切であると再三再四申し上げたはずですが・・・。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月13日 (土) 22:32 (UTC)
- ですから、なぜ「時代背景も制度も違う」ことが、「現職でないものには『元』を付けなければならない」という主張の適用可否を「故人」の場合と「存命人物」の場合とで区別すべき理由となるのかを再三再四尋ねているのですが……。私は「故人」と「存命人物」の違いを尋ねているのではありませんよ。--210.4.242.26 2016年8月14日 (日) 03:41 (UTC)
- 区別すべきとは一言も申し上げておりません。条件が大きく違うと言っています。区別するかどうかはコミュニティの議論で決めるべき問題と思料します。前にも指摘しましたが、あなたは決めつけが酷過ぎます。これでは議論になりません。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月14日 (日) 05:36 (UTC)
- 「決めつけが酷過ぎます」などというレッテル貼りはおやめください。「コミュニティの議論で決めるべき問題」であることはここにいる誰もがあらかじめ理解している事柄なので(だからこそノートという議論の場が存在するのですよ)、そのような主張には恐縮ですが意味がありません。また、「故人」の場合と「存命人物」の場合とで異なる判断基準を採用すべき(「区別すべき」)と考えていないのであれば、そもそも論点が存在しません。「現職でないものには『元』を付けなければならない」というあなたの主張に従えば、やはり、明石家さんまを「元歌手」と表記しなければならなくなるのと同様に、伊藤博文を「元政治家」と表記しなければならないことになりますね(これに異論があるならば、再三再四申し上げている通り、あなたの主張の適用可否を「故人」の場合と「存命人物」の場合とで区別すべきとする理由を説明してください)。--210.4.242.26 2016年8月14日 (日) 08:15 (UTC)
- 区別すべきとは主張していないのに、さも主張しているように決めつけるのはおやめください。決してレッテル貼りではなく事実です。条件が大きく異なりますから、論点が存在しないことはありません。これを同様とされるのは理解に苦しみます。他の方の意見を待ちませんか?--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月14日 (日) 12:26 (UTC)
- Kyoyaku-25さんの主張はまったく理解に苦しみます。Kyoyaku-25さんは「区別すべき」だとは考えていないのですか。だとしたら、少なくとも現時点で「現職でないものには『元』を付けなければならないという『ルール』の適用可否を『故人』と『存命人物』とで区別すべき」と主張している人はどこにも存在しないため、「元」表記について「故人」と「存命人物」の違いは論点となり得ません(逆に、なぜ存在しない主張をめぐって議論が起こり得るのでしょうか)。Kyoyaku-25さんが「区別すべきとは主張していない」のであれば、仮に「現職でないものには『元』を付けなければならない」という「ルール」を採用した場合には、「故人の場合でも存命人物の場合でも現職でない『活動』には『元』を付けなければならない」という規定が自動的に適用されることになります。これ以外の論理的帰結はあり得ません。--210.4.242.26 2016年8月14日 (日) 17:42 (UTC)
- 理解に苦しむのはあなたが理解しようとしていないか、理解力が足りないせいでしょう。議論参加が少人数であるので、論点になり得ないという主張になりません。「規定が自動的に適用される」「これ以外の論理的帰結はあり得ません」というのはあなた個人の考えです。考え方が極端過ぎます。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月14日 (日) 21:55 (UTC)
- まったく反論にも説明にもなっていません。Kyoyaku-25さんは「現職でないものには『元』を付けなければならない」という「ルール」の適用可否を「故人」の場合と「存命人物」の場合とで区別すべきだとは考えていないのですよね。だとすれば、誰からも提起されていない議題をめぐって議論することは不可能です(そのことは「議論参加」者の「人数」の多少の問題ではありません)。なお、「あなたが理解していないせい」などという決め付けや、「理解力が足りないせい」などという誹謗中傷はおやめください。--210.4.242.26 2016年8月15日 (月) 17:39 (UTC)
- 210.4.242.26は「おそらくは時計を読むことができない方だけであろうと存じます」という中傷をしていますがね。自分が中傷するのはいいけど、他人がするのはダメなんですね。ダブルスタンダードですな。210.4.242.26は理解力が無いんじゃなくて、自分の都合のいいように曲解する方なんじゃないですかね。--180.38.12.74 2016年8月16日 (火) 03:56 (UTC)
- まさにその「指摘」こそ、具体的な根拠を伴わない誹謗中傷以外の何物でもありませんよね。ちなみに私は、現在と過去の区別が付かない方は「おそらくは時計を読むことができない方だけであろうと存じます」と申し上げたのみであって(「時点Aの後」よりも「時点Aの前」のほうが過去であることは、「時計を読むことができ」る方なら誰でも理解できますよね)、特定の人物に対して「お前は時計は読めない馬鹿だな」などと中傷したわけではありません。「理解力」以前に改めて読解力を働かせていただければ、きっとそのことはお分かりになるかと存じます。また、私の人格への「指摘」をしたいだけなのであれば、スタイルマニュアルをめぐって特定の議題を論じているこのノートではなく、せめて私の利用者ページにて「指摘」をお願いしたいところです。ところで、このノートでは「おそらくは時計を読むことができない方だけであろうと存じます」という文章はその存在を確かめられないのですが、180.38.12.74さんはどうして私が他のページでそのように記述したことをご存知なのでしょうか。ご回答いただければ幸いです。--210.4.242.26 2016年8月16日 (火) 17:16 (UTC)
- 210.4.242.26は「おそらくは時計を読むことができない方だけであろうと存じます」という中傷をしていますがね。自分が中傷するのはいいけど、他人がするのはダメなんですね。ダブルスタンダードですな。210.4.242.26は理解力が無いんじゃなくて、自分の都合のいいように曲解する方なんじゃないですかね。--180.38.12.74 2016年8月16日 (火) 03:56 (UTC)
- まったく反論にも説明にもなっていません。Kyoyaku-25さんは「現職でないものには『元』を付けなければならない」という「ルール」の適用可否を「故人」の場合と「存命人物」の場合とで区別すべきだとは考えていないのですよね。だとすれば、誰からも提起されていない議題をめぐって議論することは不可能です(そのことは「議論参加」者の「人数」の多少の問題ではありません)。なお、「あなたが理解していないせい」などという決め付けや、「理解力が足りないせい」などという誹謗中傷はおやめください。--210.4.242.26 2016年8月15日 (月) 17:39 (UTC)
- 理解に苦しむのはあなたが理解しようとしていないか、理解力が足りないせいでしょう。議論参加が少人数であるので、論点になり得ないという主張になりません。「規定が自動的に適用される」「これ以外の論理的帰結はあり得ません」というのはあなた個人の考えです。考え方が極端過ぎます。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月14日 (日) 21:55 (UTC)
- Kyoyaku-25さんの主張はまったく理解に苦しみます。Kyoyaku-25さんは「区別すべき」だとは考えていないのですか。だとしたら、少なくとも現時点で「現職でないものには『元』を付けなければならないという『ルール』の適用可否を『故人』と『存命人物』とで区別すべき」と主張している人はどこにも存在しないため、「元」表記について「故人」と「存命人物」の違いは論点となり得ません(逆に、なぜ存在しない主張をめぐって議論が起こり得るのでしょうか)。Kyoyaku-25さんが「区別すべきとは主張していない」のであれば、仮に「現職でないものには『元』を付けなければならない」という「ルール」を採用した場合には、「故人の場合でも存命人物の場合でも現職でない『活動』には『元』を付けなければならない」という規定が自動的に適用されることになります。これ以外の論理的帰結はあり得ません。--210.4.242.26 2016年8月14日 (日) 17:42 (UTC)
- 区別すべきとは主張していないのに、さも主張しているように決めつけるのはおやめください。決してレッテル貼りではなく事実です。条件が大きく異なりますから、論点が存在しないことはありません。これを同様とされるのは理解に苦しみます。他の方の意見を待ちませんか?--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月14日 (日) 12:26 (UTC)
- 「決めつけが酷過ぎます」などというレッテル貼りはおやめください。「コミュニティの議論で決めるべき問題」であることはここにいる誰もがあらかじめ理解している事柄なので(だからこそノートという議論の場が存在するのですよ)、そのような主張には恐縮ですが意味がありません。また、「故人」の場合と「存命人物」の場合とで異なる判断基準を採用すべき(「区別すべき」)と考えていないのであれば、そもそも論点が存在しません。「現職でないものには『元』を付けなければならない」というあなたの主張に従えば、やはり、明石家さんまを「元歌手」と表記しなければならなくなるのと同様に、伊藤博文を「元政治家」と表記しなければならないことになりますね(これに異論があるならば、再三再四申し上げている通り、あなたの主張の適用可否を「故人」の場合と「存命人物」の場合とで区別すべきとする理由を説明してください)。--210.4.242.26 2016年8月14日 (日) 08:15 (UTC)
- 区別すべきとは一言も申し上げておりません。条件が大きく違うと言っています。区別するかどうかはコミュニティの議論で決めるべき問題と思料します。前にも指摘しましたが、あなたは決めつけが酷過ぎます。これでは議論になりません。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月14日 (日) 05:36 (UTC)
- ですから、なぜ「時代背景も制度も違う」ことが、「現職でないものには『元』を付けなければならない」という主張の適用可否を「故人」の場合と「存命人物」の場合とで区別すべき理由となるのかを再三再四尋ねているのですが……。私は「故人」と「存命人物」の違いを尋ねているのではありませんよ。--210.4.242.26 2016年8月14日 (日) 03:41 (UTC)
- 伊藤博文を例に出すことは時代背景も制度も違うから存命人物と同等に扱うのは不適切であると再三再四申し上げたはずですが・・・。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月13日 (土) 22:32 (UTC)
- 「ある時、ある文章に敬称が付けられていなかったことを未だに根に持っている」ということ以外に、Kyoyaku-25さんの記述している内容の趣旨がまったく分かりません。まさしく私は「故人と存命人物で条件が異なる」理由を再三にわたってお尋ねしているのですが、なぜ未だにお答えいただけないのでしょうか。また、まさしくこのノートでは「コミュニティの判断」が議論されているのですから、「コミュニティの判断に拠るべき」などという主張は意味を持ちません(ある議題についての結論を出すための会議で「会議の結論を結論とすべき」と主張したところで無意味なのと同様です)。--210.4.242.26 2016年8月13日 (土) 19:17 (UTC)
- 最初に敬称もつけず「Kyoyaku-25(会話) というユーザーは・・・」と喧嘩腰に議論を始める方が「誠実かつ冷静に対応」といっても説得力は皆無ですよ。残念ですが。それに私は故人と存命人物で条件が異なると言っているのであって、対応が変化するとまでは判断していません。対応をどうするかは、コミュニティの判断に依るべきと思います。議論相手の文章を正しく読まれるよう要請します。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月13日 (土) 15:03 (UTC)
- 反論どころか回答になっていません。私が「故人」(いのちがない)と「存命人物」(いのちがある)の違いではなく、「現職でないものには『元』を付けなければならない」と主張するならば、なぜ「故人」の場合と「存命人物」の場合で対応が変化するのかとお尋ねしているのですよ。また、根拠もなく私が「人身攻撃」と繰り返し主張しているKyoyaku-25さんこそ、レッテル貼りという名の「人身攻撃」を繰り返していらっしゃるのではないでしょうか。Kyoyaku-25さんは「再三注意申し上げたのに未だに人身攻撃を繰り返されているようで」とも仰っていますが、そもそも私が「人身攻撃」をしてきたと主張しているのはKyoyaku-25さんのみです(現に私はそのことが理由でブロックされたこともございませんし、第三者に「人身攻撃」の過去を確認されたこともありません)。レッテル貼りや人身攻撃に終始するのはやめて、議題について誠実かつ冷静に対応してくださるよう要請します。--210.4.242.26 2016年8月13日 (土) 13:49 (UTC)
- 故人と存命人物とで条件が異なることが分からないということに驚きを隠せません。いのちがある/ないという違いが理解できないのでしょうか?再三注意申し上げたのに未だに人身攻撃を繰り返されているようで残念です。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月12日 (金) 22:03 (UTC)
- 故人の場合(例:伊藤博文の「政治家」)であろうが存命人物の場合(例:明石家さんまの「歌手」)であろうが「現職」でないことに変わりはないため、まったく説明になっていません。「条件が大きく異な」るというのであれば、まずはその「条件」の違いを提示した上で、なぜ「現職でないものには『元』を付けなければならない」というルールを故人には適用外とするかを説明する必要がありますが、Kyoyaku-25さんからは未だ説明されておりません。また、「人物の主な活動を記載する」のだから「元」は不要であると判断するならば、例えばタモリが「作詞家」「作曲家」、明石家さんまが「歌手」として「活動」したことは、伊藤博文が「政治家」として「活動」したことと同様に史実なので、やはり「現職でないものには『元』を付けなければならない」という従来の主張と齟齬を来します。これでは、Kyoyaku-25さんの主張はダブルスタンダードであると指摘されても致し方ないでしょう。--210.4.242.26 2016年8月12日 (金) 15:17 (UTC)
- 報告210.4.242.26さんは再度一週間のブロックとなりました。私としましては、210.4.242.26さんの議論姿勢について大いに疑問を感じるので然るべき対応をすべきと考えております。--Kyoyaku-25(会話) 2016年8月17日 (水) 20:09 (UTC)
人物伝の導入部の「例」に対しての提案。
現在の「2 導入部」の「「2.1 例」」は、同じく導入部の「2.3 生年月日・没年月日」が反映されてなく、2008年3月31日 (月) 23:02の版のスタイルにするのはどうでしょうか?また、「例」の位置を、「2.1」から「2.6」にした方が、注意事項を読み飛ばす事無く、スタイルを提示する事ができるのではないでしょうか?--Resto1578 2008年4月7日 (月) 15:57 (UTC)リンクを修正・追加させていただきました--Dark Eyes 2008年4月12日 (土) 05:26 (UTC)
- 定義文の( )内が長くなり過ぎるのは、可読性の面からよろしくないと思います。また現代日本の人物の例に和暦を併記するかどうかについて、両例を挙げていた元の例示の方が適切であると思います。「2.3 生年月日・没年月日」で グレゴリオ暦かユリウス暦かを明記することが望ましい とされているのは グレゴリオ暦とユリウス暦との境界をまたいで生存していた人物 のみですので、反映するとしても徳川家康の例にのみグレゴリオ暦とユリウス暦の字句を追加するのが適切でしょう(英語版では記事ごとにいちいち "Julian calendar" とか書かれてはいないようなので明記の必要性も疑問ですが)。またこの問題について変更するならば、生没年月日に限らず年月日の表記について、スタイルマニュアルなどでの全体的な議論が望ましい気もします。例の節にあれこれ説明文を書いたり例の位置を変えたりする事については、(好みの問題でしょうが)元の方が理解しやすく感じます。--Dark Eyes 2008年4月12日 (土) 05:26 (UTC)
一つの項目に複数人物の伝記がある場合のスタイルマニュアルとの整合性について
具体的には「茶屋四郎次郎」という項目で起こっている話ですが、代々当主で同じ名前を名乗っているため一つの項目の下に複数の人物の伝記が箇条書きで書かれています。この箇所について、利用者:Noir氏によってHelp:箇条書きルールに則り箇条書きの体裁が何回か変更されているのですが(→1、2)、「;」を使った箇条書きの場合、その項目全体が太字になってしまい、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部の
- 最初に記載する名前のみ太字
- 読み仮名、生年月日は標準体
というルールに反しています。こういう場合、どちらのルールを優先すべきでしょうか。それとも全く別の書き方を適用するべきなのでしょうか。判断できないため、ご意見をよろしくお願いします。--こぶまき 2008年9月26日 (金) 06:02 (UTC)
実名と世間で普及している俗称や別名が違う場合についての扱い
16番目の話題とちょっと被るのですが、現在「立花道雪」などのノートでどうするべきか悩んでいるのですが、実際に史上で扱われていたり、名乗っていた名前より、後世に別のメディア展開や伝聞などで実際には名乗っていない名前や、創作されて普及した呼称が有名になってしまった人物の項目のタイトルを「史実に忠実」にするべきか「世間で有名なもの」を優先するべきか、御意見を伺いたいです。複数の名前・呼称が実際にある人物(改名を繰り返した人物)などは、一番世間で著名である呼び名で構わないと思うのですが、実際に本人はそのように名乗ってはいないにも関わらず、後世に世間の人が講談などで付け足し・改名したり、間違って伝わった呼称が定着してしまったケースについて、どう扱うべきでしょうか?現在のところ、その辺の定義が曖昧で、「メジャーでなくとも史実に沿った名前」にされているケースと、「史実ではないが、世間で普及している名前」にされているケースが分かれていると思います。この辺の扱いはどうしたらいいのでしょうか?--ポテンシャル0 2008年10月15日 (水) 14:05 (UTC)
- 結論から申し上げますと、決着が付いていない問題です。上の「実際の姓名より、名前+官職名の方が有名な人物についての取り扱い」でも、またそれ以前から(Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)/archive 03#問題提起しろと言われたのでやノート:高山右近など)話題にされてはおりますが決定打となる方針は出ておりません。ただ、現状の流れとしましては、通常政治的な人物に関しては「苗字+諱」、文化的な人物は「苗字+号」、諱が不明或いは複数説あって決め手がない場合は「苗字+通称」、その他ケース・バイ・ケースという「雰囲気」で運用されているように思います。例外は明治維新期の人物ですが(例:坂本龍馬、高杉晋作など。高杉晋作に至っては諱からのリダイレクトすらない)これは同時期に活躍した明治まで生きた人たちが通称を戸籍名にしている場合があることからも、ある程度はしょうがないと思います。「立花道雪」に関しては、ノート:真田信繁、ノート:真田幸村も参考にしてみて下さい。--ろう(Law soma) D C 2009年1月28日 (水) 03:47 (UTC)
英語読みが広く使われている非英語圏の人物について
ややこしい質問で恐縮ですが、「非英語圏出身で、英語圏で著名な活動をし、その後祖国に戻った人物」の記事名で悩んでいます。Ivan Kralというチェコ(当時チェコスロバキア)出身のミュージシャンがいますが、彼はアメリカで著名な活動(パティ・スミスのバック・バンド等)をした後、チェコに戻りました。原語を尊重するなら「イヴァン・クラール」または「イワン・クラール」なのでしょうが、アメリカでの活動が長かったこともあり、日本語の各種ウェブサイトや活字資料(パティ・スミスの日本盤CDライナー等)では「アイヴァン・クラール」表記の方が圧倒的に多いという現状で、クラール氏の個人名義の作品が日本のレコード・レーベルから発売されていないこともあり、どちらを記事名とすべきか迷っています。知恵を拝借できればと思います。--Ikespirit 2009年3月22日 (日) 09:17 (UTC)
- 日本語版ウィキペディアでは、日本語話者にとって最もよく知られた名称・表記(今回の場合は英語的発音に基づく表記)で立項するのが適切かと思いますが、その他にも知られた名称や表記がある場合は、それらについてはリダイレクトを作成すればなおよいのではないでしょうか。--Horlicks 2009年3月22日 (日) 10:13 (UTC)
- ありがとうございます。とりあえず今回は、「最も広く使われている日本語表記」ということでアイヴァン・クラールとして作成しました。--Ikespirit 2009年3月23日 (月) 08:12 (UTC)
肖像のリンクについて
日本のウィキの場合、肖像については権利を厳格に適用して、人物画像をアップしにくい状況にありますが、その分、画像のリンクを設定することは前向きに認められてしかるべきと考えますがいかがでしょうか。--天気予報 2009年5月20日 (水) 11:19 (UTC)
議論の告知
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 人物伝#性別の記述において人物伝において性別の表記はどうあるべきかについて議論しております。職業によって性別が必要か不要かを決めるのはWikipedia:中立的な観点に反すると考えて問題提起しました。皆さん、議論に参加してください。なお参考までにかつてこのテーマで議論されていたWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)/archive 03、Wikipedia:井戸端/subj/職業と性別の書き方及びWikipedia:井戸端/subj/声優の性別についても参照して下さい(但し、いずれのページでも結論は出ていません)。--コバルトブルーとターコイズブルー 2009年7月26日 (日) 14:58 (UTC)
「日本の」は不要だと思います
- ここでいいのかどうか分かりませんが、日本人の記述にいちいち「日本の」とつけるのは不要でしょう。西洋諸国の場合、アルファベットだし、複数国を移動する人も多いので、「オーストリアの」などと書いてあるのであり、日本語で明らかに日本人らしい人名の場合、「日本の」をいちいちつけるのは醜悪ですらあると思います。--以上の署名のないコメントは、121.92.81.252(会話/Whois)さんが 2011-09-28T19:38:44 に投稿したものです(Horlicksによる付記)。
- それについてはちゃんとした理由があります。「Wikipedia:日本中心にならないように」と「Wikipedia:中立的な観点」をまずご覧ください。個人的な好みでいえば、私自身も文章的にあまり美しくないなぁとは思うのですが、百科事典的な観点で必要なことだと理解していただければと思います。また、これに関連して過去にこのような議論もありましたのでご参考まで。「Wikipedia:井戸端/subj/日本POV・現代POVはダメなのよ」--Horlicks 2011年9月28日 (水) 15:14 (UTC)
- コメント「日本の」が必要なんですが、「日本」をウィキリンクすべきではないものだと思う。国名等は記事に重要ではない場合には、リンクすべきでないものにより、単なる日本語の単語をリンクすべきではないし、英語版のWP:OVERLINKにより、「the names of major geographic features and locations; languages; religions; common occupations; and pre- and post-nominals」等もリンクすべきではないものだと思う。-Marchjuly(会話) 2014年2月24日 (月) 05:10 (UTC)
- コメント Category:大相撲力士のような存在に対して、外国人力士もおりますが、日本の大相撲力士とするのは不適切であると思います。○○県出身の大相撲力士、モンゴル出身の大相撲力士といった表現で十分でしょう。日本の俳優といった表現があった場合、日本を代表するような俳優である印象を受けるので、個人的には出身都道府県がわかっている場合は、東京都出身の俳優といった方が良いように思います。ただ大相撲力士などと異なり、出身都道府県が本人にとってそれほど重要なものではないケースが多そうですが。--Tiyoringo(会話) 2014年2月25日 (火) 11:11 (UTC)
- 返信 (Tiyoringoさん宛) ご回答ありがとうございます。ご説明のとおり、「日本の」は必要だと思いますが、「日本の」は必要ではいないと思う。しかし、私はまだウィキペディアの初心者なので分からないことが多く、毎日勉強になります。 感謝- Marchjuly(会話) 2014年2月25日 (火) 12:20 (UTC)
親族に関する記述について
人物記事において、「関連項目」や「親族」などの項目で親戚の名前が記載されていますが、どこまでの範囲を含むかといった基準はこれまでにどこかで決まっているのでしょうか?
例えば松岡陽子マックレインの親族の項など、夏目家の人物記事では従姪孫などまでが記載されていますが、個人的には過剰な羅列になっているのではないかと感じております。仮に同等の範囲まで他の記事で記載すると、王族や皇族の人物記事などで膨大なリストが各記事に生じるのではないでしょうか?また、近藤廉平などのように子の配偶者の親を書いている例についても、同様に感じております。
もちろん、両親や兄弟、配偶者などについては(独立した項の有無に関わらず)記載する蓋然性があると思います。以上について、どなたか過去の議論の場所やご見解をお教え頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。--Okapia2 2012年2月6日 (月) 06:17 (UTC)
- 日本人のケースと外国人のケースなどでも少し異なるように思いますが、基本的には二親等ぐらいまでで十分なのではないでしょうか。政治家などで、おじ、おいなどの後継者となっているケースなどの記述は必要でしょうけれども。たとえ事実だとしても、信頼できる情報源で、その人物を説明する際に説明として用いられる常識的範囲以上に羅列する必要はないように思います。--Tiyoringo 2012年2月6日 (月) 06:50 (UTC)
- Tiyoringoさん、ご意見を頂きましてありがとうございました。おっしゃるような目安は私も妥当だと思います。引き続き(取り合えず2ヶ月程度)ご意見などをお待ちしておりますので、他の方々もよろしくお願いいたします。--Okapia2 2012年2月8日 (水) 14:16 (UTC)
- ちょっと補足しておきます。日本人と外国人のケースについて書いたのは、日本人の場合や日本在住の場合、特にプライバシーに注意する必要からです。--Tiyoringo 2012年2月8日 (水) 14:50 (UTC)
性別の表記
導入部に「性別」を表記することを促すよう提案します。日本語話者であれば、記事名などの氏名からご本人の性別を類推することで記事を読むのにそれほど不便は感じないのでしょうが、日本語版から他言語版への翻訳時や日本語初学者が日本語版の記事を読む場合には困難が予想されます。また、日本語の氏名であっても男女共に用いられる名前や、アーティスト名などでは性別が判断できないものも多くあります。記事内に婚姻状況や出産といった情報があれば性別が判断できるの場合があるのですが、常にそのような記述があるわけではありませんし、記事を全て読み終えても性別すら不明な時の落胆は(私には)大きいものです。特に学者や公務員などでは、記事内の外部リンクや他のWebページなどを検索しても、性別や顔写真などが見当たらないこともよくあります。生年の表記から年齢は明らかなのですから、Wikipediaへの記載が妥当な特筆性を有する人物の性別が秘匿すべき個人情報ではないと考えます。おそらく本ガイドラインも英語版からの翻訳によって作成されたのでしょうが、英語では"He"や"She"が文章中に用いられるために特段の性別表記を求める必要は無かったのに対して、日本語では本文中でも氏名や役職名だけで主語を形成して「彼」や「彼女」はあまり用いられないようであり、他言語版との言語的な差異として本ガイドライン上に加える必要があると考えます。一般的な事典類でも性別の表記が成されていないものがあるので気になりますが、性別を記載することで性差別を助長するという考えや性別の表記は文化的ではないといった判断があったのでしょうか?
具体的な提案としては「2.人物の生年月日…」の最後に「、(名前から判断できない場合は)性別」を加えておき、それに続く「生年月日・没年月日」節の節名を「生年月日・没年月日・性別」節に変えて、その末尾に「記事本文でご本人の性別に関する記述がない場合は、可能な限り導入部で性別を明示するようにしてください」とします。また、私見ながら、「例」の中の「シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール」と「斉明天皇」は、没年の後に「、男性」と「、女性」をそれぞれ加えるのも良いかと考えます。
名前から判断するのはあいまいなので、性別表記は付けるなら付ける/付けないなら全て付けないようにすべきだ……とか、導入部は簡潔であらねばならず男性や女性といった語句は導入部の最初には加えずに本文中で明示することのみ推奨すべきだ……といった多様なご意見があろうかと思います。皆様のお考えをお聞かせ下さい。--Shigeru23 2012年2月9日 (木) 21:08 (UTC)
- 過去の議論についてはWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)/archive 03#男性か女性かをご参照願います。Shigeru23さんの提案に関しては、私は反対です。「可能な限り導入部で性別を明示する」という部分が強制力を発揮して、延々と性別を付ける作業を繰り返す利用者の登場が心配だからです。--Shinya1739(会話) 2012年7月22日 (日) 16:55 (UTC)
- 昔から何度も議論になった話ですね。しかし、この議論に入る前に、記事「性別」をご一読いただくべきかと思います。性別は「男性」と「女性」で完全に2分できるものではないのです。性染色体による性別、肉体的特徴による性別、戸籍上の性別、性自認による性別、社会生活上の性別、その他さまざまなものがあり、すべての人がすべてにおいて男女どちらかの性に統一されているとは限りません。また、男女に区分することが難しい性別のあり方も存在します。そういったことを踏まえると、人物の記事において、各個人ごとに「男性」「女性」のいずれか一方のみを必ず記述する、ということは、その人物の説明として不適切である場合もあり得る、ということを考えなければなりません。著名なところでは、たとえば椿姫彩菜さん、はるな愛さん、中村中さんなどを考えていただければわかるかと思います。--Horlicks(会話) 2012年7月23日 (月) 18:00 (UTC)
- その話題は脇道だと思います。一意に決まらない人物が存在するということでは生没年もそうだし、読みですらそうです。肩書きももちろんそうです。だからといってこれらを冒頭部に書くべきでないかというとそんなことはないはずです。ここでは、ほぼ問題なく一意に決まる場合においてどうするかということだと思います。いずれか一方のみを記述すると不適切な場合は適切な記述をすればよいだけです。--КОЛЯ 会話 2012年7月23日 (月) 19:05 (UTC)
- 昔から何度も議論になった話ですね。しかし、この議論に入る前に、記事「性別」をご一読いただくべきかと思います。性別は「男性」と「女性」で完全に2分できるものではないのです。性染色体による性別、肉体的特徴による性別、戸籍上の性別、性自認による性別、社会生活上の性別、その他さまざまなものがあり、すべての人がすべてにおいて男女どちらかの性に統一されているとは限りません。また、男女に区分することが難しい性別のあり方も存在します。そういったことを踏まえると、人物の記事において、各個人ごとに「男性」「女性」のいずれか一方のみを必ず記述する、ということは、その人物の説明として不適切である場合もあり得る、ということを考えなければなりません。著名なところでは、たとえば椿姫彩菜さん、はるな愛さん、中村中さんなどを考えていただければわかるかと思います。--Horlicks(会話) 2012年7月23日 (月) 18:00 (UTC)
- 脇道ということはありません。そもそも「性別とは何か」ということを正しく理解し、それを踏まえたうえでなければ「性別を記載するべきかどうか」を論じることはできません。『だからといってこれらを冒頭部に書くべきでないかというとそんなことはないはずです』とのことですが、私はそんな主張をしているわけではありませんので、早とちりしないで、趣旨をちゃんとお読みいただきたいと思います。「性別」の定義そのものが「ある個人において男性または女性のいずれか」といえるものではない、という理解を踏まえる必要がある、ということです。ある人物の性別を、だれが、どのような基準で確定するのか、それじたいが曖昧なのです、という指摘です。これはGIDに限らず、あらゆる人に当てはまる話なので、「GIDは例外だからそれは脇に置いておけ」で済む話ではないのです。--Horlicks(会話) 2012年7月24日 (火) 14:13 (UTC)
- お答えします。「あらゆる人に当てはまる話」とのことですが、前回明らかにそのような主張はされていませんね。もしそういう原理的な主張なのであれば「また、男女に区分することが難しい」以下の記述は全く余計です。しかし仮にそういうお話だとしましょうか。するとやはりそういう「そもそも論」は執筆上の議論として益がないと言わざるを得ません。あらゆる言語表現に「そもそも」統一できない要素があるからです。--КОЛЯ 会話 2012年7月24日 (火) 15:35 (UTC)
- お答えを求めた覚えはないです。『前回明らかにそのような主張はされていませんね』いいえ。明確に『性別は「男性」と「女性」で完全に2分できるものではないのです。』と一番最初から書いています。主張していないのではなく、あなたがそう読み取らなかった、というだけではないかと思います。『以下の記述は全く余計です。』何に対して「余計」なのでしょうか?「そのようなことは書かなくともだれでも理解できることだから書く必要がない」という意味でしょうか?「同じことの繰り返しだから冗長であり無駄」という意味でしょうか?どちらも違うような気がします。もし「私を納得させる情報ではない」という意味なら、それはすでに指摘した通り、あなたの読み取りに誤りがあったためですので、正しく読み取っていただければ「余計」ではないと思います。
- もう一度言いますが、だれかが「男性」「女性」という記述をするからには、検証可能性のある客観的な情報として「男性」「女性」といえる必要があり、基準が必要になります。その基準は何でしょうか?染色体でしょうか?では歴史上の人物の染色体の情報を検証可能な方法で示すことができますでしょうか?戸籍でしょうか?戸籍がない地域や時代の人はどうなるのでしょうか?他人がどう認識したか、でしょうか?では性自認は性別に影響しないことになりますね。そういうことを考えていくと、「この人は男性」「この人は女性」と全員に書くようにすべき、というのは簡単に行かない問題ということがわかると思います。だれがどういう基準で性別を決めるのか、独自研究にならない、検証可能性が担保された方法があるなら別なのですが。前回の議論でも言われていることですが「すべてに記述すべき」の反対は「すべて記述すべきではない」ではないので、記述する必要があって、検証可能性が担保されるなら記述してよいでしょうけど、すべてに、ということになるとそれでは済まない問題がいろいろ出てきますよ、そういうことも考えないといけないでしょう、と、視点・観点を提供しているわけで、「そんなのは反対の理由にならん」みたいな反応をされるのはたいへん心外です。--Horlicks(会話) 2012年7月25日 (水) 12:10 (UTC)
- 心外でしょうが、仕方がありません。まさか「検証可能な客観的情報は存在しない」と主張されたいわけではないでしょう。もしそうだとしたら、あらゆる記事のあらゆる情報に、そんな「客観的情報」など存在しないことになってしまいます。--КОЛЯ 会話 2012年7月25日 (水) 14:17 (UTC)
- お答えします。「あらゆる人に当てはまる話」とのことですが、前回明らかにそのような主張はされていませんね。もしそういう原理的な主張なのであれば「また、男女に区分することが難しい」以下の記述は全く余計です。しかし仮にそういうお話だとしましょうか。するとやはりそういう「そもそも論」は執筆上の議論として益がないと言わざるを得ません。あらゆる言語表現に「そもそも」統一できない要素があるからです。--КОЛЯ 会話 2012年7月24日 (火) 15:35 (UTC)
- 脇道ということはありません。そもそも「性別とは何か」ということを正しく理解し、それを踏まえたうえでなければ「性別を記載するべきかどうか」を論じることはできません。『だからといってこれらを冒頭部に書くべきでないかというとそんなことはないはずです』とのことですが、私はそんな主張をしているわけではありませんので、早とちりしないで、趣旨をちゃんとお読みいただきたいと思います。「性別」の定義そのものが「ある個人において男性または女性のいずれか」といえるものではない、という理解を踏まえる必要がある、ということです。ある人物の性別を、だれが、どのような基準で確定するのか、それじたいが曖昧なのです、という指摘です。これはGIDに限らず、あらゆる人に当てはまる話なので、「GIDは例外だからそれは脇に置いておけ」で済む話ではないのです。--Horlicks(会話) 2012年7月24日 (火) 14:13 (UTC)
- 導入部に書く方式は避けた方がよいと思います。理由は導入部は簡潔な方がよいこと、文章上の冗長表現を避けたいこと(例:○○は日本の女性の小説家)からです。また、本文中においても基本的に義務乃至推奨の形にはしない方がよいと思います。理由としては、グレーゾーンの方々の表記が難しいことなどが挙げられます。性別があった方がよい場合には、(支障がなければ)自然な形で本文中で書けばよいとも思いますが、少なくとも強制力は持たせない方がよいのではないでしょうか。人称代名詞の性別がない言語の場合、自然な形で書くのは難しいかもしれませんが、それは「○○は××の長男として出生」などと書けばよいだけだと思います。--ろう(Law soma) D C 2012年7月24日 (火) 02:54 (UTC)
- 私もろう(Law soma)さんの意見に賛成です。特に声優の記事は導入部が「○○は日本の男性声優」「○○は日本の女性声優」となっている記事が多く、正直うざいとしか思えません。私は「声ヲタは性別を導入部に記入しないとその声優の性別が判らない位頭が悪いのか?」とさえ思います。政治家や学者の記事から性別を除去しているユーザーも数名いますが、そのユーザーたちも声優の記事については放置しているようです。この件についてはWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)/archive 03やWikipedia:井戸端/subj/職業と性別の書き方、Wikipedia:井戸端/subj/声優の性別についてやプロジェクト‐ノート:人物伝#性別の記述等でも議論されていますので(但しいずれの議論も結論は出ておりません)、この議論を提案されたShigeru23さんは参考までに上にリンクを貼った4つの議論をお読みになるのもよいかと思います。--116.80.59.221 2013年5月15日 (水) 15:43 (UTC)
年譜形式の経歴を非推奨と明記する提案
プロジェクト:作家で同様の提案を以前行ったのですが、年譜(のみ)の伝記的記述を推奨しない点を明記することを提案します。具体的には、表ページに「本文」くらいの節を設けて
- 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で執筆してください。年譜形式は推奨されません。ただし、学歴・職歴や受賞歴を別途まとめる場合や、伝記本文とは別に簡便な年表を設けることは否定されていません。その場合も年譜のほうが記事の主体とならないようにしてください。
というような文をおきます。
また伝記部分が年譜になっている記事に修正を促すテンプレートの作成を考えています。--頭痛(会話) 2013年2月17日 (日) 18:27 (UTC)
- 提案自体には賛成なのですが、テンプレートはどのようなものを考えていますか?単に貼られたらマークアップだけを止めれば良いというようなタグであれば作成する意味はない気がします。問題は年譜形式だと文章が簡素になりすぎて伝記としては情報が不十分になることでしょうから、伝記本文が不十分であることを強調できた方が良いかと思います。--半保護用(会話) 2013年2月19日 (火) 11:15 (UTC)
- 年譜形式であるかどうかなので、箇条書きのマークアップを使っているかどうかは関係ありません。その点はテンプレートの説明文に書こうと考えていました。テンプレートの本文は
- 年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。
- くらいのものを考えています。私は年譜の問題はどちらかといえば「雑多な内容の箇条書き」と同じで瑣末な事柄まで詰め込めてしまうことにあると思います。内容が不十分なものは単に節スタブでも貼れば済むことなので。--頭痛(会話) 2013年2月20日 (水) 20:01 (UTC)
- 確かに{{節スタブ}}と併用すれば伝記部分が不足している記事にも応用できそうですので、賛成します。--半保護用(会話) 2013年2月21日 (木) 10:23 (UTC)
- 年譜形式であるかどうかなので、箇条書きのマークアップを使っているかどうかは関係ありません。その点はテンプレートの説明文に書こうと考えていました。テンプレートの本文は
賛成です。そもそもが、事典の記事にもかかわらず内容が年表/年譜というのは、かなり問題です。なかには、「見やすいから」という理由で、文章形式をわざわざ年譜形式に書き換えてしまう輩もいて、困ってしまいますorz。ある意味「常識」なのですが、悲しいかな、やはり明文化しないとダメみたいですね。--Ashtray (talk) 2013年2月21日 (木) 12:55 (UTC)
本来百科事典の形式としての常識であると思う点も含め、Ashtrayさんと全く同意見です。--ろう(Law soma) 話 歴 2013年2月21日 (木) 23:57 (UTC)
基本的に文章とするべきというのは同意します。一方、発展段階の記事では、加筆がしやすく、情報源との対応付けもやりやすいという面があるとも思います。それを最終的に整理して、記事の体裁にする。そうした手法を明文で認めると、記述を冗長にしたり、好ましくない編集を助長したりしてしまう可能性があるとは思います。しかし、たとえば、年譜の部分をただ単に除去してしまったり、ほとんどが年譜のみだからといって削除依頼を出してしまったり、あるいは、そうした加筆をする人に、厳しすぎる対応をしたりということは、この修正が意図するものではないということは、この議論の中で確認しておいて欲しいと思いました。--Ks aka 98(会話) 2013年2月22日 (金) 12:47 (UTC)
- 基本的にはWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けると同じことだと思います。年譜形式だからと言って除去や削除を求めるものではない、ということは上の文章に付け加えておいたほうがよさそうですね。--頭痛(会話) 2013年2月24日 (日) 23:08 (UTC)
本文に反映させました[1]。同時にTemplate:年譜のみの経歴を作りました。なにか修正すべきところがありましたらご意見をお願いします。特になければテンプレートはこのまま使い始めるつもりです。--頭痛(会話) 2013年3月2日 (土) 16:11 (UTC)
敬称「Sir」について、問題を孕む記述の除去を提案します
敬称の扱いについての例示には、「人物が敬称で呼ばれる場合は第1段落中で紹介するべきです。ただし、あくまで紹介にとどめて、本文を敬称で書かないようにしてください。 例えば:」という記述に続けて、
- Sir(卿またはサー)- チャーチル卿
が挙げられています。これにはいくつかの疑問があります。
- まず、Sir は、姓につけるのではなく、名に付けるのが原則であり、「Sir Winston」や「Sir Winston Churchill」とはいえても、「Sir Churchill」という形では用いません。
- Sir の訳語として「卿」を用いるのは適切とはいえません。仮にそのような翻訳の例があるとしても、例外的なものかと思います。通常、「卿」と訳されることが多いのは「Lord」です。「卿」にも、「主に騎士(ナイト)に対する敬称であるサー(Sir) の訳語として用いられる場合もしばしば見られるが、Lord との混同を招く用法であり適切ではない。」という記述があります。
もし、「Sir」の例を残したいのであれば、例えば次のようにすべきでしょう。
- Sir(サー)- サー・ポール・マッカートニー
「卿」の例を残したいのであれば、
- Lord(ロード、卿)- バイロン卿(ロード・バイロン、男爵であったジョージ・ゴードン・バイロンの通称)
などとすべきではないかと思います。
とりあえず、誤解を生じる虞れが大きいと考えますので、要検証範囲をつけた部分の除去について提案し、ご意見をうかがいたいと思います。特にご異論がなければ、1週間程度で要検証範囲箇所を除去します。その後、どのような記述を残すべきかについては、別途議論していただければよろしいものと考えております。--山田晴通(会話) 2014年11月18日 (火) 08:26 (UTC)
- 特にご意見がないまま10日以上が経過しましたので、要検証範囲を付した部分を除去しました。--山田晴通(会話) 2014年11月29日 (土) 06:01 (UTC)
概要節について
私が記事を書くとき、結構悩むのが概要節の扱いです。特に人物伝はこれまであまり手がけてきていないので、概要節を入れるべきなのかどうか悩みます。現在手がけている記事の完成が見えてきたこともあり、概要節の必要性について皆様のご意見を伺えればと思います。私の個人的意見としては、概要節の必要性はさほど高くないのではと考えています。人物伝では冒頭部の説明と概要節とが被ってしまう部分が大きく、例えば英語版の長大な人物伝を見ても特に概要節は記載されていないようです。皆様のご意見をお聞かせいただければと思います。--のりまき(会話) 2015年8月2日 (日) 09:39 (UTC)
- Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#「概要」節を作る場合に書かれていますように、概要節は「特に長大な記事の場合に作ることが認められている」だけであって、長大な記事であっても必ず作らなければならないということは全くありません。ほとんどの場合は導入部に十分な情報が書かれていればそれでよく、概要節が必要になるようなケースはほとんど無いと思います。--重陽(会話) 2015年8月2日 (日) 22:30 (UTC)
- 重陽さんどうもありがとうございました。ご連絡が少々遅れて失礼しました。現在執筆中の記事については、一応冒頭部分で人物についての概略説明を行い、概要節は設けない方法で書いてみようかと思います。--のりまき(会話) 2015年8月8日 (土) 04:50 (UTC)
冒頭の重複記述の改善提案
2006年4月14日18:35より、ガイドラインテンプレートが貼られ、もう9年半も、守るべきという二重の説明となっています。ガイドラインの書き方であるWikipedia:方針とガイドライン#内容は、2011年に追加されていますが、他のガイドラインとの重複を避けるように言っています。ですので、重複した文章で多く占めるのではなく、本来の説明で使った方が分かりやすいということです。また導入部のガイドラインを反映するということがあります。修正範囲は、ガイドラインのテンプレート以降、項目名の節までです。以下修正案です。
人物についての記事のスタイルマニュアルです。導入部の第1段落にて、名前、生没日時、国籍や地域、主な活動によって人物を定義し、別名を紹介し、実際の主な活躍によって特筆性も定めます。続いて導入部では、記事本文の重要な側面を要約し、小さな百科事典の記事とすることで、その人物への興味をそそるようにします。冒頭での敬称の紹介を除いて、敬称は用いません。記事本文は、通常は年譜形式ではなく、まとまった文章による執筆が推奨されています。Wikipedia:存命人物の伝記の方針にも気をつけ、特に否定的な情報の記述は、信頼性の高い参考資料を必要とします。
Wikipedia:記事名の付け方を参考にします。未執筆の赤リンクの表記についても同様です。
- 記事名(ここは実際には節です)
--タバコはマーダー(会話) 2015年10月12日 (月) 21:53 (UTC)
- 反映しました。ついでに「本文」の語を、適宜修正しました。--タバコはマーダー(会話) 2015年10月20日 (火) 21:25 (UTC)
過剰な例の減量
小泉 純一郎の例は、固有名詞であるにもかかわらず、定義しかなく漠然としており、何をなして知られているのかが分からないため例として不適切です。例示されている基準の「人物の主な活動(政治家・作家・学者など)」は満たしているが、「人物がどうして重要か(主な活躍を記載する)」を満たしていません。例が多いとは思っていましたので、異論がなければ、1週間後に削除します。--タバコはマーダー(会話) 2015年11月11日 (水) 07:40 (UTC)
- 反映しました。--タバコはマーダー(会話) 2015年11月18日 (水) 09:07 (UTC)
第1段落以降という節の追加
「導入部」節に、以下を追加します。人物伝に辞書の定義のような導入部もまだ多く、本文書でも第1段落以降について触れていないので誤解が生じて仕方がないかと思われるためです。
- 第1段落以降には記事の要約を
続いて最初の節が始まるまでに、記事本文の重要な側面を要約し、それ自体が小さな百科事典の記事となるようにします。知りたいことが書いてあるかどうかを簡単に判別できるようにし、またその人物への興味をそそるようにします。百科事典の導入部は、辞書の定義以上のものとなります。
異論がなければ1週間後に追加します。--タバコはマーダー(会話) 2016年2月2日 (火) 15:34 (UTC)
- 反映しました。--タバコはマーダー(会話) 2016年2月10日 (水) 14:41 (UTC)
日本史における導入部の生没年月日について
上の#武士テンプレート使用記事の定義部生没年月日記述についてと内容的には同じ話ですが、あらためて提起しておいたほうがいいかと思いまして。
昨日木下俊忠について、こちらのスタイルマニュアルを確認した上で冒頭の部分に生没年月日を追記したところ、別の方に差し戻されてしまいました。で、改めて確認したところTemplate:基礎情報 武士で「このテンプレートを適用した記事本文の書き出しは、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)とは異なる書式になります。生没年や別名といった基礎情報は、表の方へ移し、重複記載しません。端的に、どのような業績を歴史に残した人物なのかについての説明から始めます。
- テンプレートを使わない場合の例 (スタイルマニュアル準拠)
- 徳川 家康(とくがわ いえやす、天文11年12月26日(1543年1月31日) - 元和2年4月17日(1616年6月1日))は、日本の戦国・安土桃山時代の武将。江戸幕府の初代征夷大将軍として、幕府を長期安定政権とする基礎をつくった。
- テンプレートを使用した場合の例
- 徳川 家康(とくがわ いえやす)は、江戸幕府の初代征夷大将軍として、幕府を長期安定政権とする基礎をつくった人物。」と両方が説明されています。
一方スタイルマニュアルでは「第1段落には次のことを記載すべきです。
- 人物の生年月日と(死亡していれば)没年月日」
- 徳川 家康(とくがわ いえやす、天文11年12月26日(1543年1月31日) - 元和2年4月17日(1616年6月1日))は、日本の戦国・安土桃山時代の武将。江戸幕府の初代征夷大将軍として、幕府を長期安定政権とする基礎をつくった。」となっており、こちらはテンプレートへの言及がない(他にTemplate:基礎情報 公家(例:藤原道長)でも同様)ため、誤解する人が出る可能性があります(恥ずかしながら自分もその一人)しかし、一方で同じ日本史でもTemplate:基礎情報 天皇(例:斉明天皇)などは冒頭で生没年が記載されているので「日本史」として統一されているともいえないようです。
これらについて、こちらの説明を変更するのか、それともあちら(プロジェクト:日本史)にボールを投げるのか、どちらにせよ矛盾のないように変更した方がいいと思うのですが、いかがでしょう。個人的には冒頭で記載されている方が人物伝として統一できてよいと思うのですが、あちらで合意ができていれば難しく、出来てもテンプレート内に「冒頭へ重複して記述しないでください」と追記してもらうくらいでしょうか。--Mercurius(会話) 2016年3月22日 (火) 17:30 (UTC)
- コメント 編集を戻したのは私ですが、私個人は重複ルールにはさほどこだわってませんが、しかし日本史の記述をされている方の何人がテンプレートのルール通りにするように希望されていて、私のものも変更されています。そもそも初版で書いていたのは私です。Mercurius氏の記述は、括弧の使い方も間違っていたので、松茸氏がわざわざ訂正されたものを、あえて間違ったまま放置することもできず、リバートしました。私は重複云々よりも、テンプレートがある場合、左右のバランスが極端に悪い記事を気にするので、左の記述が極端に少ない場合は、生年記述を残しておくことをしています。ルールに則って重複を削除されるのはそれはそれでしょうがないです。--Quark Logo(会話) 2016年3月29日 (火) 10:14 (UTC)
- 返信 年号については確かにこちらの編集が間違っていたようで、その点はこちらに非があります。
- ただ、私が問題にしているのは「編集に文句がある」と言う事ではなく「どちらかのスタイルに従えばいいのか分かり辛いので改善すべきではないか?」と言う事ですね。現状、どっちに従えばいいのか分かり辛いので。個人的にはテンプレートと冒頭の両方にあって良いと思っていますが、どちらか選べと言われたら程度なのでそれほど強い意見ではありません。--Mercurius(会話) 2016年3月29日 (火) 12:49 (UTC)
出身地に関する記述について
明治以降の日本の人物の記述において、出身地が人物概要と来歴と両方に入っている例があります。改善案として、
- 出身地は来歴に統一する。
- 人物概要には都道府県名、来歴には市区町村名まで入れる
というのはどうでしょう?——以上の署名の無いコメントは、日比谷の池ちゃん(ノート・履歴)さんが 2016年9月22日 (木) 09:20 (UTC) に投稿したものです(Nami-ja(凪海) (会話 / 履歴)による付記)。
コメント なぜ明治以降の日本人だけに特定しているのか(Wikipedia:日本中心にならないようにに反する)。別に両方に入っていても、または片方にだけ記載されていてもどちらでもいいように思うが、それをマニュアルで規定しなければならないような重大なことなのだろうか。--Chiba ryo(会話) 2016年9月23日 (金) 19:11 (UTC)
- 返信 貴重なご意見ありがとうございます。
- 別に両方に入っていても、または片方にだけ記載されていてもどちらでもいいということですね。日比谷の池ちゃん
「年譜形式の記述」について
本ガイドラインの本文節では「年譜形式は(箇条書きの書式を取っているか否かに関わらず)推奨されません。」と示されております。ただし「年譜形式」の定義についてまでは示されておりません。
記事「北村滋」において、主題となる北村滋氏(官僚)の経歴が本文に文章として記載されておりますが、IPユーザーによって「Template:年譜のみの経歴」が貼りつけられ(差分)、さらに同じIPユーザーによって「発令人事が羅列されて成文しておらず、雑記にも近似しますので、「Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)#年譜形式の経歴を非推奨と明記する提案」の意を汲み手数を厭わない方の改稿をお願いします。」なる「お願い」が「ノート:北村滋」に記載されている状況です(差分)。
私の本ガイドラインの解釈としては
- 紙の百科事典の人物を主題とする記事で、箇条書きになっていることはなく、必ず文章で書かれている。Wikipediaが「ネット上の百科事典」である以上、本文が箇条書きではおかしいというのが「年譜形式は(箇条書きの書式を取っているか否かに関わらず)推奨されません。」の趣旨であろう。
- よって、年譜形式(箇条書き)になっている本文を、内容はそのままで文章化しただけでも、本ガイドラインに沿った「改善」となる。
- そもそも、官僚を主題とした人物伝の場合、不祥事を起こして解職された人物でもない限り、「北村滋#警察官僚として」のような記述になるのが当然である。
- 現状の記事「[[2]]」は、本ガイドラインに抵触するものではなく、IPユーザー氏の指摘は的外れである。
と考えます。
要するに「年譜形式は(箇条書きの書式を取っているか否かに関わらず)推奨されません。」の解釈の問題かと思いますが、皆様のご意見をお伺いしたく、よろしくお願いします。--Pooh456(会話) 2018年4月14日 (土) 11:32 (UTC)
個別的に問題になっている記事については(面倒なので)目を通さずに一般論を申します。
- 本来、百科事典としてあるべき姿は、個々の単発の事象を時系列に並べるだけのものではないでしょう。それらの因果関係や意義などを解説することで、はじめて読者にとって有意義なものになると思います。ま、たとえば「徳川家康は1543年に誕生した。1566年に従五位下になった。1586年に正三位になった。」みたいに書かれても、あまりよくわからない。かくかくしかじかで、これはこういう理由で…というのが必要。そのために皆、資料を使って頭を使って書いているのです。
- 一般に紀伝体と編年体といいますが、そうやって因果関係などを考慮しながら解説すると、えてして機械的な時系列で書かないほうがわかりやすかったりします。話の流れに直接かかわらない話が途中で割り込んでこないから。
- なので、箇条書きか文章かというよりは、「解説」として成立しているかが問われるのでしょう。箇条書きか文章化の形式に関わりなく、解説になっていないただの事象の羅列は、深い理解にはつながりにくいでしょう。全く役に立たないということはないですし、多少は調べ物の役に立つでしょうけれど。
- 逆に言えばそうした「解説」を適切な高次情報源を使ってじゅうぶんにかけないような主題(人物)の場合には、百科事典に収録するには、まだちと材料不足≒特筆性が小さい、ということになろうかと思います。また、二次資料がないのに勝手に「解説」することは独自研究になりますからNGです。
- 本来は、「官僚の人事異動の発令」のようなものは一次資料に類するもので、それだけを並べられても、記事としてはあまり感心しません。現実的には存命人物の場合には難しいでしょうけど、「なぜこの人物が次にこの地位に異動になったのか」「それによって何が起きたのか」を、きちんとした二次資料に基づいて書ければ、百科事典ぽくなります。そういう情報源ではたいてい、「生涯全体からみて取るに足らない異動」みたいなものは省略されていくでしょう。ただ単に事実であり検証可能であるからといって、書くに値するかどうかは別の話ということです。
- じゅうぶんなボリュームをもって解説が書かれたような記事の場合には、コンパクトな年表を添えることで見通しがよくなるということもあるでしょうから、箇条書き形式それ自体を否定するということでもないです。--柒月例祭(会話) 2018年4月14日 (土) 13:06 (UTC)
上古を中心とした日本の貴人人名の項目名について
「みこと」敬称をもつすべての貴人の項目名について、「プロジェクト‐ノート:神道#貴人記事の項目名変更の提案」において変更提案を行っておりますことをお知らせします。--Aitok I(会話) 2018年7月12日 (木) 19:00 (UTC)
- 報告 この件は「合意成立無し」で終了しましたことを報告いたします。--Aitok I(会話/履歴) 2018年8月9日 (木) 19:09 (UTC)
生没年のカッコの入れ子について
Wikipedia:表記ガイド#括弧類には次のような指示があります。
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ですが、スタイルマニュアル (人物伝)では次のようになっています。
- 徳川 家康(とくがわ いえやす、天文11年(1543年) - 元和2年(1616年))
入れ子のルールからすると、こうするべきのハズです。
- 徳川 家康(とくがわ いえやす、天文11年〈1543年〉 - 元和2年〈1616年〉)
いまさら気にしすぎだと思いますが、従来どおり(和暦(西暦)-和暦(西暦))という入れ子でもいい、ですよね?--柒月例祭(会話) 2019年1月5日 (土) 09:31 (UTC)
- 私は入れ子のルールに則り、生没年も [(和暦〈西暦〉 - 和暦〈西暦〉)] [(西暦〈和暦〉 - 西暦〈和暦〉)] にすべきですね。--24KWY4H9(会話) 2021年11月30日 (火) 13:28 (UTC)
血液型、特に導入部への記載
血液型は意味のない情報、そして日本語話者の一部では差別につながることもあるので記載しないほうが良いと思うのです。特に導入部への記載はやめたほうが良いと思うのですがどうでしょうか?--Hiroshi takahashi(会話) 2019年4月8日 (月) 12:55 (UTC)
生没年いずれかが分からない場合の導入部括弧内の記載方法
生没年いずれかが分からず、おおよその年代も記述されない人物の場合、導入部の括弧内が例えば
- (生年不詳 - XXXX年)
- (XXXX年 - ?)
のような形になり、少なくとも
- ?
- 生年不詳
- 生年未詳
- 生年不明
- 没年不詳
- 没年未詳
- 没年不明
のような形があり得ます。仮に具体的な文言は個別に典拠となる資料に従うとしても、単独のクエスチョンマーク「?」はアクセシビリティーの観点から望ましくないと考えます。こういった場合の書き方の基準を示しておく必要があると存じますがいかがでしょうか。
このほか「生年・没年が正確に分からない場合には、「1600年ごろ」「1600年頃」のように、およその年を書いてください」という現行の記述は「生年・没年が明確でない場合は「1600年ごろ」「1600年頃」のように書いてください」のように修正すべきではないでしょうか。現行の記述を杓子定規に適用すると独自研究になる場合も多いはずです。 --Meme-Meme(会話) 2020年8月2日 (日) 01:24 (UTC)
「第1段落以降には...」の部分
導入部の節の「第1段落以降には記事の要約を」の部分ですが、内容を見ると、第1段落より後のことであることが分かると思います。一応「〇〇以降」という言葉には、それ自体を含める定義もあり、誤解する可能性があるので、「第1段落より後には記事の要約を」などの表記が良いと思いました。--馬刺し太郎(会話) 2022年12月25日 (日) 18:00 (UTC)