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| 育 = 武牧場<ref>{{Cite web|和書|title=2009年10月25日 菊花賞 重賞ウイナーレポート|url=https://uma-furusato.com/winner_info/37041.html |website=競走馬のふるさと案内所 |accessdate=2022-09-23}}</ref>
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'''スリーロールス''' (''Three Rolls'') は、[[日本]][[競走馬]]である。馬名は[[冠名]][[自動車]][[ロールス・ロイス]]から<ref>JRA公式サイトの競走馬検索スリーロールス、馬名意味に基づく</ref>。おもな勝ち鞍は2009年の[[菊花賞]]
'''スリーロールス'''(欧字名:{{Lang|en|Three Rolls}}、[[2006年]][[4月26日]] - )[[日本]][[競走馬]][[種牡馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|和書|title=スリーロールス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000991715/|website=JBISサーチ|accessdate=2021-09-25}}</ref>。

2009年の[[菊花賞]](JpnI)優勝馬である。

[[浜中俊]]騎手、[[武宏平]]調教師、[[永井啓弍]]馬主、[[武牧場]]ら大勢にクラシックのタイトルを初めてもたらした。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[2006年]][[4月26日]]、[[北海道]][[日高郡 (北海道)|日高郡]][[新ひだか町]]の[[武牧場]]で生まれる。場長の山ノ井紀明は牧場時代のスリーロールスを「手が掛からず、かえって印象が薄かった」と語っている<ref>{{Cite news|title=【菊花賞】ロールス牧場時代は印象薄|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2009-10-26|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/kiji/K20091026Z00001490.html|accessdate=2010-1-9}}</ref>。母馬のオーナーであった[[永井啓弐]]が永井商事名義で所有し、母を管理した[[栗東トレーニングセンター]]の[[武宏平]]厩舎へ入厩する。


=== 2歳(2008年) ===
=== デビューまで ===

[[2008年]][[10月26日]]、第4回[[京都競馬場|京都競馬]]第5競走の2歳[[新馬|新馬戦]]にて[[横山典弘]]騎乗でデビュー。このデビュー戦は4着と敗れたが、同じレースにはのちの[[皐月賞]]馬[[アンライバルド]](1着)、[[東京優駿]]2着馬[[リーチザクラウン]](2着)、GI6勝馬[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]](3着)が出走していた。
==== 誕生までの経緯 ====
スリーローマンは、1997年に生産された父[[ブライアンズタイム]]、母アコニットローマンの牝馬である<ref name="JBIS-スリーローマン">{{Cite web|和書|title=スリーローマン|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000315186/|website=JBISサーチ|accessdate=2021-09-25}}</ref>。母のアコニットローマンは1993年の[[東京プリンセス賞]]勝ち馬<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000230417/ |title= アコニットローマン|website=JBISサーチ|accessdate=2022-10-22}}</ref>であり、スリーローマンの半兄には1999年の[[東京王冠賞]]の勝ち馬で、同年の[[ジャパンダートダービー]]2着などの実績を残したオペラハットがいる<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000306863/ |title= オペラハット|website=JBISサーチ|accessdate=2022-10-22}}</ref>。冠名「スズカ」「'''スリー'''」「サンレイ」を用いる[[永井啓弍]]の関連会社の所有、[[栗東トレーニングセンター]]の[[武宏平]]調教師の管理のもと、競走馬としてデビューしていた<ref name="JBIS-スリーローマン" />。永井と武宏平の関係は、[[小林稔 (競馬)|小林稔]]調教師の紹介で結ばれた関係だった<ref name="優駿-2009-12-72">『優駿』2009年12月号 72頁</ref>。デビューしてすぐ、2歳のスリーローマンは、一時400キログラムを割るほどの小柄な馬体をしていたが、時間をかけて逞しくなる<ref name="優駿-2009-12-52">『優駿』2009年12月号 52頁</ref>。4歳夏には460キログラムにまで増やすほどの成長力の持ち主だった<ref name="優駿-2009-12-52" />。成熟した4歳秋には、2001年の[[府中牝馬ステークス]](GIII)では、[[マルカキャンディ]]、[[ティコティコタック]]に次ぐ3着となるまで出世<ref>{{Cite web|和書|title=11R 府中牝馬S|2001年10月14日(日)4回東京4日|url=https://www.jbis.or.jp/race/result/20011014/105/11/ |website=JBISサーチ |accessdate=2022-09-22}}</ref>、GIの[[エリザベス女王杯]]にも出走を果たした<ref>{{Cite web|和書|title=11R エリザベス女王杯|2001年11月11日(日)5回京都4日|url=https://www.jbis.or.jp/race/result/20011111/108/11/ |website=JBISサーチ |accessdate=2022-09-22}}</ref>。

35戦4勝の成績で引退した後は、武宏平の弟の牧場である、北海道[[日高郡 (北海道)|日高郡]][[静内町]]・[[武牧場]]で繁殖牝馬となる。初年度となる2003年は[[ラムタラ]]の仔、2年目は[[アグネスタキオン]]の仔を孕んでいた<ref>{{Cite web|和書|title=繁殖牝馬情報:牝系情報|スリーローマン|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000315186/broodmare/info/|website=JBISサーチ|accessdate=2021-09-25}}</ref>。そして3年目となる2005年の交配相手には、武宏平の「好き<ref name="優駿-2009-12-71">『優駿』2009年12月号 71頁</ref>」な馬であるという理由で強く希望し、1996年の[[菊花賞]]優勝馬である[[ダンスインザダーク]]が選ばれた<ref name="優駿-2009-12-71" />。

==== 幼駒時代 ====
それから1年後の2006年4月26日、北海道日高郡[[新ひだか町]]の武牧場にて、スリーローマンの3番仔である[[鹿毛]]の[[牡馬]](後のスリーロールス)が誕生する<ref name="jbis" />。宏平はこの3番仔の動向を、誕生前から注視していたという<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/01.html |title=【菊花賞】淀で踊った!浜中ロールス! |accessdate=2022-9-22 |newspaper=スポーツニッポン |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091027002200/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/01.html |archivedate=2009-10-27}}</ref>。宏平によれば、父母ともに激しい気性だったが、仔はそれに似ず「おっとりしていて、イレ込まないし(中略)暴れることもない<ref name="優駿-2009-12-71" />」様子であり、体型もダンスインザダークには似ていなかったという<ref name="優駿-2009-12-71" />。

場長の山ノ井紀明によれば「おっとりしていて手の掛からない馬でした。逆に印象がないくらい<ref>{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/horse/2009/10/26/0002470466.shtml |title=【菊花賞】武牧場山ノ井場長、いきなり菊V |accessdate=2022-9-22 |newspaper=デイリースポーツ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091029144615/https://www.daily.co.jp/horse/2009/10/26/0002470466.shtml |archivedate=2009-10-29}}</ref>」「牧場時代は手が掛からず、かえって印象が薄かった<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/03.html |title=【菊花賞】ロールス牧場時代は印象薄 |accessdate=2022-9-22 |newspaper=スポーツニッポン |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091029155816/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/03.html |archivedate=2009-10-29}}</ref>」「本当におっとりした、手のかからかからない馬でしたね。大人しすぎて印象に残っていない<ref>{{Cite news|title=【菊花賞】ロールス生産者「この先がすごい楽しみ」 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/25/kiji/K20091025Z00000680.html |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2022-09-22}}</ref>」と回顧している。幼いころから体は大きかったが、健康で怪我も病気もしなかった<ref name="優駿-2009-12-81">『優駿』2009年12月号 81頁</ref>。育成段階に入っても充実した動きをしていたという<ref name="優駿-2009-12-81" />。
[[ファイル:Keiji-Nagai20100502.jpg|サムネイル|194x194ピクセル|[[永井啓弍]]]]
3番仔は、母同様に永井の所有となる。永井は、これまで[[サイレンススズカ]]で[[宝塚記念]]を、[[スズカマンボ]]で[[天皇賞(春)]]を、[[スズカフェニックス]]で[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]を制していたが、クラシックのタイトルには届いていなかった<ref name="スポニチ-永井">{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/02.html |title=【菊花賞】「スズカ」オーナー念願のクラシック制覇 |accessdate=2022‐9‐22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091029041842/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/02.html |archivedate=2009-10-29}}</ref>。そんな永井は、3番仔に冠名「スリー」に「ロールス」を組み合わせた「'''スリーロールス'''」という競走馬名を与える<ref name="スポニチ-永井" />。「ロールス」とは車「[[ロールス・ロイス・モーター・カーズ|ロールス・ロイス]]」を意味しており、母スリーローマンの「ロ」と永井の生業である自動車業を絡めたネーミングだった<ref name="デイリー-永井">{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/horse/2009/10/26/0002470467.shtml |title=【菊花賞】75歳永井オーナー、初クラシック |accessdate=2022-9-22 |newspaper=デイリースポーツ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091029040130/https://www.daily.co.jp/horse/2009/10/26/0002470467.shtml |archivedate=2009-10-29}}</ref><ref name="スポニチ-永井" />。
[[ファイル:Kohei-Take20100417.jpg|サムネイル|215x215ピクセル|[[武宏平]]]]
競走年齢に達したスリーロールスは、栗東の武宏平厩舎に入厩する。宏平厩舎は、1978年に開業してから、2004年の[[中山大障害]]を制した[[メルシータカオー]]、2007年の中山大障害を制した[[メルシーエイタイム]]という障害GI級競走の勝利こそあった<ref>『優駿』2009年12月号 73頁</ref>。しかし平地GI級競走では、[[ゴールドウェイ]]で臨んだ1984年菊花賞にて、[[シンボリルドルフ]]に4分の3馬身届かず、フェアダンスで臨んだ1996年[[エリザベス女王杯]]にて、[[ダンスパートナー]]にクビ差届かず、いずれも2着で、勝利は挙げられていなかった<ref name="優駿-2009-12-72" /><ref>{{Cite web|和書|title=10R エリザベス女王杯|1996年11月10日(日)5回京都4日|url=https://www.jbis.or.jp/race/result/19961110/108/10/ |website=JBISサーチ |accessdate=2022-09-22}}</ref>。宏平は京都競馬場で生まれており、そこで行われるビッグレース、菊花賞と[[天皇賞(春)]]は勝ちたいという夢を持っていた<ref name="優駿-2009-12-72" />。
[[ファイル:Haruki Sugiyama IMG 0467-2 20181104.jpg|サムネイル|179x179ピクセル|[[杉山晴紀]]]]
厩舎のスリーロールスは、永山良介厩務員、[[杉山晴紀]]調教助手が担当した<ref name="優駿-2009-12-138">『優駿』2009年12月号 138頁</ref><ref name="優駿-2020-10-47">『優駿』2020年10月号 47頁</ref>。永山は、厩務員歴25年超、50代のベテランだったが、重賞はハイブリドーマでの1989年[[阪急杯]]3着(優勝馬:ホリノライデン)が最高で、GI級競走に担当馬を送り込んだことがなかった<ref name="優駿-2009-12-138" />。杉山は、スリーロールスの父ダンスインザダークが制した1996年菊花賞を見て感動したことをきっかけに、サラリーマン家庭のサッカー選手志望から縁のない馬の世界に転じていた<ref>{{Cite news|title=【ジャパンC】杉山晴師 96年菊花賞が人生を決定づけた 中3から乗馬クラブに通って基礎学ぶ |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2020/11/24/kiji/20201123s00004048599000c.html |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2022-09-22 }}</ref><ref name="優駿-2020-10-47" />。杉山は、宏平が病気がちだったこともあり、厩舎運営の代行も一部行っていたという<ref>『優駿』2020年10月号 48頁</ref>。杉山によれば、入厩当初のスリーロールスは動きが鈍かったが、調教を進めるにつれて心肺機能のすばらしさに気づいたという<ref>{{Cite web|和書|title=菊に所縁のあるホースマン人生 杉山晴紀調教師 2年目の躍進に迫る |url=https://www.keibalab.jp/column/interview/1688/ |website=www.keibalab.jp |access-date=2022-09-22 |language=ja}}</ref>。強めの調教をしても息苦しくならなかった<ref>{{Cite news|title=【ジャパンC】杉山晴師、メアドに刻んだスリーロールス G1を勝つ喜び知った |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2020/11/25/kiji/20201124s00004048496000c.html |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2022-09-22 }}</ref>。

=== 競走馬時代 ===

==== 新馬戦の敗北 ====
2008年10月26日、[[京都競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝1800メートル)でデビューとなる。菊花賞当日に設定されていたため、有力騎手が集っており、自動的に評判の良い関西馬が揃っていた。[[アドマイヤオーラ]]や[[アドマイヤジャパン]]の妹にして[[ビワハイジ]]の仔である[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]、優秀な調教タイムを叩き出していた[[リーチザクラウン]]、[[フサイチコンコルド]]の弟である[[アンライバルド]]が一堂に会していた<ref name="優駿-2009-12-50">『優駿』2009年12月号 50頁</ref>。それでも宏平は、デビュー前の調教でポテンシャルを感じ取っており、強い相手と戦おうとあえてこのレースを選択する<ref name="優駿-2009-12-50" />。鞍上には、菊花賞騎乗のために、関西に遠征した関東の[[横山典弘]]を起用していた。上述の3頭が3番人気までを占め、[[内田博幸]]騎乗のエーシンビートロンが4番人気で続いていた<ref name="優駿-2009-12-50" />。その一方で、スリーロールスの人気はなく、49.7倍の8番人気だった<ref name="優駿-2009-12-50" />。

エーシンビートロンが逃げて、それに続く好位の4番手を確保する<ref>{{Cite news|title=【競馬秘宝館】08年菊花賞デー〝伝説の新馬戦〟はなぜ生まれたのか? |url=https://tospo-keiba.jp/reporter-column/4017 |work=東スポ競馬 |access-date=2022-09-22}}</ref>。後方には人気の3頭が追走していた。最終コーナーを4番手で通過したスリーロールスは、直線で先頭に躍り出るべく末脚を発揮し、追い上げ、エーシンビートロンを捉えることはできた<ref name="優駿-2009-12-51">『優駿』2009年12月号 51頁</ref>。しかし、後方から追い込んで来た人気3頭には敵わなかった。アンライバルドやリーチザクラウンには突き放され、ブエナビスタにはすんなり交わされる<ref name="優駿-2009-12-51" />。アンライバルドに約3馬身以上、リーチザクラウンに約2馬身以上、ブエナビスタに1馬身半後れを取る4着となった<ref>{{Cite web|和書|title=5R サラ系2歳 新馬|2008年10月26日(日)4回京都6日|url=https://www.jbis.or.jp/race/result/20081026/108/05/ |website=JBISサーチ |accessdate=2022-09-22}}</ref>。評判の3頭には敵わなかったものの、レース直後には、横山からポテンシャルがあるという報告を受けていた<ref name="優駿-2009-12-51" />。

==== 夏の成長 ====
2戦目の1番人気5着を経て、3戦目に[[福永祐一]]が導き、初勝利を挙げた。その後は、[[中京2歳ステークス]](OP)5着で2歳を終えた。年をまたいで2009年、3歳始動戦の条件戦は4着。そして3月28日には、[[毎日杯]](GIII)で重賞初出走とし、浜中俊が初めて騎乗して臨み、8着となった<ref>『優駿』2009年5月号 102頁</ref>。浜中が続投し、はなみずき賞(500万円以下)2着を経て、5月3日の500万円以下では、ナリタクリスタルらを下して優勝、2勝目を挙げた。この直後、宏平と浜中の間で主戦の約束が結ばれる<ref name="優駿-2009-12-70">『優駿』2009年12月号 70頁</ref>。騎手デビュー3年目、20歳、栗東の[[坂口正大]]厩舎所属の浜中は、武厩舎と坂口厩舎は三軒先にあり、頻繁に顔を合わせる関係だった。この関係から、浜中の主戦起用が決定した<ref name="優駿-2009-12-70" />。

2勝目を挙げた後は、目標を菊花賞に定めて、放牧、夏休みとなる<ref name="優駿-2009-12-70" />。菊花賞を制した父、成長力に富む母から宏平は、本格化は秋以降であると無理はさせなかった。またこの頃はまだ腰が成熟しておらず、夏の間に成長を促す意味合いもあった<ref name="優駿-2009-12-70" />。5月には、脚腰を鍛えるために障害を飛ぶ練習も取り入れていた<ref name="スポニチ-有馬記念前">{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/22/03.html |title=32年目の武厩舎に夢を…スリーロールス最強決戦へ |accessdate=2022-9-22 |newspaper=スポーツニッポン |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091224113602/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/22/03.html |archivedate=2009-12-24}}</ref>。また宏平夫人の洋子によれば、宏平は、菊花賞出走に向け、勝負服を新調するといった行動にも出ていたという<ref>『優駿』2009年12月号 139頁</ref>。

参戦を見送った春のクラシックでは、牝馬限定の[[桜花賞]]をブエナビスタが、[[優駿牝馬]](オークス)もブエナビスタが制し、[[二冠馬|牝馬二冠]]を果たしていた<ref name="優駿-2009-12-51" />。そして主に牡馬が出走する皐月賞を、アンライバルドが制していた<ref name="優駿-2009-12-51" />。それから東京優駿(日本ダービー)では、リーチザクラウンが[[ロジユニヴァース]]に次ぐ2着となっていた<ref name="優駿-2009-12-51" />。新馬戦で先着を許した評判の3頭は、共にクラシックで活躍し、2頭が戴冠まで果たしていた<ref name="優駿-2009-12-51" />。そして続く秋、3頭のうち牡馬の2頭、アンライバルドとリーチザクラウンは、スリーロールスと同じ菊花賞を目指していた。

夏休みを過ごしたスリーロールスは、8月1日に帰厩する。復帰戦の[[新潟競馬場]]の弥彦特別(1000万円以下)では、浜中が他とかち合ったために騎乗できず、新馬戦でエーシンビートロンに騎乗して以来、スリーロールスを認識していた内田が起用され<ref name="優駿-2009-12-71" />、5着だった。それから浜中が舞い戻って9月26日、阪神の野分特別(1000万円以下)に、3番人気で臨む。2番手追走から直線で後続を突き放していた<ref name="ラジオNIKKEI-野分特別" />。相手は「1000万(円以)下としてはかなり強力<ref name="優駿-2009-12-52" />」(岡本光男)だったが、それらに4馬身差をつけて勝利<ref name="ラジオNIKKEI-野分特別">{{Cite news|title=【野分特別】(阪神)~スリーロールスが2番手から抜け出す |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-173571.html |work=競馬実況web|publisher=ラジオNIKKEI |accessdate=2022-09-22}}</ref>。3勝目を挙げて、菊花賞戦線に到達した<ref name="優駿-2009-12-52" />。


==== 菊花賞 ====
その後、3戦目の2歳未勝利戦([[11月30日]])に[[福永祐一]]が騎乗して初勝利を挙げる。
野分特別で3勝目を挙げ、収得賞金1500万円に達したスリーロールスは、続いて菊花賞の出走登録を行う。ただし、収得賞金1500万円では、直ちに出走を叶えることができなかった<ref name="優駿-2009-12-52" />。出走可能頭数である18頭以上の登録があり、トライアル競走で優先出走権を得た数頭を除いた十数頭は、収得賞金が高い馬から順番に出走を決めていた。そんな中、収得賞金1500万円が出走可能、不可能を分かつボーダーとなる<ref name="優駿-2009-12-52" />。収得賞金1500万円の馬は、スリーロールスを含めた7頭をおり、残された出走枠は6つだった。そのため出走馬を決める「7分の6」の抽選が課される。しかしスリーロールスは当選し、出走を叶えた<ref name="優駿-2009-12-52" />。


当日は、雨の予報がなされていた。依然として腰が甘いスリーロールスは、雨の場合不自由な走りになる危険があった<ref name="優駿-2009-12-71" />。そのため宏平は敗北を観念していたが、当日は予報外れて晴れ、良馬場での開催だった<ref name="優駿-2009-12-71" /><ref name="優駿-2009-12-80">『優駿』2009年12月号 80頁</ref>。そんな中、スリーロールスは19.2倍の8番人気に支持される。東京優駿優勝馬のロジユニヴァースは不在だったが、その2着のリーチザクラウン、皐月賞優勝馬のアンライバルド、[[朝日杯フューチュリティステークス]]優勝馬の[[セイウンワンダー]]、さらに前哨戦[[セントライト記念]]優勝馬の[[ナカヤマフェスタ]]、[[神戸新聞杯]]優勝馬の[[イコピコ]]などが揃っていた<ref name="優駿-2009-12-80" />。スリーロールスにとっては、リーチザクラウンとアンライバルドとの新馬戦以来の再戦だった。人気は、リーチザクラウン、イコピコ、アンライバルド、ナカヤマフェスタの順で4番人気までとなり、いずれも単勝オッズ一桁台に推されていた<ref name="優駿-2009-12-80" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=loIyTo92l3o&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2009年 菊花賞(JpnI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}1枠1番のスリーロールスは好スタートを切り、好位を確保する<ref name="優駿-2009-12-52" />。リーチザクラウンが逃げ、ハイペースで先導する展開を追走した<ref name="優駿-2009-12-52" />。大勢は変わらないまま、最終コーナーを通過し、直線では逃げるリーチザクラウンを追いかける形となった。直線では、最内を走るリーチザクラウンの背後から接近する。リーチザクラウンとそれに迫るヤマニンウイスカーの間に割り込み、残り200メートルでリーチザクラウンに並びかけた<ref name="デイリー-浜中">{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/horse/2009/10/26/0002470477.shtml |title=【菊花賞】浜中、初GIV!スリーで獲った |accessdate=2022-9-23 |newspaper=デイリースポーツ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091029155411/https://www.daily.co.jp/horse/2009/10/26/0002470477.shtml |archivedate=2009-10-29}}</ref>。しかしその直後、スリーロールスは[[ターフビジョン]]に驚いて、大きく外に膨れてしまい、先頭を取り損ねた<ref name="デイリー-浜中" />。さらに背後にいた7番人気[[フォゲッタブル]]に膨れた隙を突かれて、接近を許していた<ref name="デイリー-浜中" />。しかし浜中により矯正されると、我を取り戻して前進を再開<ref>{{Cite web|和書|title=【菊花賞】「伝説の新馬戦」から3頭目のクラシック勝ち馬となったスリーロールス/平成乱菊列伝|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=144691 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-09-23 }}</ref>。最内のリーチザクラウンを差し切り、内のフォゲッタブルにも抵抗した<ref name="優駿-2009-12-80" />。フォゲッタブルと鼻面並べての決勝線通過となったが、スリーロールスがハナ差先着を果たした<ref name="優駿-2009-12-80" />。審議のランプが点灯したが、そのまま確定する。
=== 3歳(2009年) ===
[[ファイル:Suguru-Hamanaka.jpg|サムネイル|221x221ピクセル|菊花賞の表彰式]]
しかし1勝目を挙げた後、明け3歳になって重賞競走の[[毎日杯]]を含めて4戦して勝ち星に恵まれず、8戦目となった[[5月3日]]の京都競馬の3歳[[日本の競馬の競走体系#中央競馬|500万下条件戦]]で2勝目を挙げた<ref name=":0">{{Cite news|title=【有馬記念】秋に成長ロールス“トップガンの道”|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2009-12-22|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/22/kiji/K20091222Z00001700.html|accessdate=2010-1-9}}</ref>。2勝目をあげた直後、「本当に良くなるのは秋、ここで無理をさせると成長を阻害する」との陣営の判断で放牧へ出される<ref name=":0" />。また5月からは足腰を鍛えるために障害練習も取り入れた<ref name=":1">{{Cite news|title=32年目の武厩舎に夢を…スリーロールス最強決戦へ|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2009-12-21|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/21/kiji/K20091221Z00000620.html|accessdate=2010-1-9}}</ref>。
重賞初出走でGI級競走初勝利、クラシック戴冠を果たした<ref name="競馬ブック-菊花賞アラカルト" />。前年の[[オウケンブルースリ]]に続いて2年連続で春のクラシック不出走馬のよる優勝となった<ref name="競馬ブック-菊花賞アラカルト">{{Cite web|和書|title=菊花賞アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/49708 |website=競馬ブック |accessdate=2022-09-22}}</ref>。浜中は、デビュー3年目でGI級競走初優勝、同期では春に[[NHKマイルカップ]]を[[ジョーカプチーノ]]で制した[[藤岡康太]]に次ぐ2番目の早さだった<ref name="競馬ブック-菊花賞アラカルト" />。武宏平は開業32年目で平地GI級競走初優勝<ref name="競馬ブック-菊花賞アラカルト" />、孫を初めて競馬場に呼んでの優勝だった<ref name="優駿-2009-12-70" />。永山はGI初出走でクラシック戴冠<ref name="優駿-2009-12-138" />、永井は74歳でクラシック初優勝だった<ref name="デイリー-永井" />。さらに父ダンスインザダークは、2003年[[ザッツザプレンティ]]、2004年[[デルタブルース]]に続いて3回目の菊花賞親仔制覇達成<ref name="優駿-2009-12-81" />。2着のフォゲッタブルもダンスインザダークであり、菊花賞史上6例目となる同一種牡馬産駒によるワンツーフィニッシュだった<ref name="優駿-2009-12-81" />。そして杉山は、ゆかりのある菊花賞を、そのダンスインザダークの産駒で制していた<ref name="優駿-2020-10-47" />。


これを以て終結したこの世代のクラシックでは、新馬戦に出走した3頭が戴冠を果たしたことになった<ref name="スポニチ-新馬戦">{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/04.html |title=【菊花賞】「伝説の新馬戦」史上初G1馬3頭誕生 |accessdate=2022-9-22 |newspaper=スポーツニッポン |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091029074511/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/04.html |archivedate=2009-10-29}}</ref>。同じ新馬戦から3頭のクラシック優勝馬が現れたのは、史上初めての事象だった<ref name="スポニチ-新馬戦" />。
放牧後、[[新潟競馬場]]の弥彦特別(5着)、[[阪神競馬場]]での野分特別(1着)を経て[[浜中俊]]を鞍上に[[10月25日]]の[[菊花賞]]に出走する。レースは[[リーチザクラウン]]が[[脚質#大逃げ|大逃げ]]を打ち粘る展開のなか、直線でリーチザクラウンとヤマニンウイスカーの間から先頭に抜け出した<ref name=":2">{{Cite news|title=【菊花賞】淀で踊った!浜中ロールス!|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2009-10-26|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/kiji/K20091026Z00001610.html?amp=1|accessdate=2010-1-9}}</ref>。[[ターフビジョン]]に驚いて外へ膨れたものの、内から追い込んで来た[[フォゲッタブル]]とゴール前まで馬体を併せる形になった<ref name=":2">{{Cite news|title=【菊花賞】淀で踊った!浜中ロールス!|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2009-10-26|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/kiji/K20091026Z00001610.html?amp=1|accessdate=2010-1-9}}</ref>。最後は[[着差 (競馬)|ハナ差]]で1着となり、[[重賞]]競走初勝利を[[競馬の競走格付け|GI]]競走で挙げた<ref name=":2">{{Cite news|title=【菊花賞】淀で踊った!浜中ロールス!|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2009-10-26|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/kiji/K20091026Z00001610.html?amp=1|accessdate=2010-1-9}}</ref>。菊花賞後は疲労を完全に取りのぞくため[[ジャパンカップ]]を回避し、[[有馬記念]]へ出走<ref name=":1">{{Cite news|title=32年目の武厩舎に夢を…スリーロールス最強決戦へ|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2009-12-21|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/21/kiji/K20091221Z00000620.html|accessdate=2010-1-9}}</ref>。


==== 引退 ====
有馬記念では、左前浅屈腱不全断裂を発症し2周目第3コーナー手前で競走中止となった<ref>{{Cite news|title=【有馬記念】浜中涙…スリーロールス競走中止|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2009-12-28|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/28/kiji/K20091228Z00002180.html|accessdate=2010-1-9}}</ref>。陣営は現役続行の可能性を模索し、[[2010年]][[1月3日]]に再検査を行ったが競走能力喪失と診断され<ref name=":3">{{Cite news|title=有馬で屈腱断裂…スリーロールス無念の引退|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2010-1-6|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/01/06/kiji/K20100106Z00002440.html|accessdate=2010-1-9}}</ref>、[[1月5日]]に[[1月6日]]付で競走馬登録を抹消し、現役を引退することを発表した<ref name=":3">{{Cite news|title=有馬で屈腱断裂…スリーロールス無念の引退|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2010-1-6|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/01/06/kiji/K20100106Z00002440.html|accessdate=2010-1-9}}</ref>。
菊花賞後は、当初[[ジャパンカップ]]を予定していたが、疲労を考慮して見送り、暮れの[[有馬記念]]に臨む<ref name="スポニチ-有馬記念前" />。ここでは、新馬戦で先着を許した3頭も出走し、新馬戦以来の再会をグランプリで果たしていた。他に[[ドリームジャーニー]]、[[マツリダゴッホ]]らが出走する中、ブエナビスタが1番人気、リーチザクラウンが5番人気、スリーロールスが6番人気、アンライバルドが8番人気となる。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=bO5OwCRwjtY&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2009年 有馬記念(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スリーロールスは中団を追走し、1周目を通過。しかし2周目の第3コーナーにて突如失速し、競走中止となった<ref>{{Cite news|title=【有馬記念】菊花賞馬スリーロールス浅屈腱不全断裂 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/27/kiji/K20091227Z00001080.html |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2022-09-23 }}</ref>。引き上げた浜中は、涙を流していたという<ref>{{Cite news|title=【有馬記念】競走中止スリーロールス |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/28/kiji/K20091228Z00001580.html |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2022-09-24 }}</ref>。競走中止は、左前脚の浅屈腱不全断裂を発症したためだった<ref>{{Cite news|title=【有馬記念】菊花賞馬スリーロールス浅屈腱不全断裂 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/27/kiji/K20091227Z00001080.html |newspaper=スポーツニッポン|accessdate=2022-09-24 }}</ref>。


その後、年をまたいで2010年1月3日に検査を行う<ref name="スポニチ-引退">{{Cite news|title=有馬で屈腱断裂…スリーロールス無念の引退|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/01/06/kiji/K20100106Z00002440.html |newspaper=スポーツニッポン|accessdate=2022-09-23 }}</ref>。結果次第では現役復帰の可能性もあったが、腱が完全に切れていた<ref name="スポニチ-引退" />。症状が重いために現役続行を断念、競走馬引退となる<ref name="スポニチ-引退" />。1月6日付で日本中央競馬会の競走馬登録が抹消された<ref>{{Cite news|url=http://www.sanspo.com/keiba/news/100105/kba1001051813015-n1.htm |title=菊花賞馬スリーロールスが引退 種牡馬入り |access-date=2022-9-24 |newspaper=サンケイスポーツ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100416085100/http://www.sanspo.com/keiba/news/100105/kba1001051813015-n1.htm |archivedate=2010-4-16}}</ref><ref>{{Cite news|title=スリーロールス引退、今後は種牡馬の予定 |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-178291.html |work=競馬実況web|publisher=ラジオNIKKEI |accessdate=2022-09-23 }}</ref>。杉山は、この出来事を悔いて、自身のメールアドレスを、スリーロールスの名前と故障した日付に設定したという<ref>{{Cite news|title=【ジャパンC】杉山晴師、メアドに刻んだスリーロールス G1を勝つ喜び知った |url=https://keiba.sponichi.co.jp/news/20201124s00004048496000c |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2022-09-24}}</ref>。
=== 引退後 ===
引退後は[[種牡馬]]入り。繋養先は[[レックススタッド]]<ref name=":3">{{Cite news|title=有馬で屈腱断裂…スリーロールス無念の引退|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2010-1-6|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/01/06/kiji/K20100106Z00002440.html|accessdate=2010-1-9}}</ref><ref>{{Cite web |title=サラ系供用種牡馬一覧|トピックス|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/topics/stallion/?year=2010 |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-04-26}}</ref>。


=== 種牡馬時代 ===
2015年1月13日付けで用途変更により種牡馬を引退<ref>{{Cite web|format=PDF|url= https://www.jairs.jp/contents/tokei/tokei_pdf/15-13.pdf |title= 2015年供用停止種雄馬一覧|publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル|accessdate=2020-7-10}}</ref>し、同年11月から生まれ故郷の武牧場で[[功労馬繋養展示事業|引退名馬繋養展示事業]]の助成対象馬となっている<ref>{{Cite web |url=https://www.meiba.jp/horses/view/2006101121 |title=引退名馬 |accessdate=2020-11-06 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル}}</ref>。産駒から地方・中央通じ重賞勝ち馬は出ていない<ref>{{Cite web |title=スリーロールスの産駒成績|競走馬データ- netkeiba.com |url=https://db.netkeiba.com/horse/sire/2006101121/ |website=db.netkeiba.com |access-date=2022-04-26}}</ref>。
引退後は、北海道[[新ひだか町]]の[[レックススタッド]]で種牡馬として繋養される<ref>{{Cite web|和書|title=スリーロールスがレックススタッドにスタッドイン |url=https://uma-furusato.com/news/50951.html |website=競走馬のふるさと案内所 |accessdate=2022-09-23}}</ref>。初年度は13頭、2年目も13頭の繁殖牝馬を集めたが、それ以降右肩下がりだった<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。5年目の2014年1頭を最後に種牡馬を引退。2015年1月13日付で[[用途変更]]となった<ref name="JAIRS" />。その後は、功労馬繋養展示事業の助成対象として、功労馬となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.meiba.jp/horses/view/2006101121|title=スリーロールス|accessdate=2020-11-06|website=引退名馬}}</ref>。


== 競走成績 ==
== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|和書|title=スリーロールスの競走成績|url=https://db.netkeiba.com/horse/2006101121/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-09-25}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|和書|title=競走成績:全競走成績|スリーロールス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000991715/record/|website=JBISサーチ|accessdate=2021-09-25}}</ref>の情報に基づく。
{| style="font-size:90%; text-align:center; border-collapse:collapse"
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
|colspan="3"|年月日
! colspan="3" |競走日
|style="white-space:nowrap"|[[競馬場]]
! nowrap="" |競馬場
|競走名
!競走名
|[[競馬の競走格付け|格]]
!格
|頭<br />数
!距離
|枠<br />番
(馬場)
|馬<br />番
!頭
|オッズ(人気)
|style="text-align:right"|着順
!枠
|[[騎手]]
|style="white-space:nowrap"|[[負担重量|斤量]]<br />[kg]
!馬
|[[距離 (競馬)|距離]](馬場)
|タイム<br />([[上がり (競馬)|上]]3[[ハロン (単位)|F]])
!オッズ
|style="text-align:center; white-space:nowrap"|タイム<br />差
(人気)
|勝ち馬/(2着馬)
!着順
!タイム
(上り3F)
!着差
!騎手
!斤量
[kg]
!1着馬
(2着馬)
!馬体重
[kg]
|-
|-
|style="text-align:right; white-space:nowrap"|[[2008年|2008]]
|[[2008年|2008]].
|10.
|style="text-align:right; white-space:nowrap"|10.
|style="text-align:right; white-space:nowrap"|[[10月26日|26]]
|[[10月26日|26]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[新馬|2歳新馬]]
|[[新馬|2歳新馬]]
|
|
| nowrap="" |芝1800m(良)
|11
|11
|7
|7
|8
|8
|style="text-align:right"|49.7{{0}}(8人)
| nowrap="" |49.7{{0}}(8人)
|{{0}}4着
|style="text-align:right"|4着
| nowrap="" |1:52.2 (34.3)
|style="white-space:nowrap"|[[横山典弘]]
| nowrap="" |{{0|-}}0.5
|{{0}}[[横山典弘]]
|55
|55
|style="white-space:nowrap"|芝1800m(良)
|style="text-align:right; white-space:nowrap"|1:52.2 (34.3)
|style="text-align:right"|0.5
|[[アンライバルド]]
|[[アンライバルド]]
|504
|-
|-
|
|
|11.
|style="text-align:right"|11.
|style="text-align:right"|[[11月8日|8]]
|{{0}}[[11月8日|8]]
|京都
|京都
|2歳未勝利
|2歳未勝利
|
|
|芝2000m(稍)
|11
|11
|4
|4
|4
|4
|style="text-align:right"|2.1{{0}}(1人)
|{{0}}2.1{{0}}(1人)
|{{0}}5着
|style="text-align:right"|5着
|2:02.4 (35.9)
|[[岩田康誠]]
|{{0|-}}0.6
|{{0}}[[岩田康誠]]
|55
|55
|ピエナファンタスト
|芝2000m(稍)
|502
|style="text-align:right"|2:02.4 (35.9)
|style="text-align:right"|0.6
|style="white-space:nowrap"|ピエナファンタスト
|-
|-
|
|
|11.
|style="text-align:right"|11.
|style="text-align:right"|[[11月30日|30]]
|[[11月30日|30]]
|京都
|京都
|2歳未勝利
|2歳未勝利
|
|
|芝1800m(良)
|18
|18
|2
|2
|4
|4
|style="text-align:right"|5.8{{0}}(3人)
|{{0}}5.8{{0}}(3人)
|style="text-align:right"|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
|1:49.3 (35.1)
|[[福永祐一]]
| -0.2
|{{0}}[[福永祐一]]
|55
|55
|芝1800m(良)
|style="text-align:right"|1:49.3 (35.1)
|style="text-align:right"|-0.2
|(ナリタプラチナ)
|(ナリタプラチナ)
|498
|-
|-
|
|
|12.
|style="text-align:right"|12.
|style="text-align:right"|[[12月14日|14]]
|[[12月14日|14]]
|[[中京競馬場|中京]]
|[[中京競馬場|中京]]
|中京2歳S
|[[中京2歳ステークス|中京2歳S]]
|{{OP}}
|OP
|芝1800m(良)
|10
|10
|7
|7
|8
|8
|style="text-align:right"|10.5{{0}}(5人)
|10.5{{0}}(5人)
|{{0}}5着
|style="text-align:right"|5着
|1:49.7 (35.4)
|[[太宰啓介]]
|{{0|-}}0.4
|{{0}}[[太宰啓介]]
|55
|55
|芝1800m(良)
|style="text-align:right"|1:49.7 (35.4)
|style="text-align:right"|0.4
|メイショウドンタク
|メイショウドンタク
|494
|-
|-
|style="text-align:right"|[[2009年|2009]]
|[[2009年|2009]].
|{{0}}3.
|style="text-align:right"|3.
|style="text-align:right"|[[3月7日|7]]
|{{0}}[[3月7日|7]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|3歳500万下
|3歳500万下
|
|
|芝1800m(良)
|15
|15
|8
|8
|14
|14
|style="text-align:right"|9.3{{0}}(4人)
|{{0}}9.3{{0}}(4人)
|{{0}}4着
|style="text-align:right"|4着
|1:50.1 (35.1)
|福永祐一
|{{0|-}}0.1
|{{0}}福永祐一
|56
|56
|[[フミノイマージン]]
|芝1800m(良)
|496
|style="text-align:right"|1:50.1 (35.1)
|style="text-align:right"|0.1
|フミノイマージン
|-
|-
|
|
|{{0}}3.
|style="text-align:right;"|3.
|style="text-align:right;"|[[3月28日|28]]
|[[3月28日|28]]
|阪神
|阪神
|[[毎日杯]]
|[[毎日杯]]
|{{GIII}}
|{{GIII}}
|芝1800m(良)
|14
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|53.7(11人)
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|56
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|-
|
|
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|はなみずき賞
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|ロードロックスター
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|-
|
|
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|3歳500万下
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|
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|-
|
|
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|弥彦特別
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|-
|
|
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|-
|
|
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|18
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|-
|
|
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|16
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|
|[[ドリームジャーニー]]
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== 種牡馬成績 ==
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく<ref name="JBIS-種牡馬成績">{{Cite web|和書|title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|スリーロールス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000991715/sire/generation/thorough_s/ |website=JBISサーチ |accessdate=2022-09-21}}</ref>。
{| class="wikitable"
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|
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|8
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|-
|
|-
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* 情報は、2022年9月21日時点。


== 血統表 ==
== 血統表 ==
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母のスリーローマンは[[府中牝馬ステークス]]3着馬<ref>{{Cite web |title=スリーローマン|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000315186/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-01-29}}</ref>。母の兄オペラハットは[[東京王冠賞]]の勝ち馬でジャパンダートダービー2着<ref>{{Cite web |title=オペラハット|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000306863/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-01-29}}</ref>。曾祖母カミモリレディーの子トキノクンショウは[[かしわ記念]]の勝ち馬<ref>{{Cite web |title=トキノクンショウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000223735/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-01-29}}</ref>。5代母のアコニットは[[皐月賞]]・[[東京優駿|日本ダービー]]の二冠を制した[[カツトップエース]]を送り出した<ref>{{Cite web |title=アコニツト(GB)|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000379513/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-01-29}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===

=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==

* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 2009年5月号
*** 「【重賞プレイバック】第56回毎日杯(GIII)アイアンルック」
** 2009年12月号
*** 岡本光男(日刊スポーツ関西)「【クローズアップ】第70回菊花賞優勝馬 スリーロールス 雌伏の春、実りの秋」
*** 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(295)】武宏平調教師」
*** 「【重賞プレイバック】第70回菊花賞(JpnI)スリーロールス」
*** 岡本光男(日刊スポーツ関西)「【トレセン・リポート】栗東トレセン発 キャリア29年にしてスリーロールスで華を咲かせた 大ベテラン、永山良介調教厩務員」
*** 永井晴二(共同通信)「【ベテラン記者の"特注"取材ノート(22)】『奇跡』を実感した武宏平調教師と菊花賞」
** 2020年10月号
*** 江面弘也「【コントレイル&デアリングタクト 無敗の二冠馬のすべて】デアリングタクトの調教師 杉山晴紀 道半ばのサクセスストーリー」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=2006101121|yahoo=2006101121|jbis=0000991715|racingpost=730332}}
{{競走馬成績|netkeiba=2006101121|yahoo=2006101121|jbis=0000991715|racingpost=730332/three-rolls}}
* {{競走馬のふるさと案内所|0000991715|スリーロールス}}
* {{競走馬のふるさと案内所|0000991715|スリーロールス}}
* {{Meiba.jp|2006101121|スリーロールス}}


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2024年6月23日 (日) 02:51時点における最新版

スリーロールス
2009年10月25日 京都競馬場
欧字表記 Three Rolls[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 2006年4月26日(18歳)[1]
抹消日 2010年1月6日[2]
ダンスインザダーク[1]
スリーローマン[1]
母の父 ブライアンズタイム[1]
生国 日本の旗 日本
北海道日高郡新ひだか町[1]
生産者 永井商事(株)[3]
生産牧場 武牧場[1]
育成 武牧場[4]
馬主 永井商事株式会社[1]
調教師 武宏平栗東[1]
調教助手 杉山晴紀[5]
厩務員 永山良介[6]
競走成績
生涯成績 12戦4勝[1]
獲得賞金 1億8795万5000円[1]
勝ち鞍
JpnI 菊花賞 2009年
テンプレートを表示

スリーロールス(欧字名:Three Rolls2006年4月26日 - )は、日本競走馬種牡馬[1]

2009年の菊花賞(JpnI)優勝馬である。

浜中俊騎手、武宏平調教師、永井啓弍馬主、武牧場ら大勢にクラシックのタイトルを初めてもたらした。

経歴

[編集]

デビューまで

[編集]

誕生までの経緯

[編集]

スリーローマンは、1997年に生産された父ブライアンズタイム、母アコニットローマンの牝馬である[7]。母のアコニットローマンは1993年の東京プリンセス賞勝ち馬[8]であり、スリーローマンの半兄には1999年の東京王冠賞の勝ち馬で、同年のジャパンダートダービー2着などの実績を残したオペラハットがいる[9]。冠名「スズカ」「スリー」「サンレイ」を用いる永井啓弍の関連会社の所有、栗東トレーニングセンター武宏平調教師の管理のもと、競走馬としてデビューしていた[7]。永井と武宏平の関係は、小林稔調教師の紹介で結ばれた関係だった[10]。デビューしてすぐ、2歳のスリーローマンは、一時400キログラムを割るほどの小柄な馬体をしていたが、時間をかけて逞しくなる[11]。4歳夏には460キログラムにまで増やすほどの成長力の持ち主だった[11]。成熟した4歳秋には、2001年の府中牝馬ステークス(GIII)では、マルカキャンディティコティコタックに次ぐ3着となるまで出世[12]、GIのエリザベス女王杯にも出走を果たした[13]

35戦4勝の成績で引退した後は、武宏平の弟の牧場である、北海道日高郡静内町武牧場で繁殖牝馬となる。初年度となる2003年はラムタラの仔、2年目はアグネスタキオンの仔を孕んでいた[14]。そして3年目となる2005年の交配相手には、武宏平の「好き[15]」な馬であるという理由で強く希望し、1996年の菊花賞優勝馬であるダンスインザダークが選ばれた[15]

幼駒時代

[編集]

それから1年後の2006年4月26日、北海道日高郡新ひだか町の武牧場にて、スリーローマンの3番仔である鹿毛牡馬(後のスリーロールス)が誕生する[1]。宏平はこの3番仔の動向を、誕生前から注視していたという[16]。宏平によれば、父母ともに激しい気性だったが、仔はそれに似ず「おっとりしていて、イレ込まないし(中略)暴れることもない[15]」様子であり、体型もダンスインザダークには似ていなかったという[15]

場長の山ノ井紀明によれば「おっとりしていて手の掛からない馬でした。逆に印象がないくらい[17]」「牧場時代は手が掛からず、かえって印象が薄かった[18]」「本当におっとりした、手のかからかからない馬でしたね。大人しすぎて印象に残っていない[19]」と回顧している。幼いころから体は大きかったが、健康で怪我も病気もしなかった[20]。育成段階に入っても充実した動きをしていたという[20]

永井啓弍

3番仔は、母同様に永井の所有となる。永井は、これまでサイレンススズカ宝塚記念を、スズカマンボ天皇賞(春)を、スズカフェニックス高松宮記念を制していたが、クラシックのタイトルには届いていなかった[21]。そんな永井は、3番仔に冠名「スリー」に「ロールス」を組み合わせた「スリーロールス」という競走馬名を与える[21]。「ロールス」とは車「ロールス・ロイス」を意味しており、母スリーローマンの「ロ」と永井の生業である自動車業を絡めたネーミングだった[22][21]

武宏平

競走年齢に達したスリーロールスは、栗東の武宏平厩舎に入厩する。宏平厩舎は、1978年に開業してから、2004年の中山大障害を制したメルシータカオー、2007年の中山大障害を制したメルシーエイタイムという障害GI級競走の勝利こそあった[23]。しかし平地GI級競走では、ゴールドウェイで臨んだ1984年菊花賞にて、シンボリルドルフに4分の3馬身届かず、フェアダンスで臨んだ1996年エリザベス女王杯にて、ダンスパートナーにクビ差届かず、いずれも2着で、勝利は挙げられていなかった[10][24]。宏平は京都競馬場で生まれており、そこで行われるビッグレース、菊花賞と天皇賞(春)は勝ちたいという夢を持っていた[10]

杉山晴紀

厩舎のスリーロールスは、永山良介厩務員、杉山晴紀調教助手が担当した[6][5]。永山は、厩務員歴25年超、50代のベテランだったが、重賞はハイブリドーマでの1989年阪急杯3着(優勝馬:ホリノライデン)が最高で、GI級競走に担当馬を送り込んだことがなかった[6]。杉山は、スリーロールスの父ダンスインザダークが制した1996年菊花賞を見て感動したことをきっかけに、サラリーマン家庭のサッカー選手志望から縁のない馬の世界に転じていた[25][5]。杉山は、宏平が病気がちだったこともあり、厩舎運営の代行も一部行っていたという[26]。杉山によれば、入厩当初のスリーロールスは動きが鈍かったが、調教を進めるにつれて心肺機能のすばらしさに気づいたという[27]。強めの調教をしても息苦しくならなかった[28]

競走馬時代

[編集]

新馬戦の敗北

[編集]

2008年10月26日、京都競馬場新馬戦(芝1800メートル)でデビューとなる。菊花賞当日に設定されていたため、有力騎手が集っており、自動的に評判の良い関西馬が揃っていた。アドマイヤオーラアドマイヤジャパンの妹にしてビワハイジの仔であるブエナビスタ、優秀な調教タイムを叩き出していたリーチザクラウンフサイチコンコルドの弟であるアンライバルドが一堂に会していた[29]。それでも宏平は、デビュー前の調教でポテンシャルを感じ取っており、強い相手と戦おうとあえてこのレースを選択する[29]。鞍上には、菊花賞騎乗のために、関西に遠征した関東の横山典弘を起用していた。上述の3頭が3番人気までを占め、内田博幸騎乗のエーシンビートロンが4番人気で続いていた[29]。その一方で、スリーロールスの人気はなく、49.7倍の8番人気だった[29]

エーシンビートロンが逃げて、それに続く好位の4番手を確保する[30]。後方には人気の3頭が追走していた。最終コーナーを4番手で通過したスリーロールスは、直線で先頭に躍り出るべく末脚を発揮し、追い上げ、エーシンビートロンを捉えることはできた[31]。しかし、後方から追い込んで来た人気3頭には敵わなかった。アンライバルドやリーチザクラウンには突き放され、ブエナビスタにはすんなり交わされる[31]。アンライバルドに約3馬身以上、リーチザクラウンに約2馬身以上、ブエナビスタに1馬身半後れを取る4着となった[32]。評判の3頭には敵わなかったものの、レース直後には、横山からポテンシャルがあるという報告を受けていた[31]

夏の成長

[編集]

2戦目の1番人気5着を経て、3戦目に福永祐一が導き、初勝利を挙げた。その後は、中京2歳ステークス(OP)5着で2歳を終えた。年をまたいで2009年、3歳始動戦の条件戦は4着。そして3月28日には、毎日杯(GIII)で重賞初出走とし、浜中俊が初めて騎乗して臨み、8着となった[33]。浜中が続投し、はなみずき賞(500万円以下)2着を経て、5月3日の500万円以下では、ナリタクリスタルらを下して優勝、2勝目を挙げた。この直後、宏平と浜中の間で主戦の約束が結ばれる[34]。騎手デビュー3年目、20歳、栗東の坂口正大厩舎所属の浜中は、武厩舎と坂口厩舎は三軒先にあり、頻繁に顔を合わせる関係だった。この関係から、浜中の主戦起用が決定した[34]

2勝目を挙げた後は、目標を菊花賞に定めて、放牧、夏休みとなる[34]。菊花賞を制した父、成長力に富む母から宏平は、本格化は秋以降であると無理はさせなかった。またこの頃はまだ腰が成熟しておらず、夏の間に成長を促す意味合いもあった[34]。5月には、脚腰を鍛えるために障害を飛ぶ練習も取り入れていた[35]。また宏平夫人の洋子によれば、宏平は、菊花賞出走に向け、勝負服を新調するといった行動にも出ていたという[36]

参戦を見送った春のクラシックでは、牝馬限定の桜花賞をブエナビスタが、優駿牝馬(オークス)もブエナビスタが制し、牝馬二冠を果たしていた[31]。そして主に牡馬が出走する皐月賞を、アンライバルドが制していた[31]。それから東京優駿(日本ダービー)では、リーチザクラウンがロジユニヴァースに次ぐ2着となっていた[31]。新馬戦で先着を許した評判の3頭は、共にクラシックで活躍し、2頭が戴冠まで果たしていた[31]。そして続く秋、3頭のうち牡馬の2頭、アンライバルドとリーチザクラウンは、スリーロールスと同じ菊花賞を目指していた。

夏休みを過ごしたスリーロールスは、8月1日に帰厩する。復帰戦の新潟競馬場の弥彦特別(1000万円以下)では、浜中が他とかち合ったために騎乗できず、新馬戦でエーシンビートロンに騎乗して以来、スリーロールスを認識していた内田が起用され[15]、5着だった。それから浜中が舞い戻って9月26日、阪神の野分特別(1000万円以下)に、3番人気で臨む。2番手追走から直線で後続を突き放していた[37]。相手は「1000万(円以)下としてはかなり強力[11]」(岡本光男)だったが、それらに4馬身差をつけて勝利[37]。3勝目を挙げて、菊花賞戦線に到達した[11]

菊花賞

[編集]

野分特別で3勝目を挙げ、収得賞金1500万円に達したスリーロールスは、続いて菊花賞の出走登録を行う。ただし、収得賞金1500万円では、直ちに出走を叶えることができなかった[11]。出走可能頭数である18頭以上の登録があり、トライアル競走で優先出走権を得た数頭を除いた十数頭は、収得賞金が高い馬から順番に出走を決めていた。そんな中、収得賞金1500万円が出走可能、不可能を分かつボーダーとなる[11]。収得賞金1500万円の馬は、スリーロールスを含めた7頭をおり、残された出走枠は6つだった。そのため出走馬を決める「7分の6」の抽選が課される。しかしスリーロールスは当選し、出走を叶えた[11]

当日は、雨の予報がなされていた。依然として腰が甘いスリーロールスは、雨の場合不自由な走りになる危険があった[15]。そのため宏平は敗北を観念していたが、当日は予報外れて晴れ、良馬場での開催だった[15][38]。そんな中、スリーロールスは19.2倍の8番人気に支持される。東京優駿優勝馬のロジユニヴァースは不在だったが、その2着のリーチザクラウン、皐月賞優勝馬のアンライバルド、朝日杯フューチュリティステークス優勝馬のセイウンワンダー、さらに前哨戦セントライト記念優勝馬のナカヤマフェスタ神戸新聞杯優勝馬のイコピコなどが揃っていた[38]。スリーロールスにとっては、リーチザクラウンとアンライバルドとの新馬戦以来の再戦だった。人気は、リーチザクラウン、イコピコ、アンライバルド、ナカヤマフェスタの順で4番人気までとなり、いずれも単勝オッズ一桁台に推されていた[38]

映像外部リンク
2009年 菊花賞(JpnI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

1枠1番のスリーロールスは好スタートを切り、好位を確保する[11]。リーチザクラウンが逃げ、ハイペースで先導する展開を追走した[11]。大勢は変わらないまま、最終コーナーを通過し、直線では逃げるリーチザクラウンを追いかける形となった。直線では、最内を走るリーチザクラウンの背後から接近する。リーチザクラウンとそれに迫るヤマニンウイスカーの間に割り込み、残り200メートルでリーチザクラウンに並びかけた[39]。しかしその直後、スリーロールスはターフビジョンに驚いて、大きく外に膨れてしまい、先頭を取り損ねた[39]。さらに背後にいた7番人気フォゲッタブルに膨れた隙を突かれて、接近を許していた[39]。しかし浜中により矯正されると、我を取り戻して前進を再開[40]。最内のリーチザクラウンを差し切り、内のフォゲッタブルにも抵抗した[38]。フォゲッタブルと鼻面並べての決勝線通過となったが、スリーロールスがハナ差先着を果たした[38]。審議のランプが点灯したが、そのまま確定する。

菊花賞の表彰式

重賞初出走でGI級競走初勝利、クラシック戴冠を果たした[41]。前年のオウケンブルースリに続いて2年連続で春のクラシック不出走馬のよる優勝となった[41]。浜中は、デビュー3年目でGI級競走初優勝、同期では春にNHKマイルカップジョーカプチーノで制した藤岡康太に次ぐ2番目の早さだった[41]。武宏平は開業32年目で平地GI級競走初優勝[41]、孫を初めて競馬場に呼んでの優勝だった[34]。永山はGI初出走でクラシック戴冠[6]、永井は74歳でクラシック初優勝だった[22]。さらに父ダンスインザダークは、2003年ザッツザプレンティ、2004年デルタブルースに続いて3回目の菊花賞親仔制覇達成[20]。2着のフォゲッタブルもダンスインザダークであり、菊花賞史上6例目となる同一種牡馬産駒によるワンツーフィニッシュだった[20]。そして杉山は、ゆかりのある菊花賞を、そのダンスインザダークの産駒で制していた[5]

これを以て終結したこの世代のクラシックでは、新馬戦に出走した3頭が戴冠を果たしたことになった[42]。同じ新馬戦から3頭のクラシック優勝馬が現れたのは、史上初めての事象だった[42]

引退

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菊花賞後は、当初ジャパンカップを予定していたが、疲労を考慮して見送り、暮れの有馬記念に臨む[35]。ここでは、新馬戦で先着を許した3頭も出走し、新馬戦以来の再会をグランプリで果たしていた。他にドリームジャーニーマツリダゴッホらが出走する中、ブエナビスタが1番人気、リーチザクラウンが5番人気、スリーロールスが6番人気、アンライバルドが8番人気となる。

映像外部リンク
2009年 有馬記念(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スリーロールスは中団を追走し、1周目を通過。しかし2周目の第3コーナーにて突如失速し、競走中止となった[43]。引き上げた浜中は、涙を流していたという[44]。競走中止は、左前脚の浅屈腱不全断裂を発症したためだった[45]

その後、年をまたいで2010年1月3日に検査を行う[46]。結果次第では現役復帰の可能性もあったが、腱が完全に切れていた[46]。症状が重いために現役続行を断念、競走馬引退となる[46]。1月6日付で日本中央競馬会の競走馬登録が抹消された[47][48]。杉山は、この出来事を悔いて、自身のメールアドレスを、スリーロールスの名前と故障した日付に設定したという[49]

種牡馬時代

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引退後は、北海道新ひだか町レックススタッドで種牡馬として繋養される[50]。初年度は13頭、2年目も13頭の繁殖牝馬を集めたが、それ以降右肩下がりだった[51]。5年目の2014年1頭を最後に種牡馬を引退。2015年1月13日付で用途変更となった[3]。その後は、功労馬繋養展示事業の助成対象として、功労馬となっている[52]

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[53]およびJBISサーチ[54]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上り3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬

(2着馬)

馬体重

[kg]

2008. 10. 26 京都 2歳新馬 芝1800m(良) 11 7 8 49.70(8人) 04着 1:52.2 (34.3) -0.5 0横山典弘 55 アンライバルド 504
11. 08 京都 2歳未勝利 芝2000m(稍) 11 4 4 02.10(1人) 05着 2:02.4 (35.9) -0.6 0岩田康誠 55 ピエナファンタスト 502
11. 30 京都 2歳未勝利 芝1800m(良) 18 2 4 05.80(3人) 01着 1:49.3 (35.1) -0.2 0福永祐一 55 (ナリタプラチナ) 498
12. 14 中京 中京2歳S OP 芝1800m(良) 10 7 8 10.50(5人) 05着 1:49.7 (35.4) -0.4 0太宰啓介 55 メイショウドンタク 494
2009. 03. 07 阪神 3歳500万下 芝1800m(良) 15 8 14 09.30(4人) 04着 1:50.1 (35.1) -0.1 0福永祐一 56 フミノイマージン 496
03. 28 阪神 毎日杯 GIII 芝1800m(良) 14 4 6 53.7(11人) 08着 1:48.4 (34.2) -0.4 0浜中俊 56 アイアンルック 496
04. 19 阪神 はなみずき賞 500万下 芝1800m(良) 13 6 9 02.90(1人) 02着 1:48.2 (33.4) -0.2 0浜中俊 56 ロードロックスター 490
05. 03 京都 3歳500万下 芝1800m(良) 14 4 5 02.50(1人) 01着 1:47.1 (33.8) -0.4 0浜中俊 56 ナリタクリスタル 490
09. 05 新潟 弥彦特別 1000万下 芝2000m(良) 13 8 13 03.60(2人) 05着 1:59.3 (34.1) -0.5 0内田博幸 54 メイショウベルーガ 500
09. 26 阪神 野分特別 1000万下 芝1800m(良) 11 1 1 03.70(3人) 01着 1:45.0 (33.6) -0.7 0浜中俊 54 (ジャミール) 494
10. 25 京都 菊花賞 JpnI 芝3000m(良) 18 1 1 19.20(8人) 01着 3:03.5 (35.2) -0.0 0浜中俊 57 フォゲッタブル 498
12. 27 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 5 10 13.50(6人) 競走中止 0浜中俊 55 ドリームジャーニー 498

種牡馬成績

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以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[51]

種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI
2010 13 9 9 9 5 0 0.09
2011 13 9 9 6 4 0.09
2012 11 8 8 7 3 0.11
2013 6 3 3 3 2 0.08
2014 1 0 0 0
合計 29 25 14 0 0.09 0.62
  • 情報は、2022年9月21日時点。

血統表

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スリーロールス血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

ダンスインザダーク
1993 鹿毛
父の父
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
*ダンシングキイ
Dancing Key
1983 鹿毛
Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
Key Partner Key to the Mint
Native Partner

スリーローマン
1997 青毛
*ブライアンズタイム
1985 黒鹿毛
Roberto Hail to Reason
Bramalea
Kelley's Day Graustark
Golden Trail
母の母
アコニットローマン
1990 黒鹿毛
*ブレイヴェストローマン Never Bend
Roman Song
カミモリレディー *ネプテューヌス
カミモリダイテン
母系(F-No.) アコニット系(FN:7-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Hail to Reason 4×4、Graustark 5×4 [§ 4]
出典
  1. ^ [55]
  2. ^ [56]netkeiba.com スリーロールス 5代血統表2017年8月30日閲覧。
  3. ^ [55]
  4. ^ [55]


脚注

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注釈

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出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p スリーロールス”. JBISサーチ. 2021年9月25日閲覧。
  2. ^ “スリーロールスが引退”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/01/05/kiji/K20100105Z00000780.html 2022年9月22日閲覧。 
  3. ^ a b スリーロールス(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月23日閲覧。
  4. ^ 2009年10月25日 菊花賞 重賞ウイナーレポート”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年9月23日閲覧。
  5. ^ a b c d 『優駿』2020年10月号 47頁
  6. ^ a b c d 『優駿』2009年12月号 138頁
  7. ^ a b スリーローマン”. JBISサーチ. 2021年9月25日閲覧。
  8. ^ アコニットローマン”. JBISサーチ. 2022年10月22日閲覧。
  9. ^ オペラハット”. JBISサーチ. 2022年10月22日閲覧。
  10. ^ a b c 『優駿』2009年12月号 72頁
  11. ^ a b c d e f g h i 『優駿』2009年12月号 52頁
  12. ^ 11R 府中牝馬S|2001年10月14日(日)4回東京4日”. JBISサーチ. 2022年9月22日閲覧。
  13. ^ 11R エリザベス女王杯|2001年11月11日(日)5回京都4日”. JBISサーチ. 2022年9月22日閲覧。
  14. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|スリーローマン”. JBISサーチ. 2021年9月25日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g 『優駿』2009年12月号 71頁
  16. ^ “【菊花賞】淀で踊った!浜中ロールス!”. スポーツニッポン. オリジナルの2009年10月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091027002200/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/01.html 2022年9月22日閲覧。 
  17. ^ “【菊花賞】武牧場山ノ井場長、いきなり菊V”. デイリースポーツ. オリジナルの2009年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091029144615/https://www.daily.co.jp/horse/2009/10/26/0002470466.shtml 2022年9月22日閲覧。 
  18. ^ “【菊花賞】ロールス牧場時代は印象薄”. スポーツニッポン. オリジナルの2009年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091029155816/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/03.html 2022年9月22日閲覧。 
  19. ^ “【菊花賞】ロールス生産者「この先がすごい楽しみ」”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/25/kiji/K20091025Z00000680.html 2022年9月22日閲覧。 
  20. ^ a b c d 『優駿』2009年12月号 81頁
  21. ^ a b c “【菊花賞】「スズカ」オーナー念願のクラシック制覇”. スポーツニッポン. オリジナルの2009年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091029041842/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/02.html 2022‐9‐22閲覧。 
  22. ^ a b “【菊花賞】75歳永井オーナー、初クラシック”. デイリースポーツ. オリジナルの2009年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091029040130/https://www.daily.co.jp/horse/2009/10/26/0002470467.shtml 2022年9月22日閲覧。 
  23. ^ 『優駿』2009年12月号 73頁
  24. ^ 10R エリザベス女王杯|1996年11月10日(日)5回京都4日”. JBISサーチ. 2022年9月22日閲覧。
  25. ^ “【ジャパンC】杉山晴師 96年菊花賞が人生を決定づけた 中3から乗馬クラブに通って基礎学ぶ”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2020/11/24/kiji/20201123s00004048599000c.html 2022年9月22日閲覧。 
  26. ^ 『優駿』2020年10月号 48頁
  27. ^ 菊に所縁のあるホースマン人生 杉山晴紀調教師 2年目の躍進に迫る”. www.keibalab.jp. 2022年9月22日閲覧。
  28. ^ “【ジャパンC】杉山晴師、メアドに刻んだスリーロールス G1を勝つ喜び知った”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2020/11/25/kiji/20201124s00004048496000c.html 2022年9月22日閲覧。 
  29. ^ a b c d 『優駿』2009年12月号 50頁
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  31. ^ a b c d e f g 『優駿』2009年12月号 51頁
  32. ^ 5R サラ系2歳 新馬|2008年10月26日(日)4回京都6日”. JBISサーチ. 2022年9月22日閲覧。
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  40. ^ 【菊花賞】「伝説の新馬戦」から3頭目のクラシック勝ち馬となったスリーロールス/平成乱菊列伝”. netkeiba.com. 2022年9月23日閲覧。
  41. ^ a b c d 菊花賞アラカルト”. 競馬ブック. 2022年9月22日閲覧。
  42. ^ a b “【菊花賞】「伝説の新馬戦」史上初G1馬3頭誕生”. スポーツニッポン. オリジナルの2009年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091029074511/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/26/04.html 2022年9月22日閲覧。 
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  44. ^ “【有馬記念】競走中止スリーロールス”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/28/kiji/K20091228Z00001580.html 2022年9月24日閲覧。 
  45. ^ “【有馬記念】菊花賞馬スリーロールス浅屈腱不全断裂”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/27/kiji/K20091227Z00001080.html 2022年9月24日閲覧。 
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  48. ^ “スリーロールス引退、今後は種牡馬の予定”. 競馬実況web (ラジオNIKKEI). https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-178291.html 2022年9月23日閲覧。 
  49. ^ “【ジャパンC】杉山晴師、メアドに刻んだスリーロールス G1を勝つ喜び知った”. スポーツニッポン. https://keiba.sponichi.co.jp/news/20201124s00004048496000c 2022年9月24日閲覧。 
  50. ^ スリーロールスがレックススタッドにスタッドイン”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年9月23日閲覧。
  51. ^ a b 種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|スリーロールス”. JBISサーチ. 2022年9月21日閲覧。
  52. ^ スリーロールス”. 引退名馬. 2020年11月6日閲覧。
  53. ^ スリーロールスの競走成績”. netkeiba.com. 2021年9月25日閲覧。
  54. ^ 競走成績:全競走成績|スリーロールス”. JBISサーチ. 2021年9月25日閲覧。
  55. ^ a b c スリーロールス 5代血統表.JBISサーチ 2017年8月30日閲覧
  56. ^ スリーロールスの種牡馬情報”. 競馬ラボ. 2020年7月9日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 2009年5月号
      • 「【重賞プレイバック】第56回毎日杯(GIII)アイアンルック」
    • 2009年12月号
      • 岡本光男(日刊スポーツ関西)「【クローズアップ】第70回菊花賞優勝馬 スリーロールス 雌伏の春、実りの秋」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(295)】武宏平調教師」
      • 「【重賞プレイバック】第70回菊花賞(JpnI)スリーロールス」
      • 岡本光男(日刊スポーツ関西)「【トレセン・リポート】栗東トレセン発 キャリア29年にしてスリーロールスで華を咲かせた 大ベテラン、永山良介調教厩務員」
      • 永井晴二(共同通信)「【ベテラン記者の"特注"取材ノート(22)】『奇跡』を実感した武宏平調教師と菊花賞」
    • 2020年10月号
      • 江面弘也「【コントレイル&デアリングタクト 無敗の二冠馬のすべて】デアリングタクトの調教師 杉山晴紀 道半ばのサクセスストーリー」

外部リンク

[編集]